死憶の異世界傾国姫 ~ねぇ、はやく、わたしを、殺して~   作:ぎむねま

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もしも、世界と心中出来るなら2

『ヘタレが!』

 

 俺は木村に言い放つ。

 星獣の『坊や』に取り込まれた俺の意識は、首を絞められたショックで覚醒した。そして目を開ければ目の前に迫る木村のキス顔。

 コイツの事だ、人工呼吸をしようにも踏ん切りが付かず、まごついて居たに違いない。本当に気持ち悪いし、ヘタレた男である。

 だが、コイツとの思い出が俺の意識をつなぎ止めてくれたのは事実。

 意識を取り戻した俺が放った照れ隠しのひと言は、しかし圧倒的な質量に掻き消される。

 

<<<<<< 坊やあぁぁぁぁぁ >>>>>>

 

 地下から凄まじい魔力の波動が吹き出して来たからだ。

 

「ぐっ!」

「ああああ!」

 

 強烈な意志を纏った魔力と言えど、凡人ならば感じもしないだろう。

 されど下手に感覚が鋭い田中とシャリアちゃんには重大事となる。二人揃って頭を抱え、蹲る。

 一方で俺は大丈夫。魔力の感受性と言う意味で言うなら二人より俺の方がずっと敏感なのだが、俺は『坊や』の記憶から、魔力に込められた意志が理解出来る。だから不快ではない。

 日本語の叫びより、理解出来ない外国語の囁きがうるさく感じてしまう現象に近いだろうか?

 

「あぶぶぶ」

 

 いや、意味不明なうわごとをあげ苦しんでいるのは、ゼクトールさんと生き残った親衛隊の男も一緒であった。これは?

 

 霧で魔力を奪われた後、突如強烈な魔力を押し付けられた。

 

 寒暖差に体が悲鳴をあげるように、魔力の差も体に毒。どうもコチラの影響の方が大きそうだ。

 そう言えば、俺は魔石を囓ったりして強烈な魔力差に慣れている。

 だとしたら、この場で動けるのは俺と、十分に健康で、良い意味で鈍感な木村。そして……

 

「ヒヒヒ、形勢逆転ね」

 

 狂った様に笑い続ける魔女だけだ。

 言うに事欠いて何が形勢逆転だ! 俺と木村、二人も居ればお前を殺すに戦力十分。

 凝った口上は不要。俺は無表情にジャケットから銃を抜き撃つ!

 

 ――パァン!

「グッ!」

 

 命中! 魔女は蹲る。だが、恐らくは服が防弾なのだろう、予備の小型拳銃では威力が足りない。弾も一発のみ。

 それでも、木村が追撃すればそれで終わり。なのに、木村は動かない。

 

「マジィぞ!」

「えっ?」

 

 叫ぶ木村に袖を引かれて、俺の姿勢がよろめき崩れる。

 

 ――パァン!

 

 抱き寄せられた先で聞いたのは、乾いた銃声。もちろん俺や木村のモノでは無い。ましてや蹲る黒峰のモノでも。

 

「シャリア、ちゃん?」

 

 俺に銃口を向けていたのはシャリアちゃん。彼女が銃を俺に、撃った? なんで?

 木村が袖を引っ張っていなければ、俺は死んでいたに違いない。

 

「うぁぇ……」

 

 シャリアちゃんだけじゃない、呻きながらも立ち上がった田中、刀を構える先は……俺だ。

 

「やっと、隙が出来たわ」

 

 ケラケラと不快な笑い声。薄暗い洞窟で、黒峰の義眼が赤く揺らめく。

 洗脳! コイツ! この期に及んで! だけど、黒峰を、魔女を殺せば!

 突撃しようとする俺の首に、再び自在金腕(ルー・デルオン)が巻き付いた。

 

「ぐぇっ!」

「待って下さい! 殺せば洗脳が解けるとは限らない、一旦引きましょう」

 

 何を弱腰な! キッと睨むが、酷く冷静な木村の瞳とぶつかった。沸騰した脳みそが少し冷える。木村の判断も一理ある。星獣と、洗脳、ネズミに、ゾンビ化。

 こうなればもう、何が起こるか解らない。ならば逃げるのも一つの手。これ以上留まれば、『偶然』をもたらす俺の魂で…………ぐちゃぐちゃになって、みんな死ぬ!

 それを知ってか知らずか、黒峰は楽しそうに、笑い続ける。

 

「逃がさないわ!」

 

 声に応じ、回り込んだ田中が俺と木村の退路を塞いだ。

 絶望的な状況。背後からは駆け込んだシャリアちゃんが木村に斬り掛かる。

 

「クソッ、正気に戻れよぉ!」

 

 転がるように避けた木村と、離れ離れに。

 木村は自在金腕(ルー・デルオン)を銃に巻き付け、ファンネルみたいに動かすが、四方八方からの銃弾をシャリアちゃんは踊るように躱してみせる。

 状況は悪くなる一方。俺にはもう守る者もなく、武器すら無い。そんな俺に、刀を構えた田中がゆっくりと歩を進める。

 何度も俺の命を救ってくれた最強の剣士が、魔法も使えぬ丸腰の俺に迫っていた。

 

「殺さずに足を斬りなさい!」

 

 黒峰の言葉に頷いて、田中は刀を低く構える。

 足を? 何故だ? 何故俺を殺そうとしない? 俺を生かせば『偶然』に巻き込まれて黒峰だって死ぬかも知れないのに。コイツだって神からソレぐらい聞いているハズだ。

 

「アナタは贄よ、星獣の!」

 

 黒峰の叫びにギョッとする。まさか、アイツ、俺が『坊や』の記憶を手に入れるのすら計画の内。俺を使って星獣を呼び出そうとしているのか? 全ては魔女の手の平の上だった?

 そんな考えを、狂った魔女の笑い声が掻き消した。

 

「ヒャヒヒ、長かったわ。記録を調べ上げ、星獣の巣を突き止めたのに、あったのはマグマ溜まりだけ。とても手が出せなかったの。それが星獣の住処への入り口だと解ってもね。思いついたのは、霧の悪魔(ギュルドス)。星獣が魔力を食べるなら、魔力を奪う霧は大敵のはず。だけど、貴重な霧の悪魔(ギュルドス)をマグマに投げ込むのは賭けだった。ソコでアナタよ。アナタの『偶然』に頼らせて貰ったの。私は、賭けに、勝ったわ」

 

 目を剥いて笑う黒峰は、正気では無かった。計画の内どころか、追い詰められた狂人が、最後の最後に暴れているに過ぎなかった。

 『坊や』が居た場所で霧を撒き、刺激すれば『偶然』に星獣が目覚めるんじゃないかと期待した。それだけなのだ。

 イチかバチかの賭けと言うより、ただの当てずっぽう。俺の存在はお守り代わりだったに違いない。なのに、俺の『偶然』はその期待に100%応えてみせた。応えてしまった。

 

 俺は知っている。ココは星獣の巣では無い。巣はマントル近くのマグマの中だ。

 そのマグマ溜まりとココが繋がっているのも、寒がる『坊や』の為に、ママがマグマを引き込んだから。

 そして、星獣が現れた原因も、霧の悪魔(ギュルドス)をマグマにぶち込んだからじゃない。『坊や』の記憶を取り込んだ、俺の魔力の波長に反応したのだ。

 

 黒峰はそんな不確かな直感に、己の全てを賭けてみせた。星獣を操って、このクソみたいな世界を終わらせるために。

 やはり黒峰は俺と同じ。世界の全てを憎んでいる。その上で、俺は黒峰を、黒峰は俺を殺したくて堪らないのだ。

 一体コイツに何があったのか? 別に大して興味も無いが、その妄執が俺が積み上げて来た全てを壊そうとしている。

 

 だけど、俺も諦めた訳じゃ無い。絶望的な状況には慣れている。たとえ相手が、何度も俺の危機を救ってくれた親友であろうとも。

 

「…………」

 

 すり足でじりじりと迫る田中の足取りに隙は無い。ひょっとしたら、洗脳された影響で多少は鈍っているのかも知れないが、その程度、俺を殺すに支障は無い。

 

 後ろに跳ねながら、俺は必死に魔法を唱える。

 

「『我、望む、』ッ! 駄目……」

 

 唱えきる前に解る。まだ霧の影響で魔力の制御が上手くいかない。

 そして、その隙を見逃すハズもなく、刀を構える田中が目の前に。

 

「シッ!」

 

 裂帛の気合いと共に、剣閃が煌めく。

 

 ――キィィン

 

 澄んだ高音が洞窟に響く。

 しかし、飛び退いたのは田中。鎧の前面、硬化したカーボンが無惨に斬り裂かれていた。

 目の前に飛び込んだ少年が、エルフの秘宝たる双剣を振り抜いたのだ。

 

「マーロゥ! なんで?」

 

 我ながら、悲鳴みたいな声が出た。何故動ける? 霧を吸い込んだ純エルフは、魔力を奪われたショックでしばらく動けないハズだ。

 

「姫は、俺が守る。たとえ、相手がアニキでも!」

 

 マーロゥは背後に俺を庇い、双剣を田中に構える。肩越しに見える、その顔色は悪い。

 それで俺も察した。どうして動けるのか? なぜそんなにも苦しそうなのか? 俺にはハッキリと理由が見えてしまう。なにせ俺は運命光に加え、魔力を視る力まで手に入れたから。

 その二つが、マーロゥの状況を教えてくれた。

 

「マーロゥ! あなた!」

「後ろで、見ていて下さい」

 

 そう言って、噛み締めた口元からはジャリジャリと砂の音。

 魔力視で見るマーロゥの胃や肺には、魔力の塊があった。

 

 コイツ! 魔石を喰ってやがる!

 俺だって良く喰ってるが、それは俺が凶化しているから。あらゆる魔力を受け入れられるからだ。もし普通の人間が魔石なんて喰えば、健康値と魔力が打ち消しあって、死ぬ。

 

「どうして!?」

 

 口にしながらも、解っている。俺を守る為だ。

 姫を守ると言う言葉、決して口だけのモノじゃ無かった。体内の霧を消すために、魔石を喰うなんて自殺行為に出る程に。

 きっともう、マーロゥは長くない。

 

 命懸けで姫を守る、か。

 

 なるほどお姫様冥利に尽きる。嬉しいじゃないか! だがな、俺だって守られるだけじゃ居られないんだよ!

 視線の先には、やっと見つけた勝利への足掛かり。転がるように飛びついて、リボルバーを拾う。俺が落とした銃だ。

 落とした原因、黒峰に撃たれた左肩は、湧き出るアドレナリンでもう痛くない。

 

「死ねッ!」

 

 俺は黒峰に銃を構え、撃つ。

 

「きゃ!」

 

 当たった。面白いように、二発、三発と。

 何故避けない? 幾らコチラが拳銃弾で、魔女が防弾性能のある服を着ているとしても、まともに食らえば大怪我は免れない。

 

「ハァ、ハァ、痛いわね」

 

 トドメと駆け寄れば、黒峰の顔は滝の汗に濡れていた。鼻からは血を流している。グルグルと回る生身の目と義眼。蠢く両目には、田中とシャリアちゃんが映っていた。

 やはり、二人を操るのに精一杯か!

 

「止めさせなさい! 早く!」

 

 銃を突きつけ、迫る。絶対に外さない距離。怪我をした黒峰は動けない。

 

「ケヒヒヒィ」

 

 しかし、それでも、狂った様に魔女は笑った。

 何だ? と眉を顰めた瞬間。首筋にチリリと痛み。咄嗟に飛び退くも、俺の体は空中で横殴りに吹っ飛ばされた。

 

「あぐっ」

 

 転がる俺に、巨大な影がのし掛かる。それは巨大な……猫?

 

 ――ギャオオオォォン

 

 一目大猫(モルガンザルデン)!! 坑道の化け猫! 魔力視で見るその腹には、尋常じゃない魔力が詰まっている。

 無理矢理魔石を喰わせまくって、霧の影響を軽減させたのか!

 

「コレが正真正銘、私の最後のカードよ」

 

 血を吐きながらもケタケタ笑う魔女の姿が涙に滲む。俺はデカい猫の魔獣に押さえ付けられ動けない。

 このままでは食い殺される……そんな最悪な予感は、より最悪な痛みで上書きされた。

 

「ガッ」

 

 猫の爪が柔肌にめり込み、俺を地面に縫い付ける。

 何気ない攻撃、生きたまま嬲る猫らしい動き。それがとてつもなく恐ろしい致命傷に至ると、直感的に気が付いた。

 強い痛みはない。湧き出すアドレナリンが、打ち消してくれる。その程度の傷だ。

 だけど、その爪は恐ろしい毒を秘めていた。

 体が動かない。手が震える。頭がぼやける。……そして

 

 食欲が、暴走する!

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 ユマ姫が銃を求めて飛び出した後、残された田中とマーロゥは剣を構えて向かい合っていた。

 足元で鳴る砂は、魔力が抜けた魔石の残滓。洞窟を彩る蒼い燐光は消え失せ、赤熱するマグマの光に洞窟が揺らめく。

 地下より吹き上がる風は徐々にその熱を増していた。なれど、睨み合う両者の額に流れる汗は、暑さだけでは説明がつかない。

 

「ぐぉぉぅ!」

「アニキ……」

 

 正気を失って、なお黒衣の剣士に隙は無かった。冴え冴えとした刀身がその切れ味を物語る。対するマーロゥの双剣は、白く輝き、威圧する。

 一人のエルフがその生涯を懸けて鍛えた名刀と、魔法文明の頂点たる双聖剣ファルファリッサ。

 無類の切れ味を誇る二刀の対決は、受けに回る事を許さない。

 

 かつて、魔剣の切れ味に慢心したマーロゥは、自慢気に構えた魔剣を田中に叩き切られている。その事を切掛に田中に心酔したマーロゥだが。今回ソレを行うのは自分でなくてはならなかった。

 

(俺達の、大森林の英雄が、こんな終わりで良いハズは、無いッ!)

 

 愛するユマ姫を救えるのは、この男しか居ないと信じていた。

 

 マーロゥは、ユマ姫の事が好きだった。生誕の儀で出会った時から、ずっと好きだった。初恋の相手だった。出会った瞬間に虜になって、役者を辞めて剣の道に進む。魔剣こそが、護身用の武器として最も適していたからだ。全ては姫を守る為。

 マーロゥは賢く、政治的に微妙なユマ姫の立ち位置を理解していたからだ。そして、天は二物どころか、全てをマーロゥに与えたもうた。可愛い子役としてのルックス、歳に見合わぬ演技力、それだけでも驚異的なのに、剣の才能まであった。

 ユマ姫を守りたい。ただ、それだけを思って血の滲むような修行を乗り越えた。気が付けば、エルフの中でも指折りの剣士に育っていた。

 勿論、マーロゥはモテにモテた。スゴイスゴイと褒められた。

 なのに、それでも、心の何処かで、この程度ではユマ姫とは釣り合わないと感じてしまっている自分が居て、それが不思議でならなかった。

 自分以上の男など、何処に居ると言うのか? 思い出すのはユマ姫の兄、ステフ王子。

 でも彼はもう居ない。死んでしまった。なら残された自分が守らずに、誰がユマ姫を守るのか?

 帰る場所を取り戻し、彼女を迎えに行く。マーロゥは決意した。

 なのに田中は、魔剣ごと、その決意を叩き斬ってしまった。

 

 モノが違う。そう思わざるを得なかった。このレベルの強さがないと、ユマ姫を守れないのだと直感的に理解した。

 その予感を証明するように、フラリと現れたその男は、あっさりと占領された都を開放してしまう。帰るべき場所を取り戻してしまう。マーロゥの決意をあざ笑う様に。

 そして田中は、あれほど美しいユマ姫を、時には『あの馬鹿』と、時には『間抜け』と、気安い調子で腐すのだ。

 ユマ姫を神聖視してしまう自分とは違う、ユマ姫と同じ目線で、共に歩める男が居た。とびきりの実力を備えて。

 

 きっと、田中ならユマ姫を幸せに出来ると信じられた。

 なのに!

 

「ぐぉぉぉぉん!」

 

 うわ言を叫び、だらしなく剣を構え、よだれまで垂らす目の前の男に、マーロゥは何も託せない。

 絶対に無力化し、正気に戻さねばならなかった。

 定まる決意とは裏腹に、視界の中の黒衣の剣士がじわりと滲み、二重に映る。目が霞んでいた。長くは保たない。ギリリと噛み締める口の中の魔石が、痛いほどに尖った魔力で脳を灼いていた。

 いつ倒れても不思議では無い。そして、きっと、倒れたら二度と起き上がれない。

 長期戦は不可能。ならば、全てが全力。

 

「ハッ!」

 

 田中が構える刀に、マーロゥは双剣で斬り掛かる。

 両断剣。双剣でもってハサミのように敵の武器を切断する。ファルファリッサを握って以来、秘かに温めていた必殺剣だ。

 なのに!

 

「ぐぅ……」

 

 意味不明な呻きを一つ。田中が刀を振るうと、それだけでマーロゥは右手のファルファリッサを巻き上げられた。魔法の如き剣技の冴え。

 カランと右の剣が地面に落ちる。これでは切断剣は成り立たない。

 

 武器を奪うつもりが、奪われた。それも利き手の一振り。

 

(駄目だ、マトモにやってアニキには勝てない)

 

 それを思い知らされた。命を賭けて戦えば、通用すると思ってしまった。命だけではとても足りない。剣士にとって命を賭けるなんて当たり前なのだから。

 

(オレの、全てを!)

 

 思い出す、思い出す。

 何が自分に残っているのか? 誇れるのは何だ?

 天才子役と言われた事? 違う! ユマ姫の前では、セリフも出ない大根だった。

 魔剣の使い手として、たちまち頭角を現したこと? 違う! 外から来た黒衣の男に、まるで通用しなかった。

 ならば、何だ? ハッキリと思い出す。焼かれながら、王蜘蛛蛇(バウギュリヴァル)と戦い、ユマ姫を守った事だ。

 そうして正式に振るう事を許されたファルファリッサは、今はマーロゥの誇りだ。

 たとえ二刀が揃っていなくても、本来なら田中の使う鉄の剣に負ける道理はないと、マーロゥは信じている。前に使っていた魔剣とは、モノが違うのだ。

 そして、長年磨いた魔獣退治の剣術と、目の前の田中に教わった剣術があった。

 

 それらを全てより合わせ。マーロゥが選んだ戦略は?

 

 ――チンッ

 

 残った片手剣を、鞘に収めて笑う事。

 

「アニキ、てんで、なってませんよ」

「ぐぅ?」

 

 余裕を見せるマーロゥに、ぼんやり顔の田中が首を傾げる。マーロゥはその姿に確信を抱いた。

 

(鈍いんだ、何もかも)

 

 いつもの田中なら、こんな『ハッタリ』は即座に見破る。なのに目の前のだらしない男からは、恐れすら垣間見えた。

 

「ミエミエですよ、反射で動いているだけでしょう」

 

 マーロゥはいよいよ不規則になる脈と呼吸を整え、無造作に近寄る。

 

(相手が得体の知れない相手なら、腹を決めて刀を信じるのがアニキの剣)

 

「うぉぇ!」

 

(だけど、どうしても信じ切れない時は、一番防ぎ難い突きに頼る)

 

 ――シッ!

 

 マーロゥの顔面を目掛け、神速の突きが放たれる。

 勿論読んでいる。半身になって躱しながらも、捻る腰の勢いで抜剣。

 

「ハァッ!」

 

 裂帛の気合いと共に、マーロゥは突き込まれた刀に向けて斬り上げた。

 田中から教わった居合い斬り。決して生半可なモノではなかった。

 だが、ソレを教えたのは田中で、マーロゥが狙ったのは、変幻自在のその剣筋。

 

 得体の知れない相手だからこそ、田中は持ち手を広く持ち、剣の動きを広くしていた。軽く握った左手を押すだけで、テコの原理で刀身が跳ね上がる。

 

 ――ッ!

 

 必殺の居合いが外れた隙。正気を失おうとも、見逃す田中ではなかった。

 今度こそ、跳ね上げた刀を上段に構え一息に振り抜く。

 田中の最も得意とする、攻撃的な型。マーロゥはそれを防ぐべく、ファルファリッサを横に構える。

 これでは丁度、マーロゥが魔剣を斬られた時の焼き直し。

 ……だが。

 

 ――チィィィィンッ

 

 甲高い金属音で、地面に転がったのは、魔剣ではなく鉄の刀身であった。

 

 魔剣を使うに力は要らない。

 マーロゥは、魔剣の師匠が言っていた言葉。その意味がやっと解った。

 魔剣に重要なのは、なにをとってもタイミングである。

 どんな体勢であろうとも、魔力を巡らせ、刀身を引き斬るタイミングさえ一致すれば、何でも斬れる。

 

 理屈は尤も。だが魔剣で斬れば相手は死ぬし、魔剣で斬られた時は死ぬ。故に相手は常に初見。

 初見の剣筋に完璧にタイミングをあわせるなど不可能なのだ。実戦を知らない、道場剣術の理屈と侮っていた。

 だけど、田中の振り下ろす一刀は、あこがれと共にマーロゥの脳裏に焼き付いていた。だからこそ、奇跡は起きた。

 

「やったよ、アニキ」

 

 うわごとの様に呟いて、マーロゥは膝をつく。

 そして、二度と立ち上がる事は、無かった。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

「うひゃぁぁ!」

 

 木村は跳ねる。シャルティアの魔剣が、足元を払ってきたからだ。

 ゆったりとした剣筋であったが、跳ばずに居れば足首から先を地面に残して、転がるハメになったであろう。

 しかし、跳び上がってしまえば隙だらけ。間近に殺戮者が迫っていた。

 

 木村とて油断していた訳では無い。自在金腕(ルー・デルオン)に巻き付けた拳銃を四方八方から放ってみせた。

 人間ならまず躱せない360度の弾幕。シャルティアは地面に突き刺した魔剣を軸にして、ポールダンスを思わせる奇妙な動きで躱してみせた。

 クルクルと回り、背を反らし、柔らかに地面に手を衝くと、逆立ちみたいな奇妙な姿勢。そこからシャルティアは地面スレスレに目の冴えるような一閃を放ってみせたのだ。

 習熟に時間を要する魔剣だが、数多の武器を使いこなしてきた殺戮令嬢には障害とならなかったに違いない。なにせ、今シャルティアが使う剣筋は、覚えたばかりのプラヴァスの奇剣。

 シャムシールを想定した砂漠の奇剣を魔剣に置き換え、ここまで使いこなした例は無いだろう。

 言わば世紀の初見殺しに、木村が出来る事など殆ど無かったと言う訳だ。

 悲鳴をあげて、慌てて、跳ぶ! いや、まんまと跳ばされた格好だ。空中で、攻撃を躱す術など存在しないのだから。

 死刑宣告にも等しい宙に浮かんだ僅かな瞬間。引き延ばされた時間の中で、木村はシャルティアの踊る様な回避、その余りの美しさに目を奪われてしまった事を自覚した。後悔するも、無理はない。ソレほどに美しい動きだった。

 しかし、シャルティアが殺しのプロならば、木村は策謀のプロである。回避手段が存在しないなら、予め作って置けば良いのだ。

 

「うぉぉん!」

 

 締まらない悲鳴を残し、体が後ろに引っ張られる。

 万が一にと仕込んだ保険が機能した。右の小指一本に巻き付けた自在金腕(ルー・デルオン)。背後の地面に刺しておいたのだ。

 あとはソレを一息に引っ張れば、宙での回避を可能にした。

 

 ――ひゅん!

 

 シャルティア必殺の一閃が空を切る。

 

「グッ!」

 

 勿論、こんな奇策がノーリスクと言う訳はない。

 代償は、痺れて動かぬ右手の小指と、無様に転がる自分の体。着地までは不可能だった。

 即座に飛び掛かり、追撃するシャルティア。その瞳に、普段ならギラつく意志の輝きが見られない。

 木村はその姿に、先ほど見惚れた事を恥じた。こんなのは、ちっとも美しくなかった。

 

(クソォ! やってやるよ!)

 

 見上げるその姿に、諦めかけた木村の弱気が吹き飛ぶ。剣を構えたシャルティアに押し倒された体勢ながら、とってみろとばかり、首を突き出した。

 とはいえ、勿論木村のコト。自棄だけの無策はありえない。

 

「ぶっ!」

 

 口に含み、吹き付けたのは地面にばらまかれた魔石だ。勿論、こんなものはただの苦し紛れ。

 

「えぅ……」

 

 だが、薄暗い洞窟で魔力視に頼っていたシャルティアには効果絶大だった。操られる事で、魔力視のみを頼りにする不安定な戦闘に危機感が働かなかったのだ。

 千載一遇の好機。しかし転げ回って銃を手放した木村には、殺人鬼を取り押さえる術がない。

 木村は操られた彼女を、どうしても殺したくなかった。

 きっと自在金腕(ルー・デルオン)を巻き付けても、即座に魔剣で断ち斬られるに違いない。シャルティアだって織り込み済みだ、隙が無い。

 

 いや、たった一つ脳裏に閃くモノがあった。他ならぬ、目の前のシャルティアから教わった拳法が。

 現代の人工呼吸を教えた時。代わりとばかりに呼吸と心肺を止める技を教わった。あれならば?

 木村らしからぬ暴力。だからこそ、裏を掻ける。しかし、あの打撃は息を吐き出した瞬間に狙い澄まし、心肺を殴らなくては意味がない。なれど、相手の呼吸を読む力など、木村には無かった。

 ならば、

 

「ハァッ!」

 

 自在金腕(ルー・デルオン)を放つが、勿論、シャルティアに断ち斬られる。

 しかし、避ける方向を限定出来れば、それで良かった。木村は体ごと飛び込んで、揉み合う様に二人は地面を転がった。……そして。

 

「んっ!」

 

 シャルティアに口付けた。

 勿論、百戦錬磨の殺し屋が相手だ。キスをされたからと怯んだり、呼吸を乱す事は無い。

 

「スゥー」

「?」

 

 ただ、人工呼吸の逆。無理矢理に息を吸えば、一瞬だけ酸素を奪える程度の心肺能力は木村にもある。

 その瞬間。

 

 ――ドンッ!

 

 シャルティアの体が揺れる。木村の不格好な突きは、それでも何とか教えられた場所。心臓の位置へと突き刺ささり……

 

「あぅ……」

 

 一瞬なれど、殺戮令嬢の意識を刈り取ることに成功した。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 食欲が、暴走する! 俺の……意識が、消える。

 化け猫に押さえ付けられた危険な状態。でもそんな事よりも、体に入り込むウイルスが怖かった。

 俺はやたらめったら暴れて、のたうつ。

 

「あ゛ああああぁぁぁ」

「やっぱり、アナタは危険ね。今殺してあげるわ」

 

 ライフルを杖代わりに、ヨロヨロと近づく魔女が、銃口をコチラに向ける。

 魔獣に押さえつけられて、ウィルスでゾンビ化までしそうな俺に、魔女は一切の油断を見せない。

 その姿は、妖艶で美しい。こんな時でも体に張り付く黒のドレスを着ている。ボディースーツみたいなモンか? 防弾性能もあるのだろう。

 

 

 その腹からは、銀に輝く槍の穂先が生えていた。

 

「え?」

 

 呆然と呟き、自らの腹を見る黒峰。

 その背後には、這うような姿勢で不格好に槍を突き出すゼクトールさんの姿があった。

 

「お前だけはぁぁぁぁ!」

「ごのぉ!」

 

 怨嗟の声をあげるゼクトールさんの顔面に、黒峰は銃口を突きつける。

 

 ――パァン! グチュッ

 

 乾いた発砲音と、湿った破裂音。

 貫通した弾丸がゼクトールさんの後頭部から脳漿(のうしょう)混じりに飛び出す様まで、見えてしまった。

 ゼクトールさんの運命光が消えていく。

 

 ――ギャオオオオォン

 

 俺に圧し掛かる化け猫は、そのショックで黒峰の洗脳が解けたようだ。しかし、餓えた魔獣は止まらない。

 あらかじめ、コイツは大量の魔石を喰わせらていたのだ。だから、霧の影響からいち早く復活した。そして、爪にはウィルスまで仕込んでいた。

 つまり、コイツは既にゾンビ化している。ゾンビ化したのを無理矢理操っていた。洗脳が解けた今、目の前の俺は丁度良いエサだ! パカリと開いた口からは、尖った牙がズラリと並ぶ。

 唸るような獣の鳴き声が、至近から聞こえて来た。

 

「グゥゥゥゥゥゥ!」

 

 だけど、その声の主は目の前の猫じゃない。

 俺だ!

 混濁する意識の中、俺の口から獣みたいな声が出たのが解った。

 

 だめだ、ちのうがなくなる。いしきが、とんでいく。

 

<<<< アナタは誰? ドコなの? 坊やあぁぁぁ >>>>

 

 その時、ママの声がして、再び俺の意識は弾き出された。部屋が突然に暗くなる。マグマの赤い燐光が遮られたからだ。なにか途轍もない巨体で。

 俯瞰する意識は、プール大の大穴を塞ぐ巨体を目撃した。

 

「ママァ!」

 

 一方で小さな俺の体は無邪気な叫びを一つ。そして軽く手を払った。それだけ。

 たったそれだけ、それだけで、小さな少女が圧し掛かる化け猫の魔獣を()()退()()()

 

「ママ、お腹すいたよ」

<<<< ああ坊や、そんなに小さく >>>>

 

 ゾンビ化した俺の意識は、再び『坊や』に奪われたのだ。

 魔力の波長で、ママは俺が『坊や』だと認識している。

 俺の魔力は『坊や』の波長になっているからだ。

 ……そして、俺の体は異様な食欲が支配している。

 

「ママ、コイツ、食べて良い?」

<<<< ……ええ、大きくなりなさい >>>>

 ――キュォォン!

 

 虎ほどに大きい魔獣が、家猫のように大人しくなる。小さな俺に、怯えている。

 オイ、まさか? 嘘だろ?

 

 意識を飛ばされた俺の目の前で、『俺』が化け猫の首筋に噛み付いた。

 コイツ! 魔獣を、喰う気だ!

 

 ――ギュォォォォォ!!

 

 猫が悲鳴をあげ、暴れる。さしもの『坊や』も小さな俺の体では抑えきれない。

 

<<<< 坊やぁぁ >>>>

 

 そこに、穴から冗談みたいに大きなママの足がにゅっと飛び出して、パチンと弾ける音がした。

 それだけで、一目大猫(モルガンザルデン)の頭部がぺちゃんこに地面に張り付いた。

 

「ママありがとう、おいしいよ」

<<<< 坊や? >>>>

 

 余りにも異なる『坊や』の姿に、ママは困惑していた。

 

 俺はその光景を俯瞰して、呆然と見ていた。

 何だよコレ、滅茶苦茶だ。自分の体なのに、目を背けたい程に悍ましい。

 零れた脳みそをぺちゃぺちゃと舐める、銀髪の少女だけが笑っていた。


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