ジョルノが4部に出るようです   作:アズマケイ

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第7話

一枚の写真がある。そこには見たことのない男の額がズームアップで納められていた。小さな楕円形のそれはまるで縦にした豆だった。

 

そのてっぺんから真っ赤な筋が根元まで伸びている。その筋はてっぺんからみると上下左右に均等に4つ走っていた。そして、根元の部分から針のように細長い突起物がでている。そして、その突起物を囲うように4本の触手がうごめいている様子が写真越しにみえた。

 

外国人の額に張り付いているそれは、根本から差し込まれた針が人間の脳を持続的に刺激し続けているようで、振動しているためかブレが生じている。生気のない男の無表情さと相まって怖気が走る、奇妙な光景である。まじまじと写真を見つめている僕の表情がだんだんこわばっていくのを見下ろす青年は、皮肉めいた笑みをたたえている。

 

 

「これが肉の芽だ、汐華初流乃」

 

「にくのめ?」

 

「文字通りDIOの細胞が主成分の洗脳装置だからな。配下の人間を集めていたDIOが個人的に信用できない部下に対して、裏切ることができないように埋め込んだシロモノってやつだ。いつでもDIOが必要なときに対象の精神に干渉して、服従心を植え付けるもんでもある。栄養源は対象の脳みそだ。こいつを植え付けられた人間は数年で脳みそが食い尽くされて死んじまう」

 

 

なんだって、と僕は弾かれたように顔を上げた。知っている。僕は知っているのだ。僕はディオ・ブランドーという男のおぞましさを実際にこの目で目撃していたという事実に絶句するほかない。そこには気づいたかと鼻を鳴らす青年がいる。

 

僕はごくりとつばを飲み込んで、脳裏をよぎったおそろしい想像を振り払えないでいる。いや、でも、ともう顔さえ覚えていない母親の面影を必死で捜しながら、僕は伝う汗をぬぐうことができなかった。思い出せないから分からないのだ。

 

僕の母親には肉の芽が植え付けられていたのかどうか、風化してしまった記憶からはぼんやりとした輪郭しか分からない。もう彼女が死んでから12年の時が流れている。でも、彼女の不可解な死因は間違いなく肉の芽によるものと合致した。数年、と青年は言った。

 

2,3年と青年は言った。彼女が死んだのはいつだった?僕が何歳の時だった?わすれもしない、僕が死にかけた1987年の12月ごろのはずだから僕が2歳の時だ。まさか、そんな、ありえるのか?動揺と困惑で写真を持つ手が震えているのをみて、青年は声を上げて笑った。

 

僕はそれによって考えるのもおぞましい想像が事実であると確信せざるを得なくなる。写真を持つ手は生気を失って真っ白になりつつあった。血の気が引いているのだ。

 

 

「肉の芽には2つ種類があることがわかってる。ひとつはお前が今見てるもの。もうひとつは、こいつだ」

 

 

差し出された写真は直視するにはあまりにも陰惨なものだった。はやくうけとれ、とずいと差し出されてしまうと受け取らざるを得なくなる。しぶしぶ写真を受け取った僕はまじまじと見つめることができず、目を逸らした。子供が見ていいものではないことは確かだった。

 

愕然としている僕を尻目に、青年は写真を収めている人間がいたという事実の方が絶句する案件だとせせら笑う。たしかにそうだ。どちらの写真も撮影者はおなじで、おなじ場所で撮影されていることがわかる。この撮影者は慈善団体の人間でないことはたしかであり、この被験者たちを助ける気は全くないことだけはわかった。

 

どこまでも実験動物に対する興味しか写真からは伝わってこない。青年が入手したのは、肉の芽を研究する情報機関に潜んでいたDIOの信奉者を経由してというのだから驚きだ。空条さんの後ろ盾であるという、青年の情報が正しければSPW財団よりも先に独自のルートを開拓して様々な情報を入手したことになる。

 

仗助と同じぶどうヶ丘学園高等部に在籍しているのであろう学生服の青年は、僕より少しだけ年上であるにもかかわらず。僕は慎重に言葉を選んでいた。なにせ青年に発現している群体型の近距離型スタンドに完全包囲されていて、ろくに身動きが取れないのだ。

 

ハチの巣にされたら最後、仗助のように治癒能力がない僕は間違いなく死ぬだろう。危険極まりないスタンドが発現した彼の境遇を垣間見た気がした。ちらりと僕は写真を見た。僕が渡された写真には、女性がうつっている。有害図書に指定されているであろう類の雑誌を連想させる女性だ。

 

しかも無修正版。でも思春期の子供にはおすすめできるものではない。なにせ、形容しづらいところに肉の芽が埋め込まれているのだ。あまりにも不快感をあおる写真である。持っていることすら嫌悪感を覚えた僕は、二つの写真をそのまま青年に突き返した。丁寧に揃えやがれと青年は几帳面に隅をそろえて受け取るとファイルに仕舞い込んだ。

 

 

「DIOの拠点には、たくさんの家畜がいたわけだ。すべてをささげる女が。実験には事欠かなかっただろうよ。スペアの身体を確保したかったのか、眷属を増やしたかったのか、今となっては分かんねえが、こうやってお前は生まれたわけだ、汐華初流乃」

 

「受胎って聖母の真似事でも気取ってたのか、あの人は」

 

「もっとも、ちゃんとこの世に生を受けることができたのは、お前が初めてのようだがな。肉の芽ってのは脳みそを養分にしてるが、妊娠させるために用意されてる肉の芽はなかなかにえぐい養分の摂り方をしやがる。子供を産むまでに死んじまう女もたくさんいたようだ。この世に生を受ける時点でお前は選ばれた人間ってわけだ。あのDIOが肉の芽を植え付けずに母親と一緒に日本に返しやがったんだからな。どうだ、出生の秘密を聞いた感想は」

 

「ちがいますね、無関心あるいは気まぐれが妥当でしょう。いつまでたってもスタンドが発現しなかったから、母親と一緒に日本に送ったんだ。念写できるなら僕のスタンドはいつだって把握できたはずでしょう。吸血鬼である以上、僕のスタンドは無視できない。言いなりにならない上に脅威になるなら、生かしておく理由にはならないから、殺しに来たはずだ。あんたのいうジョースターの血統を危険視してたなら、僕は間違いなく殺されていたはずだ。肉の芽も埋め込まないで何を考えていたのかなんて、僕が聞きたいくらいですよ」

 

「生かしておく理由なんざ、お前が生き残っているという事実だけで十分だ」

 

「なんでです?」

 

「肉の芽ってのはDIOの細胞が主成分だと言っただろう?つまりお前は母親に直接DIOの細胞を寄生させた状態で生まれてきたわけだ。普通に考えてDIOの細胞が己の肉体と同化しちまってると考えていい。そいつは普通じゃあねえ。なんでかわかるか?DIOが死んだとき、こいつはどうなったと思う?」

 

「少なくても、死んだってわけじゃあなさそうだ。それじゃああんたが僕を拉致する理由がない。復讐ってんなら、あの時僕はハチの巣にされていたはずだ。僕に利用価値があるとするなら、DIOの息子であること以外にかんがえられない。そうだな、吸血鬼になるとか?おてんとうさまに顔向けできない体質になったなら、普通の人間である僕に憎悪を抱いても不思議じゃあない」

 

「おてんとうさまに顔向けできねえ体質ってんなら、大正解だ。だが、吸血鬼じゃあねえ。もっともっとおぞましい何かだ。ついてこい、汐華初流乃。みせてやるよ。そして、自分の幸運を噛み締めるんだな。お前の母親があと2か月死ぬのが遅かったら、きっとこうなってたんだってことを」

 

 

スタンドアップ、と群体型のスタンドに急かされて、僕は鈍い痛みを覚えながらふらふらと立ち上がった。スタンドを射られて生きていたのはお前が初めてだと青年は忌々しそうにつぶやいた。スタンドを発現させる矢を所持している青年は何のために社王町の人間をスタンド使いにしているのかいまだに僕には分からない。

 

ただわかるのは、スタンド使いになれたのはほんの一部であろうことだけだ。青年曰く、スタンドの矢に射られる形でスタンドを発現するにはなんらかの適性がないと発現しないという。普通に考えて順風満帆の平凡な生活を送っている人間が矢にいられたところで、適性があるとはとてもおもえない。

 

きっとその結論に達するまで、この青年はたくさんの人間をその矢で射ったはずだ。適性がなかった人間はそのスタンドの矢のエネルギーに耐え切れず死に至る。その死体の処分場はまだ高校から帰ってきていないらしい。それまで僕は生かされるだろう。

 

この男はとても几帳面で潔癖症だ。不必要に流された血で館を汚すのはお望みではないらしい。かつかつかつと革靴が響く。ぎいい、と開かれた扉を見た僕は言葉を失った。

 

 

ぐちゃぐちゃにした粘土がうごめいている。ドアの音に反応して、崩れきっているゆがみから覗く瞳が僕たちを見上げる。かろうじて青年が変えてやっているよれよれの洋服で腕と胴体と足はわかるが、髪の毛はすっかりぐちゃぐちゃになった皮膚と同化してしまい、すっかりわからなくなっている。

 

青年が世話をしているようで、不潔でなく清潔な方だとおもうが、なおさら悲壮感をあおっていた。沈黙する僕に、よく目に焼き付けろと青年は言う。これがお前の父親のやったことであると見せつける。

 

きっとこうやることをずっと夢見ていたのだろう、僕が良心の呵責に苛まれて表情を暗くするのを確認しては、青年の表情はずいぶんと愉悦を帯びている。それでも、鎖に繋がれた吸血鬼の細胞と同化した不死身の怪物と化した父親の経緯を説明する青年は、込み上げるものがあるのか声が震えている。

 

表情を伺うことは出来なかった。僕たちの目の前で、奇声を上げながら青年の父親はガラクタ箱をひっくり返している。醜い面をしてやがるぜ、と自嘲気味に笑った青年は、父親がずたずたに引き裂かれた紙を必死でかき集めているのをみると、イラつくらしい。

 

せっかく片づけた箱の中のものを散らかすなと名前すら呼んでくれなくなった生きている肉の塊に話しかけている。何度も言っただろうと呆れながら青年はしつけと称した暴力をふるった。絶叫が響いている。

 

長男の暴力すらものともせず、発狂しながら父親は紙くずを集めようとしてはそのボコボコだらけの指先に零れ落ちていく紙くずを見て泣いている。やめろっていってるだろうが、と青年はなおさら絶叫した。ぶよぶよの肉の中にめり込むような不快な音がした。

 

痛みを感じる気配はない。何をされたのかすら理解できていないようだ。僕の意識の海の中で泳いでいる水影がちらつく。養父の暴力の記憶がちらつく。さすがにいたたまれなくなった僕は青年のところに向かった。群体に包囲されているため、下手に動くことができないのがもどかしい。

 

抵抗したところで外に乗り捨てられている悲惨な状態の車になるのはごめんだった。とりあえず青年の興味は父親から僕に戻ったようで、肉の塊から右手が出てきた。

 

 

「こいつはよ、何をしても死なねーんだ。ガソリンをまいて火をつけたこともある。風呂に沈めたこともある。生き埋めにしたこともある。おれのスタンドでハチの巣にしたこともある。あいつのスタンドで削り切ろうとしたこともある。急所とよばれるところをいくら破壊したところで、あっという間に肉の塊に戻っちまうんだ」

 

 

青年の悲痛な叫びが胸をえぐった。

 

 

「汐華初流乃、おまえは特別な存在じゃあないんだろう?じゃあ聞きたい。教えてくれよ。なんでこいつは、動くだけの肉塊にすぎないこんな化け物がおれの父親なんだ?おまえとこいつでなにが違うんだ?母親の養分を糧にして寄生した肉の芽から受胎した、DIOの遺伝子を直接注ぎ込まれたって意味では、細胞と同化しちまったこいつより、お前の方がDIOが死んじまった時点で化け物になる確率は遥かに高いじゃあねえか。実際、DIOが死んじまったせいで、こいつみたいになった赤ん坊が何人もいることは分かってんだ。なんだってお前は普通の人間なんだ。ふざけんのもたいがいにしろよ。理不尽極まりねえだろう。お前が吸血鬼だったり、こいつが可愛いくらいの化け物だったりしたら諦めもついたってのによ、こんなことあっていいのかよ、ふざけんじゃあねえぜ」

 

 

それでも、僕は冷徹に青年を見つめるのだ。彼はおしゃべりがすぎる。しばらくつきあっていたけれど、いつまでたっても本筋が見えてこない。僕は大きくため息をついて肩をすくめた。

 

 

「だから何です。さっきから聞いてれば、僕にとってどうしようもないことばかりじゃあないか。知ったこっちゃないですよ、僕にとってはね。なにせ僕は今のところ、あんたの話を聞いて同情することしか出来ないからだ。でもそれはあんたの望むことじゃあないはずだ。なにをしたらいいんです?それがあんたの目的のはずでしょう?」

 

「頭のいいガキは嫌いだぜ」

 

「僕はあんたの駒じゃあないからな」

 

 

青年はからっぽなガラクタ箱を抱えて泣きわめいている父親を見下ろした。

 

 

「おまえの力は吸血鬼の苦手とする波紋とよく似てる。もしかしたら、溶かせるんじゃあねえか」

 

「生きているやつ対象に生命エネルギーを注ぎ込んだことはないから、どうなるかなんてわからない」

 

「ならやってみろ。今度こそその綺麗な顔をハチの巣にすんぞ、てめえ」

 

 

僕はしぶしぶ青年の父親のところに向かった。見慣れない少年に気付いたのか、驚いたように僕を見上げている父親の手を取り、僕はいぼだらけの手に生命エネルギーを注ぎ込んだ。さきほどまで大暴れしていた父親が嘘みたいに大人しくなる。

 

ぎょっとして見つめると、いや、大人しくなったわけじゃあない。口がうごく速度が極端に遅いのだ。動きが鈍いのだ。僕を払いのけようとしてもその動作があまりにゆっくりなので、力が全く入っていないことが分かる。まるでスローモーションの映像を見てるみたいだった。

 

青年の父親は僕の力をあからさまに嫌がって見せた。でも、全く変化はない。ただ生きている人間に生命エネルギーを注ぎ込むと動きがゆっくりになるようだった。青年は舌打ちをする。

 

 

「汐華初流乃、お前、生命を生み出せるスタンドだったな」

 

「ええ、そうですね」

 

「人間をつくることはできるのか」

 

 

僕は言葉に詰まってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

去年の10月から脱獄して行方不明だった死刑囚、片桐安十郎が逮捕されたというニュースが日本中を駆け巡ってから一夜明けた今日、あっという間に世間は大騒ぎになった。下校途中に駅前で号外が配られたところに遭遇したから、いやでも大ニュースは僕の耳にも入ってきた。

 

すべての放送局が予定していた番組編成を大幅改変して、日本犯罪史上最悪の犯罪者といわれている死刑囚の逮捕劇を特集する番組が組まれていて、どこにかえても同じような内容が垂れ流された。新聞の三面記事はもちろん、雑誌もこぞって特集を取り上げるほどの出来事だから当たり前だ。

 

季節外れの朝の朝礼という名前の全校集会が開かれて、マスコミには興味本位で証言をしないようにと釘を刺されたのは、もちろん片桐安十郎が我らが社王町で逮捕されたからに他ならない。なんでもぶどうヶ丘学園の敷地内に侵入しようとしたところを目撃した警備員がいたというんだから、証言を得ようとしてマスコミが押しかけるのは無理もないことだった。

 

母校でもないのになんだって標的にしようとしたのか、僕はしらないけど、片桐安十郎の犯罪歴を見てると予想できるというやつだ。

 

 

誘拐を企てて失敗したイタリア人の死刑囚の男を殺害し、サンマートのコンビニ強盗を教唆したあげく、仗助君の住んでる住宅街の男性を恐らく目撃者になったためにブルドックと共に殺害した容疑がかかっているらしい。これでもわかっている事件であり、目撃者や物的証拠があって立件できるものに限られる。

 

余罪を厳しく追及されてると身柄を確保されてるS市の警察署前のレポーターは忙しそうに原稿を読んでいたっけ、と朝のニュースを思い出す。承太郎さんが言ってたアンジェロに気を付けろってのは、こういうことだったのか、って今さらながらに僕は気付いた。

 

 

今日は放課後のHRが終わったらさっさと帰れと担任の先生から言われたのは、きっとマスコミの対応に追われている先生たちの都合上仕方のないことなんだろう。ぶどうヶ丘学園高等部の門を陣取っている報道陣から逃げるように僕は下校する。

 

フラッシュがたかれる中、急いで通学路に向かった僕は、アナウンサーらしきひとたちのギラギラした視線から逃げるようにその場を後にした。いつもは少ない通学路もぶどうヶ丘学園のマンモス校から一斉に生徒たちが下校するものだから、どこをみても僕と同じ制服を着た生徒たちばかりが目に入る。

 

これは電車通学やバス通学の人たちは大変そうだ。僕はマウンテンバイクだから関係ないけど。すいすいと黒山の人だかりを縫うように走り抜けながら、僕はいつもの通学路を抜けていった。しばらく道なりに進むと、見覚えのあるリーゼント姿の学ランが見えた。僕はマウンテンバイクを飛ばしてその後ろ姿に一気に追いついた。

 

 

「あれッ、仗助君!!」

 

「おう、康一か」

 

おーっす、と笑顔で返してくれた仗助君が止ってくれたので、僕はマウンテンバイクから降りてそのまま押して歩くことにした。

 

「なんか久しぶりだねッ!今までなにしてたのさ、全然学校来ないから心配してたんだよ?」

 

「それがよぉー、学校どころじゃあなかったんだ。昨日、やあっと片付いたんだよなぁ」

 

「ふーん、そうなんだ。あ、それってもしかして、アンジェロのことだったりする?承太郎さんが気を付けろって言ってたじゃあないか」

 

「(そういやぁ康一もあんとき聞いてたの忘れてたぜ。つーかオレんちの家庭事情もばれてんだっけかぁ。どうすっかなあ。でも康一はスタンド使いじゃあねえし、仕方ねえ。嘘つくのは苦手なんだけどよぉ)」

 

「?」

 

 

仗助君ははああと大きくため息をついて、肩を落とした。あれ?違うのかな?

 

 

「康一はあん時いたからオレん家のややこしいこと知ってると思うけどよォ、承太郎さんはジョースターさんの代理人として来てんだ。おれんちに案内するっつーわけにもいかねえから、いつにしようかって相談をホテルでしてたんだよ。そしたらさ、おふくろがきやがった」

 

「えっ、仗助君のお母さんが?」

 

「空条承太郎さんはいますかってフロントのおねーさんに取次ぎたのみやがってよぉ、電話が来た時はまじヤバかった。まじでヤバかった。帰りてぇって思ったのはあんときが初めてだぜっ。なんだって承太郎さんのことがばれちまったのか、オレはよく知らねーんだけどよ、どーも爺ちゃんが一枚かんでる気がすんだよなぁ」

 

「………大変だったんだね」

 

「結局、そのあと大騒ぎだったんだ。アンジェロのせいですっかり流されちまったけど、社王グランドホテルのスプリンクラーがぶっ壊れて部屋中びしょ濡れになっちまうし、パニック状態になった人たちに巻き込まれてお袋が倒れちまうし。脳溢血寸前だったから入院することになっちまうしよっ。なんでまだギリ30だってのに脳卒中になるんだか。興奮しすぎて頭に血が上っちまったってけらけらしてんよ。しかたねーから昨日は一日お袋のわがままに付き合うついでにお見舞い行ってきたんだ」

 

「ホントに大変だったんだね。お疲れ様」

 

「ホントの修羅場はこれからなんだぜ?お袋が退院したら、爺ちゃんが承太郎さんを家に呼べっていいやがったからよぉ。笑ってるくせに目が全然笑ってなかった。ありゃあ思い出すだけでブルっちまう。あーもー、オレが何をしたってんだ!いろんなことが起こり過ぎだろ、ちっくしょう」

 

 

仗助君は、事後報告になってしまった無断欠席について、家庭の事情という恩赦はあったものの、ペナルティである課題が大量に課されてしまったことを嘆いている。高校に入学してから一日の授業数が増えたせいで、2,3日休んでしまうとその分遅れてしまうのは仕方ないよ、カバーしてあげようっていう先生の好意だから頑張らないと。

 

そんな好意うれしくねえよと仗助君はがっくりしている。苦笑いした僕は、仗助君を慰めた。提出期限を考えると結構厳しいものがあるらしい。勉強は得意じゃないと仗助君の表情は暗い。

 

手伝ってあげたいけど僕も塾の課題が残ってるしなあ、とつぶやいた僕に、なんだって学校から帰ってから勉強しなくっちゃあいけないんだと仗助君は信じられないという顔をして驚いている。

 

 

一応ぶどうヶ丘学園は進学校なんだけどなあ、きっと仗助君は中等部で思いっきり頑張った代わりに高等部に入った途端燃え尽きたタイプなんだろうなあって思った。マウンテンバイクを押しながら、僕たちはまばらになり始めた通学路をいく。

 

いつもと違った時間帯に歩く通学路はなんだか変な感じだ。月曜日でもないのに早く帰れるのは違和感がある。でも早く帰れるんだから全然問題は無いはずだ。まだまだ高い太陽のもと、夕暮れには程遠い社王町は明るい。

 

 

「ところでさあ、あの承太郎さんはどーしたの?部屋が水浸しになっちゃったんだろ?」

 

「ホテルのスタッフが土下座してたっけなあ。なんかワンランク上の部屋に、今までの宿泊料金で泊まれるらしーぜ」

 

「社王グランドホテルって高級ホテルじゃなかったっけ」

 

「オレはよく知らねーんだけどよ、あの人はオレん家のことが終わっても泊まるつもりらしーぜ。宿泊料金は一括で前払いしてるらしい。なんでも、いろいろ調べることができたからってな、朝から忙しそうだぜ」

 

「ふーん、そうなんだ」

 

 

からからから、とマウンテンバイクを回しながら、僕たちは仗助君の家がある定禅寺通りをまっすぐ進んでいった。いつもならこの並木道をまっすぐにいけば仗助君の家がみえてくるんだけど、相変わらず現場保存に努めている警察が出入りする物々しい雰囲気の黄色いテープが見えた。

 

ブルドックを連れたおじさんが片桐安十郎の犠牲者になったことで、このあたりの住宅地の憩いの場であるはずの噴水広場は立ち入り禁止になっている。おかげで中央に位置する広場を突っ切ることができないので、遠回りしていつもは通らない道に曲がらなければいけなかった。

 

 

報道陣の車がたくさん路上駐車しているのがみえる。テレビで見たことがあるマイク片手の男性や女性がカメラに向かって実況をしているのが見える。さすがに堂々と映り込みをねらいにいく勇気はないので、僕たちは素直に彼らに気付かれないように足早にその場を去った。どういうわけかマスコミ関係者はぶどうヶ丘学園にご熱心だ。僕たちに気付いたら報道陣が殺到してしまう。

 

 

なぜか中等部の男子生徒と間違われて声を掛けられたこともあったという嫌な出来事を思い出してしまった僕は、それだけはごめんだと足を速める。失礼な話だ。

 

そりゃあ180センチの仗助君と比べたら、僕はとっても小さいだろうけどさ、失礼にもほどがあるんじゃない?勝手に間違われたのに、勝手にがっかりされて期待外れっていう顔をされるのが一番むかつくと思うんだ。中等部と高等部は校章のデザインが違うんだからそれくらい調べてからくればいい。

 

そもそも同じ敷地内にあるとはいえ、入り口が同じだけで立地場所は全然ちがうんだから僕が歩いてきた道の先の校舎を見れば高等部だって分かるだろって話だ。それにしても社王町には中学校も高校も他にたくさんあるのになんでぶどうヶ丘学園はこうも人気なんだろう、とつぶやいた僕に、仗助君は何故か気まずそうに目を逸らした。

 

 

がしがしともみあげを掻いている仗助君に疑問符を浮かべつつ、僕はいつもは通らない道の先に、大きな屋敷をみつけた。よほど前の家主がお金持ちだったのか、成金趣味の人間だったのだろう、権威を象徴するように日本の閑静な住宅街に突然豪邸があらわれた。

 

 

「そう言えば仗助君、たしかこの家って4年くらい前からズウーッと空き家だよね」

 

「ああ、こう荒れちゃあ売れる訳ねーぜ、ぶっ壊して立て直さなきゃあな」

 

 

立ち入り禁止の看板の向こう側に人影を見た気がして僕は目をこすった。もう一度見ると蝋燭が揺らめいて、こちらを窺っていたような気がした人影はもうそこにはいない。外側から木製の板であらゆる窓が打ち付けられ、整備する庭師が不在の庭園から発生した蔦が洋館をすっかり覆い尽くしてしまっている。雑草だらけの空き家だ。どうした?と仗助君が首をかしげる。

 

 

「いや、誰か引っ越してきたんじゃない?さっき蝋燭もった人がこっちを見てたよ?」

 

「そんなはずはないけどなあ、オレんちあそこだろ?引っ越してきたっツーんなら、すぐにわかるぜ?それにホームレス対策で不動産屋がしょっちゅう見回ってんのよ」

 

「いわれてみれば南京錠がおりてる。おかしいなあ。ひょっとして幽霊でもみたのかなあ、僕」

 

「おいおい、変なこと言うなよぉー、幽霊は怖いぜ?オレんちのまえだしよォ、こんな真昼間から見えてたまるかってんだ」

 

 

よっぽど幽霊屋敷が嫌なのか、近付きたくないのか、なあ、早く帰ろうぜ、と一刻も早く離れたいのか仗助君はあんまり乗り気じゃあない。でかい図体をして意外と小心者な仗助君がおかしくて、僕は逆に乗り気になってしまった。

 

だってなんだかおかしい。けたけた笑う僕を見て、馬鹿にされていると直感したらしい仗助君は、ちょっとムッとした様子でおい康一って睨んできた。僕は気付かないふりをする。

 

 

南京錠が降りている鉄格子の向こう側は雑草だらけでよく見えない。仗助君よりも高い塀に覆われている洋館は、きっと夜には肝試しに最適な雰囲気たっぷりの不気味な屋敷に早変わりするだろう。

 

今でさえ結構薄暗いし。不動産屋が出入りするなら見つかったら怒られるけど、ちょっとだけ見るくらいなら怒られないんじゃないかなって僕は鉄格子の向こうをよく見ようと目を凝らす。よく見れば南京錠は壊されていて簡単に開いてしまった。

 

おいおいまじかよ、マジで行くのかぁ?と仗助君は冷や汗をかいていた。仗助君のおじいさんは警察官だ。不良の格好をしてるとはいえ、素行は結構厳しいんだろう、不良とケンカになったことがばれてしばかれたってぼやいていたことを思い出す。ちょっとだけだよって僕は鉄格子を押した。

 

 

ぎいいいい、と悲鳴のような甲高い音が上がる。僕たちはびくっとして辺りを見渡した。よかった、ただの鉄の音だった。ほっとして視界が広がった雑草だらけの入り口を覗き込んだ僕たちは、不自然にへこんだ雑草を見つけた。僕たちは顔を見合わせた。

 

ぺちゃんこになっている丈のある雑草たちが延々と続いている。2つ、いや4つ?これはタイヤの跡だった。さすがに不審に思った僕たちは、屋敷に足を踏み入れた。

 

 

しばらくその車跡を追っていくと、突き当りの壁でべっこべこに潰れている車を発見した。ごくりと僕はつばを飲み込んだ。車のナンバーがあるし、さびてない普通の自家用車だ。それなのにそこだけまるで治安の悪い過激派のテロ集団の配下にある街のように、暴動の跡が色濃く残る映像が脳裏をよぎる。

 

銃や爆弾なんかを使わないとここまで破壊されないだろう車体。ガラスは砕け散り、すっかりしぼんでしまったエアバックがある。むりやり何かを引きずりおろして屋敷に引きずったのか、泥が玄関まで続いていた。これはあきらかにおかしい。

 

ヤバいと本能がつげている。犯罪の匂いしかしない。心臓の音がうるさい。脈打つ速度が明らかに早くなってきてる。僕はどうする?と仗助君に声を掛けようとして振り返ると、その車体ナンバーを見て絶句している仗助君がいた。その表情はだんだん険しくなる。ひきつっていくのがわかった。

 

 

「仗助君?」

 

「まじかよ、やべえだろ、なんでこんなとこにあんだよ、この車がっ」

 

「どうしたんだよ、仗助君。もしかして、仗助君の知り合いの車?」

 

「ああ、そうだぜ。昨日から行方不明になってた車だっ」

 

「ってことは盗難車?!でもみつかってよかったじゃない。べっこべこだけど」

 

「車なんざどーでもいいんだよ、康一。問題はその中身だ」

 

「中身?」

 

「この車を盗みやがったやつの目的は、車に乗ってたやつなんだ。てっきりどっかに隠れてるとばかりおもったのによぉ、オレたちのこと頼らねえからそうなるんだよ、馬鹿野郎」

 

「仗助君、話が全然見えないんだけど、その、もしかしてあの車が盗まれた時誰か乗ってたの?」

 

「ああ、乗ってたぜ。オレのダチがな!」

 

「ええええっ!?ど、どうするの、仗助君!そ、そうだ、警察!あそこの広場の警察にこのこと知らせた方がいいんじゃ?」

 

「そうだな、ここに誰かいるのは間違いねえみたいだし、気付かれねえうちに急ごうぜっ!」

 

「うん!」

 

 

一目散に駆け出した僕たちは、がああああん、と鉄格子を乱暴に蹴り上げて閉じてしまった轟音を聞いた。ぎょっとして立ち止まると、僕たちと同じぶどうヶ丘学園高等部の学ランを着ている人相の悪い少年が僕たちの前に立ちふさがった。

 

 

「ひとの家をのぞくだけじゃあ飽き足らず、勝手に忍び込むなんざ一番やっちゃあいけないことなんだぜ、くそガキぃ。おいー、いきなり何してんだ、てめえらぁ。学校から帰ってみりゃずけずけと入ってきやがってよォ、殺されても文句いえねえよなあ?」

 

「いかれてんのか?さっさとどけよ」

 

「こ、ころっ!?じゃあやっぱり仗助君のトモダチを拉致ったのはっ」

 

「ああ、間違いねーなあ」

 

「おいおい、なにごちゃごちゃいってんだぁ?この家はオレのオヤジが買った家だ。妙な詮索はするもんじゃあねえぜ、2度とな」

 

「んなことは聞いてねえっすよ。しらばっくれてもオレたちはもう見たんだからなぁ、無駄だぜぇ」

 

「おいおい、人んちのまえで、しかも初対面の人間に向かっててめーたぁ、いい度胸してんじゃあねえか。口の聞き方しらねえのか?さすがは不法侵入者だなぁ、おいぃ?」

 

 

ごきごきと骨を鳴らしながら、心底ブチ切れている少年は僕たちをここから出す気はないらしい。減らず口を黙らす方法は知ってるがねと吐き捨てた仗助君は、一気に畳み掛けた。僕はさっぱり見えないけれど、仗助君はスタンドという超能力が使えるから心強い。

 

ただの腕っぷしが強い不良くらいなら一発KOだ。僕は今のうちに急げって右手で合図してくれた仗助君に頷いて、急いで少年の脇を通り過ぎた。待ちやがれと言われて待つ奴なんかいない。そして、ぎぎぎぎぎ、と重い鉄格子の扉をひく。

 

そのことに一生懸命になっていた僕は、仗助君の奇襲を突然ゆがんだ空間によって瞬間移動した少年によって不発に終わったことに気付かなかった。そして。

 

 

「康一っ!」

 

 

鈍い痛みが背中を焼いた。ざくっと皮膚を貫通して、肉を裂き、抉れる音がする。悶絶する僕は視界が真っ白になる。悲痛な仗助君の叫び声が遠ざかる。どういうわけか、驚いた様子で僕を射抜いた窓の人物に理由を問う少年の声がする。僕はそのまま意識を失った。

 


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