死憶の異世界傾国姫 ~ねぇ、はやく、わたしを、殺して~   作:ぎむねま

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舞踏会の獣

 舞踏場に人外の獣が二匹。

 

 翼を広げた大鷲の上半身に、筋肉が盛り上がる獅子の下半身。

 この幻獣を地球人が見たならば、誰もがグリフォンと呼ぶだろう。

 

 相対するは可憐な姫。ピンクの髪に、大胆に肌を晒す純白の衣装を身に纏い、身の丈を越える大剣を軽々と振るう。

 

 豪奢な舞踏場にはシャンデリアの残骸が転がり、蝋燭の光をキラキラと反射する。

 二匹の獣を囲む様にズラリと並んだ楽隊は、一心不乱にハイテンポな曲を(かな)で続ける。

 

 メチャクチャだ。

 

 メチャクチャな光景だった。

 

 ユマ姫にして内心で「安っぽいゲームみたいだ」と虚勢を張って、鼻で笑って正気を保つのが精一杯。

 それほどに現実感が乏しい景色。

 だから、CGも、特撮も無いこの世界で、まして息が届きそうな距離でコレを見てしまった男は、不幸としか言い様が無い。

 

「な、な、な、なんだ?」

 

 弦楽器を弾く男は、チラリと前を向いてしまった。

 それだけで、もう、動けない。

 幻想に取り込まれ、(うつ)()に帰る事が叶わない。

 

 常識が殺された世界を前に、現実を忘れた。

 

 だから、死んだ。

 

「手を止めるな!」

 

 皇帝が、銃を撃ったのだ。

 男の頭は脳漿(のうしょう)を吹き出し、ガクリと垂れる。

 

「ヒッ!」

 

 それを見て、他の楽士は必死に奏でる。

 彼らは音楽のみが魔王の邪悪な結界を破壊すると、そう言い含められている。

 それゆえ、狂気にあてられないよう、足元だけを見て、(そう)するべしと命じられていた。

 

 命じた皇帝すら、半信半疑の命令だった。気を紛らわせるためだけの音楽だった。

 だが、ココに至り、吐いた嘘は真実と混じり合い、境界を朧にする。

 この現実を前にすれば、如何なる妄想も、妄想と断ずる事が出来なくなった。

 

 楽隊は自分達の音楽が世界を救うのだと、崇高なる決意を決める。

 だが、それにしたって、限度があった。

 だから、決して見てはいけない。目の前に天国と地獄が同時に現出しているのだから。

 

 死んだ男の手から零れた弦楽器がギリギリと不協和音を奏で、床へと落ちる。

 

 ビィィィィィィィッ!

 異音が咆哮と溶け合い、世界を狂気へいざなった。

 

 それを合図にグリフォンが動く。巨大な爪が小さな少女に振り下ろされた。

 ユマ姫は踊るように躱すと、両手に掴んだ王剣を振り上げる。

 それだけで、グリフォンの爪は虚空を舞った。ただの一太刀で切断したのだ。

 

 血風を向こうにユマ姫は薄く笑う。拍子抜けだと。

 

 今の自分は、かつてと大きく異なる。流れる魔力は桁違いで、星獣の記憶から、魔力を膂力に置き換える技すらモノにした。

 剣の腕など必要無い。駄々っ子の様に剣に振り回せば、触れたモノ全てが壊れていく。

 

 ――ギュオォォォォォォォォォォ!!

「あら、どうしたの?」

 

 だから、尻尾を巻いて逃げようとするグリフォンを前に、余裕さえ見せてしまう。

 

「クッ、クソ! 逃げるな! 戦え!」

 

 皇帝は慌てる。コレが正真正銘、最後のカード。今のユマ姫を相手には、万の兵を率いても勝てる気がしなかった。

 だから、グリフォンの鼻先に銃口を突きつけ……

 

「だめでしょう? そんなに楽に死んでは」

 

 ガチリと音をたてる嘴の咬合を間近で見た。

 ユマ姫が襟を引っ張らなければ、皇帝の頭はスイカみたいに潰れただろう。

 

「なっ? に?」

 

 今、確実に死んでいた。助けられたのだ。

 

 なんで? なにが? どうして? 様々な思いに錯乱する皇帝。

 どうしてと問い正そうとして、恐怖に舌が回らない。

 

 しかし、()()だ。

 まだ、コレから。

 

 本当の狂気が加速するのは、ココからだった。

 

 腰が抜けた皇帝を、ユマ姫が後ろから優しく抱きしめる。

 

「だめでしょう?」

 

 耳元で囁く、その声の甘い事。皇帝の理性はたちまち溶け出した。

 背に押し付けられる胸の柔らかさ、なによりみずみずしい体から立ち上がる甘い香気が、脳を直接蕩かしていく。

 皇帝とて、名の知れた美女を飽きるほど抱いた。女達は身に纏う香水や香粉で家が建つと自慢げだった。

 そのどれも、コレほど芳しく、甘い匂いはしなかった。

 ユマ姫が耳元で息を吹きかけ、愚かな子供を(さと)すように唄う。

 

「だめでしょう? 勝手に死んでは。殺すのは、わ・た・し」

「あ、う」

 

 皇帝は、瞬時に理解した。

 猫が鼠を嬲るみたいに、ユマ姫に殺されるのだと。だから助けたのだと。それが故郷を滅ぼされた彼女の復讐なのだと。理解した。理解してしまった。

 

 だからこそ、皇帝は心底恐怖した。

 それは、痛みを恐れ、ユマ姫を嫌悪したからではない。

 

 逆だ!

 

 ユマ姫に嬲られ、死ぬ事を、望んでしまった! 心より先に体が屈服してしまう。

 

「ガッ! ぐぅ!」

 

 打ち上げられた魚の様に、酸素を求める。だけど正気が取り戻せない。

 

「待っててね、指先から、ちょっとずつ千切ってあげるから」

 ――ビィィィィィィィ

 

 危険な姫に後ろから抱きかかえられ、目の前には正気を失した怪物。

 冷静で居られるハズがなかった。

 

 ――ギュオォォォォォォォォォォ!!

 

 グリフォンは出血しながら、咆哮をあげ続ける。ともすれば断末魔にも聞こえるだろう。

 だが、田中がこの場に居たら、すぐさま殺せと声を張り上げたに違いない。

 

 この咆哮が、合図になった。

 

「ぐぇ」

 

 皇帝は蛙が潰れた悲鳴をあげる。目の前から、不可視の質量に押しつぶされたのだ。

 後ろのユマ姫ごとゴロゴロと転がる。

 

「な、なんだ?」

 

 訳が解らず、皇帝は誰ともなく問う。

 きっと目の前のグリフォンがやったのだ。だが、どうやって?

 

「口内に、大王蝙蝠(ザルバウネイルス)のヒダ」

 

 思いがけない返事。共に転がったユマ姫の声だった。

 こんな時だと言うのに、絡み合う様に転がった事実が皇帝の頬を赤く染めた。

 

「なんだソレは!」

「あり得ない……超音波の衝撃波。でも、そうなのね……」

 

 皇帝には意味が、解らない。

 だが、ユマ姫には心当たりがあった。蝙蝠の魔獣は衝撃波を放つ。枝を弾く程度の力だが、グリフォンが使うそれは立派な凶器。

 この超音波。ユマ姫はあの男から、話には聞いていた。

 だとしたら、更に危険な攻撃がある。

 ユマ姫はゴクリとツバを飲む。

 

 ――ビィィギョォォォ

 

 気が付けば、グリフォンの咆哮は聞くに堪えない不協和音。リズムが乱れた演奏と混じり合い、この場の狂気をひたすらに加速した。

 

 そして、舞踏場の窓ガラスが、一斉に割れる。

 

 つんざく悲鳴。

 キラキラと反射する破片が凶器となって、楽隊に血の雨を降らせていく。

 遂に止まった音楽になり代わり、空気に溶けるは獣の唸り声と不協和音。

 こうなれば、誰も狂気の世界から皇帝を救わない。

 

「クソッ、に、逃げッ」

「伏せて!」

「グェ」

 

 ユマ姫は、腰を浮かせる皇帝のベルトを引っ張り、転がした。

 

 ――シュバッ!

 

 空間を切り裂く擦過音が、皇帝の頭上を通過する。

 

 ――ズズズズズッ

 

 そして、地響きが鳴りだした。

 舞踏場全体が、唸り声をあげるようだった。

 

「な、なんだ? 何だコレは!?」

 

 その光景に絶句する。

 皇帝はグリフォンの能力として、こんなモノは聞いていなかった。こんな破壊力は魔女から説明されていない。

 

 舞踏場の壁が切り裂かれ、ずり落ち、美しい庭を一望する景色が現れていた。

 

 こんな威力は聞いていない、聞いた事が無い!

 まさか、宮殿の誇る石造りの壁をバターの如く切り取る破壊力があるなど。

 

 しかし、ユマ姫は、この少女だけは獰猛に笑う。

 

「コレが、そうなのね」

 

 ユマ姫にだけ、見えていた。

 壁を切り裂いた不可視の斬撃。その正体は、風の魔法だ。

 

 田中から、グリフォンが魔法を使ったとは聞いていた。

 だけど、それは何かの間違いだと信じていなかった。魔獣の生態を良く知るユマ姫にとって、それだけあり得ない事だった。

 魔獣が魔法をつかうなど。エルフ千年の記録に於いて、そんな記述は一切無かった。

 

 だけど、本当だった。その奇跡が目の前にある。

 

「面白い」

 

 グリフォンの魔法は、人間はもちろん、エルフの常識を遙かに超えた威力を誇った。

 では、人間はもちろん、エルフの範疇を超えてしまった、今のユマ姫と比べては、どうだ?

 

 ――ビィィギョォォォ

「『我、望む、この手より放たれたる風の刃を』」

 

 咆哮と、詠唱が、交錯する。

 

 空中で風の魔法が相殺し、荒れ狂う余波が部屋の全てをもてあそぶ。

 

「ヒェッ!」

 

 皇帝は腰を抜かし、へたり込んだ。

 眼前を渦巻く暴風にガラス片が混じり、触れるモノ全てを切り裂く死の結晶として結実する。

 転がる楽隊の死体は、ミキサーでかき混ぜたような、無惨な姿に変じてしまった。

 

 ――ギィョォォ! ビィィィィィ! おぉぉん!

「ふふっ、たのしい」

 

 魔法の威力は、全くの互角。完全に相殺されて消え失せた。

 

 その事実に、本当の少女みたいにユマ姫が笑う。

 

 星獣の力に目覚めてからのユマ姫は、欲求不満が溜まっていた。全てが脆く、物足りなかった。

 それがようやく相手を見つけた。

 獣のように獰猛に、湧き上がる衝動の全てを解放する。

 

「お前は、邪魔だ。後で迎えに行く」

 

 皇帝のケツを蹴飛ばす表情は、既に姫のソレではない。

 狂戦士のモノだった。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

「ハハハハハッ」

 ――ギョォォォン!

 

 二匹の化け物と、二つの火球が衝突する。

 

 またしても、威力は互角。それは人知を越えた威力を誇り、舞踏場を火で埋め尽くし、漏れ出した分は、ホールから這い出した皇帝の尻を焼いた。

 

「ギェ! なんだ? なんッなんだあれは!」

 

 悲鳴混じりの文句を聞く者は、もう誰も居ない。彼を守る部下の内、忠誠心に篤い者はとうに肉片に代わり、そうでない者は逃げ出した。

 

 ――シュバッ!

 

 化け物二匹の戦いは続く。

 グリフォンの風魔法が再び閃く。

 それだけで、大理石の床が縦横無尽に切り裂かれて行く。

 

「フフッ」

 

 なれど、その暴力を少女は正面から受け止めた。銃弾を軽々防いだ結界の魔法、今は全力で展開している。

 それだけではない。

 

『我、望む、この手より放たれたる風の刃を』」

 ――ギョォォォ!

 

 お返しに放たれた魔法、風の刃はグリフォンの羽を切り裂いた。

 

「ヒヒャアアア! 脆い! お前、魔力の割に健康値は並だなぁ!」

 

 ユマ姫は少女の見た目を裏切って、狂った嘲笑を吐き出し続ける。

 それは可憐な外見を突き破り、中から悪魔が覗いたようだった。

 

 放つ風刃は、グリフォンの体を細切れに千切っていく。

 

 ――ギゴガゴキィィイーーーー

 

 そして、運命光が分裂し、グリフォンは一つの形を保てなくなる。

 

 爆発の、前兆だ。

 

 体内に濃縮された魔力が暴走し、爆発する。

 

「もう、飽きた」

 

 その直前、飛び上がったユマ姫は王剣を振り下ろす。

 それだけで、グリフォンの体はパンクしたタイヤみたいに弾けて、散った。

 

 ユマ姫が知るところでは無いのだが、それは彼女の父親がエルフの王宮でグリフォンの最期にやって見せたのと同じ太刀筋。

 

 グリフォンはまたも王剣の前にその命を崩壊させた。

 

「さて、後はデザートを食べるだけ」

 

 ユマ姫は皇帝が逃げた先を見つめ、ペロリと舌をなめずった。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

「おおっ、ユマ姫が帰ったぞ」

 

 ユマ姫親衛隊だって、何も遊んでいた訳では無い。

 帝城に散らばって、すっかり制圧を終えていた。

 姿を見せつけるだけで脳を焼き、草を刈るように命を奪うユマ姫の進軍速度に足並みが揃わなかっただけの話である。

 

 そのユマ姫が戻り、片手に一人の男の首根っこを掴み、引き摺っている。

 男は無惨にもずた袋を被せられ、手は縛られて、拘束されている。

 

 見ている者全てに、まさか、と言う思いがあった。

 

 だが、ユマ姫が市街地の広場に戻り、設えた壇上で男のずた袋剥ぎ取ると。市民からは狂った様な悲鳴があがった。

 

 ユマ姫は、真実狂気にまみれていた。ケラケラと笑い、さび付いたナイフを取り出す。

 

「今から、皇帝の解体ショーを行います♪」


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