羽沢先輩目当てでバイトするのは不純に違いない 作:Washi
無事期末試験が終わり、夏休みとなった。特にやることもなかった僕は、バイト中心の生活をしていた。だけど、そのバイト生活自体には大きな変化があった。
あの日……羽沢先輩に睡眠不足を咎められた日。先輩に諭されたことで初めて、僕は先輩と全く同じ失敗をしかけていたことに気付かされた。先輩の背中を追おうと張り切っていた内に、悪い面まで吸収してしまっていたらしい。
羽沢先輩を支える為に頑張り始めたというのに、蓋を開けてみれば先輩に支えられてしまうという結果になってしまった。
ミイラ取りがミイラになるというが、それが自分に適用される日が来るとは思わなかった。
そのとき言われた、互いに無理しないように頑張ろうという言葉は僕の心に深く響いた。羽沢先輩が頑張りすぎているときは僕が止め、僕が頑張りすぎているときは羽沢先輩が止める。似たもの同士になりつつあったからこそ、互いの些細な変化に気づけるようになった。
どちらかが一方的に支えるのではなく、支え、支えられる関係。気づけばあの日から凡そ1ヶ月半。僕と先輩の関係はそういう風に変化していた。
例えば、シフトだ。夏休みに入った直後のシフトの休憩時間のときのこと。休憩中、僕が待機所で読書をしていると、同じく休憩になったらしい羽沢先輩が声をかけてきたのだ。
*
「ねえ、木下くん。シフトだけど、この週だけ6日全部希望に入ってるのはどうして? シフトは週に4回までって決めたよね」
なにやらご立腹の様子で、僕を非難するかのような半目でこちらを睨んでいた。まあ、そんな顔をしても別に怖くは見えなかったけど。
「いえ、別に……希望日を書いただけなので、そこから羽沢先輩が4つ選んでくれれば大丈夫です。その週は、バンドの活動もないんですよね?」
「むぅ、そうなんだけど……でも、この日は絶対に休みます、みたいに言ってほしいの」
「でもそしたら、今度は羽沢先輩のスケジュールが自由に組めなくなるじゃないですか」
「この週は家でキーボードの練習と残ってる宿題をやろうと思ってるから大丈夫。木下くんの好きなように組んで?」
そうは言われても……自分だって、そんな厳密に組まないといけないような予定なんてない。宿題やって、コーヒーの勉強して、ゲームでもやって……そんな感じだった。
「まあ、だったら……木金だけ抜けます。その代わり、羽沢先輩も週4を守ってくださいよ」
「ふふっ、了解。心配してくれてありがとう」
ぐっ……その笑顔は反則だ。
*
……こんな感じで、僕は羽沢先輩に1週間辺りのシフトの回数に制限をかけられた。この前みたいに、不意のトラブルに対応できない程のシフトを入れないようにと。
他にも、なぜか定期的に一緒に勉強会をすることになった。都合が合えば、他の先輩方も一緒に。曰く、試験勉強のことを忘れない為らしい。効果があるのかは微妙なところだけど、先輩方との交流の機会が増えるということもあり、反対せずに受け入れている。と言っても、まだ1回しか開催してないけど。
一方で、僕は僕で羽沢先輩のスケジュールを助けることが多くなった。具体的には、上原先輩と連携してバンドが忙しくなりそうなタイミングに合わせてシフトに入るようにしたり、ライブの直前や直後で疲れてそうなときはなるべくバイト中の仕事を奪うようにしたり。
以前、非常に混雑していて忙しかった日があったのだが、飛んでくる料理の注文を必死に捌き続けることで、羽沢先輩のヘルプによる介入を防いだことがある。羽沢先輩になにも悟らせなかった、完全なる勝利だった。
ああ、それと、そろそろコーヒーを担当してもいいかもしれないと言われたので、今後はもっと奪うことができるだろう。
まあ、なんというか、支え合うというか……いかに相手を暇にさせるかの勝負になっている気がしないでもないが、結果的に互いの為になっているという実感はある。
それに、相手に無理をさせないという大義名分のもと、結構お互いに本音で話すようになった気もする。次第に、からかい合うことも増えた。ちなみに、羽沢先輩は論破されると口を噤み、悔しそうにしながら少しだけ拗ねる。見てて飽きない。
決意を固めた当初の想定とは違う形になってしまったものの、羽沢先輩に無理をさせないという目的そのものは達成できたのでよしとするのであった。
*
夏休み中のとある月曜日。その日は『羽沢珈琲店』の定休日だ。本来ならばシフトはないのだが、マスターからあることのミーティングをしたいということで任意での招集があったのだ。特に用事のない僕は、喜んで招集に応じるのであった。
朝の9時頃に店に到着した僕は表から羽沢先輩に迎えられ、黒板の出された店内スペースでミーティングが始まった。
参加はマスター、羽沢先輩、僕の3人だ。先輩の母親と若宮先輩は用事で来れなかったようだ。
黒板を見る。そこには、『新作のスイーツ案』と書かれていた。
「定期的にこうやってみんなで話し合ってね、期間限定とか新作のスイーツを出してるんだ。私の案が採用されたこともあるんだよ」
今日のミーティングの趣旨を、羽沢先輩が説明してくれた。その表情から察するに、かつて採用されたのがよっぽど嬉しかったようだ。もし先輩に犬の尻尾が付いてたら、勢いよく振っていたに違いない。
「新作ってことは、しばらくメニューに入れておく感じですか?」
「うん。定番のものは残して、それ以外は流行りとかに合わせて少しずつ変えてるんだ」
なるほど。うーん、でも、甘い物は好きではあるけど、スイーツとかはあんまり詳しくない。役に立てるかな……一生懸命、頑張ってはみるけど。
「じゃあ、早速だけど始めよっか。今回はね、日本ではマイナーなスイーツをテーマにしようと思ってて……」
マスターが黒板の前に立ち、いよいよ話し合いが始まる。なんだかいきなり戦力外になりそうなテーマが飛び出してきたのは気にしてはいけない。気にしたらなにも発言できなくなる。
「イギリスのショートケーキとかのこと?」
「そうそう、そんな感じで」
え、ショートケーキって国ごとに違ったりするの?
「えっと、ショートケーキのショートって、”サクサクする”って意味の英語から来てるって言われててね、イギリスではビスケットとかの固めの生地でクリームと果物が挟んであるの」
羽沢先輩に尋ねると、そう教えてくれた。流石、喫茶店の娘ということなのだろうか。それとも、女子だからなのだろうか。
他にも、アメリカ式やフランス式などがあるらしい。なんかカレーみたいだ。
……やばい。本当に分からないぞ。普通に店で売ってたり、この店に置いてある以外のスイーツはさっぱりだ。名前だけ聞いたことがあっても、食べたことがない奴だって多い。
「あ! この前テレビでやってたけど、ズコットとかは? すごい美味しそうだったよ!」
「なるほどね、確かにセミフレッド系はいいかもね」
ズコット? セミフレッド? いや、待て。セミフレッドはなんかの漫画で出てたような……あ、そうだ、なんか半分凍ってる感じの奴だ。もちろん、食べたことはない。
……やっぱり僕、いらないかも。
その後もミーティングが続くが、羽沢先輩が意見を述べるのみで、僕は沈黙を保つしかなかった。時折羽沢先輩に質問したりはしたけど、それだけだった。なにも生産的な発言はしていない。
なんだか虚しいような、置いてけぼりで寂しいような、そんな感じのミーティングだった。
*
大体ミーティングが開始してから1時間が経っただろうか。黒板が意見の一覧でびっしりと埋まり、選定の段階となった。ちなみに、99%羽沢先輩産だ。
途中から僕は、アイデア方面では役に立てそうになかったので、全員分のコーヒーとかを用意したりした。暑さが厳しいので、アイスにしてみた。
会話を聞きながら自分で淹れたコーヒーの出来を確認していると。マスターは突然とある提案をするのであった。
「それじゃあ、2人にはこのリストにあるスイーツの調査をしてもらおうかな」
「え、調査……ですか?」
「うん。ほら、実際に食べてみないとどんな感じか分からないからね。都内ならどこかしらで食べれる店がある筈だから、その調査」
マスターは「これが軍資金ね」と言って万札を何枚かテーブルに置いた。かなりの額だ。
「こんなにたくさん……お父さん、いいの?」
「流石に多いとは思うけどね。足りなかったら大変だし、念の為だよ」
「でも、マスターはいいんですか?」
「まあ、平行して試作とかもやりたいからね。役割分担というわけさ」
そういうことらしい。リストを眺めていてもなんのことやらって感じだったので、試食に行けるのは非常にありがたい。僕を喜んで引き受けることにした。同様に、羽沢先輩も一緒に行くこととなった。
「ちょっと待っててね、すぐに準備してくるから。実は、ちょっと気になってたお店がいくつかあるんだ」
羽沢先輩は店の奥へと姿を消した。おそらくは自室に戻ったのだろう。マスターと2人で、帰りを待つ。
……こういう、険悪な雰囲気ではないけど、話題がなくて無言になっちゃうときって、どうすればいいのか分からなくなる。どういう話題を出せばいいんだろ?
とりあえず、アイスコーヒーを飲んで誤魔化そう。コップに口を付ける。
「ところで木下くん。君はつぐみのことをどう思ってるんだい?」
「ッ!? ごほっ、げほっ……!!」
不意打ちのボディブローが如き一言に、僕は気管にコーヒーを混じらせてしまって咳込む。しゃべれるくらいまでに回復するのに、それなりの時間を要してしまった。
「ごめん、ごめん、驚かせちゃって。でも、図星みたいだね」
「な、なんで……」
「そりゃ、あの子の父親だからね。しばらく見てれば分かるさ」
完全にバレていたようだ。バイトを初める前からそうだったとは気づかれていないようだが、それを抜きにしても好きな人の親にバレているこの状況。公開処刑に等しい。
顔や耳が熱い通り越して灼熱の溶岩になってしまったかのようだ。今のこの顔を羽沢先輩に見られたら間違いなく死ぬ自信がある。
「え、えっと……あの……すいません」
「はは、別に謝ることじゃないさ。木下くんは真面目だし、仕事の覚えも早いしで、ずっとここで働いてほしいって思ってるよ。だから、仮にそういうことになっても反対はしないよ」
「そういうことって……その、僕は、羽沢先輩の力になれてれば、今はそれで……」
当初は色々と焦って妙なアプローチをしてしまったが、今はもう違う。もちろん、マスターの言うそういう関係になれたら嬉しいとは思うだろうけど、それ以上に羽沢先輩の力になりたいという気持ちの方が強い。
告白とか、そういう行動を起こすつもりは、今のところはない。
「その辺も含めて、つぐみに君は合ってると思ってるけどね」
「……? それは、どういう……」
「木下くんは、つぐみにとっていいストッパーになってるみたいだからね。逆も然りみたいだし。好きだから、みたいな感じでお互いに頼り切りになるより、そういう関係の方が健全だとは思うよ」
うーん? なんか、分かるような、分からないような。とりあえず、曖昧な感じながらも頷いておく。
「なにはともあれ、今日はつぐみのことをよろしく頼むよ。あちこち回ることになるだろうからね」
「は、はい。了解です」
年下とはいえ、自分は男子なんだからその辺りしっかりしてないとだろう。今度は、力強く頷く。
「まあ、それはそれとして、つぐみは自分への好意には鈍いところがあるからね。伝えるならストレートにはっきりと告げた方がいいと思うよ」
「っ、いや、まあ、そうかもですけど……」
ぐっ、駄目だ。この話題だと防戦一方だ。この場から逃げ出したくなるような羞恥に、言葉を返せなくなってしまう。
「お待たせ! 行こっか、木下くん」
「は、はい……!」
しばらくマスターにいじられていたところ、準備を終えたらしい羽沢先輩が戻ってきた。帽子と、小さめの革のショルダーバッグが追加されていた。
……返事のとき、なぜかどもってしまった。マスターに変なこと言われたせいだ。
ともあれ、僕たちは駅へ向けて出発するのであった。僅かな緊張を、携えながら。
*
せっかくだから、思い切って丸の内方面を回ってみようという羽沢先輩の提案に乗り、僕たちは電車で移動中だ。東京駅まで、あと5分ほどだろうか。
「すごい混んでるね」
「……まあ、夏休みですからね。明るい時間でも、こんなものじゃないですか」
なるべく、平静を装って答える。実を言うと、今はあまり会話に集中できていない。その理由は、電車の混雑にある。
電車内は満員とまではいかないものの、余分なスペースがほとんどない程度には混雑していた。羽沢先輩はドア付近の座席の壁を背にしていて、僕が先輩に向き合う形で立っている。
互いの距離は、かなり近い。ほんの半歩前に進むだけで、密着してしまうくらいの距離。電車の揺れの影響で、偶に服が触れ合ってしまう。
1つ間違えれば先輩の胸に体を押し付けてしまうことになるので、そうならないように吊り革をしっかりと握り、足を動かさないようにしている。
マスターに弄られたせいだろうか。なんだか、さっきから羽沢先輩のことを意識しっぱなしだ。マスターに、今は先輩の力になりたいだけだと言っておきながら、この有様だ。秘めていた異性としての想いが表に這い出し、僕を悩ませる。
こんなにも顔が近い。髪の毛の1本1本がはっきりと見える。リップをしているようには見えないのに、妙に唇が艶かしく見え、目を離せない。
仕事中や雑談のときには全く気にならなくなってたのに、魔法にでもかかってしまったかのように、羽沢先輩の全てに魅了されている。
「……? 木下く……あっ!?」
「え? う、うわ……!」
車線変更でもしたのか、車内が大きく揺れた。吊り革なしだったら確実にバランスを崩すほどの揺れ。席の壁に体重を軽く預けているだけだった羽沢先輩もその例に漏れず、前のめりに動かされる。その結果がどうなるかは……明らかだ。
僕が代わりの壁となったおかげで羽沢先輩が倒れることはなかった。その代わり、両手を僕の胸板辺りに押し付けつつ、ぴったりと僕の懐に収まった。もし僕がここで先輩の背中に腕を回せば、完全に抱き止める構図となっていただろう。
いつぞやの雷の日を思い出す。互いに向き合っている分、あのときより更に近く感じられる。シャンプーと思しき髪の匂い、喉元にかかる微かな吐息、じんわりと伝わる体温、吸い込まれそうな瞳。僕の脳は、ショート寸前だった。
「ご、ごめんね……! 痛くなかった?」
「い、いえ……特には……」
接触は、数秒ほどの短い間だった。揺れが収まると同時に、羽沢先輩がすぐさま離れたからだ。ほっとしたような、残念なような、複雑な気持ちだ。
……今の接触、羽沢先輩はどう思っているのだろう。動揺していたのは分かる。でも、そこに少しばかりでも異性との密着による羞恥心が混じってたりはしないのだろうか。もしなにも感じてなかったとしたら、ショックだ。
…………あ、でも、髪の間から覗く耳が、少し赤くなっている。光の加減による錯覚……じゃない。何度見ても、赤い。それどころか、徐々に赤みが増している。
少なくとも、恥ずかしいとは思ってくれてるみたいだった。……やった、ということでいいのだろうか。僅かに心拍数が上昇する。
互いに、無言になる。電車の走行音だけが響き渡り、柱の影が一定間隔で僕たちの間を駆け抜ける。相手の出方を窺っているような、妙な空気。
『間もなく、東京……』
「あっ、もう着くみたい……!」
なんて言葉をかけようかと苦心していたところに、到着を告げる車内アナウンスがかかった。邪魔されたような、この奇妙な緊張感を断ち切ってくれたような、そんなタイミングだった。
先程までの空気は霧散し、いつも通りに戻った。僕たちは電車を降り、羽沢先輩が前々から目星を付けていたという店へ向かうのであった。
*
1店目は、ミーティングの最初の方でリストに上がった、ズコットというスイーツを出している店だった。非常に有名な店なようで、夏休みということも手伝って満席だった。
そこで、しばらく待っていることになったのだが、僕たちを呼んだウェイターから衝撃的なことを告げられる。
「か、カップルシート……?」
果たして、今の呟きはどちらから漏れたものだったか。その言葉の響きに、僕は呆然とするしかなかった。
要は、普通の席から少し隔離された2人用の横並びの席のことだ。別に、それ自体は大した問題じゃない。2人きりになるのは休憩時間とかで慣れてる。ただ、その席の呼称が問題だ。
別に、悲しいことに、誠に残念なことにカップルじゃないし、なによりその名前が恥ずかしい。そんな名前のついた席に羽沢先輩と一緒に座るというシチュエーション……狂おしいくらいにやばい。ちょっぴり、座ってみたいと思っちゃう自分がいる。調査に来ているのに、邪な感情全開である。
僕の考えはさておき、問題は羽沢先輩側の気持ちだ。別にカップルじゃなくても座れるらしいが、一応今の僕たちの間柄は先輩と後輩兼友人のような感じだ。なので、そういう風に思われても大丈夫なのだろうか。
「あの、どうします?」
羽沢先輩に聞いてみる。それが聞こえてたのかどうか分からないけど、先輩は仄かに頬を赤く染めつつ、熟考している様子だった。
「……………………大丈夫です!」
「え……」
「かしこまりました。それではご案内します」
虚を突かれた僕の呟きは、ウェイターの声にかき消された。多少は期待していた部分もあるが、てっきり断ると思っていた。
ウェイターの背中を羽沢先輩が追い、僕がそれに続く。店の奥の窓際の方まで案内される。そこには、紛うことなきカップルシートが設置されていた。
……お、思ったより狭い。普通に座っても、密着しちゃうんじゃないか、これ。
「……木下くん?」
「あ、は、はい、すいません」
なんの躊躇もなく奥へと詰めた羽沢先輩に促され、僕も座る。うわ……肩越しに……体温が……。あ、やば、今ちょっと足動かしたら当たってしまった。
「ご注文がお決まりになりましたら、お呼びください」
ウェイターが去ったところで、完全に2人きりになる。もちろん他の客とかもいるのだろうけど、しきりのせいで個室のようにさえ感じられる。
「ご、ごめんね、木下くん。こんな狭い席になっちゃって……嫌じゃない?」
嫌じゃない。全然嫌じゃない。むしろ歓迎してさえいる。でも、こうなっていることに驚いていることも確かだった。
「あー、いや、それは、大丈夫です。でも、なんで……?」
「あはは、その……前からずっと来たいお店だったから。普通の席が空くまではまだまだ時間がかかりそうだったから、つい……勢いで」
そういうことらしい。羽沢先輩は肩を丸め、体を縮こませるようにし、顔を俯かせながらそう呟いた。……ああ、うん。まあ、そんなところだろうとは思ったけど。
「あ! 蘭ちゃんたちには内緒だよ!? やっぱり、ちょっと……恥ずかしいし」
「まあ、言わないですよ。知られたら、僕まで巻き添えですし」
仮にこのことを知られれば、主に上原先輩や青葉先輩がうるさそうだ。
「そ、そうだよね! それより、早く選ぼっか。ほら、こんなにいっぱいあるよ! ふふっ、ひまりちゃんじゃないけど、どれにするか迷っちゃう」
羽沢先輩がメニューを広げると、写真付きの色とりどりのケーキがページいっぱいに紹介されている。
もちろん、僕たちの目的であるズコットもある。なるほど、こんな形をしてて、中にセミフレッドが入ってる感じなのか。フルーツもいっぱい詰まっていて、フルーツの種類ごとにメニューが分かれているようだ。
「この、いちごのズコットが美味しそうだなあ……あ、でもこっちのオレンジのもよさそう……うーん、悩んじゃうなあ……でも、他にも回るからたくさん食べるのは駄目だよね」
満天の星空のように目を輝かせてメニューを眺める先輩。なんだかいつもより、はしゃいでいるように見える。普段はしっかりものの先輩が、今だけは自分より年下に見えてくるから不思議だ。これが、お菓子の魔力という奴なのだろうか。
「2種類頼んで、半分ずつにするのとかはどうですか。そうすれば、一応1個分で2種類までは食べられますよ」
「あ、そうだね。うん、そうしよっか。えっと、じゃあ……私はいちごのズコットにするね。木下くんは?」
「僕は別にどれでもいいんで、もう1つも羽沢先輩が選んでください」
どうせどれも初めて食べるわけだし、これだけの人気店なら美味しいに決まってるだろうし。僕より、楽しみにしてた羽沢先輩に任せよう。
「え、ほんと? ありがとう! この、マロンとナッツのズコットでいいかな?」
数回は遠慮されることを予想してたけど、意外にも羽沢先輩は1回で僕の提案を受け入れた。しかも、瞬時に頼みたいものを決めていた。これは、相当食べたかったのだろう。
「ええ、いいですよ」
「えへへ、本当にありがとう! それじゃあ、注文しちゃうね」
サンタのプレゼントを待つ子供のように上機嫌な様子で、呼び出しボタンを押す羽沢先輩。ウェイターを待つ間も、注文を待つ間も、先輩は顔を綻ばせながら頼んだズコットの写真をずっと眺めていた。しかも、鼻歌まで歌っていた。
それを横から見ていた僕の視線に気づいたとき、顔をトマトのようにしながらメニューで顔を隠していたのは、また別の話。
*
ズコットを楽しんだ後も、僕たちの調査は続いた。次から次へと店へ渡り歩き、その店の人気スイーツなどを試していく。
どれも美味しかったのだが……正直、僕は3店目を終えた辺りから軽く胸焼けしていた。だというのに、羽沢先輩は平然としていた。女子は甘いものならいくらでも食べられるらしいが、どうやら先輩もその1人だったようだ。
もちろん、ただ楽しむだけじゃなくて、しっかりと調査も行っていった。どのスイーツをベースにするか、果物を使うならどれを使うか、甘さをどうするか、名前をどうするか。食べたスイーツを参考にしつつ、羽沢先輩と案を出し合った。実際に食べることができたおかげで、僕も真っ当な意見を言えるようになったのだ。
積極的に意見を交わしあった甲斐があって、夕方になる頃には実現が可能と思しき案がいくつも纏まったのであった。
*
帰りの電車の中。僕たちは並んで座席に座っている。そんなに長い時間乗るわけじゃないけど、行きと違ってかなり空いていたのだ。
「……あ、お父さんから返事が来たよ。うん、今日はそのまま帰っても大丈夫だって。それと、もしよければ夕飯を用意してもいいってあるけど、どうする?」
「すいません……申し出はありがたいんですけど、今日は流石にもう……お腹いっぱいで」
「あはは、そうだよね。私も夕飯、あんまり食べれなさそう。うん、分かった。そう返事しておくね」
羽沢先輩は再度スマホを操作し始める。なんか今日だけで、1年分のスイーツを食べたかのような気分だ。先輩と一緒にあちこちの店を回れたのはよかったけど、少なくとも数日はスイーツを食べたくない。
「木下くん、今日はありがとう。木下くんのおかげで、色んな味のお菓子が食べれちゃった。写真もこんなにたくさん撮れたよ」
先輩は自身のスマホを操作すると、今日撮っていた写真を見せてくれる。おお、綺麗な角度で撮れてる。こんなにたくさん食べたんだな、と思いながら写真を眺める。
「羽沢先輩は、今日食べた中ではどれが好きでした?」
「全部美味しかったけど、ズコットとか、クグロフが好きだったかな。木下くんは?」
「僕は、あのイギリス式ショートケーキが好きでした。固めの食感の方が好みみたいです」
雑談に花を咲かせる。といっても、羽沢先輩の乗車時間はそれほど長くはない。話題が1、2個移り変わったところで、商店街の最寄り駅への到着のアナウンスが流れる。
「あ、もう降りないと。木下くんはもうちょっと先なんだよね?」
「はい。通学とは違うルートですけど」
電車が緩やかに減速する。ああ……今日のお別れが近い。ドアが開いてしまえば、それで終わりだ。もっと、電車に乗る時間が長ければよかったのに。そう、思ってしまう。
羽沢先輩が立ち上がり、僕の正面に立つ。僕の方が身長が高いとはいえ、流石に今の構図では僕が見上げる形となる。
「今日はお仕事としてのお出かけだったけど……えへへ、とても楽しかったよ。また、一緒にどっかに食べに行こうね!」
「っ! ……は、はい。僕で、よければ……」
羽沢先輩の誘いに、ドキリと胸を弾ませてしまった。”一緒に”とか、果たして羽沢先輩は分かっててそういう言い方をしているのだろうか。
……いや、ここは前向きに考えよう。そうやって自然に誘ってもらえるようになったくらい、この3ヶ月半で仲良くなれたのだと。信頼されるようになったのだと。
告白……するには足りないものがいっぱいあるとは思う。でも、それができる日は確実に近づいているのではないか。そう、信じたくなるくらいには、距離が縮んだのではないか。少なくとも、僕は羽沢先輩のことをただ学年が1つ上なだけの普通の女子だと見れるようになった。
電車がホームに停車する。続けて、ドアが開いた。
「木下くん、さようなら。また明日!」
向日葵のような元気な笑顔と共に手を振りながら降車する羽沢先輩を、僕もまた手を振りながら見送るのであった。
***
夕焼けで道路が茜色に染まる中、私は心が浮ついているのを自覚しながら、道を歩いている。でも、しょうがないよね。それだけ、今日は楽しかったんだから。
……電車でぶつかっちゃったり、年下の木下くんの前ではしゃぎすぎちゃったり、勢いでカップルシートに座っちゃったときは恥ずかしかったけど。
そういえば、木下くん、私なんかとカップルシートに座ることになっちゃって、嫌じゃなかったかな。平気だとは言ってくれたけど、ああいう席は本当は好きな人と一緒に座りたいよね。お友達の私とで、本当によかったのかな。
……好きな人、かあ……ひまりちゃんはよくそういうお話をするけど、実際に誰々が好きみたいな話をしてたことはなかったかな。女子校だから、校内でそういう男女の噂が流れることもないし。
木下くんは、どうなんだろう。好きな人、いるのかな? 共学だって言ってたし、クラスの女の子の誰かとか、かな? 女子の私に言うことじゃないのかもしれないけど、本人の口からそういうこと、聞いたことないなあ。
もし、そういうことを相談されちゃったら、どうしよう? 先輩として気の利いたアドバイスは……うう、できないかも。だって、私もそういう経験ないんだもん。
男の子とのお出かけの経験なんて、それこそ木下くんくらいしか………………あれ?
……なにか、心に引っかかるものを感じた。とくん、となにかが奥底で揺れるような、切ない心のざわめき。初めての感覚に違和感を覚え、その正体に戸惑う。
だけど、私がその正体をこの場で掴むことはなかった。
「あ、あの!」
商店街の入り口に差し掛かった頃、不意に横から声をかけられた。思考に埋没していた意識が現実に引き戻され、声がした方を向いてみる。
自分と同じくらいの年齢の男の子だった。ううん、それだけじゃない。どこかで、会ったことがあるような気がする。
「えっと…………あ、そっか。もしかして、よくお店に来てくれる……」
「は、はい! 北高の1年の加藤です!」
そうだ、思い出した。半年くらい前から、週1から隔週くらいの間隔でいらっしゃる男の子の常連さんだ。髪が丸刈りで日焼けもしてるから、野球部なんだと思う。お店ではよく、コーヒーを飲みながら勉強をしていたと思う。
でも、北高かあ……商店街から見ると、羽丘の反対側の、川の向こう側にある高校だ。そっちの方からもこのお店のことを知ってて通ってもらえるなんて、嬉しいな。
「羽丘の2年の羽沢です。でも、ごめんね。実は今日は定休日で、お店はやってないの」
「そ、それは知ってます……! そうじゃなくて……今日は、言いたいことがあるんです……!」
言いたいこと? なんだろう……全然思いつかない。口調からしてだいぶ緊張しているみたいだし、大事な話なんだとは思うけど。私は大人しく、加藤くんの話の続きを待った。
——しかし、次の瞬間、私の頭は真っ白になることになる。それくらい、予想もしなかった衝撃的な発言だった。
「初めて店で会ったときから好きでした! そ、その……俺と付き合ってください!」