「空から、落っこちたァ?」
メルを虎から助けた少年は、何分とても口が悪かった。
否、口のみならず目付きもかなり悪い。
少年の三白眼でギロりと睨まれて、何を阿呆なことを宣っているのだと目力だけで彼は雄弁に告げてくるのでメルはひぃっと小さな声を上げた。
まさか、子供相手にこんなに冷や汗をかくことになるとは·····。
メルはまだまだ知らないことばかりだと、こんな時にどうでもいいことに思いを馳せる。
そうやって、思考の世界へと現実逃避していたメルが暫く返事を返さなかったので、焦れた少年はとうとう行動に移すことにしたようだ。
少年はメルの喉元にあの虎をメッタメタにした鉄パイプを向けて、早く言えと謂わんばかりに威嚇してきたのである。
威嚇行為が完全にやり慣れている。
メルは「オーマイガー」と芝居地味た声を上げた。
「いや、本当に嘘じゃなくて。あそこにデッキブラシが落ちてるよね? 今、
『グランドライン』という名詞に、ピクリと眉が上がる少年。
お、これは押せば押し切れる予感がする·····!と活路を見いだしたメルが、さらに口車を回転させる。
恐喝し慣れた少年と、詐欺師とタメを張れるほどに嘘をつける少女を生み出したのが大航海時代だ。
世は、世紀末にも等しいほどに荒れ狂っていると言っても過言ではない。
「まだこの辺は普及していないみたいだけどね。多分、もうちょっとしたらデッキブラシの配達屋さんが普及するんじゃないかな? 案外、こう見えて花形職業なんだよ」
「·····おれをおちょくってんじゃァねェだろうな」
「大恩ある君にそんなことをする訳ないよ。あ、そうだ。お礼がまだだったね。虎から助けてくれてありがとう! お陰様で、この仕事を続けられるよ」
子供の癖になかなか疑り深いなーとメルは思いつつ、良い感じに話を摩り替えられそうだと話の流れをお礼の方に舵を取っていく。
少年は未だにメルを不審そうに見ていたが、そもそも虎の一匹も倒せない程にか弱い小娘であったということを思い出したのか、漸くメルの喉元から鉄パイプを引いた。
「·····とっとと行けよ。もう二度と山に入ってくんじゃねェぞ」
しかし、喉元過ぎればなんとやら。
虎の方へと足を向け、メルのことなどもうどうでもいいと身を翻した少年に今度はメルが少し興味をそそられたらしい。
いつもメルが見ているような街中にいる鈍臭い子供達とは違う異質な程に強い少年。
平和の象徴と名高いイーストブルーに、どうしてこんなに戦闘力の高い子供がいるのだろうか。
───そう頭をぐるぐると動かしていたら気がつけば、メルは名乗りを上げていた。
「私はメル·····サルヴァーニ・メル! もし、君が配達を頼む時があったら、私が届けてあげる!!」
いきなりの少女の自己紹介に、少年は面食らったらしい。
体と同じくらい大きな鉄パイプを肩に掛け、首だけで振り返った少年は瞠目して自分に笑いかけるメルを視界に収めた。
「·····どうやって頼めばいいんだ? お前、グランドラインに居るんだろ?」
「うッ! そ、それは、お手紙とか·····」
「すげェ二度手間だな、それ」
しかもこの少年、どうやらメルと同じくらいに口が達者のようだ。
的確にメルを追い込むようにツッコンでいく少年に、焦るメルはワタワタと動作が大きくなっていく。
「た、確かに二度手間だよ。めっちゃくちゃ二度手間さ! でも、私は世界中の誰よりも早く配達出来る自信があるもん! それはもう、電伝虫と同じくらいのスピードで!!」
それでも、少年との繋がりをここで断ちたくなかった。
なんでこんなにも、この少年が気がかりなのかは分からない。
───イーストブルーだなんて、滅多に来ない場所なのに。
恐らくは、次にこの島に訪れるのは何年後かの話だろう。
人口もそこまで多くないイーストブルーの、これまた辺鄙な島の小さな村の背後にある山になんて、生涯用が無いかもしれない。
「んだよ、それ。普通、電伝虫と張り合うか」
呆れた少年の口振りに、これはもう打つ手が無いかもしれないと落胆する。
だが、嫌々ながらも見た少年の顔は口振りとは違って、何処か面映ゆそうな表情を浮かべていた。
「う、うん! だって、私、世界一の配達屋になるって決めてるもの!!」
メルの高らかなその宣言は、とても子供らしい壮大な夢であった。
世界一の配達屋という、何を持ってしてその称号を得るのかも分からないその夢を、少年は嘲笑しなかった。
それどころか少年は、ニヒルに笑うと頷いたのだ。
「ああ、分かった。もし、配達して欲しいもんが出来たら、連絡してやるよ」
こうして、メルは生まれて初めて自分と同じ歳の少年と繋がりを持つことになった。
この少年が、これからメルの人生に複雑に絡んでくることなど全く想像せず、彼女は生まれて初めて出来た子供の知り合いに胸を高鳴らせてばかりいたのだが。
まぁ、数年後に少年の起こす様々な事柄に対して、メルが悲鳴を上げようが、遁走しようがそれは別の話である。
☆☆☆
「あと、おれエース」と気軽に言われた少年の名前を、メルは直ぐに頭に刻み込んだ。
職種が職種なだけに、顧客第一なこの商売において人の名前と顔は叩き込んで置かなければならない。
そのことに関してはメルはそこそこ得意であり、彼女は一度見た顔は必ず覚える。
そのため、指名手配書なんかもすぐ覚えてしまって、とても賞金首とは言えない雑魚海賊すらもしっかりと記憶してしまい、事件に巻き込まれてしまうことが何度もあった。
───よし、エース君の名前はバッチリ。顔も覚えたから、もしあっちが忘れてても大丈夫。
子供の記憶力をあまり信用していないメルは、エースに対してもそう思うらしい。
もし、エース本人が聞いていれば火を噴くようなことになったのだろうが、メルはしっかりと胸中のみに零していた。
それから、メルは徐に鞄から名前と仕事先兼住処の住所を書いた名刺を取り出すと、エースにそれを押し付ける。
「此処に手紙を送ってね」
「なんだこれ?」
押し付けれられた名刺をペラリと持ち上げて、訝しげに覗き込むエースに「名刺だよ」とメルは告げる。
名刺自体の意味を分かっていないらしいエースに、それの存在意義を教えるようにメルは名刺に刻まれた文字を丁寧になぞった。
「これが私の名前で、これが住所。あ、エース君て文字読める?」
「·····フン、俺を馬鹿にするなよ」
「じゃあ、手紙は此処に書いてある住所に送ってね」
どうにも返事が怪しいが、最悪知り合いの大人にでも聞いてくれたらとメルは思いつつ、そろそろ此処も後にしなければ帰宅時間が遅くなると空を見る。
幹にぶつかって落ちてくるよりも、太陽が下がってきている。
幾らブラシデッキで空をかっ飛ばせると言えども限界だってあるのだ。
帰るのが遅くなったらジジィが煩いのだとまで思い至り、メルはデッキブラシに颯爽と跨るや「じゃあね」とエースに手を振った。
エースもエースでやはり、デッキブラシに跨って空を飛んで来たというメルの話を信じられなかったようで彼女の行動に目を丸くする。
メルが両手いっぱいに力を込めて、「ふんんんんッ!」と声を上げると地面に生えている草がさざめくように揺れた。
草のてっぺんだけがゆらゆらと揺れる中、嵐の前触れのような静けさがこの場に落ちて、知らずエースは固唾を飲んだ。
そして───時が来たとばかりに一迅の風が吹く。
デッキブラシがふわりと宙に浮いた。メルはこの風を逃がしやないとばかりにデッキブラシの柄を上へと向けると、一直線に上っていく。
ブラシの部分が、バサァと毛羽立ち広がる様が酷く不思議なものに見えた。
「嘘だろ·····!」
エースのポツリと零した台詞は強風に攫われ、拾われることなく消えていく。
上へ上へと高く上っていくメルからは、「バイバーイ! 今度会う時は観光名所とか教えてねー」と呑気な言葉がいくつも降ってくる。
エースはポカンと顎を落として、その珍妙な光景をただただ見送ることになった。
「グランドラインって、こんな奴ばっかなのか·····ってか、アイツ。ワンピースの下にズボンくらい履けよな」
呆気にとられたのも束の間のこと。
エースは初めて出来た女の子の知り合いに、ついぞじっとりとした目を向けていた。
よもや、恥も外聞も気にしないのがグランドライン流ではあるまい。
エースは落ち行く太陽を眩しそうに見やってから、山裾の方へと消えていくメルに背を向けて、虎でも剥ぐかと肩を回したのであった。
エース少年は、野犬って表現がぴったりだなぁと思います。
エース青年は、ワンコロって感じ満載ですが。
ONE PIECEって、結構犬属性が多いような気がするんですが私の気の所為かな。