夕暮れ時は、どうしてこんなにも胸が切なくなるのだろうか。
ラブはデッキブラシの上でメルの腰から落ちないようにとしっかり腕を回し、やることも無いからと水平線の彼方へと消えていく夕日をぼんやり見ていると、そんな感傷に襲われた。
グツグツと煮えたぎるような夕日の表面は、一体何度の熱を持っているのか。
触れられるほどの距離まで近づいたら、ラブはあっという間に真っ黒けになってしまうのだろう。
───自然って、偉大だな。
「メルはいつもこんな景色を見てるんだな。おれ、結構この光景好きだぜ」
お腹の上に回している腕に更に力を入れて、そう楽しげにラブは口ずさんだ。
メルの繰るデッキブラシにはいつか乗ってみたいとは思っていたが、まさかこんな形で乗ることになるなんて、人生とは全くもって分からないものである。
───そうだからこそ、面白いのだろうが。
「夕焼けって、日焼けするんだよねー」
メルは元気いっぱいなラブに呆れた声を出すが、その目元は少し緩んでいた。
いろいろな出来後が立て続けに起こりすぎて、ドレスローザではラブとの再会を実感出来なかったが、久しぶりの使い魔との会話だ。
二年前に拾ったあの時から、ジジィの次に時を同じくしたラブはメルにとっては家族も同然。
───まぁ、そうなると実のお兄様とのご関係も少し気にしなきゃならないんのだけども。
ラブ、もといロシナンテと血の繋がったドフラミンゴを思い出して、メルはげっそりとした顔になる。
「ラブ、私が言うのもなんだけどさ。お兄様の所に帰りたくなったらいつでも言いなよ。私はもう絶対会おうとか思わないけど」
血の繋がった家族と縁がないメルには、血が持つ因果などはあまりよく分からない。
古来よりも血は呪いにとって必要不可欠な素材だ。
時には運命すらも縛ることが出来る血を、同じにする兄弟の関係はそう易々と断ち切れるものでは無い筈だ。
よもやメルからそんな話を持ちかけられるとは思わなかったラブの目が大きく見開く。
そして、彼は口篭りながらもバッサリ言い切った。
「アイツは、もう赤の他人だ」
メル同様、実の兄だと知らされても尚、頑なにドフラミンゴには会いたくないとラブは訴える。
気持ちはわからないでもないとメルは思うが、それでもと彼女は言葉を連ねた。
「でも、一応は実の兄じゃんか」
「もうそうとは思えねェんだ」
ここまで、肉親でも縁が拗れるケースも珍しい。
世は決して平和とは言えない大航海時代であるが、だからこそ同じ血を持つ家族にこそ揺らぎない信頼を置くのではないだろうか。
メルの脳裏に良い例として思い浮かぶのは、超お得意先のガープだ。
例え、息子が革命家だろうが孫が海賊になりたいとほざこうが、彼はどちらの家族も大切にしている。
───ガープさんって、そう考えると実際は良い父親でお祖父ちゃんなのかもね。仕事をほっぽりだしても、家族に会いに行こうとしたりするし。
刹那、メルは急に背中に怖気が走るのを感じた。
次いで、デッキブラシの柄を握っている手元から感覚が無くなっていくのが分かる。
突如起きた体の異変にメルは顔を顰めた。
───やっぱり、家まで持たないっぽいと遣る瀬無い独白を胸中に吐いて。
そして、事態は加速するように進んでいく。
手始めにとブラシの毛がバサバサァと収縮を繰り返し始めて、メルの上体が大きく前後に揺れた。
「·····メル!?」
流石にここまで大きな変化が続くと、ラブも異常事態が起きていることに気付いた。
「ごめん。もう魔力がスッカラカンみたい·····」
「ってことは、落ちるのか?」
「うん。だから、着陸出来そうなところをラブは探して。それまでは頑張るから」
メルがいつも時間を掛けて風を呼び込むのは、魔力を節約するためだ。
ここ二年ほど、メルは満足に魔力を補給していないので、実際は自由に使える魔力量がかなり少ないのだ。
だが、現在魔女家業を休業しているメルとしては、魔力を補給する必要性がなかった。
よって、デッキブラシに乗って配達屋をしている限りは少しの魔力でこと足りていたのだが、さっきのような妖精の強制使役をするためにはいつも使っている魔力の三倍が必要だ。
そのため、メルは少し強引な手を使って新たに魔力を急拵えで作り出し、あの場から撤退した。
「あそこに船があるぜ·····海賊旗掲げてるけど」
「ほかに、島も見当たらないんだよね?」
「ああ」
メルのお願い通りに着陸出来そうな場所をラブを見つけたようだ。
しかし、それは海の無法者が沢山乗っている海賊船。
けれども、他の手が見つからないのだから選択する余地は無いのだ。
もう背後にいるラブの体温すらメルは感じられないでいた。
これ以上無理を通したとしても、賭けに勝てる見込みは限りなく低い。
そもそも、このデッキブラシに搭乗しているのは幸薄なメルとラブなのである。
幸運の女神様が微笑んでくれる気が全くしない。
「だがあの海賊旗なら、もしかしたらいけるかもしれない」
ラブは、懐かしくも思えるその海賊旗を見て一縷の希望を見出そうとしていた。
旗のドクロの鼻の下に描かれているのは、下弦の三日月。
───いや、あれは下弦の三日月なんてものじゃない。
「よし、行くよ! 何時の方向!?」
「二時の方向だ」
「おっしゃ! こんな所でくたばってたまるか!! ラブ、到着したらとりあえずドジ踏まないようにじっとしててね!!」
「オレだってやる時はやるからな!!」
ラブが着々とフラグを立てているようだが、残念ながらそれに構っている暇も気力もない。
メルは最後の気力を振り絞って、ラブの案内通りにデッキブラシの方向を変える。
カタカタと不気味な音を立てて、デッキブラシがもう無理だよと言いたげに訴えているみたいが、あともう少しだけもってとメルは優しく柄を撫でた。
───大丈夫。皆、五体満足でジジィの下に帰ってみせる。
なんとかデッキブラシを宥めつつ、ラブが指さす方を飛んでいくと確かに一隻の大きな海賊船を見つけることが出来た。
鯨を模したようなその海賊船は、素晴らしいことに甲板がそこそこ広い。
見張り台にいる双眼鏡越しの海賊と一瞬、視線が交わったような気がするがメルは挨拶をする気力もないとそのまま着陸体勢に入る。
「おいおい!!? 空からデッキブラシ? に乗った子供がこっち来んぞー!!」
メル達を発見した海賊が慌てた声を上げると、甲板で自由に過ごしていた他の海賊達も何を馬鹿なことをと思いつつも、空を見上げる。
そして、メル達の姿を確認するや皆、顎を外して驚嘆の声を上げた。
「嘘だろ───ッ!?」
「マジじゃねぇか!! 空から子供が降ってくんぞ!!」
「き、奇襲ー!? いや、迷子か!?」
かなり甲板が騒々しいことになっているが、メルは構いやしないとそのままデッキブラシを着陸させた。
両足が甲板を踏むと、膝にも力が入ってないことが判明しメルはどてっとその場に倒れ込みそうになる。
しかしそれを腰に腕を回していたラブが留め、手際よくメルの肩に腕を回してどうにか彼女を介抱しようとするが、そこで自分の足を誤って踏んでしまい、結局はメル諸共に甲板に伏すことになってしまった。
流れるように見事、先程立てたフラグを完成させるラブである。
何やらバタバタしていた子供が最後には自滅して、二人揃って倒れ込んだのを見届けた海賊達は困惑したように互いの目を見合わす。
「イッテテテ·····くそ。おい、メル大丈夫か!?」
「·····どっかの誰かさんが道連れにしてくれたおかげで、意識は正常になったよ」
強かに打った鼻を抑えながらラブがメルに心配げな声をかけると、いつもより小さいが、しっかりとした返事がメルから返ってきた。
どうやらラブは怪我の功名を体現してみせたようだ。
そのことにちょっとラブが誇らしげな顔をしている。
しかし、悠長に話し込んでいる暇は二人には無いようだ。
二人に覆いかぶさった影に彼等はまだ気づいてないらしいが、降ってきた声に漸くメルもラブも顔を上げた。
「本当に子供が乗り込んできてるよい」
そこには、特徴的な髪型をしている金髪の男がいた。
子供とは言いつつも、ジロリと油断なくメル達を見下ろすその眼差しは鋭い。
「貴方が、船長さん?」
「違うよい。オレはクルーだ」
これはまた、手厳しそうな人間に鉢合わせてしまったようだ。
子供だからと加減をする気は全くないらしい海賊に、さぁどうやって話を持ち込もうかとメルは思案する。
「おい、マルコ。あんまり子供相手に威圧することはねェだろ?」
すると、また別の海賊がメル達の前に現れた。
今度はリーゼントヘアがキマッている海賊のお出ましだ。
コックらしい服装をしていることから、恐らくこの海賊船の専属料理人なのだろう。
「ゼハハハハッ! サッチ隊長の言う通りじゃねェか。マルコ隊長、確かにこの餓鬼どもは空から飛んできましたが、そう威圧していたら何にも喋れなくなっちまうぜ?」
「ガキだからって、加減する必要はあるのか。此処が何処なのか分かっていての発言かよい」
メル達を取り巻いている海賊達の中の一人が、マルコと呼ばれた目の鋭い男に野次を飛ばす。
しかし、マルコは至って冷静なもので落ち着いた口調で隣に立っている料理人───サッチに問いかけていた。
「新世界だな」
「そうだよい。新世界を飛び回るガキだ」
「まぁ、新世界だからこそ、そういうことだってあるんじゃねェか?」
サッチのいい加減な発言にマルコのこめかみに青筋が入るが、それをサッチは「まぁまぁ」と宥める。
「そう肝の小せェことを言うんじゃねぇよ。見ろ、このガキども、足だって覚束無い」
サッチは軽薄そうな口振りだが、それでも海賊らしくしっかりとメル達のことは観察していたらしい。
メルは魔力切れ───ラブに至ってはただのドジなのだが、確かに二人の足元はふらついていた。
マルコが仕方が無いと言うように目を伏せた。
これ以上此処で言い争っていても、仲間同士での結末のない喧嘩に発展すると察したのだろう。
「·····オヤジに聞いてみるよい。それでいいか?」
「勿論、異議なしだ」
「それには及ばねェよ。小僧共」
二人の間で話がまとまったようで、その話の方向はメル達にとって悪いものじゃないと感じ、メルもラブも密かに胸をなでおろしていたのだが、そこで空気が一瞬にして張り詰めるような人物が出てきたらしい。
たったの一言で、この場にいる海賊たちの浮き足立った雰囲気を引き締めたその人物は、甲板を大きく揺らしながらヌゥとメル達の前に立ちはだかった。
「お、オヤジィ」
マルコの嬉しそうな声が遠い。
否、その声に意識を向けられないほどにメルは動揺していた。
同じ人間と思えないほどに、大きな巨体。
巨人とも言い表せそうなその男は、口元にたっぷりと白い髭を蓄えていて黒いバンダナで白髪をまとめている。
不敵な笑みを口に貼り付けて、立っているだけでもかなりの威圧を受けるその人物をメルは一方的に知っていた。
「·····白ひげ」
「おう。嬢ちゃん、オレのことをよく知ってたなァ」
口元が無意識に引き攣っていた。
小鼻がヒクヒクと動くのがとても目障りだが、そうなっても仕様がないとメルに思わせるほどに、白ひげの登場は衝撃的なことなのだ。
「ラブ、アンタ、地獄に行ってもこき使うからね」
「·····メル、覚悟をするのが早くないか?」
何故かメルと違って、ラブは白ひげを見ても普通そうな顔をしている。
もしや、このドジっ子。
かの白ひげに纏わるあれこれを知らないのだろうか。
だとしたら、どれ程この少年は幸せなことなのだろう。
『
彼こそが海の覇者の呼び声名高い最強の海賊───白ひげだ。
となれば、ラブはもう使い物にならない。
白ひげの恐ろしさを知らないラブをあっさりと切り捨てて、メルはしっかりと白ひげを見上げた。
「お初にお目にかかります。私達は、グランドラインで運送業を営んでいるしがない商人です。今回は、ワケあって貴方がたの海賊船に不時着させて頂きました」
心臓がどくどくと脈打つ音が、耳のすぐ側まで聞こえてくる。
もう五感の感覚など曖昧になっているはずなのに、それでも早鐘を打つ心臓に少しメルは安堵した。
───私、まだ生きている。
「どうか一日だけでいいので、この船に滞在させてはくれないでしょうか? お金なら払わせて頂きます」
メルはそこまで言い切ると深く頭を下げた。
脳内には海賊相手に誠意を見せたところで、と嘲笑うもう1人のメルがいる。
だけども持っている手札は、確実にメル達の方が劣っているのだ。
今やメル達の命は風前の灯と言っても過言じゃない。
なんて言っても、交渉相手はあの白ひげだ。
交渉相手といっても向こうは、テーブルに腰掛けてすらいない。
命運は白ひげのその大きな手の中に一方的に握られているのだ。
白ひげは、メルとラブを見定めるように視線を動かした。
その視線の一つ一つの動きに両肩が何度も飛び上がろうとしたが、メルは鋼の理性でもってその衝動を鎮める。
白ひげの目が悪戯げに細められたのを見て、メルはゴクリと固唾を飲んだ。
「グララララ。肝っ玉の座った嬢ちゃんだ。良いだろう、部屋を貸そう」
大気を震わせるようなその笑い声に続く待ち望んだ回答に、メルはついその場にへなへなと座り込んでしまった。
白ひげがメルの言い分を飲んでくれたのだ。
もっと色々と応酬が必要だと思っていただけに、呆気なく滞在してもいいと許可を下した白ひげの底は計れない。
「く、首皮一枚繋がった·····」
しかし、何はともあれ勝ち取った生存権。
今はそのことだけを手に取って、喜びに浸っても罰は当たるまい。
ふとラブの方を見ると、嬉しそうな顔でピースサインを作り、メルに見せてきた。しかも、変顔付きだ。
こやつは本当に能天気者だとメルは溜息吐きたくなるが、今はツボが浅くなってるので口から出てきたのは乾いた笑い声だった。
「ははは·····。なんか今回はラブに負けた気分だよ」
「ほら、白ひげから許しが出たんだから笑えよ、メル。お前は笑った顔が一番可愛いだから」
「明日の朝はパン祭りにしてやるからね」
「とんでもねぇ嫌がらせをサラッと口にしやがって·····」
でも、確かにラブの言う通り、生き残ることが出来たのだ。
メルは、目前でメル達のやり取りを面白そうに聞いている白ひげに向かってもう一度頭を下げた。
「ありがとう! 白ひげさん!!」
ラブのおかげで自然に浮かべられた笑顔のままそうお礼を言うと、白ひげも笑みを深めて「かまやしねぇよ」とまた笑う。
こうして、白ひげ海賊団にお邪魔することになったメルとラブ。
色濃い一日の終わりを告げるように、ゆっくりと空が暗くなり始めていた。
情深いワンピース世界の登場人物の中でも、随一の優しさと愛情を持った白ひげさんことエドワード・ニューゲートの登場です。
ですが、今回はまた予告通りにn番煎じのロシナンテandコラソンについて。
某世界政府の暗部の長官からドジっ子の椅子をもぎとった彼ですがあの小物とは違って、めちゃくちゃ良識人なので好きなキャラクターの一人です。
ですが、私はあの小物とて好き。親の七光りを躊躇なく振りかざしてバスターコールしちゃうあの人も良いキャラしてます。
本当はメルの使い魔もジジィのようにオリキャラにしようと思っていましたが、折角だから一キャラ運命変えてやろうと思い至り、彼をその生贄として選ばさせていただきました。
海賊と海軍に通じてるキャラなので、とても使い勝手のいいかたです。
ドフラミンゴとローの過去編ではかなり号泣したので、彼にはif物語ぐらいではハッピーエンドをと思いますが、ロシナンテにしたら原作もローが病をなおしたのでハッピーエンドなのかも。