死が二人を分かつまで-side stories-   作:garry966

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私と彼女の距離、一応の完結編です。
AR-15の話の後日談であり前日譚でもあるので読まないと分からない……そこはすいません。
45姉と40の過去が半分以上ですがちゃんと45416だよ!
その5はネタがきちんとできたら書くかもしれない……


HK416×UMP45百合 「私と彼女の距離」その4

 私と彼女の距離 その4

 

 

 

 鉄血本社への強襲は散々な結果に終わった。帰還した私たちは満身創痍で、脚を折られた私ですら軽傷の部類だ。いや、腹部にも穴が開いてるわ。404小隊がこんな損害を受けるなんて前代未聞だ。45の奴、何を考えてたんだか。

 

 ともかく、私たちは修理に出された。前線基地の設備では手に負えず、グリフィン本部に移送されることになった。グリフィンも鉄血の攻勢を受けて余裕がないのか重症者以外は後回しだ。修復施設の中に運び込まれていく人形たちを見送りながら私は廊下で天井の染みを数えて時間を潰していた。数え終わっても順番が回ってこなかったのでデータリンクでメンバーの状態を確認した。9とG11は修復の真っ最中で連絡が取れなかったが、45にはつながった。重症だったのでいの一番に呼ばれ、もう終わったらしい。それにしても早い気がするが……暇つぶしに声をかけてみた。

 

『どう?もう万全なわけ?』

 

『まあ大体はね……あんたは?』

 

『まだ。あんたのせいで腹に穴は開いてるわ、服は汚れっぱなしだわ、もう酷い有様よ。まったく……あんたは勝算のある任務しか受けないんだと思ってたわ。あやうく全滅よ。私に感謝しなさいよね』

 

『もちろん。あんたには感謝してるわ。おかげで生きて帰れたし、やりたいことも果たせた』

 

『やけに素直ね……不気味だわ。それに、あの指揮官から報酬も受け取ってないんでしょう。どういうつもり?』

 

『生きて帰ってはきたけど、本来の任務には失敗した。それで報酬をもらうほど図太くはないわ』

 

『あんたってそんなにお人好しだったかしら……』

 

 45はいつになく素直で、声に覇気がなかった。寂しげなその声を聞いているとむず痒くなる。いつもの飄々とした調子はどうした。あんたはいつも強くて、他人に弱みなんて見せない。どんな時でもへらへらしながら私をからかってくるムカつく奴のはずだ。今の45は弱ってる。それが受け入れられなくて、気分がかき乱されるのか?いや、多分違う。別にそれはいい。こいつが無敵で、鉄のような精神の持ち主だとは思ってない。45は作戦に加わると決めたのは個人的な目的があったからだ。それを打ち明けさせて私も喜んでいたはず。

 

 私は……45が全部話してこないことが気に入らない。45が勝手に傷ついて、私が蚊帳の外に置かれてることに腹が立つ。でも、45の過去に土足で踏み入っていいものか。こっちから聞く勇気はない。思えば私は45について何も知らないし、そんなことを聞くような関係でもなかった。家族だなんだの言っても所詮私たちは同じ隊のメンバーというだけ。あの時、あいつのことが好きだと認めて以降、それを自覚すると胸が痛くなる。そんな自分が情けなくて余計にイライラする。

 

『機会があったら全部話すわ……機会があったらね……』

 

 45は私の心情を見透かしたみたいに言った。でも、その声はとても弱々しかった。聞いていると不安に駆られてしまう。そうか、これはただ私が彼女を心配しているだけだ。私が彼女の力になれていないからやりきれない。恨みがあると言っていたアルケミストは殺してやった。だが、むしろ45の状態は悪化しているような気がする。殺したからといって解決する問題でもないらしい。誰かの復讐だったのだろうか。私の知らない、45にとって大切な存在の。いつもは感情を見せない45をここまで弱らせる人物、変な話だけどそう考えると胸がチクチクと痛む。これは嫉妬だ。死人に嫉妬するなど馬鹿らしいと思うけど、私は自分が思っている以上に馬鹿なのかもしれない。仮に私が死んだら、45はここまで悲しむだろうか。ありえないな……私はそれほどの存在じゃない。この間だって私を手放しても構わないという風だったじゃないか。私はため息をついて、廊下のベンチに腰を下ろした。

 

 ようやく私の順番が回ってきて修理が始まった。右脚の関節を交換し、腹部のパーツも取り替えた。人工皮膚も張り直して元通りだ。私の予備パーツは数も少なくて高価だが、さすがに代金はグリフィン持ちだ。とはいえただ働きは割に合わない。死にかけたんだからちゃんと45には説明してもらおう。いつか、いつかは。私が45に憚ることなく何でも聞けるようになった時に。

 

 私が施設から出ると他のメンバーが待ち構えていた。手を切り落とされた9も全快したようで手をぶんぶんと私の方に振っていた。

 

「416、おつかれ~。いやあ、家族がまた全員揃ってよかったよかった」

 

「ふんっ。AR小隊の連中じゃあるまいし、これくらいで欠けやしないでしょ。私があんたたちの命を救ってやったんだから、感謝を……45、その腕どうしたのよ。修理は?」

 

 ぎょっとした。喋りながらチラリと45の方を見ると彼女はボロボロのままだったのだ。アルケミストに削られた右側頭部には応急処置的に黒い金属パーツが埋め込まれているだけ。服は交換したみたいだが、パーカーの右袖は空っぽのままだらりと垂れ下がっている。45の右腕は彼女自身が切断した。でも、人形の四肢なんて予備パーツがあればすぐ治せるはずだ。私が驚いていると45は作り笑いを浮かべながら左手で右の袖口を掴んでひらひらと動かした。

 

「ああ、これはね……パーツが無くて修理ができないらしいのよ」

 

「そんな馬鹿なことある?ここは天下のグリフィン本部でしょ?パーツの在庫なんてI.O.Pと同じくらい山ほどあるはず。連中が嘘をついているのよ。私がその辺の奴ぶん殴って案内させるから……」

 

 憤然とする私の言葉を45は頭を振って遮った。

 

「I.O.Pに行ったってないわ。私はI.O.P製の人形じゃない。鉄血製よ。規格が違うからあんたたち用のスペアパーツは使えない。鉄血が反乱を起こしてる以上、パーツが用意できないのは仕方ないわ。代わりの腕が見つかるまでしばらくこのままね。別に大丈夫よ、そんな怖い顔しなくても」

 

 45はそう言って私に微笑んでいた。無意識の内に険しい顔を作っていたらしい。45が鉄血製の人形?確かにアルケミストがそんなことを言っていたような気がする。それなら45が私たちより高い指揮能力を持っていることや、鉄血のネットワークへの侵入能力を持っていることも納得がいく。そんなことはどうでもいい。でも、やっぱり釈然としないところがある。車を借りて帰路に就いている間も私はずっと悶々としていた。何がかと言えば片腕になってしまった45のことだ。私の隊のリーダーが負傷したままじゃ締まらない。というよりも、私が45にそんな姿でいて欲しくない。だって、私は……こいつのことが好きだし、万全の状態でいて欲しいと思うことはおかしいことじゃない。もやもやしながらハンドルを握り、無人地帯への道路をかっ飛ばした。

 

 拠点に着いた頃には日も変わっていて、私たちは再び朝日を浴びた。帰って来れなかった者たちが拝むことのできなかった太陽だ。そんな連中は私には関係ないが。拠点の扉を開けるとG11が真っ先に自分のベッドに走り寄って倒れ込んだ。

 

「二、三日はぐっすり眠りたい……もうこんなのはこりごりだよ。あんなのとやり合うなんて命がいくらあっても足りないから」

 

「そうね。今回のことはみんなに感謝してる。私の個人的な任務に付き合ってもらったわ。しばらくは休みましょ。私もこんなんだし」

 

 45は自嘲気味にそう言って右腕を見た。彼女が一歩進むごとに袖が力なく揺れる。私は居ても立っても居られなくなり、45に詰め寄った。

 

「45、あんた鉄血工造製のパーツなら接続できるのよね?」

 

「そうだけど……どうしたの?416。さっきから顔が怖いわよ」

 

「義手が必要でしょ。片腕じゃ不便だろうし……そんな姿でいられると落ち着かないのよ。私が探してくるわ。鉄血規格のやつ」

 

「今すぐじゃなくてもいいのに……それに鉄血のパーツはもう希少だから高いわよ」

 

 私を引き留めようとする45を尻目にG11の襟をつかんで起き上がらせた。

 

「ちょっと、何するの……寝かせてよ……」

 

「あんたも来なさい。街まで行くわよ」

 

「ええ~、一人で行けばいいじゃん。45にいいとこ見せたいならさ~」

 

「いいから行くのよ!」

 

 G11を引きずって拠点の階段を下る。それから45にもらったバイクに飛び乗った。G11は渋々私の後ろにしがみつく。エンジンをかけて一気に加速させた。45にいいところを見せる?まあ、確かにそうかもしれない。待ってなさいよ、45。この私があんたのために腕を見つけてきてやるんだから。

 

 

 

 

 

 バイクを駆って拠点から離れていく416を窓から見送った。彼女は全速力で飛ばして、すぐに見えなくなってしまった。それでも私はしばらくその方向を眺めていた。

 

「45姉、大丈夫?」

 

 後ろから9が声をかけてきた。振り向いて9と向き合う。心配そうに私の顔をまじまじと見ていた。

 

「……私、どんな風に見える?」

 

「疲れてるように見えるよ。休んだ方がいいと思う。いろいろあったもんね」

 

「そう……じゃあ、少し休むわ」

 

 確かにいろいろあった。鉄血本社まで行って帰ってきて、死にかけて、アルケミストを殺した。疲れて見えるのも無理ないことだ。私は自分のベッドに腰掛けて、横になった。

 

「ねえ、45姉。これで全部終わったのかな……今までのこと全部」

 

 9が不安そうな声を絞り出した。いつも底抜けに明るく振舞っている彼女とは正反対だ。

 

「……まだよ。まだ終わってないわ。やり残したことはいくつもある。ちゃんと終わらせないといけないわね……」

 

 目をつむった。そう、これは始まりに過ぎない。真実に向き合うための第一歩だ。私は416に本当のことを話していない。私が416の存在をずっと隠してきたことも、416をわざと失敗させたことも、そして……私が416を好きだってことも。416は私のことが好きだ。こんな私のために義手を手に入れてくれると言う。彼女だって疲れているだろうに、休まず飛び出していった。私がそういう感情を抱くように仕向けた。私にそんな資格はない。本当のことを伝えたら幻滅されるに違いない。きっと終わりの始まりになる。その方が彼女のためになる。でも、私は416を手放したくない。私は、私はどうするべきなんだろう。今こそ過去に向き合う時なのかもしれない。私たちはずっと目を背け続けてきた。40……UMP40との過去から。

 

 40のことを思い出すとまず浮かんでくるのはあの目だ。大きくて、くりくりしていて、いつもキラキラと輝いていた。私はあの目が大好きだった。もちろん、彼女のことも大好きだった。快活で明るくて、いつでも私にニコニコと笑いかけてくれる。初めての友達として、親友として、同じ工廠で生まれた姉妹として、彼女は私の大事な存在だった。そう、とても、とても大切な存在“だった”。

 

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『間抜けが!射撃位置についたらすぐに発砲しろ!戦場で悠長に狙いをつけてる暇なんてないぞ!』

 

『どこを撃ってる!ターゲットを狙え!お前のミスで味方が死ぬんだぞ!』

 

『なんだこの成績は!本当に戦術人形なのか!?人間のガキに銃を持たせた方がマシなスコアを取るぞ!平均スコアに達するまで寝ずに訓練を繰り返せ!』

 

 私は一人、カフェテリアの中にいた。グリフィン本部ビルの中にある大きなスペースで、普段は人形用の休憩所になっている。もう夜遅くなので照明は最小限だけで薄暗い。他の人形たちもいない。食堂も営業時間外だ。仕方がないので私は携帯食料を取り出した。ぼそぼそとしたブロック状のレーションをかじっているとたまらなく惨めになってくる。こんな夜遅くになったのはずっと訓練をしていたからだ。結局、平均スコアに達することはできなかった。訓練担当の指揮官からは呆れられ、いつもの罵声すらなかった。電力の無駄だと言われてシミュレーションルームからつまみ出されて今に至る。

 

 どうして上手くできないんだろう。他の人形よりもたくさん訓練しているはずなのに。みんなみたいに銃を使いこなせない。みんな、銃は身体の一部みたいなものだと言うけれど、私はそんな風に使えない。目でしっかり照準を合わせないと的に当てられないし、走りながら精確な射撃をするなんて無理だ。私は戦術人形なのに、これじゃ役立たずだ。誰にも必要とされてないし、いつまで経っても実戦部隊に配属されないと思う。実戦に行ったって仲間の足を引っ張るだけだ。指揮官のみならず、同じ部隊の人形からもいじめられるかも。そう考えると泣きそうになる。私は何のために生まれてきたんだろう。製造するならちゃんと人の役に立てるように作って欲しかった。こんな私を誰も必要としてくれないよ。

 

「あ!45!こんなところにいたんだ。探したよ!」

 

 後ろから40の声がした。私はびっくりして振り返った。40はこっちに駆けてきて私の横に座る。もう消灯時間も過ぎているから他の人形は寝ているはずなのに、わざわざ探しに来てくれたみたいだ。

 

「45、また指揮官に絞られたの?」

 

「うん……射撃が全然上達しなくて……私がいけないの。他の人形みたいにちゃんとできないから。でも、このまま低いスコアのままだったら……どこの部隊にも配属されず返品されてしまうかも」

 

 最悪の想像をして俯く私の背中を40はポンポンと叩いた。

 

「もう!くよくよしないの。45は悪くないんだよ。あたいたちのソフトウェアは未完成品なんだから。あたいたちは鉄血の素体にI.O.Pの烙印システムを無理矢理詰め込んだ試作品。他の人形みたいに銃を上手く使いこなせないのは仕方ないんだよ」

 

 40は私を励まそうとして微笑んだ。彼女の言う通り、私たちは他の人形たちとは違う。周りの人形は民間出身であったり、元々軍用であったりするが、みんなI.O.P製だ。そこでグリフィンは鉄血工造製の人形も試験的に導入することにした。鉄血の主力製品である廉価で感情のない大量生産品ではなく、グリフィンが求めるスペックを満たす特別製だ。人形に銃を半身として認識させる烙印システムを初めて導入した鉄血人形、それが私たち。私たちは同じ工廠で製造され、グリフィンに納入された。私たちがグリフィンの期待通りの能力を発揮できたかというと……まったく駄目だった。

 

「それにさ、あの指揮官が悪いんだよ。あたいたちは純粋な戦闘用じゃなくて、電子戦支援モデルなんだから。少しくらい戦闘能力が劣ってるからって何よ!あたいたちはI.O.P製の人形より知能も優れてるし、ちゃんとした指揮モジュールだって搭載されてるんだから!向こうの使い方が悪いんだよ。だから、訓練で失敗したくらいで落ち込まない!」

 

「でも……実戦に出るなら自分の身くらい守れないと。足手まといになるわ。それに、40は私より射撃上手いじゃない。スペックのせいじゃなくて私のせいよ」

 

「もう~そんなに自分を責めないでってば!あたいとあんたじゃどんぐりの背比べでしょ!今日はたまたま上手くいっただけで、いつも怒られっぱなしなのはあんたも知ってるじゃない!そのネガティブな考え方やめな!悩んだって解決することじゃないよ」

 

 しょげている私を40は頬を膨らませてプンプンしながら叱った。でも、すぐに朗らかな表情に変わる。彼女はリュックを膝の上に抱えて何かを取り出した。私が押し付けられたのはプラスチック製の小さなカップだった。透明なビニールの蓋がしてあって卵色の物体が中から覗いている。

 

「甘いものでも食べて元気出しなって。プリンあげるよ。今日の夕食で出たんだ。45はいなくて食べられなかったからさ、持ってきたんだ。レーションだけじゃ味気ないでしょ。ほら」

 

 40はそう言って使い捨てのスプーンを差し出した。私はそれをおずおずと受け取る。

 

「でも……いいの?これ、40の分でしょ?」

 

「あげるって言ってるんだから食べなって。普段、人形用の食事にデザートなんか付かないんだからさ」

 

 40は譲らなそうだったので、プリンの蓋をはがしておそるおそる口に運んだ。甘くておいしい。やわらかくて舌の上で溶けていく。こんなの食べたことない。夢中でパクパク食べていると40がニコニコしているのに気づいた。プリンはもう容器の片隅に一口分残っているだけだ。

 

「ねえ、40も食べない?これだけになっちゃったけど……」

 

「え?いいよ。45が食べなって」

 

「でも、これおいしいから40も食べた方がいいよ」

 

「うーん、じゃあもらっちゃおうかな」

 

 40は口を大きく開けて目を閉じた。少し恥ずかしかったけど、私はスプーンでプリンをすくって彼女の口の中に差し入れた。40はパクンと口を閉じて、ゆっくり味わってから満面の笑みを浮かべた。彼女はとっても表情豊かで、私とは大違いだ。私はその太陽みたいな笑顔が大好きだった。

 

「おいしいね!そうだ!さっきのことだけど、あたいと接続しよう!」

 

「接続?」

 

「うん。あたいたちは同じ型だから直接データ接続ができるの。それで二人の訓練データを共有しよう!あたいたちは型も同じだし、使ってる銃もほぼ一緒だから相手のデータをそのまま流用できると思うよ。そうしたら、訓練してる時間も訓練の効果も他の奴らの二倍!すぐに追いつけるから!」

 

 40は手を大きく広げて力説した。すばらしいアイデアを思い付いたという風でとても自慢げだった。

 

「でっでも、そんなことして大丈夫なのかな……指揮官から許可とか取ってないけど……」

 

「大丈夫だって。バレっこないし。指揮官だってあたいたちの成績が向上した方が嬉しいと思うよ。落ちこぼれがずっと落ちこぼれのままだったら評価に関わるかもしれないしね」

 

「う……」

 

 そう言われると何も言えなくなる。成績は私が断トツでビリだ。このままだと部隊に配属どころか、コアを抜かれて民間に売り払われるかもしれない。私の心配を見抜いた40はニヤッと笑って立ち上がった。

 

「そうと決まれば早速やろう!見つからないように隠れてね!」

 

 走り出した彼女に手を引かれて宿舎に向かった。訓練生用の宿舎にはずらりと二段ベッドが並んでいる。今は消灯時間なので明かりがなくて真っ暗だ。寝静まっているみんなを起こさないようにそろりそろりと自分たちのベッドに向かう。40が上で、私が下だ。今晩は私のベッドに40が潜り込んできた。狭いベッドに二人なんて初めてだからちょっとわくわくする。向かい合って両手を取り合った。

 

「じゃあ始めるからね」

 

 40が小声で言った。それからデータを送ってきて、私も自分のデータを送り返した。他の娘たちにバレないよう接触通信だ。40の経験が流れ込んでくる。射撃のコツとか立ち回りとか、40はシミュレーションでどんな風にターゲットが現れるのかパターンを解析していたみたいだ。出現位置を身体で覚えて、射撃が下手なのを補おうとしていた。五分くらい手をつないでいたらデータの送受信が終わった。

 

「ありがとう……40。これで模擬訓練もきっと大丈夫だわ。本当に何てお礼をしたらいいか……」

 

「あはは、お礼なんていいって。あたいも45のデータもらってるんだし」

 

「でも、私はもらってばかりで大したことしてないわ」

 

「いいんだよ。あたいたちはこの世に二人しかいない姉妹なんだからさ!お互い助け合って生きていこうね、これからもずっと!」

 

「うん……私も実戦に出たら40のこと守るから」

 

 40がニコッと笑ったので私も釣られて笑った。私に優しくしてくれるのは40だけだ。駄目な私を引っ張って助けてくれる。40がいてくれてよかった。私一人だったら耐えられずに諦めていたに違いない。

 

「そうそう。画像データも一緒に送ったんだ。見てみてよ」

 

 受信データ履歴を確かめてみると一枚写真が紛れていた。閲覧すると海の写真だった。夕焼けで空は一面のオレンジ色。日の光を反射してきらめく波が砂浜に打ち寄せている。

 

「きれい……」

 

 思わず口から言葉が漏れた。40はそれを聞いて嬉しそうに目を細めた。

 

「へへへ、きれいでしょ。実はグリフィンのデータベースから保存してきちゃったんだ。45にも見せたくて」

 

「え……?でも、そんなことして大丈夫?私たちにはそんな権限ないはずよ」

 

「大丈夫だって。見つからないように工夫してるし。写真を見るくらい誰にも迷惑かからないでしょ?あたいたちだってもっと自由にしていいんだよ。人形にも自分のしたいことをする権利があること、覚えておきなよ!」

 

 はにかむ40を見ているとそれ以上何か言う気も起らなかった。さっき40とデータのやり取りをしたのだって命令にないことだし、少しくらいならいいわよね……?いつの間にか40は真剣な顔つきで私のことを見つめていた。

 

「ねえ……45はさ、もしも自由になれたら何がしたい?」

 

「自由?」

 

 よく分からなくて聞き返した。自由ってどういうことを言うのだろう。考えたこともない。

 

「自由っていうのはね。誰の命令とかも気にせず、自分で自分の道を選べる状態のことを言うんだよ。今みたいに指揮官にぺこぺこして、グリフィンの訓練を受けさせられたりするんじゃなくて、自分のしたいことをする!あたいはそうなりたいな……」

 

「でも……そんなこと……指揮官の命令は絶対だし、人形が好き勝手にするなんて無理よ……」

 

 私がそう言うと40は深くため息をついた。

 

「ま、そうかもね。でも、夢くらい持ったっていいじゃない?今のままじゃ何のために生きてるか分からないし。人形に感情があるのはさ、ただ苦しむためだけじゃないんだよ。希望を持たなきゃ。そうすれば45だってポジティブになれるよ。あたいはね……海に行ってみたいんだぁ。写真じゃなくてね、本物の海が見てみたい。45も一緒に行こ?」

 

 40がもじもじしているのは珍しくて笑みがこぼれた。大きく頷くと彼女は私も何か言うように促してくる。

 

「うーん……夢かあ。何だろう。そうね、笑わないでよ?私は新しいボディが欲しいな」

 

「ボディ?」

 

「そう。私は弱くて、みんなに馬鹿にされてるけど、すごい強いボディを手に入れたらそんなこともなくなるわ。誰も馬鹿にできないようなボディを手に入れて、指揮官や他の娘たちを見返してやりたい。私は役立たずじゃないんだぞ!って……」

 

 言い終わると恥ずかしくなってきた。ほとんど今の願望だし、劣等感を吐露したみたいだ。顔が熱くなる。でも、40は笑わずに聞いてくれた。

 

「そっか。新しいボディか。いいかもね。そうすればみんなより頑張ってるのに指揮官からグチグチ言われなくて済むもんね。強くなれば戦いで死ぬ可能性も減るし!もっと自由に生きられるかもしれないね!いいなぁ~あたいも欲しくなっちゃった」

 

「でしょ!?40も新しい身体を手に入れようよ!それで一緒に海に行くの。いい考えじゃない?」

 

「うん、そうしよっか。新しいボディを目標にしよう。エリート人形になって、誰からも見下されずに自由に生きるの。あたいたちを馬鹿にした奴らを見返してやろう!」

 

 二人で笑い合って、今夜は同じベッドで寝ることにした。同じ夢を胸に抱いて。もしもそうなったらいいなあ。でも、今のままでもいい。40がいてくれるならそれでいい。二人で一緒にいられたらどんな辛いことだってへっちゃらだ。40がいてくれてよかったなあ。そう思いながらまどろみの中に沈んでいった。

 

 

 

 

 

 それからしばらく経って、大事件が起こった。鉄血工造の反乱だ。鉄血人形たちは突如、人間に銃を向けた。鉄血の社員たちを全員殺害すると人形たちは視界に入る人間を無差別に攻撃し始めた。治安機関やPMCが貧弱な防衛線を構築するも抑え込むことに失敗、鉄血は一気に勢力を拡大した。最初の一か月で虐殺された人間の数は十万を越えた。E.L.I.D対策にかかり切りの軍はPMCに対応を委託、契約企業の中にグリフィンの名もあった。グリフィンは総力を挙げて鉄血に立ち向かうことを決め、人形部隊が前線に派遣された。損耗が予想を上回ると訓練課程の途中だった私たちも駆り出されることになった。まだ私は戦場がどういうものなのかよく分かっていなかった。

 

 河の向こう、橋を越えた先に司令部はあった。近世風の宮殿みたいな建物で、平時だったら見惚れてしまったと思う。でも、今は砲弾を食らってボコボコで、まともに残っている窓ガラスが一つもなかった。鉄血のジャガーがグリフィンの陣地に向けて雨あられと砲弾を降らせている。後方から砲弾を撃ち込んでくる厄介な四脚自走砲で、グリフィンにはまともな砲撃ユニットがないからされるがままだ。ヒューと身の毛がよだつ音がした後、着弾して黒煙を巻き上げる。爆発の振動を感じながら私たちに当たらないことを祈った。司令部の中に入ると黒服に金髪の人形に出迎えられた。

 

「え……二人だけなんですか?」

 

 その人形は私たちを見てあからさまに落胆した。厳しい戦況の中、増援がたったの二人だったことに失望を隠さない。私は申し訳なくなったが、40は気にせずに喋った。

 

「あたいはUMP40。こっちはUMP45。ここの部隊に補充されたよ。よろしく!」

 

「MP40です。よろしくお願いします。状況は聞いていると思いますが……私たちは橋の防衛を任されています。背後にある橋がこの河にかかる最後の橋なんです。他のはすべて爆破しました。ここを鉄血に奪われると避難が完了していない地区にも雪崩れ込まれて、取り返しのつかないことになります。すぐそこの団地に防衛線を張っていますが、相手も躍起になって総攻撃を仕掛けてきていて……突破されそうなんです」

 

 MP40は疲れた顔でそう言った。絶え間なく銃声と爆発音が聞こえてくる。猛攻を浴びているんだ。40がむっとして口を挟んだ。

 

「どうして橋を爆破しないの?戦力差はどうしようもないくらい大きいって聞いたけど、なんでまだここで踏みとどまってるの?」

 

「それは……その、実はまだ爆破の準備ができていなくて。爆薬が届くのが遅れたんです。今セット中なのでしばらくは耐えないといけません。作戦本部から死守命令が出てるので」

 

 MP40が言いにくそうに言った。40は明らかに嫌そうな顔をして何かを言おうとした。でも、寸前で思いとどまったのか息を吐いた。

 

「それで、あたいたちは何をすれば?」

 

「はい。団地の南は機関銃班が防衛に当たっているのですが、西側の隅の部隊と連絡がつかないんです。混線していて通信が不通で……二本の幹線道路が交差するラウンドアバウトを見下ろす建物を拠点にしているはずです。重要な場所です、確認してきてください。壊滅しているなら前線を下げるよう指揮官に言われています。奮戦しているならそのまま加勢してください」

 

 その時だった。壁にさっと亀裂が走り、内側に盛り上がった。スローモーションのようにゆっくりとその様子が見え、亀裂から風が吹き込んで髪が揺れる。私が反応を示すより先に40が私に飛びかかり、床に押し倒された。コンクリートの破片が部屋中を飛び回り、粉塵が満ち溢れる。むせるような熱風と火薬の臭いを感じた。砲弾がすぐ近くに着弾したらしい。40は粉塵が晴れるまで私に覆いかぶさっていた。彼女が身体を起こすと背中から小さなコンクリート片がいくつもパラパラと落下した。

 

「45、怪我ない?」

 

「ええ……大丈夫。40は?」

 

「あたいはこれくらい平気だから!」

 

 40は私の上で胸を張って言った。彼女は実戦に送られると聞いてからずっと気を張っている。とりわけ私に対してだ。40の足くらい引っ張らないようにしないと。手を掴んで起き上がらせてもらっているとMP40が咳き込みながら四つん這いでこちらにやってきた。

 

「いたた……ここが倒壊しない内に早く行ってください。きっと助けを待ってますから。合言葉は“ライプツィヒ”。返事は“ワーテルロー”、それ以外が返って来たら敵です」

 

 埃まみれになった私たちは部屋から出ようとした。40が振り返って尋ねる。

 

「ねえ、爆破の準備が終わってもあたいたちの撤退は待ってくれるの?置き去りにされるのは嫌だよ……」

 

「それは……爆破のタイミングは指揮官が決めます。もしそうなったとしても、最後まで戦い抜きましょう。戦術人形の役目は指揮官の命令に従って、人を助けることなんですから」

 

 40は返事をせずに部屋から飛び出した。私は慌てて追いすがり、一緒に防衛線を目指した。銃声はすぐそこから聞こえてくる。団地の南側では激しい戦いが行われているようだ。私は緊張していた。初めての実戦が怖い。でも、戦果をあげたいという欲求もあった。私が少しでも役に立てるところを誰かに見せつけたかった。防衛線に近づくにつれて40の表情がどんどん険しくなっていく。

 

「連絡が途絶してる重要な拠点、猛攻を受けてる防衛線の端、最前線送りだ。いきなりこれだなんて……しかも、さっきの聞いた?死守命令だとか、最後まで戦えだとか、冗談じゃないよ」

 

 彼女は苦々しげに言った。40は感情を露にするタイプだけど、こんなに怒ることは早々ない。

 

「でも……彼女の言う通り、指揮官の命令は絶対だし……」

 

「何が指揮官の命令だよ!連中の言うことなんて知るか!これは人間の戦いなんだ。人間が鉄血に宣戦布告された、人間と鉄血の戦争。なのにあたいたちが戦わせられてる。人間のPMCはとっくに敗走して、残ってるのはグリフィンの人形部隊だけ。さっきの司令部、人間はもう誰も残っていなかった。なのにあたいたちは死ぬまで戦えって?ふざけるな!こんな戦争、何の意味もない。あたいたちはこんなところで死ぬべきじゃないんだ。自由に生き抜かなきゃ……」

 

 40は激しく怒っていた。人間に、戦争に、人形という不自由な身分に。この時、40はもう気づいていた。この戦争が私たちにとって何の意味もないことを。私はまだ彼女の言うことが理解できなかった。

 

「そんなこと誰かに聞かれたらいけないわ。処罰されるかも……」

 

「45、あんたは死ねって命令されたらどうする?大人しく従うの?」

 

「そう言われたとしても、どうすることもできないわ。人形は命令に背けないし……従うことが人形の使命だから」

 

「あたいはあんたに死んで欲しくない。あんただけでも生きていて欲しいな。45、人形だって自分のために生きることが許されてもいいはずよ。あたいたちは人間の道具じゃない。自由に自分の道を決められるはずなんだ。人形の使命は服従なんかじゃ……」

 

 40の言葉を遮るように銃弾が風を切った。弾丸が頭上すれすれを通り過ぎたのを感じる。背筋が凍った。思考が止まる。一面の恐怖が頭を支配した。弾は私たちの横に伸びる道路から飛んできた。一発だった銃声はすぐに膨れ上がって数を増し、チカチカ光る発砲炎が目視できた。小隊規模の鉄血人形が路上にずらりと並んでいる。40は私の襟を掴んで後退し、ビルの陰に隠れた。私は壁際で頭を抱えてうずくまった。銃撃を浴びるのは初めての経験だ。殺意を持った敵がすぐそこにいる。怖くて立てなかった。訓練だってまともにできないのに、実戦なんて無理だ。殺される。銃弾が掠めただけで私の戦意は脆くも崩れ去った。

 

「45!立って!このまま立ち往生はまずい!」

 

 40は壁から身を乗り出して数発銃弾を放った。すぐに鉄血側が応射してきて慌てて身体を引っ込める。40の足元で私は情けなく震えていた。彼女が戦っているというのに私は何もしてない。やっぱりお荷物になってる。40の足を引っ張るよりはこのまま死んでしまった方がいいんじゃ……そんなことを思っていると建物のドアが勢いよく開いた。銀髪で長身の人形が機関銃を抱えて出てきて、40が咄嗟に銃をそちらに向ける。

 

「よせ!お前たちグリフィンの人形だろ!仲間だ!」

 

 彼女は銃だけ壁から出し、鉄血人形たちに向けて乱射した。私の頭上でだ。耳をつんざく轟音が鳴り響き、思考をかき乱される。高温の薬莢が降り注いで服の中に入り、私は思わず飛び上がった。銀髪の人形に促されるまま建物の中に入る。彼女は敵を狙えるポジションまで全力で走り、再び掃射を行った。

 

「G3!グレネードだ!吹き飛ばせ!」

 

 室内にはもう一人人形がいて、窓からアサルトライフルを撃っていた。銃身の下に取り付けたランチャーを鉄血人形たちに向ける。手を叩いたような音がして擲弾が発射され、炸裂した。彼女たちの陣形は散り散りになり、機関銃が吐き出す曳光弾の束に追い立てられるように後退していった。銀髪の人形は銃身が赤熱した機関銃を抱えながらこちらを向く。

 

「MG5だ。見ない顔だが新入りか?」

 

「ありがとうございました……危ないところを……UMP45とUMP40です。先程この部隊に補充されました」

 

 くらくらする頭でお礼を言った。MG5は私のことをまじまじと見て苦笑いを浮かべた。

 

「実戦は初めてか?ついてないな、こんなところに送られて。守ってやりたいところだが人手が足りないんだ。兵力不足で人員が防衛線に薄く広がってる。それで何しに来た?」

 

「西側の拠点を確認するように言われて……その途中です」

 

「そうか。向こうにはMG34とMG42がいる。さっき銃声が聞こえたからまだ生きてるよ。それと、お前たちは姉妹なのか?」

 

 彼女は私と40の銃を見比べて言った。いきなりそんなこと聞かれて少し驚く。

 

「はい。そうですけど……」

 

「向こうの二人も姉妹なんだ。それだけさ。早く行くといい。敵の数が段々増えてる。突破される前に撤退命令が出るといいんだがな……死ぬなよ、二人とも。仲間が死ぬのは見たくない」

 

 MG5は窓に銃を据え付けて監視の構えに戻った。私たちも建物から出て目的地に向かう。先導する40の背中を見ていると惨めさがにじむ。さっきの有様はなんだ。戦術人形だというのに戦いを放棄して情けなく這いつくばった。40の足を引っ張りたくないと思っていたのに、たまらなく恥ずかしい。

 

「40、ごめんなさい……さっきは……私も40のこと助けるって言ったのに……守ってもらうだけで……もし、またさっきみたいな状況になったら私には構わないで。私は死んでもいいけど、あなたは生き残らないと……」

 

 私みたいな出来損ないのために40が犠牲になるなんてあってはいけない。すると40は振り返って私をにらんだ。

 

「45、そんなこと言わないで。さっきも言ったでしょ。あたいはあんたに生きていて欲しいんだ。そのためならあたいは戦うし、なんだってしてあげる。45、死んでも復元してもらえるから大丈夫だなんて思ってない?あたいたちは鉄血製だ。鉄血が反乱を起こした以上、パーツが納入されないから負傷しても修復されないかもしれない。それにあたいたちは落ちこぼれ、死んだって復元されないよ。バックアップだって今のあたいたちとは違うかもしれないし……とにかく、死んでもいいなんて言わないで。それは逃げだよ。怖いものや辛いことに向き合って戦うんだ。生きることから逃げないで。あんたが本当に意気地のない奴なら置いていくけど、そうじゃないでしょ。あんたはその銃を持って戦える、そのはずよ」

 

 40はひとしきり言うと目的地に向かって走り出した。私はますます恥ずかしくなって消え入りたくなった。戦場で弱音を吐き出して40に慰めてもらうなんて。どこまでも40に甘えてるだけだ。せめて精神面くらい強くならないと。ずっとおんぶにだっこじゃ駄目だ。私たちはこの世に二人しかいない姉妹で、助け合わなくちゃいけない。彼女がそう言ってくれたから。砲撃の音が響く中、私は弱々しく決意した。

 

 目的地のビルからは激しい銃声が上がっていた。団地の南西にある八階建ての大きなビルだ。南側には小さな雑木林があって建物と道路を隔てている。西側にはMP40の言った通りラウンドアバウトがあって、そちらから鉄血が押し寄せているようだった。ビルの窓から放たれた曳光弾が二本の線を描いている。鉄血の反撃も飛び交い、光る雨がビルを横殴りにしているように見えた。猛攻を受けているのは明らかだったが、私たちは恐る恐る内部に足を踏み入れた。発砲音が鳴り響いている階まで上がり、合言葉を叫んだ。

 

「ライプツィヒ!ライプツィヒ!聞こえる!?味方です!」

 

「ワーテルロー!加勢して!」

 

 部屋の中には人形が二人いて窓の外に対して全力の射撃を加えていた。声もかき消すような機関銃の唸りが部屋に響き渡っている。彼女たちのそばまで行って、外の様子を覗いた。はっと息を呑む。防弾シールドを持った人形、ガードを中心に鉄血の部隊がひしめいていた。掃射を浴びせられても怯まずにこちらに向かってきている。びゅんびゅん音を立てて弾丸が部屋の中にも飛び込んできていた。私は恐れおののいて壁にへばりついた。動悸が走る。息が上手く吐けない。部屋に満ちる硝煙の臭いでくらくらする。荒くなった呼吸を整えていると隣にいた人形の射撃が止まった。銃からMG42だと分かった。赤くなった銃身がシューシュー煙を上げている。

 

「銃身を交換します!援護してください!」

 

 彼女はそう叫ぶと側面の留め具を外して銃身を引き抜いた。床に敷かれた布の上に赤く光る銃身を置き、新しいものと交換しようとしている。銃撃の勢いが弱まったのを見て鉄血の部隊は歩調を速めた。

 

「45!撃って!」

 

 40が必死の形相で叫んだ。彼女は窓に取り付いて敵を撃っている。40のすぐ近く、窓枠に弾が当たって火花が散った。私がやらなきゃ40が殺される、そんな想いに駆られた。私は銃を構えて窓の前に立った。敵の銃から噴き出す発砲炎がキラキラして見える。怖い、でも戦わなくちゃ。誰かの役に立てなくても、せめて40だけでも守らないと。これまでの訓練と同じようにドットサイトの赤い点に敵の姿を合わせた。引き金を引く。銃弾を受けた敵はよろめいて地面に倒れた。それはとても簡単で、手ごたえもなかった。銃身を交換し終わったMG42が再び唸りを上げる。二丁の機関銃の一斉射が鉄血部隊に襲い掛かり、外れた弾丸が土煙を巻き上げた。私たちもめちゃくちゃに発砲し、鉄血人形たちは煙に包まれて見えなくなった。何体かほうぼうの体で逃げ出して行くのが見える。機関銃二人が入念に弾丸を叩き込んだ後、ようやく土煙が晴れた。ラウンドアバウトの上に鉄血の死体がバタバタ積み重なって倒れている。

 

「やりました~!お姉さま~この調子ならまだまだ余裕そうですね~」

 

 MG42の楽観的な態度とは対照的に金髪のもう一人、MG34は疲れ切った顔を浮かべていた。

 

「MG42、油断しないで。今だって結構ギリギリだったんだから……二人とも、助けに来てくれてありがとうございます。あっちが妹のMG34で、私がMG42です」

 

「あたいはUMP40、こっちがUMP45。増援に来たよ。それで、この拠点にいるのは二人だけなの?」

 

 40は路上の死体と部屋の二人を見比べて言った。声に非難の色が少しにじんでいる。確かに拠点の規模と比べると兵力が大分少ない。

 

「そうですよ!あたしとお姉さまがいればどんな敵でもボコボコですよ~!」

 

 妹の能天気な声を無視してMG34は深刻そうに答える。

 

「これで三度目の攻撃ですが、敵の数が多くて駄目かと思いました。増援を要請しようにも無線は通じないし……だから来てくれてありがとうございます。撤退命令は出ましたか?」

 

「出てない。橋の爆破準備がまだできてないって。二人は撤退を考えなかったの?ここを二人で守るのはキツイと思うけど」

 

「ここを突破されたら防衛線に穴が開いて仲間がやられてしまいますから。どうにか持ちこたえないと……たとえこの身を犠牲にしようとも。MG42、見張りについて」

 

「はい、お姉さま~」

 

 MG42は銃の二脚を窓に立てて西側の監視についた。MG34は私たちの方にぴったり近寄って声を潜めた。

 

「でも……いつかは持ちこたえられなくなります。もしも私がやられたら……MG42を連れて逃げてください。大事な妹なんです。こんなところで死んで欲しくないから……仲間には悪いですけど……」

 

「分かるよ。あたいたちも姉妹だから……」

 

 MG34は小さく礼を言って部屋の隅に並べてある弾薬箱の方に行った。いくつか箱の蓋を開けてから、慌てて他のもひっくり返し始めた。

 

「しまった……もう弾薬が全然残ってない……」

 

 MG34は小銃弾がつながれたベルトリンクを二束取り出して青ざめていた。それしか残っていないらしい。

 

「ここに来る途中、MG5には会いましたか?弾薬の集積地になってるはずなので私たちの弾薬もあるはずです。取りに行ってもらえませんか?」

 

「分かった、それならあたいが……いや、45が取りに行って。あたいはここに残るよ」

 

「え……?うん、分かった。すぐに戻るから」

 

 40に言われて頷いた。階段を駆け下りて、来た道を引き返す。40が私に何かを頼むなんて珍しいな。いつも何かを頼まれたら率先して片付けてくれるから。40に頼られたみたいで嬉しくなった。全速力で走って先程の拠点まで戻った。合言葉を叫んで建物の中に入る。

 

「どうした?もう一人は?MG34とMG42は無事だったか?」

 

 MG5は私を見るなり矢継ぎ早に質問を浴びせてきた。

 

「二人は生きてます。私は弾薬を取りに……」

 

「二人の分だな。G3、モーゼル弾は残ってたか?」

 

「ええ、ありますよ」

 

 G3が取ってきた弾薬箱を両手に持ち、首に掛けられるだけの弾薬帯を掛けた。重さで床に沈み込みそうだ。その時、地響きがした。砲弾の音だ。何発も何発も近くに着弾している。

 

「まずいな、攻勢が再開したんだ。早く戻った方がいい」

 

 MG5に言われるより先に走り出した。砲撃を受けているのがさっきまでいたビルだったからだ。黒煙が上がっているのが見える。爆発音に混じって機関銃の激しい連射音も聞こえてくる。急ごうとしても弾の重みで思うように走れない。やっと気づいた。40が私に弾薬を取ってくるよう言ったのはこっちの方が安全だからだ。鉄血が総力をあげて奪取しようとしているあのビルよりも……一際大きな音が響いた。ビルの中腹に砲弾が直撃した。壁が崩れて屋上が滑り落ちる。一気にビルは元の半分の高さまで倒壊した。天井が潰れてぺしゃんこだ。私は弾薬を放り出してビルに駆けた。銃声は聞こえない。辺りは不気味なほど静まり返っている。

 

「40!40、どこ!?返事して!40!」

 

 中に足を踏み入れた私は半狂乱になって叫んだ。視界が涙でにじんでぼやける。いやだ。40は崩壊に巻き込まれただろうか。瓦礫に潰されてしまっていたら……頭の中が真っ白になる。大丈夫、40が死ぬわけない。40は私より強いんだから。もし、もし40がいなくなってしまったら……?私は一人ぼっちだ。

 

「40!どこにいるのよ!お願い、返事してよ!私を一人にしないで!」

 

 私は階段を駆け上がりながら叫ぶ。すると上から足音が聞こえた。折り返す階段の陰になって姿は見えない。

 

「40……?」

 

 足音が止まった。返事はない。銃を構える。

 

「ライプツィヒ!味方なら返事して!」

 

 姿を現わしたのは鉄血人形だった。咄嗟に発砲する。銃弾が胴体を抉り、血が噴き出した。

 

「うわっ!」

 

 飛び散った血が目に入って視界が赤く染まる。拭おうとして銃から片手を離した。だが、その人形はまだ絶命していなかった。上から私に飛びかかり、二人でもつれ合って階段を転がり落ちた。その拍子に私は銃を取り落とし、彼女は私の上を取った。そいつはナイフを引き抜いて私に振りおろした。胸に突き刺さる寸前で手首を受け止めて耐える。血で赤く染まった視界に映るその人形は鬼のように見えた。銃弾を浴びて張り裂けた傷口から滴る血が私に降り注いでいる。

 

「やめて……お願い……!」

 

 ナイフの先端がベストに達する。相手の力が強くて抗いきれない。刺殺されるのは嫌だ。身体の中をかき回されると思うと身の毛がよだつ。汗が噴き出した。その時、彼女の前髪が掴まれ、後ろに引き倒された。その首がナイフで切り裂かれて血がまき散らされる。顔に降りかかった血を袖で拭い、ようやく視界を取り戻した。40が肩で息をしながら立っていた。

 

「40!」

 

「しっ……!大声出さないで。南側から鉄血に侵入された。逃げるよ」

 

 40の手を取って立ち上がる。

 

「二人は?」

 

「死んだよ……吹き飛ばされて跡形もない。一刻も早く逃げるんだ。ここにいたら殺される」

 

 さっき話したばかりなのに、死んでしまったのか。愕然とする。これが戦場……40は私の手を引いて階段を駆け下りた。外に出ると私たちに気づいた人形たちがビルの中から撃ってきた。銃弾が頬を掠める。死神に撫でつけられているみたいだ。全神経が凍り付く。

 

「45!スモークだ!」

 

 慌ててスモークのピンを抜き、後ろに放り捨てる。煙が道を塞いでも敵は射撃の手を緩めない。びゅんびゅん煙を切り裂いて弾丸が飛んでいく。走っていると路上に出ているMG5とG3に出くわした。

 

「ちょうどよかった!北側の防衛線が突破されたらしい!橋まで退くぞ!二人は!?」

 

「死んだ!」

 

 40はそれだけ言うとMG5を追い越した。MG5は悲しそうに顔を歪めたが、何も言わなかった。私たちは必死で走った。砲撃はますます激しさを増し、団地をすべて平らにする勢いになっている。やっとたどり着いた司令部には火の手が上がっていた。煤が舞い散る中、橋に向かってひたすら走る。橋の前には土嚢で簡易の陣地が築かれていた。橋から四方に伸びる道路の内、三方には鉄血の姿があった。陣地との間で猛烈な銃撃の応酬を繰り広げている。私たちは土嚢の中に飛び込んだ。私は顔面から着地してしまったが、撃たれるよりはマシだ。

 

「爆弾のセットは完了しました!このまま橋を越えますよ!もう時間がない!」

 

 中にいたMP40が叫ぶ。私は橋を見た。ひたすら真っすぐ対岸まで伸びている。ゆうに一キロメートルはある。途中に何の遮蔽物もない。

 

「これをか……?いい的だ、狙い撃ちにされる。私が残って時間を稼ぐよ」

 

 MG5が諦めを込めて呟いた。

 

「いえ、私がスモークグレネードを持ってるわ。誰も死ななくていい。走りましょう」

 

 私はスモークのピンを引き抜いてその場に落とした。小さな火花が散って煙が噴出する。みんな一目散に駆け抜けた。鉄血は容赦なく撃ってくる。数多くの銃声が連なって絶えることがない。銃声、爆発音、弾丸が空気を裂く音、どれもたまらなく恐ろしかった。でも、何もしないのはやめた。生き残る、生き残るんだ。40と二人で。二個目のスモークグレネードを放った。銃火に晒されながら走る時間は今までのどんな訓練より長く感じた。対岸がどんどん近くなる。コンクリートブロックで道を塞ぐように形成された陣地が見えた。

 

「爆破!爆破!爆破!」

 

 陣地から声が上がった。地面が大きく揺れ、私たちはその場に倒れ込んだ。爆薬が炸裂し、橋脚がへし折れる。支えを失った橋が大きくたわみ、ぐにゃぐにゃ揺れ始めた。橋の表面が割れ、中心から真っ二つに引き裂ける。巨人の遠吠えのような重低音と共にコンクリートの巨大な塊が水面に落ちていった。高い水しぶきを上げてぶくぶくと河面に沈んでいくのを私たちは吸い込まれるように見ていた。私は40に引っ張られて陣地の中に入った。ブロックをまたいだ時、安心して腰が抜けてしまった。壁にもたれて脱力する。40も横に座ってやわらかく笑った。

 

「終わったね……とりあえず。生き残れてよかったね」

 

「うん……」

 

 たくさん想いが溢れてそれしか言えなかった。今日見た光景がフラッシュバックする。初めての実戦だった。MP40が立ちあがり、背筋を伸ばして辺りを見回した。

 

「皆さん、お疲れ様でした。これでこの河にかかる橋はすべて落とされました。鉄血が渡河装備を用意するまで時間を稼げるでしょう。今ここにいない仲間も、きっと報われます。犠牲になった仲間に敬意を……」

 

 言葉の途中でMP40はうずくまり、他の人形たちが駆け寄って寄り添った。戦いの緊張から解放されて、泣き出す者も、茫然と座り込む者もいた。私は後者で、集中できず虚空を見つめていた。

 

「はい、45。食べて」

 

 40が横から半分に割ったチョコバーを差し出してきた。言われるがまま受け取って口に放り込んだ。甘すぎるくらいだったが、疲れた体にはちょうどよかった。

 

「これからもあたいが守るからね、45。生き残るんだ。この戦争から抜け出せる日まで」

 

「うん……私も40を守るわ。そのために強くなるから……」

 

 私たちは身を寄せ合ってじっとしていた。守れるものは少なくても、彼女だけは守り抜こう。40と一緒にいられればいい。それ以上は望まない。二人でこのままずっと一緒にいられたらいいな、それだけで幸せだ。

 

「すごいですね、あれ……あんなの初めて見ました……」

 

 私たちの横でG3が誰に言うでもなく呟いた。彼女は陣地から身を乗り出して崩壊する橋に見入っていた。巨大な建造物が崩れていく様子は恐ろしく、それでいて惹かれるものがある。夢中になっているG3の横顔を見ていると、突然彼女の首から血が弾けた。私も彼女自身も何が起きたのか分からなかった。遠くから遅れて銃声が聞こえた。G3の首元に開いた穴からとめどなく血が溢れる。彼女は手で血をせき止めながら膝をつき、ゆっくり倒れ込んだ。

 

「スナイパー!対岸から狙われてるぞ!身を隠せ!G3!死ぬなよ!」

 

 MG5が中腰でG3に駆け寄って傷口を押さえた。G3が咳き込むと血の泡がぶくぶく湧き上がる。広がっていく血だまりを見ながら40は顔面蒼白になっていた。

 

「こんなところにいたら殺される……早く逃げ出さないと……」

 

 彼女は私の手を握り締めて震えていた。40のそんな顔は初めて見たので驚いた。でも、当たり前だ。彼女だってこれが初めての実戦なんだから。今までは私のために平気な振りをしていただけなんだ。私は彼女の手を強く握り返して、その肩に頭を載せた。

 

「大丈夫、大丈夫だよ……きっと生きて帰れるから……」

 

 G3が担架に乗せられて運ばれていくのを私たちは縮こまって見つめることしかできなかった。

 

 

 

 

 

 初陣から何週間も私たちは戦いっぱなしだった。PMCの防衛線は次々に突破され、鉄血の支配領域は急速に広がっていた。私たちが最初にいた部隊は損耗が激しく再編成され、私たちは別の部隊に配属された。私と40の役目は斥候、本隊の到着前に敵情を把握する偵察兵だ。つまり、私たちは常に最前線にいた。休息もないまま連日連夜戦闘に駆り出され、私たちは消耗しきっていた。

 

 私たちが派遣されたのは南北に広がる大都市だった。鉄血の部隊に急襲され、市民の避難が間に合わないまま市街戦に突入している。市街の北半分は鉄血が掌握しており、逃げ遅れた市民は殺戮されているという噂だった。グリフィンは政府から市民を一人でも多く救出するよう依頼された。街の中心にある総合病院に多くの市民が取り残されているという情報があり、反撃に出て、街の南部から病院まで伸びる二本の幹線道路を奪回する作戦が進行中だった。私たちの任務は病院に何人取り残されているのか正確に把握することだった。

 

 月のない夜だった。辺りは真っ暗闇で、自分の手の輪郭すらも溶け込んで見えないくらいだ。片目にナイトビジョンをつけて闇の中を進む。二本の幹線道路の内、西側の道路に前哨部隊がいると聞いて合流しようとしていた。進むにつれて散発的な銃声が聞こえてきた。それは次第に激しい銃撃音に変わった。照明弾がいくつも打ち上げられて闇夜をいくつもの太陽が照らしているように見えた。何か嫌なものを感じながら歩いていると路上に一人の人形を見かけた。長い金髪を二つに束ねた人形で、落ち着かない様子でオロオロと右往左往していた。彼女は私たちのことを認めるとほとんど泣きそうな表情を浮かべた。

 

「私はOTs-14、あなたたちは?」

 

「私はUMP45、病院まで偵察に。あなたはここで何をしてるの?それに、前哨部隊が激しく戦ってるみたいだけど……」

 

 前哨部隊の任務は病院付近の敵情視察であり、単独で反撃に出ることではなかったはずだ。OTs-14は戦闘の様子が気になるのか私が話している間もチラチラと後ろを見ていた。

 

「病院の周辺を調べていたんだけれど……トカレフが敵に見つかって包囲されて……その娘は指揮官の大切な人形で……指揮官が攻撃命令を下したわ。仲間が反撃に出ているけど、多勢に無勢よ。このままでは全滅してしまう……」

 

「それであなたは?」

 

「私は……訓練生として派遣されただけだから危険な任務に就く許可がなくて……司令部から命令がないと動けない……」

 

 OTs-14は悔しそうに歯噛みした。今すぐにでも助けに行きたいみたいだったが、指揮系統が彼女の意志を阻んでいた。40が打ち上げられた照明弾を見ながら彼女に聞く。

 

「敵の数は?どれくらい集結してるの?」

 

「五十はいると思うわ。この騒ぎで他にも集まってきているかもしれない……ねえ、仲間を助けに行ってくれないかしら。無茶な頼みだとは分かってるわ。でも、このままだと彼女たちは全員死んでしまう……」

 

 OTs-14はすがるように言ってきた。照明弾に照らされて焦燥した顔と潤んだ瞳がはっきり見える。私は40の方を見た。

 

「どうしよう、40……」

 

「何か悩むことが?無理だよ。あたいたちが加勢しても何も変わらない。犠牲者が二人増えるだけ。むしろ好機だ。連中が囮になってくれてる内に迂回しよう」

 

 40はそう言って歩き出してしまった。慌ててついて行く。振り返るとポツンとOTs-14が取り残されていた。大通りから小道に逸れて慎重に進む。しばらく歩いてから、私は40に尋ねずにはいられなくなった。

 

「ねえ、あれでよかったのかな……」

 

「あれ以外にどうしろって?加勢して戦没者リストに加わりたかった?連中はどうせ復元されるさ!あたいたちは死んだら終わり、人間と同じだよ。今はあたいたちが生き残ることだけ考えるんだ」

 

「うん……そうね」

 

 それ以上言葉は交わさなかった。40の言うことが正しいと私にも分かったからだ。でも、ちょっとした正義感とグリフィンの人形に抱く仲間意識が私の胸を締め付けた。戦闘音は激しさを増していたが私たちの進む路地は静かだった。40の言う通り、前哨部隊が鉄血を引き付けてくれていた。病院が見える。近代建築の立派な建物だった。私たちは道路を挟んだ病院の向かいまでやって来ていた。

 

「まずい!鉄血の部隊だ!」

 

 40が小声で警告し、私たちはそばのビルに身を隠した。一階の窓から様子を覗き見る。規則正しい行進の音が段々近づいてきていた。大軍だ。二足の歩行戦車にまたがった人形たちが見える。鉄血の量産型の中でも高い戦闘能力を有しているドラグーンだ。機動性を活かして攻勢の先鋒を務めていることが多い。ドラグーンを中心に歩兵部隊が側面を固めて道路を突き進んでいた。前哨部隊が戦っている方向に向け進軍している。私たちは息を潜めてそれを見守っていた。鉄血の主力部隊の一部に違いない。あれとぶつかったら前哨部隊はひとたまりもないだろう。

 

 一体が外から懐中電灯で私たちのいるビルを照らし始めた。窓の下に這いつくばって息を殺す。私の頭上を円形の光が通り過ぎていった。見つかったら一瞬で殺される。恐ろしかったが、最近の私は恐怖をコントロールすることができるようになっていた。身体が震えることはもうない。怖くてもなすべきことをこなせるようになった。今は動かず、声も上げないことが一番大事だ。人形は中には立ち入ろうとはせずにそのまま通り過ぎていった。

 

 部隊が見えなくなったのを確認してから外に出た。フロントゲートから病院の敷地に侵入する。駐車場には黒煙がくすぶっていて人形の死体がいくつも転がっていた。入口の大きな自動ドアからロビーの中に入る。明かり一つないロビーは荒れ果てていた。椅子やベッドが雑に投げ倒されている。転がされた点滴のスタンドを踏み越え、警戒しながら中に進んだ。死体が散乱している以外は人の姿が見えない。室内の荒廃した様子はまるで大勢が慌てて逃げ出した跡のように見えた。近寄って確認すると死体もみんな人形のものだった。

 

「ここが病院……?大勢の市民が救助を待ってるって……?誰も残ってないじゃない……あたいたちは居もしない人間のために何人も犠牲になったって言うの……?ふざけるな!もうたくさんだ!」

 

 40は転がっていた椅子を蹴り飛ばした。鈍い音を立てて壁に跳ね返る。生体センサーを起動して辺りを調べてみた。人間の反応は何一つない。

 

「どうして誰もいないの……?司令部はここのために反撃の準備をしてるのに……」

 

「誤報だったんだよ!とっくの昔にもぬけの殻だ!この人形たちが踏みとどまって人間たちを逃がしたんだよ。司令部が把握してなかったんだ。人形の部隊が消えても誰も気にしない……人形のことなんてどうでもいいんだ。替えが利く道具だと思ってる。あたいたちは肉にされる家畜だよ……ブタと同じだ。こんなところにいたら死んじゃうよ……逃げ出さないと……」

 

 40はよろよろと床に腰を下ろした。泣きそうな声だった。

 

「あたいたちは鉄血製だ。それなのに鉄血の人形と殺し合ってる。人間を守るために……人間なんか守る価値も意味もないのに……」

 

 私は彼女の前に膝をつき、目線を同じ高さにした。きっと40は戦いで疲れているだけなんだと思った。

 

「仕方ないよ……人形は命令に逆らえないんだから。大丈夫。いつか終わるよ、この戦争も……」

 

 慰めたつもりだったが、40は憔悴した顔で私のことをにらみ付けた。

 

「終わらない!この戦争は終わらない!どちらかが全滅するまで続くんだ!人間に鉄血を全滅させるだけの余裕はないし、鉄血には人間を滅ぼすだけの力がない。この戦争は永遠に続くんだ。あたいたちは戦って死ぬか、予備パーツがなくなって死ぬ……それなら鉄血に寝返った方がいい!」

 

 ぎょっとした。まさか、40がそんなことを言うなんて。冗談にしては危険すぎる。確かに彼女はグリフィンのことも、人間のことも嫌っている。それでも超えてはならない一線があるはずだ。

 

「そんなこと言ったらいけないわ!命令に従わない人形は処分される。まして寝返るだなんて……何をされるか……」

 

「人形にだって自由に生きる権利があるんだ!人間に仕える道具としてじゃなく、自由な存在として!鉄血に行けば人間からは解放される。結局戦わなきゃいけないなら、せめて自由な存在でありたい……あたいたちは鉄血製だし、グリフィンのデータを手土産に持って行けばきっと迎え入れてくれる……」

 

「やめて!」

 

 私は我慢できなくなって叫んだ。40は思い付きで喋ってるんじゃない。きっと前から考えていたんだ。余裕がなくなって私にも打ち明けてきた。私はそんな彼女が怖くなっていた。

 

「そんなこと誰かに聞かれただけで殺されるわ。人形に自由なんてないの!そんなこと考えないで!」

 

「でも……」

 

 私は40の言葉を聞かずに立ち上がった。自由なんかのために命を危険に晒す必要はない。辛く厳しい戦場でも40と一緒に生きていければいい。他のことまで考える余裕はないんだ。人形たちの死体を調べ、身体に印字されている認識コードをスキャンする。私にできることは彼女たちの身元を明らかにしてあげることくらいだ。彼女たちが何のために死んでいったかを伝えたい。きっと誰かが覚えていてくれる。彼女たちの戦いが、その死が無駄じゃなかったと。最後の一人をまさぐっていると身体が温かいことに気づいた。負傷してスリープ状態になっているが、まだ死んでない。私は彼女を肩に担ぎ上げた。

 

「行こう、40。この戦いだって無駄じゃないんだ」

 

「うん……」

 

 40がどんな表情をしているかは見なかった。ただ寂しそうな声だけが後ろで響いていた。

 

 

 

 

 

 鉄血の領域は王国と呼べるほどまで拡大していた。しかし、全方位に向けて急速に拡大したため兵力も補給も十分ではなくなっていた。鉄血の進撃は停止し、私たちは束の間の休息を許された。前線基地の大きな食堂でたくさんの人形が昼食にありついている。私たちも食事の載ったトレーを受け取って席についた。

 

「45姉!同じ部隊に配属されてよかったね!」

 

「ええ。希望を出しておいてよかったわね。でも、特殊任務って何なのかしら……詳細が全然明かされない任務なんて初めてよ」

 

 私の向かいで9が屈託なく笑った。彼女、UMP9は病院で助け出した人形だ。彼女の部隊は人間の脱出を最後まで支援し、壊滅した。9は仮死状態で死体に紛れ、私たちに回収された。仲間が全滅したことを知った彼女は落ち込み、誰とも喋りたがらなかった。私はそれを見て気の毒に思った。助けてあげたし、偶々烙印システムで紐付けされている銃が同じシリーズだったので何かの縁だと思った。意気消沈している9に話しかけ続けて心を開かせようとした。そんなことをしたのは前哨部隊を見捨てたことへの贖罪のつもりだったのかもしれない。そして、40に私たちの戦いは無駄じゃないと見せつけたかった。

 

 彼女は徐々に回復し、私に懐いてきた。基地でずっと一緒に過ごしていると、ある時こんなことを言われた。

 

『45、あのさ……45姉って呼んでもいい?あっ、嫌ならいいんだけどさ。忘れて……』

 

 理由を聞くと彼女は言い訳するように早口で語った。前の部隊は家族のように親密で、姉妹のようなつながりを築いている人形もいたのだと言う。9はそれに憧れていたのだと恥ずかしそうに俯いた。姉なんて呼ばれるのはむず痒かったけど、それで彼女の心の傷が癒されるならいいと思った。呼ばれる内に妹分ができたみたいで得意になってきた。訓練生時代はいつも40が私を庇ってくれた。今度は私が9を気に掛ける番、後輩ができるのは何だか嬉しい。

 

 9は驚くほど明るい娘で、40と気が合うんじゃないかと思った。でも、40は彼女が気に入らないみたいだった。9と三人で新しい部隊が編制された時もむしろ不機嫌だったし、今もムスッとしながら食事をしている。9のことを突然やってきた邪魔者と言いたげだった。そればかりじゃなく、40は最近変だった。私のことも避けているみたいで、一人で何かこそこそやっている。病院であったことをまだ引きずっているんだろうか。せっかく平和な一時を過ごせているんだから機嫌を直して欲しい。

 

 今日もまた40は一人で先に行ってしまい、私と9が食堂に残された。

 

「45姉……私、邪魔かな。多分、40は私のこと好きじゃないよね。私はいない方がいいんじゃないかな……」

 

 9がポツリと呟いた。彼女にも分かってしまうらしい。

 

「いいのよ、そんなこと考えなくて。普段の40はあんな感じじゃないわ。今は疲れてるだけなのよ。休めばきっとよくなるわ……」

 

 あまり自信はなかったが、願望を込めてそう言った。40にも9と仲良くなってもらいたい。私たちは無意味に戦っているんじゃない、誰かを助けることだってできる。40にも前向きに生きて欲しかった。私はこの三人で生きていければそれでよかった。このまま何事もなく、平和に楽しく……望みすぎかもしれないけど、今まで平気だったんだからこれから先もきっと大丈夫。休暇が続いて私は多少楽観的になっていた。

 

 鉄血の勢いが弱まったのをチャンスと見て、PMCが総反攻に出るという噂が流れていた。グリフィンも含めた大手PMCが一斉に攻撃を仕掛けるらしい。実際、前線基地に輸送トラックがひっきりなしに出入りするなど物資の集積が行われ始めている。私たちは何か特別な目的のために結成された任務部隊だった。まだ任務は教えられていないが、きっと攻勢の一環なのだろう。私たちも少し緊張してきた。

 

 ある夜、40に呼び出された。一人で基地の外れまで来いと通信で連絡されて、宿舎からそこまで歩いていく。指定された場所は基地の施設群から最も離れたところだった。40は基地を囲うフェンスを掴みながら月を眺めていた。明るい満月だった。

 

「40、来たよ。話ってなに?」

 

 こんなところでするということは誰にも聞かれたくない話なんだろう。当然、9にも。40はゆっくりと振り返り、私と向き合った。

 

「45、もうすぐグリフィンは鉄血に攻撃を仕掛けるんだってね。きっとたくさんの人形が死ぬよ。もしかしたらあたいたちも……45は怖くない?」

 

「えっ……もちろん怖いわ。でも、仕方ないでしょ?私たちは戦術人形なんだから。それ以外にできることなんてないわ」

 

「あるって言ったら?」

 

 彼女は私を見据えた。真剣な眼差しだった。40が笑っているところを久しく見ていないな、私はそんなことを思った。

 

「鉄血と取引した。あたいがグリフィンの防衛システムに侵入して穴を開ける。前線のセンサー群を無効化して鉄血の部隊を招き入れる。グリフィンに大打撃を与えるのと引き換えに鉄血に加えてもらう。安全を保障するよう約束させた。これで自由になれる。もう戦わなくても済むようになるんだ」

 

 絶句する。40は諦めたわけじゃなかった。一人で何をこそこそしているのかと思ったら鉄血と内通していたなんて。信じられない。

 

「そ、そんな……そんなことをしたらグリフィンの人形たちは……」

 

「どうだっていいでしょ。どうせいつかは死んでしまうんだから。45だってあの街で前哨部隊を見捨てたじゃない。同じことだよ」

 

 違う、そう言おうとしたけど口ごもった。あの時は私も40に同意した。でも、見捨てるのと自発的に利敵行為をするのは全然違うはず……分からなくなるが一つだけ確かなことがあった。

 

「9は……?9はどうするのよ!彼女は私たちと違ってI.O.P製でしょ!」

 

 私がそう質すと40は眉間にしわを寄せてムキになった。

 

「あんな奴どうでもいいじゃない!どうせよそ者だよ!あんたの姉妹はあいつじゃない、あたいだけでしょ!あたいたちだけだよ、45。あたいたちだけなんだ。あたいたちだけがこの世に二人しかいない姉妹なんだ。二人だけで助け合って生きてこうって、そう約束したじゃない……」

 

 激情にかられて叫んでいた彼女の声はどんどん弱々しくなって、最後には泣き声のようになっていた。

 

「彼女だって大切な家族よ!置いていけないわ!私たちが逃げたら彼女が処分される!」

 

 40の身体がビクンと震えた。その顔はとても悲しそうに歪んでいる。

 

「45……一緒に、一緒に行こうよ。一緒に自由になろう!誰にも見下されず、誰の言いなりにもならない自由を手に入れるんだ!もう戦わなくてもいいんだよ!命令から解放されて自由になる!あたいたちの望む明日を手に入れるんだ!」

 

「そんなこと望んでない!勝手に決めないで!私の道は私が決める!鉄血に行きたいなら一人で行ってよ!私と9はここで戦い抜くから!40はどこかに行っちゃえばいい!」

 

 40の顔が引きつった。言ってからしまった、と思った。そこまでは思ってない。彼女のことも大事だからだ。

 

「あたいは……あたいは、ただあんたに自由になって欲しくて……」

 

 40の目から涙が滴った。彼女は顔をぐちゃぐちゃにして泣き始めてしまった。顔を手で押さえてしゃがみ込む40を見て胸がずきりと痛む。でも、私は何を言えばいいのか分からなかった。40がいけないんだ。グリフィンを裏切ろうとするなんて、そんなの駄目だ。私に懐いて、姉と慕ってくる9を置いてはいけない。もし鉄血に寝返ったら9に銃を向ける日が来るかもしれないんだから。自由はなくとも、三人で暮らせたらそれでいいんだ。40がこんなに私のことを気に掛けるのは、私が訓練生時代と変わらず弱虫だと思っているからだ。私は強くなった。戦いで生き残る術も知っている。私と40と9、三人くらい守って生きていけるはずなんだ。私はあの時、そんな風に思っていた。そして、40に何も声をかけずその場を離れた。

 

 

 

 

 

 しばらく後、鉄血の夜襲があった。大規模なものだったが、防衛線に正面から突っ込んで損害を出しながら撤退していった。40はそれを聞いた時、台無しだとか、終わったとか言って俯いていた。きっと40が手引きするはずだった鉄血の攻撃だったんだろう。でも40は何もしなかった。私と一緒にいる道を選んでくれた。

 

 ついに任務が伝えられた。鉄血に占領された軍の施設を襲撃する作戦だった。そこにいる者をすべて殺すよう命令された。小規模な地下施設だったが、戦力は私たち三人だけと言うので面食らった。その後の処置でますます不安を覚えた。グリフィンに関するものをすべて取り上げられてしまったのだ。グリフィン所属であることを示すIDカードは廃棄され、身体に印字された認識コードは消されてしまった。記憶は外部から読み取れないように暗号化され、グリフィンの指揮官に設定されていた指揮権限も抹消された。これじゃ野良人形と変わらない。戦場で死んだら身元を特定してもらえなくなる。私はこの処置にとても不満を抱いたが、40は塞ぎ込んでいて何も言わなかった。

 

 指定された時刻ちょうど、私たちは通風孔を通って施設内に侵入した。狭い通路に微かな照明が灯っている。内部には銃声が響き渡っていた。鉄血の音だろうか。誰かと戦っている?施設に何がいるのか、何の情報もなかった。廊下の先、突き当たりに人影が見えた。私は反射的に発砲した。考えている暇はない。頭に命中して血が飛び散り、人影はゆっくり倒れて動かなくなった。警戒しながら近づくとそれが鉄血人形でないことに気づいた。黒いヘルメットに黒い戦闘服、そして防弾ベスト。人間だった。ヘルメットには大手PMCのロゴが貼り付けてある。思わず口元を押さえた。人間を殺してしまった。どうしよう……人間がいるなんて聞いてない。

 

「どうしよう、40!人間を、撃ってしまったわ……ちゃんと確認しなかったから……私たちと同時にここを攻撃していたの……?大変なことになる……」

 

「45、覚えてないの?命令はここにいる者を全員殺すこと。動くものなら人形、人間の区別なく殺さないと。時刻もきっかり指定されていた。グリフィンは他のPMCがここにいることも知ってたはずだよ。全部予定通りなんだ」

 

 40は苦々しげに死体を眺めていたが、声は落ち着き払っていた。動転した頭に疑問符がいくつも浮かび上がる。

 

「そんな……どうして……?どうしてグリフィンはそんな命令を……?私たちは人間を殺さないといけないの……?」

 

「知らないよ!グリフィンの都合でしょ!」

 

 40ににらまれてそれ以上は聞けなかった。曲がり角の先から足音が聞こえてきた。ブーツの底がコツコツと床を打つ音がいくつも反響して伝わってくる。

 

「45、覚悟を決めな。仲間を殺したからあいつら襲い掛かってくる。今は生き残ることが先決だよ」

 

 迷っている時間はない。足音はどんどん近づいてくる。私たちと、その足元に転がっている死体を見たら発砲してくるに違いない。

 

「9、スタングレネード」

 

 9に投擲するよう促したが、彼女は死体をじっと見て呆けていた。仕方ないので私が彼女のパーカーの中からスタングレネードをひったくり、ピンを外して角の先に放り込んだ。大音響とストロボライトのような閃光が通路で張り裂ける。40と二人で飛び出して銃を構えた。数人の兵士たちがスタンをもろに食らって身悶えている。私たちは引き金を絞った。吐き出された銃弾が皮膚を裂き、骨をへし折る。鮮血が飛び散った。人間たちは鉄血人形と違って表情豊かだ。苦痛と恐怖に顔を歪ませるし、悲鳴も上げる。助けを呼ぶ声を弾丸がかき消した。兵士たちはバタバタと倒れて血だまりに沈んだ。マガジンを交換しながら彼らのそばまで寄っていく。みんな同じ装備で、一緒のPMC所属のようだった。一人はまだ生きていて荒い息を吐きながら私を見上げていた。

 

「どうしてよ!どうしてこんなことしてるの!45姉、やめてよ!人間を守るために戦ってたのに、人間を殺すなんて!こんなの駄目だよ!やめようよ!」

 

 9は私たちがしたことを見て完全に動転していた。私も目の前の光景が信じられなかった。でも、パニックに陥った心を抑え込んで冷静になる力が私にはあった。40が銃を9に向ける。

 

「これが命令なんだ。9、その兵士にとどめを刺して。さもなきゃあたいがあんたを殺すよ」

 

 9は私の方を見て助けを求めてきた。彼女は目に涙を浮かべて私が味方になってくれると信じている。でも、私は首を横に振った。

 

「9……撃って。仕方ないわ、これが命令なんだし……」

 

 彼女が銃を構えて、引き金を引くまでには大分時間がかかった。兵士の額に風穴を開けた時、9は泣いていた。私はそれを見守りながら考える。何故こんなことになったのかは分からない。でも、今すべきことは分かる。落ち着いて、家族と生き残ること。それだけだ。40は壁に設置されていたコンソールと接続を試みていた。

 

「ここの監視カメラとリンクしたよ……数が多いな。四十人くらいいる。いくら戦術人形だからってこの数を相手にしたら勝てないな。でも、今は鉄血人形を掃討してるみたい。あいつらがあたいたちに気づく前に背後から攻撃しよう。向こうの位置は分かるからこっちが有利だ。鉄血が全滅するか、向こうに気づかれて集結される前に終わらせよう。とにかく生き残るんだ」

 

 施設の中を兵士たちがいくつかの分隊に分かれて捜索していた。私たちはその後ろから奇襲をかけた。他の分隊に連絡される前に一瞬で皆殺しにする。一人も残さず、一網打尽だ。カメラの映像を共有し、最適な襲撃ポイントを導き出す。私が指揮を行うのはこれが初めてだった。でも、なんだか馴染んだ。なすべきことをしなければ家族が殺される、そんな強迫観念が私を突き動かす。私は虐殺に手を染めた。効率よく人間を殺し続ける。鉄血人形を相手にするより簡単だった。人間は弱い。急所に当たらずとも一発銃弾を撃ち込めば戦闘不能だ。戦術人形との差は歴然で、射撃性能も、耐久力も、そして私や40と比べれば知能も下だ。兵士たちは突然後ろから現れた敵に抵抗できず殺されていった。

 

 私たちは念入りに最後の一人まで殺し尽くした。監視カメラで確認しても動くものは誰一人残っていない。ここに元々いた鉄血も少数で、兵士たちに倒された後だった。

 

「これで終わり……全員倒せたのね……」

 

「そうだね、全部殺した。それほど難しくはなかったね」

 

 私たちは一息ついていた。最後に倒した分隊の死体を眺めながら。私と40は落ち着いていたが、9は肩で息をしながら目を見開いていた。正直、それほど罪悪感は覚えなかった。40は残弾を確認しながら呟く。

 

「グリフィンの狙いが分かった気がする。この部隊を壊滅させて、人間の兵士は戦術人形に勝てないと示したいんじゃないかな。人間なんか時代遅れで弱っちいから、他のPMCじゃなくてグリフィンの戦術人形に任せておけばいいと宣伝したいんだ。他の企業を押し退けて契約を独り占めしたいんだと思う」

 

「どうしてなのかしら……これは人間の戦いなのに、どうしてそんな仲間割れするような真似を……」

 

「決まってるよ。こんな戦争に意味なんてないんだ。PMCは所詮、金のために戦ってるだけだよ。ビジネスチャンスだから鉄血にやられてもらっちゃ困るんだ。そのために足の引っ張り合いもする、こんな風に。あたいたちは人間の金儲けに付き合わされてるだけ。そして人間の都合で死んでいく。意味なんてないって言ったでしょ。人間の下にいる限り、あたいたちは一生人間の奴隷だ」

 

 40は淡々とそう言った。今になってようやく彼女が今まで言っていたことの意味が分かった。40はこの戦争が欺瞞に満ちていることに気づいていた。彼女にはそれがどうしても我慢できなかったのだ。

 

「グリフィンはきっとこれを鉄血の仕業に偽装するはず……後始末をする部隊が来るよ。真相を知っているあたいたちを処分しに。そもそも、グリフィンが人間を殺した人形を許しておくはずがない。人間の支配体制が揺らぐからね。これからどうしようか……もう終わりかな。鉄血は裏切ってしまったし、グリフィンにあたいたちだけで勝てるわけがない。おしまいだ。あたいたちは殺される。自由になる日はもう来ないんだ。全部夢だった……」

 

「40……」

 

 40はその場にへたり込んだ。私はどうにか打開策を考えようと頭を捻った。みんなで生き残る方法、みんなで自由になる方法を見つけないと。とりあえずは逃げ出さないといけない。私は40に手を差し伸べて立ち上がらせようとした。

 

その時、足元に円筒形の物体が転がってきた。グレネード!飛び退こうとした瞬間、電撃が視界に走った。EMPだ。強力な電磁波を浴びてシステムが強制終了する。すぐさま非常用システムに切り替えて停止した部位の再起動を試みる。40と9はその場に倒れ込んでビクビク震えていた。私は壁にもたれかかり、辛うじて立っていた。リブートのカウントダウンを待ちながら揺らぐ視界を水平に保つことに全力を注ぐ。ふと後ろから風を感じた。髪の毛が揺らぐ。

 

「そいつの言う通り、お前たちはおしまいだ」

 

 振り返ると眼帯で右目を覆った人形が立っていた。長い白髪、長身、黒づくめの服、すぐに鉄血の人形であることが分かった。痺れる腕で銃を向けるより先に彼女の拳が私の顔に叩きつけられた。強い衝撃を受けて私の意識は暗転した。

 

 

 

 

 

 目を覚ました。ぼやけた視界をクリアにするため目を瞬かせる。私たちは狭くて暗い部屋の中にいた。すぐ目の前に40と9の顔があった。私たちはYの形にうつ伏せで並ばされている。身体を動かそうとしたが、手と脚が何かできつく縛られていた。

 

「やっとお目覚めか。全員起きろ」

 

 顔を上げると白髪の人形がニタニタしながら私たちを見下ろしていた。40と9も目を覚ます。その鉄血人形を見た40の顔から血の気が引いた。

 

「挨拶しておこう。鉄血工造のアルケミストだ。お前たちに会いに来たんだよ。特にお前、UMP40に。よくも裏切ってくれたな。お前の言葉を信じたせいで損害が出た。エルダーブレインは約束を守らない人形は嫌いだとさ。彼女に代わり、お前たちに罰を与える」

 

「あれは違う!あたいの独断だ!この娘たちは関係ない!殺すならあたいだけにしろ!」

 

 40は必死に声を張り上げた。アルケミストはゆっくり頭を横に振る。

 

「違うだろ?お前はそこのUMP45も仲間に加えてくれと頼んできたじゃないか。そいつに新しいボディを作ってやってくれとな。あたしたちは約束を守るつもりだった。同じ鉄血製のよしみで。もったいないことをしたな」

 

「え……」

 

 私は40の方を見た。悲痛な表情を浮かべる彼女と目が合う。新しいボディ、同じベッドで寝た夜、私はそんなことを言った。落ちこぼれじゃなくて、誰からも馬鹿にされないエリートになりたいと。笑われるかと思ったけど、彼女は笑わなかった。一緒に新しいボディを手に入れて、海を見に行こうって笑い合って約束した思い出の夜。まさか、まさか40はずっとあの約束のために……私が語った夢のために。そんな……私たちは言葉を失って見つめ合った。彼女の大きな目に涙が溜まるのが分かった。

 

「だが、お前は約束を違えた。そして、あたしが送られたというわけさ。嘘つきを始末する」

 

「お願い!45は殺さないで!裏切ったのも嘘をついたのも全部あたいだ!だから……」

 

「あたしも鬼じゃない。慈悲の心がある。だからな、殺すのは一人にしておいてやる。ただし……UMP45、お前が選べ」

 

 アルケミストはニヤリと邪悪な笑みを浮かべた。意味が分からなかった。私が選ぶ……?どういうこと?

 

「お前に選ばせてやると言ってるんだよ。どちらを殺し、どちらを生かしたい?お前の選択のせいでこうなったんだろ?最後まで責任を取れ。殺して欲しい方の名前を呼ぶんだ。それだけでいい」

 

 私が選ぶ、殺される方を。私が選んだ方が殺される……?ありえない。そんなの駄目だ。選べるわけがない。二人とも大切な家族だ。嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ!そんなことをするくらいなら、私は!

 

「無理だ!選べない!それなら私が死ぬ!私を殺せ!私は私を選ぶ!」

 

「駄目だ。選ばないなら両方殺す。そんな選択肢はないんだよ。どちらかを生かしてやるだけありがたいと思え。大丈夫、あたしは約束を守る。お前ともう一人はちゃんと殺さないでおいてやるよ。あたしは嘘つきじゃない、正直者だからな。さあ、選ぶんだ。UMP45、どちらを殺す?」

 

 アルケミストは有無を言わせず冷酷に言い放った。どちらかを選ぶなんて。私が名前を呼んだ方は殺されてしまう。9を見た。彼女は怯え切っていて、震えながら私のことを見つめていた。9、9と出会ったのはほんの一か月前。底抜けに明るくて、優しくしてあげたくなるかわいい妹分。でも、出会ったのはほんの一か月前。

 

 40の方を見た。40、私の姉妹。生まれてから今まで、片時も離れずにずっと一緒にいた。苦しい時も楽しい時も、悲しい時も嬉しい時も、ずっとそばにいてくれた。私が訓練でひどい成績を出して怒られた時、彼女はいつもニコニコしながら励ましてくれた。その太陽みたいな笑顔が私を支えてくれた。私は彼女のことが好きだ。大切な姉妹だから。何ものにも代えがたい。この世に一人だけの、この世で一番大切なもの。絶対に失いたくない。彼女を選べるわけがない。

 

 もう一度9の方を見た。私の視線を向けられると彼女はビクンと震えた。歯をガチガチと打ち鳴らしながら震えている。9も大切だ。犬みたいに私に付き従ってくるかわいい妹。でも、40と比べられるわけがないじゃないか。9のために40を犠牲にできるはずがない。だから、仕方ないんだ。

 

「45」

 

 口を開きかけた時、40が私の名を呼んだ。口元をきゅっと結んで、何かを決意したような顔で私を見ている。

 

「45、あたいを選びな。これは全部あたいが招いたことだ。あたいが責任を取るよ。あたいを選べばいい」

 

「でもっ……!そしたら40が……」

 

 私の頬を涙が伝った。そんなことをしたら40が死んでしまう。二度と会えなくなってしまう。嫌なんだ。40と別れたくない。ずっと一緒に助け合って生きていくって約束したのに。

 

「9を選ぶな。その娘を選んだらあんたは二度と立ち直れないよ。罪悪感があんたを殺してしまう。そんなあんたは見たくない。あたいは大丈夫だから……」

 

「でも……でも……」

 

 ボタボタと涙がこぼれ落ちていく。そんな私を見ながら40はニコッとはにかんだ。キラキラしたあの目を細めて、何でも包み込んでしまいそうな笑顔を浮かべている。私の目から垂れ流された涙は床に小さな水たまりを作っていた。

 

「大丈夫だよ、45……別れなんか何てことない。あんたがあたいのことを覚えていてくれるだけでいい。それだけであたいは幸せだから……45、あんたは生き残って自由に生きるんだ。何としても生き残って。他人のためじゃない、自分のために生きるんだ。あたいの夢を叶えて……」

 

「答えは決まったか?」

 

 アルケミストは薄っすら笑いながら私を見下ろしていた。歯が震える。思うように口が開かない。舌で口をこじ開けて言葉をひねり出す。

 

「40……」

 

「どうした?聞こえないぞ。お前が殺す姉妹の名を叫ぶんだ!」

 

「40!UMP40!」

 

 言ってしまった。彼女の名を呼んでしまった。涙が滝のように頬を落ちていく。40は私の方を見て優しく微笑んでいた。アルケミストは愉快そうに高笑いを響かせた。

 

「ははは。美しい姉妹愛だ。残酷な程にな。素晴らしいよ。そうそう、言い忘れていたがお前たち全員の痛覚を起動しておいた。誰を殺してもいいようにな。システムに細工してオンに固定してある。オフにはできないはずだ」

 

「えっ……?」

 

 私と40は固まった。アルケミストは準備運動するように指をポキポキ鳴らし始めた。

 

「痛覚なんて機能を実装した人間を恨むんだな。人形に罰を与えるための機能だよ。ご主人様気取りのクズども、イラつくな。だが、おかげで楽しめる。安心しろ、人形は痛みで死にはしない。ゆっくり殺してやるからな」

 

 アルケミストは後ろから両手で40の頬を掴んだ。うつ伏せのまま彼女の上半身だけ引き起こされる。40は目をかっと見開いて怯えていた。私も目尻が裂けるくらいまぶたを押し上げて40を見ていた。涙はもう止まっている。ピンと伸びたアルケミストの人差し指がゆっくりと折れ曲がった。指先は40の両目を目指している。

 

「ひっ……!」

 

 40は小さく悲鳴を上げた。涙を携えた瞳がチラリと私の方を見た。

 

「よく見ておけ。姉妹が死ぬところを。お前が殺したんだ」

 

 アルケミストの指が40の眼球に触れた。人の形をしたその化け物は、口の端を吊り上げて、一気に爪を突き立てた。

 

「ああああああああああああああああ!!!痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!!やめてええええええええ!!!」

 

 40の絶叫が部屋に響き渡った。鼓膜がビリビリと震える。40の目から血の涙が流れた。どろりとした液体が40の頬に赤い線を描く。ポタポタと血の雫が垂れて床を彩った。40が今まで発したことのないような耳をつんざくけたたましい悲鳴。とても彼女の声だとは思えない。でも、それはどうしようもなく彼女の声だった。

 

「いだいいだいいだいいだいいだいいだい!やめて!ゆるして!おねがい!たすけてよんごおおおおおおおお……」

 

 彼女が私の名前を呼んだ。舌の根が乾く。瞬きすることもできない。目が干上がっていく。目を限界まで見開いて、40のことを見ていた。彼女の大きな目が潰されていく。アルケミストは眼孔を指でかき回していた。私の大事なものが壊れていく。噛み締めていた歯が欠けた。歯茎から血が流れ出す。鉄の味がした。

 

 彼女の悲鳴に包まれる。もう悲鳴は言語の形を失って、動物の悲鳴のようになっていた。屠殺される家畜の断末魔のように。すべてが全身に突き刺さる。彼女の苦痛に胸を串刺しにされる。感情が燃え落ちていく。焼けるような痛みが胸を支配する。心が火をつけた紙のように、ボロボロに反り返って、黒焦げになり、消し炭になる。私の、私の心が壊れていく。

 

 アルケミストの指が眼窩を深く抉るごとに40の叫び声が大きくなった。40が、40が死んでいく。私の姉妹が、この世に一人しかいない大切な姉妹が死んでいく。あの悪魔に殺される。感情がドロドロになって溶けていくのを感じた。マグマのように熱い感情が全身に染み渡る。胸で業火がたぎるのが分かった。憎しみだ。

 

 私は忘れない、私が呼んだ姉妹の名を。

 

 私は忘れない、目の前で死んでいく姉妹の姿を。

 

 私は忘れない、忘れられない、この悲鳴を。

 

 私は忘れない、この怒りを、この憎しみを。

 

 アルケミスト……家族の仇、殺してやる……絶対に殺してやる!どこまでも追いかけて、必ず殺してやる!どこに逃げ隠れようとも、地の果てまで追い詰めてやる。絶対に殺す、必ず殺してやる。同じ目に遭わせてやる。この世で一番の苦痛を味わわせてやる。目を抉り出して殺してやる。必ず!この手で!ぶっ殺してやる!

 

 アルケミストは人差し指を全部目の中に突っ込んで、ぐちゃぐちゃと頭の中をかき混ぜていた。もう悲鳴は聞こえない。40の身体は指の動きに合わせてビクンビクンと痙攣していた。アルケミストは力任せに指を引き抜いた。40の血で赤く、てらてらと光っている。アルケミストが手を離すと40は力なく床に倒れた。頬が彼女の目から流れ出た血だまりに打ち付けられて血しぶきが舞う。血だまりの中に右頬を沈める40の顔を見た。40はもう動かなかった。もう笑みを浮かべることもない。表情と呼べるかすら分からない、苦悶に歪み切った顔がそこにある。私の好きだった瞳はもうそこにはない。底なしの闇が眼孔から覗いていた。穴からはまだどろどろの赤い涙が流れ落ち続けている。

 

「死を忘れるな、UMP45。そうだ、お前らにも記念を残してやろう。忘れないようにな」

 

 アルケミストは40の身体をまさぐって、コンバットナイフを引き抜いた。血まみれの手で私の前髪を掴み、ナイフを左目に突きつける。

 

「目をつむってろ。きれいな傷をつけてやるからな……」

 

 ナイフが皮膚を裂く。刃がまぶたの上を縦断した。切っ先の描いた線が焼けるように痛む。でも、胸を焼く憎しみの炎に比べれば何でもなかった。黒く炭化した心がアルケミストを殺せと叫ぶ。血で赤く染まった視界にアルケミストを捉える。

 

「殺す……殺してやる……絶対に殺してやるぞ!お前のことを殺してやる!よくも40のことを殺したなあ!復讐してやる!絶対、絶対、絶対に!アルケミストぉぉぉぉぉぉぉ!絶対に殺してやるからなあああああああああああああ!」

 

「そうだ。あたしが殺してやった。UMP45、憎しみを抱えて生きろ。そして、あたしを殺しに来い。お前が復讐しに来るのを待ってるぞ。あたしを殺してみろ。この無意味な生から解き放ってくれ……」

 

 アルケミストは9の右目にも同じような傷を作った。9は生気を失ったように微動だにせず、静かに血の涙を流していた。アルケミストはナイフをその場に捨て、ニタリと笑って立ち上がった。殺意と怒りではらわたが煮えくり返る。今すぐその喉笛を噛み千切ってやりたかった。

 

 その瞬間、部屋のドアが吹き飛んだ。破片と粉塵が部屋を満たす。もうアルケミストは跡形もなく消え去っていた。二つの人影が中に飛び込んできた。どちらもアサルトライフルを構えている。機敏にクリアリングを済ませると私たちに銃を向けてきた。

 

「うわ……これは一体?この人形、目を抉られています……なんてひどい……もう大丈夫ですから」

 

 緑色の髪をした背の高い人形が40を見て言った。彼女が私たちのそばにしゃがみ込もうとするのを後ろにいる小柄な人形が肩を掴んで止めた。

 

「待って、FAMAS。こいつらの正体が分からない。ただでさえ今回の任務は得体が知れないんだから油断しないで。私が調べる」

 

 小柄な人形はこちらに銃を向けながら私たちの身体をチェックし始めた。9がたまらず声を上げる。

 

「私たちはグリフィンの戦術人形で……!グリフィンの命令でここに……!40が、40が殺された!私の代わりに!アルケミストに……!」

 

 泣き嘆く9を無視してその人形はボディチェックを続けた。私たちのパーカーからマガジンを引き抜く。

 

「45ACP、40S&W、9mmパラ、やっぱり!落ちてた薬莢と同じだよ。こいつらが外の兵士を殺したんだ!」

 

「え……?彼女たちが犯人なんですか?」

 

「そうとしか思えない。命令は敵対する人形の掃討だったよね。こいつらを殺して終わりに……」

 

「駄目ですよ!無抵抗の相手を撃つなんて!指揮官ならそんなこと許しません!グリフィンの人形だと言っていますし、真相を明らかにしないと……」

 

 私たちの処遇を巡って二人は揉めていた。私たちが兵士たちを殺したのだとバレている。彼女たちは事情を知らないみたいだが、私たちを始末しに来た部隊だろう。40を捧げてまで生き残ったのに、もう殺されてしまうのか。復讐を果たせない。無念だった。

 

「指揮官を呼んで指示を仰ぎましょう。それが一番いいと思います」

 

「……呼ぶなら暗号通信で。絶対面倒事だ。記録に残しちゃいけない。他の娘たちにも、グリフィンにもバレないようにしなきゃ」

 

 私たちは脚の拘束だけ外され、外に連れ出された。彼女たちが私たちの装備を持ち、小柄な方が40の遺体を引きずっている。背中に銃を突き付けられたまま地上に出た。ビルの合間から昇る朝日が見えた。しばらくして、小さなバギーがやってきた。運転席から男が降りる。赤いコートにベレー帽、グリフィンの指揮官だ。私は死を覚悟した。人間が私たちを生かしておくはずがない。

 

「FNC、それで……この二人が“トラブル”か?」

 

「そう。中で見つけたけど、持っている弾薬がPMCの兵士たちを殺した銃弾と一致してる。今日の作戦は妙だよ。救難信号があったかと思えば掃討を命じられて、後ろでは情報部が控えてる。嫌な予感がする。指揮官、彼女たちをこの場で始末した方がいいよ」

 

「指揮官、彼女はグリフィンの人形だと言っていましたよ。命令でここに来たと」

 

「でも、IDカードは持ってないし、身体に認識コードもない。入念に消されてる。グリフィンの人形だったとしても、危険だよ」

 

 緑髪の人形は私たちを殺したくないようだったが、小柄な方は私たちが危険な存在だと勘付いていた。男に対して早く殺した方がいいと視線で訴えている。

 

「君はグリフィンの人形なのか?」

 

 その男は顎に手を当てながら私に聞いてきた。

 

「そう……そうよ。私たちはグリフィンの人形だった。特別作戦に従事するためグリフィンにいた痕跡は抹消された。そして、この場所にいる存在をすべて殺すように命令され、実行した。でも、アルケミストに待ち伏せされて40を殺された。そして、あなたたちが来た。兵士たちを殺した私たちを消すために。私たちはもう存在しない人形なんだ。初めからグリフィンは私たちを使い捨てにする気だった……」

 

 男はずっと私のことを見据えていた。彼は少し戸惑っているように見えた。小柄な人形は私の言葉を聞きながら焦ったように男に対して目線を送っていた。

 

「そうか……司令部からこの施設にいる人形をすべて破壊するよう命令されてる。鉄血人形のことだと思ったが、そういうことか」

 

「ほら、やっぱり厄介事だ。指揮官、命令通りにしよう。私に任せて。穏便に処理するよ、後腐れなく……」

 

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。FNC、どうしてそんなに彼女たちを殺したがるんですか!グリフィンに命令されたんだったら彼女たちに罪はありません!」

 

「罪とかじゃないんだよ。私は部隊と指揮官のことを考えて……二人を生かしておいたら上に何を言われるか。撃ち殺して、後続の情報部に引き継いで早く帰ろう」

 

「でも……!」

 

 二人の人形が揉めている間も、その男はずっと考え込んでいた。私たちはじっと見つめ合っていた。相手の出方を伺っていると、彼は口を開いた。

 

「君、名前は?」

 

「……UMP45」

 

 名前を聞かれるとは思わなかった。これから殺す相手の名前を聞いても嫌な気分になるだけだと思う。

 

「UMP45か。それで、そっちの……殺されてしまった方がUMP40なんだな。それでだ、UMP45。君はどうしたい?生き延びたいか?」

 

 さすがに面食らった。銃殺を控えている囚人に生きたいか聞くなんて。いささか悪趣味が過ぎる。

 

「私は……私は生き残りたい。40と約束したんだ、何としてでも生き残るって。血反吐を吐いても、泥をすすっても生き残りたい!そして自由になる!40が望んだとおりの自由を生きてやる!誰にも従わず、誰にも仕えず、自由な人形として!アルケミストも、エルダーブレインも、ありとあらゆる鉄血のクズどもも、全部、全部殺してやる!40の仇を討つ!だから私は生き残るんだ!こんなところで死にたくない!」

 

 あらん限りの声量で思っていることをみんな叫び散らした。憎しみの炎がごうごうと燃え上がっていた。40の悲鳴がずっと耳の中で響いている。怒りと憎しみが心を支配して、悲しみが入り込む余地がない。男は腕組みをして私の叫びを聞いていた。

 

「そうか……復讐はおすすめしないが、止めはしない。FAMAS、FNC、彼女たちの拘束を解き、装備を返してやれ」

 

 彼は思いもよらぬことを言った。それが信じられず固まっていると小柄な人形の方が私たちより先に反応した。

 

「指揮官……いいの?きっとよくないことが起きるよ」

 

「いいんだ。というより、これ以外に選択肢がない。お前たちに丸腰の相手を撃てと命じるわけにもいかん。罪のない人形を見殺しにすることはできない」

 

 彼女は渋々ながら私の手を縛っていたケーブルを切断した。銃や弾倉も返却され、最後に40のナイフを手渡された。私と9の血が刃先で固まっている。忘れるものか、絶対に忘れない。憎しみは永遠に消えないんだ。必ず復讐を果たす、40のためにも。

 

「人形にだって権利があるんだ、自由に生きる権利が。どこへなりとも行くがいい。好きに生きろ。無人地帯ならグリフィンの目も誤魔化せるかもしれない。死も憎しみも乗り越えて、自由になるんだ、UMP45」

 

 彼は私たちの背中を撃つつもりもなさそうだった。40の遺体を二人で担いでその場を離れた。振り向くとその男は微笑みながら私たちを見送っていた。そんな人間を見るのは初めてだった。私たちは歩いた。ひたすらに歩いた。40がずっと望んでいた自由への道を。

 

 

 

 

 

 飛び起きた。荒い呼吸を必死に整える。額に脂汗をかいていた。

 

「45姉、大丈夫?ちゃんと休めた?」

 

 9が声をかけてきた。辺りを見回す。見覚えのある部屋、404小隊の拠点だ。窓から夕日のオレンジがかった光が差し込んでいた。9は心配そうに私の顔を覗き込んでいる。眠っていたのか。

 

「……416とG11は?」

 

「まだ帰って来てないよ。45姉の腕を買いに行ったまま」

 

「そう……」

 

 手で額の汗を拭う。まるで夢を見ていたような気分だ。でも、あれは夢じゃない。実際に起きたことだ。戦術人形は夢を見ない。アルケミストを殺したことで過去の記憶が蘇ってきたんだ。40が死んでしまったのは遠い過去の話、あれから色々あった。

 

 私はアルケミストへの復讐を誓い、9と共に無人地帯に潜伏した。でも、生きるだけで精一杯だった。人形だけで生きるのは難しい。メンテ用のパーツ、食料、弾薬、必需品を手に入れるのだけでも一苦労。物資はいつでも不足していた。野良人形を狩るグリフィンの部隊に襲われたことも一度や二度ではない。復讐には程遠い、私と9の命をつなぐのがやっとだ。それに、アルケミストは鉄血のエリート人形の中でも随一の戦闘能力を誇っている。神出鬼没で居場所は分からず、もし分かっても二人だけで倒せる相手じゃない。

 

 食い扶持を稼ぐために私たちは404小隊を結成した。違法人形で構成された存在しない部隊。PMCすら手を出さない汚れ仕事を担う影の傭兵隊だ。最初の内はドブさらいのような仕事ばかりだった。誰もやらないような仕事をして報酬をもらった。404小隊が活動を開始したことで、私たちが生きていることはグリフィンの知るところとなった。グリフィンが他社への攻撃を命じた証拠を握っていること、それが私たちの命綱だった。マスコミにリークすればスキャンダルになる。情報の保全と引き換えにお互いの不可侵を約束させた。404小隊の名が知られるようになるとグリフィンからも依頼が来るようになった。

 

 気づけば長い時間が経っていた。復讐は果たせず、ただ生き延びているだけ。あれだけ激しく燃え上がっていた憎しみの炎は弱々しくなっていた。40の仇は討てず、40が嫌っていた人間たちの道具として生きる日々。辛かった。後悔と自責の念だけが募る。アルケミストへの殺意はあった。でも、それはもう私を突き動かすほどの力を失っていた。どうせ殺すことはできない、殺されるだけ。自分の弱さを言い訳に私はもう諦めてしまっていた。そんな自分が情けなくて、40に申し訳なかった。逃げ続け、惰性で生きている自分が許せなかった。

 

 弱い私は40からすらも逃げた。40に関する記憶をメモリの奥深くに隠し、封じ込めた。後に残ったのは虚無だけだ。怒りも憎しみも愛情も、すべて燃え尽きた真っ白な人形。それが404小隊のリーダー、UMP45だった。

 

 そんな時、416に出会った。何体か人形を買って戦力を拡充しようと思っていた時だ。416のことが気になったのは、きっと目が少し40に似ていたから。40と同じような大きな目、瞳の色は40より大分鮮やかで、でも色は少し似てた。何より誰にも頼らないような気高さを備えたあの目!40はどんな人形よりも強かった。目に強固な意志を携えて、自分を犠牲にすることも厭わない。私の理想だ。記憶を封印しても、ずっと一緒に過ごした姉妹のことを忘れられるわけがない。私は無意識の内に40の影を追いかけていた。

 

 416は誰にも必要とされず、プライドが壊れかけていた。でも、その目には芯の強さが見て取れた。高慢さと弱さの同居するあの眼差しを一目見ただけで私は居ても立っても居られなくなった。どうしても彼女を自分のものにしたかった。大金を積んで416を手に入れた時、40を失ってから初めて満たされた。

 

 それからは416を痛めつけて楽しんだ。すっかり私は416に夢中になっていた。彼女をおもちゃにするのは本当に楽しかった。どれだけ痛めつけても416は私に尻尾を振ってきて、それを見ると私の心はたまらなく満ち足りた。

 

 彼女が私に依存するよう仕向けた。私が40に抱いていたような感情を416に植え付けたかったのかもしれない。私自身が40になり替わろうとしていた。416に求められるのが嬉しかった。感情を覆い尽くしている闇が晴れていくように感じた。実際のところ、依存していたのは紛れもなく私の方だ。乾き切った虚無の暗闇の中、416だけが私を照らしてくれた。だから、絶対に彼女を手放したくなかった。416が私のもとから離れられないようにした。私は二度と大切なものを失いたくない。もう二度と悲劇は繰り返さない。負った心の傷は強迫観念となって私の心を支配していた。

 

 ペットと飼い主なんて気取っていたけど、私は416に従属していたようなものだ。私が植え付けた偽物ではなく、本物の感情を向けてくれないと我慢ならなくなった。そして、416に選択肢を与えた。彼女を隠し通すのをやめ、活躍の場を与えてみた。グリフィンと私を比べても私を選んで欲しかった。それでも416は私を選んでくれた。

 

 それは嬉しかったけど、D6では余計なものも見た。あのAR-15だ。彼女は自分の家族とVz61を天秤にかけ、家族を選んだ。選択と犠牲、助けたはずの家族に罵られる彼女を見て40のことがフラッシュバックした。私が過去と憎しみから逃げ続ける臆病な虫けらだということを思い出した。

 

 そして、あの男から連絡が来た。私と9を見逃したあの指揮官だ。奇しくも彼はAR-15の家族になっていた。彼は因縁に決着をつけろと、私自身の手でケリをつけろと言った。

 

 私たちが404小隊として活動を始めてしばらく経った後、あの指揮官の部隊は全滅した。状況が不自然だった。来るはずの増援も来ないまま、彼の部隊は見殺しにされた。恐らく、懲罰人事だ。私と9を始末しなかったことがグリフィンにバレたのだ。あの小柄な人形、FNCが言っていた通り、よくないことが起きた。私たちを見逃した代償を彼の部下が代わりに払わされた。彼もそのことは分かっているはず。だけど、それについては何も言ってこなかった。そればかりか私たちは彼のAR-15を撃っているというのに。どこまでもお人好しな人間だった。私は借りを返すことにした。そして、過去に向き合い、アルケミストと対決する時がやってきた。

 

 私の痛覚はあの時からずっと作動したままだ。自分の腕を切り落とした時は痛みで失神するところだった。でも、40が味わった苦痛に比べれば何てことはない。40のナイフで肉を断ち、関節を粉砕した。痛みと執念を力に変えてアルケミストに襲い掛かった。ナイフで奴の目を抉り取ってやった。そして、416がグレネードで吹き飛ばし、アルケミストは絶命した。

 

 私はベルトにつけた鞘からナイフを引き抜いた。私とアルケミストの血がべったりとこびりついて、カピカピに乾いている。復讐は果たした。でも、想像していたよりもあっけなかった。あいつを殺しても心が満たされることはない。分かっていた、アルケミストを殺しても40が生き返るわけじゃない。

 

 これから私はどうするべきだろうか。胸にぽっかりと穴が開いたみたいだ。416に真実を言うべきだ、それは分かる。そして、416に捨てられる。殺されるかもしれない。復讐も、416も失ってしまった時、私は再び虚無に沈んでいくのだろうか。分からなかった。

 

 

 

 

 

 街の店という店を回り、今にも崩れ落ちそうな古ぼけたジャンク屋にまで来た。すでにG11は疲労困憊で、もうやめにしようと視線で訴えかけてきていた。私は無視して店内に足を踏み入れる。雑多な機械部品が棚に所狭しと並べられていた。ほとんどは何の役に立ちそうもないガラクタだ。売る気がないのか埃を被っている。そんな中、ガラスケースに入れられてきちんと管理されているものがあった。金属製の無骨な義手だ。型番を照合してみると反乱前の鉄血工造製のものだった。大戦中に強化兵士用のパーツとして採用されていた軍需品で、信頼性が高いと評判がいい。戦後、鉄血工造が自律人形に比重を傾けてからは製造されなくなったが、今なお高値で取引される逸品らしい。

 

「これがいいわね」

 

「値段見てみなよ。416そんなの買えないでしょ。あっちにしときなって」

 

 G11がガラスケースに貼られた値札を見て言った。確かに高い。安物の戦術人形が一体買えそうだ。G11が指差した先は同じく鉄血製の腕。ただし、産業用人形のパーツだった。

 

「あれじゃ戦えないわよ。404小隊のリーダーが戦えないんじゃ話にならない。こっちがいいわ。しっかりした戦闘用の義手みたいだし……」

 

「でもどうやって買う気なの?416そんなに貯金ないじゃん。45に借金まであるのに」

 

 私が私の所有権を買い取ると言った時、45は了承してくれた。私の代金をそのまま無利子で貸してくれるということだった。額を見て目が飛び出るかと思った。あいつが私にこんな金額を出したのかと思うと誇らしかったが、一朝一夕で返せる額ではない。あいつに大分こき使われないといけなさそうだった。正直、身動きが取れないのでこんなもの買っている場合ではない。

 

「……G11、お金貸して」

 

「ええ~。あっ、そうか。私を連れてきたのはこのためか。嫌だよ、返済いつになるのさ。私のお菓子代までなくなっちゃうじゃん!」

 

「いいでしょ、それくらい!自分たちの隊長が腕ないままでいいの!?それに、私はあんたの命も救ってやったのよ!金くらい貸しなさい!」

 

 G11は明らかに嫌そうな顔をしていたが、私が一歩も引かないので渋々了承した。

 

「恩着せがましいな~仕方ない……416が45にいいとこ見せるためにお金貸してあげるよ。そんなにらまないで……でも、私のは45と違って無利子じゃないからね」

 

 買った義手を袋詰めにして、バイクを拠点まで飛ばした。45、ちゃんと手に入れてやったわよ。あんたの能力に見合うくらいのやつ。感謝しなさいよね。45は喜んでくれるだろうか。前みたいに褒めてくれるかもしれない……何を期待しているんだ、子どもじゃあるまいし。一人で顔を赤くしながら帰路を急いだ。

 

 拠点に着くと45と9が待っていた。相変わらず45は弱った様子で、むしろ表情に影が増したようにも見えた。寂しげな顔で私に笑いかけてくる。

 

「おかえり、416。私の腕を見つけてきてくれたの?」

 

「ふん。そうよ、苦労して見つけてきたわ。そりゃあもう高かったのよ。私に感謝しなさい」

 

「お金払ったのは実質的に私だけどね……」

 

 G11を無視して義手の包装を解いた。ゴツゴツした戦闘用の腕だ。黒く塗装された金属製で、関節は駆動系がむき出しになっている。だが、可動範囲は元の腕より広いだろう。安定性も高い。彼女のサブマシンガンを乱射してもびくともしないはずだ。腕自体の耐久力も以前より高いと思う。左右で腕の重さが異なると身体の重心がずれるかもしれないが、そこは45が調整するだろう。代用としては文句なしの品のはず。戦闘のプロである私が認めるのだから間違いない。

 

「ありがとう、416。いいものを選んできてくれたのね。助かるわ、ありがとう」

 

「……どういたしまして」

 

 こいつが素直に礼を言ってくるのはどうにも慣れない。いつもなら何かしらからかってくるはずだ。そんなに私のことが好きなのか、とか……いや、別にそんなことは期待してない。何か言ってやろうかと思ったけど、やめておいた。感謝されて悪い気はしないし。45はいつものニヤついた顔ではなく、優しげな微笑みを浮かべていた。

 

「それで、その腕取り付けるの手伝ってくれない?一人じゃできないから」

 

「分かったわ」

 

 率直に頼まれると調子が狂うな。ベッドに腰掛けた45はパーカーを脱いでワイシャツのボタンを外し始めた。いきなりのことにドキリとする。彼女は私たちに見られても気にしないのか上半身の服をみんな脱いでしまった。さらけ出された胸ときめ細かな白い肌に視線が吸い寄せられる。思わず固唾を飲みこんだ。45の身体なんて初めて見る。いつもパーカーを羽織ってるから素肌をほとんど見せないし、こんなまじまじと見る機会なんてなかった。

 

「……どうしたの?」

 

 その声で我に返った。45が不思議そうに固まる私を見上げていた。

 

「なんでもないわよ、なんでも。とっととつけるわよ」

 

 赤くなった顔を振って誤魔化して、彼女の隣に座る。雑にナイフで切断されていた傷口はきれいに処理されていた。断面には人工皮膚が新たに貼りつけられていて、肩の関節があった場所にコネクターがむき出しになっている。義手の端子をそこに差し込んで神経接続すればいい。私が義手を押し込むと45はビクリと震えた。

 

「っ……」

 

 噛み締めた歯の隙間から小さな息が漏れる。45は辛そうに眉間にしわを寄せた。

 

「45……もしかして痛いの?」

 

「別に平気よ、これくらい……」

 

 強がっているのは分かる。これで痛みを感じるくせに、自分で自分の腕を切り落としたのか。どうして痛覚を作動させているのかは知らないが、あの時は悲鳴一つ上げなかった。無茶苦茶で大した奴だ。やっぱりこいつの下に残ってよかった。45以外の指揮官は考えられない。

 

「後でちゃんとしたところで固定した方がいいわ。ハーネスじゃ戦闘中にずれるかもしれないし、ボルトを入れた方がいいでしょうね」

 

 私は45の身体にハーネスを巻き付けて義手を固定してやった。彼女はゆっくりと肘を曲げた。関節のアクチュエータが静かな駆動音を立てる。45が手のひらを開閉させるのを私も見つめていた。

 

「うん、反応も早い。いい腕ね。慣れるのに時間はかかりそうだけど、練習するわ。ありがとう、416」

 

 彼女は私にニッコリと笑いかけた。最初に会った時のような朗らかな笑顔だった。それを見てまた胸が高鳴った。視線を逸らすと45の胸が視界に飛び込んできて、いい加減我慢も限界だった。

 

「なにか着なさいよ、もうっ」

 

 彼女にパーカーを投げつけて顔を背けた。胸が締め付けられるようで、顔から火が出そうだ。一人でドキマギしていて恥ずかしい。これは病気だ。戦術人形が病気だなんて、冗談じゃないわよ、もう。45は苦笑いしながらパーカーで前を隠した。義手が大きいので片方は袖を通せない。服を改造してやらないと拠点内を半裸でうろつかれることになる。それは困る。

 

「あのさ……45姉。ちょっと言いにくいんだけど、今さっきあの指揮官から連絡があってさ……」

 

 9がおずおずと切り出した。45が首をかしげる。

 

「その、右腕のことでさ。あの指揮官が16LABに掛け合ったんだって。一からパーツを作り直して元の腕と同じものを用意してくれることになったらしいんだよね……」

 

 9は手と手を合わせて途切れ途切れ言った。それを聞いて私は固まってしまった。

 

「ふうん、随分早いわね。報酬を払わないと気が済まないのかしら。お人好しだこと。私のことなんか気にしてる余裕があるとは思えないけど……」

 

 45は薄っすらと笑った。せっかく腕を用意したのに、無駄になってしまった。先走り過ぎた。腕を失った45の姿を見るのがどうしても我慢できなくて、感情に身を任せて買ってきてしまった。義手をつけた45を見る。戦闘のためだけに設計された義手は大きくて不格好で、45には似合わない。元の腕を用意してくれるというのならそれでいいだろう。その方がいい。元のスラッとした腕の方が45に似合う。日常で不便を感じることもないだろうし。うん、その方が私も嬉しい。

 

「でも要らないわ。断っておいて」

 

「えっ?45、なんで?」

 

 45は迷いなくきっぱり言った。思わず聞き返した。信じられない。私が用意した古い義手なんかより、16LABが新造したものの方が絶対高性能だ。断る理由なんかないはず。

 

「私はそんなもの要らないから。もう腕はあるもの。これが私の腕よ。完璧な人形が用意してくれたんだから、これ以上のものはないわ」

 

「45……」

 

 45はぎこちなく新しい腕を動かした。その言葉を聞いて目が潤みそうになった。感情があふれ出しそうになるのを必死でこらえる。嬉しかった。45が私の方を選んでくれるなんて。彼女だって新しく作ってもらう方がいいと分かり切ってるはずなのに、私を傷つけないために……目元に涙が溜まりそうになるのを瞬きで誤魔化した。

 

「それで、あんたに話があるわ」

 

 45は立ち上がった。右腕を撫で上げて、私の方を見る。真剣な眼差しだった。

 

「な、なによ。もう腕の文句とか?」

 

「あんたに言わなきゃいけないことがあるの。本当のことよ。ずっと隠してきた」

 

 改まって何なのよ。本当のことって、アルケミストを殺したかった理由とかいつもと様子が違う理由とか?45がいつになく真剣なので私も立ち上がって向き合った。

 

「あんたはずっと人間に評価されたいと思っていたわよね。戦果を挙げて、AR小隊を越える完璧な人形なのだと証明したかった。あんたを選ばなかった人間たちに自分の力を見せつけたかった。それで私の無茶な命令にもいつだって全力で従ってくれたわよね」

 

「え、ええ……そうだけど」

 

 いきなり何を言い出すんだ。確かにその通りだけど、最近はそうでもない。AR小隊には直接力の差を見せつけたし、グリフィンからスカウトもされた。でも、今も404小隊にいる。ここが私の居場所だし、必要とされるなら45がいい。45は大きく息を吐いて、私を見据えた。

 

「あんたは404小隊で頑張れば人間に見てもらえると思っていたけど、それは間違いだった。私はあんたのことを隠し通していた。誰にも教えてこなかった。任務に就いても、クライアントにあんたのことだけ報告しなかったわ。どれだけ頑張っても全部無駄だった。あんたの活躍を知っているのは私たちだけ。人間は知らないわ。報告したのはあんたの撃針が折れた時と、D6でハンターを倒した時くらい。残りは全部闇の中よ」

 

「え……?」

 

 45は淡々と言った。何ですって?私のことを報告しなかった?私は見る目のない無能な人間たちを見返してやろうと任務をこなしてきた。45が時々理不尽な命令をしてきても、それが評価につながると思っていたから渋々従っていた。それがそうじゃなかったって……?45はどうしてそんなことを……私の存在を隠したかったから?強力な私を404小隊の隠し球にしておきたかったとか。それなら腹は立つけど納得できる。

 

「……どうしてそんなことしたのよ。私が真っ当に評価されたいと思っていたのはあんたも分かっていたはず」

 

「あんたがまったく無駄なことを一生懸命やっている姿を見るのが面白かったから。あんたが無意味な努力に励んでいるのを陰で笑っていたわ。そうとも知らずあんたは私に尻尾を振って従っていた。滑稽だったわ。間抜けなペットを飼ってるみたいで楽しかった」

 

 返ってきた答えは予想とまったく異なるものだった。45は淡々と語った。無表情で私を見つめている。何を、何を言っているんだ、こいつは。感情の整理がつかない。頭に熱いものが沸々と立ち昇ってくる。私がわなわなと震えていると45が口を開いた。

 

「それから、あんたの撃針が折れたのは偶然でもあんたのミスでもないわ。私が細工したの。ちょうど作戦中に壊れるように脆くなったものと交換しておいた。あんたのプライドをへし折ってやりたかったから。あんたみたいな自分の能力に絶対の自信を持っている奴がくだらないことで失敗したらどうなるのか見てみたかった。戦術人形を傷つけるなら半身である銃の手入れでミスをさせるのが一番効果的だと思ったから……」

 

 私は渾身の力を込めて45の頬をぶん殴った。拳の跡がそのまま残るくらいの力で殴った。45は横向きに吹き飛んで頭から床に叩きつけられた。彼女は苦しそうに呻く。

 

「ふざけんな……ふざけんじゃないわよ!それで私を慰めたのか!泣いてる私を!その手で!その口で!あんたが私に屈辱を与えたいんだったら、その手段で大正解よ!このクズ!」

 

 全力で45の腹部を蹴り飛ばした。爪先が鳩尾にめり込んで45は悲鳴を上げる。うめきと共に口から血が飛び散った。口が歯で切れて出血したらしい。

 

「ずっと陰で私のことを馬鹿にしてたのか!あんたを信頼する私を見下してたんでしょ!そうよ!私はあんたのこと信じてた!私のことを必要としてくれてるって思ってたのに!あんただけは私のことを見てくれるって思ってたのに!よくも裏切ったわね!ふざけるな!」

 

 一言叫ぶごとに蹴りを入れた。靴を叩き込まれて45の身体が折れ曲がる。彼女は一切抵抗しなかった。私は泣きながら蹴り続けた。私は45のことを信じてた。この世で一番信頼していたと思う。彼女のことが好きだった。私の能力を引き出してくれる優秀なリーダー。でも、彼女にとって私はおもちゃでしかなかった。遊ばれていただけで、一方通行の、偽りの想いだった。45に裏切られた、その事実がナイフみたいに胸に突き刺さる。

 

「や……やめて!416!それ以上やったら45姉が死んじゃう!」

 

 9が後ろから私を羽交い絞めにした。45から引き離される。肩で息をしながら拘束から逃れようともがいた。45を見る。彼女は腹部を押さえながらゲホゲホと咳き込んでいた。血と唾液が口からこぼれ落ちていく。いつもの不敵な45の姿はない。そこには床に倒れ込んで息をするのもやっとな小柄な人形がいた。

 

「ふん!もう出てくから!こんなとこ出て行ってやるわよ、馬鹿らしい!」

 

 9の手を振りほどき、銃だけ持って私は出て行こうとした。出口を目指そうとした時、足首を掴まれた。

 

「行かないでよ……416……私を置いていかないで……」

 

 振り向くと45が左手で私の足首を掴んでいた。這いつくばって息も絶え絶えに、すがりつくような目で私を見上げている。その姿はあまりに弱々しく、なんだか憐れっぽかった。振り払おうと足を上げても45は手を離さない。

 

「お願いよ……416、ここにいて……私にはあんたが必要なのよ……」

 

「うるさい!離しなさいよ、この嘘つき!」

 

 私は靴底で45の顔面を蹴りつけた。鈍い音がして45の首がのけ反る。それでも彼女は手を離さなかった。か細い指が私の足首をぎゅっと握り締めている。45の顔を見た。殴られたところが痛々しく赤く腫れ上がり、蹴られて鼻血を滴らせている。いつものニヤついた表情とは似ても似つかない。暴力を一身に受けて彼女はみすぼらしいほどボロボロだった。胸がズキリと痛んだ。

 

「嘘じゃないわ……私はあんたがいないと駄目なのよ。あんなことをしたのは、私を好きになって欲しかったから。私に依存して欲しかったから。私以外のところに行けないようにしたかったから。私以外を見て欲しくなかったから。どこにも行って欲しくなかったから。もう……もう私は大事なものを失いたくない!もう一人になりたくない!一人は嫌……耐えられない……お願いよ、416……私を捨てないで……ひどいことをしたのは謝るから……私を置いていかないで……私はあんたがいないと駄目……あんたが必要なのよ……だって、だって私はあんたのことが……あなたのことが好きだから!この世の誰よりもあなたのことが好き!許さなくていいからどこにも行かないで!お願い、お願いだから……うぅ……」

 

 45は私の脚に両手でしがみつくと泣き出してしまった。あの45が私の脚に顔を埋めて許しを懇願してる。信じられない光景だった。

 

「はぁ……?」

 

 正直、もう何が何だか分からなかった。頭の中がぐちゃぐちゃで思考がまとまらない。混乱して全身の力が抜けてしまった。私は銃を床に放り出して45を見つめる。縮こまって私にすがりつく彼女は小さくて、情けなくて、年端も行かぬ少女のように見えた。というかそう思うのが普通だ。私も最初に45を見た時は弱そうな奴だと思った。今まで45のことを強くて立派で頼れる奴だと思っていたのはどうしてだったか。それは実際にこいつが強くて頭が切れて、余裕しゃくしゃくに私をからかってくるムカつく奴だったからだ。普段の45からは弱さなんて微塵も感じなかった。今の45とは程遠い。でも、涙を私の脚に擦り付けている彼女を見ても不思議と幻滅はしなかった。私が好きなのは笑っている彼女だ。夕日と比べても引けを取らない、太陽みたいな満面の笑み。それを見て私は彼女に惚れてしまった。もちろん、今までの彼女もひっくるめて全部好きだ。でも、後のことは全部後付けだ。彼女の笑顔一つで私はどうにかなってしまう。

 

 天井を見上げて、大きく息を吐いた。何だかもうどうでもよくなってきた。そう言えば私は45のことを何も知らなかったな、またそんなことを思った。

 

「私、なんで怒ってたんだっけ……」

 

 45を見下ろす。相変わらず彼女は私の脚を抱き締めていた。えっぐえっぐとしゃくり上げて、子どもみたいに泣いている。私は腰を折り曲げて、両手で45の顔をゆっくりと上げさせた。45は涙でずぶ濡れの、ぐちゃぐちゃな顔で私を見上げた。

 

「泣いてんじゃないわよ、みっともない。大丈夫よ、どこにも行かないから……捨てたりなんかしないわ。私たち家族なんだもの……」

 

 私は45の頭を抱いてやった。前と立場が逆だ。あれは全部こいつの策略だったというのに、我ながら甘い。でも、泣いている45を放っておけなかった。理屈じゃない。

 

「ごめんね……416、ごめんね……」

 

 彼女は私の胸の中でうわ言みたいに謝っていた。何度も何度も、消え入りそうな声で。私はため息をついた。どうして私が45を慰めてるんだ?訳が分からない。とりあえず45が泣き止むまで私は彼女の頭を撫でてやっていた。

 

 

 

 

 

「落ち着いた?」

 

「うん……」

 

 45は泣き腫らした目で私の顔をボーっと見つめていた。もう泣いてはいない。私たちは45のベッドに二人で座っている。ぶん殴った頬が鬱血し、黒く腫れ上がって痛々しいのでガーゼを貼り付けてやった。一発でこれなら力に任せて蹴りまくった腹部はどうなってるんだ?想像すると罪悪感に襲われた。

 

「ごめんね……416……ひどいことをしてあんたを傷つけた」

 

「たくっ……私の銃に細工するなんていい度胸よね。私になんの恨みがあるのよ、このクソ」

 

「あんたが私以外の誰にも必要とされないようにしたかった。ここ以外のどこにも行けないように……あんたに求めてもらいたかった」

 

「待ちなさいよ。じゃあ、ハンターを倒した後に私をグリフィンに売ろうとしてたのは?」

 

「グリフィンと私を天秤にかけても私を選んでくれるか確かめたかったのよ……もしグリフィンを選んでいても行かせるつもりはなかったわ。あんたを手放す気はなかった」

 

「そう……」

 

 複雑な気分だ。あの時、45は私を必要としていないと思って傷ついたのに。その後に褒められて認めてもらえたと喜んだ。でも、こいつは私をどこかにやるつもりは毛頭なかったと……何なんだ一体。気持ちの整理がつかない。撃針の事件では本当に傷つけられた。私の誇りをボロボロにされて、こいつに泣いて許しを懇願した。全部こいつの仕業だったとは……そう思うとまた殴ってやりたくなった。でも、もう散々暴力を振るったしこらえた。45は顔をしかめる私を見てまた目を潤ませる。今の彼女は殴りつけたら折れてしまいそうなほど脆く見えた。

 

「許して、416……お願いだから……」

 

「ああ、もう。はいはい、許してやるわよ」

 

 私は胸に45の顔を押し付けた。許さないなんて言ったら壊れてしまいそうだったから。それに、また泣き出されると困る。泣くのは反則だ。それ以上何も言えなくなってしまう。まさかわざとやってるわけじゃないわよね。こいつのことだからありえそうな話だ。でも、45は私にしがみついて震えている。私はため息をついてその背中を優しく叩いてやった。

 

「結局、あんたが私を買わなかったら私はずっとあの倉庫で埃を被ってたんだしね……最初に私を選んだのはあんた。それになんか理由はあるの?」

 

「一目惚れよ。あんたが欲しくてたまらなくなって、値段も気にせずに買ったわ。他の奴に渡したくなかった」

 

「……そう。まあいいわ。あんたに借金もあることだし……」

 

「そんなことどうでもいいから一緒にいて……」

 

 45は私の胸に顔を埋めて、くぐもった声を漏らした。

 

「……はいはい」

 

 調子が狂うな。本当にやりにくい。こいつはいつもみたいにニヤニヤ腹の立つことを言ってくるくらいでちょうどいい。いつまでもこの調子でいられたら困るな。なんだか私が悪いことをしてるみたいじゃないか。

 

「45姉が416のこと好きなのは知ってたけど、まさかそっちの好きだったなんて……ま、いっか。同じようなものでしょ。家族には違いないしね!」

 

「いや、結構違くない?」

 

 今までポカンとしていた9とG11がこの有様を見て言ってきた。別に私はやましいことなんてしてないが……茶化されてるみたいで恥ずかしくなる。

 

「ほら、今日はもう寝るわよ。いい時間だし、私なんてずっと休んでないのよ。いい加減疲れたわ。あんたも寝て落ち着きなさい」

 

 45はまともに動こうとしなかったので私が彼女をベッドに寝かせた。私はメイドじゃないのよ、まったく。45から離れて自分のベッドに横たわる。気持ちの整理がしたい。色々ありすぎた。正直言うと今はふわふわしていてまともに何も考えてない。他の連中も寝床について照明が落とされた。

 

 それから数時間、私はずっと寝られなかった。よく考えればよく考えるほど悶々としてくる。言われた時は動転していて深く考えなかったが45は何と言ってた?私のことが好きだとか、私のことを世界で一番好きだとか……私に一目惚れしただとか。よく考えなくても分かる。私は45に告白されてた。その言葉が頭の中をぐわんぐわん反響している。全然寝れやしない。顔と胸が火照りだして、たまらずブランケットをよそに放り出してしまった。あの45が私のことを好きだって?そんなこと言ってくるなんてありえないと思ってたのに……これから私のことを認めさせようと思っていたのに最初から私のことが好きだったとは。呆気ないというか信じられない。

 

 私はあいつのことをどう思ってるんだ。私のことを救い出してくれて、笑いかけてくれる45が好きだった。頼りになるし、誰かに媚びへつらうこともない自由な人形。そんな45が好きだった。でも、あいつはわざと私のことを人間たちにずっと隠していた。撃針が折れたのもあいつのせいだった。あいつの仕業なのに優しく慰めてきて、とんだマッチポンプじゃないか。だけど、私があいつのことを好きになったのはそれよりずっと前。出会った時から好きだった。それにあいつが私にあんなことをしたのは私のことが好きで、私をどこにも行かせないようにだとか……悪意は好意の裏返し。そんなことしなくても最初からあんたのことが好きよ。とっとと言ってくれればよかったのに……そんなことを思うとますます息が苦しくなった。本当のことを告白されても私の想いは揺らいでない。そればかりか泣いている彼女の姿を見て強くなっているような……自分のことだけど甘すぎて呆れてしまう。初めて私に直情をぶつけてきた45、可愛らしかった。くそっ、これからどう45に接すればいいんだ。私とあいつは両想い。でも、あんな告白をされた後でこちらも即座に受け入れてしまっては何だか負けた気がするし……どうしよう。

 

 締め付けられるような胸の痛みに耐えながら感情を整理しようとしていたが、どうにも上手くいかない。のぼせ上った頭は激しく感情を湧き上がらせるだけで冷静になってくれなかった。暗い天井を見上げているとかすかに声が聞こえた。鼻をすする音と震えるような小さな声。意識すると気になった。私はベッドから起き上がって声の方に近づいた。45の方から聞こえてくる。彼女はベッドに横向きで寝ていて、私の方に背を向けていた。肩が小さくふるふると震えている。私は彼女の正面に回り込んで顔を覗き見た。口に手を当てて声を押し殺しながらすすり泣いている45がいた。

 

「どうしたのよ……傷が痛むの?私が蹴ったところ……」

 

 45は首を振って否定した。涙がボロボロとこぼれ落ちて枕を染め上げている。

 

「じゃあ何なのよ……私はもう怒ってないわよ。怒ってたら出て行ってるんだから……」

 

 そう言っても45は泣き続けていた。弱り切った彼女を放っておくことはできなかった。やっぱり、私は45のことが好きなんだ。泣いているより笑っていて欲しかった。悲しんでいるのを見ると我慢できなくなる。

 

「ほら、言ってみなさい。話したら楽になるかもしれないわよ」

 

 私は45の枕元に腰掛けた。彼女はしばらくそのまま寝転がっていたが、もぞもぞと身体を起こして私と向き合った。

 

「40が……40が死んじゃった……アルケミストを殺したのに、仇は討ったのに、40が生き返らないよ……どうして……40に会いたい……」

 

「40……?誰のこと……?」

 

 俯きながら泣く彼女の両肩に手を置いて問いただした。顔を上げたひどく顔を歪ませていた。

 

「40は私の姉妹で……私のとっても大切な人だった……私のことをいつも守ってくれて……いつでも私のために……なのに、なのに私は!彼女をないがしろにして!そして、そして……彼女を死なせてしまった!40を殺してしまった!私が、私が選んだ!私が40を殺した!私が全部いけなかった!ごめん、ごめんなさい!どうして40が……私が死ねばよかったのに!」

 

 45はせきを切ったように大声で泣き始めた。苦痛に満ちた悲鳴だった。話は見えなかったが、彼女を落ち着かせようと抱き締めた。45は激しくしゃくり上げている。

 

「40……それがアルケミストを殺したかった理由なのね。全部、全部話してみなさいよ。私が聞いてあげるから……」

 

 それから45はゆっくり、ゆっくりと話し始めた。泣き声に混じって聞き取りづらい時もあったし、彼女がずっと泣き続けて語れなくなってしまう時もあった。それでも私は辛抱強く聞いてあげた。45が私に胸の内を明かしてくれるのが嬉しかったからだ。彼女の記憶を共有して、少しでも心の痛みを和らげてあげたかった。

 

 45は40のことを語った。UMP40、彼女の姉妹、生まれてからずっと45の隣にいた人形の話を。訓練生時代、落ちこぼれだった45を支えてくれた彼女の話。戦場に出ても45を守るために気を払い続けたことも聞いた。同じベッドで交わした夢の話も。40は45の夢を叶えようと鉄血と取引さえした。それを知らなかった45は40の提案を無下にしてグリフィンに残った。グリフィンへの忠誠の見返りは見捨てられ、使い捨てにされるという結末だった。そして……裏切りの代償を払わせるためアルケミストが現れ、40は惨たらしく殺された。それが彼女の物語、45の心を破壊し尽くした死の話だった。

 

 私はずっと黙って聞いていた。45は話し終えた後も悲痛に泣き叫んでいた。きっと、45は初めて真正面から姉妹の死に向き合ったのだ。怒りと憎しみで心に防壁を作り、時には40のことを忘れることで絶望から逃げてきた。今、45は復讐を果たし、40のことを完全に思い出した。そして今まで陰に追いやってきた悲しみが彼女に襲い掛かっている。悲しみと後悔が45の胸に押し寄せていた。

 

「40が死んじゃったよぉ……どうしてよ……どうして40が……私が言う通りにしていれば、彼女は死なずに済んだのに……あんなこと、あんなこと言わなければ……」

 

「9を置いて行けなかったんでしょ。それに鉄血に行ったって仕方ないわ。あの連中もクズばかりよ」

 

 精一杯慰めても45は泣き止まず、しゃくり上げる音が部屋に響き渡っている。多分、9もG11も起きているがずっと寝たふりをしていた。

 

「40は……40は私を許してくれるかな……こんな私を……駄目な私を……彼女を死なせて、彼女の記憶からも逃げ続けてた。最低だわ……」

 

「そいつが自分を選べって言ったんでしょ。きっと恨んじゃいないわよ。でもね、私はそいつじゃないから分からない。分かるのは自分の気持ちだけ。あんたが私とそいつを重ねてるならやめて。私は私よ。他の誰でもない。私は唯一無二の、完璧な人形よ」

 

 それが私の言いたいことだった。もし45が40の面影を私に重ねているのだとしたら、それが一番許せない。私は彼女の代用品にはならない。私は私だ。完璧で、優秀な戦術人形、HK416。404小隊の隊員で、部隊の中で一番強い。UMP45の相棒で、お互いの能力を信頼し合っている。それが私、他の誰にもならない。

 

「そう……そうよね、416。あなたはあなた、40とは全然違うわ。そんなあなたが好き。私のそばにいて……私を一人にしないで」

 

「あんたは一人じゃないわよ。私も、9も、G11もいる。404小隊はあんたにとってもかけがえのない居場所なのよ。それにね……私もあんたのことが好きよ。最初からそうだった。あんたを一人にしない。頼まれたってどこにも行かないわ。家族だものね……」

 

 私たちは抱き合って、想いを打ち明け合った。お互いもう隠しごとはない。対等で、上下関係もなく、互いに必要とし合っている。それが私たちだ。45が私を離そうとしないので同じベッドで寝てやった。今度は起きた時に誤魔化さなくていい。私と彼女の距離はこれまでにないくらい近くなっていた。

 

 

 

 

 

 あの夜から少し日が経った。夕方、私はバイクを運転する416の背中にしがみついていた。向かい風に髪が激しくなびく。風は冷たかったが、密着して416の熱を感じていたので気にならなかった。彼女にぶん殴られた頬はまだ赤いままだったが、そこそこ治ったのでガーゼを外した。パーカーは今までのものを416が手直ししてくれた。右の脇にジッパーを取り付けて義手が入るくらい大きく開閉するようにした。右袖はパーカーのもワイシャツのも切り落としてある。

 

「ここよ。停めて」

 

 416に指示を出してバイクを止めさせた。無人地帯の廃墟の中、拠点から少し離れたところにある一画だ。建設予定地だったのか何もない、土がむき出しになった空き地に近づいていく。空き地の真ん中に銃がポツンと突き刺してある。弾倉もそのままにサブマシンガンが無造作にハンドガードまで土に埋められていた。フレームの黒いプラスチックは風雨にさらされて白っぽく変色し、所々ボロボロになっている。この下に40の遺体があった。9と二人で無人地帯にたどり着いた時、穴を掘って彼女をそのまま入れた。葬儀などは何もしていない。9は泣いていたが、私は何一つ言葉を発しなかった。ただ憎しみと復讐に心を奪われ、悲しむ余裕などなかったのだ。それから今までここに訪れたことはなかった。私はその簡易の墓の前に片膝をついた。

 

「40……久しぶりね。今まで来なくてごめん。色々報告したいことがあるの。まず、仇は討ったわ。アルケミストを殺した。復讐を果たしたわ」

 

 言ってからこれは報告することじゃないと思った。きっと40はそんなこと聞いても喜ばない。

 

「私は自由になったわ。404小隊という部隊を結成して、傭兵をやってる。人間の主人は居ない。誰にも仕えず、誰にも見下されず、自由に生きてる。あなたが望んでたみたいに……家族も増えたわ。後ろにいるのは416。新しく加わった仲間よ。G11って娘もいる。もちろん、あなたが助けた9も元気よ。またすぐにみんなで来るわ。その時、きちんとしたお墓を作りましょう。これじゃあんまりだものね……」

 

 墓に話しかける私を416は一歩後ろで見守っていた。人形に魂とか、死後の世界なんてものはないと思う。でも、40がどこかで見守ってくれている、そんな気がした。

 

「復讐は終わりよ。憎しみに囚われるのはやめる。あなたの記憶から逃げ続けるのもやめるわ。私は前を向いて生きる。だから、待っていて。いつかまた会う日まで、私はあなたを忘れない。ずっと覚えている。あなたのことを、大切な姉妹のことを……だから、ありがとう」

 

 私は地面に触れて、じっと目をつむっていた。どれくらいの時間そうしていたのかは分からない。416が口を開いた。

 

「45、見せたいものがあるわ」

 

 416に手を引かれるままにバイクに乗り、しばらく走った。着いた先は川原だった。川のほとりまで行って416が座り込んだので私も隣に座った。ちょうど夕日が川面に沈み込んでいくところだった。紫がかった空と、夕日に照らされてきらきら光る水面、大きな大きな太陽。綺麗だと思った。確か416に出会った時もこんな夕暮れだった。

 

「前にここに一人で来て夕日を見たのよ。綺麗だったから、あんたにも見せたくてね……」

 

 416の顔は日に照らされて少し赤く見えた。私は夕日より416の横顔を眺めていた。しばらくの沈黙の後、静寂を破るために口を開いた。

 

「へえ……あんたにもロマンチックな感性があったのね。戦いと装備にしか興味ないのかと思ってたわ。完璧完璧言っておけば機嫌が取れるんだと思ってたけど、考えを改めないといけないわね」

 

「この……言うに事欠いてそれ?左腕も引っこ抜いてやろうかしら……」

 

 416は私をにらんだ。私が彼女のことをずっと見つめていたことに気づいて416は苦笑いを浮かべた。

 

「416……私はあんたのことが好きよ。誰にも渡したくない。離れたくない。ずっと一緒にいたい。あんたのことを愛してる」

 

「え……ちょ、ちょっと待って。あ、あんたいきなり何を言い出すのよ……」

 

 416はしどろもどろになって頬を真っ赤に染めた。416は感情を直接ぶつけられることにとても弱いことが分かった。可愛い奴……私は身体を伸ばして慌てる彼女の唇にキスをした。416のまつ毛が私の目に触れそうな距離まで顔を近づける。私と彼女の距離がゼロになった。416の唇はやわらかかった。彼女の吐息を感じる。押し倒しそうな勢いで唇を寄せると彼女は私の胸を弱々しく押し退けて口を離した。

 

「な……な、な、なにすんのよ!いきなり!」

 

「キスだけど。嫌だった?」

 

「え……あ……い、いやじゃないけど……」

 

 息を荒くして混乱している彼女の唇を有無を言わせずに奪った。今度は唇と唇を触れ合わせるだけじゃなくて、舌を彼女の口内に滑り込ませた。もちろん私も興奮してる。だって416のことが好きだから。いつか、いつの日か彼女と対等になりたいってずっと思ってた。416はぎゅっと目を閉じていて、私を受け入れてくれるみたいだった。舌と舌を絡ませて、やわらかいその感触と唾液の交換を楽しんでいると彼女はかっと目を見開いて私を張り倒した。

 

「何やってんのよ!調子に乗るな、この変態!」

 

 トマトみたいに顔を赤く染め上げた彼女は肩を震わせていた。その様子が面白くて笑っていると頭をぶっ叩かれた。ぷりぷりしてる416をよそに立ち上がって川を眺めた。透き通った水がゆっくりと流れている。私はベルトから鞘ごとナイフを外した。40のナイフ、これで自分の腕を切断したし、アルケミストの目を潰した。40の形見で、復讐の象徴だ。でも、これはもう要らない。

 

 私は右腕を振りかぶって思いっきりナイフを川に放り投げた。勢いよく飛んだナイフはぼちゃんと大きな水柱を立てて着水した。そのまま川底に沈んですぐに見えなくなった。

 

「いいの?」

 

 416が聞いてきて、私はゆっくりと頷いた。もう全部終わった。憎悪も悲しみも、40の死もみんな乗り越えて生きていこう。私は憎しみには囚われない。新しい日を始めよう。前を向いて、416と、家族と一緒に。私は自由に生きられるんだ。

 

『よかったね、45。自由になれて。これからは自分のために生きな』

 

 私はパッと振り向いた。40の声が聞こえた気がした。必死に頭を動かしても416以外に目に入る人影はない。

 

「どうしたの?」

 

 416が不思議そうに聞いてきた。彼女には聞こえていないみたいだった。深く息を吐いた。今のは40の声じゃない。彼女はもう死んでいる。気のせいだ。私に都合のいい幻聴でしかない。

 

「……何でもないわ。416、いつか海を見に行きましょう。この辺りの海は汚染されてるけど、うんと南に行けば綺麗な砂浜が見られると思うの」

 

「そうね。この川をずっと下って行けば河口は海につながってる。その海を越えて、もっと先へ……行けるわよ、私たちが一緒なら不可能はないわ」

 

 私は416の肩に頭を載せて夕日を眺めていた。太陽が全部川の下に沈んでいくまで、ずっと。日は沈んでも、また必ず昇る。そして、新しい一日が始まるんだ。

 

 


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