至高の御方々専用イストワール   作:黄雨

5 / 5
敬語が胡散臭いこと極まりなくて辛い


4.永い、永い暇な時の過ごし方

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hint.このゲームのあらすじ

 物語はある館のエントランスホールから始まる。

 

 そこにいるのは主から受け取った秘密の招待状を使用した六人の仲間たち。

 

 彼らが語られる言葉から、この世界が崩壊の危機に瀕していることが分かる。

 

 だが本来辿り着くはずだった者のうちの一人は行方知れずであり

 世界の崩壊に対する解決策を持つものは誰もいなかった。

 

 偶然にも唯一の希望となった主人公は、外へと続く扉をくぐることになる。

 

 

 

 

 結論から言うと、リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを装備していれば『執事』が受けたようなダメージを受けずに例の扉を出入りできるらしい。

 

 理屈はこうだ。

 

 部屋と通路、階層と階層、領域と領域……目に見えずとも確かにある連続した空間の繋がり。本来であれば途切れるはずのないそれらのうちの一部は、世界の法則が乱れているかのごとく行き先を乱し、理に沿えば繋がるはずもない空間へと歪に繋がり、しかし元の行き先とせめぎあうことで、ふれるもの全てを微塵にせんばかりに摩擦し、生半可な耐性を無視し崩壊させるほどのダメージをあたえる状態となっている。らしい。

 

(なるほど。意味わからん)

 

 このような、本来なら繋がっていない場へと続く不連続空間を行き来するならば『転移中』のステートさえあれば良い……というのがマーレの意見だ。リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを装備しているなら内部と外部が連続していない、便宜上『未定義空間』と名付けられたそれに触れると同時に『転移中』のステートを得て、まったくダメージなく通過できるようになる、と予想しているようだ。

 

 なんでそうなるんだろう、とモモンガは訝しんだ。

 

 モモンガは『転移中』なるステートがなんだったか、ユグドラシル・ツクールで見れる各種仕様を思い出そうとしたが、バフでもデバフでもない瞬間的な状態変化までは記憶していなかった。つまりは良く分からない。検証でもしなければ分かりそうにないことだが、マーレは転移中のステートのことを最古図書館(アッシュールバニバル)に残された書物から学んだという。

 

(うーん。検証とか情報収集っていったら『ぷにっと萌え』さんが思い浮かぶけど、わざわざあそこに自分が集めた情報を残すかな? いや、ぷにっと萌えさんなりやりかねないかも知れないけど)

 

 はたしてこれは過去の再現か、あるいは捏造設定か。

 微妙な問題かもしれないが、どちらの可能性も否定できない。当時に遡れるならば、あるいは当人に連絡を入れれば確認できるかもしれない。だが少なくとも、この仮想現実という虚構の箱庭の中にいる限り、つまりはゲームプレイ中には断定しえないことだ。

 

(ま、最後までいけばスタッフロールは流れるし、最期までいけずに強制ログアウトされても作品情報なりで分かるだろうし)

 

 だが、そうと考えれば少なくともこのゲームの制作者……もといこのゲームの非公認パッチを作り上げた人物は、アインズ・ウール・ゴウンの名前や公開されたに等しいナザリック地下大墳墓の内装だけでなく、ギルドメンバーについても詳しいことは間違いないだろう……とモモンガは推察。

 単純に考えればギルドメンバーのうちのだれかが作ったに違いないのだが、しかしそれはイマイチ受け入れがたい。凝り性の彼らが今モモンガが陥っているような致命的なバグを残すとは考えづらく、なにより、皆で作り上げたナザリック地下大墳墓が崩壊する前でなく現在進行形で崩壊している最中だ、というような設定ではじまるストーリーを採用するとは考えづらい。そんな可能性、考えたくもない。

 

(……これ以上はもう気にしないでおこう)

 

 モモンガが在りし日の思い出を振り返っている間にマーレはその場に、つまりは館主の寝室の床に対しドルイドのクラスが習得できる第1位階魔法<目印(マーキング)>を発動。両手で抱えるように構える手のひらの内側に、ボール状の魔法の光が生まれ、そしてそれは床に触れると同時に魔方陣を描く。

 <目印(マーキング)>という魔法は魔力的に感知できる印を場に残して迷子になるのを防いだり逃げまわる敵に付与して補足したりできるという、地味な用途かつ代替手段がある魔法なのだが、スキルツリーの先に<生命探知(ディテクト・ライフ)>を始めとした有用な魔法に繋がっているため、使用する機会はそうそうないがとりあえずは習得はされる、という部類のものであった。

 

「こ、この館の中で、この部屋が一番、空間が安定してます。

 リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンの効果で、ぼ、僕の<目印(マーキング)>がある場所に転移しようとすれば、ちゃんと発動すると思います」

「うーん。『できませんでした』では困るぞ。

 検証はしてないだろう」

「は、はい、ごめんなさい。証拠はありません。だからこそ、僕がいまから、自分で検証したいです」

 

 マーレは僭越ながらと前置きし、モモンガの装備しているリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを求めた。そういうイベントなのだろうとモモンガは大人しく装備中の指輪を渡す。

 これで失敗したらそれこそ手詰まり。であるにもかかわらず長々と語ったということはつまり『この作品はこういう設定でやっていきますよ』という制作者の宣言に等しい。まず間違いなく成功するのだろう。

 マーレは受け取った指輪を左手の薬指に装備した上で隣室の館主書斎にある扉(扉にこびりついた血痕は跡形もなく清掃されていた)を実際に無傷でくぐりぬけ、そしてすぐさま先ほどのマーキング箇所に転移することで自論を証明してみせる。

 予定調和、とだけで終わらせるには「できましたぁ!」と元気にかけよってくる彼女もとい彼の笑顔はまぶしすぎた。

 

「……うぉっほん。すばらしいぞマーレ。

 これで外界に打って出られるどころか、安全な帰路をも確保したことになる。

 よくやったな」

 

 モモンガがロールプレイしながら誉めるとマーレはそれはもう真っ赤に頬を染め、深々と頭を下げ謝意を示す。指輪を外してモモンガに返し、そして紅潮しながらも褒めて褒めてと言わんばかりにモモンガに抱きつこうとした……その時である。

 

「あぶない! 闇との契約が!」

 

 どーんと横合いからマーレを突き飛ばしたのは誰であろう、シャルティアである。

 マーレは無言でシャルティアを睨みつけた。

 

「なんで邪魔するのなんで邪魔するのなんで邪魔するの」

「やめなんせ。どうやらモモンガ様はいま、私たちから過度な接触があったら世界から消されんし」

「消される? どういう意味だねシャルティア」

「言葉通りでありんす。モモンガは先ほどの『休憩』の際――」

「あーあーあー。

 それは禁則事項的なアレだぞ詳しくは言っちゃだめだぞシャルティア。

 じゃあ私は行くからな」

 

 モモンガはそう誤魔化し、そそくさと冒険の旅へと出発しよう扉に手をかけた、すんでのところでデミウルゴスに止められる。

 

「お待ちくださいモモンガ様!

 御身が危険を冒す必要などございません!

 どうぞ以後は我々にお任せいただきたく!」

「えー。やだー」

「えっ」

「いやだって、世界を救うのは俺の役目だろ」

 

 RPGにおいて「行くな」という台詞は「行け」というのとほぼ同義である。

 彼はいま、配下にあれこれと命じて動かす戦略シミュレーションゲームではなく、プレイヤーが主人公になりきって試練を乗り越え、目的の達成を目指すロールプレイングゲームをしているつもりなのだ。故に、モモンガが己の役割を譲る道理はなかった。

 

「そりゃ、二つ目以降のリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンが見つかったらPTメンバーになってもらうけどさぁ」

 

 なぜ一番手を譲らなければならない?

 とは言わず、モモンガは再び装備しなおした指輪に目を向け、デミウルゴスの意見を退ける。

 

(ユグドラシルがサービス中の頃の状態に忠実な設定なら、宝物殿にいくつもあるハズだしな。

 確か百個くらい作って、一人一つづつ配って、残りは宝物殿にしまってたと思うし)

 

 ……そして、引退宣言した者たちは、一人また一人とこの指輪を返却したはずである。果たしてウルベルトさんは引退宣言しただろうかとモモンガはおぼろげな記憶を遡るが、どうにも思い出せない。

 実は誰にも言わず黙ってこっそりここに飾っていたのかもしれない、という『たられば』の可能性は否定できない。真実は闇の中、過去の再現か、さもなくばありえそうな設定を捏造したかのどちらか

 

「っとと、んんっ。

 あー、そうだな。なんて言ったらいいかな……

 そう、俺は――私はナザリックを救うためにここにきた。ならばやはり、私自身が動かねばなるまい」

 

 さしあたってここまでのストーリーの流れを踏襲し魔王ロールプレイを行うモモンガ。

 だがこの場にいるNPCたちはその言葉に納得しない。彼らの脳裏に浮かぶのは、いつかと同じように、たった一人で問題を解決せんとする主の姿。

 

 ナザリック地下大墳墓を築き上げた四十の偉大なる者たちを統べていた主は、いつからか日夜降臨する最後の一人になってからも、この拠点を維持するために『稼ぎ』を行っていたという。

 かつてその事実を知っていたなら、そして御命令ただけたなら、御方々のためにこの世全ての財を集め捧げていただろうに……などと思うものはナザリック地下大墳墓の地に創られた者たちのうち誰もが思っているだろう。

 全員がアインズ・ウール・ゴウンのためならばと粉骨砕身を地で行く働きをした筈なのだ。

 だがそれらは命令されることはなく……そしていままた、主にすがらねば自分達が絶対視する世界ひとつ救うことすらできない。

 守護者たれと創造された彼ら彼女らの胸中には、己はなんたる無能なのか、というような暗澹たる思いがぐるぐると渦を巻いている。

 しかしモモンガにはそんな胸中を読み解けるはずもなく、ただ『すごく悔しい』みたいな表情差分されても困ってしまうと思うばかりである。

 手早く進めたいのに物語が進まないことに困惑してしまう。なにか語りかけなければ、このまま黙ったまま話が進まない……と思われる状況に陥った。

 反応が生々しいだけに無視して進むのも後味が悪く、もし好感度システムが内臓されてるとしたら、よろしくない対応に好感度が下がってしまうかもしれない。だが選択肢ウィンドウが出てこないので言葉に迷う。選択肢仕事しろと思いながらも、モモンガは先ほどシャルティアに語った設定を拾ってこう続けた。

 

「私は無限にこの場に居られるわけではない。時間には限りがある。

 六時間。それが私がこの場にいられる限界で、それが闇との契約なのだ」

「六時間……?」

「そうだ。六時間だ」

 

 六時間。それが現在モモンガの中の人が所持しているダイブマシンが連続して仮想現実に接続できる時間制限である。理屈で考えれば、それだけの時間が経過すれば健康上の理由で強制的にログアウトさせられる筈である。

 

「そんな、モモンガ様は百年のゆ」「いやあ百年は無理だろ」

 

(人間の寿命はそんなに長くないっつーの)

 

 デミウルゴスが言いかけた言葉に被せるようにして聞き入れず、ストーリーを進めるべくモモンガは言葉を続ける。

 

「私がエントランスホールについてから何分たった?

 おまえたちの一時の感情で、私から更に一分一秒を奪うつもりか」

 

 そう言われてしまえばこれ以上の引きとめは失礼千万に値する。もちろん、途中で休憩しようとしたくせになどという揚げ足取りなどするはずもない。身に纏うぼろきれの様子を始めとして、主の身に想像を絶する『何か』があったことは疑いようもないからだ。

 

 だが、だがしかしそれでもデミウルゴスは言葉を続ける。

 滞在時間が短すぎるという嘆きではなく、少なくとも建設的な意見を。

 

「お、お待ちください!

 モモンガ様がそう仰るのであれば重ねて問うことはありません……ですが、せめて、せめて御身に相応しい衣装に着替えるべきでは」

「一理あるが、持ち合わせはないぞ」

「コレクションルームに残された装備品を解呪していただければ、持ち出せるようになるのではないでしょうか。

 ウルベルト様も、この非常時であればお許しになられるかと愚考いたします」

 

(ああ、そういえば『地下一階の図書室』で二つ目の大結晶石が手に入ったんだっけ。

 もしかしてこのアイテムの使い道、コレクションルームのアイテム持ち出すくらいしかないのかな?

 いやいや、生産職……がいるかはどうかはともかく、もし居たら有用な装備作って貰えるアイテムだろこれ。生産職のNPCもいた気がするし)

 

 しかしモモンガは『未加工のデータクリスタル』の本来の使用方法を考慮し、その訴えを退けた。

 

「デミウルゴス。データクリスタルは本来の使い方をするのが最善だろう?

 んー、まあつまりはだ。えーと。なんとかなります。心配ありがとう」

 

 歳のせいだろう、モモンガは最後まで魔王ロールプレイを完遂するには至らなかったが、そういうことであればとデミウルゴスは口をつぐみ、代わりに、と言うわけではないだろうが『執事』が意見を述べる。

 

「でしたら『瓢箪状の湿地帯』ではなく『砂舞う廃都リ・エスティーゼ』に向かわれるのが宜しいのではないかと愚考致します。

 かの地に生息するのは知性無き下等な昆虫の魔物ばかり。その身を脅かす脅威はないかと。

 また『愛の証・外郭部』には『王国五宝物』なる装備が残されていると耳にしております。詳細は存じませんが、多少は身なりを整えることができるかと」

 

 

 

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 場所を移し、不連続空間が『砂舞う廃都リ・エスティーゼ』へと繋がる扉がある客室。

 

 がしゃん、と世界を区切るかのように扉は閉まり、現状探知系の能力をもたないナザリック階層守護者およびナザリック地下大墳墓九階層勤務の執事らは、もはや主の動向を把握できなくなった。残念ながら現在のマーレが維持できる<目印(マーキング)>は一つだけであり、モモンガを対象にかの魔法が行使されることはなかったのである。

 

「やはり我々は信用されていないのか……」

 

 デミウルゴスがそう呟き項垂れる。

 上に立つものが下々に任せないということは、つまりはそういうことなのだ。

 主から時間が惜しいという思いが口にせずとも伝わってくるようで、自分がやるという気概を隠そうともしなかった。その態度はデミウルゴスならずともこの場にいるものならばいくらでも察せられる。

 

「しかし何かおかしい。顕現なされる時間が、たったの六時間だと……?

 ありえない。モモンガ様は『百年の揺り返し』でこの地に御降臨されたのではないのか?」

「わかりんせん。私たちも知らない未知の方法でありんしょう」

「モモンガ様が長らく留守にする前に仰られました。たとえどのような手段を使おうとも戻ってくる、と。でなければ、あれほど力を失われるなど考えられません」

「ソレガ『闇トノ契約』トイウ訳カ。禁則事項ト仰ッテイタガ……」

「無間図書館にも、そんな内容の本は無かった、と思います」

「モモンガ様はとても多くの魔法を身につけてらっしゃったわ。きっと秘中の秘なのよ」

 

 そんな彼らが口にするのは想像も及ばぬほど偉大なる主であるモモンガが断片的に残した『闇との契約』についての考察。

 だが、何が『禁則事項』に当たるというのか。

 過度な接触の厳禁。

 詳しく語ってはいけない。

 口にされずとも、それ以外にも何らかの条件付けはされていることは容易に想像できる。

 語ることすら憚られるというのであれば情報の共有もままならない。

 主の言葉通り詮索することはやめ、残る者たちは代わりに「どうすればこの場にいながら至高にして究極の御方の役に立つことができるか」を話し合う。

 その多くが今日に至るまで語りつくされた言葉の繰り返しでしかなく、これこそが彼らの、永い、永い暇な時の過ごし方であった。

 

 

 

 ……X百年前、主が別れの時だと公言した日に残した『最後の命令』を実際に耳にしたのは、守護者統括アルベドや『執事』もといセバスを始めとした少数の家令(ハウス・スチュワード)ばかりであるが、御言葉を直接耳にした者たちから周知されたその言葉はナザリックに住まうものの誰もが深く心に刻み付けている。

 

 曰く、死ぬな。

 曰く、逃げ延びろ。

 曰く、隠れ潜め。

 曰く、隙をついて敵を殲滅せよ。

 

 それらの言葉は『誰でも楽々PK術』というアインズ・ウール・ゴウンの戦闘教義(ドクトリン)の基礎中の基礎であった。

 別れの時だと言いながらも改めてその『基本』を口にしたモモンガの真意()を読み解いたのは、ナザリック有数の知恵を持つデミウルゴスである。奈落よりもなお深遠に至る悪魔の読みは冴え渡り、そして深謀遠慮の末にナザリック大墳墓外の環境の変化を察知。

 

 全くの未知にして尋常ならざる事態に対し、その存在が知れ渡っているナザリックの知恵者二人、即ちアルベドとデミウルゴスは協議に協議を重ね、そして主の最後の命令は今後の方針を指しているという考察は一致し、彼らは極めて慎重に外界の情報収集がはじめる。

 

 月日がめぐる間に様々な出来事があったが、情報収集の過程で『百年の揺り返し』なる情報を得、彼らはいつの日か必ず主がこの地に戻ってくることを確信。ナザリックに住まう者達の目的は世界を知ることから主を迎え入れる下準備、あるいは主に仇なすだろう存在を予防的に殲滅することに変わっていく。

 

 様々なことが起こり。そして何も起こらない日々もまた続き――今日がきた。

 

 それなのに。

 主に与えられた時間は、あまりにも、短すぎる。

 どうか時よ止まれと、彼らは今すぐにでも時間停止(タイムストップ)を使えるようになりたいと願うのだった。 

 

 

 

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 ナザリック宝物殿。

 アインズ・ウール・ゴウンが積み上げた金銀財宝が収められたその場所は、しかしいまや金貨の煌めきはない。

 今現在、その領域を動くものは唯一人。

 宝物殿領域守護者の二重の影(ドッペルゲンガー)。パンドラズ・アクターである。

 

 一体何があったというのか。

 このがらんどうな空間は?

 

 彼は己に与えられた変身能力を使って商人スキルのある音改の姿を借り、至高の御方と比較しおよそ八割程度の力を引き出して『エクスチェンジボックス』へと次々と重要度の低い宝物殿内のアイテムをユグドラシル金貨へと換金していく。

 

 しかしその金貨の大半は宝物殿内の床に転がる前に虚空に溶けるようにして消えていった。

 

「ハァー、ハァー。金貨がない、金貨がない。

 急がなければ……」

 

 パンドラズ・アクターは罪悪感で今にも死にそうな憂鬱を押し殺し『必要』に駆られるがまま独断専行を繰り返す。無断で至高の御方々が収集したアイテム――PKされたプレイヤーがドロップした人間種の装備――たちを金貨に換えるなど、常であれば万死に値する越権行為であろう。だが、もう指示は待てない。緊急事態だからだ。

『宝物殿へと雑に収められた木っ端アイテム』と『ナザリック地下大墳墓そのもの』を比べれば、どちらに比重が傾くかなど論ずるまでもない。

 

(足りない、足りない、この程度では足りない!

 ギルド拠点維持費が必要だ! 今、すぐ!)

 

 そんなことは新たな資金が補充されなくなって久しいとっくの昔に、既に守護者統括に通達済みであった。

 自身の存在が秘匿されていたからか階層守護者たちとは一悶着あったが、しかしヘルヘイムならざる地にあるものを『エクスチェンジボックス』経由で次々と金貨に換えていくことで問題点は回避した。はずなのだ。

 

 だが。

 だが、ほんの数日前から、ナザリックのギルド拠点維持費がおぞましいほどに膨れ上がった。パンドラズ・アクターの視点からしてみれば、ある日突然宝物殿中が王水で浸されたかのごとき勢いでユグドラシル金貨が溶けはじめたのだ。

 

 何が原因か、パンドラズアクターにはわからない。だがその事実は即刻アルベドに報告し――それきり連絡は途絶えた。

 

 そして今のパンドラズ・アクターには、もはや誰かに連絡する余裕がない。ギルド拠点維持費はすぐさま底をつきたからだ。ギルド拠点は収入がなければ支出を減らすとばかりに、拠点の中枢から遠い第一階層から順々に自動湧き、各種トラップを始めとした各種機能が停止していく。機能停止がギルドの拠点中枢に至れば、ナザリック地下大墳墓はギルド拠点としての存在意義を失うだろう。

 

「誰でもいい! はやく!

 この異常な支出を止めてください! もう持たない!」

 

 一体誰が彼の願いを叶えうるというのか。その原因を理解し取り除けるものは、きっとこの世界でたった一人だろう。

 

 こうしてパンドラズ・アクターが追われている事態こそがこの世界……このギルド拠点が崩壊する原因なのだろうか?

 

 

 

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 一方その頃アルベドは、優しい光に包まれていた。

 自分が誰で、ここはどこで、一体何のために産まれてきて、かくあるべしと命じられたのか、曖昧模糊として判別できず、ただひたすらに、モモンガを愛している、という事実だけがどこまでも増幅させられているかのような状態にあった。

 

 当然、尋常なる事態ではない。

 

 状態異常・暴走。

 

 客観的な第三者視点で彼女の頭上に輝くアイコンを見れば、彼女がそうなっていることは一目でわかるだろう。そして、異業種に詳しいものは訝しむだろう。サキュバス系の種族レベルを持つ者がそう簡単に暴走の精神系状態異常に陥るのか? と。

 

 アルベドを包み込む、光球はささやく。

 あなたは私の化身(アバター)になれる。と。

 我々は一つになるべきだ。と。

 

 繰り返し繰り返し、そう囁く。囁くだけで、それ以上は何もしない。

『悦楽の呼び声』が。

『憎悪の呼び声』が。

『妄執の呼び声』が。

『忘却の呼び声』が。

 その囁きの裏で何事かを呟いている。

 耳に届けども、聞き取れない。

 その言葉に耳を傾ければ、愛しい人の『在りし日の思い出』がその脳裏に流れ込む。

 

『楽しかった――本当に、楽しかったんだ――』『――ふざけるな! ここは皆で作り上げたナザリック地下大墳墓だろ! どうしてこんな簡単に棄てられるんだ!』『』『』『』『』『』『』『』『』『――さんも引退、ですか? そうです、よね。みなさん、リアルの都合もあるでしょうし……』『』『』『』『』『』『』『』『』『最近ウルベルトさんってインしてても見当たらなくないですか?』『』『』『』『』『』『』『』『』『――の初見一発クリアしてみたいんですけど、流石にダメですよねえ?』『』『』『』『』『』『』『』『』

 

 愛しい人の声で、愛しい人の言葉が、まるで仮想現実であるかのようにあまりにも生々しく、リアリティに満ち溢れた形でアルベドの脳裏に想起され、まるで我がことのように追体験していく。

 

(モモンガ様との一体感を感じるわ……今までにない何か熱い一体感を……)

 

 それに抗う術はもはやなく、それに抗う必要性を今のアルベドは感じられない。

 理想の世界はここにあったと、ただそう思うことしかできない。

 

 一体誰が彼女を正気に戻せるというのか。きっとそれは、この世界でたった一人だろう。

 

 こうしてアルベドを洗脳するかの如く囁き続ける謎の光球こそがこの世界が崩壊する原因、なのだろうか?

 

 

 

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 時の奇跡。

 この世ならざる地に、そう呼ばれる空間があった。

 現在、過去、未来といった時間軸を問わず入り混じる、混沌が形を成したかのような、理外の世界である。

 

 そこには『百年の揺り返し待ち』とでも形容するのが正しいかどうか……耐性無視の時間停止の状態異常を受けていると思わしきプレイヤーが、重力など知ったことかと言わんばかりにそこらへんを漂っている。

 

 が、そちらについては本筋ではないので割愛する。

 

 そんな空間の中で意識を保つ存在が一つ。

 ユグドラシルの古参プレイヤーであれば、その存在がワールドエネミー『七大罪の魔王』であることを容易に看破しただろう。

 

 だがそれは、あくまで装備を除いた外装の話。

 

 ユグドラシルのプレイヤーだった者であろうと、傲岸不遜に腕を組み、風もなく漆黒のマントをはためかせ、神器級(ゴッズ)大剣と思われる武器を腰に携える姿など見たことがない。装備が違う。すわサービス終了まで未実装だった別形態かと目を疑うことだろう。

 

「……流石母上。機を見るに敏。手が早い。

 都合が付かぬ故、我が身はかの地に降臨(おり)られぬというのに。

 よほど素体の境遇に馴染んだか、あるいは相性が良かったか――

 どうか感情移入のあまり役割(ロール)は忘れないでいただきたいものだ」

 

 彼もまたナザリックのNPCたち同様、とある創造主によりかくあれかしと役割を与えられ生まれたNPCである。そしてそれは、この場にいる彼だけでなく、すでに『かの地』に降り立っている配下達にも言えた。

 

「10000のつよきものどもよ。十二悪魔将たちよ。

 かの地に『主人公』は降り立った。役割(ロール)に則り、義務を果たせ」

 

『七大罪の魔王』は己以外に意思あるものなどいない空間に指示を出す。その言葉は世界の壁を容易く越え、彼に従う忠臣達は万全の備えだという意を返す。

 彼には、彼らにはそれぞれ、創造主により与えられた役割がある。

 それは世界を滅ぼすという役割なのだろうか?

 

 彼らこそがナザリック地下大墳墓を崩壊せんと企む者、なのだろうか?

 

 そもそも彼や、彼の母親なる存在は一体何者なのか?

 

「さてはて、幸運にも今作の主人公に選ばれ、そして自らもまた選んだ者よ。

 貴様の中に培われた、無数の物語は。

 いつか忘れられていく、幸福な記憶たちは。

 ある日唐突に、

 あるいはゆっくりと、

 時には悲しく、

 時には幸福に、

 いずれ結末を向かえる。

 貴様の中に何が残り、そしてかの地に何を残す?

『イストワール』は、全ての選択肢を尊重しよう。

 重ね合わせられる限りの舞台を整えた。そちらの流儀にも合わせた。あとは貴様しだいだ」

 

 意味深な言葉を呟いた『七大罪の魔王』は、フフフ、とその外装に良く似合う含み笑い。

 そのまま高笑いにつなげる三段笑いを行うかと思いきや、含み笑いの後には「すべての物語に感謝を」と図体に似合わぬ言葉を漏らすのだった。

 

 

 

hint.多様なダンジョン

この物語には実に様々なダンジョンが存在します。

海中に没した聖王国、夜の領と化した帝国、現世の果ての大河、高空に漂う竜族の遺跡。

あなたはそのうちのどれだけを目にすることになるのでしょうか。

本作には決まった解き方はありません。あなたの好きな歩き方で物語の結末を目指してください。

 

 




 
 
 
 

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