その色黒な少年は、TG大学病院に来ていた。高そうなブランドものの帽子を目深にかぶり、顔の3分の2が隠れてしまいそうな大きさのサングラスをかけているだけで特に手荷物はない。大学病院の混雑する総合案内を前にしても、手ぶらである。
普通なら、誰かのお見舞いか自分の診察か、なにかと物入りになるのだ。手ぶらはおかしい。特に連れがいるようにも見えないし、待ち合わせをしているとは思えない。事務員は明らかに困惑していたし、不思議がっていた。
「なにかお困りでしょうか?」
「この病院には初めてくるんだ」
「はい、お見舞いでしょうか?診察?」
「診察......観察だからな......違うな......見舞いかな」
「はあ......お見舞いですね?」
「ああ、そうだな」
「どなたかお伺いしてもよろしいですか?」
「双葉照彦」
「双葉照彦さん......あっ、申し訳ありません。双葉照彦さんは、娘の双葉千帆さん以外には誰にもお会いにならないそうです。傷が痛むとかでまだ本調子じゃあないそうなんですよ」
「双葉照彦は、だろ?」
「はい、ですから......本人のご希望で......」
「一礁一から話が行ってないか?一礁一からここの医院長を通じて、ボクが来るって聞いてないのか?」
一礁一と医院長、その言葉に事務員の態度は露骨に豹変する。
「も、申し訳ございません!少々お待ちくださいッ!」
ぺこぺこ頭を下げた事務員は奥の部屋に引っ込んでいくと思ったら、顔だけ出して聞いてきた。
「あのう......大変失礼をいたしました......。お名前をお伺いしてもよろしいですか?」
「ああ、いいぜ。宮本輝之輔だ。本当は一番最初に聞くべきだったな」
「宮本様ですね!しょ、少々お待ちください、本当に申し訳ございません!」
宮本輝之輔と名乗った少年は、ジャケットの裏ポケットから、折りたたまれた紙切れを一枚取り出す。それを開くと、どこからともなくミネラルウォーターが出現した。まるで手品である。もう一人の事務員が、まあ、という顔をした。手品師とでも思ったのか、驚いた顔をした。あまりにも近距離である。キョロキョロとあたりを見渡すのはドッキリを疑っているのか、顔が硬直していた。
宮本にはタネも仕掛けもある。ジャケットからズボンのポケットから、帽子の中から、あらゆる体の部分に「紙切れ」をたくさん隠し持っているのだ。
「!」
「ところで、あんた、何を想像した?お茶の間がお間抜けな顔をしているあんたを笑いものにするとでも思ってビクビクしてないか?やたら緊張しいになって、あたりをキョロキョロするだろう?しかも、口を半開きで。何度も唾を飲み込むのが癖だな......」
「そ、それが......それがどうかなさいましたか......?」
「いや、なにも。ボクに言えるのは種も仕掛けもないし、隠し撮りしてるテレビクルーもいないってことだ」
次はペットボトルがなくなった。宮本はいつの間にか出した紙切れをポケットにしまった。その時、一瞬サングラスの奥の目が笑った。事務員が宮本を呆然とした様子で見ていると、奥からいかにも偉そうな看護師のおばさんが出てきた。
「お待ちしておりました、宮本様!どうぞこちらをおつけになってください!」
手渡されたのは特別許可証だ。
「この青いテープの矢印をひたすら行っていただきますと、スタッフ専用のエレベーターがございますのでご利用ください。双葉照彦さんは3階の321号室におられます」
事務員たちがヒソヒソしているが宮本は気にしなかった。深深と頭を下げる総合案内に見送られてエレベーターに向かう。
「ははは......やはり人間は面白い......。無くて七癖有って四十八癖というくらいだ......欠点のない人間はいない......。癖が無いように見えても、何かしらの癖はあるものだ......。癖があるといわれる人なら......尚更多くの癖がある......誰でも無意識に合図を送っている......」
宮本の趣味は人間観察だった。病院はいろんな人間がいるから好きな場所だったが、こうやってVIP待遇をうけると尚更いい気分になる。ここのところ普通の相手じゃ、もう飽きてきてしまっていたから、スタンド使いの人間観察が出来るのは渡りに船だった。
「待っていろ......双葉照彦......お前の無意識のサインを観察してやる......くくく......」
エレベーターが閉まって、上昇を始めた。
宮本はスキャンダルやゴシップが大好きな新聞部の人間ではないし、噂が大好きな近所のスピーカーおばさんでもない。心理学者だとか、医者でもない、ただの性格破たん者だった。わざわざ双葉照彦の人間観察のために病気でもなければお見舞いでもないのにTG大学病院にやってきたのである。
宮本曰く、この町の人間は日本人としてごくごく平均的な表情をする。関西人ほど豊かな方ではないが、無愛想でもない。この種の人間が大好きな「ほどほど」というやつだ。そこから宮本が大好きな恐怖という表情を引き出すにはどうしたらいいのか、手っ取り早い方法は脅すことである。
宮本が将来を心理学者か人類学者に定めて勉強するような性質だったなら、きっとその道で成功しただろう。逆にカウンセラーは向いていない。患者を悪化させてしまう。
残念ながら卓越した観察眼をもっている宮本はどちらも選ばず、手っ取り早い方法を躊躇なく実行するタイプの人間だった。人間を観察するということは、好奇心に駆り立てられることでもある。初めから倫理観などといったブレーキがぶっ壊れていた宮本の観察は、針で止めた昆虫の標本をつくる愛好家のように無慈悲で無機質でそれでいて容赦がなかった。
吉良吉影が味方になると確信したのも、スタンドの矢が向かったときかち合った瞬間だったのだ。
「目の奥が笑っていない」
それだけだった。宮本は吉良吉影のスタンドの矢に射抜かれ、スタンド使いになった時、二つ返事で味方になることを了承した。なぜなら宮本は人が恐怖する姿を観察するのが大好きというサイコパスじみた異常な趣味を持っていたからだ。協力することにしたのも、その邪な趣味を町で好き放題謳歌するのに、空条承太郎を始めとした正義の側に立つスタンド使いたちが邪魔だったからだ。
対象を恐怖させるためには、宮本は手段を選ばない。その時が一番人生において充実していると信じて疑わない。人質に罠をしかける・不法侵入・相手の食べかけの菓子を食う・相手の下着を盗み見せるなど。軽犯罪で恐怖を煽りたてられるなら、と常習犯だった、ド変態のサイコパスがスタンドに目覚めてしまった結果。
発現したスタンドの名前はエニグマ。対象を紙にして封印する能力を持っている。 封印のイメージとして、エッシャーの「昼と夜」や「空と水」といった作品のようなものが使われている)。物質なら無条件で封印できるが、生物を封印したい場合、その生物特有の恐怖のサイン、恐怖した時に思わずしてしまう行動、を見抜かなければ封印できない。そのため彼は様々な手段を講じて敵対者を「恐怖」させようとする。
スタンド自体の力は弱く、単純な殴り合いの戦闘力も低いので人を殺すことさえも不可能らしい。 だが一度能力が発動してしまえばもうどんな攻撃や妨害も通用しなくなり、封印から逃れることはできない。
何かを封印した紙は折りたたまれており、開くことで封印された中身を取り出せる。 封印は本体しか出来ないが、取り出しに関しては本体でなくても可能。 紙の中では時間の感覚がないため、ラーメンも温かいまま麺が伸びることなく封印でき、 タクシーのような大きな物、炎や電気といったものも封印できる。
また、何かを封印した紙を破くなどして破壊してしまえば、その中身がなんであれ破壊することができる。
悪用するより日常生活で扱う方がよほど活用できるスタンドなのだが、善人だったらこんなスタンドは発現するわけがないのだ。
そして。
宮本はニヤリと笑った。3階についたのだ。吉良吉影と名乗った男から理想的な反応をみせてくれるであろう人間を紹介してもらったのだ。だから宮本はここにいる。
「ここに双葉照彦の入院している部屋があるわけか......」
宮本は戦力外通知と口封じの役割が与えられていた。その男は吉良吉影に協力したのに、空条承太郎たちにスタンドを攻略されてしまったせいでもう役に立たないという。鼻で笑いたくなるようなお間抜けな話だ。
「ボクが悪いんじゃあない。無能なスタンドにしか目覚めなかった弱い自分を嘆いてくれよな、双葉照彦」
独り言のように呟いて、双葉照彦しかいないはずの病棟を歩く。ここではなにがあってもなにもなかったことになるのだ。念願の初戦はあまりにもお膳立てされた最高の環境だ。さっそく宮本は聞いた番号の部屋に行こうとしたのだが。
「......見つからない」
ためしに上から順番に探してみたが、やはり双葉照彦が入院しているはずの部屋にたどり着くことが出来ない。
「なるほど......普通の人しかはいれないのか。スタンド使いは入れないように設定しているんだ。だから吉良吉影はボクに頼んだんだな、ボクなら突破できるから」
宮本は談話室を我が物顔で占領して、テレビをつける。音量を上げたところで咎める人間は誰もいないのだ。特別許可証の威力たるや、である。そして宮本は時計を見た。双葉千帆という身の回りの世話をしているという一人娘が来るのを待つことにしたのだ。
双葉千帆は学校が終わると彼氏を1階に待たせて父親の世話をしにやってくる。その日の洗濯物を回収し、新しい服や下着を持ってきてロッカーにいれ、雑談をしながら父親を元気づける。隣に座って乞われるがまま、学校のことや友達のこと、ハマっているドラマや本、雑誌なんかの取り留めもない話をしゃべる。そして、お見舞いに貰ったはいいものの消費しきれないケーキやら果物やらを持って帰るのだ。
宮本が聞いていた通り、時間通りに双葉千帆は現れた。エニグマの餌食にしてやりたいがターゲットたる双葉照彦の病室に入るのが先である。宮本はソファから立ち上がると双葉のところに近づいた。
「ええと......どちらさまですか?」
「ああ、よかった......ようやく来てくれた......ずっと待っていたんだ。ボクは宮本っていうんだが、うちの家のリフォームをあんたの父親にお世話になっているんだ。そしたら爆発事故に巻き込まれたっていうじゃあないか。もっと早くにお見舞いに行くべきだったんだけど、なかなか時間が取れなくて......やっと来たはいいんだが、その......実は......迷子になってしまって......」
高校生にもなって迷子になったからナースステーションにまた部屋の場所を聞くなんて恥ずかしすぎるから待っていたのだ。宮本の主張に双葉千帆はすっかり打ち解けてくれたようだった。初めから弱みを見せると人間は案外あっさりと親近感を覚える生き物なのだ。笑ってはまずいからと抑え目にしながら視線を外すのはツボに入るのを防ぐためだろう。
「わざわざありがとうございます。父も喜びます。よかったら一緒に行きましょう」
「ありがとう」
「ふふ。じゃあついて来てください、宮本さん」
双葉千帆の後ろを歩きながら宮本はニヤリと笑った。
「父さん、お客様が来てくれたわ」
入るなり双葉は父親に声をかける。
「ええと、君は?」
双葉が先に説明してくれた。
お人よしなので、おめおめと騙されてしまう善人のお手本のような少女だ。一見愚鈍に見えるほど人がいい。馬鹿がつくほどお人よしなので何をされても眼をつぶってしまうタイプ。こういう人間はときどき品の良いごみ箱みたいに扱われる。
いろんな人間がいろんなものをそこに投げ込んでいく。投げ込みやすいのだ。勧めた物をすべておとなしく買う単純な女だから、どうとでも言いのがれができる。傷つけることを恐れて、「いい人」になってしまう。すぐに人の立場を考えて気を使い、自分を犠牲にしてしまうタイプ。
目尻には、お人好しの象徴とも見える皺が刻まれている。いつも痛みに耐えるだけのお人よしであり、腹の中は毒のない善人。
エニグマで紙にするのが1番簡単な人間だ。
甘すぎるくらい人情におぼれやすい痴呆のような甘いお人好しの観念が服を着て会話している。宮本が腹立たしい印象をうけるには充分だった。信じる人間の無智に馬鹿馬鹿しさを感じないわけにいかなかったのだ。
こんな善良そうな男に、芝居もどきのコンタンはあり得ない。普通に生きていくには人が良すぎる。優しいけれどとりたてて才のない女。いわばチューインガムのような女といえる。噛めば噛むほどつきあえばつきあうほど味がなくなる。
「そうか、わざわざありがとう」
そんな少女の父親とは思えないほど、宮本と同じで目が笑っていない双葉照彦は写真で見るより別人のようにやつれていた。
不安。悲しみ。恐れ。そうした押し隠すことのできない幾つもの感情が混ぜこぜになって、べったりと顔に張りついていた。
数々の災難に向かっているうちに、人相がかわったのだろう、そこに映っているのは確かにだれか見も知ない人の顔だ。苦痛にしいたげられ、悪意にゆがめられ、煩悩のために支離滅裂になった亡者の顔でもある。
「これ、よかったら」
紙を差し出されて双葉親子はキョトンとした顔をする。なんの冗談だ?という顔をする。その紙を開くといきなりフルーツバスケットがでてきた。
いきなりのマジック披露に双葉千帆は目を輝かせるが、双葉照彦は目を見開いた。エニグマのヴィジョンが見えたからだろう。
「千帆、千帆離れるんだ!」
「えっ」
「はやくここから逃げなさい!」
「な、えっ、なに」
次の瞬間、双葉は中に浮き上がってしまった。
「きゃあああッ!」
「千帆!」
それは怪異としかいえない現象だった。双葉千帆は自分の体が原因不明の浮遊感に襲われたかと思うと、どんどん立体感が失われ、平面になっていくではないか。それはいいしれぬ恐怖を呼び起こす。
「助けっ......父さっ......いやあああっ!」
まだベットから起き上がることが出来ない双葉照彦は、必死で千帆千帆と愛する娘の名前を呼びながら手を伸ばす。千帆も必死で手を伸ばすが、どんどん平面になっていった体はとうとうぺらぺらの紙になってしまった。目の前で紙になってしまった娘を見て愕然としたまま照彦は宮本を見た。
「約束が......約束が違うじゃあないかッ!!千帆には手を出さないでくれと私は何度も何度も君にお願いしたじゃあないかッ!!」
「なんのことだい?」
「ふっ......ふざけるなっ!君が私に脅迫してきたんじゃあないかッ!君が千帆に手は出さないというから今まで私はッ!!」
宮本は笑いたくなった。
「なにがおかしいッ!」
「よっぽど追い詰められているんだな、双葉照彦。普通に考えて今まで1度も顔を見せたことがないやつが、わざわざ顔を見せるわけないじゃあないか」
「───────ッ!!」
宮本はニヤリと笑った。
「お前は......お前は一体なにものだ......私たちをどうする気だ......」
「さっき挨拶しただろ?宮本だよ。あんたを脅迫してきたやつの仲間だ」
「なんだと......」
「下手なこと考えるんじゃあないぞ。ボクのスタンドはたしかにチャチだ。パワーもなけりゃ、スピードもない、紙にするだけっていう能力にすぎない。でも」
紙になった双葉千帆を拾い上げて宮本は破り捨てるふりをした。
「やめろォ───────ッ!!」
「そう、御察しの通り紙を破ったり燃やしたり濡らしたりしたらそのかぎりじゃあないんだ」
「......はあ......はあ......なにがしたいんだ......」
「なにって?そうだな......あえていうなら、今のあんたの顔がずっと見ていたいっていったらどうする?その絶望感に苛まれた、どうしようもない現実にうちのめされているその顔をだ」
「君は......悪魔かなにかか......?」
宮本は笑いたくてたまらなくなった。
「人を殺したことがあるアンタと一緒にするんじゃあない」
その言葉に双葉照彦は息を呑むのだ。宮本を恐ろしい邪悪な心をもつ悪魔だと罵るには双葉照彦は罪を重ねすぎていた。ブーメランにしかならないと指摘されてようやく自覚するレベルだった。
心の一角に悪い衝動が、夏の雲のように立ち現れたかと思うと、みるみる心の空全体に広がっていく。それは宮本のようにふっと悪魔のような知恵が浮かび、物騒なことを考えるのとなにがちがうと言うのだろうか。すべてが自分の思い通りになるという不遜な考え方はどちらも同じはずである。心の中の濃密な闇は変わらない。
ふと心に芽生えた闇が徐々に大きくなって、その闇に導かれるままに不正を行う。心の中に悪魔を飼っていて自由奔放に生きている。背筋に、黒く冷たい水のような感情が広がる。いずれもスタンドというヴィジョンで覚醒したにすぎない。
後戻り出来ないほどの膨みが双葉照彦の胸にもひろがった。この膨みは、ドブ川の底の泥のように黒い色をして粘っていた。全身を巡る濁った気持ちが、血管からどろどろと滲み出てくる。どんどん部屋が広くなっているように感じる。思いついた悪智にうなずいて魔の笑いをもらした。
「なにがおかしいんだよ」
「いや、なんでもない」
「ちっ......さあ、妙なことは考えるんじゃあないぞ。イラついてうっかり破り捨てるかもしれないからな」
「ち、千帆に触るんじゃあないっ!」
「へへ、いくら強がったって無駄だ......あんたにはもう既に恐怖の印が浮かんでるんだからなあッ!」
エニグマが発動する。双葉照彦までもが紙になってしまったのだった。
「さて、帰るか」
誰もいなくなった病室を出ようとして、宮本は扉があかないことに気づく。
「......?」
鍵はない。嫌な予感がして窓を開けようとしたが、あかない。
「まさか......この野郎ッ!」
宮本は叫ぶが返事はない。
「メモリー・オブ・ジェットをボクにかけやがったなァッ!!!」
衝動的に破り捨てようとしたが、万が一死んでも発動するタイプだと取り返しがつかなくなることに気がついて宮本は手を止めた。
「クソがっ!!!」