かくも日常的な物語 作:満足な愚者
続編に当たる、かくも日常的な物語 2を上おりますのでご報告させていただきます。
よろしければ続編の方の応援もよろしくお願い申し上げます。
木で出来たモダンな造りの店内は閑散とした様子だった。BGMとして店内ではクラッシクのメドレーが流れる。今はG戦上のアリアが流れていた。マスターが一番好きな曲だ。
時間がいつもより大分早い時間帯のせいと今日の天気のせいか客は少なく丸テーブルに二人組が座っているだけ。傘立てには傘が二本。午前中はあんなに天気が良かったと言うのに午後には雨が降るそうだ。来るまでに降られなくて本当に良かった。
壁にかかっている時計を確認すれば、夕方六時を指している。今日は珍しく隣接しているライブハウスが改装工事のため休みだ。お客のほとんどがライブハウスから流れてくるこの店ももしかしたら、このまま暇かもなしれない。こう言う時は黙々とグラスを拭くに限る。何も考えずにただただ無心で。たまにはこう言う日があっても悪くないだろう。クラシックと小さな話し声をBGMに穏やかな時間をただただ謳歌していた。
今日、唯一のお客さんであった二人組が帰ってどれくらいの時間が経ったのだろうか。時計を確認すれば、夜の八時を指していた。普段ならここからお客さんも増えるのだが、今日はどうだろうか。完全防音の壁に包まれ、空調の効いた店内ではそとの様子は分からない。予報では夜から雨の予報だが、もうすでに降っているのだろうか。それも、テレビもラジオもないこの店内では知ることも叶わない。真は濡れずに帰れただろうか。唯一の心配はそこだった。まぁ、俺よりしっかりしている彼女のことだ。きっと朝の予報を見て傘の準備もバッチリだろう。
店内のBGMであるクラッシクメドレーが一通り終わろうとしていた時だった。木製の扉がガチャりと少し勢い良く開けられた。
「いらっしゃいませ」
そう静かに顔を向ければそこによく知る顔があった。
「よう、飲み来たぜ」
二日前に会った際のドレス姿とは違い、ジーンズに半袖のトップスと言うラフな格好。特徴的な赤く腰まで伸びたストレートの髪をなびかせながら彼女はいつも通りの笑みを浮かべていた。手には一本の傘。髪と同じ赤い傘には雫がついていた。どうやら外はもう雨が降り始めたらしい。
「なんだ、ミズキか」
そういえば、ミズキがここに来るのは初めてだ。それどころかミズキだけじゃない。SSKもヒロトもここに来たことはないはずだ。まぁ、SSKはともかくヒロトやミズキにはここで働いていると伝えたことはなかったから来ていないだけだろうけど。
「なんだとはなんだよ、連れねぇな。こんな美女が飲み来てやったと言うのに」
「美女なのは認めるところだけど自分で言うかな、それを」
「あはははは。オレくらいの美女になると自分で言っても罰は当たらないのさ」
そう豪快に笑う彼女はいつも通りの平常運転みたいだ。機嫌が良くて俺自身も喜ばしい限りである。
「まぁ、ミズキだけじゃなく今日は俺たちもいるんだけどね。お邪魔するよ」
「ふむ、やはり今日は誰もいなかったか」
ミズキの後ろから店内に入って来たのは茶髪のイケメンであり我らがビジュアル担当のヒロトと銀縁にメガネに細く睨みつけたような目つきのSSK。二人ともミズキと同じく傘を持っていた。
「いらっしゃい。ヒロトにSSK」
そう何時もの笑みで言えば、二人ともいつもの通りに返してくれる。結局、俺たちはどこでもいつでも俺たちのまま変わらないようだ。
「一昨日振りですね。言われたとおり飲み来ましたよ」
「あはははは。急に来てすみません」
いつも通りのメンバーか、と思ったがヒロトの後ろからさらに二人の人影。温和な柔らかい笑みを浮かべる765プロの音無さんと頭の後ろをかき、少し照れ臭そうに笑う765プロの赤羽根プロデューサーが店内へ入ってきた。二人とも真がお世話になっている人たちであり、俺の頭も上がらない。
「一昨日はありがとうございます。音無さん、赤羽根さん」
そう礼を言い。頭を一つ下げる。
「いえいえ、私こそ招待してもらってありがとうございました」
「そんなお礼を言うのはこちらですよ。真の誕生日パーティーにも呼んで貰えて。それに真のお兄さんには日頃からお世話になっていますし」
音無さんや赤羽根さんは忙しい中にもかかわらず、一昨日のパーティーの話をすると二つ返事で了承してくれた。本当にいい人ばかりだ。そんな人たちに囲まれて働ける真は本当にいい環境で成長していけるんだろうな。これなら、俺自身何も心配はいらない。
「さて、お客様方。こちらのカウンター席へどうぞ」
一つ息を吸い直して、雰囲気を切り替える。気の知れた相手とは言え、今はお客様だ。まぁ、すぐにダレるのは目に見えているが最初くらいはキチンと接客をしてみようと思う。普段ならカウンターは開けておくのだが、今日はもうお客さんも恐らくこないだろう。
ミズキたちが来るまで黙々と磨き続けたためグラスはまるで新品のように綺麗になっていた。
「ご注文はいかがなさいますか?」
店内に六席あるカウンターが一つを残して埋まる。全員が座わり、メニューに目を通したのを確認すると注文を取るために口を開いた。席順は入った順に置くからミズキ、ヒロト、SSK、音無さん、赤羽根さんの順番になっている。まぁ、ミズキたちは何を頼むのか知っているため、注文を取る前から既にグラスにお酒をついである程度準備をしていたりする。長年の付き合いだ、それぞれが何を好きなんてとっくの昔に知っている。
「ワインのいい奴を頼む」
「うーん、とりあえず最初はジントニックかな」
「いつも通りシングルモルトウイスキーを頼む。無論ニートでな」
上からミズキ、ヒロト、SSKだ。まぁ、概ね予想通りだった。ミズキはワインやリキュールしか飲まないし、ヒロトはジンばかりを好む、SSKはウイスキーやスコッチなどを飲むことが多かった。あらかじめ、分かっているので出すのもはやい。それぞれにチェイサーとドリンクを出す。
「音無さんたちは如何なさいますか?」
「うーん、一昨日ここで演奏終わりに飲んだカクテルを貰えます?」
「はい、ダイキリですね。赤羽根さんはいかがなさいますか?」
シェイカーにラム酒を注ぎながら赤羽根さんに問いかける。すると赤羽根さんは少し困ったような顔でメニューを見ていた。
「いやー、実はこんな場所に来るのは初めてでどんな酒を頼めば良いのか分からなくて……」
なるほど、バーに来るのは初めてと言うわけか。俺も初めて来た時は何を飲むか悩んだなぁ。カッコつけてカクテルなんかを飲もうとしても、カクテルの名前だけじゃさっぱり何が入っているのか分からないものしかなくて、メニュー見ながら三十分ほど悩んだっけな……。BARなんて来ない人は本当に来ないだろうし、赤羽根さんの気持ちはよく分かる。
「赤羽根さんはどんなお酒が好きなんですか?」
「うーん、専らビールばかり飲むことが多いですね。でも、せっかくここに来たからには何か変わったものが飲みたくて……」
なるほど、確かに赤羽根さんみたいな社会人の男性となるとビールが好きな男性が多いだろう。
「なら、スペインのビールでもどうでしょう? ドイツやチェコ何の有名な国々比べると名前を聞く機会は少ないですが、スペインのビールはまろやかで飲みやすいですよ」
ビールが好きで珍しいものが飲みたいのなら海外のビールをお勧めするに限る。その国々によって舌触りや喉越しも大きくことなる。この機会に日本のビールと海外のビールの違いを味わって貰うのも悪くないかもしれない。
「へぇー、スペインのビールですか。なんだか飲んで見るのも面白そうですね。それでお願いします」
その注文を聞き、俺は綺麗に磨いたグラスにビールを注ぐのだった。どうやら先ほどの静けさは嵐の前の静けさだったようだ。八月最終日は騒がしくなりそうだ。
「おっ、G線上のアリアか。いい曲じゃねぇーか」
メドレーのG線上のアリアの順番がもう一度回って来た時だった、赤髪の彼女はそうグラスを傾けながら言った。ワインは残り四分の一程度入っている。
「あれミズキ、クラシック詳しいかったっけ?」
確かにミズキはギターの演奏や歌は上手いがクラシックなどの音楽を好むとはあまり思えなかった。ゆったりよりも激しい曲を好みそうなのがミズキだ。
「詳しいも何もこいつはバイオリンも弾けるぞ」
俺の疑問に答えたのはそのミズキではなく二つ隣のSSK。チェイサーである硬水が入ったグラスを片手に彼はいつも通りの声色で答えた。
「まぁ弾けると言っても大昔に習わさせられただけだけどな」
そう彼女はぶっきらぼうに言う。あまりバイオリンにいい思い出はないようだ。
「へぇー、ミズキさんって何でも出来るんですね」
音無さんが関心そうに呟く。
「確かにミズキはなんでもできるね。もしかして、このG線上のアリアも弾けたりするのかい?」
ヒロトがジントニックを一口飲むとミズキを見る。グラスはほとんど空だった。
「まぁ、一応弾けると言えば弾けるな。勿論G線一本で」
「……G線ってなんです?」
ミズキの言葉に赤羽根さんは聞き返す。
「G線とはバイオリンの弦の四本の内、一番低い音が出る線をさす。G線上のアリア、英語名はAir on G String。この曲は名が表すようにG線一本だけで弾ける曲だ。ただG線だけで弾くには相当の腕がいるがな」
流石と言う感じの解説をするSSK。こいつが知らないことを探す方が難しいのではないかと最近思う今日この頃だ。
「へぇー、そうだったんだ。さすがS、詳しいね」
ヒロトも同じ気持ちなのか感心した顔をしていた。グラスが空になりつつあったので、何か飲むか? と聞いてみれば彼は笑顔でコスモポリタンをと返す。
「へぇー、皆さんって本当にすごい方なんですね」
「凄いのは俺以外の三人ですよ。それに俺にとっては赤羽根さんや音無さんも十分に凄いです」
赤羽根さんや音無さんなんかは少ないスタッフでよく765プロを回していると思う。俺にはとても無理な芸当だ。
「いやいや、俺なんてまだまだですよ。真のお兄さんにもお世話になっていますし」
赤羽根さんは謙遜したように笑う。こうして談笑しながらゆっくりと時間は過ぎていった。すでに曲はG線上のアリアから変わっていた。
「で、今日はどう言う集まりなんだ?」
目の前でチェダーチーズをつまんでいた赤髪の彼女に問いかける。このような集まりは十中八九、彼女の呼びかけで集まったに違いだろうしな。すでにグラスは四杯目のワインが注がれている。これだけ飲んでも顔色が全く変わらないのは流石といっていいだろう。
「あぁ、今日はお前に知らせたいことがあってな」
知らせたいこと。この赤羽根さんや音無さんがいることを考えると真に関係する何かだろうか。
「何かあったのか?」
「あぁ、それもいい知らせだぜ」
彼女はそう言い笑ながら横を向く。俺もそれを受け、視界を横にスライドさせれば、そこに座る全員が笑っていた。
「うんうん、この前は真ちゃんの誕生日だったし。今日の話も君にもいい報告だと思うよ」
少し顔の赤いヒロトはギムレットを片手に呟く。やっぱ色男にカクテルはよく似合う。
「で、結局なんだんだ? その報告なら」
悪い報告じゃなく、いい報告なら聞くに限る。ミズキとヒロトが言うのなら間違いないだろう。
「それは赤羽根さんから伝えてもらわないとね」
ヒロトの言葉につられ一番端に座る赤羽根さんを見る。その視線を受け赤羽根さんは実は……、と話し始めた。
「実は765プロ全員が出演する生放送のレギュラー番組が決まったんです!」
「え、レギュラー番組?」
思わずそういい返す。
「はい、しかも全国放送です!」
少しお酒が入っている成果紅潮した面持ちで少し大きな声で話す赤羽根さん。
「そっか、全国ネットか……。おめでとうございます、赤羽根さん」
いきなりの話でイマイチ俺自身も状況うまく把握できていないみたいだ。全国ネットのレギュラー番組。その言葉だけで真も成長したもんだ、と少しだけ実感が湧いて来た。
「ありがとうございます。これも貴方のおかげです。あのカメラマンの方が強く押してくれたらしいです」
あのカメラマンとは雪歩ちゃんの写真をとってくれたカメラマンだろう。やけに俺のことも気に入ってくれていたみたいだし。こんな俺でも役に立てたのか。
そのことがやけに嬉しかった。
「さて、今日は祝いだ。思いっきり飲むぞ!」
ミズキがグラスを掲げながら言う。顔には出ないだけで結構酔っているのかもしれない。帰りが心配だ。
「そうですね、こんなめでたい日は飲まないと!」
その言葉に音無さんがまず反応する。音無さんは何と無くだけどただ飲みたいだけのような気がする。
「うん、そうだね」
「こんな上物を味合わずに飲むのはもったいないが、たまにはいいだろう」
「よし、今日は飲みますか!」
そして、ヒロト、SSK、赤羽根さんまでもが続く。
「おい、お前も飲めよ。金はオレが出すから奢りだ!」
ミズキのその言葉に仕事中だから飲めないとか言う釣れない言葉は返さない。バーテンは飲むのも仕事のうちなのだ。ロックグラスに氷とホワイトラムをつぐ。甘い匂いが漂ってくる。
それを右手に持てば、もう既に全員がグラスを掲げていた。
「それじゃあ、765プロダクションの益々の活躍を祈って……」
「「乾杯」」
グラスを合わせなんて無粋な真似はしない。ただただ目線を合わせるだけの乾杯。
久しぶりに飲んだラム酒は喉を焼けるように通りすぎる。まるで今から始まる憂鬱な季節の憂いを取り除くように……。
こうして、俺の八月は終わった。
BGMとして、パッヘルベルのカノンと確かな笑い声を添えて……。
そして、大嫌いな秋が始まる。
酒はやっぱりウイスキーかラム酒に限りますね。
どっちもストレートでちびちびやるのが一番です。