死憶の異世界傾国姫 ~ねぇ、はやく、わたしを、殺して~   作:ぎむねま

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聖女伝説1

「とくと見よ! コレが魔王ユマの姿だ、皆、石を持て!」

 

 閑散とする帝都の目抜き通り、ズルズルと台車を引き摺る集団が現れた。

 

 帝都の治安維持隊である。

 

 勇ましい兵士達、派手なパネルを乗せた台車を牽いて往来のど真ん中を進む光景は、一見すると楽しいパレードの如くであった。なのに、鬱々とした雰囲気が全てを台無しにしている。

 参加を強制された人々の顔は暗い。道行く人は渋々と石を持ち、パネルへと投げつける。

 

「魔王め!」

「帝国の怨敵、許すまじ!」

 

 口々に魔王ユマの描かれたパネルをなじり、石を投げる。ただし、誰も本気ではない。そればかりか、そそくさと逃げる者まで居る。

 兵士達はツバを飛ばして怒鳴りつけた。

 

「ソコの者! キサマも石を投げるのだ」

 

 捕まったのは、道行く一人のシスターだった。突如として腕を引かれ、警棒を突きつけられると、困惑を露わに泣き声をあげる。

 

「え、え? なんですか?」

 

 何事と身をよじる姿に、兵士達は思わずツバを飲む。薄い修道服は少女シスターのスタイルの良さを隠し切れていなかった。

 

「お前も石を投げるのだ! さぁ!」

「あの、ドコに、ですか?」

「ドコってお前」

 

 良く見れば、少女シスターは両の目を黒地の目隠しで覆っていた。これではパネルなど見えようはずがない。

 

「おまえ、その目は?」

「あの、わたし生まれつき目が……」

「そ、そうか」

 

 ならば、パネルに石を投げるなど不可能。仕方無く、兵士は少女シスターの手を取り、石を持たせる。職務に忠実な男だった。

 なれど少女シスターの手は滑らかで、兵士の心をかき乱した。

 

「あ、う、この石をあちらのパネルに投げるんだ、軽くでいい」

「は、ハイ。解りました、アッチですね」

 

 少女シスターの声は涼やかで、夏の蒸し暑さを忘れさせた。

 

「あの? パネルには何が描いてあるのですか?」

「ああ、敵将のユマ姫だよ」

「それに石を投げるって……」

「神の使いを自称するユマ姫を崇める奴らが、帝都にも少なくないんだ。そいつらを炙り出そうと上も必死だよ」

「は、はぁ……一体、どんな絵が描いてあるのです?」

 

 不思議そうに聞かれて、兵士は小声で囁いた。

 

「化け物さ。背中には翼、口は耳まで裂けて、獣みたいな尻尾や耳まで生えてやがる。空を自在に飛び回り、人間を食い殺すんだとよ」

「まぁ!」

「馬鹿みたいだよな、そんな生き物、居る訳ねぇのに。だけど上は本気で怯えてるんだ」

 

 自嘲気味に囁く兵士の耳に、ドゴンと大きな音が聞こえた。

 不思議に思って前を見ると、大変な騒ぎになっていた。

 

「な、なんだ? パネルが粉々だ!」

「ど、どうなってる?」

 

 目を離した一瞬で、パネルが()()()()()壊れてしまった。突然の事態に同僚達は大いに慌て、嘆いている。

 呆然とする兵士は肩を叩かれ、振り返る。

 ニッコリと微笑む少女シスターと目が合った。もう、石は投げた様だ。

 

「では、私、行きますね」

「あ、ああ」

 

 笑顔があんまり可愛くて。兵士はその後ろ姿をぼんやりと見送った。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

「おい、ソッチに行くんじゃない」

「え?」

「そっから先は地獄だ」

 

 帝都の外れ、薄暗い路地へと迷い込んだシスターに声を掛けたのは、地面にへたり込んだ老人だった。

 

「悪い事は言わねぇ。ソッチはマズい。なんでこんな所に来た?」

「こんな所とは?」

「お前、目が!」

 

 シスターは目隠しをしていた。遊んでいるのでなければ、目は使い物にならぬのだろう。

 

「そりゃ、余計にマズい。そんなんじゃ猛獣の前に飛び出すウサギだ。喰われに行くようなものだ」

「喰われにって……」

「例え話じゃないぞ」

 

 そう言って、枯れ木のような手でゴザをめくると、伏せる体には足がついていなかった。

 

「それは……」

「喰われたんだよ。後ろからぶん殴られて、気が付けばこの様。まぁ俺にしたって喰える死体でも無いかとスラムに立ち入ったんだから、人の事は言えないがな」

「まぁ、そんな!」

「俺はココで死ぬ。死んだら今度こそ誰かのエサだ。ココはそう言う場所だ、近づくんじゃない」

 

 言いながらも、見えないハズのシスターが哀れな自分の姿に反応した事に、おやと不思議な感じがしたが、盲目の者なりに特殊な感覚でもあるのだろうと老人は深く考えなかった。

 現に、シスターは全く物怖じせず自分に向き直り、淡々と自分の仕事をこなそうとする。

 

「あの、祈らせて下さいませんか?」

「馬鹿言え、今更祈られたって何にもならねぇ」

「でも、さっき死んだようなモノって、ならば死者に祈りを捧げるのは当然ですよね?」

「そりゃ……」

 

 死んだも同然なら、死ぬ前から祈っても同じ。余りにも合理的考えだが、口とは裏腹に生にしがみつく老人には、受け入れ難いものがあった。

 冗談まじりにからかいの声を出す。

 

「どうせなら、殺しちゃくれねぇか? このまま生きたまま腐って死ぬぐらいなら、お嬢ちゃんに殺された方がマシだ」

「そうですか」

「悪い、冗談だ。言ってみただけだよ」

 

 そんな事、出来るハズがない。こんな少女に人殺しなど。

 ゴミみたいな路地裏で、ひっそりと腐って死ぬのだと老人は覚悟を決めていた。

 

 ……だが。

 

「死にたいですか?」

「なに?」

「私に殺されるのは、嫌ですか?」

「そりゃ」

 

 良く見ると、少女の顔は目隠しをして尚整って見えるし、体つきは年頃からは考えられない程の色気を放っていた。

 

「悪く、ないかもしれん」

 

 気が付けば、そんな事を呟いていた。

 すると、少女はゆっくりと手を伸ばす。

 

「そうですか」

「いや、そんな」

 

 こんな少女に、そんな事が出来るはずがない。そう思っていた老人は、最期に神を見た。

 

「お、おおっ!」

 

 神を信じぬ老人が、神に祈った。

 目隠しを外した、シスターの相貌に女神セイリンの面影を見たのだ。

 

 ――ゴキリ。

 

 そして、最期に首の骨が折れる音を聞き、意識は永遠に暗転する。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

「お前、その荷物を置いていけ」

 

 スラムに立ち入ったシスターは、すぐさま四人の男に声を掛けられた。

 ナンパではない、その証拠に男達はスカーフで顔を隠し、手には不格好な棍棒を持っている。

 

「まぁ、どなたです?」

「お前、目が!」

「丁度良い、黙ってその荷物を置いていけ」

 

 シスターは大振りな『何か』を引き摺って歩いていた。ゴザに包まれて全貌は窺えないが、少女シスターには不釣り合いなほど大きな荷物だ。

 

「ソレは何だ!」

 

 好奇心に駆られ、男の一人が尋ねると、得たりとシスターは頷いた。

 

「お肉です、炊き出しでも出来ればと思いまして」

 

 シスターの言葉に、男達は色めき立った。肉など何日も食べていないのだ。

 最後に食べたのは……思い出そうとして、殴り殺して足を千切った老人の姿を思い出してしまう。顔をしかめたのも一瞬、マジマジとシスターを見つめる。

 

「おいおい、コイツぁ」

「楽しめそうだな」

「馬鹿言え、そのまま売っぱらった方が良い」

 

 物騒な会話を前に、きょとんとシスターは首を傾げる。

 薄手の修道服は体のラインをハッキリと晒している。中に収まるすらりと長い足や肉付きの良い体まで、容易に想像がついた。

 顔だって通った鼻や、ほっそりとした顎だけで、潰れた目を補ってあまりある美しさだ。

 これならば、今のご時世でも買い手には困らない。教会を敵に回すのは怖いが、このまま餓えるよりよっぽどマシだ。

 

「あんたシスターなんだろ?」

「俺達に恵んでくれないか?」

「寂しい息子に、施してくれや」

 

 口々に下卑た声を掛けられて、それでもシスターは動じなかった。

 

「炊き出しを手伝ってくれるのですか?」

「違ぇよバァーカ!」

「俺達が欲しいのは、その体よぉ」

 

 ふむ、と考え込んでから、シスターは男達を諭した。

 

「何かを求めるなら、まずは同じだけ差し出さなくてはなりませんよ?」

「何言ってやがる?」

 

 馬鹿にする声を質問と判じたのか、シスターは胸を張る。

 

「私の体を求めるなら、まずは体を差し出すべきです」

「へぇ……」

 

 よっぽど炊き出しに人手を欲しているらしい。しかし、シスターは美しく、男達は女に餓えている。

 体を差し出せと言われれば、別の解釈をするまでだ。男達はシスターを売り払うプランを修正する。

 

「求められたら仕方ねぇよな?」

「ああ、男なら答えねぇと」

 

 男達は粗末な服を脱ぎ捨てると、シスターの修道服に手を掛ける。困惑したシスターは尋ねた。

 

「あの? 炊き出しを手伝ってくれるのですよね?」

「ああ、勿論だぜ」

 

 そう言ってゲラゲラ笑い、修道服をめくりあげようとした。

 

「!?」

 

 だが、シスターの手に押さえられ、少しも動かない。細い体からは考えられぬ、異常な腕力。なのにシスターはニコニコと笑うのだ。

 

「ありがとう、ひとつでは足りないと思ってたんです」

 

 その笑顔は、男達が見た事が無い程に、美しいモノだった。

 

 

 しばらくして、日が暮れたスラムに子供の声がする。

 

「お兄ちゃん、炊き出しが出てるんだって!」

「ふざけんな、誰がするんだそんなもん」

 

 スラムに施しをしていたお優しい貴族様だって、とっくに帝都を逃げ出している。

 後に続こうにも門は締め切られ、逃げ出す事も出来やしない。少ない食料は全て軍部に押さえられてしまった。

 今ではスラムに鼠一匹、それどころか大きな虫だって見かけない有様だ。

 子供達は下水道の細道に、身を寄せ合って暮らしていた。見つかれば大人に喰われてしまう。

 この前は、足を千切られ喰われる老人をこの目で見た。

 

 大人達は、魔王ユマが人を食らう恐ろしい化け物だと喧伝して回っているが、子供達に言わせれば、人を食らう化け物は既にそこらに闊歩していた。

 

 帝都には、人が作る地獄が顕現していた。

 

 だけどまだ、人の世を諦められない子供も居る。

 

「でも、シスター様が炊き出しを」

「教会か、なら」

 

 貴族が無理でも、教会ならばこのご時世に食料を隠し持っていても不思議じゃなかった。

 とは言え、無条件に信じる事はリーダーの少年に許されない。

 

「罠かも知れない。一網打尽に喰われちまうかも」

「でも、このままじゃ」

 

 子供の身で、何日も喰わずに生きる事は不可能だ。夏だからマシだが、それでも夜の下水道は容赦なく体温を奪っていく。

 

「行くか、薄いスープでも温かいだけでごちそうだ」

 

 イチかバチかの賭け、最後に夢ぐらい見ても良いと、少年は立ち上がる。

 しかし、ソレを訂正したのがシスターから直接に話を聞いた少女だった。

 

「ううん、お肉たっぷりのスープだって」

「そりゃあ良い!」

 

 やけっぱちで飛び出した少年少女は、シスターの炊き出しにありつけた。

 

 そこには多くの肉が骨ごと煮込まれていたという。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

「お前が炊き出しをやっていると言うシスターか」

 

 ザワリとスラムの空気が震えた。

 ついに炊き出しの場に兵士がやって来たからだ。シスターの炊き出しでなんとか命を繋いで来た者達は、シスターを守ろうと必死に兵士の行く手を遮る。

 

「馬鹿め、どけどけ!」

 

 しかし、食い詰めのスラム住人と、職業軍人では体格からまるで違う。180cmはある兵士に対し、立ち塞がる者は150㎝あれば良い方で、守るべき少女シスターと変わらぬ身長だ。

 まるで大人と子供、足止めにもならない。

 

「ほほぅ、麦粥に、肉まで入っているとは」

 

 兵士が配られた椀を見やれば、今の時分では中々に豪勢だ。門を守る兵士でもここまでの料理を食べられないのが現状だった。

 

「なんですか、あなたは! ちゃんと並んで下さい!」

 

 そして、突っかかって来る少女シスターはふっくらと血色も良く、美しい。兵士は舌なめずりせんばかりに、シスターの腕を掴んだ。

 

「この食料はどうやって手に入れた!」

「それは……私の個人的な伝手(ツテ)で……」

「ほほう、それはそれは」

 

 兵士の目がキラリと光った。コレは使える。現在帝都は王国軍に包囲されているが、目聡い者は抜け出して王国軍から食料を買い取っていると聞く。

 だとすれば、おおかた少女の美しさに目が眩んだ王国の兵士が、こっそりと流しているに違いなかった。

 

「こっちに来い!」

 

 強引にシスターを攫おうとする兵士の行く手を、小さい幼女が遮った。

 

「お姉ちゃんを連れてかないで!」

 

 それは、スラムの住人の総意であった。少女シスターがどこからか持ち込む食料こそが、住人にとって最後の希望だったから。

 しかし、兵士ですら厳しい食糧事情、どこからか食肉を調達するシスターが目を付けられるのは当然と言えた。

 

「うるさいどけ!」

「きゃっ」

「やめて、その子に酷い事しないで!」

「ほぅ」

 

 幼女を蹴飛ばすと、シスターは身を挺して守ろうとする。ソレを見て兵士は使えると判断した。

 

「よし、お前もついて来い!」

「いやー!」

 

 兵士は幼女を担いでしまう。

 そうして連れ込まれた詰め所の中、シスターは兵士達に警棒で小突き回されていた。

 

「きゃっ! 痛いッ!」

「オラ! 食料を隠し持っていたそうだな!」

「スラムのゴミ共には良くて、帝都を守る我らには供せぬというか!」

 

 体格の良い大の男六人に囲まれて、少女シスターは滅多打ちにされてしまう。

 

 肉体的にも精神的にも少女に耐えられるハズがない。

 散々に恐怖を与え、頃合いとみたところ。兵士達は人質に連れて来た幼女を外へと投げ飛ばし、その小さい背中を踏みつける。

 か弱い悲鳴が、辺りに響いた。

 

「なにをするのです!」

 

 傷だらけの体に構わず、シスターは幼女を追いかけ外に這い出た。

 人質の効果に満足した兵士は、顎で命じる。

 

「その荷車に食料をたっぷり載せてこい」

「コレに?」

「そうだ、三日以内にな」

「三日……」

 

 兵士にしても、シスターを殺す訳には行かない。こうして人質を使い、食料を横流しさせる必要があった。

 三日の猶予だって恩情ではない。どうやって城壁の外にいる王国兵に連絡を取るのか知らないが、その位の準備は必要に思えたからだ。

 しかし、少女シスターは首を振る。

 

「三日も要りません」

「そうか? ならば明日に」

「一刻で十分です」

「なに?」

 

 そう言って、スタスタと兵舎の中に戻っていく。その足取りは、散々に小突かれた女のモノと思えぬ程にしっかりしていた。

 男達は理解不能な少女シスターの行動に顔を見合わせる。

 

「どういうつもりだ?」

 

 問い正す言葉も無視し、兵舎の中心に居座った少女シスターは、その場でくるりと一回転する。

 

 ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴン♪

 

 六回、音がした。

 

 それは固いモノが落下する音。詰め所の中で、小気味良いほどリズミカルに響いた。

 兵士達は突如低くなった目線に焦り、互いに目を見合わせるも、そのまま視界は暗転する。

 恐らくはその瞬間に至っても、何が起こったか解らなかったに違いない。

 

 最期まで。

 

 

 

 それから程なく、スラムの広場で不安に身を寄せあう人々は、怪我一つなく戻って来たシスターを見てホッと胸をなで下ろした。

 

「ご無事でしたか!」

「当然です、見て下さい! 兵士達がお肉を提供してくれたんですよ」

 

 そう言って、シスターは牽いてきた荷車を見せつける。中には肉が山と載っていた。スラムの人々は快哉を叫ぶ。

 

「おおっ」

「奴らも粋な事をする」

 

 少女シスターの人気は留まる所を知らない。皆がその容貌と行いに目を輝かせていた。

 

 いや、たった一人。湧き上がる住民とは裏腹に、シスターの後ろからふらふらと歩いて来た幼女だけは、虚ろな目で見上げていた。

 

 積み上がった、肉塊と見比べて。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

【少し前:帝都を包囲した王国軍陣地にて】

 

 ロンカ要塞が吹き飛んだ後の顛末は見物だった。

 

 要塞を丸ごと使った卑劣な罠は、天より降り注いだ鉄槌に打ち砕かれた。

 

 大げさに聞こえるが、少なくとも帝国軍からはそう見えたらしい。奴らは戦いもせず逃げ回り、帝都に駆け込んだのだ。

 無理もない、これで二度目だ。一度目は魔女が呼び出した巨獣に対して、二度目は要塞。

 どちらにも、俺、ユマ姫が絡んでいる。

 一度なら偶然と強弁した帝国軍も、二度目、それも帝都の間近でとなれば、認めざるを得なかったらしい。

 

 「ユマ姫は、自由に隕石を落とせるのだ」……と。

 

 大変な誤解だが、俺を狙った直撃弾とは誰も信じない。なにせ、当の俺が生き延びている。

 

 そして帝国軍は隕石の衝撃に情けなくも転げ回った。爆発の衝撃は彼らの理性を残らず奪ってしまったからだ。

 一方で俺達の軍はどうか? 奴らには初めてでも、ユマ姫親衛隊にとっては二度目の隕石だ。皆が目を瞑り、耳を塞いで、衝撃に備えた。結果として、木村が指揮する親衛隊は散々に帝国軍を追い回し、三千の兵を帝都の中に押し込めた。

 

 いっそ、帝都に入り込んで虐殺する事だって出来たと言う。でも木村はやらなかった。

 

「あなた抜きで帝都を落としても、意味がないと思いましたから」

 

 チラリとコチラを窺う木村は、晩夏の日差しを遮る幕舎の中で、ひっきりなしに書類にペンを走らせている。

 

「それはそうでしょう。ココまで来て、寝ている間に全部終わりました。では納得出来ません」

 

 そう言って、俺は金のスプーンでアイスを頬張った。物欲しそうにする木村にも、アイスを渡してやる。

 暑い時のアイスは旨い、口に運んだ木村はホッと一息つく。

 

「帝都では食糧難に喘いでいるのに、コレは贅沢ですね」

「そうなのですか?」

 

 近隣の農村ではそんな様子はなかった。むしろ、牛馬が多く、大変に賑やかだった印象なのだが。

 

「奴らはゼスリード平原の穀物を当て込んでいたのです。それで畜産を増やしてしまった」

「そうでしたか」

 

 もしもの為に備蓄するべき小麦まで使って、家畜を殖やしてしまったらしい。

 そして、いよいよと畜するかと言う時に、俺等が攻め込んだ。更には略奪も俺が防いでしまった。

 だから余ってしまうほどに牛乳があるのか。俺はアイスをパクついた。

 

 隕石が落ちた後、俺はボロボロになった体を癒やす事に務めた。だけど魔力は腐るほどある、退屈した俺に振られた仕事は牛乳の分離だった。

 目当ては日持ちする脱脂粉乳、保存食やスープの素に大活躍だと言う。

 

 そうして、大量の生クリームが生み出された。コレは日持ちしないのでまたも俺の魔法で大量のアイスに姿を変える事になる。卵はともかく砂糖が足りないので麦芽水飴で作ったが、評判は上々だ。麦芽のせいでほんのりと茶色で、素朴な甘さに仕上がったようだ。

 

 真夏の午後に、アイスを頬張る贅沢を満喫する。

 

 ふと、家族と湖畔に遊びに行ったとき、コレがあったら最高だったろうなと思う。

 俺が冷凍魔法をもっと早く極めていれば……。

 いや、帝国が攻め込んで来なければ。こんな暑い日には、セレナと二人でのんびりアイスを食べる未来もあったのだろうか?

 そう思えば、大詰めとなった帝国への復讐へも力が入る。

 

「中はどうなっているのです?」

「控え目に言って大混乱。大げさに言えば地獄だとか」

「そうですか……」

 

 中の様子は調べるまでもない。

 既に帝都を見切って逃げ出す貴族も少なくないからだ。木村は逃げ出す馬車から物資を略奪(曰く、既に暫定統治下にあるので徴発)している。馬車の住人から聞こえてくる話だけでも、無惨な様子は十分解る。

 

 よくよく思い返せば、ロンカ要塞にも食料は殆ど見当たらなかった。武器や火薬は捨てたとしても、食料だけは捨てられなかったと言う事だ。

 帝国の奴らが食料難に苦しむ姿を想像するだけで溜飲が下がるが、苦しんでいるのは平民ばかりに違いない。

 ここでもまた、帝国軍人が無抵抗な民をゴミみたいに屠っていると思うと、ムカムカとこみ上げる怒りがあった。

 

「少し、様子を見てきましょうか」

 

 宣言と同時、立ち上がった俺はチラリと木村の様子を窺った。

 こんなん止められるに違いないからだ。……だが。

 

 ――カリカリカリ

 

 ペンが走る音だけが響く、ガン無視である。

 心配してくれると思っていただけに、少し寂しい。

 

「止めないのです?」

「止めても無駄でしょう?」

 

 無駄だけどさ、一応様式美って事で止めてくれても良いじゃないか。

 

「ユマ姫、私はね、心底情けないんですよ」

「どう言う事です?」

「私では、どうやっても好きな女性一人守れないと言う現実が」

 

 ……ソレって隕石? ンなモン全人類守れないだろ。

 ってか、好きな女性ってどうなの?

 

「わたしの事を、化け物と思っているのではないのですか?」

「そんな事、誰が言いました?」

 

 木村は心外だと俺を睨む。うーん、どうしたことだ?

 俺は『参照権』で記憶をまさぐって尋ねる。

 

「私が気絶しているとき、耳に聞こえました。キィムラ様、あなたがタナカ様に尋ねる言葉を」

「…………」

 

 木村は無言で先を促す。

 

「訊いていましたよね? 「アイツは本当に『高橋敬一』なのか」……と」

 

 ソレを聞いて思ったのだ、親友ですら、もう俺が化け物になったと疑っていると。

 俺が化け物になったから、俺が死にに行こうが気にしないのだと、そう思ったのだが、どうにも様子がおかしい。

 困惑する俺に、木村はクルクルとペンを回しながら、鼻で笑った。

 

「まず……聞きたいのですが」

「はい」

「あなたが『高橋敬一』でなかったとして、困る事などありますか?」

「え?」

「むしろ、その方が素直に口説きやすくて良い!」

 

 ――オイオイオイ、前向きかよ。

 

「あなたが困らずとも、私自身が困るのですが?」

「そんなもんは知りません」

 

 ――オイオイオイ、こっち向けよ。目を逸らすな。

 

 何だそりゃ? 俺としては俺が俺だから、『高橋敬一』だから、親友の二人が大切ってトコがあるんだが? なのにお前は俺が高橋じゃない方が好都合って、冷たくない?

 

 まぁいいや、俺だって俺みたいな美少女だったら、中身がなんだろうが大抵のモンは目を瞑るし、なんなら親友以外のなんでも良いまである。

 ん? つまり、俺じゃない方が良いのか? まぁ深く考えないようにしよう。

 

 だとすると、何で俺を止めないんだ? か弱い美少女が敵陣に乗り込もうとしてるんやぞ?

 木村にそう聞くと、首を傾げる俺に向き直り、手を取って、真剣な目で見つめてくる。

 

「私がユマ姫を止めない理由は、第一に、愛した女性が無抵抗な市民を虐殺するところなど、見たくは無いからです」

 

 そうか、そうだよな。誰だってそんなの見たくないよな。

 俺が帝都に忍び込み、市民に情でも移ったら、復讐に狂わずに済むだろうと?

 

「それもありますが、帝都の惨状を見て、むしろアナタが帝国への恨みを深くするなら、それは彼らの自業自得、私としても折り合いがつきます」

 

 なるほどねぇ、俺はウンウンと頷いた。

 

「そして第二に、私はアナタを守れない、だけど帝都の市民なら?」

 

 どう言う事だ? 俺はコテりと首を傾げて先を促す。

 

「かわいい、えと、ユマ姫の『偶然』は注目を浴びるほどに効力が薄まる。

 かわいい、ならば、帝都に乗り込んで。多くの人に愛され、いっそ恨まれる事すらも。

 『偶然』による死を遠ざける一助になるのではと、かわいい」

 

 なるほどね。

 かわいいがしつこい。

 

「そのための食料は幾らでも融通しますよ。ただし城壁の向こうに送る手段は限られますが……」

 

 そんなモンは担いでよじ登れば良い。俺の身体能力ならただの石壁なぞ無いも同じ。

 

 隕石にやられた俺は、羽がボロボロに朽ちてしまった。だけど、今となっては特段必要なモノじゃない。目的の帝都はスグに手が届く場所にあるのだから。

 もう飛ぶ必要なんてドコにもない。

 むしろ、潜入するには余分なモノがなくて、いっそ丁度良いぐらい。

 

「では、早速帝都に忍び込みますか」

「待って下さい」

 

 ウキウキと席を立った俺に木村が待ったを掛ける。

 なんだ? 今更止めろとか言うんじゃないだろうな?

 

「その格好は目立ちます、コレを」

「…………」

 

 シスター服、それもちょっと薄手で体のラインが出る感じの。

 コイツ、ブレないな。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 帝都のメインストリートをプラプラと歩く。薄手のシスター服がなんとも落ち着かない。

 

 今の俺は、シスター服に加え、見るからに怪しい黒い目隠し。なんか訳アリキャラって感じがして楽しい。主人公を導く謎の存在とか目指しちゃおうかな。

 

 なんでって、目は柔らかく複雑な部分なので、まだ完全に戻ってないのだ。太陽光が目に痛い。

 そうでなくとも俺の特徴的な目の色で、スグに正体がバレてしまう。

 

「とくと見よ! コレが魔王ユマの姿だ、皆、石を持て!」

 

 するとまぁ、奇妙な連中が現れた。え? なにこのイベント。

 

 どうやら、帝都にも俺の過激なファンがいて、ソレを炙り出す催しだとか。なるほどね。意味がワカラン。

 手取り足取り、ねっとり石の投げ方を教えてくれる兵士さんには悪いが、知りたいのはパネルの絵だ。

 どんなのか気になるじゃないか、目隠しして魔力視と運命光に頼る俺じゃ、どんな絵が描いてあるかまではわからない。

 仕方無いから兵士に尋ねた。

 

「化け物さ。背中には翼、口は耳まで裂けて、獣みたいな尻尾や耳まで生えてやがる。空を自在に飛び回り、人間を食い殺すんだとよ」

「まぁ!」

 

 大体あってる。たまげたなぁ。

 

「馬鹿みたいだよな、そんな生き物、居る訳ねぇのに。だけど上は本気で怯えてるんだ」

 

 ……いや、馬鹿みたいとは何だ。 いるさっ ここに ひとりな!!

 俺は思いきり石を投げつける。

 直撃! パネルは粉々に砕け散った。

 

「では、私、行きますね」

 

 それだけ言い残し、呆然とする兵士を置き去りに、俺はスラムを目指す。

 

 

 そして、スラムに入る直前、地面に蹲る爺さんに止められた。

 

 ココから先は危ないと、本気で止めてくる。知ってるがな。

 でも、自分も死を待つばかりだと言うのに、本気で心配してくるのだ。その運命光は砂粒みたいに小さい。

 しかも、掛けられたゴザをめくって見せてくる下半身には、足が無かった。

 

「それは……」

「喰われたんだよ。後ろからぶん殴られて、気が付けばこの様。まぁ俺にしたって喰える死体でも無いかとスラムに立ち入ったんだから、人の事は言えないがな」

 

 聞きしに勝る地獄。

 ……でも、人間を喰うのが地獄ってなら、俺の存在が地獄みたいなトコあるよな。魔王ユマ姫だから仕方ないね。

 まぁ良いや。ココで腐っていく位なら、俺が送ってやろうじゃないか。

 聞いてみれば、本人もソレを望んでいた。

 

 俺は老人の首をへし折った。

 

 そして、スラムに立ち入ると、三人の男に呼び止められた。

 ナンパか? 流石スラムだ、治安が悪い!

 

「ソレは何だ!」

「お肉です、炊き出しでも出来ればと思いまして」

 

 老人の死体を手に、俺が元気に答えると、露骨に喜んで見せる男達。

 なるほど、ナンパじゃなかった。喰いたいだけだコイツら。スラムじゃ人間だろうと構わず喰うってのは本当らしい。

 でも、どうせなら炊き出しを手伝ってくれないだろうか? ドサクサに訊いてみよう。

 

「炊き出しを手伝ってくれるのですか?」

「違ぇよバァーカ!」

「俺達が欲しいのは、その体よぉ」

 

 なるほど、あくまで狙いは老人の肉か、俗に言う『貴重なタンパク源』だもんな。

 しかし、コレを渡す訳にはいかない。麦だけは木村から貰ったが、麦粥だけってのは味気ない。

 スラムでは人間を食べるのも普通みたいだし、肉を足そうと考えたのだが、コイツらもどうやら肉を諦める気が無いらしい。

 

 分けてやりたいが、でも、枯れ木みたいな老人たった一人じゃ、ただでさえ炊き出しにも足りないのだ。

 うーん、……ソッチは三人も居るんだから、二人で一人喰えば良いじゃん? 俺は提案した。

 

「何かを求めるなら、まずは同じだけ差し出さなくてはなりませんよ?」

「何言ってやがる」

 

 やっぱりその気は無いらしい。

 

「私の(獲物)を求めるなら、まずは(獲物)を差し出すべきです」

「へぇ……」

 

 俺がそう言うと、なんと男達は次々に服を脱ぎ始める。

 

「え?」

 

 俺は混乱した。一人で良いと言うのに、三人とも食肉加工がお望みとは。

 身を挺してスラムを救おうとする思い切りの良さに、俺は激しいショックを受けてしまった。

 あれだけ炊き出しを手伝わないと言っていたのに。ツンデレかな?

 

 取り敢えず、食肉は増えた。

 

 

 そして、炊き出しをスタート。内臓は丁寧に塩で洗って、圧力鍋で何時間も煮込めば美味しくなる。骨だってしっかり出汁になる。

 地球でも昔は食肉のかなりの部分を捨てていたみたいだが、焼き肉屋の仕込み動画を見ていた俺に隙は無い。現代知識チートの一種だろう。

 

 そうして、炊き出しを行ったのだが、大好評だった。

 だけど、ニコニコの皆と違って、俺の気分は沈んでいった。

 

 みんな、いい人過ぎるのだ。それも、度を超えて。

 

 子供達は炊き出しを笑顔で手伝ってくれるし。

 スラムをブラつけば、食肉となるべく体を差し出してくる若者が後を絶たない。ましてコレで解体して下さいとばかりに、ナイフまで差し出して来るではないか。

 

 喰われるために、自らたき火に飛び込んだウサギの話を思い出す。

 

 こんな献身があるだろうか? 一方で俺はバクバク食ってばかりで、なんて醜いのだと自己嫌悪に陥ってしまう。

 

 恨むべき、殺すべき仇と言える帝都の人間が、愛情に溢れて暮らす現実に、俺は打ちのめされていた。

 

 そんな折、救世主が現れる。

 

「お前が炊き出しをやっていると言うシスターか」

 

 無礼な帝国兵が現れた。コイツらならきっと性根が腐っているはずだ。

 

 兵士は俺の期待に違わず暴れ回り、幼女を人質に俺を兵舎に連れ込んだ。そして、寄ってたかって警棒で殴りつけてくる。

 

 何と言う悪党! 一周回って、俺は嬉しくなってしまった。なんて最低のゲスなのだ。

 これなら、心置きなく殺せる! しかし俺は思いとどまった。一つ確認すべき事がある。

 

「あの?」

「なんだぁ?」

「ひょっとして、あなた方は大森林の遠征に参加しましたか?」

「ああぁん、したぜぇ」

 

 まさか? 本当か、本当に?

 俺の期待に応えるように、男達は口々に囃し立てる。

 

「したした、メチャクチャにぶっ殺してやった」

森に棲む者(ザバ)を並べてバンバン首を刎ねるの、たまらねぇぜ?」

「女は好きなだけ犯して回った、あんなに女を抱いたのは初めてだぜ、またやりてぇ」

 

 俺を脅かそうと、ゲラゲラ笑って武勇伝を自慢してくる。

 

 何と言う事だろう、ゴミ屑な帝国軍人はココに居た!

 まるで復讐の正当性に太鼓判を貰ったみたいで、俺は嬉しくて堪らなかった。

 

 なにせ、捕虜にとったマークス始めロアンヌの騎士達も、親衛隊に寝返った捕虜の騎士達も、一人残らず気の良い奴らだった。

 そして、帝都の薄汚いスラムの人間すら、性根が綺麗な人間ばかり、ひょっとして俺が間違っているのではと不安で仕方がなかったのだ。

 

 だけど殺すべきクズはしっかりと存在した。それが、こんなにも嬉しい。

 自国民の幼女すら人質に、俺に命じるではないか。

 

「その荷車に食料をたっぷり載せてこい」

「コレに?」

「そうだ、三日以内にな」

 

 ああ、三日なんて我慢出来るハズが無い。

 

「三日も要りません」

「そうか? ならば明日に」

「一刻で十分です」

「なに?」

 

 そして、俺は兵舎のなかで踊った。

 そこで俺は誓いを破る。

 

 ずっとずっと、心に誓って生きてきた。エルフの街を略奪した連中は、生まれた事を後悔するぐらいに、ひたすらに嬲って殺そうと。

 それだけが生きる希望だったから。

 

 だけど、ありがとうの気持ちを込めて、俺は一瞬で、優しく、彼らの首をコトリと落とした。

 その音は、俺の晴れやかな気持ちを表すように、リズミカルな音で兵舎に響いた。

 噴水の様に血が噴き出して、俺はその中心でクルクルと回り、ごきげんに歌う。

 

 ああ、世界の全てを祝福出来そうな程に、気分が良い。

 

 気が付けば、大量の食肉と荷車まで手に入った。

 

 積まれた肉を見て、思う。

 なるほど、心持ちはどうあれ、結果は一緒なのだ。だからこそ、彼らもまた聖なる行いをしたと言える。

 

 俺の炊き出しは評判となり、いつの間にか聖女伝説が帝都で語られていく事となる。

 

 俺が一切名乗らなかったものだから、ついたあだ名は聖女ウルフィア。

 

 この世界で死を運ぶ天使の名がついたのは、俺が何をしていたのか、皆が薄々気が付いていた証拠であろう。


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