死憶の異世界傾国姫 ~ねぇ、はやく、わたしを、殺して~ 作:ぎむねま
馬車に乗せられ、恐らくは裏口からグプロス卿の城に連行された俺は、再び薄暗い地下室に押し込められた。
「待遇の改善を要求したいね」
同じ地下室でも待遇は天と地の差だ。
手枷だけでなく足枷まで嵌められ、手枷はフックで吊り上げられている。
手枷を嵌められた両手に全体重が掛かると痛く、かと言って必死に地に足をつこうとするも、つま先しか届かず其れもまた痛い。
そして俺を連行して来た騎士も、念の為と部屋の中に陣取ったまま。
いかにも『さぁ尋問しますよ』と言う形で笑ってしまう。
……いや、これが尋問の型だと言うのは帝国での話。悪ぶった奴らから『尋問されても口を割らなかった自慢』を武勇伝として何度も聞いたもんだ。
しかし王国ではどうか? 長らく帝国を拠点にしていたので断言は出来ないが、たまたま同じって事が有り得るか?
そんな事を考えられる位余裕が有るのは、鍛えた足の親指のお陰だ。足の親指は踏み込みや急停止の肝、剣術や剣道に限らずあらゆる武道で重要度は高い。
どんな悪党だってたちまち音を上げる仕打ちと言うが、不自然なつま先立ちに、俺の体は十分に耐えていた。
軽口さえ叩く俺に、俺を吊るした下男は不満げだ。
「黙ってろ、ある御仁がお前の話を聞きたがっている。口はその時に回せ」
「へぇ、プロポーズの言葉でも考えておくぜ」
「馬鹿が! やせ我慢しやがって!」
この手の尋問で余裕を見せるのは悪手、軽口を叩きながらもダラダラと汗を流す俺は、必死にやせ我慢している様にしか見えないだろう。
これもある種の武道の技、心理的に自分を追い詰め体を臨戦態勢に持って行く。
体温が上がり、汗が流れ、アドレナリンが湧き出し、痛みにも強くなる。
マジで死ぬような拷問なんぞ考えたく無いが最悪も考えなくちゃならない。僅かな隙も見逃せない。
「オイ! タナカとか言う護衛はココか!」
しかし殆ど待たされる事も無く、目当ての人物が地下室に姿を現す。グプロス卿だ。
「グプロス様? なぜこの様な場所に?」
下男にとっては予期しない人物だった様で、その登場に驚きの声が上がる。
「ホッホ、なぁに卿もその男に聞きたい事が有ると言ってな」
そう言いながらグプロス卿と共に現れたのは老人。しかし、その眼差しは全ての人間を虫の様に見下す、底冷えのする物。
直感的に解った。このジジイが帝国側、薄汚い暗部の親玉だ!
「いや、しかし尋問は我らに任せてくれると……」
「しかし、じゃない! コイツを連れて来たのは誰だ? 俺の騎士だろうが!」
困惑する下男に怒鳴るグプロス。だが髪の毛が跳ねたままで、顔色も悪い。グプロスは明らかに追い詰められていた。
無理も無い、片腕だったズーラーも含めて大勢死んだ。
そして、下男は我々と言った。コイツも帝国側の人間か! きっと後ろのジジイが連れて来たに違いない。
部下の死んだ人数で言えば桁が違うハズ。なのに余裕たっぷりにジジイは笑う。
「ホホッ、なぁにグプロス様の聞きたい事は先にお聞きください、ただ無理はなさらぬ様お願いしますよ?」
「かたじけない、オイ! タナカ! ユマは! ユマ姫はどうした? どこへやった?」
なんだ? ユマ姫はグプロスや帝国の手に落ちていないのか?
俺は慎重に、言葉を選んで返答を返す。
「はぁ? こっちが聞きてぇよ! 霧の中で別れ離れ。俺は体良く囮に使われて、アイツ一人で逃げやがったんだよ」
「誠か?」
「ぐっ!」
グプロス卿の問いに、俺は何故か思わず笑いそうになる。
笑っちゃいけない時に笑いたくなる謎現象有るよな?
だって、誠か? とか言われてもよ! 誠じゃねーよ! 嘘だよ!
頑張って口を閉ざしても何のメリットも無い。嘘でもなにか言った方がマシだ。
裏切られた男として、何もかも洗いざらい喋った方が良いだろう。
実際問題、俺は喋っちゃいけない機密情報なんて何一つ聞いていない訳だしな。
精々がエルフの魔法の脅威か? いや、それだって帝国は既に知り尽くしてるだろうしな。
「誠も糞もねーだろ! 現に俺だけ捕まって助けにも来ねーじゃねーかよ」
「ふむ」
平静を装いながらもグプロス卿は目に見えて肩を落とす。コイツこの期に及んでアイツをどうにかしようと思ってやがるのか? ホームラン級の馬鹿だな。
呆れる俺だが、ジジイの方もそこに食いついて来る。
「お待ちを、タナカと言ったか? 囮に使われたと言ったがユマ姫は敵の位置が解ってたと言う事か?」
「さぁな? 二手に分かれましょうからの、あなたはコッチ、わたしはアッチ。で、見事に俺の方に敵の本隊が居て、十人以上は殺ったか? で、足を踏み外し崖から落っこちた所を取っ捕まった訳よ」
「……なるほど」
適度に嘘を撒いて置く、これで俺がアイツを恨んでるって思ってくれればやりやすくなる。
「で? 俺が何の罪に問われてる訳だよ? おりゃあ何も悪いことしてねぇだろ?」
「何だと?」
グプロス卿が食って掛かるが、事実俺の行動は法的に問題は無いはずだ。
「俺は確かに帝国の使節団とチャンバラしたさ、でもよ、アイツらはこの王国領でユマ姫に弓を引いたんだぜ? ユマ姫はそこのグプロス様と同盟の協議中の立派な客人だ。俺は会談の時に一緒に居たからしっかり聞いたぜ? 領主の客人に帝国兵が弓を引いたんだ、善意の第三者としては戦うのは当然だろう?」
「何か帝国とは行き違いが有ったようでな。なにより魔獣の襲撃が起こった」
魔獣、確かにアレは誰にとってもイレギュラーで有ったのだろう。グプロス卿は自分でも半信半疑の様子ながらこちらに問いかけて来る。
「なぁタナカよ、もしかして
真面目な顔でとんでもないトンマな質問をしてきやがった。
流石にこいつは予期しなかった質問だ!
根も葉もない噂だが、帝国にしてみれば『百人からの兵士で姫を捕獲しようとした途端に魔獣が現れた』そんな様に映るか?
「知らねぇよ、俺も魔獣に齧られそうになったんだ。ホントなら姫様には追加で文句を言ってやりたいね、それに
俺がそう言うと、グプロス卿は思わず隣のジジイを見やる。その目線が答え合わせ! ジジイは確定で帝国人だ。
ジジイは面白く無さそうにするが一瞬の事、ニコニコと話し掛けて来る。
「いやいや、実は私は帝国の人間ですがね……」
「へぇ?」
初手から素性を明かしてきた。バレバレだったが隠す気も無いか……バラした本人であるグプロス卿の方が慌てている。
「で、上からは姫を捕らえて来いと、その執着はかなりの物でして。私の様な下っ端に詳細は知らされていないのですが、もし魔獣を操れるとすればそれも合点が行くと思いましてね」
「さぁな? 知らねーよ、でもよ、だったら
「あの霧は魔獣除けにもなりますから、その技が使えなかった可能性も有りますかと」
「ふぅん、悪ぃけど知らねーな、マジにそうだとしても、ただの護衛の俺には教えてくれないだろ」
「旅をしていて魔獣の襲撃を心配していないとか、何か通常の旅と異なる部分が有りませんでしたか?」
「そー言や、警戒していなかったな。でもよ、姫はああ見えて鋭い。街中で寝込みを襲われたって、賊が窓を破る前に既に気付いて居たんだぜ?」
「ふむ、それは魔法ですかな? なにか道具を使っていましたか?」
「魔法の様な事を言っていたな、嘘だとしても俺に魔道具と見分けは付かねぇよ」
「でしょうな」
納得した様子のジジイであるが、俺は苛立ちが募るばかりだ。
「そんな不確かな可能性で姫様は追っかけ回されてるのかよ」
「いやはやお恥ずかしい、何分上が秘密主義で困っていますよ」
「俺の雇い主の姫様も秘密主義でよ、最後には見捨てられちまったぜ? 気をつけろよ?」
「肝に銘じておきます」
ジジイとは淡々と話が進む。尋問慣れしてると言うか、スルスルと話させる間の取り方に慣れを感じる。
こっちとしてもスルスルと全部話したいのだからコレで良い。
が、グプロス卿が邪魔しに来る。
「そんな事より、聞く事が有るのでは無いですか」
「おおぉ、そうでしたな」
聞きたい事? 話す事なんざ、端から無いぞ?
敢えて言うなら姫様自身の戦力ってのはネタと言えるが、所詮個人の戦力など戦争の前ではどうでも良い話でしかない。
しかし、グプロス卿の質問はそんなモノでは無かった。
「オイ、タナカ! お前は奇妙な馬車を見なかったか?」
「奇妙な?」
「ああ、車輪が無い馬車だ」
「は?」
意味が全く解らない。なぞなぞは手足も痛くなってきたので勘弁して欲しい。
そこにジジイからフォローが入る。
「いえ、車輪が無いと言うのは可能性の話でして、馬が無い馬車と言うのを見た事は有りませんか?」
そりゃ見たことあるぞ? ただし前世でな。自動車って言うんだ。知ってるか?
エルフの国に自動車が有るなんて聞いていないが? ソレが秘密だってのか?
知らねぇが、適当にフカしておくか?
「ああ、見た事有るぜ? スゲェよな馬もねぇのに車輪が回るんだ。車体は鉄の塊、重そうなのにス~ッと動くんだぜ? 揺れも殆ど無ぇんだ、操作はこう……ああ、コイツを外しちゃくれないか?」
まるで見て来た様に語りながら俺は手枷を降ろす様に訴える。
「降ろしてやれ」
ジジイが命じると下男はレバーを回す。滑車がガラガラと鳴って俺は地面へと降ろされた。
「オイ、コイツも外してくれよ」
「フックだけだ、枷を外すかは話を聞いてからだ」
いつの間にかジジイは好々爺然とした態度を捨て去り、冷然と先を促す。
これが話の核心なのか? だとしたら見当違いも甚だしい、だが絶好のチャンスだ。
「わ、解ったよ、でもよ目立つからってあんまり乗せて貰って無いんだ、話せる事は多くないぜ?」
「構わない、知ってる事を全て話して欲しい」
「あ、ああ、扉は車体の横、左右に有ってよ、操作は丸いハンドルを回すんだ。門や跳ね橋を巻き上げるハンドルとは違うぜ? こう持ってよコレで右に、こっちに捻れば左に曲がる訳よ」
俺は自動車を知らない未開人に自動車とは何かを教える体で、身振り手振りで話を紡ぐ。
手枷足枷も縛りみたいなもんで、ジェスチャーゲームみたいで結構面白い。
皆真剣に聞き入っているが、相手が知りたい事とは無関係の、全くのゴミ情報ってのが堪らなく面白い。
「加速減速はどうすんのかって思うだろ? よく見たらよ足元にペダルが有るのよ。ペダルって解るか? ヴァンスって楽器には足で音を制御するパーツが有るんだけどよ。それとそっくりなのよ。ヴァンスじゃ音を伸ばすのに右ペダル、音を弱めるのに左ペダルを踏むんだけどよそれと全く同じ。右ペダルで加速、左で減速って訳だ」
などなど、面白おかしく話していたら様子がおかしい。
老人と下男はアイコンタクトを繰り返し、グプロス卿はご満悦だ。
そして、馬鹿話に似合わない真面目腐った顔で下男が頷き答える。
「一部異なる部分が有りますが、こちらの得た情報とも大部分で一致します。間違いないでしょう」
「やはり実在したか」
「戦争が変わりますな」
――は?
思わず声が漏れそうになったのを必死に堪える。
え? 有るの? 自動車有るの? マジで?
老人とグプロス卿が感じ入った様子で頷くがコッチはそれどころじゃ無い。
え? 高橋さん? 自動車作ったの? 凄くない?
……いや、まだ十二年だぞ、あり得ない、アイツは工業系に詳しい訳じゃなかったしな。
だったら、元々エルフには自動車が有った? ある種の完成した形だし、それをアイツが改良したって可能性なら有るか?
でもよ? だったらアイツが乗って来たって言うピラークって飼いならした
自動車が便利な事は知ってるハズのアイツが、エルフの馬車が如何に揺れないとか、速いとか、そんな話ししか無かった。
それだけなら、自動車を隠してただけとも思うが、
自動車なんざ無い、もしくは一般的じゃないんじゃ無いのか?
「な、なんだよ初めっから知ってたのかよ。お二人とも人が悪いぜ」
俺は間抜け顔を晒した自分を誤魔化す為に、適当に話を合わせる事にした。
しかしそんな俺をジジイは薄ら笑う。
「知っていたのではない、簡単な予想だよ。我々が
へへっ、笑えるぅ! どや顔で語るジジイの馬鹿な事よ。いや馬鹿なのはあの姫様だ、アイツは家族が殺されるや否や、真っ直ぐ人間界に来たのだ。
そんなの予想が付くハズも無い。
だが俺には解る、今となっては俺だけにはその理由が解るぜ。
お前、自分の『偶然』にエルフを巻き込まない為にコッチに来たんだろ?
全く良い根性してるぜ。
加えて俺とアイツの足の速さが並じゃ無いのも予想外だろう、普通の馬車の旅程とは比べ物にならない早さだった。
しかし良かった、結局自動車はただの予想、いや妄想か。だとしても何か知ってる風だし、何を話すべきか解らねぇ。
どうする? いや、もう勢いで突っ切るしかないだろう。
「おい、あんたらあの馬車、いや馬も無いから自動車か? あれが欲しいんだったら案内出来るぜ、早いとこコイツを外してくれよ」
俺は大仰に手枷を掲げておどけて見せる。が、俺に浴びされれたのはジジイの無慈悲な一言だった。
「それには及ばんよ、車の場所は調査済みだ、ゼス村に有るんだろ? 違うかね?」
「なっ?」
丁度ゼス村に馬車があるって言おうとしてたので、俺はビックリした!
……そういや、スフィールを出るとき、門番には馬車の修理でゼス村へ行くって嘘を言って出たんだったな。
図らずも、俺のリアクションも含めてリアリティが増してしまった。
「図星の様だな、しかも故障していると言うのは本当らしい。ゼスリード平原に現れなかったのがその証拠だ? 違うかね?」
――全然違う! 違うけどっ! それで良いや!
「そこまで知ってんのか、でもオイ、頼むぜ! 俺も連れて行ってくれよ。ここんとこずっと地下で気が狂いそうなんだ。俺もあの姫様に騙されてたんだよ、ギャフンと言わせてやりてえ、協力させてくれよ」
「いや、不要だな。不確定要素を連れ歩く気になれんよ」
「でもよ、俺が行かないと
「お前が
「そんな! そりゃねぇだろぉが、同じ人間じゃねぇか」
「私は人間を一番信用していないのでね」
なるほどね、恐らくは帝国の情報部、らしい物言いで参っちまうぜ。
俺は標的をグプロス卿に切り替える。
「グプロス様も何か言って下さいよ、
「ふん、
正直、このままじゃバッサリ殺される可能性も高い。馬車への道案内で助かるかと思ったがそうは問屋が卸さないらしい。
「ですがね……あ、そう言えばブローチ! ブローチはどうなった? アレの使い方を知るのも俺だけでしょう?」
俺は必死にブローチの話題を振る、助かりたいのもそうだが、あの騎士辺りがコッソリがめて、バラバラにして売っちまったら堪らねぇ。
「ブローチと言うのはコレかね?」
そう言ってブローチを取り出したのはジジイの方だった。
マズイ! 帝国はこのブローチを活用する術がある。なるべくならグプロス卿に確保して欲しかった。さらに言えば帝国の研究所とか持ち込まれたら奪還が難しくなる。
「オイ! グプロス様よぉ? 良いのかこのブローチはスゲェ品だぞ? みすみす帝国に渡しちまって良いのかよ?」
「ふん、ブローチ一つで首が繋がるのなら安い物だ」
グプロス卿の吐き捨てた台詞は、それだけ今の状況のヤバさを物語っていた。
「魔道具のブローチも魔道車もお渡ししましょう、くれぐれも派兵の件お願いしますぞ」
「ふふっ、その件はココでは無く、二人っきりでお話ししましょう」
グプロスがジジイに派兵を求める。つまり、王国はグプロスの動きに気が付いているってワケか。
「しかし、事は一刻を争うのです!」
「では早速話し合いましょう、何時もの談話室で良いですかな?」
「よろしくお願いする」
そう言って二人はさっさと部屋から出て行ってしまう。
残されたのは俺だけじゃない、二人の騎士は困り顔で話し合う。
「全く、折角連れて来たのに労いの言葉も無しかよ」
「あのオッサンに労って貰ってもね」
「違いないですが、どうします? これ?」
顎で俺を指し示すが、俺だって知らねぇよ! いっそ逃がしちゃくれねぇかな。
「また吊るしときましょう」
しかし無情にも下男が騎士二人に声を掛ける。
「オイ? 嘘だろ? 殺す気かよ?」
俺だって吊られたまま放置なんてされちゃ流石に参っちまう、うっ血すれば、手は二度と使い物にならなくなる事も有る。
「足はしっかり着く様にしますから、それで今晩の所は十分でしょう」
下男はそう言うが、だからって楽なもんじゃない。藁も無く体だって冷え切っちまう。
「元気過ぎるからな、一晩経てば大人しくなるだろ」
「そうですね、その位で丁度良さそうです」
騎士二人はもうどうでも良さそうだ。クソッ! 他人事だと思いやがって。
そうして騎士二人と下男はさっさと引き上げてしまうのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
で、吊るされた俺だけが真っ暗な地下室に残された訳だ。
「クソッ、マズったか? どう言えば良かった? いや、どう言っても駄目だったか……」
ユマ姫に裏切られた体で寝返った様に見せたかったが、奴らだってプロだ、バレバレだった可能性は高い。
「こんな形で終わっちまうのかよ……」
それから暗い部屋で何時間も吊るされ、柄にもなく弱気になっちまった、その時だ。
「失礼」
ランプの明かりと共に、部屋に滑り込んだ一人の男。その顔には見覚えが有った。
「あんたは……」
「ええ、以前、会談の際お部屋まで案内させて頂いた執事でございます」
そう、スフィール城へ来た際、二度ともこの執事に案内して貰った。だが何故コイツがこのタイミングでここに来た? 俺を普通の檻に移動させに来たというなら大歓迎だが……
「あなた様を助けに参りました」
「本気か?」
訳が解らん、何故執事が?
「はい、今の私は隣領ネルダリアの工作員でございますゆえ」
「なんだと?」
「聞けばネルダリアはここ数年、国防を疎かにするグプロス卿の調査を重ねていたそうで、この度、遂に決定的な証拠を手に入れたとの事」
「ちょっと待てよ、話が見えねぇ、何を言っている?」
「ユマ姫様のお話です」
「……そうかよ、そう言う事か」
あの霧の中、うじゃうじゃと感じた気配、少なく見積もって十人は居るかと思ったが、人攫いだけじゃ数が合わねぇなとは思っていた。
隣の領主さまもアイツを狙っていた訳だ。
「アイツは無事なんだな?」
「勿論です、ネルダリア領主オーズド様の邸宅で貴人として扱われている事でしょう」
ある種の捕虜? いや、証人か。
グプロス卿の裏切りの証拠となれば、王都まで召喚される事は確定、重ねて当初の予定以上にセンセーショナルに話題をさらうに違いない。
だとすればネルダリア領主も下手な扱いは出来まい、アイツの事はひとまず大丈夫と考えて良さそうだ。
「それにしても執事が工作員たぁ驚いたな、グプロスの奴の行動は、全てネルダリアに筒抜けだった訳かよ」
「いいえ、裏切ったのはごく最近。元来スフィールでは帝国との裏取引など常套手段。ですがユマ姫様と出会ったグプロス様は、とうとうスフィールそのものを帝国に明け渡す事を決めてしまいました、余りの事に悩んでいた所、シノニム様から勧誘されましてな」
「そういやシノニムも居ないらしいな、アイツもスパイだった訳だ」
「アイツもというより、あの方がスパイで私は単に謀反ですよ、代々スフィール城に勤めていましたが、それも王国の為。それがスフィールごと帝国に売り渡す様では勤める事など出来ません」
「なるほどな」
勤め人にも矜持が有るか、グプロス卿には解らんだろうが、勝馬に乗るだけが人生じゃ無い。
執事の男はレバーを操作し鎖を降ろす、だが肝心の枷の鍵は持っていないらしく、後は力業と相成った。
「オイ、ここを引っ掛けてそっちを思い切り踏んでくれ」
「大丈夫ですか? 手首が外れてしまうのでは?」
「構わねぇからやれ!」
バールの様な物を隙間に引っ掛け、執事の爺さんには思いっきり体重を掛けてもらう。
バリバリと音を立て枷がひしゃげ、やっと両手が自由になった。
「こうなりゃ自分でやる、貸しな」
バールもどきを受け取ると足枷もバリバリと引っぺがす。その様子に執事の爺さんは目を丸くする。
「凄まじい力ですな」
「そうでもねぇよ、結局自力じゃ脱出も出来なかった」
「この枷です、自力で破れたら人間では無いでしょう」
そう慰めてくれるが、俺が目指す領域が
執事の爺さんは用意周到で、服まで用意してくれていた。
今の俺はオッサンから剥ぎ取ったズボン一丁、それだって丈足らずのスッテンテンだ。こんなにありがたい差し入れは無い。
黒尽くめじゃ無いのが惜しいが俺にしちゃサイズが合ってるだけで僥倖、贅沢は言えない。
「このサイズの服が有るとはね、流石はスフィール城ってトコかね」
「ええ、貴族の護衛などは体格の良さで選ぶことも多うございますので」
俺は早速着替えに袖を通し、これまた用意された剣を佩く。
「剣まで悪いな、業物とは言え無いが十分過ぎる」
「気に入って頂けた様で、では脱出しましょう、こちらです」
そう言って部屋を出る執事の爺さん、どうやらご丁寧に裏口まで俺を案内してくれる様子だが、俺にはやらなきゃいけない事が有る。
俺は小声で執事の爺さんに話し掛ける。
「いや、待ってくれ、俺は取り返さなくちゃいけない物が有る」
「それは? 今で無くてはなりませんか?」
「ああ、悪いが俺はジジイからブローチを取り返さないとならない」
「ジジイ? ギデムッド老なら、既に城を出ましたよ」
「なに?」
地下だから解らないが、まだ夜明け前とかだろ? そんな時間に城を出たのか?
そんな俺の疑問に執事の爺さんは答えてくれた。
「我々にも予想外でしたが、一刻も早く兵を揃えるとか言っていました。しかし実際は我々の計画に気付かれた可能性が有ります」
「計画?」
「ええ、衛兵達に声を掛け、蜂起を促しました。北門以外の衛兵達は賛同してくれています」
「クーデターか、そんな中、俺を助けてくれたのか」
「こんな時だからこそ、あなたにも加わって欲しかったのですが、ギデムッドを追ってくれるなら願っても有りません」
なるほど、帝国情報部とグプロス卿、一網打尽の計画がのっけから崩れてしまったらしいのだ。
しかしギデムッドは馬車で逃げたとの事、常識で考えれば足で追いつくのは至難だ。ならばと執事の爺さんは俺を馬房へと案内してくれた。
「こちらです」
するりするりと扉を抜けて、あっと言う間に外、そして馬房の中だ。流石に長年執事をやってるだけは有る、この城を知り尽くしている動きだった。
「駿馬ばかりですが、あなたのサイズだと乗れるのはこれ位ですね」
そう言って指し示す馬は確かに大きく、俺でも乗れそうだ。
が、俺は正直乗馬テクにはそれ程自信が無い。
「いっそ走っても良いんだがよ」
「ご冗談を! 国境までに追いつくつもりなら時間が有りません、早くしましょう」
国境? 確かにそう思うのが普通だが、今回はそうじゃない。
「いーや、奴が向かったのは国境じゃ無いな」
「なんですと?」
「ゼス村さ」
「ゼス村? あんな田舎に何が有るのです?」
「何もないさ、何かあると思っている奴が居るだけだ」
「はぁ……」
禅問答みたいだよな、ま、説明し様も無いんだから仕方が無い。奴は夢追い人なんだよ。
と、その時俺の目に、一際立派な馬車が映る。
「アレは?」
「アレはグプロス卿の馬車でございます、それが?」
「ちょっと弄って行くか」
「な、何を?」
俺は立てかけられていたのこぎりを手に、立派な馬車に細工する。モノの数分で完了したが外見には一切影響はない。
執事の爺さんは理解不能らしく、呆然とそれを見ていた。
「これは?」
「車軸の一番脆い所よ、上手くすりゃ往来のど真ん中で車輪が外れて立ち往生って訳だ」
「はぁ……」
破戒騎士団の実力は本物だった、奴らがグプロス卿を守る以上、結局あと一歩で取り逃がす、そんな可能性が少なくない様に見えるのだ。
「じゃあ、行くぜ、北門で良いのか?」
「いえ、北門は衛兵が足りず閉めきっています、行くなら東門ですね。厳戒態勢で門は閉じられていますが外へ出る分には問題ないでしょう」
「そうか、何から何まですまねぇな」
俺は礼を言うや一息に馬に飛び乗った。
馬は苦手だが、この馬は俺の重さに愚図る事無くトコトコと歩を進める。大人しそうで安心し、俺は一気に馬を走らせた。
「ご武運を!」
執事の爺さんが俺の背中に静かに礼をする、感極まった声で、どうやら爺さんは俺が死ぬ気だと思っている。
そりゃ、一人で帝国の馬車を襲うなんざ正気じゃない。
でもよ、この前みたいにブッガーやマルムークみたいな凄腕さえ居なけりゃよ、十人以上の山賊を一人で退治した事だって有るんだぜ?
やれるさ、アイツとの約束、守らねぇとな。
ゆっくりと日が昇り始めたスフィールの大通りを、決意を胸に俺は真っ直ぐに駆け抜けた。