死憶の異世界傾国姫 ~ねぇ、はやく、わたしを、殺して~ 作:ぎむねま
「ちょっと待って! 止まって! 止まってください!」
ユマ姫は跨がる白馬に必死に縋った。たてがみを引っ張ったり、背を撫でたり、必死に言う事を聞かせようとする。
それでもミニエールの愛馬サファイアは止まらない。ユマ姫を乗せたまま冬の森を駆けていく。
深い針葉樹の森には数日前の雪がまだ残っており、白馬の蹄が粉雪を舞い上げ、吐く息は真っ白だ。
白く染まった世界。厳しい冬の森はエルフが何百年も守ってきた聖域だった。静謐な空気がユマ姫の頬を撫でてゆく。
――ガアァァァァ
しかし、その空気をぶち壊す存在が、背後から現れた。
バリバリと木が倒れる音が背後から迫ってくる。色の抜けた白と黒の森が容赦なく削られる。必死に駆けるサファイアよりも、なお早く。
星獣だ。
星獣はなりふりを構わず、溶けかけた体を四つ足で踏ん張って、体からは急速に熱が奪われて湯気を発し、それでもサファイアを追いかける。
森が雪ごと溶かされて、灼熱の体に飲み込まれていく。
「ふえぇ!」
恐る恐るユマ姫が振り返れば、すぐソコにまで星獣の顔が迫る。爬虫類みたいな、それでいて溶けかけた顔はどこが目かも解らない。解るのは目につく限りの巨大なクチバシ。
そのクチバシがゆっくりと開かれる。中に詰まっていたのは、剣山みたいな狂暴な歯列。全てが炭化ケイ素で出来た、この世で最も危険な凶器。
粘つく熱気がユマ姫を包んだ。あわやサファイアごと噛み殺され、バラバラに分解される。その瞬間。
――ガゴン!
星獣の口に巨木が挟まる。そのままつっかえ棒となって、紙一重で星獣の歩みが止まる。サファイアが朽ちかけた巨木を蹴飛ばして、星獣の口に突っ込んだのだ。
――バリバリバリ!
しかし星獣は口の中に挟まった巨木を何の抵抗もなく噛み砕く。
「ひえぇぇぇ、止まって止まって!」
ユマ姫は半狂乱になってサファイアに乞う。
サファイアは人間の言葉を解する。極めて頭が良い馬だ。異常と言っても良い。
言われずとも体力の限界。止まってやるよ、と嘶きをひとつ、足を緩めた。
これ幸いと、ユマ姫は下馬を試みる。
「え、もう来た!?」
すると、すぐに星獣に追いつかれた。ユマ姫は降りるタイミングが掴めない。既に背後に星獣の熱を感じる距離。
「待って、止まらないで! 急いで早く!」
止まるか進むかどっちなんだと、いらつきながら。再びサファイアは駆ける。
この白馬にして、ユマ姫は大変不思議な存在であった。先ほどから切り株を飛び越え、木を蹴飛ばし、サファイアは大森林の獣道を暴れ回っている。
どんな名人でも落馬を免れぬところを年若いユマ姫が食らいついているのだ。乗馬の経験もなさそうな、この少女が。
コレは流石にあり得ない。サファイアもこの少女がまともではないのだと理解した。
変に心配することも、囮として振り落とす事も止め、サファイアはただひたすらに森の中を駆け抜ける。
「ちょっと! 追いつかれてますよ!」
しかし、相手は怪物。雪の冷たさで動きが鈍ってはいるものの、元々のサイズが違う。サファイアが必死に駆けぬけた距離をたったの一歩で詰めてしまう。
――ガァァァァ!
「ヒッ!」
しかも、時折吐き出す熱線が行く手を阻む。ユマ姫の顔の数センチ横を熱線が貫いた。
コレを躱せているのはサファイアの異様な勘と、後は殆ど運が良かっただけのこと。
しかも、躱した熱線は森を焼き、溶けた雪の蒸気が視界を白で埋め尽くす。
「何も、見えません!」
足元すら見通せぬ霧、馬上のユマ姫は不安げにキョロキョロと見回すのみ。サファイアにしたって、前も見えない獣道、足を緩めざるを得なかった。
その背後、ぬるりと星獣は近付いた。魔力を感知する星獣に、視界なぞオマケに過ぎない。
一人と一頭に気取られず、確実に仕留められる距離まで忍び寄る。
――ガパァ
「え?」
振り返ったユマ姫の視界一杯に、剣山地獄が顕現した。星獣の口内、もはや地獄から逃れようもないタイミング。
――ブギャァァァ
その星獣の巨大な顔が吹き飛んだ。切り飛ばされて、森を破壊しながらゴロゴロと転がる。
「お姉ちゃーーーん」
「セレナ!?」
セレナだ、セレナの魔法が間一髪、ユマ姫を救った。救ったハズだ。
「ありがとうセレナ。でも、どうして?」
なにせ、この霧である。ユマ姫には自分の足元すら見えないのだ、どうやって狙ったと言うのか?
「う、うん……お姉ちゃんには魔法は当たらないと思って」
「え?」
セレナは良く見ずに、魔法を放っていた。姉であるユマ姫が死ぬなんてまるで考えてなかったから。
コレにはユマ姫も反省する。隕石を呼び寄せたとか、あまりにハッタリを利かせすぎたのだと。
しかし、そうではない、ずっと前からセレナは、姉であるユマ姫が自分の魔法で死ぬような存在とは思っていないのだ。
それでも流石に星獣に食われたらどうか解らない。それが心配で追って来た。
或いは……もしも姉が死んだならこの世はどうなるのか? そんな意味の解らない焦燥がセレナを突き動かしていた。
「本当、良かったよぉ」
「そうよね、コレでお姉ちゃんも安心ね」
セレナが守ってくれるなら、星獣だって恐くない。それにあの星獣は死に掛けていた、セレナの魔法で一撃で倒れるほど。
コレなら大丈夫とユマ姫ほっと息を吐く。それを見て、申し訳無さそうにセレナが俯く。
「ごめんなさい、わたしもう魔力が……」
「ええ!」
「それに、まだ星獣が二匹」
「ええええぇぇぇぇぇ!」
ユマ姫の悲鳴が終わる前、再びサファイアが駆けだした。背中にユマ姫を乗せたまま。
「な、なんで?」
と、言った直後。先程までユマ姫が居た場所を星獣の巨大な足が踏み潰した。
「ふべぇぇ」
衝撃に煽られながらも、ユマ姫は横目でセレナの無事を確認。あのままジッとしていたら妹までも巻き込んでいた。
「もっと! 走って!」
だから再び身勝手な物言い、サファイアは面倒臭そうに嘶くが、全速力で駆けていく。
「来てる! 来てるよ」
振り返れば二匹目の星獣が背後から森を掻き分けながら接近してくる所だった。そのサイズは20メートル程はある。あまりにも巨大な怪物。
……それでも、だ。
「小さくなってる!」
元々は50メートルに迫る怪獣。マントル付近の超高エネルギー環境で生きているのが星獣だ。体内の高熱がなくなればもう生きてゆけない。隕石を食らって爛れた体に、冬の雪道が急速に体温を奪って、そのサイズを減じていた。
「これなら! え……」
しかし、その分小回りが利くようになり、瞬発力が上がっている。
今も間一髪、サファイアの跳躍がなければパックリと喰われていた。
「もっと早くぅぅ!」
うるさいユマ姫に、迷惑そうに鼻を鳴らすサファイアだった。
駆けていくと、次第に森の景色が変わってくる。旧都に近付き、獣道が少しずつ広くなる。
「まずいよ!」
言われなくても解っている。道が広くなれば、それこそ星獣に有利なばかり。それでもサファイアは旧都に向かわざるを得なかった。誰かに追い込まれているような感覚。
――ピー、ピピ!
その行く手を遮る様に、無数の蜘蛛型ロボが道を占領している。
コレから一気に旧都のプラントに侵攻を掛けようという準備の最中であった。
嘶きをひとつ、気合いを入れたサファイアはロボの間を縫うように駆け抜けた。
――ガァァアァ!
後ろから迫った星獣は、蜘蛛型ロボを巻き込むのも構わず、全てを擂り潰しながら迫ってくる。
――ピー! ピピピ!
蜘蛛型ロボだってやられるばかりではない、星獣に群がり進路を塞いだ。これはユマ姫にとって好都合。
「あいつら争ってる、仲間割れなの?」
元々、星獣は古代人の言う事を聞いているワケでは無い。古代人の侵攻を利用して、この世界を滅ぼそうと操られたフリをしているだけなのだ。
もう、そんな演技は不要だ。全てのイレギュラーである運命のズレの原因が、目の前の少女にあると見破ったのだから。
しかし仲間割れはユマ姫にとって好都合。しつこい星獣と、プラントを破壊する蜘蛛の潰し合い。ようやく人心地がつき、いよいよ下馬しようと思った時だ。
――ガァァァッ!
目の前の森を突き破って現れた、新たな星獣。
そうだ、星獣はまだもう一匹居た。
「逃げてぇ!」
サファイアの首を叩くも、間に合わない。
――ドォォォン
その時響いた重低音。聞き慣れた大砲の音だった。
星獣の眉間に穴が空き、弾ける様に体が崩れる。
「ウェッ! ペッぺ!」
星獣の血。オゾンとアルコールめいた匂いにむせながら、ユマ姫は恨めしげに背後を振り返る。
「無事ですかぁー?」
ネルネだった。遅い戦車から装甲車に乗り換えて、荷台の上に括りつけた大砲を放ったのだ。
「無事でーす!」
ようやく援護が来た。今度こそユマ姫は馬を下りようとして、嫌な予感がして、止めた。
ネルネが乗った装甲車が、中々コチラに近寄って来ないから。
「あのー? どうしましたぁ?」
「スイマセン、故障しましたー」
拡声器のひび割れた声は木村のモノだった。
「えぇ!」
ユマ姫は驚くが、道なき道を全開で追いかけて来た装甲車の足回りは既に限界だった。ここに間に合ったのが奇蹟に等しい。
「逃げてください、来ます!」
「だと思ったぁ!」
先ほどの星獣が蜘蛛を片付け、凄い速度で追いついて来たのだ。動けない装甲車に目もくれず追い越し、ユマ姫を目指す。
その体長は既に15メートル程になっていた。かつての怪獣の面影はなく、サイズとしては
しかし、尚その危険度は桁違い。スピードは装甲車にも勝るだろう。このままではあっという間に追いつかれる。
――ドォォォン
そこに、二発目のネルネの砲撃。
しかし、急だったことと動けない装甲車の上では狙える範囲は限られる。それでも可能な限り最大の成果として、星獣の後ろ脚を一本吹き飛ばした。
「うえぇぇぇ!」
それでも星獣は止まらない、顔を蒼くしたユマ姫を追ってひたすら大森林の中心部へと駆けていく。
一人と一頭、一怪獣の追いかけっこはまだ終わらない。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その時、田中は旧都のプラント前。すなわち、成人の儀の場でもある神殿の前まで辿り着いていた。
「ンだありゃ?」
ここまで機械の蜘蛛を無数に葬ってきた田中だが、それらを上回る残骸が神殿の前の広場に転がっている。百に届かんばかりの数である。
この蜘蛛の強さは田中が誰より知っている。それをこんな風に無造作に倒せる存在が、ココには居るのだ。
「ヤベェなオイ!」
犯人は神殿の前に佇む二体の石像。一見すると巨大なオブジェだが、既に田中の存在に反応し動き出していた。
「待て待て! 俺は、ココをぶっ壊しに来た訳じゃねぇ!」
慌てて飛び退いた石畳、振り下ろされた石像の拳が叩き割った。
「問答無用かよ」
人間の中では大男で知られる田中だが、それにしたって相手は10メートルは下らない石像だ。食らったらひとたまりもない。この一撃は鉄で出来た蜘蛛の機械もペチャンコにしてしまうに違いないのだ。そんな残骸を見たばかり。
「クソやべぇなオイ!」
しかも相手は固かった。田中には、斬らずとも斬れないと解ってしまう。コレもまた、古代文明の遺産なのだ。
外側だけはエルフが石像のようにかたどっているが、中身は金属製のロボットが収まっている。
「面倒くせぇな」
実のところ、田中は遺跡の中に入り込み、そこに居るという古代人と話そうと思っていた。
それで何かの解決になるとは思えないが、自分達がこの異世界に来た意味、そして行方不明の高橋についても何かが解ると思っていた。
しかし、二体の石像に阻まれて叶わない。
あの時は、神殿に入り込み、そして
なぜか?
機械の蜘蛛の数が少なかったからだ。あの時の田中は蜘蛛に紛れて遺跡に入った。今回は蜘蛛の数があまりにも少ない。石像があっさりと処理出来てしまう程。
蜘蛛の本隊は、遙か後方でまとめて星獣に擂り潰されていた。
「クソッ、隙がねぇ」
逃げ回るしか出来ない田中。タイミングを見て神殿に入り込みたいが、どうしてもイチかバチかの賭けになる。
何かキッカケが欲しい。その時だ。
木々がなぎ倒される音、そして馬の嘶きと、少女の悲鳴。
「タナカさぁーん」
「おまっ!」
何故だかユマ姫がこんな所までやって来た。それも白馬に跨がって。
そればかりか、背後に迫る良く解らない怪獣のオマケ付き。
「まさかソレ、小さい星獣か?」
「たすけてー」
ユマ姫は、いや白馬のサファイアが全速力で駆けて来る。その背後から同じだけのスピードで星獣も追ってくる。
その姿は大きく減じ10メートル。ただし凝縮されたエネルギーは白熱し、体の全体から強い光を放っていた。一歩二歩と踏みだした先、旧都の石畳が溶けだしている。
一体どれだけの温度なのか、想像も難しい。
「オイオイオイ」
前からは無敵の石像、後ろからは今にも爆発しそうな星獣。田中は逃げ道を塞がれた。
しかも、サファイアは田中の隣を素通りし、そのまま瓦礫を掻き分け廃墟の中に消えてしまった。
……置き土産として、ユマ姫を振り落として。
「ふべっ!」
「おい、大丈夫か? いや、それどころじゃねぇ!」
なんとか受け止めた田中。サファイアに成り代わり、今度は彼が姫を抱えて走るハメになる。
なにせすぐソコまで星獣が迫る。地面から発する蒸気と、石が溶ける臭気が、嫌と言うほど危険を主張していた。
アレはマズい、田中は一転、二体の石像に向かって駆ける。
「ぐびっ、痛いです! もっとゆっくり走って!」
「無茶言うな!」
転がるように二体の石像の間を駆け抜けた。まさに間一髪、当然ながら後ろから来た星獣は二体の石像に行く手を塞がれた。
――ガガガッ、ビー
――ギャガァァー
そして始まる怪獣大戦争。
「冗談だろオイ!」
「ひえぇぇ」
周囲の被害は凄まじく、神殿の柱は次々と折られ、綺麗な石畳が粉々に踏み荒らされていく。
「姫様は神殿に入れ」
田中は押し込むように、神殿の中にユマ姫を追いやった。狭い入り口、この中にまであの怪物達は入って来られないだろう。
「タナカさんは?」
「俺はもうちょい、遊んでいくさ」
振り返れば目の前で、二体の石像はジュウジュウと溶けだして、更に小さくなった星獣がコチラを窺っていた。
既に体は5メートル程度。大きめのワニだ。悪い事に、これならば神殿に入ってユマ姫を追いかけるのも不可能じゃないサイズ。
「おもしれぇじゃねぇか!」
そして同時に、これならば田中の刀で斬れるサイズでもあった。
遺跡めいた旧都の神殿で、白熱し発光する神の化身と、黒ずくめの男がひとり。
真っ向睨み合って、譲らない。
いっそ、ゲームのよう。だが、コレは現実だった。
「シッ!」
まず、田中が動く。石畳を蹴り飛ばし間合いを詰めた。
――ギャァァァ!
狂乱する星獣。
真実、この半神は発狂していた。死を厭わず、戦いを挑む。
まず飛び出したのは熱線だ、口からではない。もうこの怪物に体の内も、外もないのだから。全身すべてが危険な灼熱、どこからでも吐けるのだ。熱線を!
体中から四方八方に吐き出されるレーザー光線みたいな熱線が、石畳を、石柱を、神殿を、縦横無尽に切り刻む。
「ヒッ! 堪んねぇ!」
田中はそれら全てを紙一重に躱してしまう。まずは横っ飛びに飛ぶ、全くの初見の熱線をぶっつけで躱した。
そして、そのままローンダート。地面に手を付き、体を跳ね上げる。その腹のスレスレを熱線が通り過ぎる。
「ハッ」
勢いで、そのままバク宙を決めた。コレは熱線を躱すためではなく、ただの勢い。
普通は余計なばかりのアクションが、星獣の狙いを攪乱した。無数の熱線は悉く狙いを外し、全ての熱線は空振り、ひとつに集中してしまう。
即ち、星獣の周りはがら空き。着地の衝撃で低く構えた田中が、獲物を見定め、柄に手を掛ける。
「シッ!」
一瞬で、十歩の距離をゼロにする。
しかし、相手はマグマより尚、白熱するエネルギーのカタマリ。
斬れるハズもない。剣を振るう田中だって跳ね上がったテンションに体を突き動かされただけ。
そして、星獣自身もまた、斬られるとは夢にも思って居なかった。
間近に田中の接近を許すまでは。
星獣の鋭い感覚は、田中の姿を完全に捉えていた。
体内で練り上げ、活力とした魔力の動きも、ぶ厚いゴムの様に、引き絞られた筋肉の躍動も。
目の前の石畳で、しゃがんだような低い姿勢で刀に手を掛けた瞬間も、つぶさに感じた。
そして、悟った。
自分はココで死ぬのだと。
ただの鉄で出来た刀である。それが、確かにエネルギーを斬り裂いていく。
振り抜いた刀は、星獣の体を突き抜けた。
コツンと軽く、でも確かな手応え。星獣の魔石を斬ったのだ。
「アッチィィ」
勿論、刀は溶けてしまった。慌てて手放すが、火傷を負った。ソレほどの温度。
引き替えにズブズブと星獣は溶けていく。その巨体には、もうなんの力も籠もっていなかった。
「やった! やったぜ!」
田中はこぶしを握る。
超常の戦い。自分は手が出ないと思っていた相手。そこに手が届いた。
今なら、斬れなかったモノも斬れそうな気がして、思わず脇差に手が伸びる。
馬鹿な考えだ、田中はすぐに冷静になって頭を振った。
まずは助けるのが優先だ。斬るのは後でも構わない。
ユマ姫は神殿に押し込めたまま、あの熱線の巻き添えを食ってなきゃ良いのだが、とまで考えて、田中はあのお姫様に限ってそんな訳ないと、ひとり笑った。
しかし、笑えたのもココまでだった。
「ンだこれ!」
神殿の入り口が、閉まっていた。それも石壁の大質量で。これでは、もう何人も立ち入れない。
何かが、始まろうとしていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「もう、終わりね」
その時、神殿の地下遙か深くに隠された古代人のプラント。
その最深部で、ひとりの女性が諦観のため息を漏らしていた。
「もう誰も、世界の終わりを止められない」
ゼナだ、古代人プラント責任者、最後の生き残りとして、ギリギリまでプラントの管理をしていた。魔力を大量に放出し、プラントの内圧が上がりすぎるのを防ごうとしていた。
そのゼナが隔壁の全てを閉めた。その意味はひとつ。
「もう、破局爆発は避けられない」
惑星のエネルギーが暴走する。それは噴火よりも尚酷い。空は灰に覆われ、大地は灼熱のマグマで満ちるだろう。地下だって殺人的な魔力が吹き荒れる。
もう、この世界にはどんな人間だって生きられなくなる。
破滅的な爆発を少しでも和らげるため、ゼナは隔壁を閉じたのだ。それだって、どこまで意味があるか解らない。却って酷い事になるかもしれない。
「最後に、会いたかったな」
最愛の夫、それに愛しい我が子。
リクライニングを思いきり倒し、見上げる天井は見飽きた白色。浮かんだ涙で視界が歪む。
歪んだ視界の端っこで、何かが動いた。いよいよ幻覚? それとも異常なエネルギーの暴走を前に、施設が壊れ始めたか?
ガコンと軽い音がひとつ、ダクトの蓋が外れてしまった。
「お邪魔しまーす」
「え?」
中から這い出して来たのは、ユマ姫だった。これにはゼナも意味が解らない。
「ど、どうやって? だって、ココは、全部隔壁も閉めたのに」
「え? どこです? ココ」
「あなた……」
呆れてしまう。偶然迷い込んだ? そんな事があり得るのか? いや、あり得ない。
「だって、隔壁が、侵入を報せるアラームもあったでしょ?」
「隔壁って、なんでしたっけ? アラーム? 警報ですか?」
そこから? ゼナは飛び出しそうな悲鳴を必死に飲み込んだ。
「扉よ! 絶対開かないようにした扉!」
「扉? 私扉を開けるの苦手なんですよね」
へへっと舌を出して、ユマ姫は笑った。なにせ幼少期から非力だったユマ姫は自分で扉を開ける習慣すらない。
「だから、誰も見てない所だと潜っちゃうんですよね。はしたないって思ってはいるんですけど」
「なにを……言ってるの?」
言葉は通じているのに、話が全く噛み合わない。
ユマ姫はマイペースに自分の話したい事だけを話す。
「あの、あなたは? あ! まずは、私から自己紹介をさせて頂きます」
「え、ええ?」
「私の名前はユマ・ガーシェント・エンディアン。いえ、
「は?」
今度こそ、ゼナは目を剥いた。
「あなた、本当に?」
「そうですけど?」
覗き込んだ瞳、良く見れば、僅かながら愛する人と自分の面影を感じた。
「ほんとの、ほんとに?」
「ホントですよ。私がエルフの、いやあの、
ユマ姫は、呪いの姫君と言う二つ名を飲み込んだ。幾ら何でも、初対面の相手に自分から名乗ったら終わりだと思ったのだ。
「あなた、お父さんの名前は?」
「父は、エリプス・ガーシェント・エンディアンですけど?」
「母親は?」
「母様は、死にました」
ゼナはハッと息を飲む。ソレでも問い詰めるのを止めない。
「名前は?」
「パルメ・ガーシェント・エンディアンですけど……」
ユマ姫は、執拗に両親の名を聞く相手を不審に思った。こんな相手は近年めっきり居なかったのだ。
そうだ、逆に言えば、昔は良く居たのだ。自分の出生に拘る嫌な大人が。
「確かに、私と母様の血は繋がりませんけど」
「名前は!」
「え?」
「実の母の名前……」
それはユマ姫にとって一番嫌な質問だ。
この世界のユマ姫はパルメの詩を朗読して生誕の儀を切り抜けた、実の母であるゼナになんてまるで思い入れもないのだから。
「名前!」
でも、あまりに必死な目の前の女性に気圧された。
「ゼナ、です!」
「まさか、本当に?」
「それが、何か?」
恐る恐る聞いてしまう。ユマ姫にだって、まさかと言う気持ちがあったから。
「私が、ゼナよ!」
こうして、ここでも二人は出会った。