死憶の異世界傾国姫 ~ねぇ、はやく、わたしを、殺して~   作:ぎむねま

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★悲しみと絶望と

 銀髪の女性士官と言った出で立ちのシノニムさんが、霧の中突然に現れた事情をかいつまんで説明していく。

 隣領ネルダリアの諜報特務部隊がグプロスの配下として潜り込み、長らく帝国への寝返りを警戒していたらしい。

 

「以上が、わたくしめがここに居る理由で御座いますユマ姫様」

「そう……」

 

 だけどそんな事はどうでも良い。

 田中が、アイツがそんな簡単に死ぬハズが無いんだ。だけどあれだけの大軍だ、無傷じゃ無い。俺が、俺が治療しないと。

 

「なりません、姫様。ココは危険です。スフィールを離れネルダリア領まで来て下さい、我々は姫様を王都までご案内する意思があります」

「……行きません!」

 

 ……そんなの、意味が無い。

 馬車を用意して王都に行くのだって、田中を巻き込まない様に他の護衛を欲しただけだ。

 

「では? あの護衛、タナカと言う男の帰りをここで待つと言うのです?」

「ええ、私は彼と約束しました、ここで待つと」

「しかし! 姫様は怪我をしている! 一刻も早くちゃんとした場所で治療をすべきです」

 

 言われて思い出す、腹に刺さってる風の矢を俺は無造作に投げつけた。

 

「いいえ、もう傷はありません。魔法で治しました。生憎とこの霧の中では実演する事は出来ませんが」

「そんな? 魔法とはそんな事まで?」

 

 だからこそ! 早く田中と合流しないと。

 どうやら、ベアードと言う男が田中が崖から落ちたところを見たという。

 だとしたら、俺の魔法が必要なのだ。俺はその場に駆け出そうとする。

 だけど、霧の中、俺の体は思った通りに動いてくれない。体は震え、手の平は病的に青白い。

 その手を握り締め、シノニムさんが訴えてくる。

 

「しかし! ユマ姫様のお体はとても正常とは思えません」

「それは、この霧のせいです、この霧の中、エルフの健康は大きく阻害されます」

「でしたら! それこそ早く! 我々と脱出するべきです」

 

 シノニムさんは手を握り締め懇願するように声を絞り出す。

 そこに邪悪な意思は感じない、実際に今の俺は見ていられない程に酷い顔色をしているのだろう。

 健康値が低かった俺は、お付きの侍女からいつもこんな目で見られていたっけ。

 

「いいえ! 引きません。田中は、私が、必ず助けます」

 

 ……だけど、今の俺はか弱いだけじゃ駄目なのだ。今は俺が、守らないと。

 

「解りました、タナカを探しましょう、ユマ姫様は歩く事が出来ますか?」

「いえ……少し厳しいかも知れません。なるべく早く探したいのです、申し訳無いのですが背負って頂けますか?」

 

 自分でも情けなくて涙が出るが、ふらついてとても歩けない。

 意地を張って捜索に時間を掛けるぐらいなら、引き摺られたって構わない。

 だけど、シノニムさん達は四人。ベアードと名乗る犬使いの確保に一人、俺を背負う一人、そうなれば二人だけしかまともに戦えなくなる。

 それが解っているのかシノニムさんの表情は険しい。

 

「オイ! タナカが落ちたと言う崖まで案内しろ!」

「イタタァ、解りましたよ! そんなに蹴飛ばさんで下せえ!」

 

 犬を抱えるベアードを蹴飛ばして移動する。

 今、田中の手掛かりを知るのはこの男だけ、火が出る程に俺はベアードを睨み付けていた。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

「ここから? ……落ちたのですか!?」

 

 声が震え、歯の根が合わない。

 

 なんだよこれ! 崖とは言ったけど……余りに高い。

 身を乗り出して必死に下を確認する、それだけでも恐い。それでも底が見えない。

 こんな所から落ちたら……人間は絶対に助からない。

 

 嘘だ、こんなの……

 過呼吸に陥りそうな程に、勝手に肺が酸素を求める。胸を押さえて必死に呼吸を整えようとするが上手く行かない。

 自分の鼓動と呼吸音だけが、他人事の様に耳を騒がせる。

 

 ベアードの案内した崖、見渡せば死体が散乱し、死闘の熱気がいまだに燻る様だった。

 しかもコレでほんの一部。田中も含めて崖下に落ちていった人間も多いと言う。

 

 ――なんで! こんな無茶を! 逃げようと思えば逃げられたハズ。

 

 答えは解ってる。一切動けない俺の為、ここで全ての決着をつけようとしたのだ。

 そんな俺の悔しさを知ってか知らずか、呆然とする俺にシノニムさんのお供のジジイがとってつけた励ましの言葉をかけてくる。

 

「タナカは素晴らしい戦士だった様です。様々な戦場を見て来ましたが、一人でこれ程の戦いを演じた男の話は聞いたこともありません」

 

 何が! 『戦士だった』だ! 過去形にするな! 勝手に過去形にするなよ!

 

「いえ! まだ! まだです! 彼は! 彼は特別なのです! 死んだと決まった訳ではありません!」

 

 歯を食いしばり、勝手な事を言う隊員のジジイを睨み付ける。

 歯を剥き出しに威嚇すれば、皆が憐れんだ視線を俺に向ける。

 止めろよ、憐れまれるのには慣れてるが、そんな目で見るなよ! アイツは生きている!

 

「仕方ありません、ここまで来たのです。崖下を探しましょう」

「カフェル隊長!? 無駄です、それに帝国の別動隊と接敵したら危険に過ぎます!」

「それでもです、ネルダリアの、いえ、ビルダール王国の存亡がかかっています、今はリスクを取ります」

 

 シノニムさんの声が響く。憐れまれた甲斐はあった。

 ボロボロの俺の様子を見て、それでアイツを探してくれるなら。どんな目で見られようが構わない。

 俺は絶対に田中を捜し出す!

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 そうして行われた崖下の捜索、しかしその過程で見つかるのは死体のみ。それも身元すら解らぬ程に損傷した死体だった。

 人間とは思えない。言うならば服を纏ったミンチ、破裂した肉団子。そんな悲惨な死体ばかりが転がっていた。

 

 原因は高さと地形だ。まず高さは少なくても百メートル。その半分でも普通は即死。

 加えて地形、切り立った難所でキツイ斜面や大岩が転がり、吹き飛んだ死体があちこちに散乱している。

 少しでも息がありそうな死体すら発見出来ない。

 唯一の朗報は、崖を下る程に霧が薄まり、俺が歩けるほどに回復したことぐらい。

 

 俺はフラフラと幽鬼の様に歩いて、死体が見つかるたび、原形を保たぬグロテスクな死体を必死に検分し続けるしかなかった。

 

 それすらも、崖を下れば下るほど、当然の様に死体の損傷はより激しくなる。

 

 シノニムさん達が、もう見ていられないとばかり、悲しみの目で俺を見てくる。

 それで田中の捜索を続けられるなら構わない。俺はひたすらに崖を降りながら肉片を漁る。

 

 ……コレも田中じゃ無い、アイツはもっと大きいし衣装は真っ黒だ。

 

 俺は、現実を認めたく無かったんだ。

 この崖が永遠に続いて、どこまでも死体を探して行ければ良いとすら思っていた。

 だけど、そんな逃避行も終わりを告げる。

 崖の底にまで辿り付いたのだ。

 

「あと調べて居ないのはこの下ぐらいです」

「そうですか……」

 

 そこは崖下の更に下、ぽっかりと斬り込まれた様な谷間がそこに有った。

 

 もし崖の真下ではなく、その谷間へと落ちた場合。その体は更に百メートルは下の谷底へ、合計して一気に二百メートル近くを落下した事になる。

 

 コレで終わりかと思えば大穴が空いているのだ。何だよコレ……なんでこんなのがポッカリと空いているんだ。

 

 コレも俺の『偶然』なのかよ!

 

 こんな下まで落下したら、アイツだって……

 だけど。俺は……

 

「降りる場所を探してください」

「……解りました」

 

 息を飲む音が聞こえた。もう止めてくれと悲鳴を飲み込む音だった。

 

 俺はどれほど虚ろな目で、谷底を見つめているんだろうか?

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 最後の最後、本当の底の底で、俺達は一つの人体を発見する。

 

 黒いマント、ジャケットにパンツ、何より奇跡的に原型を保ったその巨体……田中の服装に……間違い、無い。

 

「アレだアレ! 間違いねぇ、あのタナカって男の死体に間違いねぇよ」

 

 やっと終わると喜ぶベアードの歓声が白々しく響いた。

 そんな! いや、まだ死んだとは決まっていない。生きているかも。

 走り出そうとする俺を、シノニムさんが押し止めた。

 

「お待ちを! 我々が先に確認します」

 

 止めろ! 止めろよ! 俺が早く行かないと! 掴まれた肩を振りほどこうとするが上手く力が入らない。

 足がもう動きたくないと、目がもう見たくないと悲鳴をあげている。

 

 でも、でも俺は! 見なくちゃ、見なくちゃ駄目なんだ。

 

 そうして居る間、うつ伏せの体を起こして顔を確認した隊員の顔が引き攣るのが見えた。

 引き返してきた隊員がシノニムさんに耳打ちするのを、集音の魔法で聞き取る。

 ここまで来れば、この程度の魔法なら問題なく使えた。

 

「そんなに酷いのか?」

「戦場を経験した者でさえ、二、三日は悪夢にうなされる事請け合いですよ。年頃の少女に見せて良い物じゃありません」

「しかし! それではあの子は納得しないでしょう!」

「それでもです! あの姫が気を違えちまっては意味が無いでしょう」

「……それ程、ですか?」

「ええ、悪い事は言いません。ゴザをかけて隠していますから、なんとか誤魔化す事です」

 

 部下の報告を聞いたカフェルは痛いほどに俺の肩を掴んだ。何を悩んでいるんだか。

 ……全部聞こえているよ。

 俺は乾いた笑いを浮かべた。確かに死んでいるのかも知れないが、アレが田中と決まった訳じゃ無い。

 

「誤魔化されなどしませんよ! 確認します。よろしいですね?」

 

 ギョッとする一同、肩を掴む両手を振り払い。ゴザがかかった死体のそばへ。

 

「見せて下さい!」

「え? いやそれは?」

 

 呆然とする隊員に声を掛けると、諦めた様なシノニムさんの悲しげな声が響いた。

 

「見せてあげて下さい」

「は、はい」

「……ユマ姫様、お気を確かに」

 

 シノニムさんの命でゆっくりとゴザがまくられる。

 

 ……それは、打ち上げられた深海魚の生皮を剥いだような酷い代物だった。

 見るに堪えないその死体を俺は必死に検分する。服、マント、そしてグチャグチャに崩れたその顔面、そこに埋まった歯の一本一本まで。

 

 ……服は田中の物、マントや靴までも。だけどそれぐらいなら……たまたま似ている服だってある。

 俺は決定的な証拠が出ないことを祈ってすらいた。

 

 ……だけど。

 

「あ、ああ、ああああ!」

 

 奇声を上げ、そして走った。しかしすぐに足がもつれ、地面に転がり蹲った。

 

「ぐぇ、あぅ……ガッ! グッ! ゲェェ」

 

 そして吐いた。

 

 あった、有ってしまった。見たくなかった物。決定的な証拠。

 

 誰かが蹲る俺の背中をさする。

 ヤメロよ! やめてくれ……俺を、このまま、死なせてくれ!

 

「大丈夫ですか? 姫様! 今度は! これからは私がユマ様を守ります! だから! 気をしっかり持って下さい、彼の為にもです」

 

 シノニムの声、俺は思わず抱きついて、そして泣いた。

 

「うぅ……あああぁぁぁぁ」

 

 わんわんと子供みたいに泣き出す俺をシノニムさんは抱きしめた。

 

「やはり彼が、タナカだったのですね……」

「ヒッ……く」

 

 泣き止んで、それでも止まらぬしゃっくりを抑えて俺は何とか首を縦に振った。

 

 殺してしまった! 俺が……田中を。

 

 黒尽くめの大男の潰れた死体。その歪んだ顔に埋まっていたのは細長く黒い鉄だった。

 

 この世でたった一つ。レンズが無い黒縁眼鏡の変わり果てた姿だった。


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