死憶の異世界傾国姫 ~ねぇ、はやく、わたしを、殺して~   作:ぎむねま

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ハメでは基本的にユマ姫視点で書けるなら書いてるのですが
敵陣もあるしシノニムさんの心理も書いておきたいので
難しかったです


開戦前

 陣内は人いきれでむせかえるようだった。

 カチャカチャと鳴る鎧、馬の嘶き、転がる荷車、駆け出す兵士の足元で跳ねる泥、無数の音が幾重にも重なる。

 ガヤガヤと雑然とした中に、確かに漂う緊張感。

 

 ――戦争が近い。

 

 誰もが激しい(いくさ)を予感していた。

 

 そんなピリつく男達のど真ん中、一際派手な馬車が乗り付けた。

 

 皆の視線が集まる中、ガチャリとドアが倒れてタラップに変じる。

 居合わせた兵にとっては見たこともない最新の馬車。どんなお貴族様かと見守る中、その少女が姿を現した瞬間、むくつけき戦場が一転し、華やいだ。

 

「ユマ姫だ!」

 

 誰かが叫んだ。渦中の美姫が開戦直前の陣中へ突然の来訪。快哉に沸くのが必然。しかし、声が出せたのはホンの僅かだった。

 大半の兵士は言葉無く、ただ固唾を飲んだ。

 ……いや、飲んだのでは無い、飲まれたのだ。現実離れした少女の美しさがそうさせた。

 

「こんにちは、皆さんの戦いを間近で見るべく参じました」

 

 鈴を転がす様な声と柔らかな微笑み。それだけで大の男が揃って頬を染めたほど。

 

 だが、言動とは裏腹に、ユマ姫は見るだけに止めるつもりは毛頭無かった。見た目と違い、彼女は非力なだけの少女では無い。

 そして、今となってはこの場の全てがソレを知っている。

 

 ユマ姫がお飾りの姫だとは、もう誰も思って居ないのだ。

 

 彼女が去年、ゼスリード平原でどれだけ暴れたのかは兵士達の語り草だった。

 幼く見える儚げな、絵に描いた様なお姫様。しかも彼女は既に十四。その体は確かな色気すら獲得し始めている。

 それも、奇跡的なバランスで少女特有の魅力の一切を損なわないままに。

 

 そんな彼女について回るのは、鬼神の如き武勇伝。雷に打たれながらも、悪鬼の様に帝国兵を殺して回った。

 ユマ姫は神か悪魔か? 果たしてその両方か? 兵士達はユマ姫に畏怖すら感じていた。

 灰色の戦場がユマ姫の周囲だけ色づいて見える。そんな異様な存在感に、陣内が静まり返る。

 一方で彼女は笑顔を振りまき、そそくさと陣中のログハウスへと入り込んだ。そこは急遽(しつら)えた作戦本部。

 

 そうだ、少女は今回も戦争をする為にこの場所に、ゼスリード平原に帰ってきた。

 

 ココはゼスリード平原の入り口。王国が対帝国を見据えて設営した陣の中。

 ゼスリード平原は恐鳥(リコイ)が飛来する危険地帯。両国を結ぶゲイル大橋の両端には両国が管理する砦がそれぞれあるが、その規模は決して大きくない。単純に、維持が難しいからだ。

 全軍が入れない砦を本陣に出来ないし、前回同様に橋を挟んでお見合いなど、もっての外だった。

 前回の様に、謎の植物で想定外の場所から渡河(とか)されてしまえば、遮るモノの無い平原は敵の主力たるマスケット銃の独擅場(どくせんじょう)

 敵は万に届く数の銃を揃えているとも言われている。対してコチラは千丁がやっと。とても平原では戦えない。

 だからこそ、平原手前の狭い場所に陣取る事を余儀なくされていた。

 

 考えようによっては初めから平原を放棄した布陣。

 ひとつ失敗すれば、敵はそのままスフィールまで雪崩れ込んでくる。

 

 薄暗いログハウスの中、先ほどまでの柔らかな笑顔が嘘のように、鋭い視線のユマ姫が問う。

 

「敵は?」

 

 端的にソレだけ訪ねれば、シノニムは無言でテーブル上に資料を並べた。

 

「これは?」

「今までに集めた敵の陣容です」

「そう」

 

 手に取って一つ一つ、ユマ姫は真剣に資料を吟味する。

 

「魔女は居ないのですね?」

「いまだ、確認出来ておりません」

「……ひょっとして、左遷されたのでしょうか?」

 

 少女に似つかわしくない皮肉げな笑みにシノニムは戸惑った。

 

「かも、知れません」

「なら良いのだけど……」

 

 言葉と裏腹にユマ姫はつまらなそうに資料を投げた。その仕草にシノニムは息を吐く。

 目当ての敵が居ないと知るなり、興味を失った姫の態度に呆れたのがひとつ。そして、コレなら無茶をしないだろうと安心したのがもうひとつ。

 

 それでもシノニムは油断していなかった。全てはユマ姫のフェイクかも知れない。彼女が冷静でいられる保証が無い。なにしろ敵の総大将は……

 

「良いのですか? 敵はテムザン将軍ですよ?」

「それが?」

 

 それが? とは?

 本当に知らないのだろうか? テムザン将軍は大森林を侵略した遠征軍でも総大将だった人物。

 彼女の故郷を焼いた張本人。怨敵と言える存在のハズ。

 

「名ばかりの将軍でしょう? 実際に指揮をとったかも怪しいモノです」

「ソレが解ってらっしゃるなら構いませんが」

 

 ユマ姫はテムザン大将軍の名に何の感慨も無さそうに見えた。それどころか、時代錯誤の老人とまで言ってみせた。

 

「魔女が居ないことで、いっそ銃が出てこない可能性は?」

「残念ながら、銃は大量に配備されている様でした」

「……そう。でも、去年みたいな不可思議な兵器は考え無くても良さそうね」

 

 冷静に戦力を分析するユマ姫。それに安心するシノニムだが、彼女には言わねばならぬ事がまだあった。

 

「実は折り入ってご相談が」

「なぁに?」

 

 ユマ姫は資料を読みながら、片目だけでシノニムを見つめた。

 その仕草に胸騒ぎを憶えながら、シノニムは要点を伝える。

 

 曰く、ユマ姫は既に味方からも恐怖の対象だと。

 

 ……エルフであるユマ姫が、人間同士のつぶし合いを狙っている。

 そんな流言をシノニムは信じたく無かったが、信じ切れない部分もあった。

 

 ソレほどに、去年見た戦場のユマ姫には狂気が満ちていたのだ。

 帝国兵を殺せるなら、全てを投げ打っても構わない。ありありと顔に書いてあった。

 

 しかし、シノニムは知らない。ユマ姫の狂気は更にその先にあるのだ。

 最も憎いのは帝国だとしても、殺してしまいたいのは帝国に止まらない。王国も、南方の国々も、更にはエルフの民ですら、いっそみんな死んでしまえば良いとまで思っている。

 

 もし、核がスフィールではなく、世界の全てを焼き尽くす威力だったなら。

 もし、ラーガインのカタパルトが全て稼働していたのなら。

 

 発射ボタンを押したのはユマ姫だったかも知れない。それほどに彼女は世界の全てを憎んでいた。

 

「……へぇ、私の事を恐れていると? 誰が?」

 

 ユマ姫の冗談交じりの声。だが半眼の瞳には笑みが無い。

 シノニムの額に汗が浮かぶ。

 

「皆が、です。特に貴族は皆、あなたを警戒しています」

「具体的には? 誰?」

「…………オーズド様です」

 

 ソレを聞いたユマ姫は、今度こそ楽しげに片眉を跳ね上げた。

 

「ソレ、話しても良かったの?」

「良くはありません。ここだけに願います」

「ふぅん」

 

 オーズドはシノニムの雇い主。ネルダリア領の領主である。

 シノニムは表向きユマ姫の侍女であるが、実際はネルダリアの特務部隊の人間。コレは明らかにオーズドへの背信行為と言えた。

 ユマ姫とて、その事に何も思わない人間ではない。

 

「ありがとう」

「いえ……ですから、今回ばかりは大人しくして下さい」

「……わかりました」

 

 ユマ姫はふぅっと息を吐き、虚空を見つめる。

 

 コレだ。たまにユマ姫はこうして何も無い所を目で追っている。常に見えないナニかを彼女は見ている。

 そのたびにシノニムは強烈な不安に駆られるのだった。

 何が楽しいのか、ナニかを見てユマ姫は大きく笑った。その切なげな笑顔に胸が掻きむしられそうになる。

 諜報員として、男を籠絡する手管を知り尽くしたシノニムにして、息を飲む美しさ。

 

「ならば私は戦場には出ません。魔法は兵士の回復に使います。それなら構わないでしょう?」

「え、ええ。それならば……」

 

 応えながらもシノニムは震えが止まらなかった。

 彼女は嘘など付いていない。付いたつもりも無いに違いない。

 

 でも、ソレが真実となる気が少しもしなかったから。

 シノニムはただ怖かった。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

【帝国軍 野営地にて】

 

 一方で、帝国はゼスリード平原のただ中に堂々と陣を構えていた。

 ソレが許される理由は、圧倒的な火器の数。

 

「コレだけ揃えば恐鳥(リコイ)など恐るるに足らずよな」

 

 モンゴルのゲルに似た移動式テント。なかでも一際巨大なテントが陣の中心に張られ、その中で豪華なウッドデスクを前に笑う禿頭(とくとう)の老人がいた。

 それこそが、帝国軍の生きる伝説。名将の名を欲しいままにするテムザン大将軍だった。

 

 彼の目の前。デスクに広げられたのは今回用意したマスケット銃の数と種類を記した書類。

 コレだけ銃が揃えば恐鳥(リコイ)の撃墜は容易。王国に後れをとる可能性も無い。だからこそ、堂々と陣を構えられるのだ。

 

「しかし良かったのですか? 将軍自慢の騎士団を完全な後詰めとしてしまって」

 

 不安げに尋ねたのは、金髪を短く刈り上げた騎士。

 端整な顔立ちと線の細い体つきは、女性なら目の色を変える大変な美少年。……いや、違う。

 

「ふん、いいんじゃよ。そんな事よりミニエール。またお主はそんな色気の無い格好をしおって。士気を上げようとする気持ちはないのかの」

「格好で上げようとは思っておりません」

 

 テムザンのぼやきに、ミニエールと呼ばれた騎士が憤然と言い返す。

 そう、ミニエールは女性、女騎士だ。帝国でも極めて珍しい。

 

 帝国と王国は、常にゼスリード平原のただ中でぶつかり合ってきた。

 近年は大きな戦争こそ無かったが、それでも兵士の育成は怠っていない。

 なかでも平原を縦横無尽に駆け巡る騎士は、我こそが戦場の主役と憚らない存在だ。

 そして勿論、騎士には男しか居なかった。重騎士として大きな馬を操るにも、重い鎧で動くにも男である事が圧倒的に有利。

 だが、そんな状況を大きく変えたモノがある。

 

 銃だ。

 

 銃は男だろうが女だろうが、威力は変わらない。そして、全身鎧の薄い鉄板など容易く貫通する。大きい馬など的でしか無い。

 戦場の主役は騎士から銃へと交代しようとしていた。そんな中、騎士もマスケット銃を持てば良いのだと宣言した人物がいた。

 

 それこそがミニエールだった。

 

 彼女は名馬の産出地、ロアンヌ領主の一人娘。だからこそ、馬など時代遅れと嘯く(うそぶく)魔女に激しく抵抗した。

 魔女がもたらした銃の有効性は認めながらも、ならば馬上で銃を撃てば良いのだと言い放つ。

 

 ……しかし、誰もそんな事は出来なかったのだ。

 

 そう、彼女以外には。

 

 おてんば姫と呼ばれた彼女は馬上で弾を込め、駆け足で走らせながらも正確な射撃を行えた。

 だからこそ、史上初めて女性として、完全に実力のみで騎士と認められたのだ。

 

 その名は帝国は勿論、王国にも通っていて人気も極めて高い。

 

「ふむ、そんな、ロアンヌの姫騎士と呼ばれた嬢ちゃんに頼みがあるのだがの」

「なんです?」

「コレを届けて欲しいのじゃ」

「コレは!?」

 

 ミニエールは一目見て解った。これは宣戦の詔書(しょうしょ)だ。

 帝国が王国への宣戦を告げる最後通牒。これを届けるのは、言わずと知れた大変危険を伴う任務。

 

「これを、私が?」

「ああ、悪いがの。お主が適任じゃ。まさか単身乗り込んだ女子(おなご)首級(しるし)を掲げるような真似は出来んじゃろ」

「なるほど、謹んでお受け致します」

 

 大変に危険な任務だが、同時にもっとも名誉な任務でもあった。

 単身で敵の陣中に飛び込む宣戦の使者は、騎士としての誉れ。大勢の兵士に見送られる軍の象徴でもある。

 女性として宣戦の使者となれば、当然に史上初めての快挙となる。

 

「だからこそ、見栄えがの」

 

 テムザンが指差したのはミニエールの髪。

 宣戦の使者は華々しい出発で、士気を上げる役目も担う。

 そこで遠目には女性にも見えないミニエールの刈り上げた金髪は、大きなマイナスと言うわけだ。

 

「そこで、コレじゃ」

 

 年甲斐の無いおちゃらけた笑顔で取り出し、被って見せたのは金髪のカツラ。

 

「ソレは?」

「最近手に入れた『お気に入り』じゃ。綺麗じゃろ?」

「はい!」

 

 それは、透き通る様な美しい金の髪。

 この御髪(おぐし)の主はどんな人物だったのだろうと考えずには居られない。手入れされた髪はきっと名の知れた貴族の物だ。大変高価なカツラに違いない。

 

「コレを付けて、白馬に跨がり出陣となればそれはもう目立つじゃろうな」

「そうですね」

 

 基本的には女性だからと見世物になるのは大嫌いなミニエールだ。

 だけど今回ばかりは目立つのも悪くないと思える。それほどに華々しい任務。そして美しいカツラ。

 これがあれば周りの評価と裏腹に、自分の外見に自信が持てない彼女でも、なかなか見栄えがするだろうと思えたからだ。

 

「謹んで拝命致します」

 

 そうして、同時刻、帝国の使者が決まった。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

【数日後、帝国陣地にて】

 

 その日は快晴。抜ける様な青空に、入道雲が遠くに漂う。

 心配したほどに気温は高くない、馬を走らせばうっすらと汗ばむかと言う程度。

 

 そんな中、大勢の兵士に見守られ、一人の女騎士が華々しく出立する。

 美しい金髪に、豪奢なマントをたなびかせ、巨大な帝国旗を振りかざす。まさに勝利の女神の如き、白馬に跨がる姿は一枚の絵画のようだった。

 否が応でも帝国兵のボルテージは上がっていく。

 熱狂の中、ミニエールはゼスリード平原を駆けていった。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

【王国軍、野営地】

 

「帝国の使者が面会を求めています」

 

 作戦司令部の中、注進に駆け込んだ兵士がオーズドに頭を下げる。

 ユマ姫から遅れること数日、オーズドはスフィールで兵站を整え、いよいよ入陣を果たしていた。

 

「構わん、すぐ通せ」

「ハッ!」

 

 敬礼をこなし踵を返す。兵士のそんな当たり前の動きがどこかぎこちない。

 名残惜しげな視線の先、振り返れば微笑むユマ姫が居た。当たり前の様にユマ姫は司令部に居座っている。

 

「…………」

 

 その笑顔に、オーズドは内心焦りを感じていた。戦争が始まるというのにまるで緊張していない。

 そして、異様なまでに美しい。手練れの兵士が彼女の前ではまるで新兵。一年ぶりに会うユマ姫は怖気(おじけ)がする程に美しくなっていた。

 

「宣戦布告の瞬間には、私も同席して宜しいですか?」

 

 控え目に、穏やかに、小首を傾げて聞いてはいるが、駄目と断じても頑として動かないと目が語っている。

 

「構いません、しかし口出しはなさらぬよう」

「勿論です、ありがとうございます」

 

 上品に頷くと、部屋の隅に控える様だ。

 

「帝国軍、竜騎兵ミニエール様がおいでになりました」

「すぐ通せ!」

 

 先触れの声に応えながらも、オーズドは大人しいユマ姫に不安を拭えなかった。

 しかし、それも帝国の使者の姿を見るまで。

 

「お初にお目に掛かる。私は帝国軍、竜騎兵部隊の隊長、騎士ミニエールだ」

「これはご丁寧に。私がネルダリア領主にして本陣の指揮を執るオーズド・ガル・ネルダリアだ。お見知り置きを」

 

 鷹揚に頷きながらも、オーズドには幾つか疑問があった。

 

「しかし驚いた。まさか帝国の使者が女性とは……それに、竜騎兵とは?」

「竜騎兵とは馬上で銃を撃つ新しい兵科です。女性であっても銃であれば戦える」

「なるほど」

 

 ミニエールは美しい騎士だった。通った鼻筋に薄い唇。意志が強そうな瞳は澄んでいて、なにより長い金髪がキラキラと華やいでいる。

 オーズドも当然、女騎士ミニエールの事は知っていた。しかし会ったのは始めて。まさかコレほど美しいとは聞いていなかった。

 なにより宣戦の使者に女騎士を寄越すとは。それに竜騎兵など聞いたことも無い。

 実は戦争前に決まった兵科なので知る由も無いのだが、オーズドは出鼻を挫かれた思いだった。

 

「まさか、使者がこんな美しいお嬢さんだと思わず、こんな殺風景な陣で申し訳無い」

「いえ、私など」

 

 謙遜したミニエールがチラリと見たのは部屋の隅のユマ姫だ。

 部屋に入るなり、僅かに息を飲むのがオーズドにも見えていた。噂のユマ姫がココまで美しいとは思ってもみなかったのだろう。驚かせる事に成功した様だった。

 

 交渉は最初のインパクトも大切。ユマ姫が居て良かったと、オーズドはこの時までは本気で思っていた。

 

 敵も味方も、開戦前の主役が女性とは。

 

 オーズドは少し老け込んだ心持ちで、考えを改めた。

 理由のないユマ姫への恐怖も、全ては自分の考えが古かっただけ、ただの老人の焦りと自嘲する。

 そんなオーズドにミニエールは首を傾げる。

 

「何か?」

「いえ、こちらの事です。それよりもおかけ下さい。上等な椅子ではありませんが」

「結構です。そのまま宣誓させて頂きます」

「そうですか。ではその様に願います」

 

 詔書(しょうしょ)を広げ、ミニエールが読み上げる。

 その内容は決まりきった慣例の言葉が大半。帝国の歴史の偉大さから始まり、皇帝の正当性を説く決まり文句が長いのだ。

 そして、戦端を開く理由。

 森に棲む者(ザバ)であるユマ姫を匿っている王国への憤り。そして、昨年の戦争での被害の数々を訴えてくる。

 

 突きつけてきた要求は大きく二つ。

 森に棲む者(ザバ)と手を切り、ユマ姫を差し出すこと。

 賠償金として二千万枚の金貨を譲渡すること。

 

 他には細かい関税や犯罪者引き渡しと言った細々とした要求が並ぶが、誰も真面目に聞いていない。

 完全に茶番だ。ここまで来て、戦意を翻した例は歴史上一度も無い。

 

「残念ながら、我々は(いくさ)で決着をつけるしかなさそうだ」

「残念です」

 

 ちっとも残念に見えないが、仕事は終わった。

 オーズドとミニエール。立場は違えど二人はホッとした様子で息を吐く。

 

「ッ!?」

 

 だが、ミニエールは吐き出した息を吸い直すハメになる。見つめる先はユマ姫。

 

「!?」

 

 振り向いたオーズドもユマ姫の様子に目を瞠る。なんら変わらぬ姿勢で佇んでいるユマ姫だが、目だけが違った。

 

 ギラギラと、狂気に塗れた瞳でミニエールを睨みつけている。

 

 どういうことだ? と彼女の横に控えるシノニムに目で尋ねるも、シノニムもユマ姫の尋常では無い様子に混乱しているのが見て取れた。

 可哀想に最も狼狽えたのはミニエールだ。掠れた声でオーズドに尋ねる。

 

「彼女は?」

「あ、ああ。紹介していなかったな。彼女こそが詔書(しょうしょ)にもあった森に棲む者(ザバ)、いやエルフの姫君、ユマ姫だ」

「やはり。どうか、彼女と少し話が出来ますでしょうか?」

「……どうぞ」

 

 オーズドとしては話して欲しくなかったが、戦争の切っ掛けとされるユマ姫に会話もさせない様では、要らぬ疑いを掛けられる可能性もあった。

 

「ユマ・ガーシェント姫!」

「なんでしょう?」

 

 呼ばれたユマ姫がしずしずと部屋の中央へ進み出る。

 しかし、目だけはまだ尋常のそれではない。肉食獣の前に立った様な不安が胸を焼く。

 

「使者のミニエール殿が対話を望んでいる。今回貴女(あなた)は我らの客将(かくしょう)として参じて頂いている。あまり過分な事を言わぬよう注意して頂きたい」

「承知しました」

 

 穏やかに頷くが、オーズドとしては不安を隠しきれなかった。

 狂気は既に空間が歪んで見えるほど。

 

 一体全体、ユマ姫とミニエールに何があるのか? 帝国兵としてエルフを殺し回った過去でもあるのだろうか? 訝しむオーズドだが、ミニエールの方は尋常では無いユマ姫の様子に混乱するばかり、何の思い当たりも無いようだった。

 

「ご紹介にあずかりました。ミニエールです」

「……どうも」

 

 ユマ姫の声は、僅かに震えていた。

 ミニエールは緊張しながらも言葉を紡ぐ。

 

「テムザン将軍がユマ姫に会えたなら、言伝と。

 まず、大森林への侵攻があの様な惨事になったのは、本意では無いと」

「ッッ!」

 

 今更な言葉、ギリリとユマ姫が歯を食いしばる音が少し離れたオーズドまで聞こえそうな程だった。

 明らかな挑発。耐えてくれとオーズドは祈った。

 

「そして、あの様な悲劇を繰り返さないためにも早期の降伏を望むと」

「…………」

 

 次の言葉にユマ姫は無反応。下らないと鼻を鳴らした。

 

「それだけですか?」

「え、ええ」

 

 最後だったハズ。ミニエールがそう思いながらメモを確認すると、小さな文字で追記があった。

 ミニエールはこの時まで忘れていた。

 テムザンが最後、思い出した様に付け加えたひと言を。

 

「ああ、そうだ。最後に一つ。テムザン将軍が言っていました

 

 ユマ姫殿、貴女の髪を結える日を待ち望んでいると……」

 

 

 好々爺(こうこうや)が孫に語りかける様なメッセージ。

 だと言うのに、ユマ姫の反応は激烈だった。

 

 俯いて震えていたユマ姫が、突然に顔を上げた。

 そのまま、射殺す様な目でミニエールを睨む。

 

 その目には涙。

 

 ユマ姫は泣いていた。ボロボロと泣きながら、正気を失った瞳で睨んでいた。

 

「ッ!?」

 

 息を飲むミニエール。溢れる強烈な殺気に体が強張る。

 対するユマ姫はたった一言。

 

「死ね!」

 

 それだけ、それだけのひと言で、ホルスターの銃を引き抜いた。

 血相を変えて止めに掛かるシノニム。だが、間に合わない。

 

 ――パァァァン!

 

 銃声が響く。

 

 眉間を撃ち抜かれたミニエールがドサリと倒れた。

 

 死んでいる。確認するまでも無い。

 

「何を……? 何をしているッ! ユマ・ガーシェント! 答えろ!」

 

 我に返ったオーズドは、即座にユマ姫を押し倒す。

 

 その手から銃を奪おうとするが、ユマ姫はガッチリと握って離さない。

 ユマ姫の手はガクガクと震えていた。それでも銃を手放さない。

 

 ただ、ひたすらに死んだミニエールの髪を睨みつけている。

 

 髪はカツラだった。持ち主の頭部からズリ落ちても尚、透き通る金の髪は美しい。

 

 震える声で、ユマが叫んだ。

 

「それは、ママのだ! 母様の髪だ! 汚い手で触るな!」


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