冬木冬馬side
俺は………どうなってしまったんだろうか…。
もう…死んでしまったのだろうか…。でも…身体中に感じるこの柔らかい…フカフカした感覚は…何なんだろうか…。
俺は今まで閉じていた目をゆっくりと開いた。最初に見えたのは…真っ白な天井だった…。
それに鼻を突く薬品の臭い…。嗅覚が働いている…ということは…。
「俺………生きてる………のか…」
俺は数分、ベッドに横たわったままでいたが…いい加減起きようと思い…上体を起こすのだが…途端に頭に痛みが突き抜けた。
「っ‼」
頭を抱えて、俺は痛みに耐える。どうやら…完治してるわけではないようだ。
だが……。
「なんか……やけに、静かだな…」
そう…。窓にカーテンがかかっているとはいえ、そこから車のエンジン音…救急車のサイレンも聞こえない。廊下からも人が歩く気配も感じられない。夜ならまだしも、今は太陽が出ている。近くの時計の短針は11の数字を指していた。俺はなんか…様子がおかしいと思い、鈍い痛みが頭の中を定期的に突き抜ける中…静脈に刺している点滴を抜いて、ベッドから降りた。
すると…近くの机に置かれた赤い箱に目が入った。
「こいつは…」
箱の上には白紙に『冬馬へ』と手書きされたものが置かれていた。文字から見ても、瑞穂のもので間違いなかった。包み紙を取り、中が何か確認すると、それはチョコレートだった。
そういえば…あの日…もうすぐバレンタインだなとか瑞穂と話し合っていたな…。
腹が減っていた俺はすぐにそのチョコを口に頬張った。甘い味が舌先に流れ、そこから食道に入ってエネルギーに変わっていく感じがした。
「おいしい…」
俺は自然と笑みを漏らすのだった。
それから俺は部屋から出ようと扉を開けたが、すぐ扉の先には担架が置かれていて…ここに入って来られないようになっていた。俺はそれを退かそうとしたが、固定されているのか動かせなかったため、仕方なく通り越して廊下に出た。
俺は廊下の光景を見た途端…驚きのあまりガタンと身体を担架にぶつかってしまった。
廊下は綺麗に清掃…なんか全くされておらず、至る所に黒く変色した血が飛び散っていた。他にも物がたくさん散乱し、壁には無数の小さな穴が開いていた。言うまでもなく…俺はそれが銃弾がめり込んだものだと分かった。よく刑事ドラマで見たものとそっくりだった。
どちらにせよ……この病院で何かがあったことは間違いなかった。でも…それならどうして俺だけここに取り残されているのか…そこが疑問だったが、今はとにかくこの病院から出るのが懸命だと考えた。
靴が無かったため、裸足で歩いているのだが、砕けたコンクリートやガラスが足に刺さって、頭と同じくらいに痛かった。すると、壁に血で『出口はこっちだ!』と大きく書かれていた。しかし…病院の案内看板には逆方向が出口だと書かれていた。
「どっちなんだ…」
俺はどっちに進むべきか分からなかったため、まずは病院側の案内に従ってみた。
矢印の方向に進んでみると、その扉は鎖に繋がれた南京錠と木板で厳重に閉じられていた。その扉も血で黒く変色していて、嫌な臭いも漂ってくる。思わず吐きそうになる。その扉に一歩、足を進めた瞬間…扉が激しく軋んだ。
「!」
ギィギィと扉が前に後ろにと動く。俺は恐る恐る声を出してみる。
「あの……誰かいるんですか?」
そう聞いてみたが、返事はない。
「誰か……いる…」
その時…僅かに開いた扉の隙間から何かが見えた。それが何なのか分かった途端、俺は戦慄した。
扉の隙間から出てきたのは…手だった。無数の青白い肌の手が南京錠に触れ、扉をどうにかして破ろうとしているのがすぐに分かった。俺の身体はガタガタと勝手に震えだして、さっきの血文字に従って俺はあちらに向かって走っていった。扉から背を向けてから……耳には人間でない何かの声が…聞こえてきたが、俺は恐怖に戦き…痛む頭を抑えて、逃げるのだった。
血文字に従って来たのはいいのだが…そこはまた真っ暗で視界は全く効きそうもなかった。非常用出口の緑色のランプだけが…俺にとって唯一見える灯りだった。そこに急いで向かうが、何度も何度もよく分からない…柔らかい物に躓いて転ぶが、それが何なのかを確かめようとも思わなかった。
とにかくここから出たかった。ここに残っていたら…あの扉の先にいる“何か”に何をされるか分かったものではなかった。漸く非常用出口に辿り着き…無我夢中で扉を開いた。
だが…その先はあの病院の廊下よりも悲惨な景色を俺に見せた。
「うぐっ!?」
俺はすぐに猛烈な吐き気に襲われた。
太陽に照らされない病院の裏側……そこには何十体という程の白い毛布がかけられた人間の死体がズラリと並んでいた。その死体からは腐敗臭が漂い、俺の鼻孔に強烈な刺激を与えに来る。俺は必死に鼻を抑えて、この場を急いで離れようとする。死体はかなり腐敗していて、ハエや蛆虫が沸いている死体もあった。
「う……ぐううう……」
果てしない死体のカーペットを乗り切り、俺はとにかく…家に向かうことにした。
あの病院は昔、腕を骨折したときに行ったことがあったので問題はなかった。だけど…頭がズキズキして、足元もフラフラするし…このままではいつまで経っても家に辿り着けそうにないと思った。そこで路上に落ちていた自転車を拾ってそれに乗ろうとする。
その時…自転車の奥に下半身を失った女性の死体があった。大腸か小腸か分からないが、露出している。それだけでも俺はまた胃から嘔吐物を出そうになる。死体から目を逸らし、乗った時…俺は目を丸くした。
「……ぁ………ぁぁぁ…」
小さく呻く声が俺の耳に聞こえてきたのだ。周りがあまりに静かだったから…ちょっとした小さな音でも俺の耳に入ってしまうのだ。その声の聞こえたところにゆっくりと頭を動かしていくと…“女性の死体”が動いていた。
「うわあ!?」
俺は自転車から飛び降りて、派手に地面に尻を着いた。女性の死体は下半身を失った身体で俺のところに着実に近付いてきていた。どうして生きているのか…そんなことを考える暇もなく、俺は自転車に乗り直して、急いで我が家へと向かうのだった。
ほんの数分、ペダルをこぐだけでも、極度に疲労と緊張した身体は悲鳴を上げていた。さっきの女性みたいな奴に出会ったら…今度こそ逃げ切れる気がしなかった。
漸く家に着いて、自転車を捨てて、扉を乱暴に開けた俺は構わずに叫んだ。
「父さん!母さん!健太!栞!」
両親に弟に妹の名を全員呼んだが、何一つ返答はなかった。傷付いた足でリビングに駆け込んで…俺は絶句した。
「な…………」
広いリビングは…朱に染まっていた。テーブルは端に倒され、白いカーペットは血で濡れて…中心には1つの死体が無惨に転がっていた。それが誰かも…すぐに分かった。
俺より少し小さい背、首に付けたペンダント…。
「か、かあさ………」
だが…顔……頭は、粉々に砕けてしまい、母さんのあの優しい面影は全て消え去っていた。
誰かが…殺したんだ……。
じゃなかったら、あんなに頭が粉々に砕けているものか。今にも泣き崩れそうになる我が身をどうにか抑えつけて、俺は外に出て段差に座った。そして、未だに痛む頭を抱えると同時に悲しみに明け暮れる。
「俺は…これからどうしたらいいんだ…」
そう小さく呟き、孤独という悲しみも味わった。
いつも…瑞穂が鬱陶しいとか感じたことがあったが、今は…むしろ鬱陶しい方がいい。
「瑞穂……どこにいるんだよ……みんな…」
俺が見渡す限り、近所は明らかに蛻(もぬけ)の空で、探しても人を見つけるのはかなり難しいことだろう。
そんな時、奥の方から一つの人影が見えた。俺は小さく手を振って、助けを求めた。しかし…こちらを明らかに見ているはずのあの人は何の反応も示さず、こちらに歩み寄ってくる。俺は立ち上がって、声をかけようとそこに向かおうとした時…一閃の声がこの街に響いた。
「今だ!やるんだ‼」
その声を聞いた瞬間、俺の後頭部に鈍器で殴られたような痛みが突き抜ける。
「ぐあっ!」
頭を抑えて、殴ってきたところを見ると、そこにはシャベルを両手できっちりと掴む見覚えのある女子が視界に映った。
「あ!冬木…くん!」
「お…ま、え……」
「どうした!?」
そしてもう一人の声も俺の耳に入ってくる。
その女子の隣に40代の男性が視界に入り、長い棒の先端に包丁を取り付けた即席の武器を俺の喉に突き付けた。
「その頭の傷…どうした…?」
「お父さん!冬木くんだよ!野球部の練習試合で……」
「…あの子か!?でも…何をしたんだ、咲良?」
「奴らだと思って…このシャベルで…」
「……ああ、面倒なことをして…!ほら、家に運ぶぞ!」
二人は俺の脇と足を持って、どこかに運んでいく。
そんなやり取りと聞きながら…元々俺の完治していなかった頭の傷が悪化して…再び気絶するのだった。