死憶の異世界傾国姫 ~ねぇ、はやく、わたしを、殺して~   作:ぎむねま

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黒峰2

 私は今、猛烈に後悔している。異世界なんて、来なければ良かった。

 

 転移した先は人気の無い森の中。もうこの時点で、死んでさっきの場所に戻ろうかと思ったぐらい。

 体には怪我ひとつ無い。けど、力が増したとか魔法が使えるとかって気もしない。深い森の中に、中学生の女の子を一人にするなんて酷すぎるよ。

 着ていたのはウールで編んだえんじ色のチュニックと、目の粗い緑のマント。下半身は革製のズボンと、出来の悪いサンダルだけ。下着はナシ。

 異世界へ憧れた気持ちがあっという間にしぼんでいく。こんなのちっともお洒落じゃない。

 現実的な問題もあった。この手の転移モノにありがちな、現代の服を売って一財産ルートが取り上げられている。それに、私みたいな現代人がこんなしょぼいサンダルで歩けば、すぐに足が音を上げるだろう。

 始まって早々に、終わりが見えていた。

 それでも涙目で森を彷徨うこと数分、私は運良く一人の人間と出会う事が出来たのだ。

 

「カエフロギ、ディスタ、ガビル!」

 

 でも、全然言葉が解らない。

 普通、こう言うのは言葉ぐらいは通じるモノでしょ? こんなにハードな異世界、見た事ないよ。

 

「えっと、マイネームイズ……」

「ガビル? ガズネムライダ?」

 

 英語で話してみたけど、通じる訳も無い。でも、この人に見捨てられたら終わりだ。見渡す限りの森で、どこに村があるかも解らないんだもん。

 頼れるのは、変な風にヒゲを生やしたこのお兄さん、たったひとり。

 カイゼル髭って言うのかな? この世界で一般的なファッションなのだろうか? 癖が強い。

 他は普通の西洋人だ。くすんだ金髪に碧眼、革鎧に、腰には剣。ファンタジーな格好だけど、触れば斬られる様な物騒なオーラがあった。

 ただ者じゃ、ないよね。どう見ても猟師じゃない。騎士? ううん、もっと危険な人だ。言葉も通じない子供に長く構ってくれるタイプじゃない。

 

「ガビル?」

 

 この繰り返し。ガビルとは何だろう? 彼の目をジッと見つめる。

 

 え?

 

 彼の瞳の中に、私の姿が見えた。

 でも、違う。その『私』は私じゃない。とても粗雑で乱暴者に見えた。今にも人を襲い、金品を巻き上げそうなほど。これって? まさか!?

 

「山賊? 私が?」

「ガビル!」

 

 違う、私は山賊じゃ、ガビルじゃない。

 私は必死に村娘の自分をイメージした。

 

「ラオン?」

 

 彼の中の私が村娘の姿に変わる。ラオンとは村人? いや、具体的な光景がある。ラオンとは村の名前かも知れない。案内して貰わなくちゃ!

 

「ラオン! 私は、黒峰」

「クロミネ?」

 

 髭の兄さんは私を指さす。そう、私の名前がクロミネ!

 

「うん、クロミネ。お兄さんは?」

 

 すると、面倒臭そうに頭を掻いて、変な髭のお兄さんは自分の顔を指差した。

 

「ローグウッド」

 

 それが、お兄さんの名前だった。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 お兄さんは私をラオンの村に届けた後、再び旅に出てしまった。私はたった一人、知る人の居ない村に残されてしまう。

 それから一ヶ月、私はラオンの村、村長のお家でお邪魔になっている。

 

「どうかな? 調子は?」

「ええ、大分慣れました」

 

 朝食時、心配そうに聞いてくる白髪の村長さんに頭を下げる。

 言葉も解って来た。もう日常会話ぐらいなら問題無い。私は村長さんの目を覗き込み、村長さんの中に居る自分の姿を確認する。

 ……まただ。

 また、彼の中の私は、裏で何か探りを入れようとする、性格の悪い女の子の姿をとっていた。

 私は裏表の無い純真で可愛い女の子の姿を想像し、彼の中に焼き付ける。

 

「良かったよ、初めは妙におどおどしていてこちらも不安だったんだ」

 

 村長さんは穏やかに微笑んでくれた。これで一安心。閉鎖的な村だけあって、よそ者への警戒感が凄くて困ってしまう。

 

 そして、コレこそが私のチート能力『更新権』だった。

 

 見つめた相手の中の私。その印象を操作出来る。

 それだけじゃ無くて、伝えたい事を伝えたり、意識を惹きつけたりも出来る。

 言葉を覚えられたのもこの力のお陰が大きかった。私の気持ちを伝えられるんだもん。コレがもし、お互いに言葉がわからない状態なら、きっと凄く苦労した。

 辞書が揃っている英語だって覚えるのが大変だったのに、ここではガビルと言う単語が解らない時、ガビルとは何なのか、必死で考えなくてはいけないからだ。

 椅子や机みたいに指させる物なら楽だけど、盗賊みたいな言葉だとすごく苦労する。

 ところが更新権で盗賊のイメージを伝えると、村長さんがガビルと言葉を返してくれんだ。コレで言葉を覚える事が出来た。付き合ってくれた村長には感謝しかない。

 

「しかし、不思議な力だな、君のコウシンケイ? は」

「はい、神様がくれた私の力です。その代わり言葉を奪われてしまいましたが」

 

 そう言う事にしている。

 実際、能力を諦めれば、言葉や常識を脳に植え付けて転移する事も出来たらしいから。あながち間違っていないと思う。

 でも、それじゃ本当にただの女の子になってしまう。だったらこの更新権の方がずっと便利だ。

 それに、体は前世の私と一緒だと思っていたけど、微妙に違う。視力が良くてコンタクトも要らないし、筋力もある。言葉をすぐ覚えた感じ、頭だってずっと良い。私は私だ、彼と違って、普通である必要なんてどこにもない。

 

「じゃあ、行ってきます」

「ああ」

 

 私は村で革のなめしを手伝っているのだけど、皮下脂肪を削ったり辛い作業でも手が荒れたりしない。凄く体が丈夫になっている。

 

「あ、出来てる!」

 

 そして、この村で革なめしはただ燻すだけ。なめしが不十分で腐りやすく、すぐ固くなってしまうモノだった。

 だから、私は石灰につけ込んでから、タンニン液に漬け込んだ。燻すだけである程度なめされてるから解ってたけど、ここの植物にはタンニンが多く含まれていたんだもの。

 塩が貴重で水分を抜くのに灰を使ったけど、悪くない。乾燥させた後も革はしなやかさを保っていた。

 

「おおっ!」

「初めは革で遊んでいると思っていたが、やるじゃないか」

 

 出来上がりを村の皆が喜んでくれる。私もようやくこの村に馴染んできたのかな。村には男の人が多くて、女の子である私を皆がちやほやしてくれる。

 

 まぁ、ちょっと皆の印象を操作してるんだけどね。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 この辺りはやたらと山賊が多く、村の皆は迷惑しているとか。ローグウッドさんもこの村を拠点に盗賊退治をする、傭兵さんなんだって。

 なるほどね、確かに触れれば切れそうな、ちょっと危ない感じがしていた。

 

 今日は村長さんと二人で、山の上から行商の隊列を眺めていた。

 

「村長様、来てるよ!」

「ああ、そうだな」

 

 行商が来ないと、こんな小さい村はすぐに干からびてしまう。現にもう夕飯の食事に味がなくなって数日経つ。肉も穀物も自給自足出来るけど、塩だけは絶対に必要だった。

 山道を行商の人達がテクテクと登ってくる様を今か今かと二人で見守る。その時だった。

 

「あっ!」

 

 山賊が現れた! 横合いから襲われて、矢が刺さったロバがドサリと倒れる。

 

「助けを、呼ばないと!」

「無理だ……」

 

 村長さんに止められる。それもそのはず、山賊は凄腕だった。矢は一発も外してないように見える。行商人の男達は一人、一人と、確実に仕留められていった。

 

「酷い!」

 

 皆殺しだった。異世界で良くなった視力が恨めしい。千切れ飛ぶ手足まで見通せてしまうから。

 

「うっ!」

 

 気持ち悪い。この世界はちっとも優しい世界じゃ無かった。

 なにより、コレで塩が手に入らない。塩がないと生きていくのは難しい。これからどうしよう?

 その日は村長さんと二人、とぼとぼと帰宅して、薄いスープを無理矢理飲んで寝床に入った。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 寝れない夜を過ごして翌日。朝食の薄いスープは喉を通らなかった。まだショックが抜けない。

 革の処理も上手く行かなくて、ひとつ駄目にしてしまった。

 

「なぁ元気出せよ」

 

 そう言って麦粥を差し入れてくれた青年の優しさが嬉しい。

 

「ありがと」

 

 お礼を言って、粥を啜る。暖かさが身に染みた。

 

 !?

 

 塩の味がする。それも、かなり濃い。

 

「これ!?」

「なんだい?」

 

 青年を振り切って、私は走った。村の倉庫へと。

 

「え? 入ってる!」

 

 (かめ)の中には塩がたっぷりと入っていた。良かった、まだ塩はあったんだ。

 でも、なんで?

 

 そう思った瞬間。私は後頭部を殴られて、意識が闇へと溶けていった。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 それから、私は暗い倉庫の中に閉じ込められた。何日も、何日も。

 差し入れには麦と、干し肉。ちゃんと塩の味がした。

 

 訳が解らなかった。

 

 あれから何日か、現れたのは村長さんだった。やっと助かった。

 

「モルディンさん、こちらです」

「コイツか」

 

 違った、村長さんは一人の男を連れて来た、歯を剥きだしに笑う顔には、長い耳が生えていた。

 

「エルフ?」

 

 思わず呟く。ファンタジーのエルフみたいな特徴だったから。着ている服も、村の人よりずっと立派だ。

 

「エルフ? とはなんだ?」

「ああ、こやつは変な言葉を喋るんです、気にせんで下さい」

 

 村長さんは、蔑んだ目で私を見た。なに? なんで?

 

「殺しますか?」

「ふむ」

 

 エルフの男が私を見る。ゴミを見る目だ。このままじゃ、殺される。嫌だ、死にたくない。

 私は、エルフの目に映る私の姿を書き換えた。可愛くて、美しく、殺すのが惜しくなる美少女に。

 

 ――それが、間違いだった。

 

「なにも殺す事はなかろう、良く見ると悪くない」

「え?」

 

 エルフの男に、着ていたチュニックを捲り上げられた。下には何もつけてない。

 

 うそ? 嘘でしょ? こんなの? こんな所で? 気持ち悪い!

 

 

 そして、私は犯された。

 

 駄目だ、嫌われないと。こんなの嫌だ! 嬲られながら、私は必死で男の目を睨む。

 

 ――それも、間違いだった。

 

「ふん、こんなもんか。おい好きにして良いぞ」

「やった、話が解る」

「ずっとやりてぇと思ってたんだ」

 

 何人もの男が、私の体に群がった。

 そこからの記憶は曖昧になる。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

「ヒッヒッヒヒ」

 

 薄暗い小屋の中、私は声にならない声で笑っていた。

 悲鳴をあげ続け、喉は()れていた。足の健は切られ、きっと二度と歩けない。

 

 散々に嬲られて、手足の感覚が無い。ドロドロに汚れたまま裸で放置されている。

 

 私はきっと、頭がおかしくなっていた。だけど、おかしくなった自分を冷めた目で俯瞰して見ている自分も居た。

 あーあ、私なんかが身一つで異世界に来たらこうなるに決まってるのに、と。

 

 村人に、自分を無闇に可愛く見せていたのが却って良くなかった。散々犯されて、なかなか殺してくれない。

 

 犯されている内に解った事だけど、この村が山賊だった。この村に住む全員が山賊だったのだ。

 

 エルフの国に攻め入る為に、この国は森を切り開き道を作っていた。公共事業の一環だと言う。

 その最中、補給物資が襲われた。それも、何度も。

 だけど、この村に来る商人だけは襲われない。その事を疑われていた。いや、疑われてなどいないのに、疑われているんじゃないかと村人達が疑心暗鬼に嵌まっていた。

 そこに現れたのは盗賊退治を生業にする名うての傭兵。ローグウッド。流れの傭兵が見知らぬ少女をこの村に送り届け、面倒を見ろと無茶を言う。

 

 村人達は焦った。傭兵が適当な孤児を村に置いて、見張りに仕立てたと考えたからだ。

 言葉が喋れないのも、却って怪しい。言葉も話せぬ少女なら秘密をペラペラ打ち明けるだろうと、聾唖(ろうあ)のフリをしているのだと思われた。

 音には反応するので、下手な芝居と笑っていたらしい。それがバレるや途端にしゃべり出したのも、心の内に語りかける不思議な力まで持っているのも、益々怪しいと警戒していたとか。

 故に、村から遠ざけた隙に行商を襲い、村も盗賊に困っているフリをしようと考えた。塩のない食事も困っているフリの一環だ。

 だけど、私は行商人から奪った塩に気が付いてしまった。

 

 やましい事はまだある。村は人間の敵、エルフと通じていた。

 

 エルフは魔法が使える。彼が一人いれば軍事物資の略奪だって苦も無かったと言う。

 しかも物資を売り払った利益をエルフの男は受け取らないらしい。村人で山分けで良いと言う。

 なぜか? エルフにしてみれば村を拠点に帝国の侵攻を邪魔出来ればそれで十分なのだ。給料はエルフの国から出ているのだとか。

 こんなに都合の良い仲間は居ない。下に置かない扱いで迎え入れ、村は食事と寝床をエルフの男に提供していた。

 しかし、私が居る間はエルフの男は村で過ごせず、仕事も出来ない。利益が減って、村人達は切羽詰まって居たらしい。

 寝物語に、そんな恨み言を散々聞かされた。

 

「フヒヒヒ」

 

 暗闇の中で一人笑う。

 

 全部ッ! 全部が! 村人達の空回り。

 

 私はただの迷子だし、ローグウッドさんだって何も考えてない。ひょっとしたら二度とこの村に来ないかも。

 

 勝手に邪推して、勝手に空回りして、私も私で、変に好かれようと色々頑張って、全てが裏目に出てしまった。

 

 これでは高橋君を笑えない。いや、きっと彼の運の悪さが私に伝染してしまったんだ。

 今頃、彼は長生きする為に愛されて、良いところで、ゆったり過ごしているに違いない。

 

 悔しかった。なんで私はこんな所で苦しんでいるのだろう?

 そんなの決まってる、こんな地獄に転移させたあの神のせいだ。あんなのは邪神だったに違いないもの。私は初めから騙されていたのだ。

 

「ヒヒヒヒッ」

 

 狂った様に笑う。いや、本当に狂っていた。

 

 そんな時、家畜小屋みたいな場所に囚われている私は、外がにわかに騒がしくなったのを肌で感じた。

 

 彼が、ローグウッドが村に来たのだ、私には不思議とそれが解った。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 その日、男はなんとなく気が向いてラオンの村に足を運んだ。

 ローグウッドは数ヶ月前に拾った少女クロミネがどうなったのか気になったのだ。危険な森の中に一人、言葉も知らない少女が居るなどあり得ない。

 すわ、盗賊団の子供か、はたまた森に棲む者(ザバ)の出来損ないかと身構えたが、どうにもただの村の子供の様だった。

 その日は仕方無く盗賊捜しを切り上げて、ローグウッドは少女を村に届けたのだった。

 

 それからも結局、ローグウッドは盗賊の尻尾を掴めずひたすら森の中を彷徨っている。帝国軍も手を焼く山賊を見つけたとなれば恩賞は望みのまま。叙勲も夢でないと飛び出して来た。

 しかし何の成果も上がらない。森を彷徨う途中、変なモノを見つけたが、それが精々だった。

 流石に潮時と諦め故郷に帰る帰り道。最後に少女の様子を見に立ち寄った。

 

「よぉ、久しぶりだな」

「おやおや、何のご用でしょうか?」

 

 しかし、久しぶりに会った村長はどこか様子がおかしかった。ローグウッドは自慢の髭を捻って思案する。

 村人もぎこちなく、落ち着かない。これは、何かある。果たして少女はどうしたのか? 向こうから振ってくるべき話が、なかなか出ない。

 

 村を出る間際、満を持して少女の行方を聞いても何処かに逃げたと素っ気ない。極めて怪しかった。

 貧しい村だ、本当なら少女の飯代でも請求されたって不思議じゃない。なのに、コチラの飯まで用意して歓待の準備があると言う。付近で行商が襲われたばかりだと言うのにだ。嫌な予感がしてローグウッドはすぐに村を飛び出した。

 

 そして、夜が更けてから忍び込む。

 

 ローグウッドはただならぬモノを感じていた。村は静まり返っているが、人の気配は途切れない。

 この村には何かある。ゴクリとツバを飲み込んだ時、彼の頭には閃くモノがあった。

 

 あの小屋だ。確信めいた直感。何かに呼ばれる様な気がして、暗がりにまぎれ、扉を開けた。

 

「あ?」

 

 下半身を露出した男の間抜け声。その下に、組みしだかれた少女が居た。

 考える前に体が動いた。ローグウッドは一息に抜き放ち、男の首を刎ねた。汚れるのも構わず慌てて少女を抱き上げる。

 

「どうした? 何があった?」

「あう……」

 

 そうだ、少女は喋れない。これでは何の証拠にもならない。やるせない思いにローグウッドは頭を抱えた。

 

「見て」

「?」

 

 少女が喋った。ハッとして見ると少女は爛々と目を輝かせ、こちらを見ていた。

 

 瞬間、様々な情報がローグウッドの脳内を駆け巡る。山賊だらけの村、森に棲む者(ザバ)の魔法、監禁され犯されたクロミネ。

 

「これは?」

 

 クロミネの力にローグウッドは困惑する。コレは魔法だろうか?

 そして、山賊の正体に驚愕する。

 

 全員が山賊、頭に閃く映像でその練度は尋常ではないと知れた。とても敵わない。首を刎ねた若者も、万全ならば強敵だったに違いない。剣士ならば体つきで解るのだ。

 まして、森に棲む者(ザバ)の術士など一軍で戦うべき敵。一介の腕自慢ではとても相手にはならない。

 

「すまんが耐えてくれ、応援を呼ぶ」

 

 退却。それは苦渋の決断。

 戻るまで、クロミネは保たないだろう。それが解っていてもローグウッドは命が惜しかった。

 

「見て」

「あ……」

 

 しかし、少女の目がローグウッドを離さない。ローグウッドは少女の目の中に宇宙を見た。狂気に歪んだ激情が更新権の枠を壊した。

 

 ――そうだ、俺は最強の剣士。何を恐れる事がある!

 

 更新権は理想の自分を書き込む力だ。だから、ローグウッドの中のローグウッド自身の認識も、理想のソレに書き換えられる。

 ローグウッドは最強の自分を常に夢想していた。その理想と、現実の認識を、入れ替える!

 

「待ってろ、今片付ける」

 

 蛮勇に逸ったローグウッドは荷物をその場に残し、剣を片手に飛び出した。

 黒峰はそれを見て、ああ、一人の男を道連れにしたぞと、白濁にまみれ一人ほくそ笑む。

 

 ここでローグウッドは死に、物語はそこでお終い。それが『普通』だ。

 

 だからこそ、普通じゃなかったのは黒峰ではなく、むしろローグウッドの方だった。

 

「オラッ! セイッ!」

「クソっ! 昼間の傭兵が攻めてきやがった!」

「相手は一人だ、囲め! 囲め!」

「駄目だ、コイツ強い!」

 

 彼は真実、最強の剣士だったのだ。

 

 思えば剣士がお互いの腕を比べる機会など、そうそう無い。

 剣士が腰のモノを抜けば、その後は命のやり取りになる。それが粗末な木刀でも、当たり所次第で容易に人は死ぬ。

 平和で戦争も少なく、竹刀のように安全に腕を競える武器も無い世界、自分の本当の実力を把握していない傭兵は、実際ごまんと居た。

 大半は自分を勇者と過大評価する夢見がちな若者だが、ローグウッドは数少ない真逆の例外だった。

 ローグウッドは酒場でゴロツキ共が大きく吹かすホラ話を信じ込み、周囲を過大評価していた。俺程度の腕前は、世界にゴロゴロ転がっているのだと。

 彼の親類も腕自慢ばかりだったのが、良くない誤解を生んでいた。それが今、完全に裏返った。

 

 黒峰が押し付けた夢に見た自分こそが、本当の自分の姿だったのだ。

 

 気が付けば、村人の全てを斬り倒し、立っているのは肩で息をするローグウッド一人となる。

 真実、彼は英雄だった。

 

「おっと、そこまでだ」

 

 しかし、耳元で声がする。ハッとして振り返ると、自慢の剣が矢に弾かれて宙を舞った。

 

 ローグウッドは視界の遙か遠く、弓を構える男を捉えた。音に聞く森に棲む者(ザバ)の魔法戦士の姿で間違いない。

 間近で聞こえた囁きは魔法の力、その身は遙か遠く。剣も飛ばされたローグウッドに打つ手は無かった。

 

「この距離ならば外さない、どこに雇われた? 吐いて貰おうか」

 

 エルフの戦士モルディンは訓練されたエルフの国の工作員である。村人に扮する盗賊とは訳が違う。

 聾唖の少女をスパイとして仕込み、ただならぬ剣の腕前を誇るローグウッドをただの傭兵とは信じなかった。

 

「どこもなにも、雇い主なんざないさ」

「ほう、あくまで口を割らんか」

 

 ギリギリと弓を引く。魔法で誘導する矢は決して外れず。人間から見ると常識外れの威力を誇る。抵抗する手段はまるで無かった。

 

 ――パァン!

 

 だから、対抗するには人外の力を使うしか無い。空気が弾ける音がしてエルフの戦士モルディンの命はそこで尽きた。

 

「ばか、な?」

 

 腹に開いた大穴を呆然と見つめる。

 

「ヒヒッ」

 

 汚れた少女は馬鹿みたいに笑った。足の健を切られ、這いつくばった姿勢。抱えているのは、未来的なライフルだった。

 

「撃てた! やっぱり、銃だった」

 

 黒峰はローグウッドが持っていた荷物を漁り、不可思議な物体を見つける。それは、魔力銃(ガーデッド)。古代人が作った魔力で発射する銃だった。

 形状から銃じゃないかと閃けば、黒峰は居ても立ってもいられなくなった。どうしても、どうしても、撃ち殺したくて仕方の無い相手が一人、居た。

 

 這いつくばるように小屋をでて、白濁と泥でグチャグチャになりながら、トリガーを引いたのだ。

 

「ヒャヒャ、フヒヒヒ」

 

 少女は、暗闇でケタケタと笑う。

 

「ねぇ、ローグウッドさん、この銃どこで手に入れたの?」

「いや、それは東の方の大穴に」

「連れて行ってよ、きっともっとおもしろいモノが有るから」

 

 そうして、二人は盗賊村ラオンを討伐した。

 

 村丸ごとの討伐劇。証拠も少なく、むしろコチラが盗賊と疑われる事をローグウッドは覚悟した。

 森に棲む者(ザバ)の死体こそあれど、証拠としては弱い。下手すれば無辜の民を切り捨てた悪党と断罪されるリスクもあった。

 だが、不思議と少女の主張は通り、ローグウッドは一躍最強の剣士と帝国で名を知らぬ者は居ない存在へと祭り上げられる。

 

 そして、魔女クロミーネの名も、秘かに知れ始める切掛となった。

 

 その後、約束通り、二人は東の古代遺跡へと足を踏み入れる。それが世界を変える転機となった。


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