幻想郷と、八雲(やくも)紫(ゆかり)という名はご存知だろうか。
幻想郷――それは過去に猛威を奮った、妖怪、幽霊や亡霊、そして魔女、はたまた吸血鬼、そして更には神。現代社会において、その存在が脅かされてきた者達が集う、幻想の楽園のことである。
そう、そこは正に魑魅魍魎が跋扈する、という表現が最も似合う場所だ。
ただの人間が入れば、幻想郷の森に迷い込み、いずれは妖怪に喰われる。妖怪とは、人間を遥かに超えた能力を持ち、昔は――妖怪の全盛期は平安時代である――常に人間と対立してきた存在だ。
並の者が立ち向かうのならば、それは自殺行為に他ならない。
そんな化物達が平和に暮らす園、それが幻想郷だ。
そして八雲紫。
彼女はその幻想郷の創設者であり、長。齢千歳を優に超え、圧倒的な力を保持している、幻想郷最強クラスの大妖怪なのだ。
一般には、『妖怪の賢者』と呼ばれているが、彼女の強力無二の能力故に、別の二つ名がある。
彼女の能力……それは、【境界を操る程度の能力】である。
その力による、彼女の移動手段。空間の境界を弄ることで発生する歪(ひず)み、そこを通ることだ。
簡略して説明すると、目の前の空間を弄り、目的地の空間と繋いでしまえば、すぐそこには目的地がある。そういうことである。
その空間の裂け目。
彼女はそれをこう呼んでいる、『スキマ』と。
つまり、彼女のもう一つの二つ名は、『スキマ妖怪』というものだった。
大仰に紹介したが、実は彼女の性格は、非常に妖怪のソレとは違った。
人間の思う妖怪の性格とは、横暴であり凶暴。見境無しに、人間を食い殺したりする化物というのが、普通の人間の見解だろう。
しかし、この八雲紫……に限らず、幻想郷の主要妖怪達の性格は、恐らく人間の想像とは掛け離れている。
確かに、人間を問答無用で襲ったりする妖怪もいる。頭のない妖怪に限って。
だが、幻想郷の掟は無闇に人間を襲わないことにある。少ないながらの規律があるため、幻想郷に住む人間は、あまり妖怪に襲われたりしない。下手に生息地に迷い込んだりしなければだ。
そのため、意外と温和な妖怪も多いのだ。
人間を相手にして商売する妖怪もいれば、逆に、妖怪を相手にして商売する人間もいる。この幻想郷に来る妖怪は、確実に丸くなるのだ。
平和な環境に馴染んでしまった妖怪。良く言えば、安全な妖怪。悪く言えば、平和ボケした妖怪。
八雲紫も、それに該当していた。
彼女はその妖怪達と一線を画して、友好的。人間にも普通に接する、寧ろ人間に友人がいるくらいだ。
しかし、彼女の性格には大きな穴があった。
彼女の巷での噂。要約すれば、神出鬼没な妖怪だ。
加えて、何を考えるのか分からないのだ。何がしたいのか分からないと言ってもいい。
彼女の行動は気まぐれで決まる。
諸説には、様々な地を巡り歩いているとか、冬眠しているだとか。誰も確かめようが無いため、今ではもう半分諦めているのだが。
彼女を詳しく知る者は殆どいない。つまり、今どこで何をしているのか、そんなことは誰も気に止めなくなった。
いつの間にかいなくなっていて、いつの間にか帰ってきていた、それの繰り返しである。
今回も、その気まぐれが作用した行動。
彼女は、暇を満たしたかった。
◇◆◇◆◇
「さぁて、ここはどういう場所かしらね?」
そう呟くは、金髪が陽に反射して輝き、髪を靡かせながら悠々と歩いている女性。
紫色のドレスを身に纏い、白いナイトキャップを被った、扇子を扇いでいる美人だ。
身長は女性にしては高い。体型は、どんなモデルさえも眩んでしまうほどの、美貌の持ち主。
胸は非常に大きく、女性が羨むパーツを何一つ欠かしていない。
彼女こそが、八雲紫。
「それにしても……暑いわねぇ……」
今の季節は、太陽が容赦なく熱気をたたき付ける時期だ。紫の額には欝すらと汗が滲む。
これは堪らないと、自らのスキマから日傘を取り出し、使用する。スキマは物置としても重宝するのである。
日傘を差しながら、扇子を扇ぎながら歩く美女。それは妖艶な姿を作り上げていた。
紫の目に映るのは、列を成してる民家だ。比較的、赤い色の屋根が多いか。
この熱さを象徴しているふうにも思えた。
所々に書いてある文字。それをチラリと見ると、漢字や平仮名の表記。
ここは日本と何かしらの縁がある場所らしい。
とにかく、日本語が通じる場所であることを確認した紫は、次にどんな生物が生息しているのか調べてみることにする。
「…………」
歩いていると、紫の脇を通り過ぎて行く人間が数名ほど。
その者達は奇怪そうな目付きで紫を見てくるが、紫もその者達を同じ目で見ていた。
あまり見たことのない服装。なんという表現をすればいいのか。
取り敢えず率直な意見は、こんな熱いときに何でそんな厚着なのだろう、というものだった。
上も下も、見た感じジャージに近い。それにポケットが異常に多い服、ぐらいにしか見えない。
靴はサンダル、そして全員共通することは、
(おでこにマーク……額当て? この里のシンボルみたいなものかしらね)
額当てである。
紫はある程度の推測を立てた。
(全員が持ってたあのポーチの中身……手裏剣ね。ということは……ここは忍者の世界?)
手には手裏剣が握られていた。すれ違いの際に、スキマで掠め取っていたのだ。
手裏剣と言ったら、やはり忍者。これしかない。
いつになく、紫は期待する。
(忍者……ね。これは面白そうだわ、それなりの暇潰しにはなりそう。でも、もうちょっと詳しい情報が欲しいわね……)
どうやって情報を集めようかと、思案に耽っていると、紫は足元に違和感を感じた。
カチャリ。
鉄が擦れる音。
下を見ると、先程の忍者らしき者と同じ額当てが落ちていた。
手で拾い、紫はそこに描かれているマークを観察する。
(……これは何を表しているのかしら。ちょっと特徴が掴みにくいわ)
額当てのマークの意味していることを予想するが、全くもって分からない。
しばらく額当てと睨めっこをしていると、やんちゃそうな男の子の声が聞こえた。どうやら紫へと呼び掛けているようだ。
「あ〜! 姉ちゃん! それ、その額当て俺のだってばよ!」
その声のする方を見ると、これまた奇妙な服を着た少年が現れた。
金髪の短髪で、顔には左右共に三本ずつ髭のような跡。身長は大分小さく、歳は十代前半あたりだろう。
そして服装は、夏場なのに冬着ってなんだよ、と言いたくなるほど厚い、上下全部オレンジ色のジャージだ。
この少年には、額当てが付いていない。どうやら額当てを落としたようだ。
そして、たまたま紫がそれを拾った、それを見付けた少年が慌てて呼び掛けた、そんなところだろう。
ということは、この小さい少年も忍者。
こんな幼い子供も忍者ということは、誰でも忍者になれる、そう予測を立てることが出来た。
紫はこの世界の情報を探るべく、中身を掘り出すように対応する。
「あら、そうなの。落ちてたから拾ったのよ。大切な物ならもっと大事に扱いなさい」
手に持つ額当てを前に差し出しながら、それを取りに来る少年を観察する。
(この足取り……この年代の子なら良い方だとは思うけど、さっきの忍者とは力量の差が激しいわ。
忍者は忍者でも、歳は歳のようね。
だけど――)
「へへ……! 悪いってばよ姉ちゃん。これからはもっと大事にするぜ! ありがとな!」
屈託のない笑顔で受け取る少年。普通に見れば年相応の表情だ。紫にもそう見える。
だが、紫は少年の内に秘めている、得体の知れない禍々しい何かを感じ取っていた。
(この子の中にあるもの……何か訳ありのようね。それに……ふふふ、もっとこの世界に興味が湧いたわ。まさかこっちにも、同じ存在がいるとわね)
内心で笑う。
この少年の中に秘められている力。その力は、紫としてもよく知る力だった。
「ええ、気をつけなさいな。私は八雲紫、ちょっとした旅人よ」
「俺はうずまきナルト! 将来火影になる、スッゲー忍者なんだってばよ!」
少年は、うずまきナルトと名乗った。
ナルトの話の内容には、耳慣れない単語があった。興奮して話しているあたりから、その単語の存在はとても重要みたいだ。
「火影?」
「おう! 俺は木の葉隠れの里で一番強い男になって、自分の力を認めさせてやるんだ!」
差し詰め、火影とはこの里……木の葉隠れの里で、一番強い者の称号。この里の一番の実権を握る者ということか。
正しく子供が目指す、夢のような肩書きだ。
「今からラーメン食いに行く途中だったからさ、紫の姉ちゃんも一緒に食いに行こうぜ? そこのラーメンがまた美味くてさぁ!」
情報収集するには恰好のチャンスだ。
この機に色々なことを聞いておきたいが、しかし、一つ問題があるのだ。
「誘ってくれて嬉しいわ。でも手持ちが今なくてね。残念だけど、ラーメンを食べれるようなお金は持ってないのよ」
まず、この世界の金の単位が分からない。
円やドル、ユーロ辺りならまだ対応出来るのだが、ここは忍者の世界。そんな最新の通貨単位は無いはず。
円はまだ可能性があるが、それもやはり新しい。その線は極めて低いだろう。
そんな心配があったが、ナルトが解決してくれた。
「じゃあ俺が奢ってやるってばよ! 額当てを拾ってくれたんだ! それぐらいのお礼はしなくちゃな!」
「あら、いいの? じゃあお言葉に甘えさせていただくわ」
紫はナルトから、なるべく多くの情報を聞き出す為に、ラーメン店『一楽』へと共に歩き出した。
額当ては既に、ナルトの額へと戻っていた。余程大事な物らしい。
そこの所もなるだけ詳しく、ナルトから聞き出すことを決めた。
しめしめと内心ほくそ笑みながら、胡散臭い笑顔でナルトの隣を歩く。間違いなく、紫は何かをするつもりだ。
大妖怪、八雲紫は動き出した――