NC900年―――死滅戦争がとうとう開戦する。
開戦と言っても、人類に何が出来たという事は無い。
万全の態勢を整え、東オピロス帝国は魔王を排除すべく行動に移した。
が―――待っていたのは圧倒的な滅びと殺戮だった。
あの魔王ナイチサ本人が先頭に立ち、人を殺し、壊し、蹂躙していく。
本気の魔王の前には人は手も足も出ない。
東オピロス帝国は真っ先に一人残らず殺され、その地には人が住んでいたという跡すら残っていない。
圧倒的な破壊と殺戮の前に、人は何も出来ずにただただ無慈悲に殺されていく。
そして魔王の後には魔人、そして魔軍が続き人を殺していく。
魔王の命令はただ一つ『人類を殲滅せよ』、その言葉で魔人は、魔物は楽しみながら人を殺していく。
勿論全ての魔人がそうだった訳では無い。
魔王のやる事に全く興味を持たないカミーラ、自分の研究だけに没頭し、戦争に全く関わらないパイアール。
そして、人の殺戮など全くする気の無いケッセルリンクやメガラス。
一部の魔人は魔王に続く事無く、己の場所に居るだけだ。
魔王ナイチサも全ての魔人を動員している訳では無く、ついて来たいのであれば好きにしていいというスタイルを取っている。
なので戦争に参加しない魔人に対しても特に何も言う事は無かった。
そんな戦争の中、魔人ケッセルリンクはただ夜の月を見上げている。
「ケッセルリンク様…」
「シャロン…いや、皆が来たか」
少し不安そうな顔をしているケッセルリンクを見かねて、彼女の使徒達が一斉にやってくる。
「シャロン、パレロア、バーバラ、エルシール…私は大丈夫さ」
「いえ…ケッセルリンク様、とても不安そうな顔をしております」
パレロアの言葉に、ケッセルリンクは思わず自分の顔に触れるが、自分でどういう表情をしているのか全く分からない。
「今も…殺戮は続いているそうです」
「そのようだな…ナイチサは人類を滅ぼすつもりなのかもしれぬ…」
今回の魔王自らが動いた戦争…いや、殺戮と言うべきだろう。
それはケッセルリンクとしても完全に予想外だった。
東オピロス帝国が宣戦布告をした…と言っても、ケッセルリンクはそれを軽く見ていた。
所詮は人間のやる事、以前に大陸の半分を手中に治め、魔王の大陸へと迫りそうになっていた状況とは全く違う。
ただ一つの国が魔王に戦いを挑んだ…それだけの事だった。
ケッセルリンクとしても、魔物大将軍を差し向けるか又は魔人の一人を動かすか…その程度で終わると思っていた。
しかし現実は、魔王ナイチサ自らが動き、東オピロス帝国を瞬く間に滅亡させた。
それだけに留まらず、魔王は世界各地の人間を無慈悲に殺し、魔王が通った後は死体しか残らない…それが現実だった。
「最早人類の半分近くが殺されていると聞きます…ケッセルリンク様は」
「それ以上はいけない、エルシール。私が前線に行くのは危険すぎる…魔王の目が有る内は、私はあまり動きべきでは無い。それに…」
ケッセルリンクは一つ確信している事がある。
「ランスならば…この時代にはいないだろう。万が一居たとしても、必ず逃げ切るさ。あいつはそういうヤツだ」
ランスは今の世界にはいないはず…それはある種の確信だ。
何よりも、あの魔人カミーラが全く動く気配が無い。
それに、ケッセルリンクが動くときは大抵ランスと出会う事が多い。
もし迂闊に動いて、本当に出会ってしまえば…それからの事は想像したくない。
「ケッセルリンク様…」
バーバラは未だ自分が見た事の無い、ランスという人間がケッセルリンクを心配させているという事に胸を痛める。
たかが人間、放っておけばいいとも思うのだが、主とその人間の間には決して自分では入れぬ絆がある事は想像に難くない。
「バーバラ…そんな顔をしなくてもいい。ただ…私自身、どうするべきか悩んでいるという事もある。この前のカラーの件にしてもそうだ」
カラーの王国の話はケッセルリンクも耳にしている。
その結果、カラーの王国は滅び、今やカラーは滅亡の危機にあるとさえ言える。
だが、それでもケッセルリンクがカラーの救済に動く訳にはいかない。
ここでカラーを魔人である自分が助ければ、カラーは魔人の庇護を受けているとして完全に人間と敵対してしまう。
そうなれば最後、人とカラーは二度と分かり合う事は出来なくなり、待っているのは人間かカラーのどちらかの破滅だ。
何よりも、魔人である自分は魔王に逆らうことが出来ないため、結局はカラーの運命は魔王が握る事になってしまう。
それだけは何としても防がなければならない…だからこそ、ケッセルリンクは動く事が出来ずにいたのだ。
「私が動く事でより事態は最悪になる可能性もある…ならば私に出来るのは、魔王が大人しく人間から退くという事だけだ…魔王には誰も逆らえぬのだから…」
ケッセルリンクの願いは意外な形で叶えられることになる。
それがケッセルリンクの運命を…いや、この世界の運命を変えるとはまだ誰も分かってはいない。
「馬鹿…な…!? 貴様、本当に人間か…!?」
魔王ナイチサは肩で大きく息をしながら、自分に向かって来る人間を睨む。
「魔王は…殺す…」
そして尋常では無い鬼気を纏いながら、その人間は剣を構える。
(無敵結界が…通じぬ。いや、それどころかこの私にすらこれ程のダメージを与える…これが勇者の力なのか…!?)
魔王ナイチサの前に居るのは、勇者クエタプノ。
その気配は明らかに自分と互角であり、この戦いには最早地上の誰もついて来る事が出来ない闘いになっていた。
ナイチサは既に50回勇者を殺しているはずだが、それでも勇者は立ち上がった。
異次元に送っても、直ぐにナイチサの前に現れる。
そして魔王である自分に大きな傷をつけている…この世界で最強の生物であるナイチサが、人間に追い詰められていた。
「いやー、凄いですね。まさかここまで勇者の力を引き出してくれるなんて…さぞやお喜びでしょうね」
その人外の闘いを遠目で見ている存在が居る。
それこそ勇者の従者であるコーラだが、今の勇者の活躍には十分満足していた。
ようやく勇者がその使命を果たしているのだ。
これまでの勇者は皆役立たずで、魔王はおろか魔人にすら挑んだことが無いとんだ拍子抜けな者ばかりだった。
しかし今回は予期せぬことに、魔王本人が人類の殺戮をしている。
そして人類の総人口が50%を切った事により、勇者の魔王を殺せるスイッチが入った。
「先の戦いでは塵モードにはいきましたが、逡巡モードにはいきませんでしたからね。想像以上に早く魔物が手を退きましたし」
今から200年程前、JAPANの人間がこの大陸の半分を治めた時、魔人との大きな戦いが繰り広げられた。
その時は人口の10%が減り、エスクードソードがその力を発揮したのだが…その肝心の勇者が何もしなかった。
言葉通り、何もしなかったのだ。
対岸の火事と言わんばかりの態度だったが、コーラは別に勇者を強制的に戦いに駆り立てるような事はしない。
あくまでも、己の意志でやるから面白いのだ。
神がこの世界に介入するのは創造神の望むところでは無い。
それを考えれば、今回の戦いはコーラにとってもまさに願ったりだ。
「ですけどそろそろ限界かもしれませんね。いくら勇者でも不死身では無いですからね」
勇者クエタプノは何度も何度も魔王に挑み、そして傷つきながらも確実に魔王を傷つけていた。
そして今回の戦いが最後になる…コーラもそんな気がしていた。
勇者と魔王の戦いは佳境に入り、勇者の剣が魔王を貫く。
魔王もお返しとばかりに凶悪な魔法で勇者を殺す。
そんな事が繰り返されていくうちに、ついに勇者が動かなくなる。
一方の魔王ナイチサも既に満身創痍であり、口から血を吐き出しながらも震える足でその場から去っていく。
「終わりましたか」
コーラは魔王が完全に消えた後で、最早動かないクエタプノからエスクードソードを取り上げる。
「勇者が生まれてから1000年以上経過しましたが…これでようやく一仕事ですか。まあ仕方ないですね。また新しい勇者候補を探しますか」
コーラはクエタプノを一瞥もせぬまま新たな勇者候補を探しに行く。
勇者など神にとってはこの世界を盛り上げるための役者の一人に過ぎない。
そして今回の役者は自分の思った以上に働いてくれた。
次の勇者はもっと働いてくれることを思いながら、コーラは新たな勇者を探すべく消えていった。
そして死滅戦争が終わり48年が経過し―――魔王ナイチサは未だ現れぬ己の血の後継者に苛立っていた。
自分の寿命は既に尽きかけており、あと2、3年持てばいいくらいだろう。
しかし自分の後継者の行方はまだ分からない…が、ナイチサはそれでも根気よく待ち続けた。
己の持つ知識、その対策を己の後継者へと渡すために。
NC948年のある町―――
「さあ次は目玉だよ! 今回の奴隷はこの女だ!」
そう言って奴隷商人が連れてきた女に、この場に参加していた全ての物が驚きの声を上げ、ため息をつく。
猿轡をされ、手と足に枷を嵌められ、首輪をつけられた女性が力なく崩れ落ちる。
その体には無数の痣が有り、この女性が必死で抵抗した事を裏付けている。
そして誰もが驚愕したのは、その女性のあまりの美しさだ。
腰まで伸びた美しい水色の髪に、ボロボロの奴隷の服を着ていても分かる美しい肢体。
まさに誰もが羨む美貌を持っていると言っても過言では無いだろう。
そしてその女性が奴隷として売られている、という事実がより男達の欲望を刺激する。
女性はそんな男達を光の灯らない目で見ていた。
(これが…私の末路なの?)
死滅戦争が終わった時、魔王…そして魔人を含めた全ての魔物は人間界から撤退した。
魔王が傷つけられるという事実は、魔人達をもってしても人間にこれ以上の殺戮を続ける気にはさせなくなっていた。
そして魔王が人間に手出しをする事を禁じたという事も有るが、とにかく人はようやく訪れた平和を噛みしめていた。
10年、20年と時がたち、47年後には人はようやくその活気を取り戻しつつあったが、同時に人間の負の部分も増大させてきた。
皮肉にもその負の部分が人間を支えていたと言っても過言では無かった。
いくつもの国が滅びはしたが、狡猾な者達は生き延びその勢力を増していった。
そしてこの女性―――賢者ジルもまた、その負の連鎖に飲み込まれてしまった…それも史実よりも2年も早く。
ランスが歴史に与えた影響が、少なからずジルにも影響を及ぼしていた。
ジルがここに居るのも、それは今から170年程前の、藤原家の大陸統一の影響を受けているからだ。
正確には、魔人を傷つける武器が存在するという噂…伝説を探るためにだ。
ランスが魔人レキシントンを傷つけたという事実は、人の間では都市伝説の類として扱われていた。
当時のこの世界の統一一歩まで近づいた藤原石丸ですら、魔人ザビエルの前には傷一つつけられずに敗れ去った。
しかし、あの戦いには魔人ザビエルだけでは無く、魔人レキシントンも参戦しており、その魔人レキシントンを退けた人間がいる…という伝承が残っている。
今の時代、誰もがそんな事を信じてはいないが、ジルはその噂を頼りに世界を回っていた。
全ては魔人を…そして魔王からこの世界を解放するために。
しかしそんなジルを待っていたのは、謂れの無い嫉妬と妬みだ。
ジルの才能を、そして美貌に嫉妬した女、そしてジルに相手にされなかった男達の醜い行為がジルを魔王へと駆り立てた…はずだった。
(あいつら…か)
ジルは光の無い目で自分を売った者達を見る。
こちらを見て醜悪な笑みを浮かべている者達を見ても、ジルには何の感情も湧かない。
そんな怒りは既に枯れ果てようとしていた。
「10,000G!」
「こっちは12,000Gだ!」
「15,000!!」
そしてジルを買おうと多くの者が声を張り上げる。
奴隷一人につけられる値段としては破格だが、誰もがこの賢者ジルの価値を知っている。
「30,000だ!」
30,000という言葉に誰もが驚愕の声を上げる。
そこにいたのは、いかにも豚と言わんばかりに肥えた男だった。
(あの男は…)
ジルはその男に見覚えがある。
自分の愛人になるように迫って来たが、当然の事ながらジルはそんな奴の事など眼中には無かった。
だが、自分にそんな高値を付けてでも買おうとしているのを見ると、余程自分の事が欲しいらしい。
(…私の運命もここまでなのか)
もしあんな男に買われれば、自分の一生は慰み者として終わってしまうだろう。
魔法の使えない今、自分に出来る事は無い…そんな絶望がジルを支配していた時だ。
「がははははは! その女は俺様が貰うぞ!」
そんな声がジルの側に響く。
「お、お客さん!?」
突如として壇上に上がっていた若い男に商人は驚愕の声を上げる。
「貴様等にはもったいないいい女だ。だから俺様が貰うぞ」
「な、何を言っておる貴様! その女は儂が買うんだ! 若造は引っ込んでおれ!」
ジルを相手に30,000Gと言った豚が吠える。
しかし若い男―――ランスはそれを鼻で笑うと、
「ほれ、これで十分だろ」
腰に掛けてた一本の剣を差し出す。
「え…こ、こんな剣一本では…」
奴隷商人はランスを見て口をひくつかせる。
「おい兄ちゃん、ここはお前のような貧乏人がくる所じゃ無いんだ。分かったらとっとと消えな」
筋骨隆々の男がランスを抓みだそうと手を伸ばした時、ランスは目にも止まらぬ速さでその剣を抜き放つ。
「ひ、ひっ!」
「文句は無いな」
ランスは不思議な色を放つ剣を片手に奴隷商人に凄む。
「え、えーと、流石にここで暴力行為は…」
顔を引き攣らせながら奴隷商人言うが、
「おい…あれ、クリスタルソードじゃないか!?」
「ま、まさか! クリスタルソードは既に失われたはずだぞ!?」
ランスが男に突き付けている剣を見て、その場に居る者がどよめく。
クリスタルソード…それはカラーのクリスタルを用いて作られた剣で、それは凄まじい切味を持つと共に、魔法防御力を上げるという凄まじい剣だ。
しかしNC900年に起きた死滅戦争で失われ、カラーの姿も最早見る事すらも出来ないような状況にあって、最早クリスタルは伝説のものとなってしまっていた。
「で、文句はあるか?」
ランスは男に突き付けていたクリスタルソードを奴隷商人に突き付ける。
「い、いえ…も、文句何てありません…」
奴隷商人は地面にへたり込んでランスに鎖を渡す。
「フン。最初から大人しくそう言えばいいんだ」
ランスはもう一本の剣を抜くと、ジルの手枷と足枷をその剣で断ち切り、その猿轡を外す。
「うーむ、やはりいい女だ。100点満点…いや、120点やろう」
自分の顔をじろじろと見る若い男を見て、ジルは目をぱちくりとさせる。
「よーし、行くぞ。今日からお前はこの俺様の奴隷だ」
ランスはそう言ってジルの首についていた鎖を外すと、そのままジルの肩を抱いて高笑いしながらその場を去っていく。
ジルはこの状況に少し困惑しながらも、ランスのされるがままになっている。
「終わったの?」
そして一人の女性がランスを出迎える。
それはジルの目から見ても非常に美しい…この世のものとは思えぬ美貌を持っている。
金色の美しい髪に、出る所は出ている素晴らしいスタイルだ。
「うむ、中々いい買い物をしたぞ」
「見てたわよ。いいの? クリスタルソード」
クリスタルソードと聞いて、ジルは思わず体を硬直させる。
(そうだ…この男はクリスタルソードを持っていた。私でも見た事が無い貴重品を…それを簡単に手放すなんて…)
クリスタルソードは今の時代では殆ど手に入らない貴重品だ。
そんな武器を惜しげも無くこの男は手放した。
「構わん。どうせ直ぐに戻って来るからな」
ランスは得意気に胸を張るが、生憎とレダにはその意味が分からない。
「まあいいわ。とにかく行きましょ。ここの街の空気、私はあんまり好きじゃないし」
「うむ、行くとするか。さあ、君も行くぞ」
「あ…」
ランスはそのままジルの手を引いて歩いていく。
(この男は…私を奴隷として買ったはず。でもどうして…)
普通こうして主人が奴隷の手を引いて歩く事などありえない。
だから余計にジルは混乱してしまう。
ランスは態と細い路地裏を歩いていく。
「成程…そういう訳ね」
「そういう事だ」
レダは先程のランスの言葉を正確に理解する。
確かに『直ぐに戻って来る』という訳だ。
「そこまでだぜ、兄ちゃん」
ランス達の前に現れたのは冒険者風の男と女の集団だ。
そしてランス達を挟み込むように、先程の奴隷商人が連れていた護衛の連中が現れる。
「おいジル…あまり余計な手間をかけさせないでくれよ。俺達が何のためにお前を捕まえて売りとばしたと思ってるんだよ」
そう言って笑う男の手には、先程ランスが手放したはずのクリスタルソードが握られている。
「何でお前がその剣を…!」
鋭い目で男を睨むが、その答えは意外な所から帰ってきた。
「簡単だ。こいつらと奴隷商人がグルだって事だろ」
「え…?」
「そうだぜ兄ちゃん。俺達はそいつがあの変態に苦しめられて人の尊厳が失われるのを見たいんだよ。邪魔するなよって言いたいけどよ、まさかこんなお宝をもってるとはな」
男は手にあるクリスタルソードを見る。
それこそ金に換えられないアイテムだろう…あの奴隷商人も思わず頷いたのも無理は無い。
それだけの価値があるアイテムなのだ。
「そこの姉ちゃんも大人しく捕まってくれや。商品価値は落としたくないからな」
男の笑い声につられて、他の者達もランス達を嘲笑っている。
「クッ…」
ジルは苦い顔で男達を見る。
今の状況は殆ど最悪の状態にある。
自分はまだ魔法を使える程体力も魔力も回復していない。
その上、相手は雑魚ではないのだ。
助かったと思ったが、実際には絶体絶命…だとジルは思っているのだが、ランスはただただ笑うだけだ。
「お前、やけにこの子に突っかかると思ったら、振られただろ」
「…何?」
「がはははは! お前みたいなブ男が考える事だ! 自分の手に入らないから壊すなどクズのやる事だ。だからお前はモテないんだ!」
ランスはレダとジルの二人を抱き寄せる。
「俺様は顔も良くて強くてモテモテだからな。だからこうして美女が集まってくるのだ。お前みたいなブ男とは違ってな」
ランスの言葉に男は殺意の籠った目でランスを睨みつけるが、ランスは全く意にも介さずに笑うだけだ。
「まあお前みたいな不愉快な奴の顔などこれ以上見ていても仕方ないからな。スラルちゃん、派手にやっていいぞ」
そしてランスは腰に下げた己の剣を抜く。
「はいはい。まあ不愉快なのは私も同じだしね。遠慮は一切しないわよ」
するとランスの持つ剣から、半透明の女性が姿を現す。
「え…?」
ジルは驚いてその女性を見るが、
「行くわよ! 氷雪吹雪!」
「ライトボム!」
そして半透明の女性の放った魔法がジルを捕えて売りとばした連中に襲い掛かる。
もう一人の女性…レダはその逆方向の男達に魔法を放つ。
「ぎゃー!!」
二人の放った魔力はジルの目から見ても凄まじい威力だ。
しかも予め詠唱されていたという事は、この男は既にこの展開を完全に見切っていたのだ。
そして暴力的な威力の魔法が放たれた後には、既にボロボロになっている男達がいるだけだ。
「ば、バカな…」
「フン、雑魚が。言っただろ、お前等みたいなクズ共の考える事などお見通しだと。どこかの馬鹿が俺様の剣も持ってきてくれたしな」
ランスは無造作に男に近づく。
「ふ、ふざけるな!」
男は激昂してランスに斬りかかるが、その斬りかかった手が地に落ちる。
「え、え?」
「す…凄い…」
ジルはただそういう他無かった。
ジルには閃光が走ったようにしか見えなかったが、この男はその一瞬で男の手を斬り飛ばしたのだ。
「お、俺の腕が!?」
「今から死ぬんだから関係ないだろ。女の子をいじめる奴はこの俺様が許さん」
そしてランスは無慈悲に男の首を刎ねる。
「フン、詰まらんものを斬ったな」
そのままランスは男の手に握られていたクリスタルソードを回収する。
見ればもう片方の男達もレダと呼ばれた女性によってあっさりと制圧されていた。
その手には何時の間に握られていたのか、剣が握られている。
「それよりも早くここを出ましょう。これ以上の面倒は御免よ」
「そうだな。それよりも君の名前はジルと言うのか」
「…そうです。知らないで私を買ったんですか?」
ランスは改めてジルと名乗った女性をじっくりと見る。
(うむ…やはり120点の美女だな。美女だが…『ジル』か)
ランスが知る『ジル』という名前の女は、ランスにとっても非常に印象深い女性…ランスが20年以上後でも覚えていた『魔王ジル』と同じ名前だ。
しかも髪の色も同じ水色…そこから導き出される結論は―――
(まあ世界には自分に似ている奴が3人は居ると言うしな。まあ俺様のような美形が3人も居るはずはないがな)
完全なスルーだった。
ランスが知る魔王ジルは、異形の手足をし、何よりもその目が特徴的だった。
人間への侮蔑、悪意が籠った目はとても印象的で、何よりも纏っている気配が全く違う。
だからこそランスは、今目の前にいる真っ直ぐな目を持った『ジル』と、あの恐ろしい気配を纏った『ジル』が一致しなかった。
そう、ランスは…いや、人間はジルが魔王になった経緯を知らないのだ。
「がはははは! お前も誇りに思うんだな! この俺様の奴隷になるというのは名誉な事だぞ! 何しろお前で3人目だからな」
「は、はぁ…」
ジルは目の前で高らかに笑うランスを見て困惑する。
自分は奴隷として買われたはず…なのだが、これが奴隷に対する態度なのだろうかと。
自分を見る目は確かに好色な男のそれだが、あまりにも堂々としすぎて逆に厭らしくない。
(でも…この男は凄い強い)
今の時代で奴隷を買うというのは、間違いなく娯楽や道楽…または簡単に壊すことが出来る玩具を買うのと同じだ。
だが、この男が自分を見る目はそれだけでは無いように感じてしまうのだ。
何故かは分からないが、ジルもまたこの男に強い何かを感じ取っていた。
「がはははは! 世界の美女は俺様のものだ!」
ランスは非常に上機嫌のまま、町を後にした。
そしてこれがランスにとっての重要な出会いになるとは、この時はまだ思ってもいなかった。