来店を知らせる音楽が聞こえてきて、いらっしゃいませ、と営業用の笑顔を入り口に向けた女性が、そのままの笑顔で凍りついた。みるみるうちに青ざめていく表情。はっとした表情で固まっている。
会計の列に並んでいた僕は、カウンターにいる数人のお客と一緒につられてそっちをみた。そこにいたのは、異様な格好をした男だった。黒のサファリハット、顔が隠れるくらい大きなサングラス、無地のタオルを首に巻いている。
そして、社員証を外したから穴の開いたポケットをもつ黒いスーツ、黒の革靴、軍手、真っ黒なショルダーバックを抱え、ウエストポーチまで付けている重装備で入ってきた。ずかずかとこっちに向かってやってきた男は、竹刀や木刀をしまう剣道部の布袋ににた細長い袋を抱えている。
慣れた手つきでその布袋を取り払った瞬間、黒々とした猟銃が姿を現したのだった。きいやあああ!と絹が裂けるような悲鳴が響き渡ると同時に、男は咆哮した。
「うるせえぞ、女ぁ!動くな、動くんじゃあねえぞ!下手な真似しやがったら、脳天ハチの巣にしてやっからなぁっ!」
ずがががが、と威嚇射撃で打ち込まれた弾丸がフローリングの床を悲惨な状態に変えた。すっかり縮こまってしまった女性は、カウンター越しに力が抜けてしまったのか、へなへなと座り込んで見えなくなってしまった。
「てめえらもだ!さあ今すぐその場に伏せやがれ」
立ち読みをしていた仗助を含めたサラリーマン数人と、僕の前に並んでいた中年の作業員の男性数人、そのままフローリングに座らされた。つかつかつかとこっちに歩いてきた男は、持っているポーチを開けて僕たちの前に差し出してきた。
「まずはてめえからだ。携帯、PHS、ポケベル、財布を中に入れろ」
かちりと脳天に銃口を向けられたらどうしようもない。僕は学生鞄から財布を取り出して、そのまま男のポーチに放り込んだ。携帯は、とイラついたように催促されて、僕は持ってないですと首を振った。学生鞄の中を見せてやる。
筆記用具とファイルと教科書、ノート類しか入っていないのがわかる。後ろで手を組んでろ、といわれて、素直に応じた。ち、と舌打ちをした男は隣の作業員たちに視線を移した。
似たような過程を経て男は背を向けようとしたが、後ろから抑え込もうと視線だけたぎらせている作業員に気付いたのか。にぃと笑った男は余計なこと考えんじゃあねえぞ、と銃口をつきつけた。本棚の方に男は消える。
はあ、と小さくため息をついた僕は、ミラーになっている奥の棚の天井付近を見つめた。数人の黒い影が固められているのがわかった。
カウンターの向こうから物音がする。幸い男は気付かない。隣にいる作業員がちょっと嬉しそうな顔をした。そっちに目を向けると、どうやら異常事態を商店街のある店外に知らせる真っ赤なランプを店員の女性が点滅させたらしい。
幸いまだ日が明るいおかげで、傾きつつある西日は夕焼け色に外を照らしていて、男が気付くには時間がかかりそうだ。できれば男が気付く前に誰か110番してくれればいいんだけど、さすがに110番して詳細を知らせるとなると男が気付いて逆上する恐れがある。
ごくりとつばを飲み込んだ。電気がついているのに誰もいないように見える店内に、ちらりとこちらを窺う人だかりができはじめる。点滅する音の無い赤ランプと異様な雰囲気のサンマートに、どうやら商店街の人たちも気付き始めたようで、見たことがある顔が様子を伺っているのが見えた。
何人か携帯電話やPHSで連絡しているのがわかる。これなら警察が来るのも時間の問題だろうか。僕たちは顔を見合わせてうなずいた。でも、こつこつこつと足早に男が帰ってくる足音がして、張りつめる緊張感に体を震わせた。
男は舌打ちをしただけで、動揺する気配がない。警察に包囲されるのも時間の問題だというのに、ずいぶんと冷静だ。なんだ、この異様な精神は。どういう思考回路をしてるんだ。コンビニ強盗だったら、さっさと金を請求して逃げればいいのに。
逃走経路を包囲されたらそれだけ難しくなるのに、男は平然とパートの女性にカウンターを開けさせて、女性の携帯と財布を回収した。わけがわからない。まるで警察が来るのを待っているかのように、男はすっかり重くなったポシェットをどさりと置いた。そして猟銃を女性に突き付けると、不気味な笑みを浮かべた。
「たしかこのサンマートは24時間営業が始まる前からやってたよなあ?」
「わ、わかりません、わたし、パートなので」
「うっせえぞ、ボゲェッ!わかんなくても、はいつってればいいんだよぉ!」
「は、はいぃっ」
「っつーことはだぁ、あんだろ?あんだろうがよぉ、さあ閉めるんだ。今すぐシャッターを閉めやがれ!」
「わ、わかりました!」
死にたくないと今にも泣きそうな顔をしている彼女は、どたばたとエプロンを翻してカウンターの奥に引っ込んでいく。うそだろぉ、と絶望するつぶやきが聞こえた。ががががが、と重苦しい音が聞こえる。だんだん大きくなっていく黒山の人だかりの目の前で、灰色の壁が外と僕たちを隔てるためにじわじわと幕を下ろしていくのが見えた。
きっと災害時に店内を守るために設置されているそれは、コンビニの立てこもり犯が密室を作り上げるための手段として使われてしまったのだ。がしゃあん、という錠の落ちる音を聞いた。カウンターに背を向けて立った男は、僕たちから回収した財布をひとつひとつ確認しはじめた。
奇妙なことに、男は現金やクレジットカードに手を付けることはなく、学生証や社員証、保険証、名刺といったコンビニ強盗とは思えないものばかり集めて抜き取る。そして、価値のないものとばかりに一銭も手を付けないまま財布を足蹴にして踏みつけた。
これ見よがしに家族や大切な人間の写真を入れていた人間の目の前で、それをびりびりに破いてしまうような所業を見せて、人質になっている僕たちの心をぼきぼきに折っていく。何が目的なんだと地を這うような作業員に、そういう顔を見るのがさいっこうなんだよぉ!と男はげらげら笑った。
「でもよぉ、気に食わねえぜえ!」
男が不機嫌になって僕を見下ろしてきた。影がおちる。あと5メートル。
「ディオ・ブランドーってのは、てめぇの父親なんだろぉ?ガキの癖に写真をボロボロにしたところで、眉の一つも動かしやがらねえ!ガキならガキらしく、止めてくださいとでも泣き叫べばいいのによぉ!その石像みてえな顔が気に食わねえぜ!」
男の足元には無残に散らばった、実の父親の写真だった物体が泥だらけになって散らばっている。何とか言ったらどうだ!と唾が飛んできて、僕は眉を寄せた。あと4メートル。
「うるさいな、あっち行けよ」
「おい、君!なに言ってるんだ、今すぐ謝れ!」
「んだとごらぁっ!綺麗なお顔をハチの巣にしてやろうかぁ!」
銃口を僕の頬に向けてきた男は不細工な面を僕に近付けてくる。あと3メートル。表情一つ変えない僕に、ぷっつうんときたらしい男はずかずかずかと近付いてくる。
絶対的な優位に立ったうえで、対象になる人間を精神的に散々いたぶってから、苦悶の表情を浮かべて悲鳴を上げるのを見るのが好きらしい。だからこの男にとって、今の僕の対応は一番むかつく態度だろう。
淡々と僕は男の足元を見つめていた。とうとう沸点の低い男の堪忍袋の緒がきれたらしい。まっすぐに僕の顔面目掛けて銃口を突き付けてきた男は、躊躇なく引き金を引いた。この瞬間を待っていたんだ。
僕は初めて表情を崩す。弧を描いてほほえんだ。スタンドを呼んだ僕は、黄金色の拳が自動式散弾銃を貫いたのを見た。
一瞬の出来事である。自動式散弾銃は引き金を引かれた状態で別の物体に変換されて、姿を変える。仗助に言わせればタチの悪いマジックを見せられたようなものだろう。さっきまで男の手に握られていた自動式散弾銃が質量保存の法則を無視してジャガイモに代わってしまったのである。
ごろごろと転がったそれ。僕はすばやくそれを拾い上げた。僕のスタンドは生命を生み出す能力がある。果物や野菜といった食用になる部分を単体で作り出すことはまだできないし、反射能力が問答無用で付随してしまう性質上代用品にすることはできない。
でも、間の抜けたマジックを披露するにはこれで十分だ。ジャガイモは単体で発芽するから作れる数少ない野菜の一つ。
「てんめえ、オレの猟銃になにしやがったぁああ!蔦を扱うだけじゃあねえのかよぉ、聞いてねえぜっ、くそがあ!」
「なんですって?今、なんて言いました?」
「蔦を生み出す能力じゃあねえのかよ、くそがっ!めんどくせえ、スタンド使いやがって!気に入らねええええっ!」
武器を失ったことを好機と見て、飛びかかろうとしていた作業員たちを振り払いながら、男は発狂した。ショルダーバックから鈍色にきらめいたのはナイフだった。ぶんぶん振り回す男から距離を取るために後退した僕の頭は混乱していた。
どういうことだ。僕がスタンドを使えることをスタンド使いじゃないこの男がどうして知っている。しかも蔦を作り出すという能力の一端まで割れているなんておかしい。僕が人に対してスタンドを使ったのは数えるほどしかないのだ。
僕はこの男のことを知らない。それに蔦しか使わなかったのは、たった一人しかない。僕の養父しかいない。こいつ、まさか片桐安十郎なのか?半年の間に整形したのか?いや、でも、ここには偵察用に放ったモズは帰ってきていない。それに僕が感知できる生命反応はまだ遠くで健在だ。
片桐を追いかけていったモズはココではないどこかで片桐を見つけて寄生木で羽を休めている。方角的にもまだまだ遠いはず。つまりここにいる男は片桐の協力者に違いない。僕は大きなナイフをぶん回して近づけない人たちから距離を取る。
「きゃあああああ!」
女性の悲鳴が響き渡った。パートの女性を羽交い絞めにして男は首元にナイフを突きつけている。うごくなああ!と叫ぶ男にみんな一瞬動きが止まってしまった。僕はテントウムシのブローチに手をかけた。
しかし、それに目ざとく気付いた男が特にそこのてめえもだ!と叫んだ。女性にナイフが強く押し当てられ、つうう、と赤いものが首元を伝う。他の客にこれ以上男を逆上させないでくれと腕を掴まれてしまう。放してくれと囁いても懇願されて首を振られる。僕は舌打ちした。ダメだ、完全に僕の能力の発動方法がばれている。
「動くな、動くんじゃあねえぞ、この女の首をかき切ってほしくなかったらなあ!」
じりじりと近寄ってきていた人間。気付けば男の周りには客が集結していた。ようやく大人しくなった僕に、ほっとしたのか堪えてくれよとサラリーマンが腕を放した。僕はジャガイモを握り締める。黄金色のスタンドが再びジャガイモを殴り付けようと振りかぶった。
やめとけ、と声がする。スタンドでしかスタンドは触れられない。僕の右手をひねる感覚が襲った。僕は舌打ちした。ちょっと遅かったようだ。残念だ。ジト目で振り返ると、あっぶねえなあ、と冷や汗たらしてひきつっている仗助がいる。
ああよかった、間に合った、と仗助は胸を撫で下ろした。油断も隙もねえな、おめえは、と小突かれる。ジャガイモは自動式散弾銃が引き金を引かれた状態で変換されたものである。僕が能力を解除しながら投げつければ、指紋ひとつ残らない以上、きっとはたから見れば自殺だ。
実の父親の写真をごみクズにされたんだ、おめーの気持ちはわかる。わかるけどな、と仗助は落ち着けと囁いてくる。
「ありゃ、ヤバい目をしてるぜ。逆上したらぜってぇやる目だ」
「気を付けてください、仗助。あの男はただものじゃあない」
「ああ、わかってるぜぇ、グレートじゃあねえか。オレたちのスタンドが見えてねえくせに、スタンドのこと知ってやがる。でもなあ、限度ってもんがあるんだぜ。おめーがそのつもりならオレが止めてやるよ」
僕は観念してスタンドを引っ込めた。
「なあにさっきからこそこそ、ひそひそしゃべってんだよ、くそガキどもがあっ!そこのへんな頭してるガキぃっ!そこの生意気なくそガキつれて、前に出てこいや!そんでもってぇ、お互いに耳を切り落とせ!そしたらこの女は解放してやるよぉ!」
「あ?」
仗助の堀の深い顔に影が落ちる。思わぬ返答に男はぎょっとして、なんだ、てめーはぁ!と叫んだ。
「今てめぇ、なんつった?」
仗助が進み出る。
「ちくしょおおお!あったまきたぜえ!今からこの女にナイフをぶち込むことに決めたぜえええ!死ねええええ!」
気付けば僕の手に握られていたジャガイモがない。あ、ちょ、仗助!と僕が言うのは遅かった。
「あたまに来たのはオレの方だぜ、ドラァッ!」
仗助によって分投げられたジャガイモが男の顔にクリーンヒットする。男がふらついた隙をついて、女性はあわててみんなのところに飛び込んだ。スタンドの力によって元の自動式散弾銃に戻ったまま、宙を舞う。銃口は上を向いている。
ずがががががが、と天井めがけて放たれた閃光。ぱりん、ぱりん、と電気が壊れ、ガラスが割れる音がした。サイレンの音がする。どうやら警報装置やスプリンクラーが発動したようだ。天井裏を走るスプリンクラーの配管が壊れて、一気に水があふれ出した。
火災と勘違いした店内に、一斉に水が散布される。みんなの悲鳴が響き渡った。いつもは手加減している仗助のスタンドは、マジ切れすると相手が死のうが関係ないとばかりに全力で猛威を振るうのだ。普通に考えてぶん殴られた人間はまともでいられるわけがない。
もっとも回復するから、よほどのことがない限り死なないだろう。どっちが落ち着けだよ、と僕は小さくつぶやいた。
「うあああああああっ!銃が、銃がぁっ、オレの手に生えてやがるぅぅぅ!」
真っ暗闇の中で男の声が響き渡る。
「あ、あ、アーミーナイフが腹の中にあるぅっ!?なんでだぁーっ!」
「外科医に取り出してもらえよ、刑務所ん中でな」
さすがに体の中にナイフと自動散弾銃を植え付けられたのは気持ちが悪かったのか、男の嗚咽が聞こえた。べちゃりと何かが吐き出される音がするが、真っ暗闇で何も見えない。悪魔の笑みを浮かべたスタンド使いは、多分僕の隣にいる。
ざあざあと土砂降りの雨のように降り注ぐスプリンクラーは、どうやら古いタイプのようですべての水が出るまで垂れ流しのようだ。ひたひたになり始めた学生靴がきしんで気持ち悪い。
「シャワー貸してもらえますかね」
「まずホテルにいけるかあ?このザマで。今は来てなくても、帰ったらぜってぇ爺ちゃんたちにばれちまう。承太郎さんには悪いけど、迎えに来てもらうか?」
「まあ、片桐の手下がいるってわかっただけでも手土産になるんじゃあないですか」
「そうだなぁ、半年も捕まらねぇってことは協力者がいるってことだ」
どうやら完全に戦意を喪失したらしい男は、大人たちに羽交い絞めにされた。女性が回収した携帯電話の灯をたよりに、手探りでカウンターの向こうにあるシャッターのスイッチを押してくれた。ゆっくりと真っ暗な壁から光が差し込む。
ふぁんふぁんふぁん、と真っ赤なライトがまぶしい。外はすっかり夜になっていた。どうやら警察のパトカーや救急車がたくさん商店街沿いに止まって、僕たちの安否を心配してくれていたようだ。これじゃあますますこっそり逃げることもできないだろう。
あーあ、と僕たちは肩をすくめた。いつのまにか踝まで水浸しになっている。きっと商品は全部破棄だ。すっかりびしょぬれになった前髪はせっかくセットした巻き毛がほどけている。乱暴に掻き上げた僕は、だらりと残念なことになっているリーゼントを見た。
ひっでぇな、と仗助が笑う。お互い様でしょう、と僕は苦笑いした。振り返れば気絶してしまったらしい男がだらりと体を投げ出している。おい、と呼びかけても返事がない。諦めた作業員が背負って外に出た。さっき吐き出されたものはずいぶんと大きなものな気がしたのに、真っ赤なライトに照らされる店内にはなにもない。
吐いた音ではなかった。大きな塊、血反吐のような塊を吐き出す時に似た音がしたのに。きょろきょろとあたりを見渡す僕をよそ目に、仗助が駆けだした。あわてて僕も追う。仗助の足取りは、店内のスプリンクラーの欠損を見上げていた。
「どうしたんです、仗助」
「やられた」
「え?」
「やられたぜ、ジョルノ。×××が言ってた変なお兄ちゃんに逃げられた。承太郎さんの写真にあったアンジェロのスタンドだ、滴る水を伝ってあんなところから逃げやがった。どうやら水と同化できるスタンドのようだぜ」
「………だから僕たちの情報を集めていたってわけですか」
「ああ、そういうことだ」
「どうします?」
「まじでどうするよ」
最悪だ。学校も住所もばれてしまった。片桐が襲い掛かってくるのは時間の問題だ。これからのことに頭をぐるぐる巡らせていると、ばしゃばしゃという音が聞こえてきて、僕たちは振り返った。警察の人たちだった。パトカーの中でタオルを借りて、事情聴取をされた僕たちは、詳しくは後日ということで1時間ほどで解放してもらえた。そして、30分後。
「約束の時間になっても姿を現さないと思ったら、こんなところで油を売っているとはな。テレビで見て驚いたぜ。一体何があったのか、聞かせてもらおうか、仗助」
僕たちの保護者の代理として現れた彼によって、僕たちは社王グランドホテルに向かうことになる。
東北の美術館ホテルと名高い社王グランドホテルは、欧州から収集された白色と金色を基調とした、美術品や調度品が落ち着きと気品に満ちた空間を演出している国際ホテルである。
よく言えばモーツァルトを建築したような空間。悪く言えばナチュラルメークとは程遠い厚化粧で、装飾が無駄に施された空間。ホテルマンにお帰りなさいませと会釈された仗助は、間の抜けた返事をしたあと軽く会釈する。そして、とても居心地悪そうにきょろきょろとあたりを見渡して、カウンターで手続きをしに足早に向かう白学ランを慌てて追いかけた。
洗練された心地よい空間を演出しているのはわかる。でも、僕は違和感と不自然さしか感じない。仗助とは別の意味で落ち着かなかった。施設で定期的に行われていた宗教的なイベントは、いつだってロココ建築の教会が舞台だったからなおさら。刷り込み的な感覚で宗教とロココ建築は複雑に絡み合っているんだろう。
天井にはまぶしい3重構造のシャンデリア、大理石の床を進むとガラス細工の台には白と黒の彫刻が並べられている。春の花がふんだんにあしらわれた高級なツボを抱く女神像を中心に、真っ白な社長椅子が半円に並べられている。
中央には昇りと下りのエスカレータがあり、金色の手すりがぐるりと取り囲んだ吹き抜けの二階に続いていた。そして、その真正面には金縁の世界地図に白い大陸が彫刻されていて、デジタル時計が現地の時間を表示しているフロントデスクがあった。
仗助の渾身の一撃を叩き込まれた名残で、奇妙なデザインにされてしまった帽子と一体化した黒髪が見える。一人じゃ落ち着かねぇから早くこいよ、と手招きする仗助に僕は肩をすくめてそちらにむかった。
数分後、ありがとうございます、と受付嬢がお辞儀をすると手続きが終わったらしい彼は、ちゃりと鍵をポケットに仕舞い込むとぶっきらぼうに言った。
「325号室だ、いくぞ」
寡黙な男だ。うーす、と舎弟のような返事をして仗助は上京してきた田舎者のように忙しなく視線を泳がせている。はい、と静かに頷いた僕を確認してから、帽子を目深にかぶり直して、白い学ランがエスカレータに向かった。
見上げるほどの身長差にも関わらず恐怖心を感じないのは、この人が持っている風格と知性を宿らせた日本人離れした目と物静かな態度が中和しているからだ。190以上はありそうな男だ。ディオ・ブランドーは、生きていたらこれくらいの身長差があったのだろうか、とぼんやり僕は考えた。エスカレータと階段をいく。
先陣をきる左手の薬指に鈍色に光る指輪を見つけた。僕は、28歳だという海洋冒険家志望で、すでに大型海洋生物の生態調査で実績があるこの男が1年留年している理由を悟る。結婚しているのに大学院生とは変わった経歴の持ち主のようだ。下世話な詮索はしないことにした。
「そういえばよぉ、コンビニ強盗がバラバラにしやがったおめーのオヤジさんの写真って返ってくんのか?」
「さあ、どうでしょうね。現場検証をしてる人たちがピンセットでかき集めてましたから、物的証拠ってことで警察にいくんじゃあないですか」
「っつーことは、やっぱ返ってこねえってことかぁ。ごめんな、ジョルノ。こんなことならかき集めとくんだったぜ。そしたら直してやれたのによォ」
「気にしないでください。だいたい踝まで浸水した店内でどうやって集めるって言うんです。他の人の写真も一緒くたになって、あちこちに流されてたんだ。君のスタンドじゃあ、欠けたところは埋められないはずだ。間抜けなモンタージュになるからいらないよ」
「でもよぉ、財布に仕舞ってたってことは大事なもんなんだろー?」
「まあ、僕が持ってるのはあの一枚きりでしたからね」
「まじかよ!?くっそ、アンジェロのやつ!なんつーことしやがんだ、あのゲス野郎。今度はぜってえ逃がさねえ」
いきり立つ仗助に僕は苦笑いを浮かべた。気付けばずいぶんと離されている。空条さんが待っているフロアに駆け足で向かった僕たちは、325号室に到着した。ビジネスホテルを1.5倍ほど広くした室内は、ずいぶんとゆったりとした印象の部屋である。
創業60年だからか全体的に古めかしい印象を与えるが、オーナーのアンティークの趣味がいいのかあまり気にならない。空条さんはルームサービスを頼んでいるのか、電話をしている。足の低いガラス張りのテーブルが置かれた真っ白なソファにどかりと座った仗助は、はぁ、と大げさにため息をついた。
僕も向かいのソファに座って、学生鞄を置いた。空条さんがやってくる。ソファに座った彼は、やれやれだぜ、とぼやいた。僕らを見つめる目はこれ以上なく冷ややかだ。僕と仗助は顔を見合わせて、乾いた笑みを浮かべるしかない。
「とりあえず、君たちの知ってることを話してもらおう。もちろん全部だ。いいな。おれの考えている以上に、ことは深刻で悪化してることがよく分かったぜ」
観念した僕らは、半年にも及ぶアンジェロの追跡を説明することになる。頭が痛いとばかりに眉を寄せた空条さんは、まずはスタンドというものについて教えてくれた。俺が説明する側になるとはな、と感慨深げなのはなぜだろう。
一言でいうと、スタンドは超能力が具体化したヴィジョンであると空条さんはいう。持ち主の傍に出現し、様々な超常現象を巻き起こすものであり、他人を攻撃したり本体を守ったりする守護霊のような存在を指す。
スタンドを使いこなすことができる人間のみスタンド使いという。スタンドは一人につき一体であり、複数種類のスタンドを同時に持つことはできない。スタンドを見ることができるのはスタンド使いだけである。スタンドに触れるのはスタンドだけである。
スタンドは本体の意志によって働く、スタンドが傷つけば本体も傷つく。本体から離れて行動できる距離には限界がある。スタンドは特殊な能力を一つもつ。そして、スタンドは成長する。感覚的に分かっていたこととはいえ、こうして具体的に言葉で説明されると可視化される。
とてもわかりやすい説明だ。ちなみにスタンドという言葉は、ある男がスタンドバイミーという言葉からとり、それが組織内で広がりを見せ、空条さんたちも使うようになったとのこと。
「スタンドに目覚めるには、いくつか条件がある。1つめに俺や仗助、×××という少女のように、親族に強いエネルギーを持ったスタンド使いがいて、その影響を受けること。2つめは、生まれつきのスタンド使いであること。これは俺の友人にいたから確かだ。3つめは、ある分野で長年にわたって修行を続けた結果、昇華された技術がスタンドという形で発現したケースだ。ジョルノ、君はどれだ」
突然投げかけられた質問に、僕は思案を巡らせる。
「2と3じゃぁないことは確かですね。1987年の11月下旬から2月上旬にかけて、僕は正体不明の高熱にうなされて、死にかけた。そのあと僕はスタンド使いになったんだ。養父も母親も僕のスタンドが見えてなかったから、きっと父親がスタンド使いだったんでしょう、きっと。残念ながら一度も会ったことはないです。もう死んだとしか聞いてない」
「………本当なのか?」
言葉を失っている空条さんの瞳が困惑と動揺で揺れている。不自然な沈黙ののちの問いかけに、ええ、そうです、と僕は頷いた。いよいよもって絶句する空条さんに、そうっすよね?と仗助が便乗する。
仗助と僕のスタンドが発現する時期が一致しているのは、空条さんにも想定外の奇妙な事実のようだ。唯一の証拠である写真はアンジェロによって失われてしまった。空条さんに見せることができないのが残念だ。
「たしか、××××病院に入院してたと思うので、僕のお世話になってる児童養護施設に連絡してみてください。記録が残っていると思いますから」
「………あらためて聞くが、本当に時期は間違いないんだな?1986年じゃあないんだな?」
「なんで1986年なんです?さすがに1歳で50日間も生死を彷徨ったら、間違いなく死んでますよ。いくら生年月日が戸籍上とはいえ、僕の見た目を病院が間違えることはないと思います。母親が奇妙な病にかかったせいで、僕も感染してるんじゃないかって、あらゆる手段を使って調べつくされたんだ。大学の先生がこぞって参加してたみたいなので、さすがに間違えることはないと思いますよ?」
「そうか、なるほど。命拾いしたな、ジョルノ」
「ええ、ほんとうに」
「病院に記録が残っているのなら、そっちを調べた方が早いかもしれないな。そしたら、君がスタンドに目覚めた理由がわかるかもしれない」
「ほんとうですか?」
「ああ、俺が保障しよう」
妙に確信に満ちた頷きだった。わかったのは、空条さんが僕を見る目つきが明らかに変わったことくらいだ。大きな方向転換である。仗助が連れてきたただのスタンド使いの少年から、劇的なまでに変化を遂げた先にあるものまでは、僕はまだ見出すことは出来なかった。
空条さんはいろんな感情をはらんだ瞳をしている。案外落ち着いたのは最近で、仗助みたいに激情家なのだろうか。案外、高校時代はやんちゃをしていたという三流記事の噂は本当かもしれない。胸倉をつかまれるくらいの凄みを感じながら、僕は淡々と質問を続けた。
「もしかして、僕の父親を知ってるんですか?」
僕の問いかけに、空条さんは否定も肯定もしなかった。ただ、唇を噛むだけだ。今の時点ではなにもいえない。調査結果を待たないと空条さんの独断では動けない事案が絡んでくると言葉少なに語るだけだった。
それが高校時代と現在の立場の違いなのか、家族を持ったが故の選択したあり方なのかはわからない。とりあえず、めんどくさいことになりそうだ、とだけ直感した僕は、会わなけりゃよかったと後悔する。
そして、わかりました、とだけいって、僕は笑った。空条承太郎さん、とりあえず、僕はあんたが嫌いだ。もちろん口にはしない。言及を避けた僕に安堵した空条さんがいる。
空気の読めないルームサービスがやって来る。重苦しい空気に耐えかねて、仗助はそっちに向かった。コーヒーが3つ並ぶ。それぞれ思い思いにミルクと砂糖を入れた僕たちは、一息ついた。
「ところで、ジョウサダってご存知です?」
ぶふ、と空条さんがコーヒーを吹いた。仗助が大丈夫っすか!?とぎょっとする。そして、あわてて布巾でガラスを拭いた。何気なく振った話題のつもりだったので、真顔のまま僕は固まった。気管に入ってしまったらしい。
げほげほと豪快に咳き込んだ彼は、コーヒーをおいてしばらくソファに沈んだ。乱暴に目頭をぬぐった空条さんは、いきなり何だとこっちを見る。張りつめていた緊張感はすっかりどこかに飛んで行ってしまったようだ。
「なんで中学生がジョウサダを知ってんだ」
「僕がお世話になってる刑事さんがジョウサダのファンなんですよ。空条っていうから、もしかして親戚なのかなと思いまして」
「ああ、空条貞夫は俺のオヤジだ。今頃チベット辺りを旅行してるだろう」
「サインとかってお願いできます?」
「知るか」
「それは残念。そうだ、空条承太郎さんですよね?ジョジョって呼んでも」
「断る」
まだ全部言ってないのに即答で断られてしまった。呼ぶなと顔に書いてある。呼んだら殺すと書いてある。物騒な男だ。ジョウサダはいいのにジョジョはだめなのか。よくわからない基準だ。
大げさに肩をすくめる僕に、肩を震わせている仗助は、おまえ、おまえ、と声が震えている。くひひひひ、と無理やり笑いを抑えている仗助は腹筋が崩壊して死にそうになっている。ぎろりと僕たちを睨んだ空条さんは、舌打ちをした。
どうやらジョウサダ世代の真っただ中で育った保護者の子供たちに囲まれて育った彼は、問答無用でジョジョというあだ名を付けられる運命にあったようである。苦い思い出でもあるのか、拒否反応が顕著だ。それとも一回り年下の僕にニックネームで呼ばれるのが嫌なのだろうか。反応を見る限りそうなのだろう。きっと体育会系のノリの人間に違いない。
「ならオレもジョジョじゃねーか?」
「なんでです?ジョウジョでしょう?」
「ジョジョとも読めるだろ?」
「なるほど。空条さんには断られたし、仗助のことジョジョって呼んでもいいですか?」
「でもよー、俺の父さんでもあるジョセフ・ジョースターさんもジョジョなんだよな」
「そういえばそうですね。なんです、君たちの家系はそういう縛りでもあるんですか?」
「お前ら、いい加減にしろ」
ジョジョから離れろ、ややこしい。ジョジョって単語が出るたびに反応している空条さんが静かに怒鳴りつけたので、僕たちは茶番を辞めることにする。すっかり冷めてしまったコーヒーを飲みほした僕は、すくなくても仗助の名前はジョセフさんにあやかってるんだろうなとは思った。もちろん、空条さんの娘の名前は今の時点では知る訳がない。
「そういやぁ、承太郎さんのスタンドって、スター・プラチナっつーんですよね?かっこよくねえか?ジョルノ」
「スタンドに名前ですか、考えたこと無かったですね」
「だろぉ?星の白金ってグレートっすよ。どういう理由で付けたんすか?」
「俺にスタンドの存在を教えてくれた占い師が付けてくれた名前だ。タロットカードで引き当てたカードが星だった」
「へえ、そうなんすか。じゃあ承太郎さんの知り合いにはもう使われてそうっすね。タロットカードはダメかぁ」
「養父は僕も知ってる洋楽の名前を付けてましたね。あの人は朝でも夜でもプログレばかり聞いてましたから由来はわかります」
「洋楽かぁ、そっちもありだな」
「空条さんも好きなんですか?洋楽。プリンスのアクセサリ付けてますけど」
「え、あ、マジっすか?おー、プリンス好きなんてうれしいっす!つーかジョルノも好きなのか?」
「僕が好きなのはジェフ・ベックです。あの人がプリンスが素晴らしいって言ってたから、アルバム聞いたことがあるだけですよ」
久保田利信だなんて知る訳がない。の信の字が違います、利伸です
ぐだぐだになってしまった流れの中で、スタンドの名前を空条さんがつけるという約束になってしまったのは、今思えば凄まじい無茶ぶりだった気がしてならないのである。