ジョルノが4部に出るようです   作:アズマケイ

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交渉

陽のさしている明るい教室で熟睡すると、はっと目覚めたとき一瞬どこにいるのかわからない。さっきフェードアウトしていったのとまったく同じ音量で話し続ける教師の声に気づく。

 

一斉に動きだす空気がすでにそわそわしている。ペンケースに反射した光が天井に踊っていて、あと十分後のチャイムをみんなが心待ちにしている。

 

テストを一週間後に控え、すべての授業がテスト範囲を暗に伝えるまとめ期間となる。部活動や委員会が休みになり、最後の授業が終わったら先生は早く帰れと生徒に発破をかけるのだ。予鈴が鳴り響いた途端に、生徒達の廊下を歩く騒がしい音と声が、帆波の打たれた頬の火照りにひりつくようにひびいてくる。

 

「また派手にやられたな」

 

「ジョルノ君......」

 

「帰ろう、志帆」

 

「あ、」

 

僕がカバンを取り上げてしまうと帆波は諦めたように笑うのだ。ありがとう、と小さな声で呟きながら。

 

ラッシュ時の駅のホームのように学生がひしめく廊下を通り、昼ご飯の時間がすんですぐの並に浮かれている教室を横切り、誰かのお弁当の具だった酢豚の匂いと暖かい陽気がこもっている踊り場を抜ける。どの教室の中は、蜂の巣をつついたような騒音に満たされていた。話せるところを探しているのだが見当たらない。

 

開いた窓から飛び込んでくる子供たちの叫び声。サッカーボールが蹴られる音。野球のバットがソフトボールを打つ音。何かを訴える下級生の女の子の甲高い叫び声。リコーダーがたどたどしく『庭の千草』を合奏練習している。帰れと言われているのに素直に聞くのは小学生までである。よくあることだ。

 

理科室の水槽の磯臭いにおいを乗せた窓からの風に辟易としながら、僕は帆波と中庭に出た。

 

「またいじめられてやってるのか?」

 

帆波は凶暴な笑みを浮かべる。

 

「あの子ってば授業の合間の十分休憩が一番の苦痛で、喧騒の教室の中、肺の半分くらいしか空気を吸い込めない、肩から固まっていくような圧迫感にいるのが好きなのよ。自分の席に座ったまま、クラスの子たちがはしゃいで話をしている横で、まるで興味がないのに、次の授業の教科書を開いてみたりして。この世で一番長い十分間の休憩。自分の席から動けずに、無表情のままちょっとずつ死んでいく自分を、とてもリアルに想像できるっていうの。死ねもしないクセに」

 

「そんな環境に追いやってるのは、あんたの生前の噂と交代時にやってる報復だろ」

 

「あら、それこそ卵が先か鶏が先かって話になるわよ、ジョルノ君」

 

帆波夏帆は鼻で笑うのだ。

 

こちらからは校舎がコンクリートの直方体をいくつか繫げたような形で、その窓に学生服の生徒たちがうろついているのが見える。

 

鉄筋コンクリート三階建ての校舎と体育館、下駄箱とうさぎの飼育小屋がある、ありふれた中学校の中庭に中学二年生の男女が2人だけだった。

誰もが甘酸っぱい青い春を想像するだろうが、僕と帆波夏帆に関してはありえない関係性と断言出来る。

 

中庭というのはその位置関係上、さまざまな音の吹き溜まりだった。音楽室からは縦笛とオルガンの合奏、校庭からは駆け足とホイッスル、海からは微かな汽笛、あらゆる音が聞こえてくる。

 

ざわめきはまるで空間を埋めつくすように、学校中を満たしていた。生徒たちはまるでその 30 分に1日中の自由が詰め込まれているみたいに、一生懸命楽しんでいるように思えた。笑い声がはじけ、エネルギーが爆発していた。見上げるとはるかに青い夏空があった。光と影が街を渡ってゆくまぶしい放課後だ。

 

程遠い会話を僕は今まさにしようとしているのだ。

 

「そろそろだとは思っていたわ、お母さんがイライラしていたから」

 

平然と夏帆は僕の考えていることを看破する。20年間も14歳を続けているのだ、誰よりも中学生が考えうる知識や思考は溜まりに溜まって直感にも似た確信を導き出しているらしい。

 

それは算盤で弾き出すようにきちんと計画を立てるよりも簡単なのだろう。だから僕はその惰性と虚無から脱却させるためにも、血が逆流して肉が痙攣を起こすほど、大冒険小説の魅力を感じさせるような世迷言わ話さなければならない。

 

僕は膳は急げとばかりに支度に取りかかる。ぼろを出さないだけの周到な用意はするだけ無駄だ。観察眼は誰よりも秀でているだろうし。成功が危ういほどずさんな計画の方が返って成功する。

 

帆波家はどのあたりまでが周到で、どのあたりからがやり過ぎになるかを心得ている。ジェイ・ギャツビーの図書室と同じだ。本物の書物は揃える。しかしページを切ることまではしない。自分の周囲のあらゆる隅ずみに腐蝕菌のように食いこみ工作し、味方を拡大してきたのだ。可能性と選択肢を頭の中で整理することにかけては一流だと言っていい。

 

計画とも言えないような漠然としたやり方ではあるが、僕は話し始めた。時計の秒針を計っているように、計画的に時を図ってくると考えていたようで、夏帆は不思議そうな顔をしている。

 

「ずっと考えていたんだ。どうしてこの町でずっと身を隠すように暮らしてきたあんた達がいきなり吉良吉影に味方したのか。双葉照彦みたいに脅されてるわけでもなさそうだし、本体さえ守りきればあんた達は死なない。数で押せる。もしかしてあんた、吉良吉影が好きだったんじゃあないか?」

 

「......は?なんですって?わたしが?吉良君を?」

 

「やっぱりそうだ。あんた、本当は35歳だっていうじゃあないか。中学生の時なら33歳の吉良吉影の2歳先輩だ。面識があっでもおかしくはない」

 

「......まって、まって頂戴よ、いきなり何。なんだっていきなり工藤新一から家族がかかわらないときの毛利小五郎になるのよ、ジョルノ君。熱中症にでもかかったの?」

 

「バレたからって誤魔化さなくてもいいんだぞ」

 

「あのねえ、どういうつもりか知らないけれど、わたしが男という生き物が虫唾が走るほど嫌いになっている事実を無視するんじゃあないわよ。からかっているのね?わたしがどんな男性遍歴があるか調べ尽くしているクセに」

 

睨みつける夏帆に僕はホッとした。

 

「いきなり何よ」

 

「いや、よかったと思って」

 

「だから何が」

 

「帆波志帆を人質に取られているんじゃあないかと危惧していたんだ、僕は。もしそうなら君は心底吐き気がしたとしても好きだと嘘をつくはずだ。君じゃあ吉良吉影には勝てないからな」

 

「そうね、負けもしないけれど。死体を抹殺されちゃうから実体を保てなくなるだけで」

 

「でも帆波志帆を続けられなくなると困るから黙認している」

 

「そうね、否定しないわ」

 

あっけらかんと帆波夏帆はいい放つ。帆波志帆の連続した普通の人間としての生活を確保するために生まれたスタンドだけあって、帆波志帆にしか興味が無いとみえる。もちろん家族としての情もあることから、この交渉はタダでは終わらないだろうけれど。

 

「わたしから情報を引き出したいのなら、相応のものを持って来るべきよ」

 

「もちろん、持ってきたさ」

 

「ほんとうに?」

 

「それはあとで説明する。まずは僕からの要求を伝える」

 

「いいわよ。妥協点を見出すためにも戸口は拾いにこしたことはないものね」

 

僕は口火を切った。

 

僕達の目的はあくまでも吉良吉影の確保とスタンドの矢の回収もしくは破壊だ。帆波一家に手出しはしない。静の母親のこともあるし、杉本鈴美一家のこともあるし、この町に凶悪な殺人鬼を放置することは絶対に譲れない。スタンドの矢も吉良吉影がこちら側を妨害するために仲間を増やしつづけているから、そちらに預けるという選択肢は初めからない。

 

夏帆はふうんとだけ言った。

 

「今の時点でなにひとつ譲渡できることは無いわね」

 

そしてせせら笑った。

 

「帆波志帆はいつ目覚めるんだ?」

 

「そうねェ......この姿になったのが6月下旬だったから、あと2、3週間てとこかしら」

 

「つまり夏休みに入ってしまう」

 

「そう。あなたがもう転校してしまった後に目覚めるのよ、可哀想に」

 

「そのあったかもしれない最後の邂逅を握りつぶしたのはあんただ、帆波夏帆」

 

「そうね、その通りだわ。あの子ったらいくら言ってもやめないものだから。カセットテープなんて嫌がらせもしてみたのにムキになったのか、珍しく折れないものだから久しぶりにイライラしちゃったのよ」

 

「相変わらず身勝手な女の子だな、あんた」

 

「そうよ、それがなにか?」

 

帆波夏帆は笑うのだ。

 

「ああ、志帆にお願いするの?いい考えね、あの子なら吉良吉影なんて恐ろしいやつが家に出入りするのは耐えられないもの」

 

「いや、それはない」

 

「どうして?」

 

「志帆さんが起きている時、あんたは休眠期に入るんだろう?志帆さんは岩になれるし再生もできるが、不死じゃあない」

 

「それもそうね」

 

「男嫌いなあんたのことだ、とっくの昔に吉良吉影の排除にかかって失敗したんだろう?痛み分けってところか?」

 

「あのねェ......デリカシーがないって言われない?デート中にほかの男の話ばかりするなんてどうかしてるわ」

 

おかしそうに夏帆は笑うのだ。どうやら当たっているようだ。

 

「で?何がお望みなのかしら?お互いに譲るところはないから細かいところを調整して、話し合いはまとまったって声明を発表しなくちゃあいけないわ」

 

「そうだな、埒が明かない。僕達は近々吉良吉影が匿われてると思われる電波塔の山に登ろうと思ってる。監視カメラや電子柵が張り巡らされているから、このままじゃあ入れない。どちらか切ってくれないか」

 

瞬き数回、弾かれたように帆波夏帆は笑うのだ。

 

「ふふっ......ふふふふっ......いっそのこと清々しいまでの死刑宣告じゃないのよ。あなたね......それが、あなたに惚れてる女への頼み事だなんてひどいわね。目が覚めたらきっとあの子は泣くわ。わたしがまた死んじゃったってね。優しい子だから」

 

「わかってる。でも、あんたは僕の企みに乗るはずだ、帆波夏帆」

 

「あら。どうしてそう思うの?」

 

「僕があんた達の奇病を治すからだ」

 

「は?」

 

正気なのか、と帆波夏帆は聞いてくる。僕の発言の意味を捉えかねて戸惑っているようだ。本気で熱中症にでもかかったんじゃあないかと心配までし始めた。さっき柄にもなく冗談まで言うしとぱかりに。失礼な話である。

 

僕の頭はおかしくなってなんかいない。思考は新しい鉄釘のように硬く、冷徹でまっすぐだ。それは現実の芯に向けて正しい角度で的確に打ち込まれている。僕自身には何の問題もない。ちゃんと正気を保っている。

 

僕は事実を言っているのだ。実績はある。だからこそ言える未来もあるのだ。

 

「君は呪いと言ったが、隕石のウィルスに感染した奇病だとも言っていた。正真正銘の呪いなら僕にはどうにもならないが、君から聞く限り病だと僕は思った。だから治せる」

 

「根拠は?」

 

「僕のスタンドはこの9ヶ月で急成長している。理由は色々あるが特に治癒力が飛躍的に向上している。スタンドを溶かす毒から抗体を、四大毒蛇の血清を、即座に生成しているんだ。その病を完全に理解できれば抗体を作ることが出来る」

 

帆波夏帆は目を見開いた。考えたこともなかったらしい。

 

「提案なんだが、スピードワゴン財団に診察してもらったらどうだろう?そしてそのカルテを僕が見る」

 

「まるで医者の真似事ね」

 

「正確に把握しないととんでもないことになるのは身をもって知ったからな」

 

「ああ......スイセンとニラを間違えたっていうアレね」

 

「そう、アレだ」

 

「どうしてそこまでしてくれる訳?あなたにそこまでされる理由が見当たらないんだけど」

 

「気が変わったんだ。僕には腹違いの弟たちがアメリカにいるんだが、吉良吉影の行方を探すために一人来日した」

 

夏帆の眼光が鋭くなる。

 

「......姉の気持ちがほんの少しだけわかったってことかしら」

 

「そんなんじゃあない。僕が気に入らないと思ったからだ。あんた達は諦めた目をしている。運命は乗り越えられないって顔をしている。帆波志帆のために吉良吉影を排除しようとさえするあんたまでもがだ。神が運命を決めたってんなら神と等しく創られたはずの人間がなんだって乗り越えられないんだ?それは神への冒涜だ。神が乗り越えられないも同じじゃあないか」

 

「キリスト教系の児童養護施設で来月には暮らすことになる人間とは思えない発言ね」

 

「だから僕はゴールド・エクスペリエンスは発現したんだ」

 

「ふうん......そう。わたしが嘘をつくって考えはないわけね?」

 

「ないね」

 

「でもそれはジョルノ君にとってデメリットが大きすぎやしないかしら。それはスピードワゴン財団と関わっていくと宣言したようなものよね。外部の人間に診察結果を見せるような不手際をするとは思えないもの。これから不自由な生活が目に見えているというのに」

 

僕は心外だと睨め付けた。

 

「そんなこと些細な問題だ。僕は納得したいだけ......それだけだ。それ以上でもそれ以下でもない。時として納得は全てに優先する。少なくてもあんたは、でないと前に進めない。前にも後ろにも、どこにもだ。これからの道さえ探す事ができない。僕は解決する力がある。ならば使うべきだと思っただけだ」

 

帆波夏帆はじいっと僕を見つめる。たしかにいつもなら手の内のカードを全部さらすのは僕のやり方ではない。小さな数の札はちらりと見せてもいい。しかし大きな数のカードはしっかり伏せておく。そして何ごとにも保険というものが必要になる。それでもたまには大勝負に出ないといけないこともあるのだ。

 

「口だけじゃあ、ないでしょうね?」

 

帆波夏帆は僕の真意を探ろうとしている。当然だ、僕は帆波夏帆に父親や母親、1度はその存在を黙認した吉良吉影を裏切れと唆しているのだ。万が一のことがあれば帆波志帆は残り数週間を非常に無防備な形で過ごすことになる。もちろん帆波志帆という存在さえ一時的になくなるのだから、スタンドとして生み出された理由の全否定だ。

 

「わたしがいなくなったら、誰が志帆を守るのよ」

 

「守るさ、僕が」

 

「ほんとうに?」

 

「ああ」

 

「一学期しかいないくせに?」

 

「充分だ。その3週間さえ守り切れば社王町に平穏が訪れて帆波志帆は目覚めて、君は実体を取り戻し休眠期に入ることが出来る。治療のための診断が始まり、なんらかの影響を受けた君がまた30日後に目覚める」

 

「清々しいほどの仮定の嵐ね」

 

「出来るとわかっているなら願望じゃあない」

 

僕の言葉にふうんと夏帆はいう。

 

「2学期にはいなくなる癖にねえ」

 

「外の世界をしるいい機会だ」

 

「こいって?」

 

「そう」

 

帆波夏帆は窓を見る。いじめっ子のひとりがいたからだ。

 

いつも休み時間は帆波志帆をちらちら見ながらいじめの主犯と大声で笑っていた少女が、今では、机の上で、シャープペンシルを必死に弄くりまわして、教室の声が届かない場所へ行こうとしているのをみたことがある。部活の中心的存在が突然行方不明になったらこうもなる。

 

僕と帆波夏帆を見て、目を見開いて数歩後ずさり、去っていった。

 

「ここを選んだのはこのため?」

 

「だとしたら?」

 

「だったら他の子に目撃してもらわなきゃあいけないわ。あの子のわたしに対する嫌がらせは、とても静かなものだった。口をきいてもらえないだけで、それ以上の嫌がらせをされることはないんだもの」

 

「それでもここだけの話が翌日には誰もが知っている」

 

「ああ、それもそうね」

 

帆波夏帆は明日からの予行練習を話し始めた。朝は、なるべくぎりぎりに登校して、朝の会の直前に教室に入って席に座る。休み時間になると席を立ち、校舎の中を歩いて時間を潰す。授業の合間の十分休みは、新校舎を一周。

 

四十分ある昼休みは、新校舎と旧校舎を二周ずつ回って、トイレに三カ所立ち寄ると終わる。規則正しくそうして歩き回りながら、休み時間を過ごす。弁当の時間は、誰もいない、屋上へ続く封鎖されたガラス戸の前の階段の踊り場で、すばやく終える。

 

それでも時折吐き捨てられる「死ね」「きもい」という言葉だけが、しんしんと、教室や廊下から降ってくる。

 

その言葉は帆波夏帆には微塵も振りかからない。その無駄な言葉たちと、無視という沈黙。されるのはそれだけで、何かとからかわれて標的にされているわけではない。

 

そう、夏帆は日常を口にした。

 

「外の世界を知るんだ。枠から外れてみると、学校は随分と静かな世界だってわかる。あんなに賑やかだった休み時間の騒ぎ声も、テレビの砂嵐のような意味のない雑音に変わる。騒がしくてあわただしい教室の中で、時間だけが、やけにゆっくりと流れていくんだ」

 

「だからそんなにつまらなさそうな顔をしているってわけ?」

 

「もともと僕はこんな顔だ」

 

「あなたってわたしに適当に調子をあわせてつきあっているけど、基本的に話は合わないわよね。同じ極の磁石が反発し合っているような距離感を感じるわ」

 

「君とに関しては確かにそう思う」

 

「失礼ね」

「事実だろ」

 

僕らの間には薄い膜が張られている。笑顔や絡まる視線などでちょっとずつ張られていく膜だ。膜は薄くて透けているのにゴム製で、恐る恐る手を伸ばすと、やさしい弾力で押し返す。多分無意識のうちに。そしてそんなふうに押し返された後の方が、誰ともしゃべらなかった時よりも、より完璧に距離がでる。何か紙一重距へだてたような、妙な心の触れ合いだ。

 

「でも今の方が楽だわ、志帆って呼ばれてる時の対応よりは」

 

「君たちが帆波志帆の連続性を望んでるんだから受け入れるべきじゃあないのか?」

 

「めんどくさくなっただけでしょう?」

 

「あんたにどうして志帆さんと同じ対応をしなくちゃあいけないんだ?」

 

僕の言葉に帆波夏帆は笑うのだ。

 

「変わったわよね、ジョルノ君」

 

前まで僕は居心地の悪さを抑制するために、自分の中のある種の領域をうまく囲い込んでいた。別の言い方をするなら、心の部屋のいくつかをしっかり閉め切っていた。その努力をやめているといいたいらしい。それをやめた方が楽で、それが出来る環境が出来上がっているからだろう。

 

僕は何も知らなかったのだ。家族について何も知らないし、これからもきっと理解できない。大切なものを一つ、なくしたような気がようやくしているありさまだ。もう10年も前のことだ。説明のつかない喪失感に涙ぐむような年齢ではなくなった。それでも遠いと感じる。そして、ちょっぴり寂しいと思っている。

 

帆波夏帆に僕を見た気がしたってのが大きいのかもしれない。絶対に言わないが。

 

「ふふっ......ふふふふっ......いいわよ。わかったわ。あなたがおかれてる立場がすこぶる悪化するかもしれないってのに、わざわざわたしに頼ろうっていう賭け。悪い気はしないわね。その賭けに乗ってあげるわ。志帆を守るって約束、忘れないで頂戴よ」

 

 

 

 

 

 

茫然と僕は受話器の前で立ち尽くしていた。口の中はからからに乾き、胃の腑がひっくり返ってしまいそうな吐き気に襲われていたが、辛うじて声は出せた。

 

しかし、足が動かなかった。動こうとしてくれなかった。 背負うものの中に、大事な人が増えた。その重みが、足を鈍らせていた。

 

「……なにを混乱してるんだ、僕は」

 

何もかもを守れるつもりなど無い。それほど強いと嘯けない。その青さは、遙か昔に失った。 絶望することは簡単だ。投げ出すことはより容易い。 信じがたい、信じたくない現実に、揺らぐ心は今にも折れそうに危うく傾いでいる。

 

「わかっていたことじゃあないか......わかっていながら......僕は帆波夏帆に頼んだんだ」

 

だが、こんな僕にも守りたいものがある。守りたいひとがいる。 折れるわけにはいかない理由がある。

 

僕はどうあがいても汐華初流乃でしかない。

 

帆波家の帆波志帆がいる倉庫に向かうと血だまりがあった。帆波夏帆は遺体から生成されるスタンドだ。肉片がなくなれば実体がなくなる。踏み込んだ際に付着した血の足跡によるところもあったが、何より彼女の死がそこにはあった。

 

「ゴールド・エクスペリエンス」

 

僕はその血しぶきから肉体を生成する。腕、足、胴体、頭、色々とつくっていくと一定量を超えたあたりから見覚えがある膜が張っていることに気がついた。

 

彼女を殺害してこちらを苦しめようということなら、反吐を吐き捨てたいくらい苛立たしく頭にくるが、意図としては読める。

 

だから僕は帆波夏帆に実体にたるものを提供してやるのだ。

 

「やはり慣れるもんじゃあないわね......内側から弾け飛ぶのは嫌いだわ」

 

彼女は怯える様子もなく言ってのけるのだ。

 

これから起こることが彼女にとっての絶望に他ならなくとも、僕はこの理不尽な殺人鬼たちによる攻撃を破壊をするために、一歩を踏み出す決意を既に固めていた。

 

何が起こったのかすら全く理解できていないだろう彼女は、黒目がちな目をさらにきゅうと丸くして、茫然と僕を見上げていた。

 

「どうやったの?」

 

「僕は体のパーツを作れる」

 

「ふはっ、はははっ!そんなのありなの?やんなっちゃうわね!」

 

絶句を通り過ぎて変な笑いが浮かんできたようだ。

 

「傍から見たら瞬間移動ね!」

 

帆波夏帆は猟奇的にいうのだ。

 

「残機があるなら言いなさいよ、初めから!」

 

「これから治すってのにこれ以上人外化してどうするんだ」

 

「なによ、へんなところで義理堅いのね、あんた」

 

ふは、と帆波夏帆は笑った。

 

そして僕は帆波夏帆と共にこっそり手配したスピードワゴン財団の車に帆波志帆の彫刻を運び込む。

 

「豪快な誘拐だこと。志帆も驚いて腰抜かすわね」

 

そして車は社王グランドホテルに運ばれる。待っていた空条さんたちに僕はこれまでの経緯を説明するのだった。

 

「君が帆波夏帆君か」

 

「そういうあなたが空条承太郎ね、初めまして」

 

「DIOの協力者の情報提供か?」

 

「だてに21年同じ姿で生きていないのよ。あなたが知らなかっただけで近くの中学にいたこともあったわ」

 

「そうか」

 

空条さんは冷ややかな目で帆波夏帆を見据えている。さながら、実験動物でもみるような冷徹な視線だ。臆することなく彼女は笑う。

 

「類は友を呼ぶってのはどうやら本当らしいな」

 

ボソリと呟きながら僕を見るのはやめて欲しいものである。

 

たしかに帆波夏帆にはただ年を重ねただけとは到底思えない、熟練した戦士の凄味を感じさせる。 何より、人を殺したことのある人間だけが持つ不穏な気配。 ビリビリと肌を粟立たせる容赦のない殺気があるのだ。

 

「......君も無茶をする」

 

「ジョルノ君がそれだけ交渉上手だったのよ」

 

夏帆はあっけらかんといい放つのだ。空条さんはじっと僕を見つめていた。 日本人らしからぬ深いエメラルドグリーンの、凪の海を思わせる眼差し。 恐らく、不器用な男の精一杯の気遣いなのだろう。 僕は笑うだけだ。空条さんは舌打ちした。

 

 

 

怒りの火が消えない。それどころか怒りの発作にとらわれ、激しい波のように全身に広がる。腹の底をぐらぐらさせる。あらゆる感情が体の中に突き上げてくるのを感じる。激しい憤りが頭の中で渦を巻き、言いようのない衝動で体が震えた。

 

すべてを忘れて怒りの青白い光に全身を染めたこの瞬間を決して忘れてはならない。全身の皮膚を破るような血が立った。怒りでからだが膨張するような、この激高だけは決して。

 

「なんで相談しなかったんだよ、ジョルノ」

 

言葉を鞭のようにしならせ、興奮から怒っているような調子で仗助先輩は言う。露骨な議論口調で僕に切り込み、ナイフでも突き刺すような言葉の調子で言う。

 

「帆波夏帆との約束だからですよ。帆波志帆という人間の普通の生活を保証するためだ」

 

「どうみてもわかりきっていたことだろっ!吉良吉影がどんな事しちまうのかなんて!」

 

激しい語調を浴びせる仗助先輩から叩きつける様な口調が飛んでくる。

きつい目をしている気の張った厳しい口ぶりだ。荒っぽい言葉遣いで感情をむき出しにして話す。咎めるような、まわりがしんとなってしまうような荒々しい言い方だ。

 

「仗助」

 

静かだが、人に口を開かせないような厳しさのある言葉だ。言葉の調子が、槍の穂先のような鋭さで胸許を深く突き刺して来る。

 

「康一くん、億泰もだ。落ち着け」

 

空条さんが頭ごなしに話すに連れて、仗助先輩たちの顔が特殊な赤銅色の輝きを帯びていくのを僕は目にした。それに連れていつもの冷静で上品な印象は薄れ、どこかに消えていった。そこには単なる怒りや嫌悪感を超えた何かがうかがえた。

 

それはおそらく精神のいちばん深いところにある、硬く小さく、そして名前を持たない核のようなものだ。今までの積み重なった不平不愉快が一時に爆発し、洪河の決潰する勢いをもって暗雲に喰ってかかった。

 

「すこし黙れ」  

 

それはすこしも大声ではないのに、ぴしりと僕たちの声をせき止めてしまう。両手を腰にやって、子どもを叱りつけるように言うのだ。

 

「わたしがやるっていったのよ、心配しないで頂戴。わたしは志帆さえ無事なら不死身なのよ」

 

夏帆は話し始める。監視カメラの時間、電子柵のサイクル。管理している人の名前。奇病を治してもらう条件として受け入れた本拠地の内部事情。そして吉良吉影が潜伏していると思われる場所。今、電器屋の経理として紛れ込んでいる殺人鬼は、やはり鉄塔の山に住んでいるようだ。

 

「今、父さんは休眠期なのよ。わたしと違って代わりになる人間を何人も雇って一礁一と名乗らせているわ」

 

「なるほど」

 

「わけアリの連中を雇ってるってわけか」

 

僕達は気合をいれる。決戦は迫っていた。

 

 

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