死憶の異世界傾国姫 ~ねぇ、はやく、わたしを、殺して~ 作:ぎむねま
ユマ姫は聖女であり、天使である。
正義の体現者として、彼女は帝城に降臨した。
ユマ姫を前にして、既に貴族街への城門は開け放たれている。湧き上がる民衆を前にして、多くの貴族が戦わずして諦めた。
そのままの勢いで、ユマ姫は第三城郭、本丸である帝城の前へと辿り付く。
ココに来て、ユマ姫は黒毛の名馬グラフェンから飛び降りた。
魔法を十全に行使するために、馬の健康値が邪魔になるからだ。
たった一人、巨大な城門に相対する。
臨戦態勢の巨大な帝城を前にして、少女が一人。
異常な光景だ。華麗にして色気を振りまく装束が、見る者の狂気を加速させる。
だから総大将である少女が一人戦おうとする様を、誰も止めない。止められない。
姫を守るべき騎士だって、神話の如き場面を前に立ち入れない。
今だって、とっくに敵の射程内。矢狭間から銃を撃たれれば、常人ならば死は免れない。
なれど、誰もその光景を想像出来ない。たった一発の銃弾に倒れるユマ姫を想像出来ない。
人が神に触れる事など出来はしない。そう信じて疑えないのだ。
目を開ければ、そこに奇跡はある。
ユマ姫がゆったりと手を上げるだけで、城門の鉄格子はバラバラに分解された。
それは、魔法だ。エルフの中では体系だった技術に過ぎない。
しかし、ここでは誰もそれを奇跡と区別出来ないし、する気も無い。
もっと大きな奇跡があるのだから。
手を挙げるとき見えた無防備な脇、締め付ける鎖に見せる悩ましげな表情。
ユマ姫の美しさの方が、よほど大きな奇跡であった。
城門の巨大な扉が、ただユマ姫が近づくだけでひとりでに開いていく。もちろん不自然な光景だ。だが、その程度の事は何でもないと、市民は黙って見守った。
しかし、それは罠だった。
次の瞬間。市民達は突然の出来事に悲鳴をあげる。
つんざく轟音と共に、ユマ姫が吹き飛ばされたからだ。
開かれた城門の向こう、鎮座していたのは巨大な臼砲。
ぽっかり空いた砲口は、もくもくと硝煙を吹き出していた。
臼砲とは?
木村や魔女が好んで使ったのは、カノン砲。砲身が長く、弾速が速い。その代わり、砲弾は小さい。
装甲車に括りつけた砲など、野球ボールサイズの砲弾しか撃てない。
対して臼砲は、砲身が短く、弾速が遅い。そして砲弾はひたすらに大きい。
狙いもつけず、砲弾の重さで対象を破壊する。役目としては投石機が近い。
質量をもって城や砦を破壊する兵器なのだ。
そんなモノが人間に直撃したら、どうなるか?
つんざく悲鳴の大きさが、ユマ姫の様子を物語る。一抱えもある鉄球が、小さな少女を挽き潰したのだ。
直径にして30㎝を越える鉄球の重さは、100キロを優に超える。そんな物体が直撃して、生きていられる人間など居るはずがない。
では、人間でなかったら?
その答えが、コレだ。
臼砲の後ろで勝ち誇っていた帝国兵の笑顔が固まる。
無理もない、潰されたユマ姫が、片手で鉄球を押し退けたのだから。
この程度の攻撃、ユマ姫は予想していた。
だから、ユマ姫を傷つけたのは100キロを超す鉄球の質量ではない。ユマ姫を飾る、金の鎖の輝きだった。
ちょっとした衝撃で弾けるハズのか細い金鎖の輝きは、鉄球の衝撃に耐え抜いて、ユマ姫の首をギリギリと締め付けた。『偶然』にも鉄球の衝撃が、自壊を促す安全装置を壊してしまった。
痛みに慣れたユマ姫なれど、苛立たしげに舌打ちをひとつ。
体のダメージが深刻だったからではない。
むしろ、体の中には尋常ならざる力が満ち満ちていた。
その力が、制御出来ない。
鉄球の衝撃と、締め付けられた苦しさに、体が人間の姿を
一抱えもある鉄球の質量よりも、なお激しい力が体内を駆け巡る。うずくまり、曝け出されたユマ姫の背中が盛り上がる。
少女の殻を、何か巨大な力が突き破ろうとしていた。
ギチギチと悲鳴をあげる金の鎖は、まるでユマ姫を人間の体に留める
肩甲骨を引き裂くように、背中から現れたのは翼だった。それは、以前より大きい翼。
今、再び、ユマ姫が翼を授かる。
翼だけではない。
身を起こした頭には獣の耳が、臀部には尻尾まで生えている。
思い出すのは、魔王ユマの描かれた醜悪なパネル。
だが、語られる姿は同じでも、ユマ姫の美しさは減じるどころか、夢幻の神秘を獲得していた。
市民は、目の前で立ち上がった幻想に息を飲む。
もはや、人類を超越した何かである事は疑いようが無い。
翼を広げれば金の鎖は一斉に弾け、虚空に舞い踊り、金の輝きでユマ姫を彩った。
神々がユマ姫の美しさを祝福するようだった。
だとすれば、装飾の無くなったユマ姫の首や肩周りは寂しくなったか?
違う。
締め付けられた証として、赤い線条が白い肌に走り、見る者を狂気の美へと
金に輝く空気、白い肌に、赤い跡、そして銀の髪がゆっくりと桃色に変じていけば、いよいよ狂乱の宴が始まった。
トンッっと軽い跳躍、それだけでユマ姫は城内に入り込む。
臼砲の前に降り立つと、剣をひと撫で。臼砲ごと人間はバラバラになって崩れてしまう。
舞い散る血煙も、ユマ姫に添えられる花に過ぎない。
もう誰も、少女を止める事など出来はしない。
唯一、少女を止められる二人の男は、遙か遠く、この場に居ないのだから。
歩みを止めないユマ姫が、王剣を振るう。音もなく扉が崩れると、いよいよ宮殿へと踏み込んだ。
無骨な城門と打って変わって、宮殿内部は豪華絢爛。ふかふかの絨毯に、煌めくシャンデリア。しかし、ユマ姫は目もくれない。
ただ、黄金で彩られた大鏡を前にして、ユマ姫は一度だけ足を止める。
しばし、自分の体を確認したのだ。
獣の耳も、尻尾も、大きな翼だって気にならない。目についたのは素肌を彩る赤い線条。流れる汗が、痛々しい跡に吸い込まれ、伝っていく。
それを見て、思わず、身じろぎ、後ずさる。
余りにも色っぽい、自らの姿に魅入ってしまう。
気恥ずかしさに頬を赤く染め、困惑するが、それも一瞬の事。キュッと唇を結び、決意を新たに髪をかき上げた。
ピンクの髪に絡みついていた金鎖の残滓がキラキラと舞い上がる。
それを見てしまった守備兵達は、哀れであった。一歩も動けずただ硬直するのみ。
真っ正面から歩いてくる侵入者を前に、ただ首を差し出すしかない。まるで天使の断罪を待つが如く。
振るわれる王剣は、草木のように命を刈り取っていく。
ユマ姫が歩いた廊下には、首のない死体が直立姿勢のまま立ち尽くしていた。
何体も、何体も。
まるでプレートメールの置物の様だった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
辿り付いたのは
高い天井に絢爛なシャンデリアが揺れ、まばゆい輝きが大理石の床に反射する。
壁にはいくつもの美しい絵画が飾られ、一つ一つがどれだけの値打ちか、計算するのも馬鹿らしい程。
そこに歩みを進める淑女が一人。
ユマ姫だ。
ロクな抵抗も無いままに、宮殿の中心部まで辿り付いてしまった。
「ふふっ」
ダンスの相手がいないお姫様。そんな妄想に、ユマ姫は自嘲した。
だが、手を差し伸べダンスに誘う紳士がたった一人。舞踏場の出口で待っていた。
「ようこそ、我が王宮へ」
「あなたは?」
ユマ姫の姿を見ても、硬直しない。ただ者ではなかった。
そして、若い。十代の半ば、ユマ姫と変わらない年頃は、少年と言うのが相応しい。しかし、まだ幼さの残る顔立ちは自信に満ちている。
「おや? 私を思って遙々来てくれたと思ったのだが、とんだ自惚れだったらしい」
気障な仕草だ。金の髪を掻き上げ、肩を竦める。
姿絵で、何度も見た顔だった。ユマ姫とて、驚きに目を
「皇帝……?」
「そうさ、その通り、知っているじゃないか」
大物ぶって笑うには、まだ貫禄の足りない顔だ。それでも、下げた事のない頭には傲慢と不遜が満ちて、権威に裏打ちされた威光が備わっていた。
本物だ。偽物だとして、ユマ姫に相対してマトモに動けるだけで、ただ者ではない。
「皇帝が、他国の姫と話すには少々殺風景だな」
悠然と言い放ち、指を鳴らす。
何を? と問う間もなく、ぞろぞろと人が湧き出した。
楽団だ。男も女も燕尾服やドレスを身に纏い、手に手に楽器を持っている。何をするつもりか? 楽器に見えて槍なのか? はたまた銃か?
違った。ただ、一斉に奏で始める。
軽やかなメロディがダンスホールに響き、支配する。
当たり前に見えて、当たり前ではあり得ない。
今、帝城は攻め入られ、滅亡の際に瀕している。なのに、この余裕。
姫がたった一人城に討ち入る、とびきりの狂気。立ち向かう皇帝は更なる狂気で上書いた。
「なんのつもりです?」
「終わりぐらい、豪華に飾りたいだろう?」
皇帝は、音楽にあわせ、歌うようにして、銃を構えた。
それは巨大なリボルバー。
皇帝は躊躇せずトリガーを引く。
パンッと軽い発射音。施条がもたらす回転が空気を切り裂き、弾頭がユマ姫を目指して直進する。
――ピシッ
あわや頭部に直撃する直前。宙で弾頭がひしゃげ、ピタリと止まった。
何もない空間がひび割れて、その向こう側でユマ姫は艶然と微笑む。
ココに来て、タダの弾丸でどうにかなるユマ姫ではない。
いよいよ、奏でる曲はクライマックスに差し掛かり、テンポアップしたリズムに弦楽器をかき鳴らす男は汗だくだ。一心不乱に奏で続ける。
冗談みたいな光景。だが、全員が、命を懸けてこの場にいる。
楽しくなって、ユマ姫は問う。
「おしまい、ですか?」
「まさか」
今度は銃口を上に向け、撃った。
それが合図。曲のクライマックスを引き裂くように、一瞬の静寂が訪れる。
そして、巨大なシャンデリアがユマ姫目掛けて落下した。
強烈な破砕音、ガラスが割れる音に、金属がひしゃげる音。
割れたクリスタルがキラキラと飛び散り、転がる蝋燭の炎とガラス窓から差し込む光が乱反射して輝く。
しかし、シャンデリアの残骸、そのただ中に立ち尽くすユマ姫は、全くの無傷。
その艶姿をプリズムの光が七色に照らし出していた。
皇帝ですら、その美しさに一瞬、見惚れた。
しかし楽団は構わずドラムを打ち、シンバルを叩く。静寂も、破砕音も、楽曲を彩る演出の一つとなり果てた。
彼らは足元だけを見て、何も考えずひたすらに奏でよと命じられている。おかげで皇帝は正気を取り戻した。
これは真実、狂気を押し付け合う戦いだった。飲まれたら最後、エンディングにあるのは死だ。
皇帝は魔女の洗脳能力を知るが故に、意識を奪う力への抗い方を知っていた。
とにかく、気を逸らし、相手に集中してはならない。
神より授かった魔女の力とは異なるが、ユマ姫の美しさも奇跡そのものなのだから。
止まらない楽曲にユマ姫は感心し、一層盛り上がる曲に気をよくする。
「次は?」
可愛らしくねだってみせる。
しかし、皇帝はもちろん、ユマ姫だって端から見る程の余裕は無い。
ただ、相手に飲まれたら負けなのだ。コレは、そう言う戦いだった。
「そうだな、こんなのはどうだ?」
開け放たれる窓、そこから飛び込んだのは巨大な異形。
コレは、まさか? ユマ姫ですら、驚き、後ずさる。
天井の高いダンスホールいっぱいに翼を広げると、ユマ姫も良く知る姿をさらけ出す。
鷲の上半身に、獅子の下半身。
「グリフォン!」
「おや、知っていたかな?」
異形の怪物がダンスホールに降り立ち、皇帝を守るように立ち塞がった。
まさか、生きていた? いや、培養した?
あり得る話だと、ユマ姫は納得する。
ユマ姫自身、一度死んで、細胞から復活している。ネックとなる記憶も、獣ならば関係がない。
魔女が皇帝の為に、最後の護衛として形見を残したとしても不思議じゃない。
「どうだ? 気に入って貰えたかな?」
「ええ、懐かしいわ」
――コイツとは、直接決着をつけていなかった。
ビィィィィィィィ
相対する獣が二匹、吠える。
円舞曲の中、化け物の舞踏が始まった。