成瀬瑞穂side
冬馬が生きていた……。
彼の存在があるだけで私は満足してこれから生きていける。もう死にたいなんて思うことはなかった。
けど…冬馬は、
私よりも深い深い傷を心に負ってしまい、精神を病んでしまっていた。そんな彼を支えるのは私の役目だと思って…いた。
実際は私ではなく、咲良が看病みたいなことをしている。私から距離を置き、冬馬の身辺でお手伝いをしている。私だって、参加したいのに…咲良は私を近付けるどころかどんどん冬馬と私を遠ざけている…気がした。
そういう雰囲気になってから、私の胸の中でチクチクとした痛みとモヤモヤした気持ちが一緒になって渦巻いていた。この気持ちが実は嫉妬だと気付くのは…これからもっと先のことだった。
英雄さんを喪って2日が経った。
彼の亡骸はこの建物の地下に置いてある。長い期間私たちを支えてくれた英雄さんには手を合わせに行きたいのだが、腐敗臭が立ち込めた部屋にはなるべく行きたくないのが本音だった。
それで私は冬馬の部屋に行こうと思い、ドアノブに手をかけると楽しそうな話し声が廊下に響いてきた。
「冬馬くん、大丈夫?」
「ああ、大丈夫だよ。悪いな……。食事とか持ってきてもらったり身の回りのこと…。俺…なんか何もやる気が起きなくて…」
「動くこともしたくないとか言ってたよね。もしかして…今更になってニートになるのかな?」
咲良は笑いながら言うが、私からしたら笑えないことだった。
あんなに精神が荒んでいる冬馬になんてことを言ってるんだと、怒鳴り込みに行こうと今度こそ扉を開けた途端…冬馬の口から信じられない言葉が飛び出した。
「……そうだなぁ…。本当にニートになろうかなぁ。何もかも嫌だし……」
「え?」
今、何て……。
彼は笑いながら、確かにそう言ったのだ。そういうことが大嫌いな冬馬が…笑いながら……。
私が声を漏らしてしまったことで2人は私が来たことに気付き、私の方を見た。冬馬は悪びれる感じもなく、少し元気はないが、いつもと同じような感じで話しかけてきた。
「よう、瑞穂、どうした?また心配してきたのか?」
「あっ……うん…」
「……瑞穂?」
「い、いや……何でもないよ…。ちょっと私はお邪魔みたいだから…」
「瑞穂?おい!待て……」
冬馬が私を呼び止めようとする声が耳に入ったが、私は構うことなく2人前から消えた。
なんだか…酷く自分が惨めに感じられた。
冬馬のためだと思っていつもやっていたのに、今はその役割を咲良に取られ、2人の仲は世界が滅ぶ前よりも友好的な感じに見えた。
いや……もしかしたら2人はもう…。
そんな考えが頭の中を駆け巡る。あり得ないと思いたいが、世の中には吊り橋効果ってものがある。それならもう冬馬は…私をただの友達としか見てくれないのだろうか……。
私の気持ちは落胆したままで、今日一日は過ぎていった。
今日も良い天気だった。朝日が東から昇り、暗かった地上を橙に染めていった。ただ、扉の前で犇めいているウォーカーも写し出し、悪夢の化身の姿を曝け出した。
しかし、今日はいつも以上に元気がない。
自分でも何でだろうと考えている。冬馬ときちんと向き合えていないから?それとも咲良と冬馬が仲睦まじいから?はたまた…別の原因かもしれない。
「……向き合って話せないよ…。冬馬…」
そう独り言を口に出した時、昔からよく聞いてきた声が屋上の扉から聞こえた。
「どうしたの?また自殺しようとしてるの?」
振り返ると、清々しい表情の咲良がいた。だけど、その黒色の瞳の奥には怒りも含まれている感じがした。
「自殺だなんて…冬馬が戻ってきたのにするわけ…」
「冬馬くんのことが好きだからでしょ?」
「え?」
突然真剣な表情で話し始める咲良に私は動揺してしまう。
「え、えっと…」
「瑞穂はすごいよね…。子供の時から冬馬くんを虜にして…私じゃ敵わないな〜って思っていた。でも…今だけは絶対許さない」
「な、何言ってるの?私は……冬馬には何も…」
「ええ、そうね。何もしてない。…逆に何もしなさすぎなくらいにね。瑞穂、冬馬くんが何であんな風になったか、知ってる?」
あの時英雄さんを殺してしまったこと…と言いたかったが、咲良の雰囲気からそれだけではない…ということが察せた。
「教えてあげる。冬馬くんは、まずお母さんがウォーカーになっているところを見てしまって…泣いていた。それだけじゃない。ガソリンスタンドで私が襲われた時、彼はその人の肩を拳銃撃ち抜いて……そのまま放置して見殺しにした。その時の冬馬くんの顔…物凄く辛そうだった…。見てた私も申し訳なくて泣きそうだった!そこに英雄さんのことが重なって、遂に崩れてしまったのよ!瑞穂にはその気持ち分かる⁉︎私でも分からないよ!」
いつのまにか咲良の両目からは涙が溢れ出ていた。
今の話や様子から咲良も冬馬のことが好きなんだろうなと容易に分かった。だけど…そう思うなら……。
「咲良が……冬馬を支えればいいじゃない…」
「………」
「私は…ほとんど事情を知らないんだから………」
パシン…!
と突然甲高く音が鳴った。音の出所は私の左頬だった。咲良の怒りが遂に私の頰を打つくらいにまで上昇したのだ。
「しっかりしてよ‼︎瑞穂‼︎」
「咲良……」
「何?私は何も知らないから何も出来ない、だから他人に任せる?瑞穂が持っている冬馬くんの想いはたったそれだけのものだったの⁉︎」
「……っ」
「悔しいけど…今の冬馬くんには瑞穂が必要なの…。あんな風に笑っているけど、本当は無理して自分を演じているの…。でも冬馬くん…さっき瑞穂の姿を見て、目を輝かせていた。それなのに、瑞穂は逃げて……冬馬くんの気持ちも少しは察してよ!」
全く、反論出来なかった。
咲良の言っていることが正しくて…。
「瑞穂はいつもそう。自分ではほとんど動かない。瑞穂望むことしかしない。それで上手くいかなかったら、自分の世界に塞ぎ込む。それじゃ……冬馬くんが可哀想で仕方ないよ…。だから…」
俯いている私の両肩に咲良の手が置かれる。
そして、優しい言葉を紡いだ。
「今度からは…瑞穂が冬馬くんを支えて…。私の番は、もう終わり」
「でも…咲良、咲良も冬馬のこと……」
「いいの!」
私が咲良の顔を見ると、彼女の瞳からは悔しさ、悲しさの満ちた目が見えた。だけどどこかスッキリしたような雰囲気もあった。
「行って来なよ…瑞穂……」
今にも泣きそうな咲良。
その要求に応えないのは、最低だと思い私はゆっくりと屋上を後にした。
そして、私が去った後、咲良の嗚咽が僅かに聞こえた。
冬木冬馬side
嫌われちまったかな…?
不意にそう思った。瑞穂は明らかに俺を見て、驚愕…というか信じられないと言った表情を浮かべていた。何をしてしまったのか分からなかった俺はとにかく瑞穂と話したくて、一緒に居たくて…こっちに手招きした。
いつもなら笑ってか恥ずかしそうに来るはずの瑞穂が初めて…俺の元から離れた。待てと言っても、瑞穂は戻って来なかった。そのすぐ後には咲良も居なくなり、俺は再び孤独感に苛まれた。
「…俺はやっぱり……1人で生きなきゃいけないのかな?」
「…違う。冬馬は1人じゃない」
独り言で呟いた言葉を返してくる声が聞こえた。
それは間違いなく、瑞穂の声だった。俺はどうして瑞穂が戻って来たのか分からずにオドオドしていると、彼女は顔を歪ませて、俺の身体を優しく抱き留めた。
その抱擁は…信じられないくらいに暖かった。
「ごめんね!ごめんね…冬馬!私は冬馬の辛いこと、悲しいことを知らずに……!」
「瑞穂…」
「これからは私が支える!冬馬がまた壊れそうになっても、私が絶対に守る!」
「……その台詞は…俺が言うもの、だろっ…」
何故か急に涙が溢れて来た。今まで辛かったことや悲しいことが幾度もあったが、そこまで泣くことはなかった。
…母の死を知ったこと以外…。
でも今…俺は、俺を支えてくれると言ってくれた瑞穂に対して…嬉しくて…涙を溢れさせていた。いつの間にか俺は瑞穂の身体を強く抱き締め、オイオイと涙を流す。
その様子に流石の瑞穂も困惑、並びに苦しそうにしていた。
「冬馬…く、苦しいよ…」
「…っ、悪い…」
涙を拭いながら俺は瑞穂から離れる。
その時瑞穂と目がピッタリ合う。お互いに何かに捕まったように身体は固まり、顔だけを近づけて行く。そしてもう数ミリで唇が重なると思われたところで……扉が開いた。
「冬馬!今すぐ来てく……れ………」
「………」
「………」
俺、瑞穂、部屋に入ってきた浩二全員が身体を固めてしまう。
そして、数秒後に浩二は震える口で呟いた。
「また……俺お邪魔だった…?」
プチッと頭の中の何かが切れて、俺は浩二に飛び付いた。
怒りのままに…。
「浩二いいいぃぃぃぃっ‼︎‼︎」
「わっ!や、止めろ‼︎」
俺は浩二の胸ぐらを掴んで、奴の頭を殴りまくった。
その様子を間近見ていた瑞穂は、暫く茫然としていたが、すぐに笑いを堪えられなくなって、腹を抑えて笑い転げるのだった。