死憶の異世界傾国姫 ~ねぇ、はやく、わたしを、殺して~   作:ぎむねま

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タイのクンパワピーの写真を見ながら書きました


取り残された者の戦い

 ユマ姫が、倒れた。

 背中にはボルトが刺さり、沼に突っ伏して動かない。

 目に見えて致命傷、そうでなくとも、このままではすぐに窒息だ。

 

 ここは、旧都からほど近い美しい池だった。しかし今はマグマが湧き出して、真っ黒に染まり沼と化す。浮かぶのは睡蓮の花。紅やピンクに狂い咲き、この世ならざる天上の景色を作り出している。

 その中で、眠る様に倒れたままのユマ姫と、ギラつく瞳で睨め付ける女がひとり。

 

 天国みたいな場所に、悪魔みたいな女であった。黒ずくめの衣装に、ボウガンをぶら下げて、沼の中から這い出した。

 

「ずっと、見ていたの! ずっと 狙っていたの! 狂おしい程に! 全てを投げ打って、それでもあなたを殺したかった」

 

 シャルティアだった。

 シャルティアは王都を逃げ出し、ずっとずっとユマ姫を殺す機会を窺っていた。

 悲劇の王妃として裏から帝国を牛耳る野望も、情報で世界を支配する企みも。

 全てを投げ打って、もう彼女の望みはユマ姫を殺す事だけ。

 

 今だけだ、今だけ、ユマ姫が何かを成し遂げて、奇蹟が薄まるこのタイミング。逃せば、一生チャンスが訪れないことをシャルティアは直感していた。

 気配を探り、地脈を読み、ユマ姫が帰還するなら、温かい湧き水が出るここが怪しいと、殆ど勘だけで待ち伏せた。

 

 情報を整理し、待ち伏せるのは暗殺者の本領。だが、それにしたって無理がある。あり得ない程の勘の冴え。極限の妄執がもたらした。

 これはそう、ネルネの射撃や、セレナの魔法に匹敵する神の御業(みわざ)。暗殺者としてのシャルティアの到達点。それがあらゆる奇蹟を貫いてユマ姫に届いた。

 

 毒を塗り、深々と刺さったボルトは致命傷。

 

 もう、まさかはない。放っておいても、勝手に死ぬ。

 それでも、シャルティアは油断しない。二本目のボルトの装填など待ちきれず、確実に首を刎ねるべく、短剣を抜く。

 

「ッ!?」

 

 だけど、音がした。甲高いモーターの駆動音。機械蜘蛛の残党かと思えば、違う。

 何かが真っ直ぐ、コチラに来る。

 

 バイクに乗った男であった。

 脇差しを抜き放つと、バイクのステップに仁王立ち。

 

 田中だった。バイクのままに、沼地に突っ込む。ビチャビチャと泥を跳ね上げながらシャルティアに迫った。

 このバイクは防水でもなんでもない、機関部やギアに泥が混じれば故障する。貴重な魔導エンジンが壊れる可能性は高いだろう。

 それでも、田中は止まらない。アクセルを吹かせて、シャルティアに迫る。動きの制限される泥の上、そのまま轢き殺すつもりだった。

 

「シッ!」

 

 シャルティアは、突っ込んで来たバイクを横っ飛びに躱した。

 

 一方で、制御不能に陥ったバイクはつんのめり、宙でぐるりと回転した。反転する世界で田中が見たモノは、バイクの前輪に絡まるシャルティアの短剣。

 

「チッ!」

 

 舌打ちをひとつ。バイクが泥に突っ込む直前、蹴飛ばす様にバイクから脱した田中は、転がり泥にまみれながらもユマ姫の元に駆けつける。

 

「おい!」

 

 腕を掴んで、泥からユマ姫を掬い上げる。

 

「ごっ、がふっ」

「嘘だろ!?」

 

 泥から引き上げたユマ姫の顔は蒼白で、血の気がない。

 そしてなにより、田中なら解る。今のユマ姫は紛れも無く普通の女の子。簡単に、殺せる! 死んでしまう。あの、ユマ姫が。

 

 ボルトには毒まで塗ってあるのだろう、尋常じゃない発汗。このままでは命がない。いや、この世界の医療では、もうどうあっても助からない。それぐらい、出血だって酷いのだ。

 

「シッ!」

 

 愕然とする田中をヨソに、シャルティアが再び短剣を投げる。

 

「このっ!」

 

 田中は寸での所、脇差しで短剣をはじき飛ばす事に成功。同時に頭に血が上る。無理を続けた体の痛みも、死に掛けたユマ姫のショックも、全てを忘れた。

 

「テメェェ!」

 

 田中はらしくない程、激昂し、叫んだ。

 なぜか? それは、先ほどの短剣。田中を狙ったモノではなかったからだ。

 

「テメェ、どういうつもりだ!」

 

 シャルティアはあくまでユマ姫を狙っていた。もう死にかけの少女に、それでもトドメを刺そうとした。

 

「今じゃないと、今しか、今だけ、そのコを殺せない!」

「お前……」

 

 シャルティアは妄執に取り付かれていた。ユマ姫を殺す以外の生き方を見失っていた。

 けれども、田中にはシャルティアの気持ちが解ってしまう。

 

 剣に生きる田中とて、絶対に殺せない少女を前にしてプライドが傷つけられなかった訳じゃない。どうやったら殺せるのか、寝ずに考えた夜だって何度もある。

 この世界、田中とシャルティアは初対面。

 それでも、どこか通じるモノがあった。一つ間違ったら、自身がこうだったと、目の前の女を見つめる。

 

 良く見れば、格好も自分に近い。

 実用一辺倒の真っ黒な動きやすい服、殺意に満ちた目。殺人に取り憑かれた者だった。

 

 脇差しを構え、向き直る。シャルティアは構えず、だらりと手を下げた不気味な姿勢。

 

 柔らかな風が、頬を撫でた。

 真っ黒な沼の上、空は不気味なぐらいの晴天で、睡蓮の花びらが舞い上がる。

 眠り姫となったユマ姫の周囲ではピンクの花びらが舞い踊り、姫を狙う黒ずくめの悪魔と、姫を守ろうとする黒騎士が向かい合う。

 

 だからそう、これはきっと、お伽噺のワンシーン。

 神に取り残された者達の戦いが始まった。

 

 田中は脇差しを、低く構える。

 巨漢の田中だ、短く見えても、脇差しだって普通の日本刀に迫る長さがある。

 

「キェェェェ!」

 

 猿叫(えんきょう)をあげ、踏み込む。

 沼地にあっても、力強い踏み込みは速度が乗る。紅い睡蓮を散らしながら、真っ黒な剣士の突撃。

 剣士らしからぬ大きく足を上げる歩法は、こんな沼地すら想定した日本剣術の懐の深さを物語る。

 あっと言う間にシャルティアに肉薄、そのまま水平に薙ぐ。この足場にあって人間では躱せぬ一閃だった。

 

 ――たんっ!

 

 しかし、シャルティアは跳んだ。小気味良い音がした。体が羽の様に舞い上がる。

 田中は、あまりの事に見上げてしまった。普通はそんな回避は無謀のひと言。躱しようがない空中を斬り裂いて終わりだ。

 しかし、背面跳びで飛び上がったシャルティアは、ぺたりと触った。どこに? あろう事か残心の最中である、田中の肩の上。

 倒立した姿勢で手を衝いて、軌道を変更。捻るように体を制御し、くるりと向き直る。

 

 シャルティアは、一瞬で田中の背後をとった。

 田中は慌てて振り返る。

 

 その顔面に、一陣の風の如き、鋭い突きが放たれた。

 

 ――キンッ!

 

 固い音がして、弾かれた。シャルティアの短剣、田中が小手で打ち払ったのだ。

 防具の性能に助けられた格好。田中の鎧はカーボン製、軽くて固い。決して斬れない。

 

「ふぅー」

 

 田中は深く息を吐き、集中を高める。目の前の敵は格上なのだと理解する。

 同時に、悔しさに歯噛みした。星獣を倒して、いい気になっていた。

 

 なにせ、今の攻防。本来ならば三回は死んでいた。

 肩に手をついたとき、一度首筋を斬られた。着込んでいたインナーの防刃性能に助けられる。

 背後に着地されると同時、脇腹に、集中してなければ気が付かぬ程の僅かな感触。

 恐らくは吹き矢を当てられた、毒も塗られていただろう。コレもインナーに弾かれた。

 

 そして、最後の突き。普通の鎧だったなら、当たり前に貫通する威力が乗っていた。並の攻撃では効かぬと見て、すぐに手を変えたのだ。

 女だと思ったら大間違い。大の男顔負けの瞬発力まで備えている。

 

 早期決着が見込めるような相手ではない、しかしユマ姫には時間がない。

 田中は焦燥感に灼かれながら、それでも余裕を崩さない。

 飲まれたら、負けだ。

 

「どうした? そんなんじゃ傷ひとつ付けられないぜ?」

「…………」

 

 今回のシャルティアは、気の利いたお喋りなどに付き合わない。

 ただ、ユマ姫を殺すだけしか考えられない。言ってしまえば、ユマ姫を殺した後ならば、目の前の男に殺されたって構わない。

 ユマ姫を殺せれば、もうソレで満足。本来、死ぬ事を覚悟した相討ちなど、殺し屋の矜恃は許さない。美学に反する。素人の仕事。ただのテロ行為。

 それでも、シャルティアは、もうユマ姫を殺す事しか考えられない。

 

「キィィィィ!」

 

 虫みたいな奇声をあげて、田中を睨む。

 ユマ姫を殺したい! 殺して中身をぶちまけたい。衝動が溢れて壊れそうだった。

 

 ソレを邪魔する、目の前の固いヤツ。使い慣れた短剣ではどうやっても斬れない。

 ならば、もっと切れ味が良い武器を。

 

 シャルティアの体がガクンと崩れる。まるで、糸が切れた様、本当は人形だったと言わんばかり。

 そして、とぷんと泥に潜った。

 

「ッ! ンだと?」

 

 あり得ない、沼の水位は精々が脛まで、人が潜れるはずがない。

 まるで魔法、果たして本当に悪魔だったのか? 勿論違う、これは暗殺技術の一種、泥の中で待ち伏せするための技。それがシャルティアに昇華され、僅かな水位をワニの様に泳ぐ事を可能にした。

 

 しかし、田中は運命が見通せる。そうでなくとも凄腕の剣士、気配を探るぐらいはワケが無い。

 こう言った搦め手は、田中には通用しない。泥からの奇襲など意味が無い。

 しかし、待ち受ける田中をあざ笑うかの様に、シャルティアは襲って来なかった。

 それどころか、沼に浸かったまま一点に留まり、動かない。

 

 田中はそっと距離を詰めた。待ち伏せのつもりだろうが、気配と運命を感じる田中には丸見えだ。この浅すぎる水位にどうやって潜んでいるか摩訶不思議ではあるのだが、楽な姿勢ではないだろう。上から突き込んで終わり。

 

「……ふぅ」

 

 しかし、嫌な予感がした。田中はこう言う予感には逆らわない。まずはゆっくりと息を吐く。一刻を争う容体のユマ姫に気を揉みながら、それでも、手を出さない。

 

「慎重なのね」

 

 息が切れたのか、シャルティアが沼から湧き出した。

 湧き出した、としか表現しようがない。なにせ脛までの水位にも拘わらず、垂直にぬるりと立ち上がる。それこそ魔法としか思えない。

 その両手には、一対の剣。いつの間にか手にしていた。恐らくは、あらかじめ沼に沈めておいたのだ。

 不思議な剣だ、鞘に収まって尚、雰囲気がある。

 この期に及んで、普通の剣ではあり得ない。

 

 注視する前で、堂々とシャルティアは剣を抜く。双剣が陽光を受けてキラキラと輝いた。

 

 田中は、思わず、息を飲む。

 その双剣があまりにも美しく、あまりにも鋭い切れ味を感じさせたから。

 並の剣ではない。一体、こんなモノ、世界のドコにあったのか? それこそ違う世界から持って来た様な、ソレほどに場違いな切れ味を予感させた。

 

 ……違う! 田中は同じような剣に覚えがあった。

 それは、剣を交えたエリプス王の巨大な王剣。これはソレに近い。

 

「苦労したのよ、手に入れるのに。でも、コレでもあの子は殺せなかった」

 

 双聖剣ファルファリッサ! ユマ姫の兄、ステフの剣。

 シャルティアの妄執は、帝国の手にあったハズのエルフの秘宝を盗み出す事にすら成功していた。

 田中は直感する。あの剣ならばこのカーボンの鎧すら易々と斬り裂くだろうと。

 

 こうなれば、鎧などただの枷となる。エリプス王との戦いを経験し、田中はソレを知っているのだが、それでも今更鎧を脱ぐチャンスはない。

 こんな相手から一瞬でも目を切るなんて、ありえない。

 

 それを良いことに、堂々とシャルティアは双剣の片方を田中へ突き付ける。片腕を思いきり突き出した不格好にも見える姿勢、双剣は元来珍しいが、それにしても独特の構え。

 

 違う! コレは構えではない。暗殺者は決して構えない。構えたとしたら、別の理由がある。

 

 ――ピッ!

 

 泥が、飛んだ。目を見開いた田中の顔に命中する。

 本命は突き付けた剣じゃない、双剣のもう片方。体に隠し、何気ない姿勢で自然に剣先を泥に漬けた。

 そこから、全くのノーモーションで泥が吹き付けられたのだ。

 

 何故か? それは魔剣の構造によるもの。魔剣とは超振動するチェーンソーが刃先に並んでいる様な構造だ、一見してそうと見えないぐらいの微小粒子が高速移動して、一度相手を捉えるや、バターみたいに斬り裂いてしまう。

 その機構が泥の中で発動されれば、弾かれた泥は勢い良く飛ぶ事になる。

 機先を取るのにコレより優れた奇襲はない。何せ振りかぶる必要もなにもない。ただ魔力を込めて魔剣を起動するだけ、予備動作がまるでない。

 見切る事など不可能。

 

 奇襲が通ると同時、シャルティアは泥の上を跳ねる。

 これもまた、暗殺者の歩法。軽い体重を生かし、泥の表面張力を蹴る。泥の中でありながら、少しも音がしないのだ。目を潰した相手には打って付け。

 一足飛びに距離を詰め、飛び掛かる様に斬り掛かる。

 ……だが。

 

「ッ!!??」

 

 冴え冴えとした鉄の輝きが、シャルティアの眼前、既にして突き付けられていた。

 飛び掛かった瞬間を狙い澄ました一刀は、殺意が完全に消臭されていた。ノーモーションにはノーモーションを。

 これが、これこそが田中が至った剣術の極意、無為なる一刀。

 

 これは突きではない、そんな殺意は籠もって居ない。

 ただ優しく、そっと置かれていた。

 飛び掛かるシャルティアに先んじて、顔面ど真ん中、来たるべき空間に、前もって。

 

 このタイミング、通常ならば躱せはしない。顔面に刺さって終わりの場面。

 しかし、シャルティアはファルファリッサを起動する。無理な姿勢から地面を薙ぐと、泥を掠る様に抉った。

 反動を使い、体を捻る。突き出された脇差しを紙一重で躱したシャルティアは泥の上を転がった。

 

「クソッ!」

 

 この悪態は田中のモノ。

 千載一遇の好機、追撃に田中は一歩踏み出そうとして、泥の重さに足を取られた。

 疲れもあるが、泥がどんどんと重くなっている。剣士の足が封じられている。自慢の剣術とはいえ、コールタールみたいな泥で自在に動くのは不可能だ。

 それでもベチャベチャと格好悪く歩を進め、すぐにコレはダメだと舌打った。

 こんな無様であの女を、シャルティアを倒せるハズが無いからだ。

 

「本当に嫌な相手」

 

 シャルティアがのっそりと立ち上がる。やはり、倒れ伏した様子は、怪我をしたフリ。虎視眈々とカウンターを狙っていた。

 それでも無事ではない様だ、脇差しに頬をザックリと斬り裂かれ、鮮血が止まらない。コレでは動きも悪くなる。

 

「許せない!」

 

 しかし、シャルティアが悔しがるのはそんな事ではなかった。

 本当は血の一滴まで、少女に捧げたかったのだ。一緒に死のうと思っていた。

 こんな男に流すための血ではなかった。

 

「殺す!」

 

 双剣を構える。体重の軽いシャルティアは泥の上を跳ねる様に移動出来る。泥が重いほど好都合。

 一方の田中には泥は味方しない。どうしても、鎧の重さで体が沈む。剣士の命とも言える歩法が使えない。

 それでも、田中は気配察知に優れ、搦め手が通用しない人間だ。シャルティアが得意とする、先ほどのような奇襲も意味が無い。

 本来ならば、田中にとって相性の良い相手といえる。しかし沼の不利がそうはさせない。

 

 つまり、この場なら、実力は五分。お互いに攻め手がない。だからこそ膠着する。

 

 そして、二人は焦っていた。

 

 なにせ、ユマ姫は死に掛けている。

 田中はユマ姫を死なせたくないし、シャルティアは自分の手でユマ姫にトドメを刺しきりたかった。

 だから、どちらも時間がない。

 見つめ合う時間が狂おしい。

 

 一瞬が引き延ばされて、一秒が何日にも感じられた。

 二人だけの極限状態が作り上げられていた。

 

 その時、だ。

 

 ――パァン!

 

 かなり、遠くで、乾いた銃声。

 

 しかし、極限状態の二人を前にして、ただの銃弾など意味が無い。

 背後から頭を撃ち抜く軌道の弾丸を、田中は僅かに首を傾げるだけで躱してみせた。撃たれた方を見ようともしない。

 

 神懸かった集中。

 

 それはシャルティアも同じだ。

 田中が影となって、弾丸の軌道など見えなかっただろうに、当たり前の様に弾丸を弾いて……

 

 ……弾いて?

 

 おかしい。

 首を傾げて、スレスレを抜けて行った弾丸。見送った田中が、最初に異常に気が付いた。

 

 この弾丸、躱せない。シャルティアに、当たるのだ。

 

 理屈は解らないが、当たる。常人の目では飛来する弾丸など捉えられないが、スローモーションの時間で生きる今の二人には、山なりに飛ぶ弾丸の丸い形までハッキリ見えている。

 それでも、躱せない、弾けない。端から見てても、ソレが解る。

 

 あまりにも不気味な弾丸。ちょっとした意識の隙間にするりと入り込んでいる。

 どんなに守備の名手でも、時としてつまらない落球をするように。どんなに防御が得意なボクサーでも、テレフォンパンチに当たることがあるように。

 

 シャルティアは、真っ正面からゆっくりと跳んでくる弾丸を躱せない。

 ただ、愕然とした表情で、鉛弾が胴体に吸い込まれるのを見送るしか出来なかった。

 

 そのまま、パタリと倒れる。止まっていた時間が動き始めた。

 

「大丈夫ですかぁー」

 

 ネルネだった。

 そんな気はしていた、田中は鳥肌が止まらない。

 

 実力は把握しているつもりだった。

 ただ者ではないと思っていた。

 

 しかし、間近で見れば次元が違う。

 意味が解らない。そもそもにしてさっきの弾丸は……

 

 田中が呆然とする中、木村の運転する装甲車から飛び降りたネルネは、スカートをたくし上げ、バチャバチャと沼に入ってくる。

 

 ――なぁ、俺が躱さなかったらどうするつもりだった?

 

 田中は言葉を飲み込んだ。

 まず、そんな場合ではない。ユマ姫は死に掛けてる。

 次に、理屈を聞いても絶対に解らない。アレは理外の力であるからだ。

 

「ユマ様! なんで!? あんたがついてながら!」

「すまねぇが、俺だって駆けつけた時にはこのザマだ」

「でも、なんで、どうやって傷を?」

 

 ネルネに言われて、気が付いた。ユマ姫に、奇蹟が戻っている。今のユマ姫は斬れる気がしない。

 ……あとは、出血さえ止めれば。

 

「お姉ぇぇちゃぁぁーん」

 

 セレナが、来た。

 空から高速で飛来して、泥の中に突っ込んだ。ずっぽり体が泥に埋まった。

 そして、爆発。

 泥も睡蓮の花も吹き飛ばし、凄い勢いでユマ姫に縋りつく。

 

「す、凄い! どうして? どうやって? え?」

 

 良く解らないリアクション。明らかに錯乱していた。

 田中はセレナの手をとって、敢えてゆっくりと喋る。

 

「回復魔法を、背中に! 矢が、刺さってんだ!」

「私が、治します!」

 

 セレナが呪文を唱える。強烈な魔力が渦巻くと同時、田中はタイミングを合わせてユマ姫の背中のボルトを引き抜いた。

 

 ――ッ!

 

 まるで感触がない、ひとりでに抜けた様だった。コレが、奇蹟。驚くべき事に、毒も抜けている。

 そして、真に恐るべきはセレナの魔法。

 

「スゲェ!」

 

 あっという間に、傷が塞がる。これでもうユマ姫は死なない。

 

「良かった!! 良かったよう!」

 

 セレナはボロボロと泣いている。

 それはそうだ、ユマ姫の容体、田中から見ても危ない所だった。ギリギリで助かった命。

 

「良かったよぉ、お姉ちゃん、ちゃんと人間だった」

「…………」

 

 気持ちは解るが、流石に酷い。

 

 話を聞けば、セレナは先程まで遺跡の中で人命救助にあたっていたとか。

 遺跡の中にはユマ姫の面影が窺える、彼女の母親が居たのだとか。

 

「私、姉さんは精霊から生まれたんじゃないかって思ってたから」

「…………」

 

 田中にしても、言いたい事は痛いほど解る。

 

「まぁな、確かに血を流すとは思わなかった」

「お姉ちゃんの血も赤いんですね」

「どうやって当てたんだろ……」

 

 三人して、凄い言い草である。

 

「うぅ、酷い……」

 

 ユマ姫が、目覚めた!

 

「お姉ちゃん!」「ユマ様!」「大丈夫か?」

 

 コレで全部解決だ。

 先程までは断続して起こっていた地震が、今はピタリと止んでいた。何故だかちっとも解らないが、これで全部終わったのだ。

 

 あまりにもハッピーエンド。

 どこか嘘くさい程に。

 

『お前がやったのか? 高橋』

 

 呟いた日本語は、睡蓮の花と共に散ってしまった。それだって、沼に飲まれていくだろう。

 

 美しい光景。黒と紅のコントラスト。舞い散る花びらがあまりに綺麗で、思わず田中は目で追った。

 花びらは風に舞い、倒れ込む悪い悪魔の周りで祝福するように渦巻いていた。

 

「そう言う事か」

 

 田中はボリボリと頭を掻き、姉と感動の再会を果たし、感極まっている少女の肩を叩いた。

 

「あの、セレナ? ワリぃがアイツの事も治してやっちゃくれないか?」

「え?」

 

 ポカンとした顔。

 ネルネは信じられないと怒るが、セレナは田中の頼みを断らない。

 

 シャルティアを治療した。


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