tool holder   作:ネズ三スト

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Rを探せ 一話

アズサへ

きみがこれをよんでいるということは、わたしはもうこのよにいないのだろう

アズサ、いとしいむすめよ

とつぜんだが、わたしはきみにさらなるふこうをつげなければならない

ほんとうははなしたくなどなかった

できればはかばまでもっていこうかともおもった

だが、きみにもしるけんりがある

アズサよ

どうか、どうかわたしのさいごのねがいをききとどけてほしい

そしてかなえてほしい

わたしの、そしてきみの

 

 

 

 

Rをさがしてくれ

 

 

 

「巧!巧ぃーーーっっ!!」

 

川に向かって一人の女性が振り絞るような叫びを上げている。

その視線の先には川の中でもがく一人の男の子。

足を滑らせて川に落ちた彼女の息子だ。

川幅はさほど広くはなく、普段は流れも緩やかな川なので本来なら溺れることはないはずだった。

だが、不幸にも川は昨日降った大雨によって増水し、流れも激しくなっていた。

母親は流されていく子供を追いかけるも流れが早く、徐々に距離が離されていく。

脳裏に最悪の未来が過り、不意に足が止まりそうになる。

間に合わなければ、追いつけなければどうなるか。

恐怖と絶望が足を掴み、足を縺れさせようとする。

それでも諦めず体に鞭を打ち走っていた、その時だった。

 

「すみません!これ持っててください!!」

 

高く澄んだ声が母親の耳に届いた。

 

「えっ?」

 

その声に反応する間もなく半ば無理矢理手に握らされたもの。

それは一本のロープだった。

 

「はぁっ!!」

 

ロープの先を目で辿るとその先端は大きな浮き輪に結ばれており、今まさにその浮き輪を持った誰かが川に飛び込んだところだった。

浮き輪を持ったその人は激流をものともせず子供のもとまで泳ぎきり、子供を浮き輪に乗せた。

 

「それ!引っ張ってくださーい!!」

 

突然のことに唖然としていた母親はその一言で我に返り、無我夢中でロープを引く。

二人分の重さが乗った浮き輪はとても重く、手の皮がロープの摩擦に悲鳴を上げる。

だが、母親はそれを意に介することなく二人を岸まで引っ張り上げた。

 

「巧っ!」

「ママ!」

 

川から引き上げられた子供は一目散に母親に抱きついた。

川に浸かり、大量の水を含んでびしょ濡れになった服は母親の体を、服を水浸しにする。

母親はそんなことに構うことなく子供を強く、強く抱き締める。

そんな二人を優しく見守る視線に気づき、母親ははっと顔を上げる。

急なこと過ぎてすっかり頭から抜け落ちていた。

この人が息子の命の恩人だということを。

 

「あの、ありがとうございま・・・」

 

その人にお礼を言おうと振り返り、思わず言葉を失った。

無理もない。

子供を助けてくれた恩人は・・・水着姿の少女だったのだから。

 

「・・・」

 

絶句しながらも母親は命の恩人を観察する。

年は恐らく中学生ほど。

肩ほどまで伸びた金色の髪は陽光に照らされて煌めき、再会を果たした二人を見守る白みがかった灰色の瞳は優しげな光に満ちている。

そんな少女が、競泳水着を纏っただけの姿で立っていた。

 

「息子を助けていただき本当にありがとうございます。このご恩は決して忘れません」

 

あまりのことにしばし唖然としたものの、気を取り直した母親は少女に深々と頭を下げる。

少女はふにゃりと顔を崩しながら両手をお腹の前で組んで微笑んだ。

 

「えへへっ、そんな・・・。当たり前のことをしただけですよぉ」

「そんなことはありません。あなたのおかげで巧は、息子は助かりました。あなたは息子の命の恩人です。ほら、巧・・・」

「うん!おねーちゃんありがとー!」

「うん!どういたしまして」

「あの・・・つかぬことをお聞きしますが、何故水着を着ているんですか?」

「これですか?下着とか全部洗っちゃったんで服の下に着てたんです!世の中何が幸いするかわからないですね」

「はぁ・・・」

「それじゃあ私はここで失礼します!じゃあね~!」

「おねーちゃんばいばーい!」

 

子供に手を振って別れを告げ、少女は踵を返して川原を悠々と歩き始めた。

数歩歩いたところであっと声を上げた少女は肩越しに振り返る。

 

「巧君、でしたっけ?年のために後で病院に連れてってあげてください。」

「はい。何から何まで親切にありがとうございます・・・」

 

それを聞いて安心したのか、少女は快活な笑顔を二人に投げかけて再び歩き出した。

その肩にロープが結ばれた浮き輪を提げて。

 

「さっ、行くわよ巧」

「うん!」

 

母親も息子の手を繋ぎ、川原を後にした。

最寄りの病院に向かう途中、母親の頭にふとある疑問が芽生えた。

どうして、

 

どうしてあの子はロープと浮き輪を持っていたのかしら・・・?

 

 

川原の近くに脱ぎ捨てていた服を着直し、少女、津雲マナは帰路についていた。

その手には先程まで提げていたロープも浮き輪もなく、空いた両手は歩く動きに合わせてふらふらと揺れている。

 

「へ・・・へくちっ!うぅ・・・寒い」

 

冬の寒さが去り、暖かく穏やかな春が訪れて久しいとはいえ、流石に濡れた水着を着込んだまま歩くのは寒い。

濡れた髪や体はある程度タオルで拭いたが川を泳いで冷えた体はそのままだ。

早く暖めないと風邪を引いてしまうかもしれない。

 

「帰ったら暖か~いスープでも作ろっと♪」

 

ささやかな幸福に思いを馳せると歩く足も自然と早くなり、次第に軽やかなスキップへと変わっていく。

 

「ふんふんふ~ん♪」

 

両手を振り、小意気な鼻歌を口ずさみながらマナが向かった先は一軒家が立ち並ぶ住宅街の外れ。

他の家々から離れたところにぽつんと建っている小さな廃屋だった。

お洒落で近代的な住宅が立ち並ぶこの地区ではまずお目にかかれない古びた木造の廃屋はマナが仮の宿として住み着くかなり前からここに建っていた。

立て付けの悪い引き戸を開けて中に入る。

住み着いた当初は戸板や床が腐っていたりカビや埃の楽園と化していたが、マナが手を加えたおかげでそれなりに住めるような環境になった。

玄関で愛用のワラビーを脱ごうと踵に指をかけた時、マナはあるはずのないものに気づいた。

 

「・・・靴?」

 

それは水や泥で汚れた一足の黒いハイヒールだった。

ヒールは中頃で折れており、至るところに傷がついている。

綺麗に揃えてあるハイヒールは生乾きでまだ湿ってはいるものの、安物とは思えない上品な触り心地だった。

 

「泥棒さん・・・?でも、泥棒さんが玄関で靴脱いだりするかな?」

 

鍵を持っていないからと戸を閉めなかったのが間違いだったらしい。

靴を脱いだらまず歩くべき場所、廊下に視線を向けると廊下から寝室に向かって点々と続いている濡れた足跡を見つけた。

閉めたはずの寝室の襖は開いおり、足跡はそこで途切れていた。

音を立てず寝室に近づき、開いた襖の隙間からそっと中を覗く。

マナの知る限り、そこにあるのはマナが持ってきた新しい畳が敷かれた寝室だ。

それ以外には何もない。

何もないはずの部屋に、誰かがいる。

 

「・・・!?」

 

驚愕に目を見開くマナ。

一度視線を外し、軽く深呼吸して再度覗き込む。

その人は畳に体を横たえて眠っているようだった。

顔はよく見えないが、そのシルエットと体格から女性であることが見てとれた。

 

「酔っ払いさんかな?」

 

襖を開け、ゆっくり、なるべく音を立てないよう抜き足差し足で軋む寝室を進む。

そして、その顔を覗き込んだ。

 

「わぁっ・・・!きれいな人」

 

年はマナより幾分か上。恐らくは成人だろう。

烏の濡れ羽色、翠の黒髪等その手の形容がそのまま当てはまるようなしなやかな黒髪は肩ほどで切り揃えられ、少し長めの睫毛と細い眉は眠る女性の動きに合わせて艶かしく揺れている。

まるで精巧な蝋人形のようにきめ細やかな白い肌を持つ整った顔立ちの女性は畳に身を預けて眠っていた。

しかし、その表情はお世辞にも穏やかとは言い難く、時折苦しそうなうめき声を上げて寝返りを打っていた。

 

「こういう人を大和撫子って言うのかな?髪も肌もすごく綺麗で羨ましいなぁ・・・」

 

触ったら怒られるかな?

そう思いはしたが好奇心には勝てず、マナは女性の頬に軽く手を当てる。

 

「・・・!」

 

その頬は思わず手を引っ込めてしまうほど冷えていた。

 

「・・・。この人、どこから来たんだろう?」

 

先程は女性の容姿にしか目がいかなかったが、改めて見ると女性の姿はおかしなところだらけだった。

喪服のような黒いスーツはずぶ濡れで、畳の下に大きなシミができている。

黒いタイツは所々破けていて、足には靴擦れと思われる無数の傷があった。

とてもではないが泥棒や酔っ払いには見えない女性を見下ろしながらマナは一人思案する。

 

「まずは体を暖めなきゃだね。今の服は洗濯するとして代わりの服を・・・あっ、わたしのだと小さいかも。パジャマとかならいけるかな?とりあえずパジャマを着せて、起きてくる前に合いそうな服探しとこっと。お風呂は起きてから一緒に銭湯に行くとして・・・」

 

ぶつぶつと独り言を呟きながら手慣れた手つきで必要なものを取り出していく。

マナの思考は既に女性の正体を確かめることから女性を助けることに切り替わっていた。

 

 

さぁ!さっさと白状しなさい!お父様の遺産はどこなの!?

 

親父は死んだ。もう妾の子のお前に甘い顔をする必要はない

 

すまん・・・アズサ

 

逃がすな!なんとしてでも捕まえろ!

 

アズサよ

どうか、どうか私の最期の願いを聞き届けて欲しい

そして叶えて欲しい

私の、そして君の

 

 

 

 

Rを探してくれ

 

「お父様っ!!」

 

追い縋るように、その存在を掴み取るように手を伸ばし、日上アズサは目を覚ました。

 

「はぁっ・・・!はぁっ・・・!」

 

ひどい悪夢を見ていたらしく、全身から吹き出た冷や汗で少し小さめのパジャマが体に張りついていた。

どんな夢を見ていたのか覚えていないが、どんな夢だったのかは察しがつく。

今の自分にとっての悪夢とはあれしかないのだから。

 

「・・・?」

 

寝起きの頭が少しずつ鮮明になっていくにつれ、アズサは自分を取り巻く環境の違和感に気づいた。

大雨の中を走ってここに飛び込んだはずなのに、体も髪も綺麗に乾いている。

きのみ着のまま飛び出してきたはずの服がコーギーのキャラクターがプリントされた小さめのパジャマになっているだけでなく、固い畳で寝ていた体は沈み込むように柔らかい布団に包まれていた。

もちろん体を拭いて着替えた覚えも布団を敷いた覚えもない。

一体誰が・・・?

自分の身に起きた異変を不審に思いながら、アズサは布団から起き上がった。

布団をめくると、靴擦れで傷だらけになっていた足に絆創膏が貼られていることに気づく。

傷口も綺麗に洗われているようで、絆創膏の下は傷口からの滲出液で白く盛り上がっていた。

布団と毛布のシワを手で伸ばし、折り目正しく折り畳んでいるとどこからか食欲をくすぐる芳しい香りが漂ってきた。

その匂いと共に床が軋む音が寝室に近づいてくる。

その音に反射的に身構える。

足音の数からして相手は一人。

追っ手なら一人ということはまずない。

では、この足音は・・・?

アズサが思案に入って間もなく、その答えはやって来た。

 

「あっ、起きてたんですか」

 

そこにいたのは湯気が立ち上るスープとコンビニのおにぎりが乗ったお盆を持った浴衣姿の金髪の少女だった。

 

「・・・」

 

想定とあまりにもかけ離れた人物の登場に固まるアズサ。

そんなアズサのことなど知るよしもなく、浴衣の少女はお盆を脇に置き、アズサの目と鼻の先まで近づいてきた。

 

「あ、あの・・・」

 

少女の真意がわからず困惑するアズサの額に少女の小さくて暖かな白い手が当てられる。

 

「う~ん、熱はないみたいですね」

「えっと、あなたは・・・?」

 

少女は満足げに頷いてアズサにお盆を差し出した。

 

「簡単なものですけど、よかったら食べてください。暖まりますよ」

 

彼女は誰なのか。

何故自分に食事を出してくれるのか。

何故入った時は誰もいなかった廃屋に彼女はいるのか。

次から次へと疑問が湧き出し、アズサの頭を悩ませる。

しかし、理性による抑制は長くは続かない。

 

「・・・あっ」

「やっぱりお腹空いてるんじゃないですか。無理はよくないですよ」

「・・・では、いただきます」

 

わからないことだらけだったが、今は何よりも食べることが先決だ。

 

「いただきます」

 

手を合わせてスープが入ったマグカップを手に取り、音を立てずに飲む。

人肌程度に暖められたスープは熱すぎない温もりと共に優しく喉を通り過ぎる。

玉ねぎとコンソメの旨味が舌の上で躍り、ブラックペッパーの刺激が後味をより一層引き立てる。

絶品というわけではないが、丸二日も何も食べてない今のアズサにとっては格別なご馳走だった。

 

「・・・美味しい」

「よかったぁ!お口に合うか心配だったんです」

「こんなに美味しいスープは久しぶりです。味もそうですが、とても暖かくて体がポカポカします」

「えへへっ、隠し味にブラックペッパーと生姜を入れてみたんです。その方が暖まるかなーって」

「そうでしたか・・・。お気遣い感謝します」

「はい!どういたしまして!」

 

屈託のない笑顔を咲かせる少女につかの間の安らぎを覚えたアズサだったが、マグカップを脇に置き、気を取り直して少女に疑問をぶつけてみる。

 

「あの、いくつか聞いてもよろしいでしょうか?」

「はい!答えられることでしたらなんなりと!」

「貴女はここに住んでいるのですか?」

「いえ、忍び込んで使ってるだけなのでわたしの家じゃないです」

「そうでしたか。無断で人の家に入り込んでしまったのかと思いました」

 

年若い少女が何故このような廃屋に住んでいるのか。

気にならないと言えば嘘になるが、こちらも詮索されたくない身の上だ。

 

「あの、私が着ていた服を知りませんか?」

「それでしたら洗って干してますよ」

「洗濯したんですか!?」

 

少女の言葉に動揺し、思わず少女の肩を掴む。

あの服を洗濯したということは、あれは、あの手紙は・・・

 

「えっと、はい・・・」

「ポケットに手紙が入っていませんでしたか!?白い封筒に入った手紙が!」

「あぁ、それでしたら『中』に保管してますよ。大切なものだと思ったので」

「そう、ですか・・・」

 

手紙が無事だと言うことを知り、アズサの体から力が抜けていく。

少女の肩から手を離し、そのまま畳の上にへたり込んだ。

 

「そんなに大事なものだったんですか?」

「はい。お父様からいただいた手紙なんです」

「もしかして、その手紙のせいで誰かに追われてるんですか?」

「・・・えっ?」

 

少女が発した思いがけない言葉にアズサは少女を見上げるように顔を上げる。

先程までの会話でこちらの核心に迫るような発言は一切していない。

濡れた体のまま廃屋に忍び込んで寝ていた不審者だということは否定できないが、それでも知られたくない部分については秘匿を貫くつもりだった。

なのに何故、少女はわかったのだろうか?

アズサが意図的に隠していた真実を。

 

「どうして、そう思うんですか?」

「お姉さんの足と服です。服も体もずぶ濡れで靴も足も傷だらけだったから雨の中をずっと走ってたんじゃないかって思ったんです。傘もささないで走る理由なんて誰かに追われてるくらいしかないじゃないですか」

 

この少女はたったそれだけのことでそこまで読み取ったというのか。

 

「すごい洞察力ですね」

「えへへっ、それほどでもないですよぅ。お姉さんは・・・お姉さんって呼ぶの面倒ですね。わたし、津雲マナっていいます。お姉さんの名前、教えてもらえませんか?」

「・・・手紙を、読んでいないのですか?」

「はい。勝手に読むのも悪いかなって」

「そうですか。私はアズサといいます」

「アズサさん!すごく綺麗な名前ですね!」

「ありがとうございます。津雲さん」

「マナでいいですよぅ。わたしまだ十五ですし」

「・・・えっ?」

 

もっと年下だと思っていた。

アズサはその言葉を寸でで飲み込んだ。

 

「 では、マナさん」

「さんもいらないです」

「では・・・マナ、でいいですか?」

「はい!アズサさんは、一体誰に追われてるんですか?」

「・・・ごめんなさい。それは答えられません」

「脅されてるからですか?」

「いえ、これ以上マナを巻き込みたくないからです。これは、私達の問題ですから」

「警察には通報したんですか?」

「警察に行けば、捕まるのは恐らく私の方なので・・・」

「なるほど・・・。わかりました!じゃあもう何も聞きません!その代わり、一緒に銭湯に行きましょう!」

 

そう言って、マナはアズサの手を取った。

 

「せ、銭湯?」

「はい!雨の中をずっと走ってて寒かったでしょ?だからお風呂で体を暖めるんです!」

「それは嬉しいのですが、今は持ち合わせが・・・」

「それくらい奢ります!上がったら一緒にコーヒー牛乳も飲みましょう!甘くて美味しいですよ!」

「どうして、そこまでよくしてくれるのですか?見ず知らずの、こんな私に・・・」

 

アズサの手を引いて銭湯に向かおうとしていたマナはその問いに立ち止まり、体を反転させてアズサと向かい合う。

頭一つ分の身長差があるマナはアズサを見上げるようにじっと目を見つめる。

表情は今までと同じように人懐っこく締まりのないものだったが、淡い光を宿す灰色の瞳は真摯な煌めきをアズサに向けていた。

 

「アズサさんが困ってるからです」

「えぇっと、確かに困ってはいますが・・・それだけですか?」

「はい!昔、誰かに言われたんです。自分にできる範囲でいいから、困ってる人は助けてあげなさいって!だから、わたしはわたしができる範囲でアズサさんの力になりたいんです。って言っても、そんなに大したことはできないんですけど・・・」

 

気恥ずかしそうに頭を掻くマナの姿はアズサの心を童心に帰し、幼き日の自分が見た原風景を想起させた。

なんでもない日常の中で父が教えてくれたこと。

もう戻らないあの時間、決して返ることはない優しい父との時間。

姿も年も全く違う小さな女の子に父の面影が重なり、それが何故だか少し可笑しくなった。

 

「ふふっ」

「アズサさん?」

「私が子供だった頃、お父様が私におっしゃってくれたことを思い出しました。この世界は、誰かのお互い様が重なり合ってできていると」

「お互い様?」

「どんなに些細な行いでも、その全ては巡り巡って自分の知っている誰か、あるいは顔も知らない誰かに何かをもたらすことがある。それは時として毒にも贈り物にもなり、人を救ったり傷つけたりもする。それがどう作用するかなんて誰にもわからない。けど、そう思えば悪いことなんてできないだろうと、そうおっしゃってくれました」

「わぁ!素敵なお父さんですね!」

「はい・・・とても素敵で、偉大な方でした・・・」

「・・・あ、あーっ!アズサさん!」

「はい?なんですか?」

「そういえばデザートのケーキが入ってたの思い出したんですけど食べませんか!?すぐ用意してきます!!」

「えっ?あの、マナ・・・?」

 

アズサが静止するも甲斐なく、マナはドタドタと足音を鳴らしながら寝室から飛び出していった。

 

「・・・もしかして、気付いたのかしら?」

 

先程の言動の数々を思い出し、アズサはマナの行動の理由を推察する。

少ない情報で自分が追われてることに気づくほどに聡い子なのだ。

喪服でここに逃げてきて過去形で話していたら嫌でも察しはつくだろう。

父が既に亡くなっていることに。

 

「気を遣わせるつもりはなかったのだけど・・・」

 

マナに悪いことをしてしまった。

わずかな後悔を抱えつつ、手持ち無沙汰になったアズサは改めて廃屋を観察する。

入ってきた時はとにかく死に物狂いで、ここが廃屋だということしか分からなかったが、どこを見てもやはり廃屋だった。

マナの手が加えられているからか、風化寸前のそれよりはまだ住み心地がよく清潔だ。

だが、その情景にアズサは一抹の違和感を覚えた。

生活感がなさすぎるのだ。

縁側から庭に目を向けると、心地よい陽気の下に干された洗濯物がある。

だが、それ以外に人が住んでいる痕跡のようなものがまるで見当たらない。

寝室にある押し入れを開けてもアズサが使っていたものの他に寝具はなく、服をしまうクローゼットや衣装箪笥のようなものもない。

洗面所の蛇口を捻っても水が出ない。

極めつけは庭の外に出て見つけた電気メーターだ。

 

「回ってない・・・?」

 

メーターは全く回転しておらず、この家に電気が供給されてないことが窺える。

この家は間違いなく廃屋でライフラインは完全に途絶えている。

ではマナは、あの少女は一体どこから布団や今着ているパジャマを出したのか、どうやってあのスープを作ったのか。

 

「アズサさーん!どこですかー!?」

 

深まる謎など知るよしもないマナの声が廃屋の中から聞こえてくる。

 

「はい!今行きます!」

 

気になりはしたが、マナとはこれっきりの付き合いだ。

無用な詮索を打ち切ったアズサははや歩きでマナのもとへ向かった。

 

 

ケーキを食べ、体を休めて幾分か持ち直したアズサはマナと共に銭湯に向かうことにした。

流石に浴衣とパジャマで外に出るわけにはいかないので着替えてから向かうことになった。

マナは肩ほどまである金髪を頭の両端でまとめ、リボンで括って髪型を変えていた。

所謂ツインテールだ。

白いTシャツの上に膝上ほどのショートパンツのデニムサロペット、クリーム色の薄手のパーカーを羽織った動きやすさを重視した装いは元気いっぱいで快活なマナによく似合っていた。

 

「すみません。よくしてもらっただけでなく服までお借りして・・・」

「いいんです。そろそろ整理しなきゃって思ってましたから」

「整理・・・?いつになるかわかりませんが、必ずお返しします」

「それはアズサさんにあげます。入れた覚えがないものですから」

「いいのですか?しかし、これほどのものをただで受け取るわけには・・・」

 

視線をおろし、これほどのものと言った服を見る。

胸元と袖口に純白のフリルがあしらわれた白いハビットシャツに春の陽気をそのまま纏ったような淡いパステルイエローのシフォンスカート。

靴も飛び出してきた時に履いていたハイヒールから踝までを覆う黒い革製のワークブーツに履き替え、とても動きやすくなった。

胸元にはワンポイントとしてエメラルドグリーンの石がはめ込まれたブローチ、そして細くしなやかな手首にはあると便利だからと渡された銀の腕時計が巻かれている。

安物とは到底思えないほど肌に馴染むこれらのものを無償で受け取るのは気が引ける。

 

「似合ってるからいいんです!その服も似合う人に着てもらった方が幸せだと思いますし」

「そう言っていただけるなら、ありがたく頂戴します。ありがとうございます、マナ」

「えへへっ、どういたしまして。あっ、そういえば・・・」

「どうかしましたか?」

「聞き忘れてたんですけど、この後はどうするんですか?」

「成すべきを成しに行きます。最初からそのつもりで飛び出したのですから」

「そうですか・・・。じゃあ、アズサさんともそろそろお別れですね」

「はい。何から何までお世話になりました。このご恩は必ずお返しします」

 

これから一人でやっていけるのかと問われれば即答できる自信はない。

今のアズサには金もコネも味方もいない。

行き先の見えない不安と重圧は疲弊した体に重くのし掛かる。

この重圧を誰かに肩代わりしてほしい、誰かに支えてもらいたい。

そう思う自分もいる。

 

「アズサさん?」

 

マナが不思議そうな顔で振り返る。

その視線の先を追うと、マナの右肩に自分の左手が置かれていることに気がついた。

 

「・・・すみません。肩にゴミがついていたので」

「えへへっ、ありがとうございます!」

 

左手を離し、抑え込むように右手で手首を掴む。

これはアズサの、ひいては家族の問題だ。

だからこそ、無関係なマナとはすぐに別れるべきだ。

年端もいかない少女にすがろうとした自分の弱さを諌めるアズサとそんなことは知りもせず陽気に鼻唄を口ずさむマナ。

対照的な二人の後ろから一台の青い車がゆっくりと近づいてきた。

 

「おっと」

 

車に気づいたマナは道の端に寄る。

だが、アズサは動かなかった。

 

「・・・!!」

「アズサさん?そんなとこにいたら轢かれちゃいますよ」

 

動けなかった。

車は路上で立ち尽くすアズサの前で止まり、運転席のドアが開いた。

その車には見覚えがあった。

できれば見たくない車でもあった。

何故ならそれは、

 

「見つけたぞ。アズサ」

「真人お兄様・・・!」

 

アズサの兄、真人の車だったからだ。

運転席から出てきた黒いスーツを着た栗色の髪の男性、日上真人はアズサに立ちはだかるように対峙した。

 

「思ったより元気そうじゃないか。さぁ、帰るぞ」

 

真人が運転席から降りたことに呼応して数人の黒いスーツを着た男達も車から降りてくる。

男達がアズサとマナを取り囲むように並んだところで真人が口を開く。

 

「親父が死んで悲しいのはわかる。でも、逃げたって親父は帰ってこない。こんなことを言うのは酷かもしれないが、帰って親父の死にちゃんと向き合うべきだ」

「帰ればまた私を軟禁するおつもりなのでしょう?」

「うえぇっ!?軟禁!?」

「それについてはすまないと思っている。あれから兄貴達と話し合って決めたんだ。お前の自由にさせてやろうって」

「では、何故私は囲まれているのですか?」

「・・・」

 

穏やかな笑みを浮かべていた真人の顔から笑みが消える。

それを見たアズサは真人の真意を理解して後ずさった。

 

「私はただお父様から託されたものが何なのか知りたいだけです!遺されたものが金品ならばお姉様達に差し上げると言ったはずです!」

「わかっている。だが、兄さんも姉さんもお前を信用していない。必ず連れ戻して来いと言われて出てきた以上、俺も手ぶらで帰るわけにはいかないんだよ」

 

アズサに歩み寄る真人。

その前にマナがアズサを守るようにして割り込んだ。

 

「マナ!」

「アズサさんをどうするつもりですか?」

「・・・彼女は?」

「私を助けてくれた方です」

「そうか」

 

真人は地面に片膝をつき、マナと同じ目線に立った。

 

「誰かは知らないが、アズサを助けてくれてありがとう。妹の恩人にこんなことは言いたくないんだが、部外者はどいてくれないか?これは俺達家族の問題なんだ」

「アズサさんを閉じ込めて追いかけて!嫌がるアズサさんを無理矢理連れ戻そうとするのが家族なんですか!?」

「面と向かって言われると心が痛むな・・・。だが、こっちにはこっちの事情があるんだ。どうしてもどかないと言うなら・・・」

 

真人が黒服達に目配せすると包囲の輪はマナとアズサを取り囲むように広がった。

 

「待ってくださいお兄様!」

「どうする?アズサ」

 

その言葉を聞いて真人の真意を察する。

これはマナではなく自分への脅しなのだと。

戻ったところで自分の要求が通るとは思えない。

だが、ここで言うことを聞かなければ助けてくれた恩人がひどい目に遭わされるかもしれない。

父が遺したものの正体を知りたい。

しかし、そのために無関係な人間を、マナを巻き込んでいい道理はない。

自問自答の果てにアズサは一歩を踏み出した。

 

「わかりました。帰りましょう、お兄様」

「お前ならそう言ってくれると信じていたよ」

「アズサさん!」

 

真人に歩み寄ろうとするアズサの服の袖をマナが掴んで引き留める。

 

「本当にそれでいいんですか!?さっき言ったじゃないですか!お父さんから託されたものが何か知りたいって!そんな大切なことを諦めちゃうんですか!?」

「そうしなければ貴女に危害が及びます!お父様だって無関係な人間を巻き込むことを望まないはずです!」

「あぁ、その通りだ。確かに君はアズサを助けてくれた。だが、それだけだ。君はこの件に関して無関係なんだ」

 

それでもと食い下がるマナをアズサと真人は否定する。

 

「自分にできる範囲で人を助ける。貴女はそう言いました。これはもう貴女の力が及ぶ範囲の話ではありません。だからもう、私には関わらないでください・・・」

「・・・わかりました」

 

長い沈黙の末にマナは小さく頷いた。

アズサの袖から手を離し、マナは静かに歩いていく。

その背中を見守りながら、これでよかったのだと自分に言い聞かせる。

最後まで自分の味方をしてくれたことはとても嬉しかった。

だからこそ、自分のエゴに巻き込むわけにはいかないのだ。

戻ればまた軟禁されるのだろう。

今度は前以上に厳重な監視のもとで。

そうなればもう二度と父に託されたものを探すことができなくなる。

もちろんそれは本意ではない。

それでも、この場における最善の選択はこれしかない。

 

「さっきから聞いてれば、無関係って言い過ぎです」

 

歩き去ったかと思われたマナは真人が乗ってきた車の前で立ち止まり、振り返らずに言葉をかける。

 

「関係あったら首を突っ込んでもいいみたいじゃないですか」

「マナ?」

 

マナの真意がわからず困惑するアズサは奇妙なことに気付く。

マナの右手には一冊のメモ帳があった。

先程からずっとその背中を見ていたが、ポケット等からメモ帳を取り出すような素振りは見受けられなかった。

あのメモ帳はどこから出したのか。

何故今それを持っているのか。

真人と黒服達も突然意味のわからないことを言い出したマナを不審そうに見つめていた。

 

「だったら・・・」

 

マナは踵を返して自分を見つめる聴衆に目を向ける。

その瞳は真剣そのもので、その行動全てが軽い冗談ではないことを窺わせた。

マナは真人が乗ってきた車に空いた左手を置き、

 

「これでわたしも関係者です」

 

車は忽然と消えた。

 

「なっ・・・!?」

「・・・っ!?」

 

誰もが言葉を失い、驚愕に目を見開いていた。

先程まであったはずの車が煙のように消え失せる。

言葉にすれば簡単だが、実際にそれを目の当たりにするのとは訳が違う。

未だに状況を飲み込めないアズサ達の前でマナは小さく呟いた。

 

「拳銃」

 

その短い単語がマナの口から紡がれたその瞬間、マナの左手には一丁の拳銃が握られていた。

どこかから取り出したわけではない。

まるで最初からそこにあったかのように拳銃が現れたのだ。

メモ帳を放り投げたマナは右手でセーフティを外して持ち直し、人差し指をトリガーにかけず腕を突き出すようにして銃口を真人に向けた。

 

「諦めて帰ってください・・・」

 

銃口を向けられていることに気付いた真人はようやく我に返り、強気な姿勢を崩さすに答える。

 

「一体何をした・・・?俺の車をどこにやった!?」

「帰ってください」

「君みたいな子供が銃を持っているわけがない!どうせただのおもちゃだろう!?」

 

あくまで諦めるつもりはない。

言外の意を察したマナは銃を構える右手に左手を添え、銃口を真人からやや下に向ける。

そして、大きな風船が割れるような乾いた破裂音が人通りのない道路に木霊した。

 

「・・・えっ?」

 

間の抜けた声と共に地面に崩れ落ちる真人。

その視線は真人から少し離れた場所に固定されていた。

足元から少し離れたコンクリートの地面にめり込んだ一発の銃弾に。

マナは銃口から白煙が立ち上る拳銃の照準を再び真人に向ける。

 

「ひぃっ!?」

 

拳銃が本物だと理解した真人は足を震わせながら立ち上がり、黒服達に介抱されながらどこかへと走り去っていった。

真人達が去ったのを見届けたマナは拳銃をおろし、空いた左手を開いた。

瞬きをする間もなく、先程マナが放り投げたメモ帳が左手に出現した。

それと入れ替わるかのように銃が消え、それに続いてメモ帳も消える。

後に残ったのはマナとアズサの二人だけ。

 

「マナ・・・」

 

アズサの頭の中はマナと初めて会った時以上に混乱していた。

一体何が起きたのか、何をしたのか、車と拳銃とメモ帳はどこに消えたのか。

聞きたいことが山ほどありすぎて何も言えないでいるアズサにマナはあっけらかんとした表情で切り出した。

 

「わたしはアズサさんのお兄さんから車を盗んで連れ戻しに来た人達を追い返しました。これでわたしはあの人達の敵です。だから敵の敵でアズサさんの味方です」

「どうして、そこまでしてくれるんですか・・・?」

「言ったじゃないですか。できる範囲で助けるって。わたしのできる範囲はまだまだこんなものじゃないですし、できなかったとしても一度助けた人を簡単に見捨てたりしません。できなきゃ一緒に逃げるが勝ちです!」

 

両手を腰に当てて得意気に笑うマナ。

どうやら、自分よりも幼く小さなこの少女はどうあってもアズサに協力したいらしい。

 

「本当に、いいのですか?」

「はい!」

「相手はその辺りのならず者ではありません。それでも、力を貸してくれますか?」

「もちろんです!アズサさんがお金持ちのお嬢様だってことくらいとっくにわかってましたし」

「ふふっ、本当に貴女は鋭いですね。わかりました。そこまで言うのなら、私も覚悟を決めます・・・」

 

アズサはマナに歩み寄り、マナの右手を両手で包むように握った。

そして目線をマナに合わせるように体を屈め、目を逸らさずに宣言した。

 

「改めて名乗らせて下さい。私は日上アズサと申します。マナ・・・いえ、津雲マナさん。お願いします。どうか!どうか私とお父様の『R』を探すために力を貸して下さい!!」

「はい!喜んで!・・・ところで、Rってなんですか?」

「実は、私にもよくわからないんです」

「じゃあわたしと一緒ですね!」

「・・・はい?」

 

目的地すらわからない前途多難な旅はこうして始まった。




初めまして、ネズ三ストと申します。
はじめてのオリジナル作品、できるならこの章は完結させたいと思っています
ガールミーツガールっていいですよね

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