教皇スロカイ様に拾われました   作:マハニャー

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教皇スロカイ様に拾われました

プロローグ 0‐1 彼女と出会った日

 

 

 

「はっ……最悪だ」

 

 夜闇に沈む街の片隅。

 月明かりすら差さぬ路地裏で、建物の壁に背中を預けた少年は、掠れた声で吐き捨てた。

 そのままずるずるとへたり込んだ少年の痩身は、実に酷い有様だった。

 

 元々ロクに栄養を摂取していないのだろう、その体は枯れ木のように細く痩せ細っており、長く伸ばされた黒髪が隠す目元は深い隈が滲んでいる。

 全身は痣と擦り傷と切り傷だらけ。ところどころ貫通した弾痕さえある。

 特に酷いのは、その右腕だ。腕の付け根に刻まれた深い刀傷。ボロボロになった服を当て布にして押さえつけるも全く意味をなさない。その右腕はピクリとも動かず、ただ垂れ下がっていると表現するのが相応しい。

 

 全身から流れ出した鮮血が、少年がへたり込んだ地面を赤黒く染めてゆく。

 徐々に感覚が抜け落ちていく体。霞む視界。途切れ途切れの呼吸を吐きながら、少年は己の窮地を嗤う。

 

「ざまぁ、ねぇな…………かふっ」

 

 少年が物心ついた頃には、既に彼の傍に両親は居なかった。そもそも両親などと言うものが存在したのかすら怪しい。

 彼の記憶が始まったのは、路地裏のゴミ箱の前にそれこそゴミのように打ち捨てられていた時だ。それ以前の記憶は何一つとして残っていない。

 彼と言う存在はもはや抜け殻に近い。自らの成り立ちも生きる意味も知らず、ただ胸の内から湧き上がる生存への衝動に従って命を繋ぐだけの、抜け殻。

 

「その、結果が……これか」

 

 ざまぁない。もう一度、心の中で自嘲する。

 

 自分が何なのかすら知らず。そもそも自分などと言うものがあったのかすら分からず。何一つこの世に残さず、何の意味もなく朽ちてゆく己が身を、笑う。哂う。嗤う。

 何より、この期に及んでなお生に執着する、己の浅ましさを。

 

「ほぅ? 何やら大きなゴミが落ちていると思えば……人間の子供か」

「…………?」

 

 既に全身の感覚はほとんど麻痺している。聴覚も視覚も、もはや微かにしか機能していない。

 だから、最初は幻覚だと思った。幻聴だと思った。

 

 幼げな声音ながらも、傲岸さの滲んだ張りのあるソプラノも。

 月明かりを宿して輝く、長い桃色の髪も。

 機械的な無機質ささえ感じられる完璧なまでの美貌も。

 少年と大して変わらない小柄な体躯ながら、遥か高みから見下ろしてくるような緋と蒼の双眸も。

 

 全部、全部が幻だと思った。

 

 だって、そうでなければ――これほどに美しい少女が、存在するはずもないのだから。

 

「酷い傷だ。死ぬ(停止する)寸前ではないか。その傷……同じ人間に与えられたものだな? 随分と痛めつけられたと見える」

「………………」

「フン、相変わらず有機物は醜い。半端な知恵など付けるからこうなる。野を駆ける獣どもの方がまだマシというものだ」

「………………ぁ」

「まだ息があるか。……ふむ」

 

 ずかずかと無遠慮な足取りで近付いてきたその少女(・・)は、ズイッと顔を近づけてきた。

 その美貌を正面に突きつけられた少年が思ったのは、自分の血で彼女の豪奢な服が汚れはしまいかという、少々場違いな心配だった。

 

「そなた。まだ話せるか?」

「……ぅ……ぁ……?」

「もはやその傷では助からぬであろう。これから死にゆくそなたへの慈悲として、余がそなたの最期の言葉を聞き届けてやろう」

「……さぃ、ご……しぬ……?」

「うむ。……何か、言いたいことはあるか?」

 

 終始冷然とした態度だった少女の表情に、少しだけ、少年を慈しむような、憐れむような色が浮かぶ。

 今にも消えそうな意識の中でそれを目にした少年。彼の口から、自然と言葉が漏れる。

 

「……ぃ……た……」

 

 それは、声にもならない声。血泡で溢れた肺では正常な呼吸など出来るはずもなく、漏れ出るのはほとんど掠れた呼吸音のみ。

 

「…………たぃ……!」

 

 だがそれでも、少年は懸命に声を絞り出す。気道が蠕動するだけで全身に激痛が走るが、元々傷つき果てた体だ。どうということはない。

 ただ、この胸に、空っぽの自分の中で嚇々と燃え上がる炎を滾らせて、必死に叫ぶ。

 

 そうだ。俺は、まだ死ねない。死にたくない。

 何一つ得られないまま、何一つ成し遂げないまま朽ち果てるなどごめんだ。

 

 だから、だから……!

 

「……生きたい……!」

 

 この傷ではもう助からない? 知ったことか。そんなもの気合いで捩じ伏せてやる。これまでだってずっとそうしてきただろう。

 現実に反発して、理不尽に反駁して、不条理に反抗して、そうやって生きてきた。

 

 こんなところで、終われるものか……!

 

 死に体でありながら、尚も輝きを絶やさない少年の瞳を見た少女は――その時初めて、氷のような表情を大きく変えた。

 それも大きな喜色……花咲くようなという形容が相応しい、楽しげな笑顔へと。

 

 己の生き死にが懸った状況だと言うのに、不覚にも、少年はその笑顔に見惚れてしまう。一瞬で心を奪われてしまった。

 

「く、ふふ、あはははははっ! そなた、この期に及んで生きたいと、そうほざくか! この余が、教皇スロカイ(・・・・・・)が下した裁決に抗うか! 今にも命尽き果てる身で、よりにもよって生きたいとほざくか! 惨めに足掻くとほざくか!」

「…………っ」

「何たる不条理、何たる不遜! 機械と違い終わりの定められた有機物風情が傲慢極まる! 流石は有機物、不条理の塊ではないか! そなたはまるで獣だな!」

「…………何だって、いい」

 

 歌うように、謳うように嘲弄の笑声を響かせる少女を睨みつけるようにして、

 

「……なんと、言われ、ようと……おれはまだ、おわりたくない……がはっ、生きていたいんだ……!」

「――気に入った。気に入ったぞ、そなた」

 

 少女のほっそりとした手が、そっと少年の頬に添えられる。

 屈み込んだ拍子に服の裾が血で濡れてしまうが、少女に気にした様子はない。

 愉快げに緋と蒼の相貌を細めて、スロカイと名乗る少女は少年に問いかけた。

 

「余に人間の子供を助けてやる義理などないが……今回は特別だ。そなた、名は何と言う?」

「……なまえ……ない……」

「名はないと申すか。であれば、そうだな……ウルフェン。そなたをウルフェンと名付けよう」

 

 ウルフェン()……その響きに、何故か胸が熱くなる。

 自分のことを、名前で呼ばれたのが初めてだったから、だろうか。

 

「ウルフェン。そなた、生きたいと言ったな。――余がそなたを生かしてやろう。そして対価として、そなたの全てを余に捧げよ」

「すべて……?」

「そう。そなたの体も、心も、魂も、未来も……その全てを余のために使え。余のために生きよ。余のために死ね。余の機械となれ。これは第七代目教皇スロカイの勅命である。謹んで拝命せよ」

 

 月光を背に、どこか神々しさすら漂わせる少女――教皇の放つ清冽な覇気に、少年――ウルフェンは、思わず頷いてしまう。

 そんなウルフェンに、教皇は満足げに微笑んだ。

 彼女が見せた微笑みは、ウルフェンにとってあまりにも美しく映って――

 

 

 きっとそれこそが、ウルフェンと名付けられた少年が、スロカイという少女を生涯護り抜くことを誓ったきっかけだったのだろう。

 

 

 

§

 

 

 

【機械教廷】。

 世界最強の軍事力を有する、『機械神』を信仰する巨大な軍事宗教組織である。

 教廷の総本山たる教廷半島の西部、そこに存在する幻境の中に現れる巨大な建造物。

 それこそが教皇の住む宮殿であり、全大陸に名を馳せる要塞、【マシーナリー聖殿】だ。

 外周は帝国で最大口径の戦艦砲をも跳ね返す【聖鋼】製の300メートルはある高い城壁で覆われている。

 さらに対空防御として、無数の【ドローン爆雷】が配備されており、精鋭揃いの空軍も恐れをなす、まさに死の空域だ。

 

 城壁の内側には天を衝く巨大な塔が多数設置された壮麗な主城がある。

 それぞれの塔には、火を噴く龍のような黒い巨砲が配備され、教廷を狙う敵からは「高い塔の死神」と恐れられていた。

 教廷が誕生してから百年足らずの間に、正殿は幾度も攻撃を受けたが、その度にこの城壁が敵を跳ね返してきた。

 

 かつての大分裂時代(AD2404‐2474)。

 ライン領内のアウハラ大公が数十万の大軍でこの地を攻めたが、彼らの進軍はこの不落の城壁に阻まれ、永遠の眠りに就くことになった。

 

 そして現在。新暦23年(AD2497)。

 二十年前の雪辱を誓ったライン領軍が、再び教廷への進攻を開始した。

 前回の惨敗から教廷の基本戦術を学んだ彼らは、この二十年で築き上げた自国の軍事力のほぼ全てをこの侵攻作戦へと注ぎ込んでいた。

 我らはかつて敗北した。だがあの敗戦を経て我々はより強大な国家を築き上げた。今こそかつての雪辱を晴らす時……そう意気込んだ彼らは――かつてのそれより尚深い絶望を味わうこととなった。

 

 空を覆い尽くす砲火をくぐり抜け、やっとのことで城壁の下まで辿り着いた彼らは、その時ようやく気付いた。

 自分たちの武装では、どう足掻いても、例え遥か昔、極東の島国が行ったように機体ごと突っ込んだとしても、その壁に傷一つ付けることすらできないと言うことに。

 折れそうになる心を叱咤して、何とか城壁によじ登ろうとした彼らだが、それは天に登るにも等しい愚行。無謀。進退窮まった彼らを襲うのは、更なる試練。

 

 城壁の端に現れた、黒のBM部隊。教廷の誇る精鋭部隊【教廷騎士】である。

 彼ら騎士たちは教廷の旗を掲げ、至高の主と教皇へ捧げる生贄を今か今かと待ち受けていた。

 教廷の祭司たちが城壁の引力装置を起動し、教廷特製の機械兵器を壁伝いに滑降させる。

 ――次の瞬間、彼らは一斉にその牙を剥いた。高く掲げられる【聖旗】。飛び交う何千というサーバントマシン。砦のあちこちから湧き出た彼らは、まるで津波のようにライン領軍を呑み込んだ。

 この侵攻に際して配備されたライン領軍のBMは約70万機。対し、教廷が動員したBMの数は100万にも及ぶ。戦力差は傍目にも明白だった。

 

 蹂躙されゆくライン領軍の中に、特に際立った活躍をして孤軍奮闘する一機のBMの姿があった。

 

「我が同胞たちよ、憶するな! 撃て、斬れ、進め!! 手を止めるな足を止めるな、我らが祖国の攻防は、この一戦にある!!」

 

 ライン領軍所属の、ヒュース・エリン大佐である。愛機である強襲型仕様の【ダガー】とともに幾多の戦場を駆け抜けてきたベテランのパイロットである。

 右腕に設置された大型収束ビーム砲を放って敵を散らし、両肩の迫撃砲で牽制しながら周囲の味方へ指示を出す。まさに孤軍奮闘、八面六臂の大活躍だ。

 軍属30年という長いキャリアの中で積み上げられてきた彼の戦闘経験は、教廷の精鋭たる騎士たちすらをも圧倒した。

 

 だが彼がどれだけ気張ったところで、戦況というものはたった一人で覆せるようなものではない。……かつての古代兵器は別としても。

 しかし彼の奮戦する姿は、多くの友軍たちに勇気を与え、克己を促した。

 ヒュース大佐の奮戦と上官たちの激励を受けて、覚悟を決めたライン領軍は、高い士気を維持したまま騎士たちへと襲いかかった。逆襲である。

 

 それを契機として、徐々にではあるが双方の戦力差が拮抗してきた。

 このまま行けばあるいは――と、ヒュース大佐やライン領軍の将軍たちが希望を持ち始めた、その時だった。

 

 戦場のど真ん中に、一機のBMが飛来したのは。

 滑降ではない。飛来である。そのBMはあろうことか、あの城壁の上から(・・・・・・)跳躍して(・・・・)戦場に乱入してきたのである。

 轟音を立てて、あまりにも派手に乱入してきたBMの姿に、双方の動きが一瞬だけ完全に停止した。

 

 衝撃を殺すように膝を撓めたそのBMは、嫌にゆっくりと身を起こした。

 背部の巨大な(ウィングユニット)が目を引くそのBMが背負うは、蒼穹。

 騎士たちの戴く教皇スロカイの愛機たる【ネロ】と対をなすような、蒼の機体。

【ネロ】と比べて全体的に細身の機体ではあるが、放たれる威圧感は同等か、それ以上。

 

 緩やかに戦場を一巡していた視線(・・)が、やがて一機の【ダガー】……ヒュース大佐の機体のところで止まる。

 瞬間、ヒュース大佐はこれまでに感じたどんな恐怖よりも強い恐怖、畏怖とも言うべき感情を味わった。

 

「……っ、撃てェ!!」

 

 切羽詰まったヒュース大佐の号令に、ようやくライン領軍は再起動した。

 周囲の教廷軍以外のBMが一斉にその砲塔を蒼いBMへと向け、発砲する。ただ一機のBMへ向けて、無数のビームと銃弾とミサイルが撃ち込まれる。

 

 対して蒼いBMが行ったのは、ただ視線を向けるだけだった。

 機体のスカート部分から飛び出した八基の長剣型ドローンが、それぞれを頂点として巨大な八角形を形成し、薄緑のビームシールドを展開する。

 直後に無数の砲撃が叩き込まれるが、その堅牢なシールドを突破できたものは一つとしてなかった。

 

「あ、当たりません! 何て硬さだ!!」

「構わん、撃ち続けろ! 奴の動きを止めろ、奴に何もさせるな! いかに強固なシールドとて無限に続くわけでは――」

 

「――鬱陶しいなァ」

 

 蒼のBMから聞こえてくるのは、年若い男の声。 

 八角形のシールドに守られながら、そのBMは剣を抜いた。真紅の刀身の高出力ブレードの、二刀流である。

 

「そんなちゃっちい攻撃じゃあ、どれだけ撃とうと俺と【カリギュラ】は殺せねぇよ」

 

 ついに武器を構えたその姿に誰もが緊張を覚える中、蒼いBM――【カリギュラ】はゆっくりと踏み込んで――一気に加速した。

 

「なっ、速――」

「遅ぇ」

 

 視界からその姿が掻き消えるほどの加速。彼らが次にその蒼を目にしたのは、抵抗すら許されず同胞のBMが斬り伏せられた時だった。

 驚愕する暇もなく、【カリギュラ】は再び突進した。

 黙視することすらままならない冗談のような速度に、一機また一機と恐ろしい勢いで斬り倒されていく。

 

 その速度の秘密は、全身14基にも及ぶ高出力スラスターによる爆発的な超加速である。

 両腕両足の関節、背部のウイングユニット、スカート部分、果ては後頭部にまで設置されたスラスターを必要に応じて使い分けているのだ。

 無論、14基のスラスターを同時に扱うなど正気の沙汰ではない。パイロットへのG負荷はもちろん、一歩間違えば暴発して自爆する羽目になる。

 だがそのパイロットは、それをなした。卓越した操縦能力とBMとの親和性、そして生への執着によって。

 

「くっ……! 止まれ!」

 

 不覚にも呆然とその蹂躙を眺めていたヒュース大佐だったが、何とか味方が全て撃墜される寸前に我に返った。

 次々と味方を屠っていく【カリギュラ】を止めるために迫撃砲を連射するが、あまりにも遅過ぎた。

 

「ふぅ……さて、後はアンタだけ――」

 

 粗方の敵を剣の錆へと変えた【カリギュラ】は、ゆっくりと振り返って――収束ビーム砲の一撃を喰らって吹き飛んだ。

 ドゴォォォォン、という凄まじい轟音と衝撃が地面を揺らし、土煙が濛々と立ち込める。

 BMの一機程度なら易々と消し飛ばす収束ビーム砲だ。生き残っているはずがない、ないのだが――何故かヒュース大佐は、警戒を解く気にはなれなかった。

 

 そして、案の定――

 

「ヒャァハハハハハハァ!!」

「……くぅっ!」

 

 土煙を突き破って、例の超加速で突っ込んできた【カリギュラ】の双剣に、何とか持ち上げた左腕の大型シールドを打ち合わせた。

 十分に警戒しての防御だったと言うのにギリギリのタイミングだった事実に改めて戦慄しながらも、ヒュース大佐は冷静に対処した。

 

 大型シールドの表面を滑らせるようにして捌きながら、近接戦闘の邪魔になるビーム砲を放棄。空になった右腕を【カリギュラ】へと突き出し、内蔵ビームガトリングを連射しながら後退。

 対する【カリギュラ】は剣戟を受け流された衝撃に抗わず側面にスライドするように移動。掲げた左腕から放射状にビームシールドを展開してビームガトリングを防御しながら再び接近。

 鋭く研ぎ澄まされた【カリギュラ】の横薙ぎの斬撃に、機体を大きく傾けることで回避するが、直後に跳ね上がったもう片方の剣が右肩の砲塔を斬り裂いた。

 

「ぐっ……!」

 

 全力で後退し、今更ながら再認識する。機体の性能もさることながら、このパイロットは本当に強い。

 出し惜しみなどしている場合ではない。己に持てる全てを振り絞ることでしか、この強敵を打倒する術はない。

 覚悟を決めたヒュース大佐は、自分専用にチューンナップされた【ダガー】に搭載されたある機能を起動した。

 機体のバックパックが展開し、四本の小型マニピュレーターが稼働する。

 上下それぞれ二本ずつ。上方の二本は同じくバックパックから取り出したハンドレールガンを構え、下の二本は長距離粒子ライフルを構えた。

 

「へぇ? そいつがアンタの本気ってわけかい?」

「…………」

 

 ヒュース大佐は答えずに、全砲塔を開放、乱射した。

 無数のビームと砲弾が【カリギュラ】を襲うが――【カリギュラ】が選んだのは、後退ではなく前進だった。

 左手の高出力ブレードを仕舞いビームシールドを展開、左腕を完全に盾にして【ダガー】へと突進する。

 

「チィッ……! 重いな……だが!」

 

 やはりこれだけの質量の攻撃を片手だけで受け止めるのは無理があったようで、【カリギュラ】の左腕がぎしぎしと軋む。

 それでも【カリギュラ】は突進を止めなかった。

 スラスターを細かく吹かし、必要最小限の攻撃のみを防御。残りは全て回避。どうしても無理なものはブレードで斬って捨てた。

 

 少しずつ、着実に接近してくる【カリギュラ】に、ヒュース大佐は改めて舌を巻いた。

 

(この弾幕を強引に突き破るか……! やはり凄まじいな)

 

 少しずつ前進を重ねて、【カリギュラ】はついに【ダガー】を剣の間合いに収めた。

 シールドを解除していざ斬りかかろうとする【カリギュラ】だったが、その直前に、【ダガー】の肩の装甲が展開し、内蔵のミサイルポッドが出現した。

 

「なっ、てめぇ……!」

「すまないな、少年」

 

 シュドドドドッ!! と至近距離から発射される計六発のミサイル。

 この距離ではもはや回避も防御も不可能。私の勝利だ――そう、ヒュース大佐が確信した、その時、ふと目の前の蒼いBMから、笑みを含んだ声が聞こえてきた。

 

「――なぁんてな?」

「なッ!?」

 

【カリギュラ】と【ダガー】の間に割り込んできたのは、最初の掃射を防ぎ切った、【カリギュラ】の長剣型ドローンだった。

 必殺のミサイルは薄緑のシールドに阻まれて、戦果を残さないままに四散する。

 

 失念していた。というより、最初の攻撃を防いだ時点で収納されていたので、再使用まで時間がかかるものだと思い込んでいた。

 呆然とするヒュース大佐に対し、これまでのお返しと言わんばかりに猛然と躍りかかる【カリギュラ】。

 

 真紅の光芒を描き双剣が乱舞する。

 牽制しようとした迫撃砲が斬り飛ばされた。

 展開した小型マニピュレーターが斬り飛ばされた。

 ビームガトリングを起動しようとした左腕が斬り飛ばされた。

 盾に内蔵されたダガーで受け止めようとした右腕が斬り飛ばされた。

 

 堪らず後退しようとスラスターを噴かせるが、ガクン、と期待に衝撃が走って動きを止められる。

 痛みに呻きながら機体を見れば、両膝と背部のバックパックに長剣型のドローンが突き刺さり機能を停止させていた。

 

「………………フッ」

 

 ここまでか、と自嘲するような笑みを浮かべて見上げれば、ブレードを振り上げながら悠然とこちらを見下ろす蒼いBMの姿があった。

 

「俺の勝ちだな」

「ああ。……そして、私の敗北だ」

 

 潔く敗北を認めるヒュース大佐。ここまで完璧に機体を破壊されてしまっては、もはやどうしようもない。いっそ笑えてくるような完敗だった。

 どうせこの侵攻も直に終わる。我々ライン領軍の敗北という形で。元々無謀な作戦だった。この作戦に従事すると決断した時点で覚悟は済んでいる。

 惜しむらくは、部下の命を無駄に散らせてしまったことだが……

 

「そう言えば、まだ君の名を聞いていなかったな」

「俺も聞いてねぇけど?」

「そうだったか? 私の名はヒュース・エリン。君は?」

「……ウルフェン。ウルフェン=ノービス」

 

 少年が口にしたウルフェンという名を聞いて、ヒュース大佐は思わず失笑した。

 まさか、【教皇の猟犬】、【餓狼】とさえ呼ばれて畏怖されるかのパイロットが生涯最後の敵になるとは。

 操縦席に深く腰掛け、晴れやかな笑みを浮かべて目を瞑る。

 

 直後に振り下ろされる剣。

 高出力ブレードの鋭い刃が、BMの強靭な装甲を斬り裂き、大破寸前だった【ダガー】を一刀両断した……瞬間、ウルフェンは全力で後方へ飛び退いた。

 真っ二つになった【ダガー】が、それまでウルフェンが居た場所を巻き込む勢いで、盛大に自爆したからであった。

 

 景気よく吹っ飛ぶ【ダガー】を眺めて、ウルフェンは思わず溜息を吐いた。

 

「……食えねぇ敵だ」

 

 

 

§

 

 

 

 ライン領軍の侵攻により、教廷が俄かに騒がしくなり始めた頃。

 第七代目教皇にして教廷軍最高指揮官たる少女、スロカイは……盛大に暇を持て余していた。

 

 戦時中に何を呑気な、と思うかもしれないが、大体の場合においてスロカイが直接陣頭指揮を執ることはない。

 教廷側からどこかに侵攻するのならともかく、今回のような防衛戦であればスロカイが指示を下すまでもなく、何一つ問題なく対処できるので。

 教廷騎士であり自身の側近でもあるマティルダやウェスパに任せていれば、いずれ戦勝報告を引っ提げてくるだろう。

 

 執務も済ませた。というよりほとんどの仕事はスロカイに回ってくる前に文官たちが済ませてしまう。

 なので、はっきり言って暇だった。

 自室の巨大なベッドに寝転がって怠惰を貪るスロカイの姿は、常の威厳に溢れる彼女しか知らない者にとっては目を疑うような光景だろうが、彼女のごく近くに侍る侍従や、それこそウルフェンなどにとっては当たり前の事実だった。

 

 何気なく机を見れば、ケースに入れられたカードがある。

 暇そうにしていたスロカイに、ウルフェンが買ってきて、教えてくれたものだった。

 最初は「凡人たちの遊戯など……」と嫌そうにしていたスロカイだったが、やり込む内にいつの間にかのめり込んでいて、今ではマティルダやウェスパも交えて遊ぶようにまでなっていた。

 自分でも少し嵌まり過ぎている自覚はある。たまにウルフェンに苦笑されることがあるので。

 

 そこまで考えて、いつも自分の隣で勝ち気に笑っている青年のことを思い出して、コロリと寝返りを打った。

 最初に彼と出会ったのは、ふと思い立ってお忍びで出かけた時のことだった。

 声をかけたのは、単なる好奇心。慈悲をかけたのは、終わりゆく命への憐れみ。

 そして彼を助けたのは……彼のあまりの不条理さに興味を抱いたから。

 だから彼の機械化はスロカイ自身の手で行った。少し悪ノリし過ぎて色々やらかした自覚はあるが、まあ許容範囲だろう。せいぜい手首からビームソードが出るとかそんな程度である。

 

 正直に言って、彼がBMのパイロットとして教廷騎士の中で頭角を現すようになったのは、完全に予想外だった。

 しかも、スロカイの見立てでは……彼は、スロカイの次ぐらいに、機械神に愛されている(・・・・・・・・・・)

 スロカイのように機械を自在に操る力はないようだが、それでも彼は、あらゆる機械を己の手足のように扱うことが出来る。スロカイ自らが設計して作り上げた【カリギュラ】も、彼以外に扱える者など存在しない。

 もしこのことをあの厄介な叔母に知られれば、間違いなくウルフェンは狙われる。原理主義者の筆頭のような叔母ならば、躊躇なく襲撃拉致監禁程度のことはやってのける。

 

 ……ふと、思った。

 何故自分は彼のことをこうも気にかけるのだろうと。

 あの叔母がウルフェンに目を付けることを危惧しているのは確かだ。ただでさえ面倒な叔母にウルフェンの力が渡れば大変なことになる、と本気で思っている。

 だが、今のスロカイの中では……ウルフェンの身を心配する気持ちの方が勝っている。

 ……あり得ないことだ。機械神を信奉する教皇として、あり得てはならないことだ。

 

 そもそもウルフェンは、スロカイにとって何一つ特別な要素はない。スロカイが拾ってきて機械化を施して騎士に加えたと言うだけなら、マティルダ達も同じだ。

 なのにどうして、ウルフェンだけが『違う』のか。

 彼の存在に安心する。

 彼の笑顔に安堵する。

 何故。どうして。

 

「……()の知らないことを、教えてくれたから……?」

 

 口の中だけで呟いて、スロカイはダークラビット――布と機械で出来た妙な兎のぬいぐるみをぎゅっと抱き締めた。

 

 カードゲームの楽しさも、プリンの甘さも、スロカイが知らなかったことは彼が教えてくれた。

 スロカイのことを教皇として重んじながらも、その肩書に臆することなく踏み込んでくる彼の存在が、どうしようもなく心地いい。

 

「……会いたい」

 

 彼のことを考えていると、無性に会いたくなってきた。

 今は防衛戦の真っ最中だが、ウルフェンには自室待機を命じてある(・・・・・・・・・・・・・・・・・)ので、彼の部屋に行けば会える。

 そうと決まれば善は急げ。

 ガバリとベッドから勢いよく起き上がったスロカイは、意気揚々とドアに向かって歩き出そうとして……ふと立ち止まって、髪や服の乱れを確認してから、再び歩き出した。

 しかし、ドアノブに指をかけたところで、

 

「スロカイ様、いらっしゃいますか?」

「……マティルダ? どうした?」

 

 どうやらドアの向こうに居るのは、教廷騎士の一人にして側近のマティルダのようだった。

 もう終わったのか? と首を傾げるスロカイだったが、怒り心頭という風な声のマティルダの報告を受けて、表情を消した。

 

「……ウルフェンが、【カリギュラ】を持ち出した……?」

 

 

 

§

 

 

 

 開戦から約一時間後。防衛戦は終結した。無論、侵攻してきたライン領軍の潰走という形で。

 まあ当然の結果ではある。

 向こうは今頃追撃を警戒しながら退却している頃だろうが、こちらにとってはこれはあくまで防衛戦であり、追撃など行う意味がない。

 故に取り越し苦労というものなのだが、ここで言っても栓のないことだろう。

 

 等と考えながら、シャワーを浴びてすっきりしたウルフェンは軽い足取りで自室へ向かっていた。

 自室待機の命令を受けていたにも拘らず出撃したため、マティルダからはそれはもう嫌味を喰らったが、ウルフェンにはノーダメージである。

 というのも、最近は戦いへの欲求を発散させる機会がなかったので、かなり欲求不満だったのだ。

 その欲求不満も今回の戦いで解消できたので、爽快な気分のウルフェンの足取りはとても軽かった。

 

 鼻歌すら歌いながら、聖殿で与えられた自室のドアを開けたウルフェンは、思わず声を上げて驚いた。

 いつの間に入ったのか、ウルフェンの主人である教皇スロカイが、ウルフェンの椅子に足を組んで座っていたのだ。

 

「うおっ……スロ、あー、教皇様?」

「敬称はいいわ。ここには()たちしかいないのだから」

 

 私という一人称を使っていると言うことは、現在はスロカイモードらしい。

 ちなみにスロカイモードとは、今のようにスロカイが砕けた態度を取っている状態のことを指す。逆に教皇として威厳溢れる姿を見せている時は教皇モードという。

 とりあえずドアと鍵を閉めてウルフェンも中に入る。

 

「そうですか……いや、そうか。じゃあスロカイ、何でこんなところに居るんだよ?」

 

 ……マティルダ辺りが聞けば即座に怒鳴られそうな言葉遣いだが、スロカイに気にした様子はない。

 ウルフェンがここに連れてこられたばかりの頃、ウルフェンは敬語を使うことが出来ずにずっとタメ口で喋っていたために、今でも二人きりの時は、共に砕けた言葉を使っているのだ。

 

 それを確認したところで、来訪の用件を聞いてみたウルフェンだったが、帰ってきたのは突き刺すような冷たい眼差しだった。

 首を傾げて、その視線の意味に思い当たったウルフェンは、思わず乾いた笑みを浮かべた。

 

「ねぇ、ウルフェン。私、言ったわよね? 今回もあなたの力は必要ないだろうから、自室で待機してなさいって」

「えー、いや、それは……」

「言ったわよね?」

「はい」

 

 スロカイがスッと手を上げると、それに呼応するように部屋にあった機械類がふわふわと浮かび始めた。

 スロカイのみが持つ機械神からの加護、機械に命を与え自在に操る力、【教皇見参(ロード・エンプレス)】である。

 これを使うと言うことは相当に怒っている証拠なので、ウルフェンは素直に平伏することにした。

 

「どうしてこんなことをしたの?」

「えーと、最近、全力で戦える機会がなくて……ちょっと、欲求不満だったと言いますか」

「よくマティルダと喧嘩してるじゃない。BMまで持ち出して。あれはどうなの?」

「あれはほら、一応お互い弁えてるから微妙に手加減し合ってるし……」

「すぐカッとなるくせに、妙なところで冷静ねあなたたち……」

 

 ぐうの音も出ない。大概の場合はマティルダの方から突っかかってきて、それをウルフェンがおちょくって、お互いヒートアップしてきたところで「表出ろ」となるのだが、血の気が多いことに変わりはない。

 恐縮するウルフェンに、スロカイは大きく溜め息を吐いて、

 

「あなた、私がここまでしてあなたを戦場に出そうとしない理由を理解しているの?」

「……シンシア様に俺の力が露見することを防ぐため、ですか」

「そうよ。あの人は典型的且つ究極的な原理主義者だから。もしあの人の手に落ちて研究材料になんてされてみなさい。あなたの人権なんて一切考慮されない。機械神の加護を得る、という名目で好き放題されるのが関の山よ。もっとも、あなたがあの人の方がいいと言うのなら別だけれど」

「いや、流石に俺もそれは遠慮したいぞ……それに、俺が忠誠を誓って、一生懸けて守りたいと思うのは、スロカイ、お前だけだ」

「……そう思うのなら、ちゃんと私の言うことを聞いて」

 

 ふいっと顔を背けてしまうスロカイだが、これまでの一見キツイ言葉は全てウルフェンを気遣ってのものであるのは明白だ。

 日頃他人を「凡人」と呼んで憚らない彼女がこうまで気を配ってくれているのだ、これからは少し控えよう……でもたまには――

 

「痛っでぇ!!」

「また妙なことを考えたわね?」

 

 何故分かる。額に直撃したリモコンの痛みに悶えながらスロカイの方を見れば、彼女はいつの間にか教皇モードに入っていた。

 

「ウルフェン=ノービス。教皇たる余の勅命である。……よいな?」

「仰せのままに。教皇様」

 

 教皇として言い渡されてしまえば、教廷騎士であるウルフェンとしては謹んで拝命するほかない。残念なことに。非常に残念なことに。

 未だ未練タラタラなウルフェンに呆れた目を向けるスロカイだったが、結局は何も言わなかった。

 

「まあいいわ。……それより」

「?」

 

 首を傾げるウルフェンだったが、スロカイが徐に取り出したものを見て苦笑した。

 

「暇よ。私と遊びなさい」

「またカードかよ……」

 

 自分で進めたものとはいえ余りの嵌まり具合に苦笑が沸くが、嫌なわけではない。

 むしろ昔と比べれば態度が柔らかくなったのもあって、好ましい傾向でもある。

 ウルフェンはカードを手にして、はっきりと楽しそうに緋蒼の瞳を輝かせる愛らしい主人に微笑みを零して、対面の椅子に腰かけた。

 

「いいぜ。何を賭ける?」

「そうね、なら私は――」

 

 まあ、スロカイに拾われてから、教廷騎士となってから色々あったけれど。

 それでも今は、かつての抜け殻のようにただ生きていた頃と比べて……幸せなのは、間違いないだろう。

 だから、

 

 

 

「ありがとな、助けてくれて」

「何か言ったかしら?」

「いんや、何も」

 




オリ主
・ウルフェン=ノービス
かつて名もなき浮浪児だった少年。新暦23年当時で17歳。死にかけていたところを教皇スロカイに拾われ、肉体の機械化を受けて命を繋ぎ止める。
その後は命を救われた恩を返すために死ぬ気で鍛練。教廷騎士に就任し、スロカイのために力を振るう。ちなみに割と戦闘狂の気がある。
戦闘における才能はピカイチ。BMとの親和性も高く、スロカイが手放しに絶賛するほど。またスロカイの見立てでは、彼はスロカイの次に機械神に愛された存在らしく、あらゆる機械を十全に扱うことが出来る。それもあって、スロカイが直々に建造に関わった【カリギュラ】を下賜された。
特に生還能力、生き残ることに関しては騎士たちの中でも随一であり、異様に鋭い勘と形振り構わない戦い方、スロカイへの絶対的忠誠心から【教皇の猟犬】などと揶揄されることもあるが、本人は特に気にしていない。割とどうでもいいことだったりする。
生に執着してはいるが、もし万が一、己の命かスロカイの命かを選ばなければならない場面があったとするならば……彼は躊躇なく、後者を優先するだろう。

スロカイに向ける感情は、恩義が3、忠誠が3、親愛が3、そしてほんのりとした思慕が1。傍から見れば彼の想いは明白なのだが、彼自身はそういう経験がなかったため自分の感情を自覚していない。
日々をつまらなそうに過ごしていたスロカイを見かねて、カードゲームなどの娯楽を教えてみればがっつり嵌まってしまい少し苦笑気味。
マティルダとは馬が合わないようでよく喧嘩しているが、ウェスパとの関係は良好。

彼に自身の生い立ちに関する記憶はなく、身元は全くの不明。髪や目の色から極東日ノ本の生まれだと推測されるが……
スロカイとの出会いにおいても、常人ならばとっくに死に至っているような重症でも口を動かしていた辺り、機械化を受ける以前から普通ではなかったようだ。


オリ機体
・カリギュラ

ネロSのデータを流用してスロカイ自身が設計したウルフェン専用機。
14基もの高出力スラスターを設置したことにより、汎用性を犠牲に頭のおかしい速度を手にした。

距離:近接戦向け
製造:テクノアイズ

・基本ステータス
耐久:4560
重量:145
サイズ:6.3×7.6
速度:102

・フレーム特性
超加速:自身の突進速度を120%上昇。近接攻撃を受けた時、相手の背後に瞬間移動する。発動間隔:12秒。

・武装
剣型格闘 高出力ブレード×2 火5
特殊武器 ブレードドローン 45*8 火4

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