死憶の異世界傾国姫 ~ねぇ、はやく、わたしを、殺して~   作:ぎむねま

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ヤッガランの懺悔

「ライル少年の話……ですか」

 

 門の責任者、ヤッガランさんが、そんな話の為にわざわざ宿までやって来るだろうか?

 何かと理由を付けて、俺の話に嘘が無いのか見極めに来たに違いない。

 

「いえ、そんなに身構えないで下さい、私もこの宿にはよく来るのですよ」

「そうなのですか?」

 

 ヤッガランさんは根無し草の冒険者と違ってこの街に家を構えている事だろうし、年齢的に妻子だって居るのでは無いだろうか?

 宿屋に顔を出す用件などそうそうあるとは思えない。

 

「実は、29年前に馬車に轢かれて亡くなったライル少年はね、私にとっても特別な存在なのです」

 

 初めて会った時からヤッガランさんは歳や立場の割に偉ぶらず、小娘の俺にも態度が随分と丁寧だ。すっかり話を聞く気になった俺は、彼の前に腰かけ先を促す。

 

「ライル君が五歳の頃かな? 初めて会ったのは、ゲイル広場でね、銅像の前の縁石に腰かけて足をプラプラさせて暇そうに門を見ていたんだ」

 

 昔を懐かしむ様に語るヤッガランさん、その横顔を見た事がある気がして、頭にチリリと痛みが走った。

 

「もしかして、槍のお兄さんがヤッガランさんなのですか?」

「お、驚いたな。ホントに? ホントにライル君と話しているのかい?」

 

 ヤッガランさんは腰を浮かせて、俺に詰め寄る。

 まさか、本当にライル少年絡みの訪問とは思わなかった。

 

「彼の思いが、頭の中に響いて来るのです。会話とはちょっと違うかも知れません」

「そうか、それにしたって私の事をそう呼ぶのはライル君だけだったからね、信じる事にさせてもらうよ」

「信じて貰えると言うのは嬉しいですね、お兄さん自慢の彼女が作ってくれたミートパイは、僕には少し辛かったと言っています」

「……参ったな、こりゃ本物だ。アイツはいっつも香辛料を入れ過ぎるんだ」

 

 ヤッガランさんは目に涙を浮かべ鼻をすすると、それを誤魔化す様に両手をグッと前に伸ばして仰け反り、天井を見上げた。

 

「ハァ……」

 

 そうしてため息を一つ。何かの決心を付けたのか一転、真顔になると、前のめりになってこちらを見つめて来る。

 

「毎日毎日、門の前で暇そうにしていた彼に僕は聞いたんだ、一体何をしてるのかって。そしたら彼は父さんを待っているんだって言うんだよ、来る日も来る日もね」

 

 ヤッガランさんの一人称が私から僕に変わる。彼も当時の自分に立ち返っている様だった。

 

「堪らず僕は彼を門の中に招待してね、衛兵の中で彼はたちまち人気者になったよ。明るくて素直で、何より健気だったから」

 

 ヤッガランさんは絞り出すように声を出す。宿の食堂の中、ナーシャお婆ちゃんだけじゃなく、女将さんのルッカも、他の客たちも聞き入っていた。

 

「だから、僕は彼に言い出せなかったんだ。資料庫を整理して、とっくの昔にコイツを見つけ出していたのに」

 

 ヤッガランさんが、プルプルと震える手で差し出して来たのは、古くなりすっかり退色した戦死公報だった。

 

「これは……」

「ライル君の父親の消息が何とか掴めないかと、必死に資料庫を漁ったんだ。そうして見つかったのがこれさ、結局、彼の父の訃報は当時の衛兵の怠慢で、門の資料庫に突っ込まれていた」

 

『ナッシュ・スーニカ ゼスリード平原にて勇敢に戦うも、敵軍に囲まれ戦死を遂げられた』

 

 簡潔過ぎる文章、他に有るのは日付のみ。その日付も29年どころか、……33年前か?

 

「見せて!」

 

 ナーシャお婆ちゃんが俺の手から手紙をひったくる。

 

「そうかい、そうかい……」

 

 涙を流し、食い入るように手紙を見つめる、それは旦那さんの名前なのだろう。

 

 面白いのは、ライル少年の記憶にその名前は殆ど出てこない。ただ「お父さん」と呼ぶだけだ。

 たまに「お父さんのお名前は?」って聞かれて「うーんと……」から始まるぐらいに覚えていない。

 

 どうでも良かったのだ。

 

 きっとライル少年にとって大切だったのは、槍のお兄さんと遊ぶこと。

 謝って貰っても、少年も俺も喜べない、俺は困り顔でヤッガランさんに尋ねる。

 

「今更これを出して来た、理由は何なのです?」

 

 お婆ちゃんの反応から、既知だったとは思えない。なぜ昨日今日会ったばかりの俺にこんな手紙を見せたのだろう?

 長身のヤッガランさんが体を丸め、頭を抱えて声を絞り出す。

 

「僕は、いや私はライル君にずっと謝りたかった。私がライル少年と会いたいが為に、彼の父親がもう死んでいる事を打ち明ける事が出来なかったんだ」

 

 ヤッガランさんは机に突っ伏し泣きながら、悔しそうに机を叩いた。

 

「私がッ! 私が言っていれば! 父親はもう帰って来ないのだと言っていればッ! あんな事故など起こらなかったのに!」

 

 ……そうか、そう言う事か。俺はふるふると首を振る。

 

「違います、ライル少年は父親を迎える為に門に行っていた訳では無いのですから」

 

 そう言うと、え? と言う顔をしてヤッガランさんが顔を上げた。

 

「じゃ、じゃあなんで、彼は毎日毎日門に来ていたんだい?」

「それは勿論、槍のお兄さん、あなたと遊ぶ為です」

 

 ヤッガランさんのポカンとした顔に、俺は優しく微笑んだ。

 

「当然、他の衛兵の皆さんや街の人と遊ぶのも楽しみでした、一番楽しみだったのは、たまに貰えるウサギの串焼きでしたが」

 

「そう……か、そうだったのか」

「ライル少年は馬鹿じゃありません、本当は自分の父親がもう帰らない事ぐらい解っていたのです」

「ううっ」

 

 もうヤッガランさんの顔は涙でクシャクシャだ、きっとこの手紙を胸に罪悪感と戦っていたに違いない。

 

「だから、貴方が真実を打ち明けても、父親がもう居ないのだと言い聞かせても。みんなと遊ぶために門に通ったでしょう」

「…………」

「そうして、同じ様に事故に遭ったと思います。残念ながらそれが彼の運命だったのでしょう」

 

 そう諭したが、ヤッガランさんは納得出来ないと渋面を作りかぶりを振る。

 

「そんなっ、そんな都合が良い事を! 信じる訳には……行きません」

 

 頑なにそう言うが、もう彼はずっと苦しんだ。それで良いだろう。

 何より、きっとどうやったって少年は死んだのだ。もっと安全な世界でも隕石で死ぬぐらい凶悪な『偶然』で。

 

 それでも俯くヤッガランさんの肩に手を載せたのは、ナーシャお婆ちゃんだ。

 

「良いんだよ、あたしだってね。ライルはあの人の事なんて覚えても居ないし、気にしちゃ居ないって知ってたよ」

「そう……なのですか?」

 

 ヤッガランさんは、信じられないとお婆ちゃんを見つめる。

 

「ええ、何せあの子の口から、あの人の名前が出た事なんて数える程しか無かったからね。毎日毎日聞かされたのは、門番で槍を持った凄腕のお兄ちゃんの話さ」

「それは!」

「ああ、毎日飽きもせず、この型で突くんだとか。こう構えるんだって。花瓶や照明を壊すなんてしょっちゅうだったよ」

「ずっと練習していたんですね」

「そうさね、最後には『僕、衛兵になるんだ』なんて言い出してね、継ぐべき立派な宿が有るのにねぇ」

 

 ヤッガランさんは、嗚咽を上げてひたすらに泣いていた。涙がテーブルから零れる程だ。

 

 だが、大の男が泣いている所を観察するのも趣味が悪いか、俺はそっと席を立つ。

 

「待って下さい」

 

 しかしその腕を掴み止めたのは当のヤッガランさんだった。

 

「もう一つ言うべき事が有るのです、ライル君を轢いた馬車。それは今のグプロス卿なのです」

 

 驚く俺と違って、女将さんやお婆ちゃんは知っていた様だ。

 

「……やっぱりそうなんだね」

 

 だが、貴族の馬車に轢かれたって文句は言えない、平民には道を譲る義務があるのだ。

 薄情なようだけど、そんな事を相談されても困ってしまう。俺は眉をひそめて上目遣いにヤッガランさんを見つめる。

 

「でも、それこそ今更でしょう? 罪に問える事でも無いのでは?」

「その日は朝から釣りに行く約束でね、おそらく楽しみのあまり、暗い内から門に来てしまったんだ。そこにグプロス卿の馬車が突っ込んで来た。猛スピードでね」

「…………」

「確かに罪には問えないが、暗い内から町中を猛スピードで疾走し、子供を撥ねたとあっちゃあ失態だ」

「そうですか……でもなぜそれを?」

 

 どうして今そんな事を教えてくれるのだろう? それが解らない。

 

「ああ、その失態をグプロス卿は隠蔽してね、反対したんだが。卿はこんな時間に子供を家から出す親の責任を問い始めてね」

「そうだったのですね」

「手紙の事だけじゃなく、それもずっとしこりとして残ってたんだよ」

「ですが、それを話してくれた理由が解らないのですが……」

 

 今更、一緒に糾弾しよう等と言われても困ってしまう。ライル少年をイタコ芸で呼び出して証言させるなんて茶番はしたくない。

 

「いや、明日グプロス卿に何か困った事を言われる様なら力になる、それだけ言いたかったんだ。ライル少年に対する贖罪を込めてね」

「それは心強いです! ありがとうございます」

 

 これは本当に嬉しい。

 何が起こるか解らないのが俺の『偶然』だ、味方は多い方が良い。

 

「ええ、出来る事は多くはありませんが。協力しますよ」

 

 そう言い残してヤッガランさんはサッパリした顔で宿屋から出て行く。

 彼にとってずっと引っかかっていた物が取れたのだろう。

 

 俺も清々しい気持ちで階段を上がり、自分の部屋に帰ると、ベッドの中で読書をしながら、いつの間にやら眠ってしまうのだった。


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