死憶の異世界傾国姫 ~ねぇ、はやく、わたしを、殺して~   作:ぎむねま

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新しい私

「大復活!」

 

 シノニムさんに殺されかけて、勢い余ってシャリアちゃんも食べちゃったりして、俺は大変な事になってしまった。

 一ヶ月で帰るつもりが三ヶ月ぐらい掛かった訳で、いやー、驚いたね。

 ようやく、明日には王都に帰れる場所にまで戻ってきた。

 

 既に季節は春、俺は十五歳になっていた。十六までに死ぬとすると、もう一年も時間が無い。後はもう好き勝手に暴れる事に決めた。

 

 ここまで何をしてたかと言うと、足も生えない内から大暴れ。ゼスリード平原では襲ってきた恐鳥(リコイ)を片っ端から返り討ちに。もっしゃもっしゃと肉を食らった。

 それがあんまり美味しかったもんだから、こっそり装甲車を抜け出して、鳥を狩って喰らう日々。食い過ぎて寝込んだりして、幼少の苦い思い出が蘇った。蘇ったけど、引かないし媚びないし省みない。

 

 ……滅茶苦茶にお腹が減って仕方が無いからだ。

 

 俺の胴体はかなりコンパクトになってしまった。バイバイ大腸、サヨナラ小腸。いくら食っても太らない体質と言えば聞こえは良いが、食っても食っても垂れ流しだったのが実情だ。つまり吸収率が極めて悪かった。

 凶化したとは言え体を戻すには大量の肉を必要としたのだ。

 

 魔法を使い上半身だけでカッ飛んで行って、巨大な恐鳥(リコイ)を狩ってくる俺の姿はちょっとしたホラーだったに違いない。運転手もビビりまくっていた。

 そんで、ようやく胴体が塞がって、ゆっくりと足が生えてきたのだが……

 

 

 ……なんか翼まで生えてきた。

 

 

 なにを言ってるか解らんし、俺にもさっぱり解らんかった。

 

 でも、生えたもんは仕方がない。醜ければもいでしまおうかと思ったけれど、純白の羽があんまり綺麗だったから、なんとなく生えるに任せてしまったワケだ。

 だいぶ人間を辞めてしまった訳だが。ユマ姫マジ天使! って感じで大丈夫だろう。きっと。

 

 他にも色々寄り道をして、そろそろ王都に戻ろうかと言うタイミング、どうもオーズド伯が王都で俺の悪評をばらまいているらしい事を知る。

 

 これはド派手に帰還して、俺のニューボディを見せつけるしかないだろう。

 今までも何度かやって、毎回大好評の凱旋パレードだ。そこで、俺の人気を見せつける。

 

 美少女の主張とくたびれたオッサンの訴えでは、民がどちらを信じるかは知れたモノ。

 

 って、思ってたんだけどさ。

 

 だけど、今回、なんか羽が生えちゃってるじゃん?

 

 どうなの? コレ。人間辞めてない? 大丈夫?

 天使を通り越して、悪魔って言われない?

 異端審問会キャンセル火炙りの、即死コンボを決められそう。

 

 皆の反応が楽しみな反面、ちょっぴり怖かったりもした。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 で、翌日、何事も無く王都に辿り着いていた。しかし、俺は装甲車で待機。

 登場はなるべく劇的に、人が多い場所で派手に行きたいからだ。

 

 俺を乗せた装甲車は、いよいよ王都のメインストリートに差し掛かる。

 

 車内からでもザワザワと人いきれが聞こえてくる、いつも通りの大盛況。目を瞑れば、輝くばかりの運命光が取り囲んでいた。

 良いタイミングと言えるだろう。

 

「出ます!」

 

 宣言を一つ、俺は選挙カーみたいに改造された車内のハシゴを登り、装甲車の上に身を乗り出した。

 

「「「ウォォォォォ!」」」

 

 絶叫の様な歓声に押しつぶされそうになる。

 俺の人気はいまだ健在だ、まずはそれに安心する。紛れて飛んで来たクロスボウのボルトを人差し指と中指で挟んで受け止めると、俺は背中の羽を思い切り広げた。

 

「皆さん、ご機嫌よう。ただいま戻りました。ユマ・ガーシェント・エンディアンです」

 

 決まった!

 完璧な挨拶。拡声の魔法で、街路の隅々まで声が響いた。

 

「「「…………」」」

 

 しかし、返されたのは重い沈黙だった。

 

 アレ? やっちゃったかな? 俺はテヘヘと照れながら指に挟んだボルトを捨てると、皆に向かってとびきりの笑顔を振りまく。

 

「「「…………」」」

 

 しかし、誰も何も口にしない。ぽかんと大口を開けて、俺の姿を見上げている。

 なんだろう? いきなり暴動が起こるような雰囲気ではないのだが、こうも無反応だとリアクションに困る。

 異端審問会が始まるなら、早くして欲しい。逃げるから。

 俺は開き直って天井に設置した椅子にどっしり座る。

 

 開き直ったついでに羽まで大きく広げ、大きなため息をつくのだった。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

【パレード前日、王宮にて】

 

「ネルネさん? あなた、こんな所に居て良いの?」

「え?」

 

 顔見知りの侍女が伝えてくれた話は、私にとってあまりに衝撃だった。

 

「ええっ? 姫様、明日帰ってくるんですか?」

「はい、先触れがいらっしゃいまして……」

「むーー」

 

 私、ネルネード・スピュラムは頭を抱える。ちなみにスピュラムはこの国の宰相の姓。私はお嬢様と言う事になるんだけれど、どうにもピンと来ない。

 なにせ養女になったばかり。同じハーフエルフと言う立場からユマ姫様の侍女を続ける以上、ある程度の身分があった方が良いと押し付けられる格好だったから。

 

「嬉しくないのですか?」

「そんなこと!」

 

 もちろん、ユマ姫様が王都に帰るのは嬉しいし、待ちわびていた。

 戦争に連れては行けないとお留守番を命じられて以来、私は王宮で肩身が狭い思いをしていたんだもの。だって、私の仕事は宰相様にユマ姫の情報を流す事だから。

 

 だからそう、ユマ姫が帰ったら、やっと仕事が出来るぞ!

 って喜ぶべき所なんだけど……

 

 今は、マズい。

 

 だって、もう私はユマ姫様の事も大好きだから。姫様の悪い所は伝えたくない。

 だからこそ、今の状況はマズいのだ。私はションボリと俯いた。

 

「……今の王都は荒れてるんですもん」

「そうねぇ……」

 

 その原因がユマ姫の後見人だったオーズド伯なのだから参ってしまう。

 

 王国は戦争に勝った。それは間違いないらしい。だけど総司令のオーズド伯が戻ったのに、戦勝パレードは全く盛り上がらなかった。

 

 当のオーズド伯が見るからにやつれ、憔悴していたからだ。あれでは負け戦の将にしか見えない。

 

 そして……国民の前で宣言してしまう。

 「ユマ姫は悪魔だ」と。

 

 もちろん、王国は蜂の巣をつついたような騒ぎになった。どうもユマ姫はオーズド伯が止めるに構わず、そのまま帝国に攻め込んだらしいのだ。

 それを聞いて私は……正直ユマ姫ならやるだろうな、と思ってしまった。一見穏やかで優しそうに見えるユマ姫だが、一皮剥くと中には怖気(おじけ)を震う程の狂気を孕んでいるのを何度も見てきたから。

 そんな姫様が敵を前にして手打ちになど出来るハズが無い。勝ったところで停戦し、有利な条件を引き出したいオーズド伯とウマが合うハズが無かった。

 

「でも、姫様を極刑に、って話ではないでしょ?」

「そこが、微妙なんですよぉ」

 

 私は事態の複雑さに泣きが入ってしまう。

 総司令の命令を無視し、多数の兵を引き連れて帝国に踏み込む。普通だったら即座に追放、最悪処刑モノの罪らしい。

 

 だが、オーズド伯が帰るに先んじて、キィムラ様の使者も王宮に届いていた。

 曰く、ユマ姫は自らを人質に敵陣に飛び込む計略を実施した。その献身もあり、王国軍は大勝。ただし多過ぎる捕虜の扱いに苦慮する。

 捕虜を虐殺するしか無いと決断したオーズド伯だが、優しい姫はそれを良しとせず、オーズド伯と袂を分かつ。

 そして捕虜の兵を連れ、自国民すら人質に病原菌を撒き散らす魔女を討つために、帝国深く侵攻を開始したと言うのだ。

 

 コレを聞いた軍部や議会、国民まで巻き込んで喧々諤々の大議論。ユマ姫が正しいか否か、国を真っ二つに割る論争が始まってしまった。

 

 総司令を無視する独断専行なれど、侵略に用いた兵の多くはユマ姫の親衛隊と、ユマ姫が敵から寝返らせた捕虜の軍隊。失ったとしても深刻な被害とはならない。

 

 しかも、その後も連戦連勝。帝都深くに切り込んで、良い様にかき混ぜている。

 コレにはユマ姫を応援する派閥は大盛り上がり。

 

 しかし、それも話が星獣の事になるまでだった。

 

 「ユマ姫はスールーンで魔女が用意した巨大生物を相手に、神の使徒としての力を解放、致命的な怪我を負いながら撃退し、王都へと帰還しています」

 こんな報告をされてしまうと、どこまで嘘か真かすら誰にも判断がつかなくなってしまった。

 

 余りにも荒唐無稽、夢物語の様な活躍にも程があったから。

 

 そんな大荒れの状況だから、悠長に先触れなんて出すのが私には不思議だった。

 戻るにしても姫様はせっかちで、空から飛んで帰る事すら最近は多かったのだから。

 

 それが先触れを出して戻ると言う事は、大々的にパレードでもして自らの帰還をアピールするつもりに違いない。

 

「うぅ、これは荒れますよぉ……」

 

 ユマ様は一騒動起こすつもりだ。それがお付きの侍女である私としては不安で仕方が無かった。

 

 でも、一方で私は、ユマ姫様のパレードが楽しみでもあった。

 

 久しぶりに会うユマ姫はどんなに美しくなってるんだろうって。

 だって、王都が真っ二つに割れている時に、堂々とパレードをしようって言うんだもん。

 

 ユマ姫はきっと、見違える程、キレイになってるに違いないのだから。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

「ね、寝坊した!!」

 

 不安で眠れなかった私は、翌朝、窓から差し込む光の強さに絶望した。

 すでに昼前の時間だったから。

 朝食どころか顔も洗わずに急ぎ着替え、王宮の城門へすべり込む。姫様の帰還となれば、街は大騒ぎになっているに違いなかったから。

 大人気であるユマ姫の帰還。

 人出を見込んで屋台も出るし、吟遊詩人がおひねり目当てにそこらで音楽を奏でる。お祭り騒ぎになるのが通例なのだ。

 気が重いドンチャン騒ぎ。でも、街を目指して城門にすべり込んだ時、不思議な事に気が付いた。

 

「音が、しない?」

 

 静かなのだ、ユマ姫が来たにしては。

 それどころか、この時間となれば普段の王都でも喧噪に溢れている。なのに、一切の音が奪われていた。

 

「まさか! 敵襲?」

 

 ピンチの帝国がイチかバチかの破壊工作を行い、街が厳戒態勢に移行したのかも!

 そう思って私は門塔を登り、街を見下ろす城壁の上に出る。

 

 想像していたのは戦時下の閑散とした街。だけど違った。街は人でギュウギュウ詰め、そんな中をユマ姫を乗せた車は大通りを進んでいる。

 

 私は今でも憶えている。

 

 初めてユマ姫が来た時も、プラヴァスから帰還した時も、大騒ぎになった。

 今回の人出はその時に勝るとも劣らない。

 なのになんだろう? 不気味なまでに静まり返っている。

 

 その原因はすぐに解った。装甲車の上に設えた椅子の上、優雅に寛ぐユマ姫の姿が遠くからでも見えたから。

 

「羽が……生えている?」

 

 その背中には天使の羽が生えていたから。

 余りにも神々しいその姿に見惚れ、私は言葉を失った。

 

「み、見違えるにも程がありますよぉぉぉ!!!」

 

 私はその場にへたり込むしか出来ませんでした。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 人でごった返すのに、不気味な程に静かな王都。こんなのは生まれて初めて見た。

 みんなユマ姫の姿に見とれているのだ。ひと言も発せない程に。それは私、ネルネにしても一緒だった。

 それほどに、衝撃的なまでに美しい姿だった。天使が現れたのかと本気で思った。

 その証拠にユマ姫が城門を潜った後、姿が見えなくなってから、ようやく人々は止めていた呼吸を思い出したのだった。

 

「「「オォォォォ!」」」

 

 地を揺るがすような歓声が、石造りの城を揺らしたほど。そんな強烈な美を目の当たりにして、見慣れたハズの私まですっかり言葉を失っていた。

 

「ネルネ、お久しぶりですね」

 

 だから、言われても返事が出来なかった。馬鹿みたいに口を開けて見上げるばかり。車の上から逆光に見上げるユマ姫は天使そのもの。

 

「ネルネ、どうしたの?」

 

 大きく羽を広げ車の上から飛び降りたユマ姫が、私を見下ろす。

 

 そう、見下ろすのだ。ユマ姫はハッキリと背が伸びていた。すらりと長い足はまるでお伽噺の妖精の挿絵の様だ、まるで現実感が無い。

 いや、長すぎるんですけど? 胴体なんてまるで縮んだみたいに短く見える。それ程に足が長い。身長自体は他の貴族のお嬢様、それこそシャリアちゃんと同じぐらいなんだけど、胴が短くて足が長いから驚く程にスタイルがよく見える。

 

「ネルネ? 生きてる?」

 

 ユマ姫が私のほっぺを両手で挟む。

 

「ムムゥぅぅ! 苦しいです」

「良かった、生きてた」

 

 痛いッ! 華奢な見た目で力が強い! 銀色の髪だから魔力は欠乏状態と思うのだけど、肌に感じる魔力のプレッシャーはむしろ以前よりも大きく感じた。

 今なら解る、城よりも大きな化け物を倒したと言うのは、たぶん嘘じゃない。

 恐る恐る私は尋ねた。

 

「あの、その羽は?」

「ああ、これ? 鳥ばかり食べてたら生えちゃった!」

 

 普通生えないと思うんですけど……。

 

「あ、それでね……」

 

 困惑している私を無視して、申し訳無さそうにユマ姫が言う。

 

「服が色々、サイズが合わなくなっちゃって」

 

 そう言って振り返った背中は、雑に切り取られて大きな穴が空いていた。羽を通すためだ。

 

「え? シノニムさんにシャリアちゃんは?」

 

 あの二人が居れば、こんな服を着るなんて絶対に許さないと思うんですけど……。

 私が首を傾げると、コチラを見下ろすユマ姫の瞳と目が合った。

 

「二人なら戦場に残りました。向こうは全く手が足りませんから」

「……そそそ、そうなんですね」

 

 私は怖かった。見下ろす瞳の中に夜の星みたいな神秘の輝きが見えたから。

 アレは人間の目じゃない。きっと神とか、それこそオーズド伯が言う様に悪魔とか、そういった人間とは次元の異なる生き物の目だ。それが途轍もなく怖かった。

 もう、私が知っているユマ姫は居ないんだ。もっと恐ろしい何かが、この少女の形をした体の中に巣くっている。

 

「は、はい。あのその、針子さんを呼んできます」

「お願いね」

 

 私の声は上ずっていたに違いない。ユマ姫が怖い、けれどもう人間が戦ってどうにかする様な存在じゃないと思う……。

 そう思うと、逆にユマ姫を心配していた自分が馬鹿みたいで、いっそオーズド伯が可哀想に、私は思った。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

【翌日、王宮にて】

 

「ネルネ、終わったらヨルミちゃんに会いに行きます」

「え? その格好でですか?」

 

 お針子さんに採寸されているユマ姫がそんな事を言い出すのだから、手伝っていた私は変な声が出てしまう。

 

「変かしら?」

「変ですよ!」

 

 ユマ姫が着ているのは『いぶにんぐどれす』とか姫様が言うキラキラと夜の星みたいに輝くお召し物。これもキィムラ子爵の趣味というけど、なんと言うか背中が丸見えなのだ。

 肩だけはショールで無理矢理隠しているけど、ソレが却ってえっちなのです。

 

 今の、ヨルミ女王に会いに行くには最悪の格好と言えるでしょう。

 

「でも、こう言うのじゃないと羽がじゃまでしょ?」

「過激です! 目に毒です」

 

 スカートには凄いスリットが入っている。元々入ってたスリットだけど、長くなった足にあわせてより深く入れてしまった。

 まるで美脚を見せびらかす様だ。いや本当に見せびらかしているに違いない。

 そんなものを見せつけられるヨルミ王女は堪ったモノではないだろう。なのに、ユマ姫は変な事を心配し出す。

 

「ふぅーん、確かに王女付きの侍女って、感じが悪いし意地悪ですからね」

「そんなこと」

 

 ない。とは言い切れない。王女付きの侍女となれば、上位貴族の花嫁修業の場みたいな所があるから、気位の高い女性が多いんだもの。

 それを教育するべきヨルミ様が、良いや良いやと細かい事を気にしない性格だから、侍女達はすっかり増長している。

 ユマ姫とヨルミ女王が会話をしている間、外で待つ私みたいに成り上がりの娘に、手ひどい意地悪や暴言を仕掛けてくるのだった。

 

 ……だった。過去形だ。それが恐ろしいんだけど、ユマ姫様にやんわりと伝える言葉が見つからない。

 まごついてると、ユマ姫様はしびれを切らした。

 

「もう埒が明かません、行きますよ」

「ま、待って下さい。今行くのは、特にそんな格好で行くのは絶対にマズいですよ!!」

「私と女王の仲ですよ?」

「だからですよぉ! なにこれ? ってなりますよ?」

「何のことやら」

 

 私の制止を聞かずに、ユマ姫はドレスの裾を払って歩き出した。深いスリットから見える太もものほくろが余りに色っぽくて、女の私でも目が奪われてしまう。

 その足のほくろ。シャリアちゃんにも同じ場所にあった気がして。私は余計な事を考えないように頭を振った。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

「なにこれ?」

「ホラ、言ったじゃないですか!」

「こんなの、信じられる訳ないでしょう?」

 

 でも、真実なのです。

 ヨルミ女王の離宮は王宮庭園の端にあります。

 王の離宮だけあって大きくてすごしやすいと、決まってヨルミ女王はここに居ます。

 

 その離宮のエントランスで何人もの侍女が出迎えて、それは普通だけど、普通じゃ無いのは、全員が膝を折って、地に伏せて、地面に頭をこすりつけて出迎えている事。

 罪人でもないのに、やんごとなき身分の淑女がここまで頭を下げるのは異常だった。

 こんな格好は相手の尊厳を踏みにじる行為と平民相手でも認められていない。やらせたとしたら、貴族の品位が疑われるから。

 でも前はこうじゃなかった、それどころか軽く会釈をすれば良い方で、一切頭を下げない侍女まで居たのに。

 

「なにこれ?」

「いえ、ですから……」

「ヨルミ女王は二階のバルコニーです」

 

 私達が言い争っていると、地に伏せたままの侍女がそう言った。以前は賓客のユマ姫にまで馬鹿にした様な目を向ける侍女だった。ユマ姫もそれを覚えていたのか、不気味そうに顔をしかめる。

 神懸かった存在になったユマ姫をここまで動揺させるなんて、ヨルミ女王は流石だと思ってしまったぐらい。

 

「その背中……」

 

 ユマ姫がその侍女の背中に手を触れる。それでも侍女は地に伏せたまま、ビクンと体を震わせた。敏感な地肌を触られたからだ。

 そうなのです、ヨルミ女王付きの侍女のメイド服は最近大幅にデザインが変更されてしまった。背中を大胆に開けられて、とても過激な衣装になっている。

 しかも、その開けられた背中には……

 

「酷い傷跡、鞭ね」

「は、はい」

「あの子がこんな事するなんて……」

 

 ユマ姫が決意を込めて二階を見上げる。

 そう、ヨルミ女王は他人を苛めて喜ぶサディスティックな趣味に目覚めてしまったのです。

 戦場から帰ってから人が変わってしまった。戦場が人を変えると言うのはこういう事かと、当時は恐ろしく思ったもの。

 

「あ、あの」

 

 その時、侍女が初めて顔を上げ、必死の形相でユマ姫に取り縋った。ユマ姫はそっと彼女を手で制する。

 

「解っています、私がヨルミ女王と話をつけます」

「あの、一度だけ、一度で良いので踏んで頂けませんか?」

「…………」

 

 ユマ姫は途方に暮れて目を瞑った。「手遅れかも……」と弱気に漏らす声を聞いて、私は何故か安心してしまったのだった。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

「来たわね」

 

 二階のバルコニーに出るや、ヨルミ女王に声を掛けられた。

 でも、私も姫様も絶句してしまう。ユマ姫様に声を奪われるどころか、ユマ姫様から声を奪うなんて、流石は女王……と思いたくはない光景だった。

 なんとか気を取り直したユマ姫が、女王を見下ろす。

 

「何をしているの?」

「椅子に座っているだけだけど?」

 

 椅子ではなく、四つん這いにした侍女に座っているから問題だった。手にした鞭を弄ぶ自信に満ちた女王の姿に以前の面影はない。やはり戦場は怖い。だけど変わったと言えばユマ姫の方がずっと変わった、何せ背中に羽が生えている。

 

「あのね、侍女を苛めるのは止めなさい」

「あら、侍女がイヤと言ったのかしら? あなた嫌なの?」

 

 ヨルミ女王は椅子にした侍女の顎先を、鞭でもってクイッと持ち上げた。

 

「い、いえ、嫌じゃないです」

「嫌じゃない、それだけ? 違うでしょ? コレが欲しいんでしょ?」

 

 そう言って、侍女のお尻を鞭でピシャリと打つのだ。凄く痛そうで見ていられない。なのに打たれた侍女はどこか嬉しそうな声を出すから気持ち悪くて仕方がない。

 

「はい、そうです! 申し訳ありません!」

「素直にそう言えば良いのよ。ねぇ?」

 

 女王は更にピシャリと鞭を打つ。いや、何なのでしょうこれは? 何を見せられているのか私には解りません。

 

「あのね、嫁入り前の女の子を鞭で打つのは止めなさい」

 

 ユマ姫はそう言って、侍女の上からヨルミ女王をどけると、侍女の傷だらけの背中に手をかざす。

 

「ああっ」

「大丈夫、もっと気持ちよくしてあげるから」

 

 背中の女王の重みが消えて、いっそさみしそうな声を出す侍女も侍女だけど、それに頓着せず、背中の傷に魔法を唱えるユマ姫はもっと凄い。

 そして、回復魔法が更にその上、途轍もなく凄いのは、私も知ってる。

 

「なにコレ! 気持ち良いです」

「ホラ、もっと私を受け入れなさい、気持ちよくしてあげるから」

 

 そう言ってユマ姫が背中を撫でると、侍女の背中の傷はみるみる消えていった。

 回復魔法、私も何度か掛けて貰った事があるけれど、凄く気持ち良い。しかも昔よりずっと強力になっているように見える。階下に居た侍女達も、傷を治されると皆腰砕けになってしまった。

 

「す、凄い!」

 

 この正真正銘の奇跡を前に、さしものヨルミ女王もポカンとしていた。非情な女王の仮面が外れ、かつてのヨルミ様の姿が戻った様で、モジモジとユマ姫に話し掛ける。

 

「あ、あのね、一人治して欲しいの。コレで打ったら心が壊れちゃって」

 

 そう言って、テカテカと黒光りする鞭を取り出したから、私はゾッとしてしまった。水牛の鞭は罪人を処刑する鞭である、それにしたって残酷だからギロチンで首を落とす事が大半になっているほど。

 そんなモノで侍女を打ち据えたなんて!

 でも、それを聞いてユマ姫は怒るどころか、困ったものだと言いたげな表情でボリボリと頭を掻いた。

 ユマ姫はたまにこうして男っぽい顔をする、そのギャップに惹かれてしまうんだけど、私は変態なんだろうか……。

 いや、私なんて変態ではない。ユマ姫の言葉の方がよっぽど変態だった。

 

「それで女の子を叩くのは二度と止めると誓いなさい」

「で、でも!」

「それで叩いて良いのは私だけ、良いですね?」

 

 そう言って、ガバッと開いた背中と翼をヨルミ女王に見せつけたのだ。神懸かった美しさと、艶めかしい色気を誇る、その背中を。

 

「あ、う、え、あの? 鞭で打って良いの?」

「構いません。私が何をしたか知ってるでしょう? 司令官を前にして命令違反。重罪です? いっそ壊れるまで、気が済むまで打ち据えなさい。そう、私だけに」

 

 そう言って、愛おしそうにヨルミ女王の顔を撫で回すものだから、女王はすっかり顔を赤くして、コクコクと首を縦に振るだけになった。

 ユマ姫は歌うように続ける。

 

「私がどんなに泣いても、気絶しても、鞭を振るい続けなさい」

 

 そんな! 死んでしまう。そう口にしかけたけど。ユマ姫はそんな事じゃ死なない気がした。もし仮に死んでしまったとして、もういっそそれで良いような気さえしてしまい、私は何も言い出せなかった。

 でも、次のひと言にはゾッとした。

 

「でも、男は別です。その鞭で断罪するべき男が大勢居ます。 私にだけ鞭を打ってはズルいでしょう? 国が混乱している責任は、両方に取らせないと」

 

 そう言って微笑むユマ姫の顔は恐ろしく、顔を真っ赤に俯くヨルミ女王とどちらが罰を与える側か、私にはもう解らなかった。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

【オーズド伯、私邸にて】

 

「クソッ! どうしてだ!」

 

 その日の夜、かつてユマ姫も滞在していたオーズド邸の書斎にて、オーズド伯は一人蒸留酒を煽っていた。

 

「こんな……こんなハズじゃ」

 

 ユマ姫は化け物。その証拠を探し国民に突きつけるつもりだったのに、ユマ姫は自らが人外の化け物だとばかり姿を晒した。鳥のような純白の羽を背中に広げて。

 

「なにが、天使だ! 馬鹿らしい!」

 

 オーズドは空になったグラスを書斎机に叩きつけ、抜け毛が落ちるのにも構わずに頭を掻きむしった。途轍もない化け物を育ててしまった。その慚愧の念故だ。

 

 プロパガンダに少女を使うのは何時の時代、どこの世界でも良くある手である。複雑に利権が絡み合う大人の世界に、年端もいかない少女が正論で切り込むのは端から見る分にはセンセーショナルに映るからだ。

 オーズド伯もユマ姫をそうして利用した。

 ユマ姫が初めてオーズドと出会い、それから王都まで長い旅路の間、オーズドは王都でのプロパガンダに努めていた。育て上げた諜報員の力を遺憾なく発揮して、ユマ姫が辿り付く頃には王国一のアイドルが完成していた。

 異種族のお姫様と言う肩書きだけで、王都に辿り付いた瞬間から人気をさらえる訳が無い。

 ユマ姫人気のカラクリは、自分の手によるモノのハズだった。

 

 そんなユマ姫は、当然ながら故国を滅ぼした帝国の悪事を声高に語るだろう。それが主戦派であるオーズド伯の狙いだった。

 

 作戦は上手く行った。否、上手く行きすぎた。

 王子と婚約、大商人までも味方に付ける。王都はどんどんと対帝国への開戦ムードが高まっている。

 

 上がってくるユマ姫の快進撃に快哉をあげていた、かつての自分を殴りたい。

 

 せめて一昨年の夏、ゼスリード平原で巨大な土の壁を作り命を救われた時点で、気が付くべきだった。もうあの時、とっくの昔に人類では制御不能の怪物に育っていたのだ。

 ユマ姫につけたシノニムの報告を鵜呑みにしてしまった。彼女が大丈夫と言う声に縋ってしまった。

 そのシノニムとも、連絡がつかない。きっともう……

 

 パキリと右手のグラスが割れた。血が流れるにも構わず。オーズドはユマ姫を殺す事を決意する。いや、今日だってパレードに紛れて殺すつもりで手を打っていた。

 だが、無駄だった。何重にも張り巡らせた殺し屋の内、実際に行動を起こせたのは一人だけ、他はユマ姫に見とれ指一本動かせなかったと言うのだから言葉もない。

 国民は丸ごとユマ姫の味方だ。きっと貴族の幾らかも。軍部に至っては絶望だ。

 オーズドは自らが所属する主戦派と、かつて敵対した穏健派までを縦断し纏めあげ、ユマ姫に抵抗する勢力を作る事を誓う。

 手始めにユマ姫に近い王女ヨルミをなんとしてでも説得しなければと決意する。

 

 ……その決意が、いっそうの被害を生んでしまうとも知らずに。

 

 シノニムを失ったのはオーズド伯に取ってなによりの痛手だった。

 

 今のユマ姫を見たネルネは宰相殿下に「危険だから絶対に触るな」と警告し、宰相はその報告を頭から信じた。

 

 ネルネの人を見る目はアレで案外正確なのだ。宰相はそれを知っていた。いや、誰であれ、近くでユマ姫を観察していれば気が付くだろう。誰しも一目で魅了する怪物に抗う術などある筈が無い。

 

 ユマ姫はそれほどの化け物に成長していた。


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