予想通りに深夜に帰還したメルは、己の職場でありながらも住処であるその家に入り込むのに、隠れて作成した合鍵を駆使して裏口から忍び込んだ。
メルの気分は、すっかり押し入り強盗である。
この家には、強盗するほどの金がないことを知っているが、それでも心臓が少しバクバクしてくる。
ガチャっと音を立てる玄関口に、こういう時はラブがいればこんな思いをしなくても済むのにとメルはどうにもならない考えを頭の中で転がす。
胸に抱えたデッキブラシを仕舞うために、バケツやちりとり等の掃除用具が詰まったロッカーを開く。
仕事道具だが、デッキブラシは一応掃除道具だ。
なので、この家ではそれもロッカーに仕舞うことになっている。
「今日も一日、お疲れ様」
柄をポンポンと労わるように叩いて、暗闇の中をそろそろと移動するメルは随分と手馴れた様子だ。
実を言うとこのメル、夜中の帰還を頻繁に果たす。
あちこちを飛び回る仕事柄、仕方がないことであるのだが、しかしこの店のオーナーは「子供だから早く帰ってこい」の一点張りなのだ。
じゃあ、もっと近くの配達仕事を斡旋しろよとメルは思ったりもするんだが、それはそれ、これはこれらしい。やっぱり、大人ってずるい。
メルはちょろちょろと階段まで移動し、あと少しで自室だと顔を上げたところでカチリとスイッチを押す音が耳に入ってきた。
瞬間に一階の照明が点き、メルは爪先立ちしたまま「あーあ」と零す。
反射的に顔を向けた先には、耳を天井に向けてピント立てたジジィの姿がある。尻尾も攻撃的にゆらゆらと揺れているし、鼻周りに生えた髭は波打っていた。
「メル! 今何時だと思ってるんだ!? もう三時だよ!! 子供は寝る時間だよォ!!!」
「ジジィこそ、お目目が爛々としてるよ。もしかして、日中寝てた?」
「メルはいつもそうやって揚げ足取ってくる。君は、本当に口ばっかりだなァ」
やれやれと首を横に振るジジィ。
絶対この猫野郎、今日も仕事をほったらかして寝てたなと的確に推測したメルの目元は引き攣っている。
メルのオーナー兼大家さんであるジジィは黒猫のミンク族だ。
人間程の大きさで二足歩行の黒猫は、グランドラインでも早々にお目にかかれない。
メルはショルダーバッグから本日の稼いだ分が入った継ぎ接ぎだらけの袋をジジィに向けて放り投げると、ジジィはそれを難なく受け取った。
「ネコババしてないよね?」
メルにそう尋ねがらも、しっかりと中身を確認する辺りこのジジィもいい性格している。
「しないよ。別に今、お金に困ってないし」
「ならいいよ。最近、メルは稼ぎ良いもんね」
「良い
「·····あんまり、変な人とつるんじゃダメだよ。それでなくとも、メルの力は目立つんだから」
ジジィが大人らしく説教をかましてくるのはいつものことだ。
この話も、何度も何度も繰り返し聞いている。
「分かってるよ。だから、ちゃんとスポンサーだって見つけたし」
「スポンサーねェ。海軍が市民を守るなんて当たり前のことだと思うんだけどな」
「それ、ジジィが言うの?」
あ、と思ったのは一瞬。
ジジィのまん丸な目がわかっているとでも言うように猫特有の長いまつ毛の下に伏せられる。
「確かにね。ミンク族の僕は彼らに守られることは無いよ」
「·····ごめん。ちょっと当たった」
どれ程、メルとジジィが気の置けない仲だとしても言ってはいけないこともある。
さっきの言葉は、明らかに言ってはいけないことだ。
「僕、メルのそういうところ好きだよ。さぁ、今日はもう寝た方がいい。イーストブルーは遠かったよね」
メルはジジィの好意に甘えて、素直に「うん」と頷いた。
店の方へとジジィは行くらしく、指には煙草が差し込まれていた。恐らくは、メルが帰ってくるまでも書類仕事でもしていたのだろう。
猫のミンク族であるジジィは、夜目が効く。
きっと、メルが裏口からこっそりと入ってくるのも承知で、暗闇の中で仕事を行っていたのだろう。
メルは、ジジィに言われた通りに階段を上って自室へと戻る。
『メルの部屋』と書かれた看板が扉にぶら下がっている。子供らしい拙い字で書かれているそれに、ちょっと微笑む。
部屋に入れば、メルを出迎えるのは部屋の半分以上を圧迫する緑。
天井から干すために吊るされた薬草は数十種類にも及ぶ。干物以外にも、鉢植えすらぶら下がっており、そこからも様々な草が生えていた。
書き物机には、インクで記された書類が山のように積まれており。
暖炉には、焦げ跡が目立つ大鍋が鎮座していて。
床には星座の位置が記された絨毯が敷かれている。
ベッド付近にも、プランターが所狭しと並べられており、成長経過が記された札が土にぶっ刺さっていた。
そう、この部屋は何処からどう見ても女の子の部屋とは言い難い有様だ。そして、子供の部屋と言えるほど置かれている物に多様性もない。
まるで薬師や医者の部屋のようなテイストだが、メルはそんな偏った部屋に躊躇なく入り込み、壁に埋め込まれた電気のスイッチを点けた。
明るくなった部屋の中で、三つ編みにしていた自分の髪を解く。
もう夜も遅いからとカーテンを閉めようと近寄った窓辺で、窓ガラスに映る自分と対面した。
三つ編みにしていたこともあって癖がついたセミロングの髪。
顔のサイズにあっていない大きな目と小ぶりの鼻、そして薄い唇。
髪を一房掬いとってみると、それは夜の暗がりに溶け込むような黒で。
メルは自分の髪色に不満でもあるのか、見たくないとでも言うように髪を後ろへと梳いて流す。
それから、ベッド回りに鎮座しているプランターの傍まで行って、植わっている花や草の状態を確認するようにメルは丁寧に見渡していった。
「最近、調合とか全然やってなかったな」
メルの本来の職業であれば空を飛び回るのではなく、薬の調合や星見に人生を注がなければならない。
だが、それはもうこの時代には合わない。
否、許されないことだと言った方が正しいか。
メルは、就寝前だからとケープと黒のワンピースを脱ぎ捨てて、ハンガーに掛ける。
仕事道具の詰まったショルダーバッグを書類が山積みとなっている書き物机の傍に置き、ホットミルクでも作ろうかと部屋に備え付けられている冷蔵庫を漁れば空のミルク瓶を発見してしまった。
ミルク瓶を手に取って、若干の虚しさを噛み締めるのも程々にメルはベッドの上にダイブする。
「あ、ジジィにラブが帰ってきてるかどうか聞くの忘れてた·····」
調子が悪いからと、帰りはショルダーバッグに詰めていたラジオに思いを馳せて、メルはぐっと背を丸めて頭上にあった枕を引っつかむ。
そして、のそのそと枕を腹の傍まで持ってくるとギュッと抱きしめた。
───私、今日死に損なったんだよね。
思い出すのは、メルを獲物としか認識していない虎の双眸。
そして、殺気を振りまいて何度も打ち込まれる鉄パイプ。
目つきの悪い少年。
太陽みたいな笑顔を浮かべる少年。
赤髪のヤバイ海賊。
「はァ。明日はゆっくりしたいな」
取り敢えず、ガープさんにシャンクスのことはチクろう。
そう心に決めて、メルは夜更けなこともあってあっさりと眠りに落ちていった。
☆☆☆
「ねェ、ジジィ。ラブはまだ一回も帰ってきてないの?」
「うん。全然音沙汰無しだよ。今頃、何処の海にいることやら」
メルの朝は、鶏の声と共に始まる。
寝ぼけ眼で、井戸から水を組んできて、そこに布を浸して全身を拭く。
さっぱりとした体になったら、昨日とは別の仕事着の黒のワンピースとケープを着込んで、ショルダーバッグを肩から下げる。
そして、ドタドタと階段を勢いよく降りていって台所の方へと向かえば、ベーコンの焼けるいい匂いがしてきた。
お腹の音を盛大に鳴らしながら台所へ飛び込めば、ジジィがエプロンをして火の元に立っている。
ジュージューと肉が焼けるいい音がしてる。
あとはメインディッシュだけらしく、テーブルの上にはサラダが盛られたボウルと焼きたてのパン、湯気を立てるオニオンスープと目玉焼きが並べられていた。
メルは冷蔵庫の方へと向かうとミルク瓶を手に取り、棚からジジィとメルの分のコップを手に取る。
テーブルの上に二人分の食事しかないということは、恐らくまだラブは帰ってきてないのだ。
一体、どこをほっつき歩いてるのだろうと首を傾げながら、ミルクをコップに注いでいると背後から「ご飯、出来たよー」とジジィの声が聞こえてくる。
メルはそれに返事して、二つのコップを両手で持ち、ジジィの所と自分の所に置く。
やることが済んだ二人はそれぞれ席に腰掛ける。
それから、早々に口を開いたのがメルであった。
「ねェ、ジジィ。ラブはまだ一回も帰ってきてないの?」
「うん。全然音沙汰無しだよ。今頃、何処の海にいることやら」
こうして、冒頭のような会話が交わされた訳だが、件のラブは行方不明だ。もっと的確な言い方をするのであれば、失踪中と言うべきかもしれない。
「また死に損なってなければいいけども」
メルの独り言に、ジジィすらも神妙な顔して頷いている。
「ラブのあれは呪いかもしれないね。修行にはいいんじゃない?」
「嫌だよ。私、どんだけあの人に術を施してあげなきゃならないの」
「一応、使い魔じゃん」
ジジィの口から溢れ出たその名詞は、あまり聞きなれないものだ。
しかし、メルは眉間に皺を寄せてうむむと喉を絞っている。
「使い魔のくせに、主人の元をずっと離れているのはどう言う了見なんだろ」
「うーん。ラブの場合、離れたくて離れてる訳じゃないと思うけど·····」
メルがこの世で一番した善行は、ラブだと胸を誇れる。
ラブには文字通り命を分けてやって、しかも使い魔などという上等な立場まで用意してあげたのだ。
そのため、メルは自分が死ぬその日までラブを使い倒してやろうと企んでいたのだが、これがなかなかそうも上手くいかない。
「古代の魔女の家系さえも翻弄するラブが凄いよね」
「ジジィ。その肩書き、私は捨てたって言ったよね」
「·····世界政府も馬鹿だねェ。魔女達を淘汰するなんて。『
「そんなこと言ったって仕方ないよ。もう魔女は居ないんだ」
メルはこれ以上、その話はする気は無いと空になった食器を手早く片付けていく。
そのメルの様子をジジィは両手でコップを持って、ぺろぺろとミルクを舐めながら伺うように見ていた。
☆☆☆
メルは掃除用具に入れていたデッキブラシを手に取って店の方へと顔を出せば、無人の受付用のカウンターの上に今日の分の小包が三つ程並んでいた。
小包の住所を確認すれば、丁度タイミング良くガープ宛の小包を発見する。その隣の小包は海軍本部宛らしい。多分、いつも通りに門に駐在している海兵に渡せばいいのだろう。
あとのもう一つは、ドレスローザ。
メルはその国の名前を見た途端に口の端を下げた。
「うっわ、久しぶりの新世界じゃん。あそこ、此処よりも天候がめちゃくちゃだから嫌いなんだよね。で、差出人は王様で、宛名はデリンジャー·····ジジィ、また変な依頼受けやがったな」
メルの小包の上に貼ってある依頼書をなぞる指が、ブルブルと震えている。
名前を隠す差出人に碌な人間はいないと身をもって知っているメルは、この依頼はかなり面倒くさいやつだと早急に察した。
そして、このデリンジャーとかいう人宛の小包は明日に見送ることにしたのだ。
メルは二つの小包の紐をデッキブラシのブラシ部分の近くの柄まで通して、稼いだ金を入れるための簡素な袋をショルダーバッグに入れるのと引き替えに、ラジオを取り出す。
そしてラジオの紐を柄に通すことで、メルの出立準備は完全となる。
「よし! じゃあ、ジジィいってくるね!」
未だに台所にいると思われるジジィに向かって声を掛ければ、ジジィから「いってらっしゃーい」と返ってきた。
ドレスローザの差出人については、帰ってきてから問ただそう。
メルは帰った後の計画を簡単に立てて、店先へと出る。
空を見れば、今日もバッチリ晴天。洗濯がよく乾きそうな風が吹いている。
メルはデッキブラシに跨ると、いつもの如く「フンンンン」と柄を持っている両手に力を入れる。
すると、ゆったりと吹いていた風が急に強くなってきた。
向かいにある家の軒先からぶら下がっている風車がカラカラとよく回っているのを確認して、メルは柄を天へと向ける。
その瞬間に地を蹴れば、メルの体はあっという間に地上を離れ宙に浮いていた。
いつもの癖でラジオの電源を入れてチャンネルを回せば、耳障りなノイズが混じっているのが聞こえ、メルはああそうだったと回す手を止める。
「そういえば、君。壊れていたんだよね」
問いかけたところで、ラジオはうんともすんとも言うはずがない。
スピーカーから聞こえるのは、ノイズ混じりのニュースキャスターの声だ。
『今日未明──ピーガガガガ──ノースブルーで海軍の艦船が───ガガガガ───商船などを運行する場合は十分に───ザザザ』
「·····いっそのこと、これから行く先にいる人達に頼んでみようかな」
色々と超技術を持っているらしい海軍ならば、ラジオの一つや二つは直せるだろうとメルは考え、デッキブラシの速度を上げる。
メルの一日は、約三割程ラジオに占められていると言っても過言じゃないのだ。
生活の相方とも言えるラジオが無いと、いつもの調子が出ないとメルは嘆息を吐く。
「よほほほほ〜よほほーほ〜」
取り敢えず、気分をこれ以上に盛り下げないようにとメルが口ずさんだのは、最近とうとうマイブームにまでなった海賊の歌だ。
今から海軍本部に行くにしては随分な選曲であるのだが、今のところメルの気分を盛り立てる手段はこれしかないのだから仕方がないのだ。
一応モデルが『魔女の宅急便』なので、申し訳程度の成分補填です。
ジジィは黒猫のミンク族で、ロジャー世代の人です。
ちなみに出身は象の上ではありません。よって、ミンク族のあれこれをあまり知らないのです。
ラブは多分またいつか出てきます。