雨を含んだ薄墨色の空が広がる中、一人の男が鉄塔の山を訪れた。上を見れば一面にかき曇り、今にも雨になりそうなほどに空が崩れてきそうで、どんどん黒い雲が増えていく。みるみる空がまっ黒になる。たちまち墨のような重い空となった、人と別れた瞳のように水を含んだ灰色の空は影さえ薄れさせていく。
山の木々も変に白っぽくなり、山の草はしんしんとくらくなり、そこらはなんとも言われない恐ろしい景色にかわっていった。今日のように雲行きの怪しい日は、女性の手を手に入れたいという誘惑にかられることもなく集中して帰宅することができるので吉良吉影は気に入っていた。
タクシー越しでは窓を挟んでいると空が白くても雨が降っているかどうかはなかなか判別がつかないが、さいわい降ってはいなかった。念の為傘をさし、雲が湿気の重みに耐え切れなくなって雨を落とし始めたのだろう頃合いを見計らって歩き出す。
黒板から降る白墨の粉のような、暗い冷たい霧の粒が、そこら一面踊りまわり、あたりがにわかにシインとして、陰気に陰気になった。
さあっと雨がきて、かさがばらばらと大粒の音をたてる。潮がひいたようにしんとなって、むしむしと蒸しはじめる。滝にでも打っつかったか、氷嚢でも打ち破ったかと思われるような狂的な夕立に遭った。
さっきまでの青空に、不吉なほどに黒々とした雨雲が波のように押し寄せてきたかと思うと、蛇口を捻ったかのような唐突さで、雨が降りはじめる。
ざあざあと降りしきる雨の中に、荒海の潮騒のようなものすごい響きがあった。何か変事でもわいて起こりそうに聞こえていた。
思えば昨日の夜も眠りにくかった。 十二時頃夕立がした。その続きを吉良吉影は心待ちに寝ていた。しばらくするとそれが遠くからまた歩み寄せて来る音がした。虫の声が雨の音に変わった。ひとしきりするとそれはまた過ぎて行った。
どうせ夕立ちだ。夕立ちが過ぎ去ると、あとには水浸しになった道路が残り、太陽が戻ってきて、その水を全力で蒸発させかげろうのような蒸気に覆われる。
この生活を初めて1ヶ月がたつ。15歳の少年が家出したあとに行われた父親の殺人容疑をかけられていたら、私立図書館の司書の別荘にかくまわれていた描写を思いだすくらい穏やかな日々だった。
帆波奈帆子は吉良吉影に一切興味が無い女だった。一礁一という男と背格好や体格が似ているという、ただそれだけの理由で衣食住やら職業やらを斡旋した。一礁一という男のライフサイクルを守ることこそがこの世で1番大切なことだと信じて疑わなかったのだ。
吉良吉影も娘の帆波姉妹のことは全く覚えていなかったが、自殺した中学生と言われたあたりで母親が散々近づいてはいけないお友達リストに載せていってきかせていたことをようやく思い出したくらいだ。帆波夏帆は吉良吉影に敵意を示して殺しに来たが返り討ちにした。互いにトドメを指すには一歩足りず、どうあがいても倒せないとわかった時点で帆波夏帆は鉄塔の山には立ち入らなくなった。
帆波奈帆子は一礁電器で90日のサイクルで1週間のうち1日一礁一として事務職を行うことだけを吉良吉影に求めた。本職たる電工は別の男に頼んでいるようで吉良吉影はあったことがなかった。吉良吉影の本拠地となった鉄塔の山は奇病に感染したカラスに設置したカメラを監視するために使われた。
出かけるのは追跡者たちを襲撃するためにスタンドの矢をいるか、事務職をするか、帆波奈帆子が用意するための好みの女の写真撮影に費やされた。プライベートには一切口を出さない女だった。一礁一の世話をやくために鉄塔で寝泊まりするような女だから、身だしなみなどあってないようなもので吉良吉影の好みからは外れていた。
「なぜここまで私に協力するんだ?」
一度だけ帆波奈帆子に聞いたことがあるが、興味なさげな顔をしていうのだ。
「あなたに協力すればスピードワゴン財団は私達を調べあげるわ。奇病について危機意識を持ち、対策をねるでしょう。運が良ければ治療法が見つかるかもしれない」
「スピードワゴン財団に協力しても同じだろう」
「全く違うわ。人間、本気で相手のことを知ろうとするのはそれだけ相手を脅威と認識した時だけなのよ。協力関係になった時点で倫理観や人道的観点が邪魔をする。肉の芽に関する研究がどれだけ進んだと思うの?それだけ調べ尽くしたからよ。くだらない価値観なんてどうでもいい。生半可な研究なんていらないのよ」
見せてもらった肉の芽の研究の時点でスピードワゴン財団にも内通者が何人も入り込んでいるのは明白だった。抜かりないことだと感心したのを思い出す。デンマークと日本の医者が共犯者なのは奇病に感染したのだろうと容易に想像出来た。
そして時間は経過し、カラスたちが帰ってこなくなり、スタンド使い達が倒され、この場所が特定されたようだと帆波奈帆子から毎日報告があるたびにじりじりと吉良吉影は追い詰められていった。人間の頃のように爪を噛むと指が硬質化してしまい血は出なくなった。歯も岩のように固くなるから金属のような音がするだけだった。そのたびに吉良吉影は人間ではなくなった自分を自覚する。
そして、DIOの協力者に約束通りスタンドの矢を渡した吉良吉影は、お礼としてなにかの破片をもらった。忘れもしない。虫の彫刻の一部と思われる、スタンドの矢と同じ色、硬さ、をしたものだった。それがキラークイーンに勝手に刺さったのだ。そして一体化した。この時、吉良吉影はキラークイーンがなにか変わったのだと自覚する。具体的になにかとはいえないが、なにかが変わったのだと思ったのだ。
そして、吉良吉影が週に一度の一礁電器での事務仕事を終えて鉄塔の山に帰る度にデジャヴが増えていった。具体的になにがとはいえないが、なんとなく、なにかがあったのだ。
それは例外なく、今日もであった。
爆発で起こった熱気で焦げる。地響きがして、西北七八百メートル辺りのところに黒煙の柱が立ちのぼった。重々しい響きとともに、黒い煙が一すじ薄くなびいていく。
帆波奈帆子たちが乗り捨てた自動車のルーフがアルミ箔のように破れて炎を噴く。自動車の炎はさらに巨大化して、天に向かって猛々しく咆えていた。
吉良吉影は弾丸を装填された拳銃を手に取るような仕草でキラークイーンを発動させる。そのたびに重みが増す。キラークイーンの弱点は一度発動すると爆発させないと次がうてないことだが、頻繁に爆発させればその限りではないのだ。
そこには間違いなく死の気配があった。 死そのもののように硬く冷ややかな感触だ。
キラークイーンが爆弾に変えたそれを発射する度に、吉良吉影は腕の神経に震えるような刺激を感じた。ふれている場所から、身体が緊張していく。自分を超えたもの、とふと思う。この機械は冷酷さにおいて、自分を超越している。
爆弾の飛び込んだ穴はめくれ返っている。
ジョルノは全身が燃えるように熱かった。地面に接する頬と手のひらだけがひんやりと冷たい。何もできなかった。ただ吉良吉影を見つめることしかできなかった。
「ゴールド・エクスペリエンスッ」
「遅い」
ジョルノはミシンをかけられたみたいにずたずたにされた。そこだけ萎んだ花弁のような形で、周りの皮膚より黒ずんで厚ぼったく変色していく。
爆弾がどこからともなく現われて、目の前に爆発、耳には爆音が遅れて鳴る。
「ジョルノッ!」
「早く逃げてください、仗助先輩ッ!これくらい、なんでもないッ!」
銃声が響き、弾丸は金属音を伴って乱れ飛ぶ。重い金属的な衝撃音が二度、山中に響いた。正体不明の弾丸が空間に穴をあけながら過ぎる。雨のごとく飛来するそれは、山上から雨のごとく注ぐ。
銃が花火のような音を立てて撃ち出されるたびに、豆を炒るような小銃を発散する音がした。思ったより軽くはじけるような銃声が響く。はずみをくらった小さな動物のように、弾倉が軽い音で回転する。掃くように弾着の水しぶきをくぐり抜けながら、ジョルノたちは走った。
まるで機関銃である。撃った機関銃の反動で肩に衝撃が走ると同時に、乾いた音が響く。どん、と破裂するような音がしたのはその時だ。勢い良く、鉄の杭を壁に打ち込むような、瞬間的ながら激しい響きが、聞こえた。
すさまじい銃声が起った。それはこっちからの掩護射撃と、敵からのと錯綜し、雹の降るように入り乱れた。
「ジョルノ、何とかならねーのかよ!」
「ダメです、ゴールドエクスペリエンスにスタープラチナ程の緻密さはない。なにより着弾から爆発までの時間が短すぎる」
「くっそー」
ジョルノ達は正体不明の爆弾から逃げの一途をたどる。
平地に出るとようやく一望に見わたせた。向こうからもうもうと黒煙が上がり、微風にのってこちらの方へ流れていた。きな臭い匂いが漂ってきた。煙は勢いよくなったかと思うと少し収まりというのをくりかえしていた。
深い疲労が海のように全身をおしつつむが仗助たちは耐えた。木々の焼け落ちる轟きと、物のはぜ飛ぶつんざくような響きが、怒涛のように揉み返す。焦がして燃え盛る火の帯がじわじわとジョルノたちを追い詰めていく。火事の炎が午後を一様の血の色に焦がし、煙と火の子が渦を巻きながら奔騰する。焼け跡から吹きつけてくるザラザラした異様な風は、まるで不快な固物の撫で回すような感触を持っていた。
「マジかよ、これじゃあ承太郎さん戻ってこれねーじゃねーかっ!」
運悪く承太郎はブラックウォーターパークの男を車に押し込めて連行しているところだった。いつもなら吉良吉影はもっと遅くに帰宅すると聞いていたのだが、先程までのにわか雨により早く帰宅してしまったらしい。
「......仗助先輩、やるしかないですね」
「............グレートだぜ、こいつはよォ。やってやろうじゃねーか」
「吉良吉影ッ......」
ジョルノたちの睨む先には男がひとり悠然と歩いてくるのが見えた。ここでは狭い。狭すぎる。戦略的撤退だとばかりに2人は走り出した。
「それにしたって火の回りがはやくねーか?さっきまで夕立ちだったってのによ」
「......もしかしたら、雨が降ったからかもしれません」
「えっ、なんでだよ。フツー燃えないだろ」
いえ、とジョルノは首を降るのだ。なにごとにも例外はつきものだと。
「普通電線は絶縁体で覆われていますが、雨で樹木などが接触すると、剥がれてしまうことがあるんですよ。そうすると樹木と電線が直接触れることになります。一般家庭へ引き込まれている電線はライン、ニュートラルと2本ですが、このうちニュートラルは柱上変圧器で接地線に繋がっているので大地から生えている樹木と接触しても問題無いのですが、ライン側はAC100Vがまともに加わってますから樹木と接触した場合、樹木へ電流が流れます。この電流が雨などで増加し接触部の発熱で発火により火災になることがあるんですよ」
「うげっ......てーことは、さっきから爆発しまくってんのは、わざと火事を起こしてるってことかよ?!」
「そういうことですね」
足早に移動したかいがあって、激しい火花を散らしながら落ちてくる電線などから逃れることに成功する。ミステリの最終章みたいな光景に仗助は顔を歪ませるのだ。吉良吉影に生きて返す気配が微塵も感じられないから。
「仗助先輩、ちょっと」
「あ?なんだよ、こんなとき......うげっ、なんだよそれ。勝手にスタンド使うなよ、ブランドなんだぞこのアクセサリー!」
「火事だから焼けたら終わりですが、気休め程度のお守りをあげますよ。電波虫避けのサボテンです」
「忘れてたッ......電線焼けたら電波虫やばくねーかッ!?」
「漏電した時にもろとも焼け死んでくれたらいいんですけどね......あるいは飛んで火に入る夏の虫」
「うげえ、焼けてる焼けてる......さすがに高温じゃあ死ぬから逃げて当然だよなッ!あーよかった、まじで良かった。下手したらカラスも相手にしなきゃいけなかったんだもんなぁ......先に捕まえれてよかったぜ」
ぱちぱち音を立てながら落ちてくる焼け焦げた電波虫たちを払いながら、ジョルノたちは歩みを進める。
「しかしまずいな、だいぶ火の手がまわってきましたね。これで僕はだいぶん手が封じられた。僕のスタンドは生物が生きられる環境じゃあないと生命を作り出せない」
「この熱さじゃあだいぶんキツイな......無理すんなよ?さっき俺庇って怪我してんだからよ」
「治してもらったから大丈夫ですよ。だいたい他のみんなは治療もままならないから隠れてもらっているんだ、君が倒れたら完全に詰むんです。最大戦力がヒーラーなんて笑えますね」
「パワーが貧弱なのがわりーんだろ、拗ねるなよ」
ジョルノは肩を竦めた。
「これだけ派手な山火事だと通報されまくってるだろうな......。さすがにスピードワゴン財団ももみ消しは無理なはずです。救急車やら消防者やら野次馬が大挙して押し寄せて、奇病に集団感染なんてことにならないように急ぎましょうね仗助先輩」
仗助はありありと想像してしまったようで何度も頷いた。シャレにならない話である。
「あー!あの人が旦那とスーパーフライに引きこもってんのはそのせいかよっ!!なんだってあんなとこにいるのかずーっと不思議だったんだぜ!あのヤロー、ここまで初めから考えてやがったなあ!」
仗助の言葉に目を瞬かせたジョルノは気づかなかったと呟いた。
「なるほど......満を持してのXデーが迫っているから、予行練習というわけですか。仗助先輩、なにがなんでも今日で終わらせますよ」
「おう。てんで自覚できてねーがな」
ジョルノたちはまた弾け飛んだ火花を睨みつけたのだった。
弱点はないと信じていたシアーハートアタックの弱点を吉良吉影は既に知っている。吉良はキャタピラの回転する耳障りな音を聞きながら、ジョルノと空条承太郎との闘いを心に思い描いた。
シアーハートアタックは自動追尾型スタンド。約三十七度前後の温度に反応し、それを爆破する。証拠は一切残さない。だが、体温よりも高い熱を発散する物があれば、それを優先して爆破する。それはいい。全ての体温よりも熱のある物を破壊し尽くせば、いずれは体温、つまり敵をターゲットにし、爆破するのだから。
しかし、ジョルノのスタンド能力の前では無力だった。サーモグラフィー機能を看破された時点でデコイを用意されて、シアーハートアタック単体では、追撃爆破が不可能になることもある、と知った。しかも物理的には無敵でも毒などの搦手にも弱いと食中毒になって改めて気がついた。その弱点をカバーするために、吉良吉影自身もあえて前に進んでいるし、ジョルノ対策は万全である。
キラークイーンの能力をシアーハートアタックに切り替える。不吉な音を響かせて、コンクリートの地面を走破する戦車。前面にドクロの顔が描かれたそれは、警戒心を煽るだけの何かを持っていた。
「コッチヲ見ロォォォォォオオ~~」
不気味な死者のような、抑揚のない言葉さえも発している。1台、また1台、と増えていく。虫の矢の破片をキラークイーンが取り込んでから、なぜか能力が飛躍的に向上したのだ。それに気づいたらしく、ジョルノたちはドクロ戦車に対する警戒の水位を高めて身構える。
彼らの行く場を極端に狭め、じりじりと追い詰めながら複数のシアーハートアタックに前進させる。それだけでも射程が短い彼らには脅威なのだ。ジョルノは苦々しい顔をしながら牽制にツバメを飛ばしてくるが、爆発をカウンターされてもダメージなどない。木々で邪魔されても灼熱の大地では育ちが悪く、シアーハートアタックに爆破されてしまう。クレイジーダイヤモンドの両腕で、シアーハートアタックの襲撃を受け止めた。
「何てすさまじいパワーだよ、こいつッ!」
仗助はクレイジーダイヤモンドの両腕で押さえつけながら叫ぶ。
見た目、人の拳くらいの大きさしかないシアーハートアタック。しかしその内包するパワー、そして想像よりも遥かに重いそれは、一度交戦した時よりパワーとスピードに秀でたスタンド、クレイジーダイヤモンドでさえも苦労させられる程だ。
足場を邪魔されたところで、爆破と前進を繰り返せば数の暴力でなんとでもなる。真っ二つにすることができないまま、クレイジーダイヤモンドは重量とシアーハートアタック自身の持つパワーに負ける。余りに頑丈なのだ。これはジョルノと仗助にとって初めての経験であり、恐怖でもあった。
かちり、という音を聞いて、とっさにシアーハートアタックを投げ飛ばした。そしてゴールド・エクスペリエンスで自分たちの身体を護るようにして地に壁を作る。シアーハートアタックの爆発で生じた煙がもうもうと立ち込め、山全体を包み込むように広がった。
「今ノ爆発ハ人間ジャネェ~~~~~~」
自らの爆発でも傷一つ負っていないシアーハートアタック。高音域の非音楽的な異音を奏でて、シアーハートアタックたちが律義にも仗助たちを追い掛けてくる。
「これならどうだッ!」
ジョルノはシアーハートアタックが飛び掛かってくるタイミングを見計らい、ゴールド・エクスペリエンスを発動する。シアーハートアタックは獰猛に襲い掛かる。樹木をひしゃげながら飛び交うシアーハートアタックたちは、電柱が倒れ、電線に絡まれて進行不能となる。衝突したシアーハートアタックたちは、一瞬だけ動きを止めた。仗助がその隙を見逃すはずもない。
「自動追尾の弱点は、本体からその動きをコントロールできないところにある。単純な動き程、利用しやすいものはない……」
「これならこっちのもんだぜ!」
破壊できないなら動きを止める。ただ、それだけのことだ。もっとも、あのパワーからして、時間稼ぎ程度にしかならない可能性もあるが、その少しの時間だけで充分だ。シアーハートアタックは、動きを制限され、虚しくナメクジのように這いずっている。戦車である以上、爆発で無理やり突破するにしても足場の悪さは足を引っ張った。
仗助はシアーハートアタックから視線を外し、本体である男に目を向ける。
接近戦になる危険性を覚悟の上、本体ごと前に向かったのだが、吉良が仗助たちに迫るより早く、シアーハートアタックの攻撃が始まり、闘いの場から一人、取り残されたように見える吉良だが悠然としたものだ。
(あの異様な落ち着きっぷりはなんだよ、気持ちわりーなあ......)
吉良は不敵に笑う。シアーハートアタックと闘う仗助たちにゆっくりと近寄りながら、吉良はスーツのポケットから一本のビンを取り出した。
単純ながら、単純だからこそいいアイディアだ、とばかりにビンを眺める。この1ヶ月間、考える時間はたくさんあったのだ。吉良は、今、まさに単純ながら賞賛するに値するアイディアを試みようとしていた。右腕を振りかぶり、手にしたビンを投げつけようと構える。
シアーハートアタックの爆発が起こった。吉良は爆風から護るように、振りかぶっていた右腕で顔を覆う。爆煙が晴れると、吉良と仗助たちの距離はまたいっそう離れていた。爆風に煽られていたが、傷を負ってはいない。シアーハートアタックは仕留めそこなったが、まだまだシアーハートアタックはあるのだ。追い詰めるのが仕事なのだから構わないだろうと吉良は考えた。予想の範囲内だ。まだまだシアーハートアタックは、続けざまに彼らに襲い掛かるのだから。
「ん?」
電柱が倒れてきて、吉良は咄嗟によけた。砂煙が舞う。ハンカチを探っていた吉良吉影は、上からなにかが飛びかかってくることに気がついた。
「蛇?ああ、また同じ手か」
シアーハートアタックが破壊できないから本体たる吉良に攻撃する。電柱はフェイク、蛇が本命。前はスイセンだったからずいぶんと殺意が高いが無駄だ。
「だが、私の方が上なのだよ。大胆で緻密な行動を心掛け、常に犯罪を知られずに生きて来た私の方がね」
フフフ、と吉良は笑いを抑えられない。噛み付こうとした蛇を振り払っただけで蛇はすさまじい力に嫌な音をたてて弾き飛ばされる。硬質化した手に立てられる牙はない。
「汚れてしまったじゃあないか」
忌々しげに吉良はハンカチで執拗に手を拭く。明らかに人間では無い色合いに変化した手が見えたようで、ジョルノは舌打ち、仗助は驚愕が浮かんでいる。
シアーハートアタックが電柱をあとかたもなく粉微塵にするまで吉良吉影は動かないし、絶対にジョルノと仗助の射程範囲には入ってこない。シアーハートアタックによる前進が再開してしまい、2人の注意はまたそれる。防衛に走らざるをえなくなる。炎や黒い煙に阻まれ、静かに気配を消して近寄っていた吉良の右腕から、小さなビンが投じられた。その一瞬、シアーハートアタックが視界から全て消えるのを視界にとらえられるほどの余裕は2人にはない。
「なんだッ!?」
ジョルノは自分に向かって飛んで来るビンを凝視する。
「これも爆弾......?どっちだ!?」
仗助はクレイジーダイヤモンドの拳をビンに向けて放とうとしたが、ギリギリのところでその誘惑を押し留める。このビンが爆弾にされているのならば、拳で叩き落とすことは余りに危険な賭けだ。仗助はビンから逃げるように、身体を後ろへと投げ出す。一瞬でも拳をビンに向けてしまった仗助には、なにかを盾にする暇はなかった。
「ゴールド・エクスペリエンスッ」
凄まじい速さで木が成長し、木がその瓶ごと空に押し上げられる。本当は地面を這うように成長させて吉良吉影にぶつけたかったのだが、地面が熱くなりすぎて距離を稼げないと踏んだ上での判断だった。
カチリ、とその音をジョルノと仗助が耳にした瞬間と、山全体揺るがす大爆発の瞬間はほとんど同時だった。
「フハハハハハハハハ」
吉良の高笑いが響く。勝った。自由になった。1ヶ月もの間、延々と睡眠の妨げとなっていた不安材料は今ここに消滅した。ジョルノの生体探知は非常に厄介だし、仗助の修復する能力は汎用性が高すぎる。銃の弾丸すら銃に返してしまうのならば、吉良の体の一部がとられたら最後せっかく人間の未練をかなぐり捨ててまで人外化したというのに意味がなくなってしまう。吉良吉影にとってこの2人だけは絶対に殺さなくてはならない相手だったのである。
冷静に物事に対処しチャンスをものにする。吉良吉影はいつだって強運と土壇場の集中力、機転によりトラブルを乗り越えて来た。一度たりとも乗り越えられなかったトラブルはない。そう。冷静さだ。石のように冷たい、気狂いじみた冷静さが必要なのだ。大胆にして緻密な行動も、全てはその冷静さがあってこそのことだ。
実験段階だが、空気すらも爆弾に変えるキラークイーンだ。液体だって爆弾にできるはず。液体であれば例え避けられようとも、その飛沫を浴びせ、爆破することは容易い。そう思っていたのだが、シアーハートアタックに注意を奪われた彼らには、そこまで警戒する必要はなかったようだ。
吉良は自由に動き回っていたシアーハートアタックたちを侍らせながら自分を虎視眈々と狙っている不届き者がいないか調べはじめる。温度さえあれば探知できる。そうやって虱潰しに歩きながら、いまだ爆煙が立ち込める山道から、炎上してしまったログハウスに向けて歩き始めた。
「ぐうッ!」
吉良は自分が叫んだ悲鳴の理由を正確に理解できなかった。背中に衝撃が走り、コンクリートに膝から崩れる。すさまじい爆発を横から感じたのだ。まるで玩具のように吉良吉影はふっとばされる。硬質化した体は体を保護してくれるが姿勢は崩れ、転がるしかない。
「こ、これは……ッ!」
横腹をさすろうとした吉良の指先に脇腹がなかった。ぽっかりと空洞が空いている。慌てるようにして手を上下に動かし、ようやく背中に触る。
「ま、まさかッ!!!」
吉良が振り返った先には爆煙がたゆたっている。その煙が空気に溶けるようにして消え去る毎に、吉良の焦りは反比例して増大する。煙を透かした先には仗助が立っていた。全身からおびただしい流血。弱々しい呼吸。腕の肘から下を失い、生きていることさえ不思議な男が立っている。
「爆破したはずではッ!?」
吉良は狼狽する。初めて狼狽した。
仗助は瞳にブラインドを掛けたように無表情で、一歩一歩近づいてくる。
「キラークイーンッ!!!」
シアーハートアタックではこちらまで爆発にまきこまれてしまう。シアーハートアタックたちをひっこめて接近戦を得意としないキラークイーンに切り替える。爆発で腕を失った相手ならば、こちらが有利のはずだ。吉良は立て膝を突いたまま、近寄って来る仗助にキラークイーンの指先での乱打を浴びせた。
「助かりましたよ、スタンドはそれぞれ解除しなければ使えないようだ。温度で探知するシアーハートアタックも、僕のようにスタンドとしてはこの環境は相性最悪だったのだから」
「......!」
ジョルノが立っているその先に、鉄塔が見えた。吉良吉影は全てを悟る。
「数だ......数が多すぎたんだ、アンタの精鋭部隊は。だからスーパーフライに誘導されて突っ込むことになる」
その言葉に吉良吉影は青ざめるのだ。ジョルノを追いかけて何体のシアーハートアタックが追撃した?もしそいつらが巧みに誘導されて鉄塔に突っ込んだとしたら?攻撃エネルギーは全て反撃エネルギーとなって反射されることは吉良も知っている。
鉄塔に与えた攻撃の位置・方向・力量がそっくりそのまま元の場所から反撃となって返ってくるのだと。ジョルノはこれを利用して、攻撃する位置・角度を計算して攻撃を加えることでビリヤードのようにエネルギーを発射・鉄塔内で反射させ、吉良吉影への攻撃に転用したのだとしたら?
なにせシアーハートアタックにより辺りは火の海につつまれ、障害物はなにもないのだ。ジョルノではなくシアーハートアタックによる自爆の反射の先にいるのが吉良しかいないならば。
ドォン、という衝撃が連鎖的にやってくる。
「キラークイーンッ!!」
咄嗟に爆発で相殺しようとした吉良だったが、全ては防ぎきれない。いくら硬質化するにしても、連鎖的な爆発までは衝撃やダメージまでは軽減できない。
もちろんここまで誘導できたジョルノもただでは済まない。それなりに拡散した爆発で全身に大怪我を負い、あちこちダメージを負った状態では、避けるだけの余裕などない。
ジョルノは膝を折る。
「吉良吉影......やっとぶん殴れるぜ......!」
その隙を仗助が逃すわけがなかった。クレイジーダイヤモンドがキラークイーンの腕を捕らえた。
「なんだとッ!?」
仗助は腕を失っていたのではない。学生服の中に隠し、ジョルノが作った偽物から血やらなんやらが滴っていただけなのだ。注意深く見れば、不自然な膨らみが分かったはずだ。
しかし、吉良は見落としていた。圧倒的有利な状況が彼を油断させたのだ。
「何ッ!」
「てめーみてーな殺人を何とも思わない人間には相応しい最期ってもんがあるよなァッ!!」
「こ……こんな事が……こんなヒドイ事が……この吉良吉影に……」
クレイジーダイヤモンドが唸りをあげる。
「いくぜぇええええ!ドラララララララァッ!!」