死憶の異世界傾国姫 ~ねぇ、はやく、わたしを、殺して~   作:ぎむねま

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綺麗な黒峰

 ――ガガガガガガッ!

 

 連続する発砲音。ガリガリと削られる床と壁。

 

「どうすンだよコレ?」

「どうするって言われても……」

 

 忍び込んだ研究所の最下層、田中と木村は設置された機関銃に行く手を阻まれた。

 

「やっぱ、もう止めとく?」

「馬鹿言え」

 

 黒峰を追ってこのまま最下層の奥を目指すか、いっそ、尻尾を巻いて逃げ出すか?

 木村はあまり乗り気ではなかった。

 

「でもさ、黒峰さん、もう俺らにも興味無さそうじゃん」

「だな、ただし、黒峰は良くてもソルンに俺らを逃す気は無ぇだろ? それに……」

「それに?」

「これは勘だけどよ、このまま逃げたら後悔する」

「そか」

 

 なら進むしかない。

 悩んだ木村は物陰から手を伸ばし……そして、スグに引っ込めた。

 

 ――ガガガガガガッ!

 

 引っ込めた空間を銃弾が切り裂いていく。

 

「セントリーガンだな」

「自動制御って事かよ?」

「そうそう」

 

 だから、しびれを切らすのを待つなんて戦略はとれない。

 

「弾切れを狙うってのはあるけどさ」

「何年掛かんだよ」

「だよな」

 

 現状も既に危険だ。

 動きを封じられ、後ろから蜘蛛型ロボットに襲われたら一巻の終わり。

 黒峰曰く、名をソルスティス。田中の剣でも切り裂けない、あまりに危険な兵器であった。

 

「二、三発喰らう覚悟で突っ込むか?」

「まぁ、待てって」

「おっ? 頼むぜキムラエモン!」

「今度こそ、コレよ」

 

 木村が懐から取り出したのは、またも小さな球体だった。

 

「でたぁ! モンスターボール!」

「それはもう良いから」

 

 導火線が伸びる姿は明らかに爆弾だった。

 手早く着火すると、自在金腕(ルー・デルオン)を振り子代わりに、反動で遠投。セントリーガンの根元に転がした。

 

 ドォンと低い爆発音。

 木村は先ほどと同様に手を伸ばすが、今度は反応がない。

 

「行こう! 蜘蛛が来たら厄介だ」

「だな」

 

 駆け出した先、扉が見える。鉄板でできた簡素な扉だ。

 今度の扉は、()()()。木村がソルンと顔を合わせたのは、遺跡での一度きり。それでも冷酷な古代人、ソルンと言う人物を思わせる殺風景な扉だった。

 

「斬るぞ!」

 

 田中は駆け寄るなり、抜き打つ。

 分厚い鉄板で閉ざされた扉が、いとも簡単に切り裂かれた。

 やはり田中の剣の冴えは半端ではない。木村はすこしも太刀筋を見切れなかった。

 

 だからこそ、この太刀をもってして斬れないソルスティスの硬さは尋常ではない事になる。

 そう思うと、木村は後ろが気になって仕方がなかった。一方で、背後など一顧だにしない男が一人。

 

「お邪魔しまーす」

 

 田中は空気を読まず、とぼけた調子を崩さない。扉を蹴飛ばし、ズカズカと部屋の中へと踏み込んでいく。呆れ半分感心しながら、木村はここでも控え目に後に続いた。

 中はコンクリート打ちっ放しの寒々とした部屋。魔力の青い燐光が異様な雰囲気を演出している。

 

「本当にお邪魔よ」

「僕も歓迎出来ないね」

 

 迎えたのは再び黒峰。今回はソルンも一緒だ。

 ソルンは脚の短いラウンジチェアにどっしりと座り、後ろに立つ黒峰はソルンの首筋にしなだれ抱きついていた。

 どこか甘やかな空気が流れている。木村はソコに違和感を覚える。だが、はっきりと何かは解らない。

 

 とにかく相手は余裕を崩さない。

 ココは遺跡の最奥、つまりは袋の鼠である。しかし、追い詰められたのは、果たしてどちらか?

 木村は慎重に口を開いた。

 

「いえいえ、お構いなく。ご挨拶が済んだら、お邪魔虫はもう、すぐに帰るんで」

「まぁ焦る事はないよ、折角来たんだ」

「チッ」

 

 ソルンの言葉に、田中は舌打つ。

 その意味はすぐに解った。今来た通路を振り返れば、魔獣がゾロゾロと向かって来る。やはりタダでは帰してくれそうになかった。

 

「ならコッチも手ぶらじゃ帰れねぇな」

「あいにく、土産にはこんなモノしか用意出来ない」

 

 刀に手を伸ばす田中に、お返しとソルンが突きつけたのはリボルバーだ。

 恐らくはハンドメイド。なのに、木村から見ても良く出来ている。この距離は躱せない。良くて大怪我、当たり所が悪ければ即死だ。

 かと言って、田中の踏み込みは早い。一歩間違えばソルンだって無事じゃ済まない。一瞬で胴体を泣き別れにするだろう。

 

 睨み合ったのは一瞬。その一瞬が致命傷となる。

 

 ――ギーッ!

 

 部屋の奥、擦過音と共に火花が散った。

 そこは空になったエレベーターの昇降路。落下してきたのは巨大な影。

 壁を削りながら停止して、のそりと部屋のなかに踏み込んだ。

 浮かび上がった細長いシルエットは、脚を伸ばした黒い蜘蛛。最も恐れていた相手、ソルスティス。

 

「やっと来たか。これで歓迎の準備は整った」

 

 ソルンがゆっくりと立ち上がる。その顔は余裕で満ちていた。

 

 最悪だ。

 

 木村は挽回の手を探すが、思い至らない。

 背後には大量の魔獣、前には田中でも斬れないソルスティス。

 そして銃を構えるソルン。

 

 状況は悪化の一途。

 

 この張り詰めた状態で、田中の気の抜けたジョークが、思いがけず突破口を開くことになる。

 

「皆さんお揃いで、おまえらの結婚式には似合いの招待客だな」

「貴様ァ!」

 

 ソルンは声を荒らげる。

 彼は真実、黒峰を愛していたからだ。

 だからこそ、こんな日陰の生活をさせる事を負い目に感じていた。地下深く魔獣と蜘蛛を侍らせる姿を揶揄され、激怒する。

 

 ――パァン!

 

 だから軽率に引き金は絞られた。なれどタイミングを読まれた銃弾は躱すに容易い。

 田中の頭を狙った銃弾は空を切った。

 それが、合図。

 

 ――ピーッ! ピピピ

 ――ギュォォォ

 

 機械のビープ音と、魔獣の咆哮、二つの音色が溶け合わさる。

 たちまち乱戦が始まった。

 

 木村もボーッと見ていた訳じゃない。田中へ銃弾が放たれた瞬間、既に動き出していた。

 放り投げたのは爆弾。それも二つ同時だ。

 コレで木村が持つ爆弾の在庫はナシ。虎の子の二つ。

 

 ――パシュン!

 

 気の抜けた音で、まず破裂したのがトリモチ弾だ。

 コレは、黒峰を粘着性のトリモチで拘束し、無力化する為に用意した爆弾だった。

 所詮はただのトリモチ。強力な魔獣を封じる力などあるハズが無かった。

 

 だが、今回ソレを使ったのは黒峰に対してではない、ソルンにでもない。

 木村はあろう事か、粘着弾をソルスティスに使った。

 

 繰り返すが、ただのトリモチ。魔獣はおろか兵器たる蜘蛛を封じる力は微塵も無い。

 真っ白な粘液が封じたのは、ソルスティスの目。赤い四つのカメラを白に封じた。

 

 瞬間、ソルスティスは木村と田中を見失う。

 

 ――パァン!

 

 そして、二個目。

 コチラは催涙弾だ。それも原始的な催涙弾。

 

 ――ギュピィィィ!

 

 唐辛子の刺激が、魔獣の目を灼いていく。

 

 胡椒や山椒、カレー用スパイスまで幅広く仕入れる木村は、この世界最大のスパイス商人である。

 そんな木村が注目したのが、この特殊な唐辛子。

 木村が買い付けるまでは、地元の農家が魔獣から作物を守る為に植えていた劇薬。食用ですらなかった種類の唐辛子。

 それを爆弾にたっぷりと練り込み、吹き飛ばしたら、どうなるか?

 コレも無傷で黒峰を無力化するための策だったが、幸い魔獣にも効いてくれた。

 

 ――ギョピィィィィ!

 

 巨大な化け猫や、ネズミ、トカゲの怪物が黒峰の制御を外れ、激痛にのたうち、暴れ始める。

 たちまち部屋の中は大変な惨事となった。

 

「クソッ! 招待客のマナーがなってねぇぞ!」

 

 田中は暴れるトカゲを斬り殺し、ネズミを蹴飛ばす。

 

「引き出物が鉛じゃ無理ないっしょ」

 

 木村は大きなソファーを転がして、物陰にすべり込んだ。

 

「いつもいつも、オマエらは!」

 

 ソルンもラウンジチェアをひっくり返し盾にして、黒峰と身を寄せ合う。

 一瞬にして、状況がひっくり返った。

 

 ――ピーッ

 

 いや、()()だ。

 まだ、最強の兵器であるソルスティスは無力化されていなかった。

 

 黒い脚を振り下ろす先、剣を振るったばかりの田中が居た。慌てて体を捻るが、田中とて避けきれないタイミング。

 

「コイツ! 視えてやがる!」

 

 一命を救ったのは、田中が着ていた黒い鎧だ。エルフの技術で作られた鎧が蜘蛛の脚を滑らせた。

 しかし、たったの一撃でカーボンの鎧はバターみたいに抉られた。やはり強度では何物も上を行く。

 

「赤外線だ、熱だよ、ほら、体温消して!」

「消せるかボケッ!」

 

 ソファーの影から、木村による無責任なアドバイス。田中はキレた。

 巻き込むのも構わぬと、木村の隣へ転がり込んだ。

 

「ども!」

「ちょっと待てって、じゃあ誰があの蜘蛛を抑えるんだよ」

「木村サンにお任せします」

「無理だって、ムリムリのムリムリン」

「またまたぁ、出来ますよ木村サンなら」

「いやいや、ココは大森林の英雄たる田中サンに」

「ふざけるな!」

 

 ――パァン!

 

 激昂したソルンの銃弾が、ふざけあう二人の間に突き刺さる。

 

「…………」

「…………」

 

 一瞬の沈黙。

 そして、長年の付き合いによる瞬間のアイコンタクト。

 ソファーの影から、二人同時に飛び出した。

 

 田中はともかく、木村らしからぬ大胆な行動には理由がある。乱戦の中でも、二人は冷静に銃声を数えていた。先ほどが五発目。しかし相手は六連装のリボルバー。まだ一発残っている計算だ。もちろん数え間違いではない

 この最後の一発が撃てないモノなのだ。田中は勘で、木村は経験でソレを知っていた。

 素人でも五発目までは気楽に撃てる。だけど、身を守る虎の子を人間は中々手放せない。五発目を撃った後こそが、全弾撃ち切った後よりも、むしろ大きなチャンスとなる。たった一発しか撃てない拳銃に、己の全てを委ねてしまうから。

 まして二人同時に飛び出せば、瞬間、どちらを撃つべきか決められない。ソレが致命的な隙となった。

 

 木村はソルンに駆け寄ると、自在金腕(ルー・デルオン)を伸ばし、リボルバーを封じた。

 

 同時に田中は走り込み、ラウンジチェアを回り込んで黒峰の首根っこを掴んでいた。そのまま無理矢理に立たせると、羽交い締めにして動きを封じる。

 

「よぉ! 久しぶりに話でもしようぜ」

「私には話なんてないわ!」

「ぐへへ、つれないねぇ」

「田中さーん、頼む! ザコっぽい言動だけは控えて!」

「貴様らァ! クロミーネから手を離せ」

 ――ピーピピッ

 

 グチャグチャになった。

 ソルスティスも、何を成すべきか判断出来ず、動作が止まる。

 田中は必死に黒峰を口説いた。

 

「なぁ、頼むぜ、俺はマジで話がしたかっただけだ」

「私には話す事なんて」

「お前、帝国じゃ顔が売れてるが、王国じゃ誰もお前の顔なんて知らねぇ。協力するぜ、平和に暮らせばいいじゃねぇか」

「今更ッ!」

 

 黒峰は身をよじって逃れようとする。その仕草は魔女と呼ばれた不気味さとは無縁の少女に思われた。

 そして、それは、もう一人、古代人の男もだ。

 野望ではなく、黒峰のためだけに。銃を封じた木村にせがんだ。

 

「クソッ、お願いだ! クロミーネを離してやってくれ」

「あ、ああ。解ったよ。絶対に黒峰さんを傷つけない」

「本当だな!」

「コレで、信用する?」

「なにっ?」

 

 木村はリボルバーの銃口を咥えてみせた。まだ、トリガーにはソルンの指が掛かっているにも関わらず。

 田中が黒峰を傷つけたら、俺を殺せと、そう言う事だ。

 

 そうして、会話する時間を作ると同時。ソルンと密着することで、今も虎視眈々とコチラを狙う黒い蜘蛛、ソルスティスの攻撃を防ぐ狙いもあった。

 

 状況が落ち着くのを見て、田中はゆっくりと黒峰に語る。

 

「今のお前だったら、俺は信じられる」

「何言ってるの?」

「今のお前は、世界を壊そうなんて思ってないだろ?」

「そりゃ」

「『高橋』の命だってどうでも良いハズだ、神だって恨んじゃいない、違うか?」

「どうして?」

 

 そこまで解るというのか?

 

 黒峰は、この世界が嫌いだった。だから、この世界に送り込んだ神も心底恨んでいた。だから、『高橋敬一』を殺して、神の邪魔をするつもりだった。

 田中はその事を見透かしていた。

 

「お前は他人に従う癖に、後で文句言う悪癖があった」

「…………」

「文化祭覚えてるか? お前はメイド喫茶が良いって言ったのに、お化け屋敷に決まっちまって、口ではどっちでも良いみたいな事言いながら、裏では足を引っ張った」

「今更、なんの話をしてるの!?」

「だから、前世のお前が一番嫌いだったのは、親だ。違うか?」

「……違う! 私は!」

 

 黒峰は親に好かれたいと願っていた、だからこそ良い子でいようと心がけた。嫌いだなんてあり得ない。

 

「違うな、親のために良い子で居る事が嫌で、お前は何処かで親を憎んでいた」

「そんな事!」

「あるさ、そうでも無ければ俺みたいな、馬鹿な男に興味を持つ訳ねぇだろ」

「…………」

「だけど、この世界では親にあたれない、お前が恨んだのは神だった。どうしてこんな世界に送り込んだのかって」

「……そんな事、勝手に決めないで」

「丁度、前に会った時だ、異世界で女帝になって。何でも壊してやるって、顔に書いてあったぜ」

「だから、なんなの? いい加減になさいよ、何が言いたいのよ!」

「そのくせ、お前は楽しそうだった。心底、楽しそうだったんだよ」

「それで?」

「お前は、反抗するのが好きなんだ。争うのが、ぶち壊すのが好きなんだよ」

「……そうかもね」

 

 黒峰は気が付いていた。

 全てを恨み、暴れ回ってメチャクチャにする事それ自体が、楽しかったのだと。

 誰かの顔色を窺うのでは無く、相手をコントロールして、世界を破滅に導くのが楽しかった。

 異世界に送り込んだ神を恨みながら、彼女は異世界を誰よりも満喫していた。

 

 でも、最後の最期、死ぬ間際に、黒峰はその矛盾に気が付いてしまう。

 仲間と共に、一緒に暴れた時間の方が、地球での思い出よりも楽しくなっていた。

 神や世界を恨む理由はドコにも無いのだと。

 

「でも今のお前は違う。以前はなんも言い出せなかったが、今なら誘える」

「違わないわ、私は、何も、変わってなんかいない!」

「違うさ、お前は変わった。もう何も憎んでないし恨んでない」

「……そりゃ、もう何にも無くなっちゃったから……だからもう」

「なら、新しく作れば良いだろうが、田舎で狩りでもして暮らせば良い」

「そんなの無理! 皆が私を恨んでる!」

 

 特に恨んでいるのがエルフ、それにユマ姫だ。隠れる場所なんてドコにも無い。

 

「そんぐらいは、俺が守ってやれる」

「何言ってるの? どうやって?」

「世界が平和になりゃ、俺だってやる事がねぇ、二人でのんびり田舎で暮らしたって」

「ッ!」

 

 それ以上、先を言わせず、黒峰は田中を振りほどき、正面に見据える。

 

 ――パンッ

 

 そして、頬を叩いた。

 黒峰はポロポロと泣きながら、田中を放置してソルンへと駆け寄る。

 

「邪魔!」

「うえっ!」

 

 木村を引き剥がし、打ちひしがれるソルンを抱きしめる。

 

「クロミーネ、様?」

「いいの、私はもう、()()でソルンと暮らすから」

 

 そう言って、抱きしめて、口付けた。

 

「おーおー、見せつけてくれるぜ」

 

 囃し立てる田中は、ここに至ってまだ三下のようだ。

 それが死亡フラグに見えて、すこしだけ木村を不安にさせた。だからソルスティスを示し、叫ぶ。

 

「おい、もう良いだろ? 頼むからあの蜘蛛を止めてくれよ」

「何故だ! ソルスティスはまだ負けていない」

 

 ソルンは強がるが、田中は刀を突き付け。

 

「解れよ。ロボが無敵でも、お前はそうじゃ無い。殺る気なら、もう殺ってる」

「……解ったわ。ソルスティス、止まって」

 

 黒峰の言葉で、蜘蛛は振り上げた脚をそっと下ろした。

 

「それで良い。助かるぜ」

「それで、どうするつもりなの?」

「どうもしねぇ、いや、俺に出来る事なら、協力する。約束だからな」

「ふぅん」

 

 意地悪に黒峰は笑う。

 

「私はもう憎まない。でも、ユマ姫(あのこ)が私を殺すと言ったら?」

「だったら、俺がアイツを殺す」

「えっ?」

 

 木村は、慌てた。ユマ姫はやる。間違いなく、許さない。

 田中とユマ姫。このままでは二人が殺し合うのは目に見えていた。

 

 二人のやり取りに、黒峰は薄く笑う。

 

「それ、本気なの?」

「ああ、それに、俺には今のアイツが『高橋敬一』なのかも確信が持てねぇ」

「何ソレ? ……でも、そうなのね」

「そうだ、今のお前を殺すって言うなら、アイツはアイツじゃねぇ、俺が殺す!」

「なら、信じるわ」

 

 木村は苦々しい思いで二人の会話を聞いていた。だから気が付かなかった。田中がまだソルスティスを警戒している事に。

 

 田中は、尚も暴れる魔獣を斬り殺しながら、二人に背を向ける。

 

「じゃあ、行くぜ。今度はマシな祝儀を持ってくる」

「要らないわ、変なのを寄せ付けなければ、それで十分」

「わかった、何とかする」

 

 そう言って、田中は立ち去ろうとする。

 慌てたのは木村だ。

 

「ちょ? え? マジで帰るの? あの、黒峰さん? 俺は色んなモノ用意出来るから、カレーライスとか食べたくない? ラーメンとか」

「ふふっ、楽しみにしてる」

 

 ソルンと抱き合う黒峰の笑顔はとても澄んでいて、かつての絶望にしか笑えなかった彼女とはかけ離れたものだった。

 

 だから、油断した。その笑顔が余りにも美しかったから。

 木村は振り上げられたソルスティスの脚に気が付かなかった。

 

「え?」

 

 呆然と呟く木村。だけど、既に脚は振り下ろされていた。

 その横を田中が駆け抜けるが、間に合わない。

 

 ――ザズッ!

 

 蜘蛛の真っ黒な脚が、命を刈り取る。

 

「なん、なんで?」

 

 木村には、理解出来ない。

 

 ソルスティスが、黒峰とソルン、抱き合う二人の腹をまとめて引き裂いたから。

 

「ガッ? グッ!」

 

 誰が見ても致命傷。おびただしい出血は、間もなく心臓を止めるだろう。

 

 その僅かな時間。背中から貫かれたソルンは、必死に振り返ろうとする。

 自分を、そして、愛する黒峰を殺した憎き相手を最後にひと目、睨もうとする。

 

 だけど、黒峰がソレを止めた。

 振り返ろうとするソルンの顔を抱き、向き直させる。

 そして、最期に二人は口付けた。

 それで、死んだ。

 

 ――ズビュ!

 

 まっ黒い脚は引き抜かれ、二人の血が混じり合う。

 倒れた二人は、幸せそうに死んでいた。

 

「なんで……?」

「馬鹿が! だから、コイツを止めろって言ったんだ」

 

 田中は見上げる。天井いっぱいに立ち塞がる真っ黒な蜘蛛を。

 

「自分を祝う事も出来ねぇのかよ」

「何を言ってんだ?」

「コレで満足なのかよ、ソルスティス!」

 

 ――ピーピピッ!

 

「いや、クロミーネ」

≪イツカラ≫

 

 ソルスティスの赤い四つの目に、文字が浮かんだ。

 それは、カタカナだ。

 

「え? なんで?」

「木村ァ、コイツが、コイツこそが黒峰だ」

「なんで? 機械だろ?」

「知らねぇよ! でも、コイツからは黒峰の気配がする」

「意味が……」

 

 解らない。いや、でも、木村は思い出す。

 確か、黒峰さんの能力は『更新権』。そう更新する権限だ。

 それが、まっさらな人間に自分の記憶を書き込む事が出来たなら?

 

「考えるのは後だ! 来るぞ」

≪コロス、ゼンブ、ユルサナイ≫

 

 目に浮かんだ文字が、スクロールして、流れていく。

 単純なカタカナなのに、そこには狂気があふれていた。


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