その青年はヌ・ミキタカゾ・ンシと名乗った。オールバックの長髪にとんがり耳、宇宙モチーフのアクセサリーがついた長ランが特徴的だ。チェーン付きの鼻ピアスをしている。
薄い色の長髪に長身、彫りの深い容姿という特徴はいわゆる北欧系の血が入っているか、ノルディック型の宇宙人を思わせる。
自称『マゼラン星雲からやって来た宇宙人で、年齢は216歳、職業は宇宙船のパイロット』とのこと。趣味は動物を飼うこと。学生鞄の中でハツカネズミを飼っている。
宇宙船に置いてきたので所持していないが光線銃も使えるらしい。
ぶどうヶ丘で見つけたミステリーサークルのド真ん中で僕達が起こした彼は、掴み所のない性格をしており、非常に世間知らずというか度の過ぎた天然というか一般常識に欠けているように見えた。言動は礼儀正しく紳士的でとても温厚。とりあえず悪い人ではない。
はじめは新しいスタンド使いかと警戒していたが、敵意は感じられないから僕達は警戒をといていた。
彼はスタンド使いだった。宇宙人の証拠だと見せてくれたのだ。体の一部もしくは全身を変身させる能力を持つスタンドで、様々な道具に変身することが可能。仗助先輩のアクセサリーを再現したり、複数に分裂することもでき、中々多芸だが、本人曰く人間の顔はどれも同じに見えるので人の姿を真似ることは出来ない。
構造が複雑な機械や、自分以上の力を持つものにも変身できない。
「面白いですね」
「オイオイ......マジで信じちまうのか?」
「吸血鬼が居て、幽霊が居て、岩になる人間が居て、完全生物が居るならそりゃ宇宙人だって居ますよ、仗助先輩」
「マジで言ってんの?ジョルノらしくねえぞ」
「なにを言ってるんです?スタンドは隕石にくっついてたウィルスが原因なんでしょう?宇宙人は生まれながらにスタンドを使える進化した人間で、ウィルスを介してその遺伝子変異が地球人に与えられると解釈すれば矛盾はないじゃあないですか」
「生まれながらのスタンド使いはどうなんだよ......承太郎さんがいるって言ってたじゃねえか」
「そうですね、それついては突然変異ということで」
「適当なこと言ってんじゃねえの、お前」
「いないって思うより楽しいじゃあないですか」
「宇宙人はいるかもしれねーけどこいつが宇宙人かはまた別の話だろォ。どう見たってスタンド使いだ」
「スタンドを発現するウィルスが付着した隕石に宇宙人が隕石と融合した事で意志とスタンド能力を得て彼になったとかでも良いわけで」
僕はミキタカに声をかけた。
「あなたが宇宙人なら僕らは話しちゃいけませんね。この星の代表じゃあないから下手なこといえません。仲間が呼べるなら国立天文台が窓口だそうですから仲介ならできますが」
「それなら心配ありません。わたしはこの星がどんなところか調査に来ただけなので」
「勝手に調査されるのもこの星の代表は困ると思いますよ」
「ううーん、まいりました。今宇宙船は大気圏付近で待機しているんですよ。ちなみにこの星の代表はどなたなんです?」
「国連ですね」
「国連?」
「1945年10月24日、51ヵ国の加盟国で設立された国際機関ですね。主たる活動目的は、国際平和と安全の維持(安全保障)、経済・社会・文化などに関する国際協力の実現」
「ああ、なるほど。国が沢山あつまって会議する場所なんですね」
「そういうことです」
「この星の代表と話がしたかったら国立天文台に連絡して、国連に聞いたらいいってことですね」
「はい」
「......ジョルノなんでそこまで全力になれんだよ......ちょっとお前のことよくわかんなくなってきたせ」
後ろで仗助先輩が失礼なことを言っている気がするが、あえて気付かないふりをした。
「それはいいことを聞きました。仲間にあとで連絡をとってみますね。教えてくれてありがとうございます。なにかお礼をしたいんですが、なにかありますか?」
「お礼ですか......そうだな......僕は生命をつくるスタンドがあるんですが未知の生物をまだ作ったことがないんですよ。なにか生命体を連れてくることがあったら見せてもらっでもいいですか?」
「そんなことですか!いいですよ、もちろん。残念ながら今はハツカネズミくらいしかいませんが」
「ハツカネズミ......ドブネズミじゃなあないですよね?」
「なんのことですか?ただのハツカネズミですよ?ほら、可愛いでしょう?」
「......よかった、ほんとうにただのハツカネズミですね」
「はい」
「どうしよう、つっこんだ方がいいのかこれ?ボケがボケ被せてツッコミ不在なせいで話の方向性が明後日にいっちまってるぜ......」
「ところでミキタカさん、カラスって見たことあります?こういう変な姿したやつなんですが」
「あ、そうそう、そーだった!こーいうおっさん見たことねーか?」
「ううーん、カラスってやつは見たことないですね。あと人間はみんな同じ顔に見えてしまうので会ってるかもしれませんがわかりません、ごめんなさい」
「じゃあ、なにかで刺されたことはありませんか?こういう矢じりで」
「あ、これですか?みたことあります。どこかから飛んできてわたしにかすりました」
「なんだって?!」
「かすった......スタンドの矢が貫通し損ねた......?そんなことありうるのか?」
「誰かが拾ってどこかにいきました。わたしは体調が悪くなってここでずっと寝ていたので顔は見ていないのです」
「なにか聞いていませんか?」
「ううーん......」
ミキタカさんはわからないと首を振った。
「この写真の人達を探しているんですね?」
「ええ」
「わかりました。もしどこかでみかけたらお伝えします」
「ありがとうございます、ミキタカさん」
「ところでお礼をしたいんですが、なにかないですか?」
「お礼ですか......そうだな......」
僕はしばし考え込む。
「そうだ、君を紹介したい人がいるんですが今から来てもらえませんか?」
「今からですか?」
「社王駅なんですが」
「社王駅」
「ああ、その前にコンビニでジャンプを買った方がいいな」
「?」
「漫画というものを描いている作家さんがいるんですがね、君のこときっと気に入ってくれると思うんだ」
「あっ」
仗助先輩が慌てたように近寄ってくる。
「まてまてまてちょっと待ってくれよォ、ジョルノ君」
「なんですいきなり」
「お前が露伴センセーにミキタカ紹介しちまったらオレがたったいま考えたグレートな計画が台無しになっちまうじゃねーか。お前ミキタカを宇宙人として紹介してアルバイト代稼ぐつもりだなァ?」
「そこまでわかってるならパクればいいのに律儀ですね、仗助先輩」
「うるせえよ、これならちゃちな金額よりよっぽど稼げるって寸法なをんだよォ」
「僕の場合はこちらの方が未知の生物までゴールド・エクスペリエンスの創造範囲が広がるかもしれないからよっぽど稼げるんですよ」
「コノヤロー、こないだトロッコでひきやがったお詫びとかねーのかよ?」
「ちゃんと授業受けなかったのは仗助先輩じゃあないですか、実害はなにもなかったのに勝手に帰ってしまったのは君ですよ仗助先輩」
「こっちはひいたりひかれたり散々だったんだよッ!!ここんとこ夢見がわりーんだぞ、ジョルノのせいで!ソマちゃん殴りたかったのに単位を人質にとられちゃなにも出来ねーしよォッ!!なんであんなやつが学年主任なんだっ!」
「何言ってるんです、アンタ。知りませんよそんなこと」
はあと呆れ顔の僕に仗助先輩は怒り心頭と言った様子でくってかかる。ミキタカさんは困ったように僕と仗助先輩を交互に見ながら視線をさ迷わせていた。
あるバクチ打ちの男。誰か夜中に訪ねてきたので開けてみると、何と子狸。昼間、悪童たちにいじめられているのを男に助けられたので、その恩返しに来たのだという。
何でもお役に立つからしばらく置いてくれというので、家に入れて試してみると、何にでも化けられるので、なるほどこれは便利。小僧に化けて家事一切をやってくれたり、葉書を札に化けさせて、米をかすり取ってきたり。
そこで男が思いついたのが今夜の「ご開帳」。チョボイチだから、狸をサイコロに化けさせて持っていけば、自分の好きな目が出放題、というわけ。さっそく訓練してみると、あまり転がすと目が回るなどと、頼りないが、何とか仕込んで、勇躍賭場へ。
強引に胴を取ると男が張る目張る目がみんな大当たりで、たちまち男の前には札束の山。
ところが、やたら「今度は一だ」「三だよッ、三だ三だ三だ」などと、いちいちしつこく指示を出すので、一同眉に唾をつけ始める。儲けるだけ儲けて退散しようとすると、最後の勝負といいうので先に張られてしまい、てめえが変なことを言うとその通りの目が出るから、もう目を読むなと釘をさされる。
開いた目は五。五と言えないので、
「うーん、今度は何だ、梅鉢だ。えー、まーるくなって、一つ真ん中になるだろ。加賀さまだ。加賀さまの紋が梅鉢で、梅鉢は天神さま。なッ。天神さまだよ、頼むぜッ」。
勝負ッ、と転がすと、狸が冠かぶって、笏(しゃく)持ってふんぞりかえってた。
「この野郎!」
原話は宝暦13年(1763)刊の笑話本「軽口太平楽」中の「狸」だ。本来軽く短い噺なので、「狸の札」「狸の釜」「狸の鯉」などの同類の狸噺とオムニバスで続ける場合があり、「狸賽」を入れた四話をまとめて、五代目志ん生のように「狸」と題することもある。
それぞれ、狸が恩返しに来るという発端は共通していて、化けて失敗するものが違うだけ。「狸の鯉」は、狸を鯉に化けさせ、親方の家に持っていくと料理されそうになり、「鯉」が積んだ薪を伝わって窓から逃げたので「あれが鯉の薪(=滝)のぼりです」と地口で落とすもの。
「狸の札」は、札に化けさせられ、相手のガマ口に入れられた狸が苦しくなって逃げ帰り、「ついでにガマ口の銭も持ってきました」というもの。
「狸の釜」は、釜に化けて和尚に売られた狸が火にかけられて逃げ出し、小坊主があれは狸だったと報告すると、「道理で半金かたられた」
「包んだ風呂敷が八丈でございます」とサゲるもので、ぶんぶく茶釜伝説のパロディだ。狸の睾丸が八畳敷きというのと、布地の八丈縞を掛けたもの。今はあまり演じられない。
「......まんまじゃあないですか。露伴先生だって馬鹿じゃあないんだから気づきますよ」
「やってみなきゃわかんねーだろ!それにオレが考えたのはチンチロリンだ、全然ちげーじゃねーかッ!」
「というかよく落語なんて知ってましたね。なんというか意外です」
「じいちゃんが好きだからな。小さい頃、よくラジカセで聞かせてくれたんだよ」
「へえ。子守唄代わりだったってわけですね」
「おう。お袋が遅い時は代わりに一緒に寝てくれたからな」
「なるほど」
「ちょーっとまて、ジョルノォ。人が昔話している間にゴールド・エクスペリエンス出して何しようとしやがった」
「バレましたか」
「当たり前だろ!どさくさに紛れて何してんだァ!」
「だって落語そのまんまなんて捻りが無さすぎる。それならミキタカさんを宇宙人かどうか賭けをしてせしめた方がいいに決まってるじゃあないですか」
「それだとジョルノの一人勝ちじゃねーかッ!上手いこと宇宙人だったら再現だなんだで継続的なアルバイト見込めるのはお前の方だろーッ!」
「それが分かるならもうちょっと捻った方がいいですよ、仗助先輩」
「あーいえばこういいやがってコノヤロー!少しは敬えよッ!オレの方が2つも年上なんだぜ、ジョルノッ!!」
「充分敬ってるじゃあないですか、敬語に先輩呼び、頼りにだってしてる。何が不満なんです?」
「顔だけ外国人で育ちは日本だし日本語しかしゃべれねーんだから日本人だろ!ちったあ気遣いを覚えろっていってんだよ!」
僕は肩を竦めた。そして何か言い返そうとした時、空気の読めない人に声をかけられたのだ。スピードワゴン財団の職員からだった。空条さんが呼んでいる。詳しいことは電話をしてみてくれと言われる。僕達は目を丸くした。
それから数時間前に遡る。
空条承太郎は7年前にタバコをすっぱりやめた。結婚して妊娠したと妻に告げられたとき、受動喫煙がどうたらという話をされる前にタバコとライターをゴミ箱に捨てていた。分別してくれと口ぶりでは呆れながら、妻の顔は間違いなくタバコより子供をとってくれた夫を喜んでいた。
それきりやめたはずなのだが、今、ホテルの売店で久しぶりに買い求めたのは妻子がいないからではない。無性に吸いたくなったからだ。衝動だった。
タバコを尖った口先に咥えると、まるで窒息しそうな魚のようにエラ骨から喉仏までぐびぐび動かして、最初の一服を忙しげに吸い込む。ミニサイズの百円ライターで火をつけると、久しぶりにメンソールの刺激がツンと鼻の奥に突き刺さった。
かつて承太郎にとってタバコは思考を巡らせるのに最適なトリガーだった。起爆剤だった。タバコを口に装填し、導火線に火をつける。大きく煙を吸い込むと、途端に集中力が増してきた。しばらくして承太郎はため息とともに煙を吐き出した。へこんだときのタバコほどまずいものはない。
ホテルの屋上に上がり、タバコの吹かした。小さな白い煙が青い空に向かってゆらゆらと伸びていく。煙の動きをぼんやり目で追っていると、かつての思い出が次々と浮かんできた。
煙草に火をつけた。もう風はやんでいた。煙はまっすぐ上に立ちのぼって空に消えていった。気がつくと空には雲ひとつない空が広がっている。
物足りなくて、もう一本火をつけた。ほぼ無意識だ。指先には火の点いていない煙草がはさまれ、その先端は空中に幾つかの複雑な、そして意味のないもようを描きつづけている。頭の中を整理するように煙を吐いた。
ニコチンやヤニなど、身体に有害なツケがたまっていくのは知っている。でも最終的にどれだけ莫大なツケを払わされるとしても、一服のその瞬間には、煙草は絶対に裏切らない。一つ吸い込むごとにニコチンが身体のすみずみまでゆきわたって、指の先がちりちりふるえるほどの快感は抗いがたかった。指元まで吸いつくした煙草を唾と一緒に捨てた。
集中しなければならないほどの強敵がいるわけではない。空条承太郎のスタープラチナは最強のスタンドだからだ。これは自惚れでも自信過剰でもなく紛れもない事実であり、冷静に分析した結果、自他ともに認める最強のスタンドなのである。
単独での近接戦闘で時を止められるスタープラチナは無類の強さを誇る。遠距離からの狙撃や広範囲の高火力などには対応できないし、近距離であろうと不意を突かれれば戦闘での強さなど無意味だ。だが、そうした弱点を踏まえた上で落ち着いて事態に対処できる本体、空条承太郎も含めて最強なのだ。
それでも、そんな承太郎が喫煙しなければならない理由があった。
再度、承太郎は煙草を咥える。 タールを思いっきり肺に吸い込ませながら、緑がかった瞳を閉じる。白い息を吐きだすと、今度は新鮮な空気を取り込む。 7年ぶりだが体は覚えているようで、慣れた動作で煙草を指で弾いて灰が落とす。その間も脳みそはすさまじい勢いで回転し続けている。承太郎はゆっくりとまぶたを開けると、煙草を口元に運んだ。
「スタープラチナ」
紫煙を細く長く初夏の空になびかせながら、承太郎は静かに呟く。呼びかけに呼応して、半透明な古代の戦士が背後に出現した。 その鍛え抜かれた肉体は、二メートル越えの承太郎よりもさらに大きい。 それこそがスタープラチナ、空条承太郎のスタンドのヴィジョンである。
承太郎は社王町を見渡す。社王グランドホテルの屋上は、この町を一望できた。他にもいいところはあるだろうが、安全圏からという枕詞がつけばここが最適だ。すると、傍らにいたスタープラチナが凄みをまといながら一歩前に出た。
そもそも、承太郎は煙草を吸うために屋上に出て来たわけではない。社王グランドホテルはまだ禁煙ではなかった。隣部屋に生後7ヶ月の義理の叔母がいるとしても、喫煙だけなら室内ですればいい。祖父はなかなか進まない論文に修羅場中の承太郎の部屋に静をつれてはこないからだ。わざわざ屋上まで来たのには、それなりの理由があるのだ。
承太郎はスタンドの視界をリアルタイムで自分の視界に共有させて、ぐるりと屋上を一周する。そしてスタープラチナを戻した。
「奇病に感染したカラスは......これで全部か......」
煙草を捨てたあと、ポケットのペンをかちりと押して手元の社王町の地図に丸をつけて行く。承太郎が屋上まで出て来たのは、周囲の景色を確認するためだったのだ。
「監視体制は万全てわけか」
いつの間にか口のなかに溜まっていた唾液を、承太郎は飲み込む。 誰も気付かぬうちに包囲網はすでに完成していた。いや土足で入ってきたのは承太郎たちの方なのかもしれない。奇病の感染源たる男は21年前からずっとここでこの町の出来事を観察し続けてきたのだ。きっとこの町のスタンドの矢をめぐる一連の事件も把握しているに違いない。
どこまでがスタンド能力で、どれがスタンドを用いずに行ったことなのかは分からない。 相手が何人のスタンド使いを擁しているのかも不明だ。未だ知らない能力の持ち主だって、いるかもしれない。 そこまで考えたところで、承太郎は意図せず拳を握っていた。
「カラスの活動範囲を考えるなら......」
新たな丸が書かれる。
「繁殖はできない個体群だから巣はない。よってねぐらは......」
それはひとつのエリアを黒く塗りつぶしていく。
承太郎は息を吐いた。敵はあまりにも強大だ。ここ数年、連絡が取れなくなったジャン・ピエール・ポルナレフが脳裏をよぎる。承太郎が結婚して一時的にDIOの協力者たちの起こす事件から離脱しているうちに彼は行方不明になってしまっている。
好んで喫煙していたころの承太郎ならば、この事実に気づいた瞬間にもっと冷静に立ち回ることができただろう。スタープラチナのずば抜けた視力でカラスたちの反応を観察し、なにをたくらんでいるかさえ読み取れた。そのはずなのに、今の承太郎にはできなかった。
一人で行動することにひどく躊躇を感じていた。
誰にも見せられない。祖父に対してもだ。
誰かを強く愛することを知ってしまったために、かつて行えたはずのことができなくなっている。いかなる非常事態であろうとも、動じずクールに解決してきたはずなのに、それができない。この世界で唯一愛している女も、同じくらい大切な一人娘も、この町にはいないから危機などあるはずもないのにだ。
死ぬかもしれない。なんとなく浮かんだそれだけが承太郎から持ち前のクールさを失わせた。そのせいでこの町にはスタンドの矢が2本あるかもしれないという可能性を初めから見落とすという致命的なミスを犯した。その結果、スタンドの矢は吉良吉影の手にあり、やつは行方不明、しかも岩人間によるこの町の危機は続行中である。
だから承太郎は久しぶりに煙草を吸っているのだ。かつての感覚を取り戻すために。それが親になるということじゃよと笑う祖父からそっぽ向きながら。承太郎は未だに己の変化についていけないところがあった。
DIOと戦ったときの承太郎は、まだ未成年だった。学生だったし、何も知らないくらい若く、鋭く尖っていた。 あのころならば死ぬかもしれないという事実に躊躇してしまうことなどなかったはずだ。
許せないと思いながらも怒りを心で静かに燃やして、表面上はあくまでクールに振る舞っただろう。 現在の承太郎は、かつての自分となろうとしているのだ。
ある女を心から愛し、ともに暮らしていきたいと強く願う。 そんな感情をまったく知らない、時を五秒間も止めることのできた、全盛期の空条承太郎に。ならなければならない、と暗示をかけるために。この上なくらしくない行動だ。だから1人になりたかったのである。
煙草の火がフィルター部まで到達し、承太郎はタバコを取り出す。このペースだとすぐ無くなりそうだ。もう1箱買うべきだった。舌打ちをした承太郎は、火を点ける寸前で動きを止めて、屋内に繋がるドアへと振り返った。
足音が近付いてきたのだ。
承太郎は咄嗟に戦闘態勢に入ろうとしたが、無駄だと悟ってすぐに警戒をといた。接近してきている足音は敵ではない。気配を隠そうともしていないし、かといって殺気を振り撒いているわけでもないからだ。もしもまで思考を放棄するつもりは無いので、あくまでスタープラチナをすぐにでも出せるようにする程度にとどめる。
この一瞬で導き出せるこの判断力は間違いなくこの10年で培ってきたものだ。かつての自分ならば戦闘臨態勢を解かず、ぶっとばしてから考える位のことはしたかもしれない。そこまで考えてから、まだ火の点いてない煙草がぐにゃりとまがっていることに承太郎はようやく気がついた。
「早かったな」
「......来いって言ったのはアンタだ、空条承太郎」
声変わりしたばかりのアメリカ人は不満タラタラな様子で承太郎を見上げた。
「なんで呼びつけたアンタが迎えにこねえんだよ。こっちはまだ肋骨治りきってねえんだぞ」
「すまないな、君に頼むための準備に追われていた」
「ハッ、どうだか」
「来てくれてありがとう。これから世話になる。すまないが、一本吸わせてもらってからでいいか。これから一服して気合を入れておきたい。それだけの大仕事だからな」
「へェ、アンタも緊張することがあるんだな」
「そうだな」
承太郎は肺をニコチンで満たした。
「タバコ消さねえのかよ、子供いる癖に」
承太郎は指輪を隠さなかった。
「俺は娘の前で吸ったことはない」
「ふん............見た目と違って、結構やさしいんだな、アンタ。いや、それは昔からか。身内には優しいもんな」
承太郎はその言葉には返さず、煙草を咥え直す。視線を合わせていないのに、ガキがこちらを見て笑っているのが分かったからだ。
承太郎はやれやれだと呟く。ここにきてようやく実感したのだ。どんなに煙草を吸ったところで、かつての全盛期の空条承太郎に戻ることはできないのだと。いくらあのときの精神を取り戻そうと足掻いても、さっきから承太郎自身がすでに当時考えもしなかったことを考え、やろうとしている。
いつだったかスピードワゴン財団の精神科医が感情に振り回されるのは人類に許された特権だといっていた。生きることは変わり続けることだと。戻るなんて無理な話だ。人間である以上、時は止められても、歳を重ねることを止めることは出来ない。
「オレはなにをすればいいんだ、空条承太郎」
「まずは移動する。俺の部屋に来てくれ。話はそこでするとしよう。どこで聞かれてるかわかったもんじゃあないからな」
カラスが空を飛んでいる。承太郎は一度だけ少年を見た。10年の歳月を実感するのは充分だった。
「期待しているからな、ドナテロ・ヴェルサス」