√無性に書きたくなって、こそっとでろ甘サカズキ氏を書き殴ってきました。勇気のある方だけご賞味ください。
まだ月が夜空に上っている頃、満天の星がジュエリーボックスのように煌めいている様にほぉと感嘆の吐息を吐いて、アイスバーグは頭を覆っていたタオルを外した。
月や星を照らし返して、水面を輝かせる海は昼間とは違って仄暗い。
空も海も合わせ鏡のようになっていて、何処までも続く水平線が二つの境界を曖昧にしている。
はァともう一度息を吐いたら、ほんのりとそれは白くて、空気中に溶けて消えてしまった。
すぐ傍に海があるので、夜になると寒さが体を蝕む。
鼻水が出そうになって上体を抱えながら啜っていると、「おい、アイスバーグ」と聞きなれた弟弟子の声が背後から聞こえてきた。
アイスバーグは片眉を器用に上げて、珍しく声を掛けてくるフランキーに向き直る。
こんなにも外の作業場は冷え切っているというのにも関わらず、この馬鹿な男は昼間と同じ肌蹴たアロハシャツと海パン姿だ。
見ているのも寒いとアイスバーグが増々顔を顰めていると、フランキーが出航を控えたレッドフォース号に視線をやって、得意げに笑う。
「ありゃ、良い船だったなァ」
珍しく、自分が造った完全武装の艦隊なんかじゃなくて、普通の海賊船を素直に褒めるフランキーが信じられなくてアイスバーグは瞠目する。
突如、今日を含めて三日前になる日に、今にも沈みそうな勢いでトムズワーカーズに流れ込んできたレッドフォース号は、旅の最中に素人の応急処置を繰り返したこともあってか、誰が見ても沈没寸前であった。
今にも傾きそうな船底や、継ぎ接ぎだらけの帆柱。
キチンと掃除をされた砲台であったが、微妙に床にめり込んでいたりもした。
正に満身創痍であったレッドフォース号は、色々な理由があってトムズワーカーズが本気を出して当たったこともあり、何処に出しても恥ずかしくない立派なガリオン船へと様変わりした。
これならば、グランドラインの後半も無事渡って行けるだろうとトムが太鼓判を押すほどの出来栄えに、半分程の修理をやってのけたアイスバーグとフランキーは顔には出さなかったが、心中では小躍りしそうなほどの喜びようであった。
弟子達の成長っぷりにはトムでさえも心にくるものがあったらしく、その時はこれまた珍しいことに二人の技量を手放しで褒め讃えた。
そのため、普段から褒められ慣れていない二人は顔を真っ赤にして、アイスバーグは夜風に当たろうとドックの外へと出ていき、フランキーは工具を仕舞うからと奥へと引っ込んでしまったのである。
そして───冒頭でアイスバーグが夜空を見ながら黄昏ていた所まで戻る。
レッドフォース号には、この三日でいつの間にか集められていた食材や物資が手際良くクルー達によって積み込まれており、頭であるシャンクスと社長のトムは最後まで
「よォ、青年達。此処にいる間は随分と世話になったな」
ポンと二人は肩を叩かれ、まさか自分たち以外の人間がこんな所にいるとは思わず、頓狂な声を上げて身を寄せ合う。
仲睦まじく身を寄せ合って、突如出現したヤソップを凝視しているフランキーとアイスバーグにだっはっはっと彼は笑い飛ばした。
「んな、怯えることはねェだろ。ただ、礼を言いに来ただけだ」
キランとポーズを決めて調子のいい格好をするヤソップに、そういやこの人があの海賊団の狙撃手だったなと二人は思い出す。
ドレッドヘアの厳つい顔立ちをしたヤソップは、その性格に違わず星を散りばめたようなマントを纏っている。
頭上で光っている星に比べてどうも安っぽいようにも見えるが、あの赤髪海賊団の狙撃手が気に入っているのだから、あのマントは何か謂れがあるのかもしれないとアイスバーグは無駄に思案する。
「あの船の大砲の掃除をしていたのはアンタか?」
「ああ、そうだぜ」
フランキーが話し掛けてもなお、キメ顔でポーズを取っているヤソップには最早呆れしか抱かないのだが、常識は最後になるまで使う気のないフランキーが流れるように無視して笑みを深めた。
「あの船はボロかったが、大砲だけは新品みてェにスーパー綺麗だった。そこそこ年季が入ってたから手入れも大変だろうが、オレはアンタのプロ魂って奴に熱く痺れたぜ」
ドンと分厚い胸板を叩いて、凄まじい巻舌で喋るフランキー。
飛び道具に並ならぬ熱意とリビドー、それから夢を抱いているフランキーにとって、狙撃手というのは存外近い存在であった。
己の作った最高の道具を上手く使いこなすには、熟練の技を持つ人間も必要なのだ。
「嗚呼、副砲を備え付けてくれたのは手前ェだったか。アレ、ありがとうな。小回りが利きそうで使うのを楽しみにしてんだ」
言葉もなくガッチリと握手を交わし合うヤソップとフランキーには、互いの心に直接言葉でも投げ掛けているのか、ブンブンと熱く握りあった手を振りあっている。
そんな二人の周りには暑苦しい漢気みたいなものまで漂い始めたような気がして、さっきまであった寒さは何処へやら。
アイスバーグはすっかり意気投合した二人の漢の熱量で暖を取れるようになったと喜んで、二人の間で交わされる暑苦しい飛び道具への思いの丈を右から左へと聞き流して暖を取る。
「そろそろ行くぞ、ヤソップ───なんで変なスイッチ入ってんだ、アイツ」
出向の準備が出来たからとヤソップを呼びに来たらしいベックマンだが、燃えるような漢気が可視化出来そうなほどに白熱しているヤソップとフランキーの二人を面倒くさそうに見て首を傾げる。
そして、そんな二人に両手を当てて暖を取っているアイスバーグを見つけるや、「なんだってこんなに、盛り上がってるんだ?」とその訳を尋ねた。
「バカンキーは、改造馬鹿で武器馬鹿で、そもそもメカ馬鹿だ。だから、アンタの所の砲台がいたく気に入ったみたいで、その砲台を管理しているお宅の狙撃手と意気投合したってわけだ」
「·····オレも武器は飛び道具だが、オタクではねェからな」
アイスバーグは、武器を扱っている人間には二種類いると思っている。
それは、武器を武器と割り切っている人間と、武器に熱を上げている人間だ。
恐らく、この場合はベックマンが前者で、ヤソップが後者なのだろう。
アイスバーグとて、どの道この武器が使われるのであれば、人や自然を傷つけるものになると、武器から一線を置いて扱っている所があるので前者に振り分けられるのだろう。
「あの海にプカプカ浮いてる物騒な船は、そのフランキーって奴が造った奴か」
「嗚呼、そうだ」
顎の下に指を置いて、何や考えるような顔付きになったベックマンに声を掛けることも憚られて、アイスバーグは口を閉じることにした。
何度も何度も、いつかアレは厄災を連れて来る羽目になるのじゃないかと、戦々恐々としているアイスバーグであるが、兄弟子のそんな思いは欠片にも弟弟子には伝わらない。
そんなアイスバーグの諦観を読んだのか、不意にベックマンが不穏な言葉を口にした。
「あれはいつか、火種になるかもしれないな」
「·····え?」
思案顔から、今度は強面を更に気難しげにしてフランキーが置きっぱなしにしている完全武装の軍艦達を目を眇めてベックマンは眺めている。
「子供が自分の片付けなかった玩具を誤って踏んでしまうように、あの船もいつか持ち主に牙を向くことがあるかもしれねェ」
「やっぱり、アンタもそう思うか」
他の赤髪海賊団と違って知的な雰囲気を醸し出し、相応の口振りでもあるベックマンにそう言われてしまえば、アイスバーグの虫の知らせも更に賑やかになっていくようであった。
「あんなの、放置していて良いはずがねェんだ·····! なのに、彼奴は」
「もう少し、腹を割って話をし合うといい。そこの小僧と手前は、互いに言いたいことを満足に言えてねェんじゃないか」
図星をさされたように、アイスバーグは二の句が告げないでいた。
細く見定めるようなベックマンの視線には、何の感情も込められていない筈なのに背筋がスっと伸びていくようである。
「大人の言葉に耳を傾けといて損は無いぜ、若者」
そして、アイスバーグの頭を撫でるように触って、ベックマンはレッドフォース号の方へと去っていった。
後に残されたのは、飛び道具バンザイ同盟と惚けて声も出ないアイスバーグである。
───かっけェ·····!
ベックマンの大人の魅力に魅了されたアイスバーグが、赤髪海賊団の活躍を密かに追い始めるのは、また別の話である。
☆☆☆
所変わって、レッドフォース号の搭乗口前でこれから起こるだろうCPの陰謀に向けて、トムとシャンクスは話を煮つめていた。
「裁判の日に、必ず此処に戻ってこよう。それまで生きてろよ、トム·····!」
片手だけになってしまったその手で、トムの厚さのある肩をシャンクスは握り締める。
トムと今日別れたとしても、半年と経たないうちに再会する手筈になっているのだが、それまでをこの魚人の男は凌いで生きていかなければならない。
それはあの世界政府御用達の諜報機関と渡り合っていかなければならないことでもある。
トムが海列車を開発し、完成させるまであと数歩の所まできていることはCPも把握していることであった。
そのため、窮鼠猫を噛むという諺があるように、土壇場になって彼等が何かを仕掛けてくる可能性は十分にある。
世界規模の巨大組織と真っ向から立ち向かうには、この造船会社はあまりにも小さ過ぎるのだ。
だが、それもトムにしてみれば望む所。
裁判にまで生き残れなかったとしたら、それは旧い自分がこの世界に排除されたということに過ぎないと彼は考える。
そう、これはトムの一世一代の大博打。
掛金は己の魂。イカサマで切るジョーカーはシャンクスこと、赤髪海賊団だ。己の手札にこれ以上の物は望めそうにもないと、トムは知らずに不敵な微笑を口元に貼り付ける。
「手前ェこそ、どこぞでくたばるんじゃねェぞ」
二人の誓いが交わされたのを見届けたレッドフォース号は補給も終えて、出航出来る準備が整った。
ベックマンに連行されたヤソップが、フランキーとアイスバーグに手を振って別れを告げ、搭乗口から二人も乗り込む。
そして、いつの間にか残るはシャンクス一人を待つ状態になっていたらしく、クルー達から「置いてくぞーお頭ァ!」と催促の声が飛んできた。
それにシャンクスも笑って応えて、ヤソップと違って彼は満足に「さようなら」も言わずにレッドフォース号に乗り込んだ。
「錨を上げろー!!」
威勢のいい出港の声と共に、海へと通じているドックのゲートも上がりきり、そこからは切り取ったような満点の夜空が見えた。
トムズワーカーズの従業員達もたったの三日間であったが、赤髪海賊団に馴染んでしまっていたらしく、最初の頃の邪険な対応からは想像もつかないほどの愛想の良さで彼等を見送る。
フランキーとアイスバーグの二人も、手塩にかけて修理したレッドフォース号の出航を見届けるために、ドックの二階の踊り場を陣取り、特等席から手を振っていた。
「世話になった! また来るから、それまで元気にしてろよ!!」
船首に座り込んで、一際大きな声でだっはっはっと笑うシャンクスの背後には、赤髪海賊団のクルー達が勢揃いしており、彼等はトムズワーカーズとの別れを惜しむのではなく、胸を張って外海へと旅立って行った。
水面に飛沫を上げて、優雅に前進していくレッドフォース号は贔屓目もあるせいか、彼らが見てきたどんな船よりも艶やかで、壮麗な佇まいである。
こんなにも夜空の下が似合う船もあるまいと、親馬鹿なことを各々が考えているのも、長い時を過ごしていることもあって全員がお見通しであった。
☆☆☆
本日のメルの目覚まし時計代わりは、鶏の鳴き声ではなく、かといって海猫の賑やかな騒ぎ声でもなく。
片頬をムニムニと引っ張ってくる不埒者が、その日の朝の到来をメルに告げた。
「スーパーな触り心地だ·····! バカバーグ、手前ェと全然違うぜ」
「なんでッ、オレのまで引っ張るんだ·····バカンキー!?」
「見比べ───いや、触り比べないと比較出来ねェだろ?」
「オレ、もうコイツと全然やってける気がしねェよ」
頭上からメルが寝ていることもあって一応抑えているらしい囁き声が降ってくるが、如何せん漫才をしていることもあってちっとも忍ばれていない。
なんとなく声の主の正体を察しながらも、メルはうすらと薄目で自分の顔の上にある標準よりも大きなご尊顔と対面する。
彫りが深いとかいうレベルじゃなく濃い顔に嵌っている双眸は、異常に長い下睫毛に縁取られている。
定規で引いたように鼻梁の通った鼻筋と薄い唇が視界いっぱいに映って、メルは寝ぼけ眼のまま、なんて自己主張の強い顔面なんだ、この男とぼんやり思っていると───。
「おい! アイスバーグ、メルの目が淡く光ってねェか!?」
「どうせ、またお前の見間違い·····あ!? マジで光ってんじゃねェか!?」
「スーパーな色だなァ。まるで、海の水面みたいなクリアな色相をしてんじゃねェか」
「·····これ、大丈夫なのか」
何やら自分の目を覗き込んで男二人が暑苦しくギャーギャー騒いでいるのをまだ覚醒しきらない頭で聞きながら、メルは男達のほっぺたを片頬ずつ抓り上げる。
「煩いよ·····。まだ、私寝起きなんだけども」
メルの寝起きは、決して良いとは言えない。
確実に起きるには、いつものルーチンである身支度という行為をしなければならないのだが、本日はフランキーとアイスバーグがメルのその行動の邪魔をしているために全くそのルーチンをこなせないのだ。
殺意渦巻くメルの威圧に情けなく二人は押し負けて、メルの体の上から立ち上がる。
「·····もしかしてオレ、若干ヤバイことしてたんじゃねェか?」
傍から見たら、完全に女児の寝込みを襲っていると勘違いされるような場面を作り上げていたことをもう少しでアイスバーグは自覚出来そうであったが、邪魔者が居なくなって漸く準備が出来ると布団から出てきたメルの出で立ちを見て、彼は呆気に取られたように顎を落とす。
ふわぁと欠伸を噛み殺しながら、布団から出てきたメルの格好は白のタンクトップとドロワーズだけを着込んだものであった。
何処からどう見ても下着姿のメルに、常識を最終手段にしているフランキーが気を遣うはずが無く、アイスバーグはそんな彼の大きな背を押して退出を図る。
ただ、メルを態々起こしに来た用事も済まさなければ、ココロにどやされることが確定なので、まだ寝起きでぽやぽやしているらしい彼女にアイスバーグは捲し立てるように言った。
「もう朝飯は出来てるから、用意が済めば下に行けばいい。じゃあな、メル」
そして、ドタンバタンと慌ただしくこの場を退出した二人をメルは、やっぱりぼんやりと見届けて、そう言えばあの二人の目の下の隈がかなり凄いことになっていたような気がすると思い返していた。
髪を三つ編みに結って、黒のワンピースを被る様に着たメルは、アイスバーグの言葉を思い出して下へと降りていく。
そして、香ばしいパンの香りにくんくんと鼻を動かし、この家の朝食はパンなんだとかなり気分を盛り上げた。
パン愛好家のメルの朝は、パンから始めると言っても過言ではないのだ。
W7オリジナルのパンとかあるのかなーと浮き足立って、その匂いのする方へと足を進めたメルは、見事トムの家のダイニングを嗅ぎ当てる。
ダイニングには四人掛けのテーブルが真ん中にドンと据えられており、そのテーブルの上にはバスケットの中から湯気を立てるパンが幾つも顔を覗かせていた。
ティーポットからも湯気が靡いており、スクランブルエッグや茹でたじゃがいもが皿の上に乗っている。
何処から見ても、素敵なブレイクタイムの用意が整っているそのダイニングにはしかし、一つだけ問題点があった。
メルは、涎が垂れそうな口元をギュッと引き締めて、まるでこの家の主であるかのように振舞っている正装姿の男に視線を留める。
昨日の金庫騒動を巻き起こした泥棒達と同じ出で立ちのその男は、優雅にカップを揺らして珈琲の匂いを堪能し口をつけるや、次いでブフー!と行儀悪く珈琲の飛沫を口から上げる。
「アッチ───ッ!! んだ、この珈琲!? 滅茶苦茶熱いじゃねェか!?」
そしてごく当たり前のことを、さも驚きの事実だとばかりに騒ぎ立てて始め、メルの視線の温度がどんどん急降下していくのにも気付かずに愚痴愚痴と男は文句を言い始める。
「クソッ! 赤髪海賊団を奴等が匿ってるって言うから来てみたものの、肝心の海賊が何処にも居ねぇじゃねぇか!? どいつもこいつも舐めやがって!! このオレを早朝出勤させておいて、ごめんで済むと思うなよ·····!」
凄く悪者らしい愚痴を述べるその男は、大袈裟な身振り手振りで悲運を嘆いている最中に、己を含んだ視線で見詰める少女の存在に気付いた。
いや、気付いたというよりかは、視線と視線ががちんと絡み合ったのである。
何かもの言いたげな顔をしているメルを見詰めること三秒、男は腰を下ろしていた椅子から立ち上がり、少女の前までやってくる。
「この家にガキは居ねェ筈だが·····?」
なんだか色素の薄さが幸の薄さに直結していそうな藤色の髪をオールバックにして、決して良いとは言えない目付きでジロリとメルを見下ろすその男は、トムズワーカーズの人事に通じているようだ。
流石に昨日の今日なので、メルもこの男の正体には見当がついている。
W7辺りで正装姿の人間を見たら、回れ右推奨とまで心に刻まれているメルは、こんな間抜けそうな奴とて恐らくCPと胸中で唱えて、油断しそうになる気持ちを引き締める。
「配達屋のメルです。今日は仕事が遅くなったこともあって、トムさんのご好意で泊まらせてもらっています」
ワンピースの裾を摘んで、右足を引いてゆっくりとその場で腰を下ろす。
淑女マナーも一応は、ジジィから叩き込まれている。
生涯にまだ、数回程しか披露していない淑女の礼をこんな男にしなければならないのが少し癪だが、相手はCP。やむを得ない。
男は、久しぶりに目上の扱いをされたこともあって瞬間でご機嫌となった。
「ほほう、殊勝な心意気だな。名前ぐらいは覚えてやろう」
───全然覚えてもらわなくて結構! ってか寧ろ忘れて欲しいんだけどなー!
男とメルの気持ちがかなりすれ違っているが、メルのポーカーフェイスは定評があるため、恐らくこの扱いやすいご機嫌さんは暫くこのすれ違いには気付かないことだろう。
「それで、貴方は?」
「ああ、オレはCP5の長官であるスパンダムだ。ところで、メル。お代わりの珈琲を淹れてくれ」
この世界は、秩序の根幹でもある世界政府の人間まで人相が悪いらしい。
得意げに親指を当てて、自分はCPの中でもかなりの地位にいるのだと語る男───スパンダムは、図々しいことに珈琲のお代わりをこの家の客人であるメルに欲求してくる。
しかし、人に命令だけはしなれているらしいこの男は、よもや自分の命令が聞き届けられないとは思っていないようで、優雅にまた椅子に深く腰掛けた。
メルは、スパンダムを前に諸々の複雑な感情を想起するのではなく、この男のマイペースぶりに最早、呆れを抱いていた。
───どう見ても、ボンボンの坊ちゃんにしか見えないんだけどこの人·····。シャンクスさんとあんまり歳が変わらない筈なのに、この人から人生の厚みっていうか、年上らしさがビビるくらい感じられない。
同じ年頃の人間でも、性格や育った環境で此処までの差が出るものなのだろうか。
同じような髪の長さをしていたり、体型が似ていたりするため、スパンダムは不幸にもあの赤髪のシャンクスと見比べられていた。
少年の頃から海賊王のクルーとして荒波に揉まれているシャンクスと、親の七光りを翳して出世街道を爆走してきたスパンダムでは、そもそも同じ土俵にすら臨めないことをまだ人生経験の少ないメルに分かるはずもない。
取り敢えず、珈琲を淹れろと
メルは、手早くスパンダムの手元にあるカップにポットから珈琲を注いで、少し逡巡したような顔付きで固まるが、まぁいいやとそのまま彼にカップを差し出す。
そして、自然の流れのままにメルがパンが盛られたバスケットを胸に抱えたところで、スパンダムの珈琲噴射が再び繰り返さられる。メルのお陰で、どうにかバスケットは珈琲の飛沫から身を守ることが出来た。
「アッチィィイイッ! これ、さっきよりも熱くなってねェか!?」
予想通りにリプレイしてみせるスパンダムは、舌を火傷したらしく「水、水!」と水差しからカップに水を注いで、口を濯いでいる。
水差しから直接水を飲まない辺り、やはり育ちだけは良いようだ。
───前に赤ん坊の頃から大事に育てられている子は、猫舌になりやすいって聞いたことがあったけども、多分アレは本当だね。
ポットを触った感じはそこまで熱くなったのだが、もしラブが飲むのだとしたら火傷するだろうなという温度だったので、もしかしたらスパンダムも駄目なのかもしれないとメルは憶測を立てた。
だが、使い魔のラブでもない、寧ろ天敵であるスパンダムに慈悲をかけるほどの善人でもないメルは結局結果がどうであれ、朝食のパンだけが守れたらいいやとそのまま珈琲を出すことにしたのだ。
そして、ズバリそのメルの憶測は正しかったようで、水で舌を冷やしながら親の仇みたいな顔をして熱々の珈琲が入ったポットを睨んでいるスパンダムに、メルのこの男への警戒度は増々降下していく一方である。
これ以上、この男に関わっていたら朝食もままならないと思ったメルは、スパンダムの対面は危険だと判断し、右側に腰掛けた。
何故、この近距離にメルが座ってくるのかが分からなくて、スパンダムが訝しげな視線を送ってくるが、メルはそれを慣れたようにスルーする。もうこの男を怖がっているのが馬鹿らしくなってきたのだ。
食前の挨拶を口にして行儀よく手を合わせたメルは、早速とばかりにバスケットの中に入っているバゲットをナイフで切り分けていき、その表面にバターをたっぷりと塗る。
とうとう自分の隣で朝食を摂り始めたメルに、スパンダムは「お、おい」と声を掛けるが、メルは予てから待ち焦がれていたブレイクタイムをこれ以上邪魔されるのは敵わないと思ったようで目だけで応える。
しかし、口は急ぐようにバターの塗られたバゲットを含んでいた。
その瞬間に、ふわりと口内いっぱいに広がる芳醇な麦の香り。
そして、バターの香ばしい香りに、メルはすぐ様スパンダムのことなど忘れてパンに夢中になった。
「ん~! 美味しい~! あー、生き返るなー」
咀嚼すればする程に、広がるパンの旨みの虜になってしまったメルの頭に最早、スパンダムのことなどない。
人間の三大欲求の一つである食欲は、生存にも関わるためかメルのCP嫌い病も抑え込んでしまっているようだ。
そんな風に、隣でモグモグと美味しそうに朝食を摂っているメルを見ているとスパンダムも段々と腹が空いてくるようであった。
そもそも今日は部下のタレコミがあったせいで、普段の起床時間より二時間も早起きし、その上朝食も満足に摂れなかったのだ。
空腹を自覚したら、メルの食事風景を物欲しそうにいつの間にかスパンダムは見ていたらしい。
彼の視線を感じたメルは、頬にパンを詰めたままこてんと小首を傾げた。
「食べたいなら食べたらどうですか? 此処に通されてるってことは、頂いてもいいんじゃないですか?」
そして、スパンダムの欲求を一言も間違えなく言い当てたメルは、彼が求める最良の回答を出した。
真実を述べるのならば、彼はドックへと押しかけた勢いのままこんな所まで来てしまったのだが、都合の悪い事実は既に彼の中ではなかったことになっている。
パンを食べることに執念を燃やしているメルによって、朝食を一緒に摂ることにしたスパンダムは、カラトリーを手に取ってココロかトムの朝食を勝手に食べることにした。
そうやって二人で朝食を食べることにより、スパンダムのあまりの不器用さが露見し、その被害がメルの所まで及んだので、彼女は図らずともスパンダムの朝食の世話までしなくてはならなかった。
「あっま!? なんで、このじゃがいもはこんなに甘ェんだよ!!?」
「さっき、じゃがいもに砂糖振ってたじゃないですか·····もしかして、塩と間違えました?」
「おい、メル。オレにもそのバゲット切ってくれ·····のわっ!?」
「ちょ·····ッ!? スパンダムさん!! バゲットは切りますから、もう動かないでください! 落としたナイフは彼処に水道がありますから洗いましょう」
「ジャム瓶が開かねェなら、開けてやる」
「へ? わっ! あー、ありがとうございま───危なッ!? なんで、開けた瞬間に気を抜くんですか!? 危うくジャムを床にぶちまける所でしたよ!!」
「わ、悪ィ·····」
あのドジっ子ラブ以上に、少ない時間の間に色々とやらかしてくれるスパンダム。
あんまりなポンコツぶりに、徐々にメルはスパンダムを己の使い魔と重ね合わせるようになってきていた。
───これはとんでもない対抗馬が現れたよ、ラブ。
メルの中のドジっ子選手権が「ファイッ!」と密かに開幕したのだが、夜の中には何故にこうも注意散漫な人間が多いのだろうかとメルは生涯の難問であろうその謎を前にウインナーを齧った。
その後、朝食を食べていることがトムにバレたスパンダムは、居ずらくなったらしく、それでも育ちがいいせいかキチンと「ご馳走様」だけを言って、トムズワーカーズを後にして行った。
彼等の部下も、よもや自分たちが必死に赤髪海賊団を匿っているのを確認するためという建前を持って、敵陣でプルトンの設計図を探している間に長官が子供と呑気に朝食を摂っていたとは思わず、転職にまで思い馳せてしまうことになる。
だが、元々低かった信頼度が更に降下していることに気付かずに、能天気さが売りなスパンダムは、トムの裁判までの残り時間を数えて一人戦慄していた。
プルトンの設計図を手に入れなければ、自ずと出世街道から外れることになってしまう·····!
これではイカンと頭を抱えて悩み始めるのだが、だからといって発想力に乏しいスパンダムに名案など浮かぶはずも無く、彼はどんどん離れていく人心にも気付かずにウンウン唸る。
こうして、メルとトムズワーカーズ、それからCPを巡る一連の騒動は、一応ではあるが幕を下ろした。
それから、挨拶も無く出航していた赤髪海賊団のことをトムから申し訳なさそうに教えてもらったメルはこう言ったらしい。
『どいつもこいつも、好き勝手に生きすぎじゃね』と。
それは、八歳児の口から出るには、あまりにも世辞辛い台詞であったと後にトムは話したらしい。
これにて、かなりの文量になってしまったW7編はお終いです。
此処までお付き合いくださりありがとうございました。
愛しのスパンダムまで出せて私はとても満足しています。
この人こそ、電伝虫は持たせちゃいけない親の七光り、スパンダム!
正直、ワンピース一の小物がCPに組み込まれていることこそが、世界政府の失態だと思います。いつか、スパンダムによって世界政府が滅ぶ結末書いてみたい。
次回は、箸休め回でお兄様のお話です。
次次回からは、ようやく満を持しての海軍と盃兄弟編!
レギュラーまでの道程が遠すぎる·····。
♪W7編のバタフライ・エフェクトまとめ⤵︎ ︎
・トムの裁判の日に赤髪海賊団が助けに来ると約束
・トムとジジィが各々の情報を共有
・フランキーが武器ばかりの船以外にも興味を持つ
・アイスバーグがベックマンに憧れ始める
・シャンクスが世界政府と喧嘩する気になる
・シャンクスが『ソラの戦士』のファンになる
・スパンダムの評判が朝ご飯事件で更に下がるand部下が二人減る
恐らく、ざっとはこんなものだと思います。
蝶がどれ程仕事するかは裁判時の時勢次第ですが、原作改変待った無しだと思われます。