死憶の異世界傾国姫 ~ねぇ、はやく、わたしを、殺して~   作:ぎむねま

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終末世界の創造者

 スイングドアの扉が並び、オープンテラスを備えた店舗が軒を連ねる。街路は複数の馬車がすれ違える程に大きく、空気はカラリと乾いている。

 そんな西部劇を思わせる街並みの中、役場の前の広場では女性と子供達ばかりが寄り添う様に集まっていた。

 

 ここは、テムザン将軍が逃げ込んだ街、クーリオン。

 帝国側で国境に最も近い街であり、スフィールへ至る小さな宿場町でもある。

 王国との戦争とあらば、物資の供給地点としてクーリオンはちょっとした好景気に沸く。今回もそうだった。

 だけど、国境に近いのは良い事ばかりではない。勝っている時は良いけれど、負け戦となれば略奪に遭う恐れもある。街の人々だってそれは覚悟の上。いざとなれば皆で戦うのだと教え込まされ育つのだ。

 でも、それだって昔の話。ここ百年クーリオンが攻め込まれる事は一度も無かった。

 騎士達がゼスリード平原で鎬を削り、その結果で身代金やら賠償金が出たり入ったりして、それで終わり。そんな平和な戦争がここ百年続いていた。

 去年の戦争だけは規模も大きく、悪魔を見たと震えあがる兵隊が何人も逃げ込んで、街はパニックに陥ったが、それでも戦争としては負け戦ではなかったらしい。攻め込まれる事は終ぞなかった。

 

 そんなクーリオンに今、百年ぶりの凶事が起ころうとしていた。敵が目前まで迫って居ると言うのだ。

 なんと帝国は万の軍勢を一方的に虐殺されて、逃げ出したテムザン将軍はクーリオンのそばに陣取り、反撃の機会を窺っているとか。

 ……少なくとも、街の人々はそう聞いていた。

 

 全ては魔女の裏切りが原因。大将軍の言葉とあっては、疑う者は誰も居ない。

 男達は槍を手に立ち上がり、女達は何も言わずに中央へ逃げ出す準備を始めた。

 逃げると言ってもどうやって? この時代、それはもちろん乗合馬車となる。

 

 ここは街の中央に位置する役場の前。集まった女や子供達は迫り来る凶事を前にして、手配した馬車を今か今かと待っていた。

 

 そして、正真正銘の凶事が始まったのは、今、この時。この場所で、だった。

 

「がああああ゛あ゛あ゛あ゛」

 

 まだ幼い少年が突然、実の母親に齧り付いたのだ。

 いたずらや癇癪では決してない。その証拠に少年はそのまま母親の首筋を、()()()()()

 

「きゃあぁぁぁぁぁ!」

 

 狂乱はあっという間に広がった。他の者まで次々と人間に齧り付いたからだ。

 

「な、何だコレは……」

 

 呟いたのはテムザン将軍直属の騎士。村人の護衛に駆り出され、退屈な仕事と思いながらも決して油断してはいなかった。だが警戒していたのは敵兵だ、守るべき市民が暴れ出すとは夢想だにしていない。

 まさに地獄絵図。我が目を疑う光景に、歴戦の猛者と言えども数瞬、呆然としてしまったのは責められぬ事だろう。

 だが、その瞬間を見逃さない生き物がいた。

 

 ――ガルルルル!

 

 犬だ、引退した狩人の狩猟犬。既にペット同然で野生を忘れかけていた犬が、狂った様に飛び掛かり、一瞬の内に騎士の首筋を噛み砕いたのだ。

 

「ぐがっ」

 

 血を吐き、倒れる。伸ばした手は剣を掴む間も無くだらんと垂れた。

 この騎士は、あの、すり鉢状の帝国陣地から命からがら逃げ出した騎士の一人。実力以上に、人一倍運が良い事で鳴らした男だった。

 現に迫撃砲と狂戦士が暴れ回り、ユマ姫が踊る地獄同然の戦場。生き延びてテムザン将軍と脱出してみせたのだから、流石の剛運と言うべきだろう。

 

 だが、抜け出した先には、更なる地獄が待っていたのだから、さしもの剛運もネタ切れとなるのは無理もない。

 

 這々の体で逃げ帰った騎士達を温かく迎えてくれた活気溢れる街。

 その街が、あっという間に人肉を貪るバケモノ達の巣窟と化していた。

 

 もし、地球の現代人がこの光景を見たらこう言うだろう。

 まるでゾンビ映画みたいだね……と。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

「敵はクーリオンにあり!」

 

 鈴を転がす可愛らしい声ながら、少女の言葉は勇ましい。

 拡声器で響いた声を聴くだけで、士官も農兵も区別無く色めき立ち、熱に浮かされ声のする方を目指し駆けていく。

 

 少女の姿が見える場所は、より顕著だ。

 白馬に乗った麗しき少女は、しかし、目を疑う程に破廉恥な姿を晒していた。

 扇情的な網タイツに、股間に食い込むハイレグ、隠す気の無い滑らかな肩、どれもが脳を揺さぶる程に過激である。

 なにより凄いのが、丸ごと曝け出された背中だ。鞭の傷跡が痛々しく、後ろに続く兵達の視線を釘付けにして同情心と嗜虐心を煽った。

 それでいて、見た事も無い構造の少女の靴は、鋭く尖った踵に踏まれてみたいと被虐心まで煽るのだ。

 

 少女は叫ぶ。

 

「我に続け! 我は神の代弁者なり!」

 

 ユマ姫だった。

 

 白のバニー姿は兵士のまともな思考能力を根こそぎ奪ってしまった。万を超える兵達がテムザン将軍の首を求めて駆けていく。

 そもそもが、素肌を晒すのが破廉恥と言われる世界である。暑さが厳しいプラヴァス以外では、首元や手首ですら隠すのが貴婦人の嗜み。だからこそ、フォーマルな襟や袖口は貞淑の象徴であった。

 なのに、バニースーツはその襟と袖口だけを挑発的に素肌にぶら下げて、腕や背中、この世界でエロスの象徴たる肩すらも丸出し。

 意味不明なギャップはこの世界で、より強烈に作用した。

 ピンヒールや網タイツ、うさぎの付け耳に至っては、そもそも存在すらしていない。

 それだけではない。エルフ特有の長い耳に大きな瞳、華奢な体に鞭の傷跡。更には見た事も無い大剣を振り回し、人を両断して、返り血に染まったままに微笑んでみせる白馬に乗ったお姫様。

 ココまで来ると、刺激に満ちた地球でもお目にかかれない。映画もない世界とあらば尚更である。

 

 訳が解らない程に強烈な刺激を突きつけられた上で『我は神の使い也』と言われれば、持て余した感情に逆らう術を持つ者は殆ど居なかった。

 

 今だってそうだ、白馬に乗った白バニーガール姿の銀髪の少女が、透き通る様な大剣を掲げ、軍の先頭を駆けている。

 フィクションでも外連味(けれんみ)が過ぎる光景を目にすれば、夢と(うつつ)の判断がつかなくなるのも当然である。

 

 しかし、こんな熱に浮かされたような行軍は危険だ。当然、司令官であるオーズド伯は止めようとした。

 

 いや、今もしている。

 なれど、オーズド伯がいくら叫んでも誰も止まらない。軍全体が狂った獣に成り果てていた。

 

 移動司令部となっている装甲車の中で声を張るオーズドを横目に、シノニムが訴える。

 

「止められないのですか? キィムラ様」

「そう言われましても……」

「こんな専横を許しては、姫様は本格的に王国で居場所を失います」

「……その事なんですが」

 

 木村はポリポリと頭を掻いて、説明する。……手遅れだ、と。

 当然、シノニムは食って掛かった。

 

「手遅れとはどう言う意味ですか? キィムラ子爵!」

「そもそもが、ユマ姫はやろうと思えば一人で敵の大将首を取って帰る実力がある。その事はご存知ですね?」

「……はい」

 

 シノニムは昨年の戦にも参加して、雷に打たれたユマ姫を看病している。

 では、何故ユマ姫は雷に打たれたか? 空を飛んで、魔法の矢を撃っていたからだ。天気にさえ気をつければ無敵の戦法と言える。

 

「しかし、無敵であるが故に、王国貴族も明日は我が身と冷静では居られなくなった」

「その通りです!」

 

 シノニムは力強く頷く。

 ユマ姫が王国に来てからと言うもの、貴族の変死が相次いでいる。例えばユマ姫を嘘発見器に掛けたルワンズ伯だ。

 ルワンズ伯は、パーティーの最中に見せしめの如く撃ち殺された。

 勿論犯人はユマ姫だ。しかし、氷の矢を使った完全犯罪。疑えど、証拠など何も無い。

 しかし、魔法の矢の存在が明るみに出るにつれ、誰もが犯人に気が付いてしまった。

 それでも、圧倒的な人気を誇るユマ姫に、表立って文句が言えないだけなのだ。

 

「まして、司令官の首だけ刈り取る戦法は、戦争の止め時を失わせる。人間同士を潰し合わせるつもりなのだと不信感が強くなる。それがユマ姫を戦争に参加させない理由でした」

「ですから! 軍の先頭を駆けるなど!」

「しかし、手遅れなんですよ」

「どうして……?」

「アレだけの兵を操ってみせたからです。オーズド伯の声すら届かぬ程にね」

「うっ!」

 

 魅力のみで幾千の兵を寝返らせる存在など、危険にも程がある。

 まして敵だけでは無く、味方さえも冷静さを失い、叫び続けるオーズド伯を無視している。

 

「しかし、姫がそうしなければ、我々は捕虜の兵士を虐殺する必要があった。私には、そして、恐らくはオーズド伯にもその覚悟が無く、結局はユマ姫がもたらす奇跡に縋ってしまった。その時点で何も言う資格がありません」

「…………」

 

 シノニムはやるせなさに膝を握って俯いた。

 思い詰めた侍女の肩を叩いて、木村は励ます。

 

「こうなったら、行く所まで行くしかありません。私の優柔不断が原因ですから、必死でフォローしますよ」

「ですが……」

 

 シノニムは不安げに外を見る。熱に浮かされた軍勢は一体ドコへ向かうと言うのか?

 このまま皆、世界の果てまで死の行軍を続けそうな予感に、不安ばかりが胸を締め付ける。

 

「安心して下さい、クーリオンは先行した田中が探っていますから」

 

 木村がそう励ました途端、コンコンと外から装甲車のドアを叩く音。

 

「オイ、ヤベぇぞ?」

「田中? なんでココに居んの?」

 

 いつの間に、窓の外にはバイクで併走する田中が居た。

 

「ンな事より、ヤベェ」

「何がよ?」

「クーリオン、ゾンビだらけになってっぞ!」

「マジかよ……」

 

 必死でフォローすると言った事、木村は早くも後悔していた。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 俺はクールな美少女を演じていた。

 クールなフリして、コレが当たり前ですって顔して、恥ずかしいバニー衣装をノリと勢いで誤魔化そうとしていたってのが正しいか?

 

 しかし、そのクール系美少女の仮面が剥がれようとしていた。衝撃のあまりあんぐりと口が半開き、見間違いを願ってムムムッと眉根を寄せて目を凝らすが、どう見ても現実!

 

「なにこれ……」

 

 そこには元気に走り回るゾンビ達の姿が!

 なんでだよ! ファンタジー世界だろうが!

 

「人間が、人間を……喰ってやがる!」

 

 隣でしょぼくれた中年が苦々しく呟く。このオッサンはグリダムス。俺に踏まれて寝返った帝国の将兵だ。

 こんな顔してかなりのやり手らしく、コイツが率いるグリダムス隊はあらゆる状況で戦果を出す事で知られているんだと。見た目は完全にエロ親父って感じなのにな。

 いや……本当に寝返ってくれたのかな? スケベなオッサンキャラってヤツは食わせ者って相場が決まっているんだ。それがSM紛いのアレで俺に心酔するかって言うと怪しい様な……

 

「あ゛、う゛ああア゛!」

 

 なんて事を考えて、現実逃避してる場合じゃないな。ゾンビ達の声は悍ましい。

 目の前には、実の母親だろう女性に、一心不乱に齧り付く少年の姿。帝国の人間などみんな死んでしまえば良い、と世界を呪った俺にしたって気持ちが良いモノじゃない。

 

「どうなってやがる……」

 

 呆然とするグリダムスのオッサンを放置して、俺はスタスタと歩みを進める。

 

「おい! 待て!」

 

 後ろから必死に呼び止めるオッサン。ひょっとして肩を掴まれ止められると思ったが、俺の肩に触ろうとして、空を切ったのが気配で解った。

 まぁ、アレだよな。バニーガールの剥き出しの肩って触るの躊躇するよな。

 そんな隙を突いて、俺は母親を貪る少年の背後に立った。

 

「ごめんなさい」

 

 なんとなく謝って、一突きに少年の頭を破壊した。お父様譲りの王剣は流石の破壊力。

 パタリと倒れた少年はもう動かない。

 正直、スッキリした。目を覆うような光景に心を痛めたので、自分が優しくなり過ぎたのかと、復讐を忘れたのかと思ったがそうでもないようだ。

 そうだよな、やっぱり殺すにしたって自分の手で殺った方が良い。病で苦しんで死んだとしても、俺の心が晴れる訳じゃない。

 俺はジッと少年の死体を見つめる。

 

「無茶をするんじゃねぇ、そんなのは俺達でやる」

 

 そしたら、肩を掴んで下がらせられた。オッサン、やっぱり俺の肩を掴みたかった模様。

 しかし、オッサンの顔は苦り切っていた。人の肩を鷲掴みにしてその顔はなんだ、もっと嬉しそうにしろ!

 ……まぁ、どうせ俺に嫌な役をさせたとか思っているのだろう。俺が考えていたのはもっと重要な事だ。

 無造作に少年に近づくオッサンに警告する。

 

「気をつけて下さい、動くかも知れません」

「馬鹿言うんじゃねぇ! 頭を割られて動けるかよ! クソッ!」

 

 今さら恥ずかしくなったのか、オッサンの顔は赤い。頭を掻きむしり、声を荒らげて反論してくる。

 この過剰反応、コイツ童貞か? 照れ隠しにしても度を超している。俺は呆れて指差した。

 

「いえ、そっちでは無く……」

「ガァァァァァッ」

「ソチラの女性です」

「なっ?」

 

 立ち上がったのは少年に囓られていた母親だ。鼻も、頬肉も、胸も欠損し、腹からは内臓が零れる有様で、それでもグリダムスへ牙を剥いた。

 

「な、何だこりゃ!」

 

 言わんこっちゃない。ゾンビらしく組み付いて齧り付こうとする女性をグリダムスは必死に引き剥がそうとして……剥がせなかった。

 

「なんて力だ!」

 

 ゾンビだからね、力も強そうだ。

 抱きつく女性は欠けた体を引き摺りながら、それでも軍人であるグリダムスの膂力を上回る。

 下手に助けるとまたオッサンのプライドを刺激するかと静観していたが、そろそろ助けた方がよさそうか?

 

「クソッ!」

 

 しかし、オッサンも()る者。腰のナイフを引き抜いて、ゾンビの首筋から脳髄までを突き刺して、事なきを得た。評判通り、ソコソコやるね。

 

「ハァハァハァ」

 

 しかし、汗だく。必死も必死だ。やっぱりゾンビは力が強い。

 そう、コレはもうハッキリとゾンビだろう。だったら対処は決まっている。

 

「ゾンビは頭を壊せば動かなくなります」

「ゾンビってのは? アンタ、なんか知ってんのか?」

 

 クール演技の続きで、さも知ってる風に言ってみたけど、真顔で知ってるかと聞かれるとあら大変。全く知りませんね。

 かといって、今さら何も知らないとか言うと台無しである。ここはお得意の小首を傾げる可愛い仕草で押し通るッッ!!

 

「さぁ?」

「さぁって……」

「大体、そういうモノです、見ての通り力が強く、痛みを感じない。そして、その体液、危ないですよ。口に入ったりするとアナタもゾンビになるかも」

 

 無邪気な様子でつらつらと語ってみせる。俺はただゾンビについて聞かれたから、前世のゾンビ知識を披露しただけ。いいね?

 自信満々の俺の様子に、オッサンは顔が引き攣る。

 

「冗談だろ?」

 

 いいえ、映画の話です。俺は自信満々に宣言する。

 

「それに、噛まれれば、噛まれた人間もゾンビ化します」

「何だそれ、説明してくれ」

 

 コッチが説明して欲しいが、ココは押し切るしかない。

 激昂するグリダムスを無視して、俺は背後に向けて号令した。

 

「総員、戦闘準備!」

「ハッ!」

 

 号令ひとつで、控えていた『ユマ姫親衛隊』が一糸乱れず整列する。誰も俺に疑問など口にしない。

 ……コイツら、流石に良く調教されてるな。今まで無茶に付き合わせ過ぎたとも言えるが。

 皆ココで言う通りにしないと、俺が好き勝手に暴れると知っている顔だ。本気で俺の身を案じている。

 

 いや、……良く見ると案じているのは俺の身と言うか、体か? やたらチラチラと見て来るじゃないか。

 何と言うか、表向きには大した権力もない俺の親衛隊に志願したとか言う時点でどうかと思っていたが、いい歳して全員が俺に夢中である。

 元々そんな傾向はあったが、何と言うかバニー衣装を着てから若干目が怖いまであるんだよ。

 特に隊長のゼクトールさんとか。真面目な顔をしてガン見しているの、とっくに気が付いてるからね。

 

「敵はいずこに?」

「間もなく」

 

 その視線、クール演技の途中でなければドン引きしている所だ。

 なんか勢いで「間もなく!」とかクールに言い切ったら、ゾンビはホントに街中からワラワラと沸いてきたので助かった感ある。

 でも、現れたゾンビは街の住人の姿じゃないのが気になった。重装備である。

 

「テムザン将軍の親衛隊。コイツらもかよ」

 

 吐き捨てる様にオッサンが毒づく。かつての同僚、エリート騎士の変わり果てた姿にショックを隠せていない。

 彼らはボロボロの体を引き摺り、武器も持たず、フラフラとコチラに近寄ってくる。しかし、防具は着けているので倒すに厄介だ。力は強いので組み合ったら危ない、俺はゼクトールさんに宣言する。

 

「近寄らせるな! 槍で押し止め! 頭を狙いなさい!」

「ハッ! 総員、聞いたな! 傷ひとつ負うな! 数人掛かりで刺し殺せ!」

「オイ、正気かよ!」

 

 グリダムスは慌てるが、まさか助けようとか眠い事言う気か? お前も殺すぞ?

 俺はグリダムスの瞳を覗き込む。

 

「何か?」

「何って、噛まれたら伝染(うつ)るんだろ? 治せンのかよ?」

 

 なるほどね、同僚を殺すのが嫌なのではなく、正体不明の怪物と戦って、自分もゾンビになるのが嫌だと? 思ったよりもマトモだが、マトモだったら戦場に来ないで家で寝てろ。

 

「治せません、見た事もない症例ですから」

「なっんだと!?」

「ですから、もしも正気を失ったなら……私が殺して差し上げます」

「はっ? オイッ! ふざけんじゃねぇ」

 

 グリダムスは食って掛かる。

 コイツ面倒くせえな。俺に殺されるのと、槍に突かれて死ぬのとどっちが良い? どう考えても俺に殺された方が良いだろ!

 

「嫌ですか?」

「…………」

 

 真っ正面から問えば、グリダムスは言葉に詰まった。初心なオッサンなど俺にかかればこの通りよ! ヤケクソにグリダムスは部下達にハッパを掛ける。

 

「ちっくしょう! やるぞ! おまえら!」

「銃だ! 距離を取って攻撃しろ! 頭を狙え!」

「槍だ! 絶対に近寄らせるな!」

 

 そうして、地獄での戦闘が始まった。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 圧巻である。一時間後、街の広場には頭が潰れた死体が山の様に連なっていた。

 変わり果てたとは言え市民に武器を向けられない者が多い中、親衛隊はもちろん、グリダムス隊も結構活躍した。大した被害も出していない。

 流石は帝国騎士と言ったトコロか。多少は力が強くても、武器も持たないゾンビでは、訓練した兵の連携に敵うはずもなかったって訳だ。

 しかし、どんなに怪我を負っても動き続ける亡者の姿は兵達の心に少なく無い衝撃を与えた様だ、雰囲気が暗くて仕方が無い。

 

「…………」

 

 特に陽気なエロ親父だったグリダムスがこの街に来てからシリアス一辺倒。昨日、俺に踏まれて喜んでたとは思えない。

 暗い顔をしていたので、お尻と耳をフリフリしていたら声を掛けられた。

 

「おい嬢ちゃん。噛まれちまったんだが、アンタは俺を殺すのかよ?」

 

 あー噛まれてたかー。そりゃシリアスにもなるわ。仕方無いね。で、どうなの?

 

「それで……」

 

 ずずいと近づいて問いかける。

 

「アナタは死にたいのですか?」

 

 ニッコリと微笑む。すると気圧されたのか本心を絞り出してきた。

 

「いや、俺は生きてぇ」

「そうですか、では……」

 

 俺は呪文を唱え、傷ついた患部に手をかざす。するとみるみる傷が塞がった。

 

「オイ、マジかよ」

「ええ、あなたは()()、死なない」

 

 運命光がまだある、噛まれただけでゾンビ化するなら、コイツはもう詰んでいるハズだ。それが消えてないのだから、多分ゾンビにはならない。……多分な。

 

「本当、かよ……」

 

 でも、自信満々に断言する俺にグリダムスは涙目で喜んでいる。

 

「噛まれただけでは感染しないと言う事でしょうか……」

 

 一方で、俺はそんな事を気持ち大きめに呟いて誤魔化した。

 「噛まれたら感染するって嘘じゃねーか!」と冷静に文句を言われたら困るからだ。俺の知っているケースとちょっと違うな的な空気でけむに巻く作戦であった。

 

 誤魔化す様に視線をフラフラと彷徨わせる。

 そこで俺は待望の捜し物を発見する。特徴的な運命の輝き、それが今や消えかけている。

 

「良かった……コレで晴らせる」

 

 ルンルン気分で俺は街中に踏み込んだ。

 

「彼らの無念を」

 

 呟いて、俺は母パルメのカツラを取り出した。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

「何故じゃ、何故こんな事に……」

 

 テムザンは小さな物置の中に逃げ込んでいた。

 

「突然、バケモノになるなど……アレが魔女の力なのか?」

 

 食事を終えてしばらくした後、突然に兵達が苦しみだした。毒を疑い安静を命じたが、彼らは目を覚ますと同時に輜重隊(しちょうたい)を襲撃したのだ。

 獣の様に糧食(りょうしょく)を喰い漁ると、次は人間の番だった。

 見た事も無い悪夢……いや。

 

「魔力の崩壊か……」

 

 大森林に攻め入っては大損害を出し続けた帝国故に、テムザンには知見があった。

 人間が魔力が濃い場所に行くと、体調を崩す。腹を壊したり、集中力を欠いたり様々だが、その症状のひとつが異常食欲だった。

 テムザンも若い頃、食欲に我を忘れた同僚を見た事がある。

 

「食事に何か混ぜられた? いや、霧か?」

 

 食事の前に、この地方では珍しい霧が立ちこめていた。アレはひょっとして霧の悪魔(ギュルドス)の霧ではなかったか?

 霧の悪魔(ギュルドス)の霧は人間には無害と思っていたが、そうでは無いのかも知れない……

 

「今更か……」

 

 部下も死に絶え、生き残る術が無い。

 

「しかし、ココで生き残れば……」

 

 却って良かったかも知れない。無惨な敗戦の顛末を知る者は誰も居なくなった。

 ユマ姫に怯えた末に、魔女の罠に嵌まった事はテムザンの不覚である。

 まだテムザンの知名度を使えば巻き返せる。まずは魔女を討伐し、その首で王国と一時的に和平を結ぶ。

 その立役者になれるのは自分だけなのだと、テムザンは自らに活を入れた。

 その時、小さな扉が開かれ、物置に強烈な光が差し込んだ。

 

「生きていましたか、テムザン将軍」

「お主は!」

 

 輝く金髪のカツラに、彼女しか乗る事が出来ない輝く毛艶の白馬。見事に着こなした帝国の軍服が、逆光の中でも優美に輝く。

 使者として見送った、あの日のままの姿であった。

 

「ミニエール! 生きていたのか」

「勿論です、仇を討つまでは地獄には行けません」

 

 勇壮な物言いもそのままに、颯爽とコチラに手を伸ばす。

 

「おおっ」

 

 テムザンは伸ばされた手を取る。逆光で顔が見えないが、まさしくミニエールの声、姿であった。

 その手にはロアンヌ地方独特の、シンプルな鉄の槍。

 

「そうだ、一緒に討とうではないか! しかし敵は多いぞ、まずは魔女、そしてユマ姫」

「その前に、ひとり」

「なに? 誰じゃ?」

 

 ミニエールは首を傾げるテムザンを左手一本で引き上げる。

 そして、右手には鉄の槍。

 

「あなただ、テムザン」

「ガッ!」

 

 鉄の槍がテムザンの胴体を貫く。

 目の前に迫ったその顔は、果たしてミニエールのモノでは無かった。

 

「ユマ姫! どうして!」

 

 ユマ姫は帝国の軍服に身を包み、ロアンヌの槍を持っていた。

 

「オマエはアイツらの仇だろう?」

 

 その為だけに着替えてきた。光の位置を調整し、魔法で空気を震わせ、声まで偽装した。追い詰められた老人が相手、それらはユマ姫が期待した以上に上手くハマった。

 貫かれたテムザンが良く見れば、その槍はまさしくタリオン伯が愛用していたモノだった。

 

「ゴホッ!」

 

 盛大に血を吐く。年老いたテムザンに、腹を貫く槍傷は間違い無く致命傷。しかし、それでも諦めず生き足掻く。

 

「お主は怪我を治せるそうだな!」

「だから、何です?」

「治せ! 教えてやろうではないか! 今起こってる現象を!」

「ええ、教えて貰いましょう」

「ならば!」

「アナタの、体に!」

「なに!?」

 

 テムザンは勘違いをしていた。ユマ姫は既に回復魔法を使っているのだ。

 槍で、腹を、貫きながら!

 そして、同時にテムザンの体内の魔石を砕いた。

 

「ぐ、が、げああああ」

 

 テムザンの体が跳ねる、痛みと苦しみ、それ以上の食欲に。

 

「喰わせろぉぉ」

 

 ましてや、目の前には極上の肉がある。柔らかな肉のウサギが踊っている。

 ユマ姫は既に軍服を脱ぎ捨てて、挑発的に目の前でくるりと回って見せた。

 

「やっぱり、魔力を奪ってから、魔石を砕く。すると魔力が欠乏して、食欲が暴走するのですね」

 

 ユマ姫はその身をもって、魔力のバランスが崩れると異様なまでに食欲が増す事を知っていた。

 魔力過多の幼少期は常に肉を求め、魔力不足の王国ではお菓子を食べ漁った。

 霧の悪魔(ギュルドス)に魔力を奪われた大牙猪(ザルギルゴール)は食料を求めてユマ姫の乗った馬車を追いかけ回し、恐鳥(リコイ)は村で、ゼスリード平原で、ユマ姫を再三襲った。

 良く考えれば、それらは余りに不自然。一度なら兎も角、回数が多すぎる。全ては食欲に支配された行動だった。

 

 全ては魔力の体内バランスが崩れたのが原因だ。

 元々、魔獣やエルフはエネルギーの一部を魔力に依存している。

 人間は魔力が無くても動けるが、それでも魔力を利用する事で地球よりも少ない食料で生きているのだ。

 だが、魔力を奪われた上で、体内の魔力結晶すら砕かれればそうも行かない。

 まずは霧で魔力を奪って、食事に魔石でも混ぜれば、急な魔力の緩急に体調を崩し、下手をすれば魔石が破壊される。

 そうなれば、魔力が溜めておけず、ひたすらに食事と魔力を求め、人間はゾンビと化す。

 

「でも、何が狙いなのかしら。戦力にするなら麻薬でドーピングした方が強いのに。どう思います?」

「がああぁぁぁぁ」

 

 ユマ姫が尋ねても、既に正気を失ったテムザンは答えない。

 腹を貫かれても、ゾンビ化すると中々死ねない事は確認済みだ。

 

「じゃあ、そこでゆっくり腐っていってね♪」

「ぐがぁぁぁ」

 

 槍で地面に縫い付けられたテムザン。槍の石突にユマ姫が引っ掛けたのはマークスの兜だった。

 

「ごゆっくり」

 

 そう言って、ユマ姫は物置の扉を閉めた。

 そうして小さな暗い物置が、帝国の大将軍テムザン最期の場所となる。


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