25メートルの大木が続く並木道は、新緑がまぶしい。空を見上げると、先がとがっていて、ぎざぎざが曲線状になっている変わった葉っぱがたくさん生い茂っている。定禅寺通りや青葉通りのケヤキ並木は、天然のアーチとして青々とおいしげっていた。
いつもなら木漏れ日の温かな日差しを浴びながら、下校するところだが、残念ながらそういうわけにもいかなかった。
天気予報が外れたことを悟ったのは、放課後のチャイムが鳴り響く下校の途中だった。ぽつり、ぽつり、と降り始めた雨は、あっという間にアスファルトを真っ黒に変えていった。どんよりとした分厚い雲に覆われている空は、不安げに見上げていた仗助をあざ笑うように激しさを増していく。
弾かれた雨粒は道路のへこみにたまり始めて、あふれ出した水の流れは両脇に設置されている用水路の中に流れ込んでいった。その水たまりから跳ね返る泥水で指定靴と制服の裾が汚れてしまうのもものともせずに、みんな大慌てで走り始める。
このままだと学生服はもちろん、学生鞄の中にまでびしょ濡れになってしまう。ロッカーに放置している置き傘を回収すればよかったと後悔しながら、仗助は大急ぎで最寄りの雨宿りができるサンマートまで走った。みんな考えることは同じようだった。
指定靴から入り込んだ雨水をたっぷり含んだ靴下が気持ち悪くなり始めたころ、ようやく仗助は自動ドアをくぐる。いらっしゃいませー、と店員の女性はうれしそうに笑う。雨宿り特需に恵まれているからだろう。
仗助が到着したころには、もうすでにぶどうヶ丘学園の制服を着た高校生や中学生が、迷惑そうな顔をして空を見上げている。
雨がやむまでサンマートで時間を潰すことにしたらしく、ゲーム雑誌や漫画を手に立ち読みを決め込んでいるひと。ちょっと高めのコスメの新作をチェックしているひと。100円均一のお菓子をどれにしようか、延々と悩み続けているひと。
サンマートの新商品ラインアップを手当たり次第に確かめて、購入しようか悩んでいるひと。長蛇の列になっているトイレまでの行列に並ぼうとするひと。いつもより混んでいた。
さあて、どうすっかなあー、とお目当ての雨具コーナーに視線を向けると、すでに大きなサイズの傘は売り切れていて、小さなサイズの傘しかのこっていない。小学生じゃあるまいし、カッパはダサくて格好悪いから却下することにして、仗助は迷うことなくその傘から比較的きれいな包装のやつをぬきとった。
そして、あんまり並んでない方のレジの列に並んだ。ちょっとはやまねえかなあ、なんて考えながらサンマートの向こう側をみた。一向に止む気配を見せない雨にいら立ちを感じながら、どんどん進む列を詰めていく。
学生鞄から財布を取り出してしばらくすると、仗助の番がやって来た。ぴ、とレジカウンターでバーコードを当てた機械が音を立てた。値段が表示されるので、仗助は小銭入れのところから硬貨をきっちり支払った。
「すぐお使いになります?でははがしますねー」
慣れた手つきで店員さんが透明なビニル包装から半透明な白い傘を取り出してくれる。どうぞー、と手渡された仗助は、レシートを手渡そうとする店員さんに首をふった。にっこり笑った店員さんは、ありがとうございましたー、と笑って会釈する。
いつもだったら店員さんの視線に耐えながらゲーム雑誌で新作をチェックして、ジャンプの立ち読みをするところだ。しかし、今日はそういう気分じゃなかった。びしょびしょにぬれてしまってる状態で雑誌を読めるほど仗助は厚顔無恥になれない。
学ランで手をぬぐっても、雑誌やジャンプにしわが寄ってしまったら買わなきゃいけない。一回億泰がそれをやらかしてるのをみてるから気が引けたのだ。傘を買ったせいで、お小遣い前の財布はびっくりするほど軽かった。それに今日は早く帰ってさっさと着替えてしまいたかった。
自動ドアが開いて、さっきより激しくなった気がする雨の中に繰り出そうとした時、声を掛けてくる人があって仗助は足を止める。
「おーっす、仗助じゃあねえか。今日は出てくんの遅かったな、てっきり帰ったと思ったぜ」
「だからいったでしょ、億泰くん。もうすこし待とうって」
「仕方ねーだろ、康一。下駄箱すっからかんだったんだから。ふっつうもう帰っちまったと思うだろー?」
「おれだって、好きで居残りやってるわけじゃあねーんだぞ、億泰!それもこれもアンジェロのせいだ、クッソ!っつーかよお、なんだよ、速攻でおわらせっから待っててくれっていったじゃあねえか。なんで先帰っちまうんだよ、薄情だなあ」
「居残りだあ?んなもん、普通にサボればいいじゃあねーか」
「それがよー、ふけやがったら、単位はやらねエッて言われちまったんだよ。さすがに留年したら、じーちゃんとおふくろにどやされっから」
「ああ、そっか。仗助くんのお母さんは先生だし、良平さんは警察官だもんね」
「きびしーんだなあ、仗助んちは」
「ま、仕方ねーだろーがよ。っつーか、本当におれの下駄箱みたのかよ、億泰。おれ一回も外でてねーぞ?」
何番の下駄箱をみたんだ、と聞いた仗助は、出席番号とは程遠い番号をいわれてしまい、億泰う、とじとめでにらみつける。あれ?そうだっけ?と冷や汗な億泰に、ばかだなあ、億泰くんは、と康一は苦笑いである。
やっぱなあ、と呆れた。罰としてなんかおごれとせびられた億泰は、しぶしぶアイスをお買い上げである。じゃあ、そろそろ帰ろうぜ、という仗助の言葉に康一たちは頷いた。
「仗助君、濡れてるよ、それ」
「ああ、これか?このサイズの傘しか売ってなかったんだよなあー」
「でもよ、さすがにそれはちとおかしくねえか、仗助」
「仕方ねーだろ、もともとちっちゃいんだからよー」
「いや、そうじゃなくって。風邪ひくよ?」
「いいんだよ、びしょ濡れになっちまったら、それこそ大惨事になっちまうからな」
康一と億泰は顔を見合わせた。180センチもある仗助のリーゼントの上にはあまりにもちっちゃすぎる傘がゆれている。もともとサイズが小さいから、肩のあたりが濡れてしまうのは仕方ない。しかし、仗助が傘を傾ける先は、朝早くにおきてセットするというリーゼントに大半がもっていかれてしまっている。
つまり、仗助自身がすっごく濡れてしまうさし方をしていた。髪形をけなされただけでマジ切れする仗助らしいこだわりとはいえ、もうちょっとましなやり方をすればいいのに。よくわかんないなあと康一は思う。億泰が説得した方がいいのか、と小声で訊いてくるので、康一は首を振って肩をすくめた。
仗助との付き合いの長さはほんのちょっぴりだけ康一の方が長いから、億泰は時々こうやって僕に聞いてくるときがある。もちろん、その逆もあるだろう。康一がみたことがないだけで。突っ込みを放棄した康一は、ほんのすこしだけ雨脚が弱まった空に安堵しながら、仗助君と通学路に繰り出した。しばらく歩いたときのことだ。
「あれ?」
「どうした、仗助。なんかいんのか?」
「あそこにパトカー止まってねえか?」
「え?あ、ホントだ。黄色いテープがあるね。何かあったのかな」
「さあ?」
サイレンの音こそ鳴らしていないものの、強烈な赤が一定のスピードでくるくるとあたりを回ってるのがわかる。まるで何かを取り囲むようにパトカーが何台か止められていて、警察の人たちが立っている場所を覆い隠すように黄色いテープが張り巡らされていた。
黄色い旗を持った警察の人が行きかう車を誘導している。みんな考えることは同じだ。なんだなんだと人だかりの山が出来始めていて、通行の邪魔になっている黒山をさばく作業に追われていた。すると仗助がその中に見知った顔を見つけたみたいで、つかつかつか、と誘導している警察の人に話しかけた。
「やっぱそうだ、おーい、爺ちゃん。なにやってんだよ」
仗助の声に気付いた警察の人がこっちをみた。そして、仗助だと気付いたその人は、KEEPOUTの黄色い線を潜り抜けたことで、苦笑いした。東方良平。仗助の祖父である。警察を前にして、背筋を伸ばすことしか出来ないのは何故なのか、いまだに答えが出ない高校生組である。
後ろめたいこともないのに緊張するのは何故なのか。きっとそれは永遠に分からない。康一たちもこんにちはー、と軽く会釈した。おう、いま帰りかあ、と良平はくしゃりと笑った。ちょっと困った顔をしているのは、いまが仕事中だからだろうか、と思いきやどうやら違うらしい。良平は警察の人と会話を交わしてから、こっちに近付いてきた。
「よう、仗助。この道は通ったらだめだと聞かされてなかったのかー?」
「あー?そんなこと何にも聞いてないぜ?」
「あんのバカ校長。ここは誰も通すなっつったのに、これだ。ちゃあんと仕事してもらわねえと商売あがったりじゃわい」
「なんかあったのか、爺ちゃん?」
「なあに、たいしたことじゃあない。わしが駆り出されたのは、もっぱら交通整理とお前らみたいな野次馬を追っ払うためじゃからな。ほら、帰った、帰った。そんなに知りたきゃ帰ったらニュース番組でも見るんじゃな」
「ちぇ、ケチ」
「ケチで結構、コケコッコーってな!そうそう、朋子には今晩遅くなりそうだから、メシはいらんっていっといてくれんか。どーやら今日は帰れるかどうかも怪しいもんだ」
「わかったけどよ、せめて何してんのかくらい教えてくれてもいいだろー?」
「だーめだ、だめだ。ガキが見るようなもんじゃあない。ほら、さっさと帰った、帰った。多分明日も交通止めになると思うからな、明日の通学路は迂回してくんじゃぞ。遅刻しても知らんからな」
「へーへー、分かったよ。じゃあな、爺ちゃん。がんばれよー」
「言われなくてもやったるわい。じゃあな、広瀬君に虹村君。うちのバカ孫を頼んだよ」
「だあれがバカ孫だ、くそじじい」
けけけ、と笑った良平は、東方巡査とスーツ姿の刑事らしき人に呼ばれてそのままKEEPOUTの黄色いテープの向こう側に消えてしまった。ブルーシートに覆われている向こう側をうかがい知ることはできない。諦めた仗助たちは、大人しくいつもの通学路とはちょっと違う道を通ることにしたのだった。
「仗助お兄ちゃん?」
仗助たちがその子に出会ったのは、ぱっぱっぱと不規則に点滅する街灯が目立ち始めた道でのことだ。今にもきれかかりそうな白色やオレンジの明かりに照らされる女の子がぽつんとひとり、傘も差さないで立っている。
不思議なことにその女の子の肩くらいまである金色の髪の毛は、さらさらとひるがえっていた。カチューシャのように頭のてっぺんで結ばれている青いリボンも濡れている様子はない。たたた、と足音もなく一目散に駆け寄ってきた女の子は、綺麗な白い襟のある真っ青なワンピースを翻して、仗助のところにやって来た。
こしのあたりに巻かれている白いリボンは、うしろで蝶々結びになっていた。白い靴下と青い靴をはいた外国人の女の子は、とても上手な日本語で笑いかけている。
「よお、アリス、久しぶりだなあ」
「うん!ねえねえ、仗助お兄ちゃん、うしろのお兄ちゃんたちは仗助お兄ちゃんのおともだち?」
「え?ああ、そうだぜ」
「ほんと!?」
ぱっと笑顔になった女の子が、康一たちのところにやってくる。人懐こい無邪気な笑顔を浮かべて、アリスとよばれた女の子は笑った。
「はじめまして!あたし、アリスっていうの。あなたは?」
「僕?僕は広瀬康一だよ。よろしくね、アリスちゃん」
「俺ァ、虹村億泰だぜ、よろしくなあ」
「うん!康一お兄ちゃんに、億泰お兄ちゃんね!あら?そういえば、仗助お兄ちゃん、ジャックは?」
「あー、ジョルノか?タイミング悪かったなあ、アリス。今日はあいつ、児童養護施設っていうとこに用があるんだって言ってたぜ。放課後になったら、保護者の兄ちゃんが迎えに来るっつってたからよぉ、さっさと帰っちまったらしい」
「えー、つまんなあい。せっかくまた会えると思ってたのにー」
「こればっかりはおれでもどうしようもねえからなあ、ごめんな、アリス。ところでよぉ、おめーがここにいるってことは、あれか?新しいお友達でも見つけたのか?」
うん、とアリスは花咲くような笑みを浮かべてうなずいた。
「えっとねー、えっとねー、仗助お兄ちゃんとお別れしてから、たくさんお友達が増えたのよ。ねこさんでしょー、わんちゃんでしょー、ウリ坊ちゃんでしょー、それからそれから」
指折り数えてお友達ってやつを教えてくれるアリスは、無邪気にころころ表情を変える女の子だった。仗助は一体どうやって知り合ったんだろう、と康一と億泰は顔をみあわせた。二人の反応に気付いた仗助がにひと笑った。
「ランド神父って聞いたことねえか、康一。知ってるはずだと思うんだけどよォ」
「知ってるも何も、あれだろ?ニュースに出てた………ってまさか」
仗助が出したヒントは、そのものずばり答えだった。なにせ社王町でその外国人の苗字なんて、一件しかないのだから。疑問符がとんでいる鈍感な億泰は、どんどん青ざめていく康一に驚いて、アリスと仗助を見比べている。なんだよ、教えてくれよー、と呑気に言われた康一は、どもる口調に苛立ちながら、なんでわかんないんだよおっと叫んでしまった。
いきなり耳元で怒鳴られた億泰はぎょっとした様子で後ずさる。いきなりなんだよーと困り顔だ。ああもう、怖がっていいんだか、驚いたらいいんだか、あきれたらいいんだか分かんなくなってきたぞ!?康一ははあとため息をつくしかなかった。億泰がニュースを見るような人間じゃあないことはここにいる誰もが分かってる事である。
「億泰君、ランドっていう外国人一家がね、2週間ほど前にみんな死んじゃった事件があったんだよ。億泰君の家よりでっかい洋館だから、結構有名なんだけど知って……いや、知らないよね。ごめん。とにかく、アリスちゃんは、死んじゃったんだよ、2週間前に。つまり、この子は幽霊なんだ」
数秒遅れて、ようやく億泰の絶叫が響いたのだった。この様子だと幽霊屋敷に行っても出てきた後の方が腰ぬけて立てなくなってるタイプな気がしてきた。めんどくさいなあ、もう。
すっかり驚き損ねてしまった康一は、アリスが幽霊のイメージとは全く違って、足もあるし普通の人間にしか見えないことに驚いた。アリスは康一を見上げて瞬きした。
「なあに?」
「ほんとに幽霊なの?そうはみえないなあ」
「ほんとよ、ほら。仗助お兄ちゃんのお手て、すりぬけちゃうでしょう?」
「でも、幽霊って足がなかったり、宙に浮かんだりするじゃあないか。でも、君は普通の人と変わらないよね」
「おばけにはおばけのルールがあるのよ、康一お兄ちゃん。おばけになっても空は飛べないし、おうちに入るにははいっていいですよって言ってもらわないと入れないの。すりぬけることは出来ても、そんなにいっぱい遊べないのよ?だあれも気付いてくれないんだもん、つまんない。お友達も死んじゃったら、急いであたしのおうちにしまっちゃわないと、お空にとんでっちゃうんだもの」
「えっ、もしかして、そのお友達って死んじゃった動物のこと!?」
「うん、そうよ。だってあたしのおうちは、それ以外のことはなんにもしてくれないんだもの。つまんないわ」
「アリスは死んじまってからスタンド使いになったんだよ、康一。スタンドって精神的に成長すると暴走気味でも扱えるようになるらしいんだけどよ、本人が死んじまったせいで制御すんのがすっげえ難しいんだ。おかげでアリスはお友達を求めて社王町をランダムに出現するあのでっかい屋敷に振り回されてんだよなあ?」
「うん。いろんなところに行けるのは楽しいけど、新しいお友達をしまっちゃったら、新しいお友達が出来るまでどこにもいけないの。突然とばされちゃうんだもの、なかなか仗助お兄ちゃんたちに会えなくて寂しかったのよ」
「へええ、なんか大変なんだねえ」
「でも、今日は康一お兄ちゃんと億泰お兄ちゃんと会えたからいい日だわ!」
久しぶりに会えた会話が通じる相手がよっぽどうれしいらしく、今度はいつごろこの道を通るのかと熱心にアリスは聞いている。これくらいかわいい幽霊だったら、怖くないかもしれない。社王町のどこかで誰かが死んじゃったら、ここからいつの間にか姿を消してしまう女の子。
噂になってる気がする。すっかり怖くなくなったのか、億泰はようやく復活して、明日もまたここを通ろうぜと笑った。ほんと!?とアリスはうれしそうに笑った。ジョルノがなんでジャックなんて呼ばれてるのか知らないが、ジョルノに知らせておかないといけないねって康一は仗助にいった。
「そういやあ、アリス、カズヤはどうしたよ?」
思い出したように、仗助が言った。アリスは寂しそうに笑った。
「お空に帰っちゃった」
「そっかあ、成仏しちまったのかあ」
「うん。ほんとはね、一緒に行こうって言ってくれたから、手を繋いでせーのってしたんだ。でも、だめなの。だめだったの。あたし、あのおうちから離れられない。気付いたらカズヤお兄ちゃんいなくなっちゃった。あたしだけ、あのおうちに戻されちゃったの」
「え、でも、いまここにいるんじゃ?」
「あたしのおうちがすぐに飛んでこれるところまでだったら、お外に遊びにいけるのよ。50メートルくらい。お友達をしまっちゃうのはあたしのおしごとだから」
アリスのスタンドは、射程範囲が50メートルってことだ。つまり、アリスが本気になったら、仗助たちはあっという間にアリスのおうちに引きずり込まれてしまうことになる。でも今のところ、アリスはおしゃべりするのが楽しくて、一緒に遊んでほしい気分じゃあないらしい。
ほっとした康一たちを尻目に、仗助はまた今度かくれんぼでも鬼ごっこでもして遊ぼうかとアリスを誘って喜ばせていた。子供の相手が上手だなあ、仗助君。よせよー、と照れながら仗助は交通止めの曲がり角を振り返った。
「なんだよ、爺ちゃんのやつ、驚かせやがってえ。アリスがいるってことは、オトモダチを迎えに来たってことだろ?わざわざ思わせぶりなこというから、何だと思ったら、心配して損したぜ」
「そうなの?」
「うん、そうよ。あたし、今日、あたらしいオトモダチをしまっちゃったの」
「でっけえ鹿でもひいちまったんじゃあねえか?」
「クマかもしれないぜ?」
「あー、そっか、なるほどね。あれだけいっぱい人がいるってことは、アリスちゃんのお友達はよっぽど大きなオトモダチなんだね」
「うん」
「気になるなあ、教えてよ、アリスちゃん」
「だめー、教えてあげなーい」
うふふ、とアリスは意地悪そうに笑った。仗助たちは顔を見合わせて笑った。30分ほどおしゃべりに夢中になっていると、ぶどうヶ丘学園から完全下校時刻を告げるチャイムが鳴り響いた。
もうこんな時間になってしまったらしい。また明日、同じ通学路を通って帰ることを約束した仗助たちは、ようやくやみ始めた雨の中、アリスに別れを告げて、家路を急いだのだった。
「っつーことがあったんだ。明日、アリスんとこに遊びにいかねーか?ジョルノ」
時計は夜の8時をまわっている。仗助はジョルノたちが施設から帰ってくる時間を見計らって電話をかけた。帰りに中等部でジョルノを拾えばアリスのところに直行できるからだ。しかし、ジョルノの反応が思いのほか悪い。魅力的な提案ですね、とジョルノは笑うが言葉をにごした。
『残念だけど、僕は明日、アリスのところにいけそうにないです。3日ほど忌引で学校休むことになったので』
「え、き、忌引?!なんだよ、施設でなんかあったのか?」
『いえ、違います』
「じゃああの刑事さんになんかあったのか?!」
『ええ、あの人の娘さんが亡くなったんですよ』
「え、あの人独身じゃなかったのか?」
『どうやら3年前に奥さんが実家に帰って以来、別居状態だったようですよ。僕のことはあらかじめ相談して、許可はもらってるみたいです。家族だけでするそうなので、僕も手伝おうかと』
「そっか、わかったよ。残念だけどアリスにはそう伝えとくぜ」
『ありがとうございます。そうだ、アリスに聞いて欲しいことがあるんですが、いいです?』
「なんだよ?」
『テレビ、みてます?NHKみてもらった方が早いんですが』
あー、わかった、と仗助はテレビのチャンネルをかえた。
社王町の公立小学校で行われた春の交通安全運動を特集していたアナウンサーの和やかな表情が一転する。すっと表情を引き締めたアナウンサーは、デスクから回ってきた原稿を手にとると、カメラ目線にまっすぐ突然飛び込んできたニュースを読み上げた。
今日の午後4時ごろ、交通事故があったというニュースだ。近くの小学校に通う低学年の女の子が速度違反で走行していた白いワゴン車にはねられ、病院に運ばれたらしい。それだけならアナウンサーの上の方に字幕だけ流せば事足りるのに、なんでわざわざ速報が流れるんだろう、と思っていると、どうやら事件はかなり複雑なようだった。
犯人が行方不明なのではない。女の子をはねてしまったサラリーマンの男性は、あわてて車を停止させて女の子のところに駆け寄り、出血していることに気付いて、119番通報しているからだ。現場に急行した交番勤務の警察官は、良心の呵責に耐えきれず、あっさり飲酒運転を自白した彼をそのまま現行犯逮捕した。
事実上の出頭だ。現場には雨に流される血痕と黄色い傘、が放り出されたままだったから、彼の見間違いということはありえない。目撃者こそなかったが、とどめにべこりとへこんだワゴン車とくれば、狂言はありえない。
もちろん警察官は、女の子の行方を尋ねる。彼はいう。なにかをひいたという感覚しかなかった彼が女の子を自覚したのは、金切声をあげて発狂したように駆けてきた女性がいたからだと。唯一の目撃者だったという女性は、ぐったりとして動かない女の子を抱えあげ、何度も何度も名前を呼んでいて、彼は母親の目の前で女の子をひいてしまったと思ったらしい。
血相変えて睨みつけてきた女性は、救急車と警察を呼ぶという男性の謝罪を信頼できないと跳ね除けた。女の子は病気なのだと母親は言った。普通の病院に緊急搬送されても、たらい回しにされたら女の子は確実に死ぬ。もしかしたら、証拠を隠滅するために殺されるかもしれない。
だから女性が女の子をかかりつけの大学病院に連れていくと一方的に怒ったらしかった。もちろん彼は女性が女の子を乗せて車が走り去るのを見送り、警察が来るまで待っていた。
警察官は応援を要請して、交通事故現場を整備するための手続きに入った。パトカーに彼は乗せられ、現場待機していた。警察官はさっそく女性が向かったという大学病院に連絡を入れる。目撃者である母親から事情を聞かなければならない。女の子の病状も気になったからだ。
しかし、そこから事態は思わぬ展開を迎えることになる。大学病院側は重症の女の子を連れて駆けこんできた女性などいないというのだ。いやな予感がした警察官は、近くの病院に片っ端から電話をかけまくり、女の子の名前と女性の特徴を事細かに伝えたが、そんな女性と患者は受け入れていないという返事が揃ってしまった。
蒼白になった警察官は、現場に到着した応援のパトカーに駆け寄り、女の子が誘拐されたという事実を報告。それから現場は大騒ぎになった。
女の子の目撃情報や行方を知っている人が問い合わせる電話番号が表示される。事故現場は見覚えがありすぎる道だ。おいおいおい、まさか、と仗助は息を飲む。
「その子が刑事さんの娘なのか?!」
『違いますよ』
「え、じゃあ、なんで」
いいかけた言葉はアナウンサーのニュース速報に押し流される。事故現場のすぐ近く、アリスと出会ったあの道で女の子の遺体が見つかったというのだ。仗助は絶句した。
表示される刑事と同じ苗字の女の子。体育祭の写真なのか、紅白帽子に体操服姿の女の子がピースサインをしていた。今回の誘拐事件と酷似した状況で行方不明になった女の子らしい。3年前に行方不明になった女の子が、今、見つかったというのだ。児童連続誘拐殺人事件の幕開けである。
『実は今回誘拐された女の子は、施設に預けられてた子なんですよ。僕もよくしってる子でした』
ここまでくると行動を起こしたいと思うのはあたりまえだよなあ、と仗助は思った。
ジョルノがお世話になっている施設は子供の手の届く範囲では、ハサミやカッターといった刃ものを保管することは禁止されているらしい。スタッフルームにまとめて保管してあるそれを使うには、必ずスタッフの許可証がいるし、時間と名前をシートに記録しなければならない。
そして、使う場所はスタッフの目が届くこの大広間か、スタッフルームだけに限定されている。事実上のスタッフ同伴じゃないと使えない。めんどくさいな、と仗助はいうが、無理もないですよとジョルノはいう。ちょっとでも目を放すと死のうとした子どもがいたからと。
自殺は禁忌とされている宗教が母体となっている施設でだ。スタッフはその子を救おうとした。でもできなかった。結局、その子は自分で解決してしまった。できたのは、その子がたったひとりでいるため、特例として一人部屋を用意したことくらいだ。
児童養護施設で一人部屋は特例中の特例だ。それが使われたってことは、普通じゃあない。徹底的にモノが排除された一人部屋なのだ。そこには寝るためのベットと机だけが置いてある。首をつらないように落下防止の柵すら取り外された、シンプルなるつくりのベッドだけが休める場所だ。
まるで独房のような部屋だ。普通の感性を持っている人間は間違いなく発狂しそうになる。でも、だからこそ安らぎを覚える人もいる。そのための部屋だ。そこに入ることになるのは、衝動的に自分を傷つけてしまうようなものを抱えている人間だけだった。
仗助はニュースに映った、今回誘拐された女の子の表情を思い出す。7歳くらいの女の子なのに、ぞっとするほど無表情だった女の子、無機質だった女の子。感情が完全に死んでしまった青白い顔だ。テレビで報道するなら、せめて入学式用の写真を用意するものだし、笑顔にならないとカメラマンは仕事にならない。
どこから入手したのかはお察しというやつだ。あの写真の女の子が来ていた洋服は、明らかに年齢以下が対象のものだった。女の子は、7歳なのにその部屋の住人だったというわけだ。
「信じらんねえな、ひっでえことしやがる親もいたもんだ」
『父親が引き取りにくるのを楽しみにしてたんですけどね、あの子』
小学校の名前を聞いた仗助は、口を挟んだ。
「しっかし、どうして嫌がったり、逃げたりしなかったんだろーなあ。知らない人と一緒に誘われても、車に乗っちゃいけませんって教えてもらったんだろ?」
さっきのニュースでやっていた交通安全教室。その小学校に通っているとジョルノが口にしたので仗助はつぶやいた。うれしかったんだと思いますよ、とジョルノは静かにささやいた。
悪夢の始まりは、単身赴任で北海道にいる父親と離れ、この街で暮らしていた母親が、妻に先立たれて子供がいる男性と浮気したこと。母親は自分の子供がいるにも関わらず、浮気相手に熱をあげてその子供にも間違った愛情を注ぎ始めた。
いくら頑張っても褒めてくれない母親は、いつもいつも浮気相手の子供ちゃんはお母さんがいなくて可哀想だから、と勝手に自分の子供の私物を与え始めた。しかも、自分の子供の世話は完全に放棄して、学童保育に任せ切り、しかも平気で迎えを忘れる。
浮気相手の子供にばかり構う母親の愛情を受けようと必死になった女の子は、自分が可哀想になることで母親の愛情が戻って来るんじゃないかと勘違い、わざとケガをするようになる。でも、母親にとってはかわいそうなことじゃなかったようだ。
やがて女の子の可哀想な子になろうとするけなげな行動はエスカレートして、その異常性に気付いた近所の人が動いたようだ。有給を取って飛んで帰ってきた父親は、母親との離婚が終わるまでこの施設に女の子を預けることにしたらしい。
さすがに母親と父親の動向まではわからないらしいが、父親と一緒に北海道に行くことを夢見て、少しずつ女の子は元気になっていった矢先の出来事らしい。
なるほど、知らない人とはいえ、母親と同じくらいの女性に必死で介抱されるのは、泣きたくなるくらいうれしかったに違いない。仗助はひっでえなとつぶやいた。悪質にもほどがある。
『僕が今日、施設にいったのは、あの子のお別れ会に参加するためだったんですよ。主役がいないお別れ会なんて冗談じゃない。仗助、お願いできますか』
「ああ、アリスに知らないか聞いてみるぜ」
『お願いします。くれぐれも注意してください。相手はスタンド使いかもしれませんから』
「はあ?なんでだよ」
『スタンド使いじゃなかったら、死体愛好家の変人ですね。最初の被害者であるあの人の娘さん、遺体がおかしすぎるんですよ。形兆先輩に散々死体を作らされた経験が生きるとは思いませんでしたが』
自嘲したジョルノはいうのだ。変わり果てた娘さんとジョルノは面会している。最低でも3年が経過しているあの人の娘さんは、普通なら白骨化していないとおかしい。でも、まるでついさっきまで生きていたかのような状態だというのだ。しかも死因がわからない。謎の突然死。検視解剖してもわからない不可解さ。
実家から病院に駆けつけた刑事さんの奥さんは、娘の変わり果てた姿に卒倒したという。無理もない。3年前に死んだ人間は、3年分成長した姿で発見されたのだから。介抱したジョルノに、刑事さんの奥さんはうちあけた。もし冷凍したら解凍したとき、体積の変化でえらいことになる。
まるで仗助の能力のように、なおしたとしか思えない。でも3年前に娘さんは死んでいる。まるで生きているのに死んでいる、ゾンビ状態である。こんなのスタンド使いしか思いつかないのだ。なぜ犯人がこんなことをするのかはわからない。
でも刑務所を襲撃し、凶悪犯にスタンドの矢を片っ端から打ち込んだやつがいたことを仗助はしっている。何があってもおかしくはないのだ。ごくりと仗助は息を飲む。ああ、わかったぜ、と仗助はうなずいた。