ここは東北一円から患者が集まる中核病院である。このあたりの地域の基幹病院として、症例数が多い。特に循環器科・心臓血管外科における症例数と診療実績は常にトップで、地方全体の中でもトップクラスである。
創設時より大学医学部の関連病院として位置付けられ、院長をはじめほとんどの常勤医は大学医学部の医局より派遣されてきた。それだけ歴史があって規模がでかい病院てことである。
そんな大学病院のエレベーターを出て、行きなれた通路をひたすら進んでいく。
つまり、代理ミュンヒハウゼン症候群の犠牲者になり、免疫に致命的な損傷を負い、瀕死寸前で担ぎ込まれてきた山本ミカが入院するにはうってつけの場所だ。
かつて僕が2度も保護されたときに、お世話になった病院でもある。だからか、古参の看護師の中には僕に好意的な人間もチラホラいるのだ。ミカから呼ばれたと告げれば、すぐに手続きのやり方を教えてくれる。
この病院は面会時間が2時間だけ。学校から直行してもバスなどの兼ね合いでどうしても時間がかかる。部屋をナースセンターに確認して、施錠されたドアの向こうにいく。突き当たり、スタッフルームのすぐ隣。
「こんにちは、ミカ。元気そうでなによりだ」
「ジョルノお兄ちゃん、きてくれたの?」
「起きちゃダメだよ、ミカ」
目眩がしたのか、ぐらりとした彼女はまたベッドに逆戻りした。いわんこっちゃない。病室を訪れた僕はリンゴをむいてやることにした。
「で、相談ってなんです?」
「ねむれないの」
山本ミカは僕にだけ聞こえるように、密やかにいうのだ。
「ジョルノお兄ちゃん、おねがい」
「なにをしたらいいかな?」
「ヒモ、欲しいの。これくらいの」
頭のてっぺんからつま先まで調べ尽くされ、絶対安静を言い渡されてしまっているミカは暇そうだ。
「このままじゃあ死んでしまいそう」
「またぶり返したのか?せっかく直ったのに」
「だってえ」
「あんなことしなくても、コール1つ鳴らせば看護師が飛んできてくれるってのになにが気に入らないんだい?」
「だって......ねれないんだもん」
「深刻だな、いつから?」
「ここに来てからずうっと」
「ずいぶんと我慢したんだな」
「せんせがみんなとあっちゃダメっていうから......」
「そりゃそうだ」
ついこの間まで緊急治療室と面会謝絶の無菌室を往復したり精密検査、血液検査で右往左往したりしていたのだから。
「ね、ジョルノお兄ちゃん。わたし、ほっかいどう行く前にほしいの」
」
「まさかそれが退院祝いとお別れ会のプレゼントとか言わないだろうな?」
「だめ?」
「ほんとうに?」
「ケーキもジュースもいらないの。わたし、ずっとねてない。だからねたい。一番欲しいのは眠りなの、ジョルノお兄ちゃん」
「......たしかにこのまま北海道にいってしまったら不眠症になってしまいそうだな。わかった。じゃあ、探してくる。前に使ってたヒモはなんだったか覚えてるか?」
ミカは首を振った。
「お父さんと暮らせるってわかって、みんなといるうちに治ってからどこかにやっちゃった。覚えてない」
「正しくは先生たちに取り上げられて、なにもない部屋に移動させられて訓練したからだよ。自分を見てくれない、傷つけたい、のループを脱出するためにイライラしたらひたすらに割り箸をわり続けるっていう」
「そうだっけ?」
「そうだ。思い出さなくてもいいよ、今回とは関係ないことだ」
「ジョルノお兄ちゃんがいうならそうする」
「うん、そうするといいよ。つまり、なにも覚えてないんだな?」
ミカはうなずいた。
「あ、誰にも言わないで。バレたらお父さんと会うのがまた遠くなっちゃう」
「わかってる。だから僕を呼んだんだろ」
またうなずいた。せっかくのお別れ会と退院祝いのプレゼントが紐でいいだなんて信じられないという人達にはたしかに余計なことを言わない方がいいだろう。
「前住んでたとこはどこか教えてくれるよな?」
「取りに行ってくれるの?」
「誰かの家になってなければだけど」
「大丈夫、お母さん引っ越してないってお父さんいってた」
そりゃそうか。児童虐待に浮気、親権が取れなかった母親はこれから金を稼がないといけない運命にあるのだ。実家を売り払って賠償や養育費にあてるとかなんとか、先生がこっそり教えてくれたことを思い出す。母親の実家がない袖は振れないと開き直るクズじゃなくてよかったという話だ。
「ランドセル、とって」
「ああ、うん。どうして?」
「中に入ってるから。鍵」
「......未だに持ってるのか」
「渡しそびれたままなの、お父さんたち土日にしかこれないから」
北海道からS市の往復だ、無理もないだろう。言われたとおり、手縫いのミカと刺繍された布袋の中には鍵が入っていた。不倫に狂う前の母親を忘れないように大事に大事にしていたのだろう、ほつれる寸前で何度もくちゃくちゃに握りしめられた跡がある。涙の痕には気づかないフリをした。
「お願いね、ジョルノお兄ちゃん」
拙いながらも生まれ育ち保護されるまで住んでいた場所を聞いた僕はいなずいた。
「ああうん、任された」
ばいばい、と手を振るミカに見送られて僕はその場を後にしたのだった。
出ていけ、鬼、悪魔、人でなし、たくさんの怒りが込められたチラシがでかでかと貼り付けられ、空白にすら母親の悪意を詰る言葉が書き連ねてある。ミカが保護されてからはもちろん、施設に保護されたあと巻き込まれた女児連続誘拐殺人の被害者になってしまったことで、また母親の悪行が世間に広まってしまったようだ。
安アパートのチャイムを鳴らすが返事がない。新聞が山盛り詰め込まれ、たくさんの役場からの封筒がくしゃくしゃになりながらあたりに散らばっている。どうやらライフラインの滞納でもしているようだ。悪臭漂うがゴミ屋敷化するよりはマシなスレスレのラインである。
チャイムを鳴らすが返事はない。おかしいな、外で確認した水道メーターや電気の数値は上下していたんだが。ノックをすると薄い扉から音がするのが聞こえた。
「すいませェん、今日は持ち合わせがないのでェ......勘弁してくださいよォ......!」
ここしばらくすっかり老け込んだらしい男が疲労困憊な様子でドアを開ける。
「......ありゃぁ......あんた、誰だ......?」
借金取りか弁護士かそれとも市役所の職員か、自業自得の叱責を覚悟していたらしい男は目を丸くした。
「僕はジョルノといいます。ミカちゃんと同じ施設の」
「おぉお、そうかあ......ミカんとこの......どうしたんだい?」
「実は頼まれたんです、とってきて欲しいものがあるって」
男の目が悲しげに歪む。
「そうかあ......わかったよォ......なんでもいいから持っていってくれぇ......あの子のためになるならああ!」
おいおい泣き始めてしまった男に僕は目を細めた。一見まともそうな男だが初老だから母親の両親に違いない。実家を売り払ったから行くところがなくて一緒に住んでいるのだろう。監督責任でも感じているのかもしれない。だが親は親だ。子は子なら。
第三者の僕が立ち入ることじゃあない。僕は借金取りにでもなった気分になって狭い狭い玄関に入る。キッチンがむき出しの廊下をすぎると脱衣所、おそらく奥にはトイレとバスが一緒になった部屋。2部屋がある。
「ミカの部屋は......こっちだったんだあ......今は私達が住んでる......家内はパートに出てて、私は留守番なんだが......私もアルバイトを始めようとしてるところなんだよ......」
精一杯の贖罪のつもりなのだろうか、僕の眼差しを非難と過激に反応したらしい男がボソボソと呟くのが聞こえる。年金暮らしだろうに、母親の不始末のためにご苦労さまである。
がら、と立て付けの悪い引き戸を開けるとフローリングの部屋があった。
「......ほんとうに、ミカの部屋なんですか?」
「そうなんだよォ......ひどいだろォ......私らがミカにあげたもの、全部他所の誰ともしれない糞ガキに......!」
とうとう男はおいおい声を上げて泣き出してしまった。僕は静かに溜息をつき、学習机やベッド、タンスがあった日焼けを残しているだけのがらんとした部屋を見渡した。参ったな、まさかここまでなにもないとは思わなかった。
「ミカはなにが欲しいって......?」
「ミカちゃんは、紐が欲しいんだそうですよ。いつもお守りみたいにして持ち歩いていたんだけど、どっかにいっちゃったと言ってました」
「ひも......オモチャでも、洋服でも、絵本でもなく......ひもォッ!!」
男は嘆き悲しんでいる。1番ミカに贖罪すべき母親は今は留置所のはずだ。やるせない限りである。
「心当たりはありませんか?」
「いんやあ......恥ずかしながら私は仕事ばかりで口出すのもみっともないって家内にも言わないよういってたもんでねえ......」
「そうですか......どれかわからないので、適当なものを持っていっても?」
「ああ、いいですよォ」
男はぺこりと頭を下げて出ていった。どうやらなれない手つきながらお茶を入れようとしているらしい。長居しても気を遣わせるだけだ、早いところ出ていかなきゃいけない。
僕はあたりを見渡した。
紐と1口に言っても色々ある。木綿は合成樹脂が一般化する前に、最も広く使われていた。麻は結束用として、農業用などに使われることが多い。絹は細くても強く、手触りや光沢がよいため、工芸品に使われる。ポリプロピレンは現在、結束用としてもっとも広く使用されている。
ノズルから吹き出したものを引っ張ったままの平たいものや、複数の紐を編み合わせたものがある。ナイロンは高い引張り強さ、水濡れに対する強さ、着色による意匠製を持ち、スポーツ用品、衣料などに用いられる。
紙はクラフト紙をよって作る。紙紐は、水に濡れると弱くなる欠点があるが、細くても一定の引張り強さがあり、ひねってから左右に強く引っ張ると道具を使わずに切ることができるため、郵便局が配達する郵便物を束ねるためなどに使われている。ゴムは伸縮性に富む。
多くは単独ではなく、木綿やナイロンなどと組み合わせて作られる。
(ミカが言ってた感触のするのはどれだ......?)
じいっと見つめていた僕は、7歳の少女の目線に置かれていたであろう紐が目に止まる。
(ああ、百均の物干し紐か)
手に取った僕は手触りを確かめながら、くるりと首に通した。
「おいィィィ───────!」
ビクッとした僕は振り向いた。
「な、ななにしてるんだよ、お前ェェエエ工ッ!!早まるな、早まるな、落ち着けッな?なああッ!なにがあったかは知らねーがよォ!虹村形兆が死んで、おめーが生きてるッてことは殺されずに済んだってことだろォ?だから早まるなよォ!」
「......えっと、アナタは?」
「んなことどうでもいいからそれを床におけよォッ!」
「は、はあ......」
訳の分からないまま洗濯紐をおいた僕に小柄な男はあわててそれを手に掴むとポケットに入れてしまった。
「あの......」
警戒する猫のように見上げてくる男に僕は頬をかくしかない。
「もっともらしいこと言ってるが俺は騙されねえからな......アンタには躊躇が一切感じられねえ......てっきりミカの代わりに復讐に来たのかと思ってたらびっくりさせやがってェェ......」
「えっと......」
「あああっ!小林玉美さんっ!!いらしてたんですねえ!すぐお茶だしますからァァァ?!!」
「......?」
よくわからないがこの小林という男はこの家にとってもてなすべき人間らしい。
「ちょうどいい、座れよ。ジョルノ」
「......なんだって僕の名前を知ってるのか、教えてもらってもいいですか?」
「おう、いくらでも話はしてやるし、聞いてやるぜェ。俺は正義の味方になったんだからなァ」
「......はあ」
小林玉美は乙女座の男で20歳。杜王町在住の身長153cmの小柄な男で、虹村形兆の持つ弓と矢でスタンド使いになった。僕が見るかぎり小物にして小悪党な性格だが、暴力は嫌いというチンピラなりの美学を持っているらしい。
当初はスタンド能力を悪用して強請りを行うチンピラだったが、罠を仕掛け引っかかったのが通学途中の康一だった事で転機が訪れる。康一と億泰をスタンド能力で痛めつけるが、康一が自転車でひき殺した猫の正体を仗助に看破されたことで一時はその場を去る。
だが、康一の家族と自宅を調べ上げた玉美は報復に家族から50万円ほか諸々を巻き上げようと企むが、ここで康一の逆鱗に触れた事で康一はスタンドを覚醒させる。音を貼り付けるスタンドで肉体的に痛めつけることなく玉美はダメージを受け追い詰められ、さらに康一の活躍で彼の母親と姉を人質に取る事もできなくなり、泣きつきながら降伏。
それ以来康一に付き従っているという。
「今はちゃあんとした仕事をしてんだ。ここのやつら、みんな筋金入りのゲス野郎だったからよォー、俺のスタンドで罪の意識をさ自覚させてやってんだ!」
金融業の人間といっても堅気の人間じゃなさそうだった。
小林がいうには当時から虚言癖があり、周りからの信用は低かったという老夫婦。家業を有限会社化のちに株式会社にするも指名手配されるまで詐欺商法を繰り返す。病的な嘘吐きで自意識が強く目立ちたがり屋。饒舌でいくつもの顔を持ち、エリートを演じる傾向がある。礼儀正しく愛想が良いが、猜疑心・嫉妬心が強い。異常なまでに執念深く嗜虐的。
また、虚勢を張るところもあるが、実際には神経質で臆病な小心者だったようで、暴力団から厳しい借金の取り立てに逢ったときは、部屋で小さくなり閉じ籠っていた。
また、出所した刑務所仲間によると、収監中は他の囚人や刑務官に対しては腰が低く礼儀正しく振る舞っていたが、実際には刑務官から全く反省していないと吐き捨てられていたと言う。
彼らは容姿や話術から女性から好感を持たれる魅力があり、詐欺に向いていたという。そんな夫妻から生まれた母親がミカの母親なのだ。ため息しか出ない。
「そうは見えませんが......」
「俺がスタンド使うまでは酷いもんだったんだぜえ......なんせ踏み倒す気満々だったんだからなあ......!」
お茶を持ってきた男からは今にも床に落っこちそうなほどでかい錠が見えた。出涸らしのお茶を飲みながら、僕は得意げに語る小林の話を聞いていた。
「だからよォ...... たしかに人間てのは罪の重さに耐え切れなくなると死んだほうがマシって思うんだぜェ......だが償いってのはそんなんじゃあねえ......責任ってのは、もっと地味でずぅーっと真っ当なもんだろォ......だからよォ......めったなこと考えるもんじゃあねえぜ......?」
僕は思わず笑ってしまった。
「な、なあに笑ってんだあ、人がせっかくなあ......」
「......いや、すいません、笑ってしまって。小林玉美、アナタはいい人ですね」
そして僕は盛大な誤解をされているのだと説明することにしたのだ。
泣きたくても涙が出てこないようなもどかしさが僕の中にはまだあるのだと小林玉美を見ていると気づくことが出来た。興奮してさめざめと泣きだした小林は、鼻の奥がツーンと痛み、目の縁から涙が染み出てくる。胸を突き上げてくる気持ちで闇雲に涙が溢れてくるのを止めることが出来ないようだった。
「ミカちゃんは幸福だ。こんなに泣いてくれる人がいるんだから、きっと北海道でやり直せる」
「あのよォ......どうしてもその紐は必要なのかあ......?」
「残念ながら......今のミカちゃんはオモチャや洋服やケーキよりも喜んでくれますよ」
「そうかあ......わかったぜ、ジョルノ。ここのやつらには絶対に雲隠れさせねえように見張ってやっからよォ......安心しろって伝えてくれ!」
「わかりました。それじゃあ、僕はこれで失礼しますね」
「また明日なッ......!」
「......?」
よくわからなかったが、僕はこの洗濯紐をベッドにくくりつけてネックレスみたいにしてようやく眠ることが出来る少女の所に急ぐことにしたのだった。