死憶の異世界傾国姫 ~ねぇ、はやく、わたしを、殺して~ 作:ぎむねま
「本当にその格好で宜しいのですか?」
帝国陣内へ向かう途中、マークスに声を掛けられた。
メンツはタリオン伯、俺、マークス以下騎士団の皆様だ。
「くどいぞマークス、姫の意志は固い」
「これで良いのです、マークス様」
「ですが……」
まぁ、止める気持ちも解る。俺は例によって肩丸出しのドレス姿。この世界では刺激の強い格好だ。
っていうか、痴女同然である。
「私は、魔法で何人もの帝国兵を殺害しています。
すまし顔で当然の様に宣言する。我ながらクソほど無理筋だ。
なのに、マークスは「なるほど、そうですか」って納得し始めたんだけど?
ンな訳あるか! こちとら刺激しかねぇよ!
そんな感じで堂々歩いていたら、もちろん帝国の本陣から早馬が飛んで来た。
「待て! お前らは何者だ? 所属は? 答えろ!」
非武装とは言え、謎の騎馬隊が本陣に近づいたのだから当然である。
ソコにずずいと進み出たのはジジイ。
「ロアンヌの領主、タリオンを知らぬと申すか?」
「タリオン様? それに後ろにおわすはマークス様に、騎士団も? ご無事でしたか!」
「無論だ、それより敵陣からユマ姫を拉致してきた。テムザン将軍にお目通り願いたい」
なーにが「無論だ」だ、このジジイ! お前、死にかけてただろうが。
苛立ちながらも、俺達は早馬の案内で帝国陣内へと侵入する。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
で、テムザン将軍率いる、帝国の本陣へと案内されたのだが……万からなる軍勢の前線基地、流石にかなり広い。
その大きさだけで、王国軍よりもずっと規模が大きいと感じた。
だけど驚いたのはソコではない、なんと陣全体が少し低い、盆地みたいに作られていたのだ。
「ここは? 一体?」
跨がった白馬の上で、呆然としてしまう。
ゼスリード平原に、こんなに巨大な盆地があるとは聞いていない。
「
「マークス様、敬語はナシでお願いします」
ホント、コイツは脳みそ溶けてるのか? その点、ジジイの方がマシだった。
「元々は農業用のため池や用水路として造成したのだが、テムザン将軍が陣地へと改造したのだ」
「そうだったのですね」
コレはあまり良いニュースではない。
所詮は平原の中の急造陣地。一度勝負の天秤が傾けば、即座に決着するかと思ったが、違う。
コレは言わば、塹壕だ。銃で打ち合う戦いならば、中々厄介に違いない。現代戦を知らない爺さんだと高を括っていたが、想像以上に頭が切れる。
そんな俺達が案内されたのは、盆地の中で更に一段低い、すり鉢状の場所だった。
馬上から見下ろす景色は、まるでスタジアム。ソコには既に大勢の兵士がギュウギュウに集まっていた。
ガヤガヤと血気逸る兵士達の熱気がムンムンと伝わる。そんな場面に乗り込むハメに。
伝令が大声を張り、兵達を割って道を作る。さぁどうぞ、と言う事なのだろうが……怖い。
なんせ、俺にとっては見渡す限り、全員敵だ。万にも及ぶ、むくつけき男達の視線が、大胆に肩を晒した俺に突き刺さる。
帝国兵など恐るるに足らず。そう気を張っていた俺だが、獣染みた男達を前に、本能的な恐怖が勝った。
思わずたじろぎ、身が竦む。
そんな俺を庇うように、マークス達騎士団が隊列を組んで、堂々と歩みを進めた。
何事と兵士達が群がるが、騎士達は見事な陣形で俺を囲み、そんな無粋な視線を遮ってみせた。
中々に気が利いている。ちょっと前、王国兵に混じっていた時と、まるきり立場が逆転していた。だけども、騎士達に守られるお姫様みたいで、正直悪い気はしない。
守るべきお姫様としては、我ながら少しばかり狂暴だがな。
魔道具で拡声された声が聞こえて来る。どうやら、テムザン将軍が演説などをしているようだ。ゲイル大橋での敗戦は、かの名将にとっても計算外だったに違いない。立て直しに躍起なのだ。
まぁ
いよいよ拡声魔道具を手に、壇上で演説するテムザン将軍の姿が見える所までやって来た。
「我々は負けたのではない、負けたフリをして敵を誘い込む事に成功したのじゃ。その証拠に我々は先の戦闘で大きな勝利を手にしておる」
そのタイミングで、案内人からどうぞと声が掛けられた。演説の最中に、進み出ろと言う事らしい。
すり鉢状のど真ん中、騎士団に囲まれた俺は、いよいよ櫓の上のテムザン将軍を間近に見上げる位置にまで通された。
聞いていたが、かなりの年齢だ。七十過ぎに見える。ハゲ頭に真っ白な髭を蓄えた老人である。皺だらけの人相は如何にも人が悪そうだ。
なるほどな、コイツが使者に、母様のカツラを被せたか。
ギッっと睨めば、壇上のテムザンと目があった。
「ロアンヌの騎士団は敵陣に乗り込んだ挙げ句、捕虜となった? 違う! タリオン伯は無様に一騎打ちに負けて命を落とした? 違う! 彼らは敵陣に潜り込む事で、憎っくきユマ姫を捉える事に成功したのじゃ!」
言ってくれる! 全ては偶然。タリオン爺さんなんて、俺が居なけりゃ死んでいただろうに。
しかも、その無事を伝令に報せたのはついさっき。てっきり俺達を迎える為の集会だと思っていたが、ココまでの規模だと無理がある。
恐らくは士気を立て直す集会のさなかに、突如入ったビッグニュースだったに違いない。
なのに、これ幸いとアドリブで筋書きを作って、全ては戦略とぶち上げてみせるとは、噂以上にやり手のジジイだ。
それこそ罠の可能性だってあるだろうに。とんでもないクソ度胸。
……いや、ソレほど追い詰められていると喜ぶべきか?
俺の考えを余所に、会場のボルテージは上がり続ける。
「おおっ!」
「本当だ!」
「と、言う事は、あの、中心に居るのがユマ姫か?」
「子供じゃないか!」
「しかし、美しい!」
すり鉢状になった広場のど真ん中。白馬に乗った俺の姿は、流石にもう、隠しようもなかった。
正規に雇われた兵が大半と聞いたが、コレだけの人数だ、下品な声も少なくない。
「何だあの格好、丸出しカヨ! たまんねー!」
「おいおい、まるっきり痴女じゃねーかよぉ」
万に届こうかと言う兵士達の視線が一斉に突き刺さる。スフィールでも肩を晒し、背中を鞭で打たれたが、あの時とは視線の種類がまるで違った。
アレは憧れのお姫様がおイタをして、罰せられる場面だった。誰もが堕ちた姫君が罰せられる姿を期待していたとは言え、そこには最低限の節度があったように思う。
だけど、ココでの俺は、何人もの帝国兵を殺した憎き敵だ。
ある意味で、盗賊が捉えた女を品定めする視線よりもずっと野蛮だろう。なにしろコイツらは正義の名の下に堂々と、衆人環視の場で俺を嬲りかねない。
それだけじゃない、俺はこの世界で生まれ変わり、お姫様として常識や品性を叩き込まれてきた。肩を丸出しに晒し者にされるのは、今更だが、やはり恥ずかしい。
それが、万の野蛮な視線に晒されているのだ、流石に顔も赤くなる。
いや、普通に考えたら赤くなる前に、身の危険に蒼くなって震える場面だろうか?
だが、もう恐怖のネジは外れてしまった。ココまで来れば、ジタバタしても仕方が無い。
染みついたエロゲー脳は、万もの兵士に代わる代わる陵辱されるお姫様を想像して興奮すらしていた。
ドMかな? 知らんがな。なんと言われようが、ゾクゾクする程に興奮する自分を隠しようがない。
なんせ、敵なんて、野蛮であれば、ある程良い。殺すのも殺されるのも、躊躇しないで済むだろう?
犯したいなら、犯せば良い。
コレだけの人数を『偶然』に巻き込んで殺せるなら、上等じゃ無いか。
歯を剥き出して笑いそうになるのを口を押さえて必死に耐えるも、肩がプルプルと震えてしまった。
「大丈夫です、私が必ず守ります」
なんかマークスに心配された。恐怖に耐えていた訳では無いのだが。
俺は零れ落ちそうな涙を指先で拭って、微笑む。
「大丈夫です、マークス様の事、信じていますから」
「あ、ああっ! 勿論だ」
ナニが勿論なのか、全くワカランのだが? 一方で演説はクライマックスだ。
「勝利は近い、後は迷惑な客人を追い返せば
――オオッ!
勇ましいテムザン将軍の演説と、ソレに答えるときの声が、俺の笑い声を隠してくれた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その夜、テムザン将軍の幕舎には、湯気を出す程に怒り心頭の客人が訪れた。
「なんだと言うのだ! ユマ姫のあの扱いは!」
「落ち着くんじゃタリオン。アレはユマ姫を守る為でもある」
タリオン伯だった。
名うての老騎士もテムザンにとっては年下、とは言え貴族としても軍人としても重鎮である事に変わりは無い。テムザンとて無下に扱う事は出来ない相手だった。
「守るだと? 捕虜の姫君を檻に閉じ込めるなど! 我々の品位をこれ以上なく貶めて、それで守られるモノとは何だ!」
そう、捕虜として捉えたユマ姫を、テムザンは移動式の鉄格子に閉じ込めた。通常は木っ端の兵士を閉じ込めておく檻である。
貴人を捕虜にする扱いとして、まして女性の扱いとしては、前代未聞であった。
「姫と言っても、
「危ない事など何も無い、ユマ姫は今も騎士団が守っておる」
タリオンの言葉に、テムザンは内心舌打つ。ロアンヌの連中は、年端もいかない少女に完全に参っているではないか。
上手く行けばひと騒動起こせると、チャンスがあれば騎士団を逃がすように暗部に命じていたのは、他ならぬテムザンだ。
だが、余りにもすんなり脱出して、おまけにユマ姫まで攫ってきた。出来過ぎた話を鵜呑みにするほど、老将は素直ではない。
もはやロアンヌの騎士達は、ユマ姫に籠絡されていると判断する。
そして、ソレを真っ正面から指摘する程、愚かでもなかった。
「騎士団に四六時中見張らせる気かの? そりゃあ却って姫が可哀想じゃろ」
「だが!」
「それに、檻で囲っておけば、他の兵士には手が出せまい」
「そうは言っても、檻の中で姫は手洗いや湯浴みにも難儀しておるのだ」
ナニが湯浴みだと一喝してやりたい気持ちを押し止め、テムザンはユマ姫の危険性を問う。
「
「だが、姫は武器も何も持っておらんのだ」
「魔法じゃぞ? 武器など要らぬ。ソレこそお主の怪我を治す程の魔法がある」
「そんな危険な魔法は一度も見ておらん。何より、陣内で取り囲んだ女子一人に怯えるのは帝国軍人の名折れ」
ソレを言われるとテムザンも痛い。ユマ姫の魔法の実力は、テムザンも正しく把握出来ていなかった。ユマ姫の魔法は余りにも尾ひれが付いて広がっていて、信憑性が薄いと言うのが大方の見方。総大将が過剰に恐れては、兵に舐められかねない。
「解った。ユマ姫の扱いは考えておく。だが、今は
「必ずですぞ!」
憤懣やるかたない様子で、タリオン伯は踵を返した。
しかし、苛立ちに歯噛みしていたのはテムザン将軍も同じ。時刻は既に夜半過ぎ。戦場の朝の早さを考えれば、既に寝るには遅すぎる時刻である。
だが、テムザン将軍にはまだ仕事があった。
密かに放っていた暗部の細作から、敵陣の様子を聞かなくてはならない。
テムザンは戦況が膠着してから、多くの細作を放っていた。マークス達騎士団の救出もその成果だが、名声を欲しいままにする将軍にとって大っぴらに出来る事ではなかった。
燭台の明かりを落とし、小さなランプの頼り無い炎だけになった幕舎。モンゴルのゲルに近い様式は、この世界であっても遊牧民が好んで使うタイプの住居だ。
騎士団での強襲、高速機動戦を好んだテムザンの若い頃からの、唯一の名残と言って良い。
ゲルの天井、その真ん中は天窓代わりの通気口が大きく空いている。そこから音もなく入ってくる暗部の人間の技量に、テムザンは大いに満足していた。
この瞬間までは。
――ドサッ
らしくない潰れるような着地音。
実のところ、天窓から落ちてきたのは、まさしく潰れた死体だった。
「誰じゃ?」
半信半疑で夜の帳に尋ねる。いつの間にか、頼り無いランプの明かりも掻き消えていた。
その時、ちょうど天窓の真上に月が架かり、死体を踏みつけて佇む少女の姿を照らし出す。
「あっ、う!」
美しい。どんな絵画よりも。
月明かりに銀の髪が反射して、闇の中に輝く。まるで月の妖精。優しい微笑みでコチラを穏やかに見つめている。
しかし、美しい妖精は死体を踏みつけに笑っているのだ。
「来ちゃった!」
「ユマ姫か!」
その正体を看破したテムザンは、やはり流石と言うしかない。それほどに、目の前の存在の美しさは幻想に近く、実在の誰かに紐付ける事は難しかった。
なにより、この惨状で穏やかに笑うその姿は、尋常の存在からかけ離れていた。
上機嫌で、鼻歌交じりにテムザンに近づいてくる。まるで散歩道の様に。
「逃げないで」
「ぐぁ!」
ユマ姫はテムザンが取り出そうとしたナイフを奪うや、そのまま右手を貫き、執務机へと縫い付けた。
「おぬしッ! ぐぅ!」
叫ぼうとする瞬間、喉を押さえられる。
流れる様なユマ姫の動き。技術もそうだが、力だってテムザンを大きく上回っていた。
見た目通りの少女ではない。ユマ姫の噂を話半分に思っていたが、半分どころか倍にしても足りないと、この時ようやくテムザンは気が付いた。
「母様のカツラを届けてくれてありがとう。わたし、本当に感謝してるのよ」
にこやかに語る少女に、テムザンの背筋が凍る。
テムザンは正直な所、アレが王妃のモノだという確信があった訳では無い。なにしろ
ただ、証言と状況的に、その可能性もあると考えていた。特徴的なまでに美しい髪に、ユマ姫が何らかの反応を示せば儲け物と言う程度。
だが、そんな事をおくびにも出さず笑って見せるのだから、この老人も傑物だった。
「そうかそうか、気に入ってくれて何よりじゃ。お代を払いに来てくれたのかな」
「その通りです」
何時でも殺せるとテムザンの首筋を撫でながら、ユマ姫は微笑む。
「魔女は今、何をやっているの?」
「魔女? いや、知らんな」
テムザンは本当に知らなかった。興味がなかったと言っても良い。
エルフの国を陥落させたのは魔女の大きな手柄となったが、以降の作戦は大きく外れ、軍部での魔女の評価も下降の一途を辿っていた。
それでも、魔女は皇帝の覚えが良く。端的に言ってテムザンは魔女の事が気にくわないとまで思っていた。
「ふぅん。でも、アイツは危険よ。アイツが魔獣を操って世界の脅威になっている」
「そうか……ご忠告痛み入るぞい」
テムザンとてその話は聞いていた。
しかし、それで構わない。味方であるならばどんな脅威でも受け入れようと考えていたのだ。
「解ってくれて嬉しいわ。私は魔女を討つために、神に使わされた存在だから。アイツを殺せればそれで良いの」
「…………」
テムザンは、魔女を知っている。アレもまた、超常の存在だ。そんな奴らに国を良い様に操られている。根っからの軍人である老将にとっても面白いハズが無い。
「私が言いたかったのはそんだけ。じゃあね。サヨナラ」
「なに?」
ユマ姫の言葉を最後に、テムザンは意識を失った。
……翌朝、執務机に突っ伏した格好で、テムザンは目を覚ます。
「ぬぅ!?」
確認したのはナイフで貫かれたハズの右手。なのに、そこには怪我ひとつない手の平があった。握っても、開いても、痛みはない。
「夢……か?」
昨夜はタリオン伯のせいで、寝るのも遅くなりすぎた。暗部の人間を待つ間に、どうやら居眠りしてしまったらしい。
「老いたの……」
そう呟いた直後。テムザン将軍は執務机につけられた、真新しい傷跡を目にしてしまう。
「…………」
丁度そこは、昨夜、夢の中でテムザンが右手を縫い付けられた場所だった。
ぶわりと汗が噴き出す。前線での戦いを離れて以来、初めての事だった。
夢か、現実か? 錯乱したテムザンだが、思い至る。
暗部の人間。アレが夢でないならば、あの者はユマ姫に殺されたハズ。
調査依頼をしたためようと、机の中の便せんに手を伸ばす……瞬間。テムザンは机の一番下の大きな引き出しが、閉まりかけである事に気が付いた。
嫌な予感に、ゆっくりと引き出しを開ける。
「ぐぅっ!」
戦場の悲惨さを、嫌と言うほど見てきたテムザンすらも目を背ける。
引き出しに、ギュウギュウに詰め込まれていたのは、四角くなった人間だった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ユマ姫はどうした!」
テムザンは、即座にユマ姫を捉えた牢屋へと飛び出した。それをめざとく見つけたのは昨夜も顔を合わせたタリオン伯。
「テムザン将軍、ユマ姫を牢から出す気になりましたかな?」
「何を!?」
世迷い言を! と一喝しようとして、様子のおかしさに気が付く。ユマ姫は脱走していない?
「昨夜のユマ姫は? 何をしておった?」
「何とは? 檻の中、何か出来ようハズも無いではないか!」
閉じ込めておいてどの口でと、タリオンは不快感を露わに、逆に一喝してくる。
「檻からは出ていないのじゃな?」
「アナタが出そうとしなかったからでしょう!」
「…………ユマ姫は、昨夜、騎士団がずっと監視していたのかの?」
「そうですが?」
「時刻は? 夜半頃はどうじゃ?」
「夜半? 私が将軍の幕舎を引き上げたとき、姫は騎士団の協力で湯浴みを行っていました」
「湯浴み? その様子、誰ぞ見ているのかの?」
「何を言っておるのです?」
湯浴みを見る? あまりにあまりな言動に、ココに来て、タリオン伯はテムザン将軍の異様な様子が気になった。
「流石に貴婦人の肌を見世物には出来ません。檻を天幕で覆わせて頂きました」
それを聞いて、ぬぅとテムザンは唸るが、それを見たタリオン伯は不満げに鼻を鳴らした。
「まさか、少女に湯浴みすら許さないとおっしゃるのですかな? 帝国の誇る大将軍殿が」
「時間は? どれぐらい天幕は掛けられていた?」
「さぁ? 精々が四半刻程でしょうな」
四半刻。たったそれだけで? テムザンは昨夜の凶行を思い出す。
だとしたら、準備時間などまるで無かった事になる。
「ユマ姫と話がしたいのぉ。宜しいか?」
「勿論です、テムザン将軍も一度ユマ姫と会話するべきでしょうな」
「ふん」
テムザンは自慢の髭をなでて平静を装うが、隠しようも無いほどに緊張していた。
一方で魔法使いだからと、少女一人を恐れるテムザンに、タリオン伯は失望の色を隠さなかった。
「警戒しすぎでしょう。見ての通り、子供ですが?」
「どうかの? 昨夜、暗部の人間が殺された」
「それがユマ姫の犯行だと? 馬鹿らしい」
「朝起きたら、ワシの机には人間だった四角い肉塊が詰め込まれておったよ。他に、誰に出来る?」
「それは? 誰かに?」
「話したのは、暗部の人間だけじゃ。だが、間違い無く、仲間の死体だと。闇に生きる連中が、ハッキリと怯えておった。それほどの異様。お主も後で見せて貰うと良い。しばらく肉を食わんで済む」
「まさか!?」
タリオンにしてみれば、陣のただ中。指揮官の寝所に入り込み、死体を机に押し込むなどあり得ない行動だ。仮に出来たとしても、支離滅裂で意味が解らない。
まして、それをやったのが檻に囚われた年端もいかぬ姫と言われれば、正気を疑う他ない。
「馬鹿らしいではないですか。そんな事が出来るなら、開戦と同時にアナタは死んでいる」
「ワシなど眼中に無いのだろう。お主も来るか?」
「ええ。下らぬ勘違いを正してみせましょう」
二人は牢の鍵を受け取り、陣中に設えた牢の扉を開ける。
タリオンは兎も角、昨夜の事を考えれば、テムザンには神経がすり減る思いだった。だが、総大将が敵の姫を恐れ、鉄格子越しに話を聞くのは余りに体面が悪い。
「まぁ、大勢で、私に何用でしょうか?」
そこで目にしたユマ姫は、昨夜の様子とは全く違っていた。
少しやつれ、思い詰めた瞳には、亡国の姫の悲哀と決意が込められている。遊び半分に人を殺しそうな、殺戮妖精の如く、危険な化生の雰囲気は微塵も無い。
「何か困っている事は無いかと思っての」
言いながら、テムザンは必死にユマ姫の目を覗き込む。
長く生きて、必死に人間観察を続けた老将の目から見て、ユマ姫は貴人そのものだった。
「何も! 私には勿体ないぐらい、良くして頂いておりますので」
そう言って、恨みがましく無骨な鉄格子を見つめる。よくもこんな所に閉じ込めておけるなと、皮肉って見せたのだ。
「コレは手厳しいの。それで、昨夜の事じゃが……」
テムザンは幾つかの質問をするが、全く淀みなくユマ姫は答える。
テムザンの出した結論は、白。
昨夜見たのはユマ姫では無い。そう言う事になる。
「満足しましたかな?」
「うむ、うむ……」
納得行かないが、コレはいよいよ何かに化かされたかと牢を後にしようとしたテムザンだが、見上げた牢の一部が少し歪んでいる事に気が付いた。
「アレは? なんじゃ?」
「古い牢ですからな、錆も出てます。マークス達も、流石にココまで酷いオンボロに監禁されていた訳ではありません。まして姫を泊める場所では無いと申し上げたでしょう」
タリオン伯は勢い込み、オンボロの牢を強調するが……アレは、テムザンには、切断した後、溶接した跡にも見えるのだ。
しかし、まだテムザンには迷いがあった。
まさか、素手で鉄の格子を切断出来るのか? 魔法とはそんな事も可能なのか? そんな化け物とどうやって戦えというのだ。ましてや、溶接すらこなして元通りに戻して四半刻で戻るなど、そんな化け物が居るハズが無い。
それこそ、妖魔にでも化かされたのかと牢を出て、鍵をかけ直す瞬間。テムザンは見てしまう。
――フフッ
ニヤリと笑うユマ姫が、一瞬だけコチラに向けた笑顔。
間違い無く、昨夜の怪物の姿であった。