石上優の生存戦略 作:ミート
第六感、という言葉をご存じだろうか。直感、霊感、虫の知らせ、シックスセンスと呼ばれるそれは五感を超えた感覚を意味しており、時には未来予知すら引き起こす人の持つ可能性の一つだと言えよう。
だが、現在では未来予知とも呼べるその能力に一つの結論が定着している。人は未来を見たのではなく、自らが持つ経験に基づき高度に予測したのだと。その計測に脳が追いつかず予感として本人へと警告をしている、という説が挙げられている。無論、人の潜在能力は現代ですら全て明かされてはおらず、未知の可能性を求め研究し続けて居る人が存在する以上その説が絶対などと結論付けることはできない。ただ有力な説であることもまた、否定はできないのだ。
そして今、秀智院学園生徒会室その場所で、石上優は正にその
インターネットでラノベの致命的なネタバレを見ようとしたときか、ゲームでBADEND直通の選択肢を踏み抜こうとしていたときか――。いずれにしても石上はその第六感を無視して突き進み、地に伏し苦しむことが幾度もあった。
だがそれらは無意味ではなかった、あれらの苦い記憶は全て経験が伝えた
「それで――『私が会長のこと――』の続きはなんですか?」
嫋やかな笑みに鈴のように凛と響く透き通った声、それらを向けてくるのは石上一人であり、傍から見れば女神の恩寵を独り占めしているかのようなその光景に、石上は冷や汗を流しながら思う。
「(『四宮先輩、会長の事好きなんですか』、は……地雷! 見えている地雷だったんだ! だけどまだ僕は、踏んでいない!)」
第六感は、石上が地雷を踏み抜き大炎上する前に、歯に衣を着せぬ言い方をこぼす前に、地雷原前で足を押しとどめた。
――
石上が四宮に無謀な言葉を言おうとしたきっかけは、秀智院生徒会長である白銀御行と四宮かぐやの恋愛頭脳戦に巻き込まれたことだ。恋愛頭脳戦とは何か、コミックスを呼んでいる読者であるのなら目にタコができるほど見た説明なのであえてここでは省略する。重要なのは天才たちの戦いに意図せぬ形で石上が巻き込まれていたことであるのだから。
かぐやが節制主義者の白銀を喫茶店に誘おうと(誘わせようと)、テーブル下に割引券を張り付けておいたのだが、石上はそれに気が付き剥がしてしまった。
不自然に途切れる会話、「割引券でもあれば(一緒に行きましょう)」という誘い文句が中途半端に終わり、かぐやの視線は石上の持つ割引券へと動き、石上はその表情を見た。
なるほど、と石上は納得する。石上も次元が一つ下がった女性を幾人も攻略してきた身だ、難聴鈍感クソヤロウでもないと自覚がある以上、かぐやが行おうとしていた意味を理解――
『(あ、だめだ僕死んだ)』
してしまった。かぐやから向けられた、凍り付くような視線は石上の精神をぶっ殺した。
視線で人は殺せる。石上は死んだ。じゃあ今生きている自分は何かと言えば、四宮先輩の言葉を忠実に守るアンデッドなのだろう。「割引券のことは他言無用」と言われた言葉をロボットのように何度も頷くことしかできなかったのだから。
そうして精神的にアンデッドになっている石上だが、かぐやがどうしてそのような行動をとったのか――端的に言って白銀御行に対して好意を持っているのだろうと結びつくのは当然だった。
それに関連付けて白銀を観察してみれば、両者とも相手にアプローチをかけさせようとしている。……かけさせようと、と言うのが石上には理解できなかったがおそらく両思いなのだろう、と想定することができた。
日付を幾つか跨ぎ、趣味や時間が石上を
生徒会室でかぐやが紅茶を楽しんでおり、他のメンバーも居なかったため、丁度良いと考え聞こうと思ったのだ。
石上とてかぐやも白銀も恩があり、尊敬する先輩でもある。結ばれるという良い出来事があるのならそれに越したことは無い。
挨拶もそこそこに石上は切り出した。
「四宮先輩って会長のこと好――」
何かが、石上の声を出すことを止めた。
――第六感。
直感、予感、シックスセンスと呼ばれるそれ。即ち石上が培ってきた全ての経験は、石上の足を押しとどめる。
そして石上は幻視した。自分は今、糸くずよりも脆い綱の上を歩んでしまっているのだと。
「――今、なんと言いましたか? 石上君?」
笑み。かぐやが石上に対して向けたのは四宮家の令嬢、秀智院学園生徒会副会長に相応しい、一片の濁りも隙も無く見るものを魅了するものだ。
だがそれは死だ。死神が石上に対して指を差した、次はお前の番だ、と。
ようやく石上は気が付いた。今自分が居る場所は――地雷原。迂闊な行動一つが命を奪い、散らせていく戦場に居るのだと気が付いてしまったのだ。
「…………いえ、なんでも、ナイデス」
石上が選んだ選択、それは即撤退することだった。進めば死、ならばそのまま後ろに下がればいい。来た道を引き返し、足跡をたどるのだ。それなら爆発することは――
「あら、そうまで含むものがあると、私としても気になりますね。遠慮せず、聞いてくれても構いませんよ?」
「(追撃!? なぜどうして!? 此処で終わらせれば四宮先輩にとっても都合がいい筈でしょう!?)」
石上は忘れていた、此処は地雷原だ。石上は目の前の地雷に気が付いただけであり、その周りには無数に地雷が埋まっている。この
だから深追いはしない、テリトリーには入らないと伝えたはずなのに
そしてかぐやも石上が言おうとしていたことを察した。普段ならば白銀が絡むと途端にポンコツになり、石上の言葉に対しても大きく動揺しただろう。
だがかぐやは白銀を告らせようとするその事前準備に関しては、冷静で綿密な計画を立てて挑むことができる。そして今の石上が、かぐやの恋愛頭脳戦に関して致命的な亀裂を発生さしうる相手であると理解し、元来あった聡明な頭脳は感情面を置き去りにして回転を始めていた。
「(石上君が何を言おうとしたのか、それは想定できます。さしずめ私が会長のことを好、好いているのかとでも言おうとしたのでしょう。どうしてそんな愚かな妄想を、百歩譲って会長が私を、と言うのなら理解はできるのですけれど。……いえ、原因は分かっています。以前会長『が』私を誘うことができずに居て、それを見かねた私が与えようとした慈悲を、石上君が私の会長への好意であると勘違いしてしまっているのでしょう。ですが問題は――それが事実として広まってしまうことよ)」
そう、石上は四宮が白銀に仕掛けようとしたことを知っている。無論かぐやは口止めをしたが、今こうして地雷原にのこのことやってきた人間が、うっかり口を滑らせることは想定できてしまった。
『かいちょー、四宮先輩がかいちょーのこと好きみたいですよー、こんなことをやってましたしー』
『えー!? そうなんですかー!? かぐやさんがー!? みんなに知らせなきゃ!』
かぐやの脳内では、デフォルメされた石上とお花畑の藤原の言葉を止めようとかぐやが四苦八苦している最中、ポン、と肩を叩かれてその先を見上げた。
『ほう、俺の気を引きたいがためにこのような小細工までして用意周到に準備しておくとは。そんなに俺と一緒に出掛けたかったのか? 全く、お可愛い奴め』
そこには見下した視線でやれやれと溜息を吐いた白銀御行の姿が――
「(そんなの! まるで私が会長を好きでたまらない臆病で内気な少女の様じゃない!? 違うわ! この四宮家令嬢、四宮かぐやが、そんな後ろ向きで歩くような思いを抱いているものですか!?)」
プライドが高いかぐやにとって自分が会長に好意がある、などと言う事実は在ってはならない。無論、誰かにそう思われることもまた同じだ。石上が恋愛敗者へと成り下がる勘違いをしたままであることを見逃すなど、できるはずがなかった。
此処でのかぐやの勝利条件とは即ち、石上の持つ認識を変えること。そのためには石上が今かぐやと白銀に対してどう思っているのか、聞き出さなければならないのだ。
故にかぐやは石上を観察する。目の前に居る石上は路傍の石――までは行かないが道端のタンポポ程度の存在である。だからこそかぐやは完璧に対応した。頼りになる先輩として、四宮家の令嬢として、秀智院生徒会副会長として、紅茶の水面は波一つ立たず、一片の隙も無い姿で石上へと問う。
「それで――『私が会長のこと――』の続きはなんですか?」
此処で冒頭へとつながった。
石上が初めに理解したのは第六感によって得た危機感は全く去っていないという事実だ。人の地雷が人一倍見えて、その地雷を人一倍踏みしめる男は今、生き残りをかけた戦いを始めようとしていた。
これは恋愛頭脳戦などではない。石上の四宮かぐやとの力関係は兎とライオン、ミジンコとメダカ、地味っ娘とヤリサー! 正に生きるか殺されるかの理不尽な二択! これは石上の未来を賭けた生存戦略なのである!
生存戦略、開始!
「(分かってることは二つ、四宮先輩が会長に何かしらの好意を抱いていること。そしてそれを指摘されることを嫌っていること)」
前者は以前の四宮の立ち振る舞いで、後者は無くならない第六感からの推理だった。石上とて過去には無数の選択肢の選び取り、その結果でいくつもの屍をさらした男である。その経験が引き起こす警告からその二つを確定情報とした。
この情報を無視して何時ものように突き進んだとしたら――
『四宮先輩って会長の事好きなんですか?』
死である。
『僕から会長に、四宮先輩が好意を持ってることをそれとなく伝えておきます』
死である。
「(恋愛関係を決定づける返答は死……っ! それなら!)」
「……四宮先輩と会長は『友人関係』なのだろうか、と思いました。ふとなんとなくですが気になったので」
石上、初手で地雷原を探る。そも石上には勝利条件すら表示されていない上に時間制限付きの糞ゲー状態である。情報を整理し、まずは地雷の位置を確認した。
友人関係、一見すると確かな関係に見えるが、その内容は天と地ほど差を付けられることは皆もご存じのとおりだろう。
上を見ればたとえセッ……したとしても友人、で済ます者も居れば、下を見ればメールのアドレスだけ乗っていて一切連絡も取っていない相手も友人だと呼べてしまう。『友人』などと言う単語は駄菓子屋のおまけシールよりもペラッペラの意味しか持たないのである。
「(私に対して警戒している? ……なぜ?)」
その意味は白銀が絡まないパーフェクト四宮かぐやにも当然伝わっており、その返答から石上が自身に対して警戒していることも見抜いていた。
対面している石上以外がこの光景を見れば、四宮は後輩と談笑している先輩にしか見えないだろう。石上にもそう意識させるように振舞っていて、それでも石上はそれが演技で在り本命があることを見抜いたのだ。一段階、かぐやは石上に対して警戒度を上げた。
「『友人関係』……ええそうね。共に勉学に励み生徒会で協調、協力しているのだから、私と会長は友人関係と呼べなくもないでしょう」
「まぁ、やっぱりそうですよね。じゃあ僕はこれで」
「ですが私と会長、私と藤原さん、これは同じ『友人関係』であったとしても距離感が明確に違っているでしょう? これは個人的な質問なのだけれど、石上君の目から見て、私と会長の距離感はどう映っていますか? ふと、なんとなくですが気になってしまったんです」
凶弾。
明確な殺意が込められた弾丸が逃走を決意した石上へと発射された。もしも石上が『四宮先輩は会長に対して好意を持っている』という間違った認識を持っているとしたのなら、かぐやはいかなる手を使ってもその認識を変えなければならない。それこそ四宮家の全権力を使ってでも。
何となく気になった、石上も先ほど使った単語である。真意はともあれ同じ思いから生まれた疑問であると明確になっているのなら、かぐやだけが答えるのは不平等であり、石上が答えなければならない雰囲気が形成された。
「(か、考えなきゃ……。どう返答すれば四宮先輩は満足する? どう答えるのが正解なんだろう)」
石上、返答に詰まる。
馬鹿正直に言えば在るのは確実な死。わざと外れた事を言っても嘘だと見極められて死。ゲーム、ラノベ用語を使って解読不能に応えても「石上君は、気持ち悪いですね」と答えられて精神的な死!
もう、無難な答えを出して相手の意のままに任せてしまった方が楽なのではないか?
「(だけど、それは、ダメだ!)」
石上の第六感は警告を出し続けて居る。それを無視してしまえば残されているのは死だ。白銀御行によって背中を押され、この場所に立っている自分が、分かっている死への自殺など取れるはずがない!
「(……発想を変えよう。考えるべきはこの場を脱出するための答えじゃない。四宮先輩がどんな答えを求めているか!)」
無難な答えは、所詮無難な答えだ。四宮ならばその無難な答えから袋小路に追い詰め刈り取ることなど容易いことだった。
ならば石上に求められるのは無難に見せかけた鋭利なカウンター。即ち、かぐやがこの会話をする理由を無くす返答だ。
「(人が返答を求めている、そして特定の異性に興味を持つ人物が。それなら求められているのは同意、安心、助言。……だけど)」
同意や助言をしてしまえばかぐやの凶弾は石上の額を撃ち抜くと第六感は示している。そしてそれは正しい。
ならば否定してほしいのか、それも否だ。ありたい自分、から離れた自分を指摘されて何も思わない者はいない。その選択は石上にとっての死だった。
「(つまり求められている返答は、恋愛仲ではないけれど疎遠な友達でもなく、でも有象無象の友人より一歩、二歩、……いや三歩か? それぐらい進んでいる関係であること……ああもう面倒くさいな!!)」
恋する少女なんてみんな面倒くさい生き物だ。石上は今心の底から理解した。
「石上君? どうかしましたか? そんなに答えにくい質問ではないと思うのだけれど」
「いえ、少し、思い出して考えてたので。そうですね、上手くは言えませんが」
急かし少しでも本音の解答を出させようとするかぐや、定型文を使って時間稼ぎをする石上。結果は出ようとしていた。
石上に取れる友人よりも数歩先に進んでいる関係のサンプルの絶対数は無い。だが、『無いわけではない』。故に選択する。
「僕から見ると四宮先輩と会長は、一緒に外へ食事に行くぐらいの仲、それくらいの距離感だと思います」
その石上の答えに、かぐやは――
「――ふふ」
笑みを見せた。
「随分と、おかしなことを言うのですね、石上君は」
「(
それは、地雷だ。
「私と会長が二人で外で食事をとるような関係だなんて」
石上は地雷へと踏み込んだ。
「それではまるで私たちが――」
かぐやの放った凶弾の弾幕へ真っ正面から飛び込んでしまったのだ。
「恋人同士に見える、と言っているようなものでしょう?」
かぐやは氷のような笑みを見せる。何を成してでも、石上の認識を変えなければならないと決意し――
「……え、それは恋人同士ってことにはならないと思いますよ?」
石上はマジレスを返した。
「……………………え?」
かぐや、沈黙。
「異性でも食事を一緒に取るくらいは普通だと思いますし……」
石上、追加のマジレス! 確かに石上はかぐやの地雷を踏んだが――その地雷を踏み潰して故障させたのだ。凶弾の弾幕に真っ正面から突っ込んだ自殺行為も、かすり傷で済ませていた!
「そんなはずないでしょう!? そもそも、石上君が異性の誰かと一緒に食事をとるだなんて考えられません!」
事実だが石上は普通に傷ついた。
「……藤原先輩に、一緒に昼食を取らないかとこの生徒会室で誘われたことがあります。ああ、外にいい場所があるから行きましょうとも」
因みにその場には石上だけではなく白銀も居たからである。二人っきりで外で食事、となると流石の藤原も恥ずかしい。
「じゃ、じゃ、じゃああなたと藤原さんが付、つ、付き合って!?」
「いえ恋人同士じゃなくて。……ある程度仲のいい『友人』なら普通、だと思いますけど」
嘘は言っていない。だがこれまでの人生で石上が女子に二人っきりで食事に誘われたことなど一切無いため、広義的に見れば本当の事でもない。
因みにかぐやは一緒に食事を、という言葉の上に二人っきりで、という単語を付けて考えているが、石上が言っているのは複数人での話である。かみ合っていないがかぐやの認識をずらすのは十分だった。
と言うか一緒に食事をした程度で恋人と呼ばれるのならリア充たちはみんな恋人同士で、石上が呪詛を吐く時間はもっと増えるだろう。
「(そんな!? それじゃあ私が今まで抱いていた恋人のイメージと世間の実態はいつの間にか乖離していたと言うの!? こんなことを会長に知られたら)」
『ほう? まさか四宮がたかが食事を共にした程度で、恋仲のような関係に見られると思っていたとはな。――お可愛い奴め』
「(ダメ! それは! 絶対にダメ!)」
実際にイメージはそこまで離れてはいないが、白銀の存在が思考に侵入しポンコツと化しているかぐやには気が付かない。
「……そう。そういう意見も、あったのですね。参考になったわ、ありがとう石上君?」
僅かに声を震わせ石上へと返答するかぐや。暫定的ではあるがかぐやは、石上が自分と会長との関係を友人同士だと思っている、と認めたのだ。
かぐやの額から冷や汗が流れ、手に持つ紅茶の水面は波立っているが、石上はそれらの光景を一切無視した。無視しなければ死ぬと思った。まだ地雷原は脱出できていない。
「いえ……と、これ、会長に依頼されていた資料のまとめです。じゃあ、僕はこれで」
「ええ、お疲れ様」
かぐやからの追撃は無い。それどころではない。
石上は油断をしない。最後の最後まで、神経を張り巡らせる。
扉に手をかけ、石上優は生徒会室を後にした。
「っっっっしゃあ!!!!!!」
石上、キャラを崩壊させ魂の咆哮。道行く人にキモイと言われながらもガッツポーズは緩めない。
生き残れたことに今までの行いの全てに感謝した石上は、家に帰ったら久しぶりに恋愛ゲーをやろうと決意した。
本日の戦場、石上帰還。
戦果 四宮先輩と白銀先輩は恋愛感情を抱いている(呪いのアイテム)
――
「会長、もしよろしければこの後、一緒に食事でもいかかでしょうか?」
白銀は持っていたペンを落とした。