東風谷早苗の初体験 ーわたし不思議なクスリでトんじゃいます♥ー 作:夢野ベル子
6
絶句――。
それはミキサーにかけられたように感情の動向が定まらなかったからだ。
まずは不満。
早苗は不満だった。
訳知り顔で出てきて、なにものにも動じない博麗霊夢のことが。
理不尽に立ち向かう正義の権化が。
自分のことを妖怪のように断じるその姿が。
不満で憎らしくてたまらない。
しかし、キレイだと感じた。
花や木や植物も、今の早苗を突き刺すように刺激してくる劇毒であったが、それ以上に、いやどんな事物を通り越えた美とかわいらしさが突き刺してくる。
キレイ。好き好き好き好き。
凛と響くよく通る声。
愛らしさとりりしさと、
どうしようもなく憎らしい。
もはや早苗の頭の中は、感性としてはアッパラパー状態であったものの、もちろん物事を考える数理的な能力に瑕疵が生じたわけではないし、子どものように言葉足らずの舌足らずというわけではない。
だから、ひとまず人間流のコミュニケーションをとることにした。
「霊夢さん。こんにちわ。いきなりひどいですね。私を妖怪扱いするなんて」
「私の勘が告げているのよ。いまのあんたは人間というよりは妖怪に近い」
「そんなわけないでしょう。わたしは今、ほとんどすべての事物に関心を寄せているんです。普通の人が、お日様を見てきれいだと思いますか? 月に雲がかかっていても、だからどうした。花に虫がたかっていても気持ち悪い。そんな人ばかりじゃないですか。わたしは違います。わたしは……前よりももっといろんなことを愛せるようになったんです」
「愛ね。まあ前から変なやつだったけど、とうとうおかしくなっちゃったか」
「そういう言い方ってないんじゃないですか?」
早苗はムっとした。
自分はいま、好奇心で世界を満たしているのだ。
砂の一粒にすら愛を注げる。それが始原の感性じゃないか。
つまり、始原の愛じゃないか。
「わたしはあまり講釈を垂れるほうではないけれど――」
霊夢が冷たい裁定者としての声を出す。
「人間を妖怪にする簡単な方法があるわ」
「ふうん。後学のためにお聞きしても?」
――愛による緩慢な虐待。
霊夢は簡潔に述べた。
「……よくわからないのですけれど。わかるようにおっしゃっていただけませんか?」
「面倒くさいし、弾幕ごっこでケリをつけない?」
「それはそれで興味深いところですけど、霊夢さんはわたしの所作がなんらかの正義に反するとして、それを言葉で削りだそうとしたのでしょう。だったら、最後まで説明してくれてもいいじゃないですか」
「あーもう……」
霊夢はウダウダとするのが嫌いなタイプだ。
そもそも妖怪をしばき倒すのに理由なんていらない。
パブロフの犬か何かのように反射的にそうなる、というか。
自動的にそうなる。
ゆえに、その摂理を霊夢は言葉で持って説明できないというのは早苗自身にもなんとなく了解はしていた。
それでも、なお言葉を紡いで欲しいのだ。
花弁のような唇から漏れ出るかすかな吐息。
心をわしづかみにするような、ちいさなかんばせ。
かわいらしくも憎らしい。
だから、早苗は霊夢の声が聞きたくてたまらない。
「きっと、植物が水をあげすぎると腐ってしまうように、心も好奇心を持ちすぎると腐ってしまうの。正確にはあんたの心自体が事物に対する好奇心に耐え切れなくなってしまう」
「それがなんで妖怪化につながるんですか?」
「妖怪は事物に関する関心をある程度麻痺させているから」
「妖怪だって何かに興味を抱いたりはするみたいですよ」
「そりゃあね。完全な不老不死でもない限りは、生きるということは変化するってことでしょうし、変化する以上は何かに好奇心を抱く必要があるわ」
だったら蓬莱人はどうなんだという話であるが――。
「要するに――、妖怪は愛が薄いってことですか?」
「そういうふうに名づけてしまうのは人間側の都合だけど――、そうね、あなたの流儀だと、そういえるのかもしれないわ」
「だとしたら、わたしは妖怪ではありませんよ。だって、わたしは妖怪と違って、たくさんの物事に関心を寄せています。つまり、わたしはこの大地の砂の一粒に至るまで、いとおしいのです」
「それはきっと幻想よ」
「幻想? 心の中に生じたことが幻想なら、すべての感動は幻想になってしまうじゃないですか」
「そうよ。すべて幻想。あなたの感動も愛も、心と呼ぶものも全部幻想」
「なにがいいたいのかわかりません」
「人間は死ぬわ」
霊夢の放った何気ない一言は、確実に早苗の胸に突き刺さった。
死という観念を思い描く。
始原的な恐怖。
はじめて死ぬということを知ったときの気持ち。
(わたしは、どう思っただろうか)
きっと泣き喚いたはずだ。
ベッドの中で震えて、両親に泣きついたかもしれない。
部屋の電気を消して、暗闇に意味もわからず震えたかもしれない。
感性がゼロがゆえ、その恐怖は計り知れない。
すべてを愛するということは、すべてを愛さないということだ。
すべてに好奇心を抱くということは、死に焦がれるということだ。
「なんで、そんなこと言うんです」
「言ったじゃない。人間を妖怪化する簡単な方法は――」
愛による緩慢な虐待。
つまり、死に向かうという絶対的な真実に対する恐怖心による。
その絶対的な恐怖を愛という幻想でヴェールに覆っているのが人間である。
早苗は自分の心を二重にも三重にもくるんでしまっていた。
「そんなことを言う霊夢さんは嫌いです」
「嫌いで結構よ。だからといって人間という存在の真実は変わらないわけだし」
「いいですよ。だったら、弾幕ごっこをしましょう」
早苗はとっておきの笑顔で、宣言する。
「さっさと始めましょう」
霊夢は機械的に事務的に対応した。
ふたりは空を駆け、弾幕ごっこを開始する。
7
早苗は自分が負けるわけがないと思っていた。
なぜなら自分にとっては、これは初体験であるからだ。正確にはいくつもの記憶と正確な判断能力を有した上での初体験。
対する霊夢にとっては、当然、初体験の感動なんてものはない。
弾幕ごっこの経験値は霊夢のほうが上であるが、それよりもなによりも弾幕ごっこをおこなうという感性はどうだ。
はっきり言えば、弾幕ごっこには適度に適当なところがあり、勝負として完全に白黒がつくわけではない部分がある。
言うなれば、気合な部分もあるのであって、それがいわば感性によるところが大きい。
雪玉を投げあいっこしたときの時間を忘れたあの楽しさ。
その楽しさでもってすれば――。残機は無限大だ。
しかし。
ぴちゅーん。
被弾した。いつもよりも早く。
「な、なぜ……」
非殺傷とはいえ鈍い痛みが全身にフィードバックされる。
「一応、被弾したわね。続ける?」
「わたしの残機はまだまだたくさんありますよ!」
霊夢が座布団のような弾幕を発射する。
追尾してくるソレを、早苗は丁寧に叩き落す。
なんてキレイなんだろうと思いながら。
そうだ。集中しなければならない。きっと、感性が新鮮すぎて、弾幕をキレイだと思いすぎて被弾したのだろう。
もっと、遊びに夢中にならなくてはならない。
いまの記憶と判断能力で、子どものように無敵になれる。
それが初体験の強み!
ただ漫然と機械的に仕事をこなすだけの存在に負けるわけがない!
早苗は風を冠するスペルカードを唱える。
ひらりひらりと霊夢は交わす。
その顔にはまったく楽しげな表情はない。
ただの面倒くさいだけの仕事を淡々とこなすだけのマシーンのようだ。
けれど、これ以上ない最小の動きでかわしていく霊夢の姿が、まるでひらりと舞う蝶のようで美しい。
早苗は見ほれていた。
当然、そんな調子であるから。
――ぴちゅーん。
被弾する。被弾すると当然気力というか気合というか、残機が失われていくようであるが、クスリの効果でハイになっている早苗はそれでもなお立ち上がる。
翔ぶ。
また、被弾する。
さすがに、体力の限界のほうが先に訪れた。
東風谷早苗は霊夢を一度も被弾させること敵わず、完全に敗北したのである。
地に倒れふし、肩で息をする早苗。
そこに影がさした。
霊夢だ。
「ハァハァ……霊夢さんに、また負けちゃいました」
「いつもより動きに抑制がなさすぎ」
「そうですね……。でも楽しかったんです」
「それもクスリの効果よ」
「知ってたんですね。わたしがFEを飲んでること」
「当たり前よ。そもそも、話は神奈子から永琳、永琳からわたしに来たの」
「わたしは患者としてすら失格でしたか」
「永琳は自分じゃ無理だって言ってたわ」
「なにがですか?」
「説得……というか、そうね。人間の流儀?」
霊夢自身にもよくわかってないようです。
早苗はそんな霊夢のこともかわいいと思った。
だから、素直に話すことにした。
「人間って、霊夢さんが言うように死にますよね」
「そうね」
「でも、本当は、人間は二度死ぬのだと思います」
「二度?」
「一度目は感性が死に、二度目は肉体が死ぬということです」
空を翔べなくなったのは、きっと空を翔ぶことがあたりまえになったから。
幻想郷におりたって、初めて空を翔んだときの、あの感動を忘れてしまったから。
つまり、そのときに早苗の感性は部分的に死んだ。
もちろん、人間である以上は、たえず何かに好奇心を持ち、たえず好きなもの嫌いなものは少しずつ変化していくものである。
だけど――。
早苗は少しばかり賢いがゆえに、恐怖したのだ。
感性の死を。
そして、死に向かう肉体を。
「わたし怖かったんです。自分が好きなものがどんどん何も感じなくなっちゃうんじゃないかって。そうやって老いていくことがとても怖かったんです」
「命蓮寺にでも入信すればいいんじゃない? あそこの尼さんって確か若返りみたいなことをしてるみたいだし。そもそもあんたって半分神様だから人間とは違うんじゃないの?」
「いろいろと雑っ!」
神仏習合すぎるし、半分神様だけど半分人間だし。
霊夢にとってはどこまでも他人事で、どこか他人を寄せつけないところがある。
普通は弾幕ごっこをしたあとはさっさと去っていくばかりで、今日みたいに後日談というか、アフターフォローをするほうが稀なのである。
だが、そんな霊夢の割り切り方は、スッパリとしていてキレイだとも思っている。
「まあ……あんたが人間よりの考えをしているのはわかったわ。ただ、人間はどうやったって老いるし、ぼけ老人になるし、足腰はたたなくなるし、いまのわたしたちだって十年もすれば少女ではなくなる。人里のガキどもにはおばさんとか呼ばれるようになるし……、最後には自分の名前さえ思い出せなくなって死ぬことになる。それが人間の真実よ」
「霊夢さんはいやじゃないんですか?」
「いやに決まってるじゃない」
「だったら、せめて感性だけでも若返るクスリを呑んでもいいじゃないですか」
どうせ死ぬのだ。
記憶も理性も改鋳されていない心は、この身が老い衰えて死ぬことを知っている。三島由紀夫は女は二度死ぬと書いたが、つまりそういう意味でいえば、女は三度死ぬ。
女として死に、感性が死に、本当に死ぬ。
その恐怖がまぎれるなら、なんだってしたいと思うのが人情じゃないか。
「まあ多少はいいと思う。いやなことを忘れるためにお酒を飲んだり、なにかの気晴らしは必要だわ。だけど、死にたくないからって死そのものになろうとするのはアホがすることよ」
「わたし、アホの子でしたか」
「そうね。もとからアホの子だったけど」
ずううううううううううんと落ちこんでいく早苗である。
始原的な落ちこむという気持ちは、とてもとても重く辛く、今後の人生に黒歴史として刻まれていくのだろう。
「でも。早苗が感じている恐怖。畏れなんてものは多かれ少なかれ誰でも感じてるものなのよ」
「霊夢さんも?」
ぐすんぐすん。
泣きながら問う早苗。
「もちろん。わたしもよ」
「でも、霊夢さんにはオクスリ必要ないですよね」
「わたしにはお酒があるからね」
(なーんだ)
と早苗は思った。
絶対妖怪退治するウーマンの霊夢さんも、同じように思うことがあるのだ。
そう思うと、少しは死への恐怖もまぎれる気がした。
きっと、すべてを忘れるほど好奇心で塗りつぶすことはできないだろうけれども、きっと、時折妖怪になってでも逃れたいと思ってしまうかもしれないけれど。
そう――人間は。
人間はそうやって凌いでいくしかない。
気晴らしをしながら、不満をこぼしながら。
未練たらしくだらだらと。
自分が滅んでいくのを受け入れる。
絶対と言い切れるほどの自信はないけれど。
きっとクスリは棄てられる。
「霊夢さん」
「なによ?」
「わたしもお酒が呑みたいです」
「ただではやらないわよ。なんか代わりのお酒持ってきなさい」
きっと。
友達と語り合うというのも気晴らしだろう。
大きめなリボンが揺れるのを見て――。
東風谷早苗はクスリと笑った。
もっと早苗と霊夢いちゃいちゃさせたかったです(感性の死)
これで一応短編としては完成。
うん。タグどおり、SFっぽいし、問題ないかなと思います。
物を書いていると、どうしても感性の死が怖いです。
みんなどうやってその恐怖を乗り越えていっているんだろう。
と思って、そんな気持ちを文章にしてみました。