彼の遺体を発見した僕は、白骨化している全ての部位を懇切丁寧にかき集めて、季節外れのホタルを生み落した。すっかり暗くなった公園に舞い上がるホタルだけを捕まえて、元の姿に戻してやると、つかの間の幻影は消え去って、真っ黒な暗闇だけが広がっている。
ぼろぼろに崩れ落ちそうな骨をハンカチでくるんで、ポケットに仕舞い込んだ。どんだけ準備万端なんだよと僕が手渡した手袋とビニル袋を返してきた仗助に、警察に引き渡すんだから僕らの痕跡が残っちゃダメじゃあないですかと苦笑いする。
モグラに変えた遺体を思い思いのところに潜らせて元に戻したあと、仗助のスタンドで土の状態を掘り起こす前に戻してもらった。わざとらしく風化した土から遺体の一部が隆起するように、歪な土盛りができている。
Kは待ちわびている×××のところにいくために、ぺこりとお辞儀をして姿を消した。成仏するかどうかは彼次第、僕たちが口出しすることじゃない。
さあ、これからどうしよう?仗助と顔を見合わせた僕は、はあ、と大きくため息をついた。今頃必死で探しているであろう警察官に連絡を入れるため、バス停にむかって歩き出した僕たち。パトカーに乗って探し回っていた保護者に連行されたのは言うまでもない。
交番に連れていかれた僕たちは、東方巡査も加わって奥の部屋でこっぴどく叱られた。拘束時間は3時間くらい。かつ丼は出なかった。自腹だなんて知らなかった。気づけば真夜中になっていた。パトカーで送り迎えをしてもらった僕たちの証言によって、5年間誰にも見つけてもらえなかったKの遺体は無事に発見されたと知ったのは、翌日の朝刊とニュース番組から。
世間はもちろん警察も報道機関も大騒ぎになっている。もちろん東方巡査と保護者の彼は召集にかけられて不在だ。今のうちにアンジェロの行方を捜すために、調査に出掛けようと約束していたのだが、さすがに昨日の今日で監視の目がゆるくなるわけもない。
そのうち卒業式の時期に入ってしまった。中学生と高校生だと生活サイクルが微妙に異なってしまう。春休みは大人たちの監視の目を掻い潜ることができない。結局僕は具体的な行動に移せないまま、ぶどうヶ丘学園中等部の2年生として、学園生活を迎えることになってしまった。
一人で勝手に調査を始めようとするたびに、仗助から一人で行動するなと再三ブレーキをかけられたせいでもある。保護者にチクリの電話を入れるのは止めてもらいたい。若干後悔もにじむ中、大人たちの監視の目もゆるくなってきて、時期を窺っていた僕のところに電話がかかってきたのは、ある日の夕方のことである。
ホント、マジでわるい!と申し訳なさそうに言ってきた仗助は、ずいぶんと沈んでいる。
「ガッコから帰るときによぉ、空条承太郎っつー人がさ、オレのこと訪ねてきたんだよ。お袋が恋した爺さんの話はしたことあんだろ?その、つまり、あれだ、オレの父さん?話には聞いてたんだけどよ、その人はあれだ、アメリカに奥さんと子供がいたわけだ。その人の親戚で、オレの甥にあたる人がさ、遺産相続がどーたらって話でうちに今度くるから都合付けてくれっていうんだよ。やべーよ、やべえだろ、どうしろってんだ。今でもおふくろはジョースターさんのことが好きで泣いてんのによぉ、そんな話できるわけねえじゃねえか」
「………ずいぶんと突然の訪問なんですね」
「なんかよぉ、79歳になっから遺産の配分のために調査をしてたら、オレたちのことがジョースターさんにばれちまったらしいんだ。お袋はジョースターさんにも内緒で、真剣に恋した人の子供が欲しいからって、オレのこと生んだって聞いてる。オレも納得してるつもりなんだぜ?でもよぉ、大騒ぎになってるらしいんだ」
「なるほど、それでですか」
「わしは生涯妻しか愛さないって聖人みたいなこといってたらしい。でも、61歳の時に21だったお袋との間に出来たのがオレだろ?面と向かって言われるとやっぱきついもんがあるぜ、ほんとに」
「……仗助、残念ですけど慰めてほしいなら他の人に当たってくれませんか。僕は話を聞くことしかできないし、気の利いた言葉を掛けられる性分でもないことは、君がよく知ってるはずだ。なんだって僕に電話をかけてきたんです?」
「おめーなあ。まあジョルノが正直どうでもいいって思ってるのは知ってるぜ。そっちの方が返って楽なんだよ。それはともかくだ、ちょっと面倒なことになっちまったんだ。さすがにおめーの確認も取らないで、べらべらしゃべる訳にはいかねーしと思ってな」
スタンドという非日常が自分だけじゃなくなった瞬間から、怒涛のように起こる突拍子もない修羅場の数々に、すっかり頭がパンク寸前だと仗助は根を上げている。どうやらいろんな出来事を一度整理して、落ち着きを取り戻すためのはけ口になって欲しいようだ。
拒否権はないとばかりに、仗助は思いつく限りの言葉を並べ立てて、どんどん話を進めてしまう。僕は黙って聞き役に徹するしかなくなってしまった。そして、話が進むにつれて、僕はあまりのややこしさに沈黙することになる。
まず、空条承太郎という人は、仗助の父親であるジョセフ・ジョースターの一人娘である空条ホリィを母に持つ、いわゆる孫にあたる男性である。空条ホリィ、彼女が仗助の異母姉になるわけだ。彼は××大学院に籍を置く28歳(1年留年しているのだろうか)の海洋冒険家志望の男性であり、仗助の一回り年上の甥という奇妙な関係の代理人らしい。
問題は彼もジョセフという人もスタンド使いであるということだ。リーゼントをけなされてマジ切れした仗助がいうには、人型のパワータイプで、近距離型のスタンド使い。尋常じゃないスピードとパワーをもち、精密動作もできる規格外なやべー、グレートなスタンド使い。
なにか能力をもっているけど、それを判断できるほど手の内を見せるまで追い詰めることは叶わなかったらしい。
ビックリするほど仗助のことを詳細に調査されてからの接触だったようで、仗助が4歳の時に50日間の原因不明の発熱をしたあと、スタンド使いになったことまで把握していた。でも、念写された写真にはアンジェロがうつった。
彼がこの町に訪れたのは、アンジェロの調査をするつもりらしい。宿泊先の高級ホテルの連絡先を控えている仗助はやっちまったとため息をついた。
結論から言うと仗助は、何か知っているのではないか、と勘付かれてしまったらしい。同行していた広瀬康一という同級生の反応と仗助の反応は、びっくりするほど違っていた。まず、アンジェロに反応した。
つぎに、スタンドという言葉に反応しなかった。そして、スタンド同士の対決を経験していたから、慣れていた。学んでいた。だから考えられるし、対処もできるし、油断していた彼が本気になりかけるほど真っ先に狙いにいった。間違いなく、彼の予想を超える実力を仗助は持っていた。
違和感を覚えるのも無理はない。無言の圧力に抵抗するのは骨が折れたと仗助はぼやいている。ご愁傷様です、と同情した僕に、誰のせいだと思ってんだよーという声はなぜか笑っている。思い出し笑いする仗助に僕は眉を寄せた。
「アンジェロの写真におめーがダブってんだよ、二度見すんだろ、普通よぉ」
「心霊写真みたいなものですか」
「ちげーねーな、ぶどうヶ丘学園の高等部にアンジェロとスタンドがうつってた。その上におっかぶさるみたいにしてよ、おめーの金髪とくるくるしてる巻き毛が重なってんだよ。それに、その外人のパーツが上から塗り潰されたみてーになってるんだ。あの人はアンジェロは金髪じゃないし、巻き毛でもないはずなんだがって、すっげー真面目に悩んでるんだ。心当たりはないかって聞かれたけどよ、言えるかよ、いえねーだろ?吹き出さなかったオレは褒められてもいいと思うんだよ。なんだってオレを念写したのにアンジェロとおめーがうつるんだ」
げらげら受話器の向こうの仗助は笑っている。ジョセフという人は、社王町にいるスタンド使いは仗助だけだと算段付けて念写したはずだ。さすがにもっとたくさんのスタンド使いがいるとは思わないに違いない。
どうして仗助じゃなくて僕とアンジェロが優先されたのかは不明だが、アンジェロと因縁があるのが僕だから一緒に念写されたんだろう。アンジェロが仗助より強いスタンドをもっているからなのかはわからない。ジョセフという人がどういう能力で念写ができるのか僕は知らないからだ。
アンジェロの凶悪な殺人鬼の面構えと凶悪なスタンドがうつる心霊写真に、僕の後天的な遺伝である外人のパーツが合成された写真はさぞ不思議なものになっただろう。タチの悪い合成写真になったに違いない。
仗助曰く実物よりかなり美化されたアンジェロ。残念ながらその写真は空条承太郎、その人が持っているので僕は見ることがかなわないのが残念だ。
「そんでよぉ、へんなこと聞かれたんだ」
「へんなこと、ですか」
「兄弟はいねえかって聞かれたよ」
「兄弟?仗助は一人っ子ですよね?シングルマザーでしょう?」
「あったりまえだろ、お袋が生涯愛した男はジョセフ・ジョースターさんだけだっての。でもよぉ、あの人がいうにはいるかもしれねえっていうんだぜ、オレの兄弟が」
「……兄弟ってまさか、ジョセフ・ジョースターさんの子供って意味での兄弟ですか?まさか社王町にいるっていうんですか?仗助以外に?」
「本人はちげーって否定してるらしいんだけどよぉ、ボケが始まってっから、信用できねえらしいぜ。なんで社王町にいることまで分かるのか、教えてはくれなかったけどよ」
そうですか、と相槌をうった僕は、ちょっと気になったことがあるので話を戻すことにした。
「仗助がスタンドを使えるようになったのは、4歳の時なんですか?」
「あー、そうだぜ?1987年の冬のときだったかな、すっげえ雪が降ったことがあんだろ?その時に、原因不明の発熱で50日間ほど生死を彷徨ったことがあるんだよ。ずっと入院してたんだけどな、その後に気付いたんだ。スタンドが使えるってな。っつーかよ、いきなりどうした?」
「奇遇ですね、仗助。僕もそうですよ」
「はあ?なにがだよ」
「1987年の11月下旬からから2月上旬にかけての50日間、僕は原因不明の発熱で死にかけたことがあるんです。スタンドらしきものが見えたのは11月くらいですけど、実際に使えるようになったのはその後ですね」
「まじかよ、お前もか」
「ええ、そうです。凄い偶然ですね」
「……なんかこえーな」
「奇遇ですね、僕もです」
「まさかとは思うけど、お前の実の父親の名前はジョセフ・ジョースターとか言わないよな?」
「違います。ジョセフって人はイギリス系アメリカ人なんでしょう?僕の父親はイギリス人だし、僕が4歳になる前に死んだんだ。僕は一度も会ったことはないけど、母がいってた名前はもちろん、姓だって全然違う。馬鹿なこと言わないでください」
無神経な発言を詫びる言葉が聞こえてきて、僕はためいきをついた。不毛な言い合いは止めた方がいい。僕は露骨な方向転換を提案した。仗助もおうと笑った。
「つまり、空条承太郎って人に、僕のことを話していいか聞きたくて電話してきたってことですね?」
「味方になってくれるなら心強いと思うんだよ」
「実際に会ってみないとわからないですね。きみの話は主観が入り過ぎているから、どうともいえないです」
「だろうと思ったぜ。ホテルの連絡先は聞いてるからさ、明日の夕方でも訪ねてみねえか?丁度明日は爺ちゃんがいないんだよ。アンジェロの行方を調べるついでに、ホテルに行ってみようぜ」
「分かりました。明日の放課後ですね。それじゃあまた」
「おう」
受話器をおいた僕は、思案を巡らせた。アメリカは訴訟大国だ。弁護士の多さは日本の比較にならないほど多く、副業を兼ねないと稼げないほど一般化している国でもある。遺産相続の話となれば、間違いなく弁護士案件なのが普通だろう。
日本人じゃあるまいし、弁護士も立てないで身内で済ませようとしている思考がよくわからない。ジョースターって人たちは、隠し子が日本人だから日本人らしいやり方で話を付けようとしているんだろうか。
それとも、一人娘のホリィって人が日本人の父親と結婚したから、日本びいきなんだろうか。普通に考えて仗助の用事は二の次で、本件はアンジェロの方なんだろう。食いつき方が全然違ったようだから。保護者の書斎に置いてあるパソコンに向かいながら考えてみるけどさっぱりだ。
とりあえず、空条承太郎って人は大学院生なのに、行方も分からないアンジェロを捜すために高級ホテルに長期宿泊ができるお金持ちの人間だってことくらいしかわからない。空条、空条、どっかで訊いたことがある名前だった。パソコンを起動させて、ネットにつないだ僕は空条と打ち込んでみた。
ただいま、と玄関で声が聞こえる。お帰りなさい、と返事だけした僕は、 エンターキーをうちつける。足跡が近付いてくる。ずらずらと空条という言葉がヒットした。
「パソコンしてるなんてめずらしいな、学校の宿題かい?」
「仗助から電話があったんですよ。明日、杜王グランドホテルで父親の代理人と会うんだっていってました。東方巡査たちには内緒にしてくれって言われたので、秘密にしてくださいね。途中まで送ってあげようかと思うんですけど、いいです?」
「そうか、仗助君が……。まだ15歳だもんな、父親とは会いたいもんか。わかった、明日は仗助君に付き合ってあげるんだね。時々は連絡を入れるようにするんだよ」
「わかりました」
「社王グランドホテルの地図でもみてるのかい?」
「いえ、空条承太郎って人が代理人らしいんですけど、空条って珍しい名字でしょう?どこかで聞いたことがあるんだけど、思い出せなくて」
「空条承太郎?本当にそう言ったのか?」
「え?ええ、仗助がいってました。仗助の父親のお孫さんだそうです。28歳で海洋冒険家だそうですけど、もしかして知りあいの方ですか?」
いや、しらないよ、と彼は首を振る。
「でも、28歳で空条ならたぶんジョウサダのお子さんだろうな」
「ジョウサダ?」
「空条貞夫、愛称はジョウサダ、私くらいの年代なら確実に知ってるジャズ・ミュージシャンの一人さ。1970年代後半にジョウサダブームを巻き起こして、日本で初めてジャズを一躍有名にした第一人者でもある。アルトサックスの名手だよ。アメリカの不動産王の一人娘と結婚したってニュースが流れた時には、大騒ぎになったもんだ。あのころはマスコミもいい加減なものだったからね、三流記事ではお子さんの名前も出てたと思うよ。東京の高校で結構やんちゃをしていたらしいから、そのたびに記事に書かれてたみたいだ。どこまで本当だかは分からないけどね」
「へえ、そうなんですか」
「きっと初流乃君が見た覚えがあるのは、私の机に山積みにしてるからだろうね。ジェフ・ベックを引っ張り出す時にでも見えたんだろう。たまにはジャズもいいもんだ。CMでよく使われてるからね、気が向いたら聞いてみるといい」
「ありがとうございます」
「しかし、そうか、ジョウサダの息子さんも28なのか。わたしも年だな」
未だに僕はこの人の実年齢を知らない。
片桐安十郎は悪運の強い男だった。まず、刑務所に侵入した学生服の男が凶悪な囚人に向けて片っ端から打ち込んだ聖なる矢によってスタンドを発現した。翌日、収監されている囚人の大量自殺が見つかって、大騒ぎになったことで、スタンドに目覚めなかったものたちは死んだことを知った。
つぎに、それが死刑執行の半月前だったことで、アクア・ネックレスの特性を完全に把握して、絞首刑から逃れることができた。そして、スタンド使いが社王町にいることを予め、イタリア人の囚人仲間からしることができた。食欲や睡眠欲、性欲と同じように、犯罪を行なうことはこの男にとって生きていくうえで、絶対に止めることができないライフワークである。
恐ろしい程の知能指数を誇るこの男に発現したスタンドは、この男の精神由来のものであり、初めは戸惑いこそしたものの馴染むのは当たり前だった。趣味である犯罪を妨害しうる存在がいることを予め知らされていたこの男が、その状況を打破するために講じたのはとても効率的なものだった。
それは、アクア・ネックレスによって駒にした人間に、犯罪を代行してもらうことである。
片桐の潜伏先は、去年の集中豪雨に伴う堤防決壊によって壊滅的な被害を受けた湿地帯そばにある工業地帯、浸水被害を受けて移転を余儀なくされた倉庫群のひとつ。入札条件が難航し、買い取り先がなかなか決まらない無人の倉庫は、ホームレスのたまりばである。
わけありの人間たちが段ボールの家で暮らしているので、片桐がひとり紛れ込んだところで案外ばれないものなのだ。片桐は休日になるとゴミを集めるふりをして、川沿いを歩いた。今の時期になると魚釣りが解禁され、休日になると川釣りにやって来る人が川沿いに竿をつるしている。
アクア・ネックレスを川に潜ませて、カモになりそうな出で立ちの男を見つけたら、標的にするのだ。操り人形になった釣り客は、まず財布に入っているカードを使って、銀行から小分けに金を引き落とし、鞄に現金を詰めて駅のロッカーに放り込んだ。
そして、鍵をわざとらしく置き去りにして去っていく。こうして片桐は活動資金を溜めこんだ。操り人形は片桐が飽きるまで遊び倒される。自分の欲求ばかり優先して犯行に及ぶと、イタリア人の囚人仲間のようにそれきりになってしまう。
次がいつになるかわからない。それなら、その人間になり切ったままで家族や会社に近付けば標的は増える一方だ。
片桐安十郎という男はゲテモノ食いの男だった。腹がふくれればそれでいいのだ。犯罪の種類は問わないし、犠牲者になる人間が大人だろうが子供だろうが老人だろうが、男だろうが女だろうがえり好みがない。だからなおさらたちが悪いといえた。
アクア・ネックレスは操り人形の中で暴れるだけでいい。だからその凶悪性は増すばかりだった。リスクがゼロだ。犯罪を立証する手段はない。どう転んでも片桐の満足いく結末しか用意されていない現実がここにある。
ある者は執事や家政婦、家族を巻き込んだ無理心中をやらかして死に、ある者は銀行強盗で立てこもり事件を起こし、射殺されて死んだ。釣りから帰ってきた途端に豹変した操り人形に動揺する人間を観察して、その行動によって犯罪の手法を変えるのはなかなかに楽しいものである。
身の毛もよだつような犯罪をしでかしたり、万引きのような小さな犯罪を繰り返して捕まった途端に意識を操り人形に返したりした。アクア・ネックレスに意識を乗っ取られている操り人形は、釣りに行った時から記憶が飛んでおり、仕出かした犯罪について何も覚えていない。
現行犯逮捕で冤罪の余地はないにもかかわらず、人が変わったようにオレはやっていないと叫ぶのはなかなか滑稽だった。普通の人間は万引きすらしたことがない真っ当な人生を歩んでいるため、確実に初犯であり、動機なんてものはいくら検証しても出てこない。
心身虚弱を理由にしないと説明がつかないこともある。警察は困惑しきりだろう。いくら聞き込み調査をしても計画的犯行であり、手口が巧妙で余罪も視野に捜査しないといけない事案なのに、容疑者はあまりにも善人なのだ。
精神的な病の兆候もないし、薬に手を出したこともない。そんな容疑者が行った凶行は何十件にも及ぶ。不起訴になったのはどれくらいなのか、皆目見当がつかなかった。
ゴミ箱に捨ててあった地方新聞には、高級住宅街の一角で外国人一家が無理心中をしたことがようやく明るみに出ている。絵にかいたような上流階級のエリート一家であり、宗教上の理由から自殺は許されていないはずなのに、どうして、と嘆く教会の神父の話がのっている。
順風満帆で絵にかいたような幸せ一家の無理心中は、ありもしない想像を掻き立てるらしく、噂話を近隣住民は口にしている。借金があったとか、新興宗教に嵌っていたとか、ヒステリーだったとか、あまりにも不謹慎な話題にほとんどが匿名だが、その一家へのうらやましいと感じていた感情が下地にあることがうかがえる。
片桐は思わずあくどい笑みを浮かべた。すぐ下には黄色いテープが張り巡らされた××公園の山中と青いビニルシートで覆われた中に、捜査員が入っていく写真が大きく掲載されている。発見された白骨化した遺体が5年前の殺人事件の被害者のものであると断定されたニュースもまた、大々的に報じられている。
片桐は笑いが止まらなかった。どちらも片桐が行ったことなのに、誰もそのことに気付いていないのだ。自己顕示欲が満載なこの男は、もうそろそろ新しい遊び道具が欲しくなってきたところだった。新聞をホームレス仲間の薄汚いおっさんに渡した片桐は出掛けることにする。
いつもきれいな新入りに、ホームレスたちはあくどい商売に手を出してどこにも行く場所がない成金の男だと信じ込んでいる。あんちゃんも悪い男だねえ、と笑うホームレスは、おこぼれにあずかろうとタダで利用できる生活拠点をいろいろと教えてくれるのだ。
ガソリンスタンドにある長距離ドライバーのために用意されているコインロッカーやシャワールームは、会社ロゴ入りの作業服を着ていれば案外ばれない。犯罪がらみと知りながら買い取ってくれる中古屋は、横流しされた衣服の入手場所である。
海外に拠点を持つ外国人のグループホームは、日本では手に入らない物品の入手先である。数えきれないものが片桐の脱獄生活を支えている。片桐は日課である朝の散歩に出かけた。
目の前に立っている間抜け面をした男は、半開きに口を開けている。舌の上に乗っているアクア・ネックレスが男の体内に消えた。さきほどまで穏やかな笑みを浮かべていた表情は一転して、憑依した片桐にしか出せない凶悪な犯罪者の笑みを濃くする。
抜きとった財布から入手した情報によれば、個人タクシーの運転手のようだ。名刺は繁華街のスナック客や女性ばかり、どうやら金持ちの道楽あたりを周回するタクシーをやっているようだ。スタンドから見える視界は良好、片桐は間抜け面を送り出した。
トイレから帰って来るなり、突然帰り支度を始めた操り人形に、釣り客はもう帰るのかい?と不思議そうに眺める。スナックの姉ちゃんから 遠方送迎が依頼されたとにやつけば、そりゃよかったじゃないか、と肩を叩かれた。いってらっしゃい、と気前よく送り出す男はきっと元同僚なのだろう。
タクシーの運転手は独立するには、10年間の勤務歴と独立前には3年間の無事故無違反という厳しい条件があるのだ。職場を転々としてきた経験のある片桐には大した事のない情報である。完全犯罪を達成するにはそれなりに回る頭と記憶力がなければならないのだ。操り人形はタクシーの中でスーツに着替える。衣装を整える。そして出発した。
停留所でタクシーを捕まえるふりをして、素知らぬ顔で乗り込んだ片桐は、いつも持ち歩いているカバンから地図を広げた。この先の目的地を品定めする。どちらまで?とアクア・ネックレスが笑う。片桐は安全地帯から駒を使って趣味をたしなむために、拠点とするビルを捜した。
社王町は12歳まで育った故郷である。半年間潜伏したことで地の利はある。地形を使って罠にはめる、かつて得意とした犯罪方法を最大限に生かしながら、観察できる場所を捜した。狡賢い眼差しが前を向く。××ホテルに行けと片桐は命じた。タクシーは回送だ。
××ホテルに到着した。タクシーから降りた片桐は、駒に先導させて支払いをさせる。売店で花粉症の薬を売っているかと尋ねれば、マスクと透明なゴーグルをしていても受付嬢は同情めいた視線と一緒に首を振るだけで不審には思わない。
死刑囚の名前と顔は知っていても、声まで知っている人間はいないのだ。名簿には駒の名前と住所を記入させる。受付嬢がカギを差し出し、それを何食わぬ顔で受け取った駒は、荷物を抱えてエレベータに乗り込んだ。片桐もそれに続く。
誰もすれ違わないまま部屋に入った。出て行くアクア・ネックレス。片桐は部屋に鍵をかけて、窓を開けた。下には交通量の多い道路と行きかう人々が見える。鞄から望遠鏡をとりだし、覗き込んだ片桐は時計を見た。
スタンドの視界をたよりに、計画していたところにタクシーをおいて、バッグ片手に操り人形は目的地に入っていく。
サンマートの看板が笑っている。
自動ドアがあく。いらっしゃいませ、とアルバイトとパートの店員が愛想笑いを浮かべて頭を下げた。立ち読みする学生、買い食いにやって来たOL、カードをサーチしている小学生、トイレに並ぶ中年のサラリーマン。思ったよりも人が多い。
いくら警備がザルで強盗には金を渡せとマニュアルで教えられるほどのずさんさとはいえ、白昼堂々するには分が悪い。今回は下見に来ただけだ。コンビニ強盗は真夜中と相場が決まっている。陳列している女性店員がすいませんと山積みの商品を避ける。
操り人形はトイレにはいるふりをして中年の後ろに並んだ。スタンド越しに商品棚を見回す。監視カメラの位置を確認する。素知らぬ顔で店内のBGMを聞いている操り人形。来店を知らせる放送がなった。どうやら学生のようだ。
最近の学ランは片桐がガキだったころに比べてデザインがかっこいいのはきっと気のせいではないだろう。校章からしてぶどうヶ丘学園、つまり私立の中高一貫学校だ。制服のデザインも洗練されている。け、と舌打ちしながら操り人形は一向に動かないトイレの列に苛立った。
リーゼントの男はずいぶんと身長が高いので、こっちからでも確認できるくらいたっぱがある。もう一人はパツキンだ。中学生の癖に染めてやがる。やっぱ不良か、相変わらずぶどうヶ丘学園は荒れてやがると片桐は思った。
「モズねえ、どんな鳥なんだあ?」
「20センチくらいですね。僕が扱えるギリギリの大きさなんだ。全体的に淡い茶色をしていて、尾っぽと翼が黒がかってる。広瀬川にいますよ」
「なんだってそんな微妙なやつにしたんだよ。どうせならもっとキレーな鳥でもいいじゃあねえか。鳥なんて全然わかんねえけどよ」
「いつだったか、高い所から僕のカエルに襲い掛かって、あっという間に木の上に持っていったことがあるんです。あわてて追いかけて行ったら、捕まえたカエルが木の枝に突き刺さってて、モズも木の枝の間に挟まって死んでるじゃあないですか。モズのはやにえっていうんですけど、そいつのおかげで僕は知ったわけですよ。さすがに自分じゃ試せないので実験には苦労しました」
「へえ、そうなのか」
「知るまでが大変ですよね、こういうのって」
「だよなあ。一度やって上手く行かないと、変な形になるだろ、オレの場合。直そうとしてもう一度やったらもっと変な形になったんだよ。いらっとして何度もやってるうちに地面と同化しちまったことがあるぜ。どうもムラがあんだよなあ、オレの場合」
金髪はジョースケらしいですね、と声を上げて笑った。んだとこら、とジョースケと呼ばれたリーゼントが小突いた。ようやくトイレの列から親子連れが去っていく。すこしずれた片桐は、来訪のチャイムが鳴る自動ドアの開閉を見た。
どうやらぶどうヶ丘学園の女子生徒のようだ。そいつは、春のパン祭りをしている松島奈々子のポスターを横切り、ミッフィーのシールが貼ってある小さなドーナツが小分けに入ってる袋に手を伸ばした。不良たちを避ける足取りは迷っている。ちらちら視線が金髪の方に向かっているのが分かった。
金髪の方は身長が低いせいでこっからだとどんな奴なのかイマイチ見えない。たむろしている不良学生たちは、一向に女子生徒の視線には気づかない。リーゼントなんてどう見ても不良だ。なにみてんだよ、とガン付けられるなら避けるのが普通だろう。
にも拘わらず、見るからに普通の学生である改造制服とは無縁の大人しそうな女子生徒は、会話のチャンスを伺っているようだ。青春しやがってこいつと片桐はイラついた。約束の時間まではまだ1時間もあるしなぁ、時間つぶそうぜとリーゼントがぼやいた。
ちょっくらジャンプ立ち読みしてくるわ、と金髪に別れを告げる。金髪はサンマート印のデザートを何にするか延々悩み続けている。女子かてめえは。するとようやく女子生徒は金髪に声を掛けた。高等部の女子生徒が中等部の男子生徒に声を掛けている。
「あの、すいません、ちょっといいですか?」
「……ああ、邪魔でしたか、すいません」
不自然な沈黙のあと、金髪はデザートコーナーから横にどいたらしい。普通に考えて初対面の女子高生にこんな状況で声を掛けられたら、デザートコーナーを占拠している中学生は邪魔に違いない。ようやくトイレの列がずれた。一番隅の棚に金髪の三つ編みが揺れている。
女子生徒は不審がる金髪にいえ、違うんです、と首を振った。思った以上に声が出たのか女子生徒の声が響き渡った。はっとなった女子生徒は顔を赤らめて、すいません、と小さくなる。金髪はいぶかしげに眉を寄せた。女子生徒をいぶかしげに金髪は見下ろした。
「なんです?」
「……あたし、双葉千帆っていいます。ぶどうヶ丘学園高等部の1年生」
「………で?」
「質問があるんだけど、1度会ったことありませんか?3年前の10月21日なんですけど」
金髪は考え込む素振りすら見せなかった。胡散臭そうに女子生徒を見つめている。その意味するところを悟った女子生徒は、だんだん自信がなくなってきたのか、意を決して発言したのに迷いが出始めた。とどめを刺すように金髪は静かに言った。
「残念ながら、僕はあんたを知らない。誰かと間違えてません?」
「そうですか、すいません」
女子生徒はためいきをついた。
「蓮見先輩って知りませんよね?蓮見琢馬」
「さっきからなんなんです、あんた。琢馬のことが知りたいなら、本人に聞けばいいだろ。僕は無駄なことは嫌いなんだ」
「え、でも、さっき知らないって」
「あんたのことは知りませんよ、初対面なんだから。でも琢馬は知ってるよ、仲間だからな。あんたが琢馬の何を知りたいのかは知らないけど、僕からいうことは何もない。本人に聞けばいいだろ。だいたい僕がイバラの館で琢馬と話してるの見てるんだ、知り合いだってことはあんたも知ってるはずだろ。なんだって僕に話しかけてきたんです?僕は便利屋じゃあない。あんたの恋煩いに付き合う暇はないんだよ」
女子生徒はほのかに顔を赤らめると、気付いてたんですか、って消えてしまいそうな声でつぶやいた。耳まで真っ赤になった女子生徒に金髪はため息をついた。冷ややかに見つめる。女子生徒はいよいよいたたまれなくなったのか、うつむいてしまった。
どっちが年上だかわからない会話だ。そのうち金髪と女子生徒に気付いたのか、リーゼントがやってくる。にやにやしていることに気付いた女子生徒は、ごめんなさいさようならって去ってしまった。リーゼントは意味深に笑って金髪を小突いた。
「なんだよ、ジョルノ、おめーも隅に置けねえなあ」
「どう見たらそうなるんです、仗助。知り合いを紹介してくれって頼まれただけですよ。それどころじゃないので断りましたけど」
「なんだ、つまんねえ」
「なんでそんな楽しそうなんですか、あんた」
ジョルノ、だと?片桐は顔を上げた。今この金髪はジョルノっつったか?片桐の脳裏に学ランの男がよぎる。これは予定を変更しないといけねえなと舌なめずりした。ようやくトイレの順番が回ってくる。気付けば下校時刻や帰宅時刻を微妙に過ぎた時間だからかずいぶんとあたりは暗くなっている。
人もまばらになり始めた。シフトの時間なのか店員の数がへり、新しい店員がスタッフルームに入るのが見える。予定は変更だ。片桐は適当にトイレを済ませて一度外に出た。そしてアクア・ネックレスに操られた人形はタクシーに戻る。
鞄を持ち替えたタクシードライバーは足早に元来た道を戻り始めた。さっきまでいた店員はすべて出て行った。新しい店員が配置されている。いけ、と片桐はスタンドに命じた。望遠鏡を覗くのに夢中な片桐は、茶色い野鳥が電信柱ごしにこちらの様子を窺っていることをしらない。
数分後、女性店員の悲鳴が響き渡ることになる。