死憶の異世界傾国姫 ~ねぇ、はやく、わたしを、殺して~   作:ぎむねま

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ゼスリード平原騒乱3

「確かにグプロス様のサインで間違いありません」

「当然だッ!」

「へぇ、そりゃ良かったな」

 

 俺達の元にヤッガランさんが合流し、マルムーク隊長と田中の三人でごちゃごちゃやっている。

 百人もの帝国兵は未だ20メートルの距離を保ってはいる物の、最早しゃがみ込んだり、陣地の設営を始めてしまう者まで出始めた。

 アレがこちらを油断させる為の演技だと言うなら相当な役者だが、恐らくは衛兵三十人を加味しても未だ三倍以上の戦力差がある事に、本心から油断しているに違いない。

 

 むしろ俺達が逃げる可能性が減ったと喜んでいる節がある。やはり彼らもだだっ広い平原で少女一人を相手に、不毛な追いかけっこはやりたく無かったのだろう。

 そんな中、ブッガーと呼ばれた大男だけは、巨大なウォーハンマーを地面に叩き付けたり、大声で田中を罵ったりと元気一杯だ。

 ま、アレは馬鹿だからペース配分ってのが理解出来ず、途中で疲れて眠ってしまう子供の様なモノだと思う事にした。見るからに頭が悪いし。

 なお、ブッガーは鼻を隠す黒いマスクをしている。これが中ボス感を出すための弛まぬ努力かと思いきや、鼻を田中が斬ってしまったらしいのだ。

 

 ――曰く

「あの野郎、ダイスで勝負だって取り出したのが、どうみても出目が偏るのが丸わかりの出来の悪いトリックダイスでよ、文句を言おうモノならあの巨体で威圧するってありゃタダの恐喝よ。で、本人だけが知的に稼いでるつもりでご満悦なモンだから苛立って鼻ごとダイスと机をぶった切っちまった」

 

 で、滅茶苦茶恨まれてると。馬鹿過ぎて乾いた笑いしか出てこない。

 

「そぎ落とした訳じゃネーんだぜ? 縦に斬ったし、そんなに目立つもんじゃねーのに、乙女かよアイツは」

 

 とか好き勝手言ってるが、本当に勘弁して欲しい。

 

 だが一番の被害者と言えば、ヤッガランさん衛兵達に付いて来てしまった商隊だろう。

 見れば巨大な馬車を背に、全員が顔色を青くしている。

 

 彼らは見通しが悪いゼスリード平原に到る山道を護衛を雇わず安全に通れると、衛兵の訓練のタイミングに合わせて出発したに違いない。

 なのに盗賊より厄介な帝国兵に意味不明な足止めを受け、何食わぬ顔で通り過ぎる事も難しそうだ。

 なんせ、帝国のマルムーク隊長は現在、絶賛いきり立ちのまっ最中。

 

「解ったらさっさとアイツの身柄を差し出すんだ!」

 

 マルムークは俺を無遠慮に指差し、田中に唾を飛ばす。

 集音の魔法は「汚ねぇし、息がくせぇよ」とぼやく田中の小声を拾って来るが、マルムークにもしっかり聞こえた様で、こめかみの青筋をピクつかせ、「流浪人風情が! 俺を臭いだと?」と憤っている。

 

 大した量でも無いが魔力の無駄遣いだ、集音の魔法切って良いかな? コレ。本気で下らない。

 

「で、無学な流浪人の俺に教えて欲しいんだがよ、こいつには『広報部隊』に逮捕権を委譲するって書いて有る訳か?」

「え、い、いや、ここに書いて有るのは、帝国が森に棲む者(ザバ)の国を侵攻した意義を説く使節団、約百人の領内への立ち入りを許可するとだけ」

「じゃあ、お前らに俺らを拘束する権利はねぇ訳だ、お疲れさん! 俺達は行って良いな?」

「ふざけるな! ザバなど危険なモンスターを拘束するのに権利など要らぬ!」

「だーかーらー、うちのお姫様はそんなんじゃ無いって言ってるだろ? だったら何か? 帝国は相手をザバって決めつけて不当逮捕を繰り返している訳か?」

「屁理屈をこねるな! 誰がどう見てもアレはザバだろうが!」

「しっかし、その化け物とお前らが頼みにしているグプロス卿は、一昨日和やかに会談してるんだぜ? ちなみにその場に俺も居た。で衛兵隊長さんにザバの逮捕命令は来ているのかな?」

「いえ、その様な命令は有りません」

「なんだとぉ!」

 

 あーくっだらねぇー。ザバじゃないが王国民でも無いだろうとか、それを言うなら中立国ゾッデムの砂漠の民の人権も保障しているとか、ぐだぐだぐだぐだ話が長い。

 いっそ矢の一本も放ってくれないかと20メートル先を見やれば、スッカリ気が抜けた兵士達の中に一人、気が弱そうな若い兵士が青い顔でこちらを窺っていた。

 

 この視線、覚えがある。スフィールでも無かった訳では無い、俺を森に棲む者(ザバ)だと知って恐れおののく視線だ。

 「悪い子は森に棲む者(ザバ)が森からやって来て攫いに来ちゃうぞー」と言うのは、いたずらっ子に母親が繰り返すお伽噺。

 実際は俺の方が攫われそうになってるんだから、笑い話にもなりゃしない。

 勿論大人になれば、其れは大人の都合で作った作り話だったのだとすぐに気が付く。

 現に街でも、道行く人からギョッっとした視線を浴びる事こそ良くあったが。よく見れば俺が綺麗なお洋服を着たお嬢さんだと気が付き、「こんな子供に恐れを抱いたのか」と恥ずかしさから、逆に好意的な視線に変わった物だ。

 

 だが、たまに居るらしいのだ、前世でも居ただろう? 年甲斐も無くサンタクロースを信じて居るおめでたい奴がさ。で、奴がそうだとするならば俺の事が怖くて堪らないハズなのだ。

 

 俺は奴を見る、観る、視る。

 

 その動きを、顔を、服装や物腰を。距離が有るとは言っても精々が20メートル、表情だって見えない訳じゃない。

 ――ビクンとその男、いや、まだ少年だろうか? その肩が撥ねる。

 そう、俺がこっちを見ている事に気が付き、ついに目が合ったのだ。

 

 彼は滑稽な程に落ち着きが無くなった。慌てて目を反らし、それでも気になって二度見、三度見。それでも俺は見続ける。

 仕舞いには、正に蛇に睨まれた蛙。こちらから目を離す事も出来ず、俺と目が合ったまま固まってしまった。

 

 うーん、でもこれじゃ何にも起きないんだよな。見上げれば帝国兵との邂逅時には中天にあった太陽も、最早大きく傾き始めている。

 

 思い出せ、俺は近所の犬を吠えさせた時に何を思った?

 そうだ、食いたいと、犬鍋にしちまうぞと念じた時に犬は吠えた。

 俺は震える兵士を見ながら、自身の魔力を解放し、(ほとばし)らせる。

 相手を殺したいと願う時、相手へ向かった素の魔力で、ほんの僅かに相手の健康値が減る。

 その理屈が本当なら、魔力が漲る俺の殺意はどうだ?

 

 ――ビクン、

 固まっていた彼の肩が再び撥ねる、本能が何か危険を感じ取ったのかも知れなかった。

 その、子ウサギの様な姿に思い出す。スフィールの街に入った時、そしてライル少年が何度も奢って貰って頬張った、スパイスの利いた串焼きの味を。

 

 そうだ! そう言えば! 俺の頭に天啓が閃く。

 

 魔獣を、ブーブー鳥を食った時、俺は何日も寝込んでしまった。何が魔獣で何が魔獣じゃ無いか解らない、下手に肉を食ったら死に掛けるとトラウマになった。

 大丈夫だと解ったつもりでも、未だに街で肉を食う時ちょっと身構える。

 

 でも、確実に魔獣じゃ無いと言い切れる動物が居る。

 そう、人間だ。

 

 人知れず俺は生唾を飲み込む。

 

 その時、いよいよ恐慌状態に陥った彼が、俺の目線から逃れる様に隊列の中へと紛れ、消えてしまう。

 その時の俺の心境は、獲物に逃げられた猟師の其れであった。美味しそうな餌だったのにと。

 

 そうだ、餌だ。

 奴は殺したくて堪らない憎き帝国兵で、それで、餌だ。

 彼が見えなくなった後も念入りに念じる、本気で期待していた訳では無い。ちょっとした暇つぶし、結構楽しめた、その程度のつもりだった。

 

 その時だ、隊列を割って、再び彼が現れた。顔を真っ青にし、手には弓。

 俺は心の中で快哉を叫ぶ。

 

 まさか? それで俺を狙ってくれるのか?

 

 期待に違わず、彼は矢を番え、俺を狙う。

 周りの兵達が異変に気が付き、彼を止めようとするが遅い。

 

――ビィィィン

 

 まだ集音の魔法が効いていた、間延びした弦の音が聞こえる。スローモーションになった世界で彼が他の兵士達に組み伏せられるのが見え、田中が慌ててこちらを振り向くが遅い。

 

 通常、そんなへっぴり腰で撃った矢など当たる筈が無い。だがそこは俺の『偶然』補正の賜物か、見当違いの方向に飛びそうな矢が風に流され、ピタリと此方に狙いを変えたその瞬間までハッキリ見えた。

 着弾地点は俺の首。たった20メートルも真っ直ぐ飛ばず、弓なりに落ちて来るこの矢が、このままでは俺の命を奪うだろう。

 だがそこまでサービスする気は毛頭無い。俺は数歩後ろに下がる。ここは俺の魔力圏内、どんな『偶然』だって許しはしない!

 

 そうして落ちて来た矢は、正確に、俺の腹へと吸い込まれた。

 よりによってコルセットベルトの隙間、ドレスが裂け、血が滲む。鉄の(やじり)が自らの肉に食い込む感触に顔を歪める。

 

 痛い! 痛い! だけど……嬉しい。

 これで殺せる! 憎い帝国兵をまた一人!

 矢も楯も堪らずとは正にこの事か? 多分違うな。震える手で弓と矢を背中から何とか引き抜き、ゆっくりと構え、番え、唱える。

 

「『我、望む、放たれたる矢に風の祝福を』」

 

 自分の声が弾んでいるのが解る、殺せる。そしてこの一矢で状況を決定的に出来る。

 それが嬉しい。

 

 ――シュズバッ! ピィィィィィーーーー

 

「あっ!」

 

 思わず声が出る、矢を買った時、一本だけ鏑矢みたいに音が出るのを買っていたのを忘れていた。

 矢は甲高い音を上げながら、猛然と直進する。

 この場の全ての人間の視線が矢に吸い込まれた。

 

 実際の所、合図なら魔法で十分。だが帝国の兵器で魔法が使えない状況もある。と言うのは建前で、殺傷能力を残した鏑矢ってのをちょっと使ってみたかったのだ。

 殺傷力も音の大きさも中途半端な失敗作と聞いていたが、なるほどおかげで安かった。

 

 だがそんな、先が少し潰れた鏃を受けてしまった、彼の頭はどうなるだろうか?

 

 ――パァァァァァァァン

 

 答えは、地面に思い切り叩き付けたトマトが一番近い。

 弾けて、赤い霧が舞う。

 

 うわぁ、グロい。彼を組み伏せていた兵士達の顔に、べったりと血糊が張り付く。

 血で赤黒く染まった顔の兵士達は、一様に皆ポカンとしている、理解が追い付かないのだ。そりゃー人間がいきなりトマトになるとは撃った俺にしたって想像の外。

 

 だから復帰したのは、遠くで見ていたマルムーク隊長が一番早かった。

 

「見よ! 魔法だ! ザバが殺りやがった! 全軍に命じる! 奴を捕らえろ!」

 

 使節団の筈が全軍でと言うあたり、マルムークも相当テンパってる。

 

「いや、先に矢を放ったのはそちらです。アレでは正当防衛と言われても仕方が有りません!」

 

 ヤッガランさんが叫ぶが、マルムークが被せる様に大喝する。

 

「まだ言ってるか! アレは怪物だ! 人間を水袋みたいに破裂させやがった! 人間に、お前にあんな事がで、ムグゥ」

「動くな! 今度はお前らの隊長の頭も胴体とお別れする事になるぜ」

 

 だがマルムークの叫びは、田中に組み倒され、首筋に刃を突き付けられ遮られる。

 田中は俺が無事と見るや取って返し、マルムークを人質に取ったのだ。

 

 お優しいこって、そう俺は心の中で呆れてしまう。恐らく今戦ったら俺達は勝てる。

 人間が弾けたトマトに変わった瞬間を目撃し、次はお前だと言われてビビらない奴は居ない。帝国兵たちは一種の恐慌状態に陥っている。

 実際、衛兵達を盾に出来れば、矢の数だけ十も二十もトマトを収穫出来る自信が俺にはある。

 ま、実際にはあの矢はあれきりなのだが、普通の矢でも当たれば死ぬしね。

 

 だが、その有利を捨ててまで田中は戦闘を止めた。もう十分と、そう言う事だろう。

 恐慌状態から立ち直る時間を与えてしまうが、むしろ一旦落ち着かせて、まだやるのかと交渉するつもりなのだ。

 

 で、俺はと言うと、草むらに蹲ったフリをして、腹の傷をとっとと治してしまう。

 まず、力づくで矢を引き抜く。

 鏃の返しの部分が引っかかり、肉が裂け、ブチりと不気味な音がするが気にしない、死ぬ程痛いが気にしない!

 あとは脂汗が滲む手を患部に当てて、呪文を唱えればオーケーだ。

 

「『我、望む、命の輝きと生の息吹よ、傷付く体を癒し給え』」

 

 程なく傷が塞がり、痛みも一服する。

 だが、一人殺しておいてコッチは無傷では交渉にならないだろう。引き抜いた矢を踏みつけ、矢羽根を持って一息に持ち上げればポキリと矢が折れる。

 そうして先端が無くなった矢を手に、血に塗れた腹部にあてがえば、いまだに矢が刺さっている様に見えるだろう。

 服に開いた穴も、赤い血の染みも本物だけに、疑われる事は無いと思う。

 

 むしろやり過ぎてしまったようで、心配そうに駆けつけた衛兵の一人が「大丈夫か?」と近寄ってきてしまうが、これを固辞。

 

「近づかないで! ……ヤッガランさんの指示に従って下さい。衛兵が森に棲む者(ザバ)と通じているなど、痛くも無い腹を探られては困るでしょう?」

「そんな!」

 

 俺が血の気の引けた顔で、力ない笑みを浮かべ言えば、衛兵は悔しげに唇を噛んだ。

 実際は衛兵の健康値に阻害され魔法が使えなくなるのを嫌ったのだが、勘違いして貰えれば重畳だ。

 

 そうしてヨロヨロと立ち上がってみれば、状況はまだ動いて居なかった。

 帝国兵と衛兵達がにらみ合い、その真ん中でマルムークにのし掛かっているであろう田中の上半身が窺える。ヤッガランさんは衛兵達に静まる様に声を掛け、田中の様子を注視している。

 

 恐らくはヤッガランさんもこの場を穏便に纏めたいのだ、だから田中に期待している。

 

「俺の事は良い! お前らやっちまえ!」

 

 マルムークの叫びが聞こえるが、兵士達は動けない。彼らは若い兵士の暴挙を見ていたし、その彼がトマトに変わる瞬間も目撃している。

 ましてや隊長が人質に取られ組み伏せられている、彼らの頭の許容量を遥かに超える事態と言えた。

 

 だがそんな事態も、常に頭の許容量をオーバーしている奴には関係ない。

 

「よっしゃー隊長良く言った、待ってろ俺がそいつをぶっ殺してやる」

「ブッガーか、こうなるとめんどくせぇな」

 

 集音の魔法は使っていないにも関わらず、田中のぼやきが聞こえる様だ。

 実際面倒な事態だ。こうなっては暴れるブッガーを止める術は無い。マルムークを速やかに殺して、戦争を始めるしか無い。

 田中よ、覚悟を決めろ! 心の中でそう念じる。

 その思いが通じたのか、覚悟を決めた田中がフゥーっと息を吐き。

 

 ――ブスッ

 

 田中がマルムークの首を斬った音では断じてない。

 既に田中の間近にまで迫っていたブッガーの足元、そこに一本の矢が突き刺さったのだ。

 

「誰だー俺に矢を放った奴は誰だぁ!」

 

 どう見ても衛兵達ではない。予期せぬ方角から突如飛んできた矢にブッガーがいきり立つ。

 

「待てッ! 待てー!」

 

 振り返れば、馬を駆りこちらに向かって来る男達が五人、更に後ろから徒歩で五人。計十人の男達がドタドタとコチラに走り込む。

 先頭の馬上の男は確か……そう、スフィール城の執務室で俺に斬りかかった、確かズーラーとか言う奴だ、ヤッガランさんが言うにアイツが黒幕みたいなもんか?

 

「ハァ、ハァ、その戦い、待てー! この場はこのズーラーが預からせて頂く!」

 

 息を切らして駆けて来る、何にせよ、これ以上状況が拗れるのかと思うと気が重い。

 

「あーもー、めんどくさいなぁもぅ」

 

 思わず、お姫様らしからぬ、可愛く無いぼやきが漏れるのであった。


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