死憶の異世界傾国姫 ~ねぇ、はやく、わたしを、殺して~   作:ぎむねま

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星獣狩り2

 昇る太陽を背にズシリズシリと星獣がコチラに迫る。あまりに非現実的な光景だ。それを高台から見つめる男が一人。覗いたオペラグラスをポケットに仕舞うと、苦悩に塗れた表情が現れた。

 

 木村だった。見間違いを願って目元をほぐすが、迫る星獣は消えてくれない。木村は逃げ出したい気持ちで一杯だった。まだ星獣は数キロ先のハズなのだが自信が持てない、なにせ朝日に引き延ばされた影は、既に辺りを覆っているのだ。それほどに星獣が巨大で、遠近感がおかしくなっていた。

 

 あんなのに、勝てるのか?

 

 ユマ姫の手前バカ騒ぎしたモノの、木村には自信が持てなかった。作戦開始を目前に覚悟が鈍る。

 作戦を立てたのはユマ姫だが、実際に指揮を執るのは木村の仕事だ。司令官が不安では士気に関わる。それが解っていながら、引き攣る顔を隠せずに居た。

 

『木村よぉ、ビビってるのか?』

『ビビるだろアレは!』

『まぁな』

 

 ゲラゲラと笑うのは田中だ。既にバイクに跨がり臨戦態勢。怜悧な商人として知られる木村も、前世からの親友には弱音を隠せない。

 

『でも、俺がビビっちゃ他の兵士が……』

『大丈夫みたいだぜ?』

 

 田中が顎で差す先、黒山の人だかりに謎の熱狂が渦巻いていた。

 ……しかもノリが軽い。死を覚悟して怪獣を待ち受ける兵とは思えない。ウェイウェイと馬鹿騒ぎ。まるで地下アイドルコンサートの如く。

 木村は見間違えを願って三度見するが、コレも現実。消え失せはしない。

 

『何アレ?』

『戦意高揚のため、ユマ姫(アイツ)が唄って来るって出てったな』

『いや、それでどうしてああなるんだよ!』

 

 綺麗に盛られた土をステージに、キャピキャピと帝国軍歌を歌う姿は常軌を逸している。

 

「うなれ~我らの鬨の声、鉄の大地を守るのだ~いぇい♪」

「「「いぇい♪」」」

 

「…………」

 

 木村は言葉を失う。

 

『何アレぇ?』

『え? お前が編曲したって聞いたけど?』

 

 確かにした。ただし木村に言わせれば、すり鉢の底に囚われていた時に、戯れに奏でた曲であった。

 

「いぇい♪」

「「「いぇい♪」」」

 

 そして、合いの手でユマ姫が足を高く上げ健康的な太ももを晒す度に、騎士達が変なポーズをキメている。

 オタ芸であった。

 

『何アレ?』

『しつけぇな! 知らねぇよ! お前が仕込んだんじゃねぇの?』

『オットセイじゃないからな? 俺を何だと思ってんの?』

『いや、ユマ姫(アイツ)がお前のアイデアだって言ってたんだけど……』

『えぇ……(困惑)』

 

 そしてドン引き。木村にはそんな事を言った覚えは……

 しかし木村には思い当たる節が有った。提案したのはシュプレヒコール。演説で一体感を出すために、猪木よろしく1、2、3、ダーとやるようなお約束があっても良いのではとユマ姫に提案していた。

 だが決して、騎士の皆でオタ芸を練習しようと言う話では無かったはずだ。しかしコレは、確かに恐怖心を飛ばすには有効かも知れない。だが、幾ら何でも。

 呆然とする木村、ソレを見てゲラゲラと笑う田中。

 

『ビビってるなら、いっそアレに混ざって来いよ』

『笑い事じゃないだろ、良く見ろよアレ!』

『ん?』

 

 馬鹿笑いしていた田中だったが、言われてみればポーズをキメる騎士達の視線は壇上のユマ姫の下半身に釘付けだった。

 いい歳したむくつけき騎士達が、年若いユマ姫のパンチラを覗こうとポーズの度に揃って首を傾げる光景は異様のひと言。田中の笑いも引っ込むほどだ。

 

『何アレ?』

『さっきから俺が聞いてんだけど?』

『俺が知るかよ!』

『俺も知らねぇよ!』

 

 木村は頭を抱えるが、騎士達は悪くない。誰かが悪いとすれば、あんな短いスカートを持ってきた木村自身だろう。

 なにせ、着せた当人である木村すらスカートがヒラヒラする度に気になって仕方が無いほどなのだから、見せられる騎士達は堪らない。強要されるポーズのせいで視線を逸らす事も隠す事もままならない。

 今も木村はチラチラと目が離せなくなってしまっている。これにはさしもの田中も本気で困惑した。

 

『えぇぇ……』

『いや、なんかホラ、見えそうで見えないから気になって……』

 

 そう、ユマ姫のパンツはギリギリのラインで隠されて、皆の耳目を集めて離さない。極限まで短いスカートだと言うのに、不思議な力が働いたかの様にその中が見通せない。

 木村はフラフラとユマ姫の元に吸い込まれそうになって……田中に引き留められた。

 

『本気でお前まで遊んでる場合じゃ無いだろ、ってか今更アイツのパンツ見てどうすんだよ!』

『いや、待ってくれ、俺は別にパンツが見たい訳じゃ無いんだ。なんならパンツを作ったのも俺』

『その情報は聞きたく無かった』

『いや聞いてくれ』

『拷問かよ』

『なんならデザインしたのも俺、縫ったのも俺、手渡したのも俺だからハットトリック』

『スリーアウトだろ』

『ドレスに合わせたツヤツヤのシルク。大きくレースをあしらいながら清純さを損なわない絶妙なデザイン、時代を無視した立体縫製』

『あのさぁ……』

『この芸術の完成を見届けるべく、俺は履いている所も見たいと願った』

『正気かよ?』

『それで、ダメ元で見せてくれって頼んだら見せてくれたんだわ』

『え?』

 

 正直、笑えない。

 田中が急に真顔になってしまったのも無理はないだろう。

 

『オマエ、何を……言ってンだ?』

『テントの中でさ、心底見下した目で、スカートを捲り上げて……』

『それ、私が聞かなきゃ駄目なんでしょうか? 素直に気持ち悪いです』

『急に敬語になるなよ……』

『なるだろ、普通に』

 

 親友が突然未知の化け物に置き換わったような落ち着かないモノを、田中は感じて居た。

 三人の友情はコチラの世界でも変わらない! とまでは思ってなかったが、姿の変化に囚われない友情を感じていただけに、ジョークを越えたセクハラに田中は引いていた。

 

『だってユマ姫(アイツ)、中身は高橋(アレ)だぜ?』

『中身とか関係ない! 俺は美少女フィギュアだってパンツの確認は怠らない男だよ?』

『知らねぇし、知りたくねぇ』

『いや、まぁ、ゴミを見る目でパンツを見せてくれたのはそれはそれで最高だったんだが』

『最低だろ』

『最高だったんだが! やはりそれはパンモロ。パンチラとはまたジャンルが違うんだよ』

『その話、まだ続くか? そろそろ行くぜ』

 

 呆れた田中がバイクに跨がりスロットルを吹かすが……その後ろに木村が飛び乗った。まるで、まだ話し足りないとばかりに。

 

『おい?』

『俺も、ガチでぶつかる前に全容を見ておくべきだと思ってな』

『そーかよ!』

 

 すっかり吹っ切れた様子の親友に、田中は今度こそ笑いが止まらなかった。

 

『ちっと行ってくる』

 

 バイクを走らせユマ姫のステージを横切るとき、田中は大声で叫んだ。するとユマ姫はピッと立てた親指を横に倒し、拳を突き立てる謎のポーズ。ワケもわからず田中もそれを返した。

 満足そうにウインクしてくるユマ姫の姿に心がざわめき、田中には居心地が悪かった。木村の事を笑えない気がしたのだ。

 それを誤魔化すようにバイクを加速、後ろに張り付く木村に尋ねる。

 

『さっきの拳を横にする奴、アレなんだっけ? 忘れちまった』

『え? 何? 見てない?』

『はぁ?』

 

 しかし、木村は全く見ていなかった。近くに寄ると、いよいよパンツを見るべく目線は下に下にと吸い寄せられていたらしい。

 

『えぇ……(困惑)』

『いや、だってさ、見ちゃうじゃん。無理だわあんなん』

『大事な場面だったろ! なんでソコでパンツ見ようと必死なんだよ、何の合図だか忘れてる俺も大概だがよ!』

『知らねーよ、そんなん! 見てぇんだもん! 変なのは俺じゃない! むしろお前が少数派だからね? みんな見ようと必死だったからね?』

『お前さぁ? さっきまでの真面目な感じはどこ行ったんだよ!』

『そんなのとっくにログアウトして行ったわ! おまえ良くアレを見せられてシリアス保てるね、ひょっとしておまえ、鉄でできてるんじゃないのか?』

『オイ! 名作のセリフを汚すな』

 

 それは田中が好きな漫画のセリフだった。好きな作品だけに変なモノに例えてくれるなとゲラゲラ笑いながら突っ込んだのだが……

 

『いや、わりぃ知らねぇ。……アレ? なんかのセリフだったっけ?」

『オイオイ』

 

 しかし、木村は憶えていなかった。ハシゴを外された様な気がして、田中は面食らう。木村なら絶対に覚えていると思っていたからだ。

 だが、良く考えれば地球を離れてもう何年も経つ。よっぽど好きな漫画でなくては憶えているには無理がある。田中だって当時のクラスメイトの名前が何人も思い出せない。

 楽しい事も、辛い事も、隔てなく時間は少しずつ思い出を削って行く、それが人間だ。それを田中は思い知らされた。

 

 一方で、何も忘れられないのがあのお姫様。その精神はどうなっているのか?

 中身は関係ないと断言した木村だが、田中はそうは思えない。

 気配やらなにやらで、人より遙かに本質を見る事に長けた田中にとって、ユマ姫の本質はハッキリと人間の枠を越えていた。頭に生えた耳など、その発露として控え目に過ぎる。

 

 田中に言わせれば、アレのパンツを見たいと思う方が、よっぽど正気とは思えない。

 

『あんたらあれが、人間の形に見えたのか?』

『何か言ったか?』

『いいや』

 

 誰にも聞かせるつもりがなかったひと言は、バイクのモーター音に消えていった。

 

 

 そして、そんな彼らの後ろ姿を見送ったユマ姫も動き出す。

 

「それじゃあ、コレで終わり。みんなでトカゲ退治と行きましょう」

「「「おおっ!」」」

 

 何でもない様に言い放ち、騎士達も当然とばかり息巻く。数刻前は内心の怖じ気を隠しきれず、顔を蒼くしていた騎士達がだ。

 その様子に満足そうに微笑むと、ユマ姫はスキットルの封を開け豪快に煽った。おっさん臭い動作だが、中身は酒では無い。もっと体に悪いモノだ。

 プラヴァスの古代兵器内で見つけた液化圧縮魔力。人間が呑めば即座に健康値が削れ死に至る劇薬だが、凶化したユマ姫には気付け薬のようなもの。勿論あの二人が見ていれば呑ませてはくれないので、やっと訪れたチャンスと言えた。

 濃厚な魔力でユマ姫の髪がピンクに転じた。霧の悪魔(ギュルドス)に奪われた魔力が回復していく。

 

「おおっ!」

 

 ユマ姫の変身に皆が沸く。体に悪いなどとは露と知らないからだ。

 

「んんっ!」

 

 引き替えに強烈な酩酊感に加え、刺激された視神経が明滅するが、同時に謎の全能感をユマ姫にもたらした。

 ……実は、幼少期のユマ姫が度々やらかしていたのは、この魔力過剰による高揚感が原因なのだが、それを本人も知らない。

 

 とにかく、得意になったユマ姫は土で固めたステージを掻き消した。そう、踊っていたステージもユマ姫の自作。土を盛り上げ整地するなど、今のユマ姫には造作も無い。

 

「では、成果を見せて頂けますか?」

 

 ユマ姫が見たがったのは、星獣を嵌める落とし穴。騎士達だけでなく近隣の農民も動員し、一晩で掘れるだけ掘ったのだ。

 

「なるほど、ここですか」

 

 ユマ姫が見つめる先、深さが五メートル程の堀が出来上がっていた。僅か一日で五メートルの堀を作るのは途轍もない早業だ。もちろん、雨期になれば底なし沼となるこの場所特有の柔らかな土のお陰ではあるのだが、それにしても早い。

 自慢気に堀を披露する土木担当者だが、ユマ姫は考え込んだ。

 なにせ星獣は五十メートル。五メートルでは身長の十分の一程度、階段の段差のようなモノだ。木村としては足を引っ掛け転ばせるには十分な高さと考えたのだが、ユマ姫は納得しなかった。

 

「下を見てきます」

「!? お待ちください!」

 

 慌てて担当者が引き留めるが遅い、重力を感じさせぬゆったりとした軌道でユマ姫は堀の下へと降り立った。

 そう、降り()()()のだ。それが担当者には信じられない。

 

「馬鹿な! 立つことなど……」

 

 雨期には沼となる場所である、五メートルも掘れば湿った地層にぶつかり、ズブズブと体が埋もれていく。これ以上掘るならば補強が必要なまでになっていた。

 なのにユマ姫は何事も無かったかの様に立っている。それが、神秘的に映った。

 実際、魔法で浮いているのだから神秘の塊と言って良い。だが、本当の神秘はコレからだ。

 

 ――ズリュッ!

 

「えっ?」

 

 堀の底が裂け、深さが増していく。ユマ姫が歩く度に、その軌跡に奇跡が起こる。

 

「コレが! 魔法!」

 

 見物していた兵士が呆然と見守る先で、ユマ姫は堀の深さを倍にしてみせた。ユマ姫の親衛隊でもここまでの魔法を平時にまじまじと見たのは初めて。

 なにせ地を裂く魔法はかなり燃費が悪い。かつて地を裂き大牙猪(ザルギルゴール)を穴に閉じ込めたユマ姫だが、当時は数メートルの幅でも決死の覚悟を要する大仕事だった。

 しかし、今のユマ姫なら鼻歌まじり、魔法で体を浮かせながらでも何でも無い。それに、柔らかな泥を掻き分け穴を掘るのは人力では困難でも、魔法を使うなら硬い土を掘るよりもよほど楽なのだ。

 

「そんな、あっという間に」

「いいえ、あなた達の献身があってこそです」

 

 だから、自分達の苦労は何だったのかと呆然とする担当者をユマ姫は労った。数十メートル歩みを進め、堀全体の深さを倍にして、するりと元の場所に舞い戻っていた。

 そうして堀の深さは十メートル。五十メートルの星獣にして五分の一、人間で例えるなら脛を越え膝に近い、足が嵌まるに十分な深さとなった。

 

「さて……」

「そ、それはドコから? お止め下さい!」

 

 次にユマ姫が手に取ったのはお馴染みのグライダー。親衛隊一同、決してユマ姫に渡してはならないと厳命されていたモノなのだが……彼女が擁する侍女に隠し事など不可能だった。

 

「少し鼻先を飛んで来ます」

「お待ちを!」

 

 兵達の制止も聞かず、ユマ姫はグライダーで飛び上がる。その姿を呆然と見上げる騎士達はその場から一歩も動けずに居た。

 強風に煽られ、はためく短いスカートから、誰もが目線を切れなかったのだ。

 

「ああ、美しい……」

 

 熱に浮かされた様に、誰かが呟いた。

 飛び上がる少女を下から見上げる兵士達。だと言うのに短いスカートは鉄壁で、少女の下着を奇跡の如く守り通していたのだから。

 

 

 一方で、バイクに乗った二人は今まさに星獣へと迫っていた。そこでココまで星獣を誘導してきた命知らずの男と交代する。

 

「代わるぜ!」

「お願いします!」

 

 その男はグリード、ユマ姫親衛隊の副長だ。ゼクトール亡き後、繰り上がりの現場指揮官となった彼が自ら最後の囮として最も危険な役目を買っていた。

 しかし、巨大な星獣の囮となる作業は想像を絶するほどに精神をすり減らす。既に何人もの騎士が圧死させられていた。体力の限界は近く、早く代わるに越したことは無い。

 

「オラ、コッチだトカゲ野郎!」

「駄目だ、コッチを見ない」

 

 そして、後半飛躍的に被害が増えた原因がコレだ。

 交代の騎士が現れてユマ姫に見せかけた魔石を手渡しても、星獣は疲れた騎馬を狙って諦めなくなった。星獣の殺意が増している。このままではグリードが死ぬのも時間の問題。

 

「しゃーねぇ、派手に挨拶しておくか!」

「オイ! 正気かよ!」

 

 木村の制止も聞かず、田中はスロットルを開ける。それはもう星獣が倒れ込むだけでバイクごとぺしゃんこになる距離。

 

「マジかよオイ!」

 

 後部に張り付く木村は悲鳴をあげるしか無い。

 質量と言うのは、それがそのまま存在感だ。近すぎて全容が見えずとも、近くに寄らば肌で感じるモノがある。巨像や高層タワーの下に立つだけで圧倒された経験は誰しもあるだろう。

 それがまさに生きて歩いている生物ならば、どれほどのプレッシャーか? なにせ歩くだけで空気が揺れ、バイクが跳ねるほどに地面が隆起する。

 桁違いの生命を前にすれば、誰しも睨まれた蛙のごとく冷たい汗が溢れてくる。そんな状況にあって、ゲラゲラと馬鹿笑いをあげて、あろう事か田中はハンドルを手放した。

 

「任す!」

「オイオイ!」

 

 後ろに座っていても、自在金腕(ルー・デルオン)を操る木村ならハンドル捌きなどお手のもの。

 そうして空いた両手でもって、田中は抜刀。

 

 ギラリと輝く刀身は物騒な程に大きい。野太刀だ。人を斬るには大きすぎる刀。坑道に持ち込んだ対人用の刀と違い、コレは魔獣退治専用に作らせたモノ。

 思い返せば、グリフォンとの戦いが佳境に迫る時、ギリギリの所でマーロゥが運んでくれた刀でもあった。

 

「足の間を抜けてくれ!」

「イカレてるだろ!」

 

 悲鳴をあげながらも木村はハンドルを切り、進路を星獣の真っ正面にスロットルを吹かす。田中は仁王立ちに構え、激しい揺れでもピクリとも動かない。木村の運転を信用しているのだ。

 巨体が完全に太陽を遮り、辺りは夜かと思う程に薄暗い。巨大な壁が迫って来るようなモノ。そんな中、星獣の股から抜けてくる一筋の光に向けてバイクが猛然と疾走する。

 

 それでもまだ遠い。遠近感がおかしくなるが、まだアチラも届く距離ではない。本番はコレから。二人ともそんな意識でいた。

 ……しかし。

 

 ――ドォォォォォン!

 

 強烈な振動、腹に響く地響き。全身を衝撃に打ち付けられ、気が付けばバイクごと二人は虚空に投げ出されていた。

 宙に舞いながら、走馬灯の様にゆっくりと溶けていく時間の中、木村は僅か数メートルの距離、そこに突如として巨塔がそびえ立っているのに気が付いた。

 それは星獣の足だった。目障りなアリを踏み潰そうと踏み込んで、あまりの速度に目測を誤った。そんな所であろうかと分析する。

 目測を誤ったのは田中も一緒だ。人間にとっては遙か遠い星獣の姿を前にして、まだまだ間合いの外だと誤認した、高速で迫る足は壁の如くで却って認識が出来なかった。蹴っ飛ばされなかっただけ運が良かったと言えるだろう。

 だが、九死に一生とは喜べない。その衝撃で宙を舞うほどの衝撃を食らい、肉体的にもかなりのダメージを負っているハズだ。

 その前に、このままでは地面に叩きつけられて大クラッシュ。死がそこまで迫っている。なのに木の葉のように宙を舞いながら、それでも田中はバイクに仁王立ちに動かない。

 

 木村は田中の背中を黙って見ていた。パニックになった頭がスッと冷える。

 まだ、斬る気でいる。構えをピクリとも崩さないのだ。

 ドン・キホーテだってココまでの馬鹿じゃない。吹き飛ばされれば考えを改める。

 

 完全にいかれてやがる。

 

 思わず笑った。その背中の頼もしさに自在金腕(ルー・デルオン)を振るい、塔の如き星獣の足に引っ掛ける。それを支えにバイクを姿勢制御すると同時、刀が届く絶好の間合いまで引き寄せた。

 

 言うまでもなく、やけくそだった。

 

 そうして死を間近に停止する世界の住人になった木村は、そこで始めて本当の意味で田中の剣を目撃する。

 

 仁王立ちにピクリとも動かなかった田中が、突如として動き出す。音の無い静止した世界の中にあり、田中だけは当たり前の速度で剣を振るっていた。

 一切の無駄のない動き。あまりにも自然で、見えているのに、目に入らない。流れる所作のまま、いつの間にカチリと納刀されていた。

 

 そして、時間が動き出す。

 

「うべっ!」

 

 数メートルを落下して、地面に激突した車体。強力なサスペンションでも抑えきれない衝撃で、後部シートの木村はゴムまりみたいに跳び上がった。

 なんとか落車せずに済んだのは、言うまでもなくハンドルに巻き付けた自在金腕(ルー・デルオン)のお陰だろう。

 一方の田中は、ガッチリと太ももに車体を挟んで動かない。納刀の姿勢のままに振り返って狂暴な笑みを見せる。

 

「斬ったぜ?」

「知ってるよ!」

 

 その返答には田中の方が驚いた。

 

「見えたのかよ?」

「嫌でも見えるわ!」

「へぇ?」

 

 境地へと踏み込んだ親友が、田中には嬉しくて堪らなかった。

 

<<< 痛いっ! このおぉぉ! >>>

 ――ギィィィィィィ

 

 星獣が悲鳴をあげる。斬られたのは踏み込んだ右足のほんの表面。ネズミに噛まれた程度の痛みだが、それでも無視は出来なかった。

 もちろん星獣の魔力波は二人には理解出来ない。それでも田中には肌で感じるモノがあったらしい。

 ハンドルを木村から奪い、更に加速する。

 

「よぉぉし、喜んで貰えたみてぇだな! もっと斬ろうぜ!」

「嘘だろ?」

 

 斬ったのは踏み出された右足。ならばそのまま駆け抜けて、左足も斬る。そんな無謀を田中はアッサリとしてのけた。駆け抜けざまに足を斬り裂き、股を抜け、星獣の背後に回り込む。影から抜け出し、晴れやかな朝日が二人を照らす。

 

「全然、見えんかった……」

「おいおい」

 

 ただし、今度は木村にその太刀筋を見る事は出来なかったが。

 

<<< 許さないぃ! >>>

 

 星獣は背後を振り返り、バイクを狙って手や足を伸ばすが、掴まるような二人では無い。完全にヘイトを奪っていた。

 後はこのまま落とし穴に誘導するだけ、だが一つ問題が。木村は背筋が寒くなる。

 

「このままじゃ俺達まで穴に落ちちゃうんじゃね?」

「仕方ねぇだろ!」

 

 田中は既に虎の子のバイクをココで捨てる覚悟で居た。バイクごと落とし穴に突っ込み、星獣が嵌まる前に身一つでなんとか穴から這い出す離れ業をしてのけるつもり。

 

「オマエはそろそろ降りたらどうだ?」

「馬鹿言え、最後まで送って行けよ」

 

 だから木村だけ先に降ろそうとしたが、木村は木村でなんとかバイクも生かせないか思考を巡らせていた。自在金腕(ルー・デルオン)次第でなんとかなると思ったのだ。

 

 しかし、それらの覚悟は無駄となる。最初に気が付いたのは田中だ。向けられていた星獣の強烈な殺気がピタリと収まったからだ。

 

「オイ、アレ!」

 

 振り向き叫ぶ。見上げると蒼穹に浮かぶ大凧が目に入った。ユマ姫だ、それは最も恐れていた事態。

 

「アイツ、やりやがった」

「いや、悪くない」

 

 田中は毒づくが、木村としてはバイクを無駄にしないで済むのはありがたい。それに間近で確認すると、星獣は知能があるし、想定より目も悪くない。

 地底生物だからと、東から誘導し逆光を利用して落とし穴を陰に隠蔽する作戦だったが、バイクを追いかけ、下を見ながら歩く星獣を落とし穴に嵌めるのは難しく思えていた。

 

「だが、目の前を飛び回る蚊が気になれば、足を踏み外す事もある」

「そーかよ!」

 

 なにより、既に相手が空ならば、今さら心配をしても始まらない。

 田中はバイクを加速する。そうして、一足先に辿り付いた落とし穴。

 そこで一同は、たった一人で星獣の鼻先を飛び回るユマ姫を固唾を飲んで見守る事になる。

 

<<< ママ! 僕だよ! >>>

 ――ギョオオオオォォォ!

<<< オマエだけはぁぁぁ!! >>>

 

 星獣の叫びは勇敢な騎士達にして心胆を寒からしめる。冷たい汗が止めどなく流れる。

 だが、一人で戦う少女を思えば逃げ出す事など出来はしない。

 いよいよ星獣の巨大な影で、周囲が夜の如く暗くなる。真上に感じる凶悪な存在を目にいれないよう、誰もが足元を見て持ち場についた。

 指揮を執る木村を除いては。

 

「縄を張れ!」

 

 木村の号令で綱引きよろしく星獣の足元にロープが張られた。滑車を利用して二メートルの高さに張られたロープを素早く木の支柱に結びつけていく。

 いや、ロープではない。ワイヤーだった。

 

 エルフの技術を利用して、木村は太いワイヤーを手に入れていた。

 なにせ決戦の地として当初目論んでいたのはスフィール周辺。ゼスリード平原に至る山道やゲイル大橋など、トラップを仕掛ける場所には事欠かない。

 結局、撤退戦を仕掛ける機会が無く、ここまで機会がなかったワイヤーをココで使用している。

 足元に突然張られたワイヤー。目の前を飛ぶユマ姫に目を奪われる星獣には、気が付く事が出来なかった。

 

<<< あああっ? >>>

 

 星獣の足にワイヤーが掛かった。もっとも懸念していた部分が成功した瞬間。

 だが、そのパワーは桁違いだった。万トン単位の質量に全てが倒され引き摺られる。地下深くまで刺さった木の柱も、ワイヤーを結んだ馬も、握る人間も、ゴミの様に引き摺られ、地面に埋められたプラウ(牛馬に牽かせる巨大な鍬の様な耕運機)は地面を根こそぎひっくり返して、それでも星獣の歩みを少しも止められない。

 

 だが、それで十分だった。

 

 人間もそうだが、ちょっとした段差や軽い小物に躓くことがある。それが意識の外ならば、慌ててたたらを踏むハメになる。

 そうして踏み込んだ先にこそ、本命の落とし穴が掘ってある。

 

<<< ええっ? >>>

「やった! え?」

 

 しかし、驚いたのは星獣だけではない。指揮を執っていた木村もだ。

 無様に踏み出された星獣の足は、木村の予想を越えてより深く穴に嵌まった。ユマ姫の仕業である。ズブズブの堀の底に嵌まり、巨体がみるみる沈んで行く。

 喜ぶべきかと言うと、そうでもない。小さい段差につまずいて転んでしまう事があっても、膝まであるような段差となればそこで動きが止まってしまう。転がしてから頭を狙う木村の計画は狂ってしまった。

 

<<< もぉぉ! >>>

 

 嵌まってしまった左足を抜くべく、星獣は右足を踏み出した。力を込めた右足に耐えきれず、周囲の地面が陥没していく。

 

「もういっちょ!」

 

 そこに走り込んでいたのが田中だった。先ほど斬りつけた場所に、再びの一閃。

 

<<< 痛ッ! コノぉ! >>>

 

 星獣は暴れ、体勢を崩し、遂には地面に突っ伏した。それを見た木村が号令を掛ける。

 

「今だ! 掛かれ!」

 

 騎士達が槍を手に星獣への突撃を開始した。


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