梅雨期の、雨の晴れ間特有の、あぶらっこい陽射しに、みずみずしい花の色がそのまま黒土にしたたるように、紫陽花の花が咲き誇る。
梅雨どき特有の風を伴わないまっすぐな雨にしとどに濡れたあとがのこっている。照ったり降ったりしている天気のせいで、アヤメが雨に洗われて紫の色を増す。大粒の茹だった雨が屋根瓦を強く叩いていたのをすっかり忘れたような夏の陽気である。
蒸し暑さが一挙に霧散するような豪快な雨は、すべての表面も根も腐らせてしまうほど陰湿な梅雨を蹴散らしていった。雨が卯の花を腐した後すぐ梅雨に続き、そのまま惰性のように降り続けていたのが嘘みたいだ。
すり硝子のような半透明な光線。梅雨明けの公式な宣言はまだ出ていなかったが、空は真っ青に晴れ上がり、真夏の太陽が留保なく地上に照りつけていた。
その雨が上がって、やっと本当の夏が来たようだった。突然、暑くて晴れた日々が始まった。以来雨は全く降らず、今に至っている。
敷石の面は霧でしっとり、滑りそうに濡れていて、電燈の光が憂鬱に反映している。床はざらッとしたコンクリートで底の厚い靴を穿きながら歩けば忽ち足の裏が痛くなる程凸凹した敷石をいく。石畳が湿っていて、ひたひたと脚に吸い付くようで、旭の照り返しに眼がチクチクとしみるような石だたみの道である。
掃き清めたように綺麗な石畳だ。古びた絨毯がどっしりと光を吸いこむ。ほっておけばそのうちにセメントの床が、乾ききった砂地のように白々とざらつくだろう。
午後の強い日差しが幻想的なしぶきのようにリノリウムの床に降り注いでいた。
カフェの床板はやわらかい部分から波形に擦り減っていて、通路を歩くと体が左右に揺れた。浅緑のリノリュームが、室の二方を張った硝子窓から射さし入る初夏近い日光を吸っている。
今日は天気のいい平日の放課後を少し回ったところだ。杜王町の駅前にはカフェ、ドゥ・マゴがある。ここは学生やサラリーマンを始めとした杜王町の住人にひろく愛されているけっこうおシャレな喫茶店だ。その大通りに面したテラスの席に、億泰先輩たちは座っていた。
「吉良吉影、見つかんねえなあ......」
ため息が出るのは1度目ではない。吉良吉影が行方不明になってから数日が経過していた。
「ホントだよ」
「承太郎さんがリストから怪しい人を探すっていってたね」
「連絡待ちですね」
「くそー、どこにいるんだよ!」
もちろん宿題のノートを見せて欲しいと頼まれたり、金をたかられていたり、週番を変わってくれと頼まれたりしている。子犬か子猫をもらってくれとかいう話がまわってきたりもした。いわば暇つぶしである。
空条さんからの連絡待ちだった。つまり僕達は急に現実世界に引き戻されてしまったのである。気づけば7月に入り、世間は夏が到来しているのだ。学生の誰もが梅雨よりも憂鬱な季節がもうすぐ側まで近づいてきているのである。
「あーあ......もうすぐ夏休みだってのによォ......なんでいつだって俺たちの前に立ちはだかりやがるんだ、テストの野郎は!」
「いわないでよ、仗助君。テンション下がるじゃないかあ......」
「考えねーようにしてたってのによォ」
はああ、と高校生組はため息をついている。
「何だか腹減ったなァ~ なにか食うか?」
カフェ・ドゥ・マゴはいかんせん喫茶店なのでたいしたものはなかった。レストラン・トラサルディーとはほど遠い、うまくもないがまずくもないレトルト丸出しのミートスパゲティーをすすりながら、ぐだぐだと雑談が続く。ようやく僕の注文していたチョコレートプリンが届いた。先にハムカツサンドを食べていた重清君が聞いてくる。
「ジョルノはテスト自信あるど?」
「中間テストはいい線いきましたからね、あまり心配はしていませんよ」
「いいなあ......オラは補習だけは回避したいど......夏休みを補習で潰したくなあい」
「なら、頑張るしかないですね。中間テストで傾向は掴めているわけだから」
「ううう......テストどこやったかなあ......見たくないからほっといたらどっかいっちゃったど......」
「なるほど、このままではまずいと。ノート1冊につき5000円でどうです?」
「高い!もうちょっとまけて欲しいど、ジョルノ!」
「これでもです?」
「うわ、わかりやすい!」
「別に見せなくてもいいんだよ。みんな似たようなことを考えるものだ。君だけじゃあないからな」
「ううーん......考えとくど」
「あと数週間だってのにずいぶんと余裕ですね、あんた」
僕はノートをカバンにしまい込んだ。
「ん?」
ころころ、となにかが転がってくる。サッカーボールだ。あたりを見渡すと手を振る小学生かいる。向こうの公園で遊んでいたようだ。
僕はサッカーボールを手に取る。
「あ」
億泰先輩が豪快に蹴りあげたのだ。
「大人げねーなあ、億泰」
「へへ、ちっとはスカッとしたぜえ!」
僕達はまたドゥマゴに戻った。
それから数時間後。
「きゃあああ!」
「誰か助けてぇ!」
数人の子供の悲鳴が聞こえてくる。僕らがそちらに注意を向けると、さっきの小学生達が走ってくるではないか。
「どうしたんです?」
「わかんない!」
「わかんないけど、やばいの!」
「じゅんちゃんが!じゅんちゃんがあっ!」
たすけてください!小学生にとっては大人に見えるらしい億泰先輩たちが手をひかれる。ぐいぐいひっぱられ、僕達は訳の分からないまま公園に向かった。
「うわああああ」
そこには影に囚われた小学生がいた。まるで溺れているようだ。あっという間に体が見えなくなってしまう。
「ヤベぇぜ、こいつ完全にイカれてやがる!」
「離れてろ、お前ら!コイツはオレがブチのめして警察に突き出す!」
ドグシャァ!!言うが早いか億泰先輩はスタスタと影の塊に歩み寄り、キツい鉄拳を叩き込んだ。殴られた影のようなゆらめきはひしゃげ、グズグズに崩れていく。鼻が陥没し目玉が反転し、顎は千切れかけている。もはや人間の顔ではない。
「!なんだぁコイツは!?」
「テメェは!」
ふと、さっき男を殴った拳に違和感を感じる。おぞましい粘着質の液体が拳に食いついている。
「んだこれ、気持ちわりぃ!」
ズォンと億泰先輩のスタンド、ザ・ハンドが姿を現す。その右手が小さな弧を描くと、ギャオン、という響きと共に液体は跡形もなく消え失せた。
「スタンド使いかよ!ガキどもどこにやりやがった!返しやがれこのダボがァーッ!!」
ガォン!ガォン! ガォォォン!!
ザ・ハンドの右手が立て続けに空間を切り裂く。億泰先輩に飛びかかったはずの液体はズタズタに削られ、消え去った。
「そして空間をも削り取ったッ!するとォ」
瞬間、影は空間を跳び億泰先輩の眼前にきた。
「喰らいやがれ!ダボがァーっ!」
ザ・ハンドの鋭い回し蹴りが影を狙う。
「削って削って削りまくってやるッ!速攻でこの野郎をブチのめすしかねぇ!」
ザ・ハンドが右手を振りかざす。
「うだらァッー!くたばりやがれッ!!」
液体が平面になり、影になってしまった。
「んだとォ~?こんなモンさっきのよーに削っちまえば何でも」
ガォンとザ・ハンドの右手が一閃、空間を跳んだ。ガオン!ガォン!ガォン!ガォォン、と瞬間移動でそのまままとめて削り取る。
「あっれぇ......?」
そこにはなにもいない。
「億泰先輩、足元を見てください!影が笑っている!」
「なにィッ!?こいつ、普通の影にもなれるのかよっ!」
大きな口をあけて笑っていた平面の影がいきなり走り出す。
「まてこらあ!」
億泰先輩とおいかけるが、通り過ぎたトラックの影に飛び込んだそいつはそのままいなくなってしまったのだった。
「じゅんちゃんが......じゅんちゃん......だから、じゅんちゃんだってば」
「じゅんちゃん......ううん、知らない。初めて会ったから」
「僕もしらなあい。一緒にあそぼーっていったから混ぜてあげただけだもん」
「ねー」
「ねー」
「じゅんちゃん、どこの子か知らないよ。聞かなかったから知らないもん」
それは異様の一言につきた。僕達が小学生の所に帰って事情を聞くと、口々に彼らはたまたま混ぜてあげたからどこの子なのかすら知らないというのだから。どこから来たのか聞いたら、このあたり、と言われたものだから引っ越してきた子なのかと勝手に脳内補完をしながら遊んでいたらしかった。あの影に溺れていなくなってしまった小学生は、じゅんちゃんということしかわからない。
「どう思うよ?」
「どうもこうも行方不明になっちゃったんだから警察行こうよ、警察!」
「そりゃそーだけどよォ......なんて説明するんだァ?」
「余計なこと言わなくていいんですよ、こういうときは。事実だけ言えばいいんですよ」
「ならジョルノ頼むぜ!俺こーいうの苦手だからよォ」
「億泰先輩」
「いいからいいから。こーいうのはジョルノのが向いてるって」
「仕方ないですね......」
ざわついている小学生たちの対応を仗助先輩たちに任せて、僕達は近くの交番に行くことにしたのだった。
「こんにちは」
ひとり、書類を書いている警察官がいた。座席は他にもあるが見回りをしているようでパトカーが見当たらない。どうしたんだい、と聞いてくる。
「実は子供が一人いなくなったって小学生が騒いでいるんですが、話を聞いてもらえませんか?」
代表としてきてくれた子供に大体を喋らせて、時々僕が補足してやると警察官が笑顔で対応してくれた。紙に何やら書いている。誘拐事件とも取れるはずなのに彼は深入りしてこない。疑問に思っていると、小学生を帰したあとで警察官がこっそりと教えてくれた。
「君たちもご苦労さま」
訳が分からないという顔をしていると、彼は笑った。
「ここにはよく出るんだよ、座敷わらし」
「はあ?」
「座敷わらし?」
馬鹿にしているのかと思ったが彼は本気でそう考えているらしかった。
「ここに赴任したばかりのころは、振り回されたものだよ聞いたことあるだろ?雪山の1人足りないってやつ。あれがよく起こるんだよ。じゅんちゃんて子がいつもいなくなる」
僕と億泰先輩は顔を見合わせた。
それは都市伝説として有名な話だ。ある山岳部の5人の学生達が雪山へ出かけた。山に着いた当初は晴れていたものの、昼頃から雪が降り始め、夕方には猛吹雪となって学生達は遭難してしまった。途中、5人のうち1人が落石で頭を割られ死亡し、仲間の1人が死んだ仲間を背負って歩いていた。
やがて4人は山小屋を見つけ、助かったとばかりに中に入るがそこは無人で暖房も壊れていた。死んだ仲間を床に寝かせた後、「このまま寝たら死ぬ」と考えた4人は知恵を絞り、吹雪が止むまで凌ぐ方法を考え出した。
その方法とは、4人が部屋の四隅に1人ずつ座り、最初の1人が壁に手を当てつつ2人目の場所まで歩き2人目の肩を叩く。1人目は2人目が居た場所に座り、2人目は1人目同様、壁に手を当てつつ3人目の場所まで歩き肩を叩く。2人目は3人目がいた場所に座り、3人目は4人目を、4人目が1人目の肩を叩くことで一周し、それを繰り返すというもの。
自分の番が来たら寝ずに済むし、次の仲間に回すという使命感で頑張れるという理由から考え出されたものだった。この方法で学生達は何とか吹雪が止むまで持ちこたえ、無事に下山できたのだった。
しかし仲間の1人が、「この方法だと1人目は2人目の場所へと移動しているので、4人目は2人分移動しないと1人目の肩を叩ける事は在り得ないため、4人では出来ない」と気付く。
話の結末としては、死んだ仲間が5人目として密かに加わり、仲間を助けた、というものである。
この「スクエア」は降霊術の一種として使われているという説もある。
「ちなみにこのスクエアは、1人目、もしくは4人目となる人物が2人分を移動することを意図すれば4人でのプレイも可能らしいね」
警察官はいうのだ。昔、この辺りに土地を持っていた庄屋の古い屋敷があった。座敷わらしがいたが、無人の空き家になり取り壊されて公園になった。行き場を無くした座敷わらしが公園にいるという。
遊びはなんでもいい。鬼ごっこでも、かくれんぼでも、ゲームでも。いつの間にか一人混じっていて、いつの間にか一人消える。
「かれこれ20年になるかな、毎年あるんだよ。似たような話がね。だから真に受けない方がいいよ」
僕らはぞぞぞっとした。警察署からの帰り道、どう思います?と億泰先輩に聞いてみた。
「うう~ん......でもよォ......あのガキ、助けてっていってたよなァ......」
「そうなんですよね。影がいきなり実体化して男の子を飲み込んで、溺れさせて、取り込んだ。僕達はそれを見ているんだ。小学生たちの話だけなら警察の話もありかなとは思いますが、僕達はこの目で見ている」
「やっぱ見間違いじゃね~よなァ~あれはやっぱ小学生だよな~今風の服着てるもんなァ~」
「最近よりはちょっとセンスが古いけど、座敷わらしってほど昔には見えませんでしたね。着物やみすぼらしい格好じゃあないし、髪型も古臭くはない」
「それ、仗助の前でいうなよ~?」
「言いませんよ、殴られたくはないですからね」
「ならいいけどよ~。どうする?」
「どうするもこうするも。空条さんに報告するのと、東方巡査に話を聞いてみるのと、実際に実験してみるのと、どれにしようか考えているんですよ」
「はえーな」
「20年前からなんて意外と最近ですからね。なにもかもがここのところ20年前から起こっている気がしてならないんですよ僕は」
「そーかあ?」
「そうなんですよ。少し神経質になりすぎているのかもしりませんが」
ふうむ、と億泰先輩は考える。
「じゃあさ、調べてみるかあ?なんでもいいんだろ、遊びってのはよ~~。1人でやったらどうなるのかな」
そして仗助先輩たちとのじゃんけんに負けた僕はしぶしぶ1人で公園の遊具で遊ぶことになってしまったのだった。
「なにしてるの?」
学校から5時の放送が鳴り響くころ、とうとう人はいなくなり僕だけになってしまった。さてどうするかと考えていると、さっき食べられたはずの少年が現れた。
「お兄ちゃん、わざとここで1人で遊んでるでしょう。ダメだよ。警察の人に言われたでしょ?遊んじゃダメだって思わなかった?」
咎めるような眼差しだ。
「君がじゅんちゃん?」
「やっぱりそうだ。時々いるんだ。ぼくのことからかってくる人。大人の人」
「僕はまだ中学生ですよ」
「えっ、そうなの?金髪なのに?」
「金髪だし緑目だけど中学生だよ」
「そうなんだ......知らなかった......。ってそうじゃないよ」
じゅんちゃんと言われた少年はむくれるのだ。
「君は幽霊ですか?」
「んー、ちょっと違うけど似たようなものだよ」
「違うのか」
「うん」
「いつも影みたいなやつに食べられてるみたいだけど、大丈夫なのかい?」
「あは、心配してくれるんだね、お兄ちゃん」
「まあね」
「大丈夫だよ。食べられてるんじゃない、食べられてやってるんだ」
「うん?どういうことです?」
「あいつさー、ずっと狙ってるんだ。人の影の中に隠れてさ、1人になったところをばりばりするのを待ってるんだよ」
「君とは関係ない感じ?」
「んー、最初に食べられたのは僕だと思うよ、僕以外にここにいる人見たことないし。だから、みんながそうならないように見張ってるんだ」
「食べられたらどうなるんだい?」
「さあ?わかんないや。僕人間だったのずいぶん昔だからさあ、生きてたらなにかあるんじゃない?」
「あの影はいつ現れたか覚えてるかい?」
「ううーん......いつだったかなあ......最近だよ?もともと人がいなくなる公園だったけどさあ、あいつが来てから困ってるんだ。気軽に遊べないからさ、誰か一人になりやしないかひやひやしなくっちゃいけないからね」
「いなくなる?」
「うん、そう。それぼく。暇だから混ぜてもらってるんだあ。いいよねえ、ゲームとかさ。ぼくが生きてた頃はあんなにすごいの無かったのにさあ」
「......」
目の前の少年は一体なにものなのか迷ったが、僕は深入りしないことにした。今の本題はそうではない。
「どうやって現れたかわかるかい?」
「ううーん......なんだろうねえ。お兄ちゃんみたいに変な人おんぶしてる人が出入りするようになってからな気がするよ?」
「もしかして、」
僕は吉良吉影について聞いてみた。彼は首をふる。
「どっちかっていうと、そうだなあ......」
少年は顔を上げた。
「またいる」
「?」
「あいつだよ、あいつ。あいつが現れたらあの影が出始める合図なんだ」
「!?」
指さす先にはいつぞやの不気味なカラスが羽を落としながら飛んでいった。泣き方が下手くそなカラスである。