深い、深い夢の底から龍之介は眼を覚ます。そこで初めて、自分が寝ていたことに気づいた。ならば随分長く眠っていたのだろう。長時間の睡眠をした後特有の倦怠感を強く感じる。
そんな、未だはっきりとしない頭の中で、先程見た夢について思案する。いや、あれは夢‥‥‥だったのだろうか?いいや夢なのだろう、それは。いまの今まで寝ていたのだから、状況的にいえば一択だろう。しかしあれは、もう一つの現実と言われても信じてしまいそうなほどに現実味があった。ただ見ていたというのではない。龍之介自身が彼だった。彼の想いは、まるで自分自身がそう思っているかの如く頭に浮かんできたのだ。
というか何で自分はあんなものを見た?そもそも何でそんなに長く寝ていたんだ?さっきまで確かに儀式をして‥‥‥じゃあここは刑務所なのか?訳がわからない。
けど‥‥‥まっいっか。起きれば大体わかるでしょ。
そう、龍之介は思考を打ち切った。ここが刑務所だとしたら、十中八九死刑確定だが、そんなことでは龍之介は微塵も揺るがない。
無残無愧。してきたことへの後悔も、恥もありはしない。顧みることなどそもそもない。そして"死"への"恐怖"は既に超克している。
だから今、龍之介の心を支配しているのは怒りだった。こんなところで、自分の求道が終わるかもしれないということに対する忿怒。自身への、世界への、そしてもしいるとするならば"神様"への、憎悪で満溢れていた。
そしてだからこそ、彼は諦めてなどいない。こんなところでは終わらない。己に満足を与えぬ"神様"の方が間違っているのだと。この男はそう吠えて、足掻き続ける。
そんな想いを胸に秘め、一切を表層には出さず、龍之介はいつものどこかお気楽に、されど何かを秘め誘うような微笑と雰囲気をまとって瞼を開けた。
まず瞼に飛び込んで来たのは、闇だった。それは彼が見慣れたいつもの光景。つまり、彼のアジトだった。
そして、周りを見渡すと‥‥‥明らかにこの場にそぐわない一色が混じっている。何か光源があるわけでもないのに、赤いカーペットが一直線に敷かれているのが見て取れた。そして、その先にはあの儀式に使った、龍之介が描いたのと同じ魔法陣が描かれている。そして、その上には絢爛たる玉座が鎮座していた。本来此処にはありえなかったそれらを前にして、龍之介は少しずつあの時のことを思い出す。
そうだ、確かにあの時あの場所で、何かが起こったのだ。なぜ忘れていたのだろう。あれ程の慄れを。あれ程の
事実、自分は今思い出し始めているではないか。あの"悪魔"の行使した力の片鱗によって。
龍之介はゆっくりと体を起こし、カーペットの上を歩いていく。この先には"悪魔"がいる。それはもはや、龍之介にとって疑いようのない事実だった。だからいつものように、感じる"死の鼓動"にハイテンションで臨むわけにはいかなかった。
死という彼の生きる世界にとっての"非日常"。それを追い求め、見取ってきた彼は知っている。この"
詰まる所、
すくなくともそういった存在で、彼にとっては真実そうなりうる。だから、拝跪し、礼讃しなくてはならない。そして、"悪魔"は臣下の礼を望んでいる。
龍之介が呼び出した。そして"悪魔"は応え、現れた。
本来ならば召喚者が、あの手この手でその"悪魔"を縛り、従わせるのだろう。だが、龍之介にはそんなつもりも手段もない。そんなことは、もはや"悪魔"だってわかっているはずで、されど"悪魔"は玉座にて待ち構えている。
お前が私の元に来い。そして乞え、と。
だから龍之介は、厳かに、最大限の敬意をもって歩を進める。
そして、玉座の前で跪く。
「来たな、龍之介」
龍之介が跪き、一拍の間を置いて玉座に現れた"悪魔"は、妖しくそう声を掛けた。
もはや、名前を知られていることぐらいで龍之介は驚かない。
「面をあげよ。そして立て。椅子は用意した。座るが良い」
龍之介は言われるがままに立ち、後ろを振り返ると、確かに緻密な彫刻が成された椅子が、いつのまにか鎮座していた。
龍之介が座るのを待ってから、"悪魔"はこう切り出した。
「さて、私は此方の記憶を見た。ああ、素晴らしかったよ。故に、此方を私のマスターとして認めよう。そして、此方の"渇望"も理解できるぞ、"死喰い人"よ」
"死喰い人"。
そう呼ばれた龍之介は、思わず笑い出したくなるのを堪えていた。
"死喰い人"。
それは、まさに龍之介にピッタリの名前だ。彼は多くの他者の"死"を糧にして、自分を成長させ続けてきたのだから。自分という求道者を定義するのに相応しいその名を得たことで、歓喜が溢れて笑いとなる。そしてついに‥‥‥
「くくっくくくくく、くははははははは──────!」
外へと決壊する。
「あはははは、ははははは、ふはははははは──────! 」
呼応するかのように、彼の新たな旅路を祝福するかのように、"悪魔"もまた笑いを弾けさせる。
「喜ばしいか?素晴らしかろう!
そうだ、初めからわからなかったのだ。気にも留めなず、振り向きもせず、既知であると烙印を押して通り過ぎた。それでも確かに心の中では燻り続けていた。
「他者を殺し、その"死"を想い、成した自分は確かにそこに存在する、と。果たして本当にそうか?」
足りなかったのだ。それだけでは。まだ自分を確信できない。だって‥‥‥
「だって、人である自分には、致命的な欠陥があるから。そう、"死"がある。その"恐怖"を克服できたとしても、その概念は覆らない。ああ、ならばどうして肯定できようか!」
人でしかない自分には、"死"は必ず迫り続ける。享受するしかない"死"。誰よりも"死"を見取ってきた彼は、その時の呆気なさを知っている。ならば、そんな簡単に消え去ってしまう自分が、どうして自分自身の在り処を断定できる?
"死"を理解するという"渇望"。
直感したそのための道。
果たしてそれは己が確かに考え導いたものなのか?もしかしたら自身の知らない、何かがそうさせているだけではないのか?そもそもこの世界に住む
「人を殺した。たくさん殺した。全て芥へと還してしまった。故にわからぬ。己もまた同じ芥でしかないと知ってしまったから。賢しいが故に見逃せない。幼少から感じてきた違和感。ここはなんだか気持ちが悪いと。符号してみれば、もはや忘れることは不可能だ。故に
"悪魔"は龍之介の心を見通しながら、その心の声に合わせるように言葉を紡ぐ。
きっかけはまだ小学生にもならない頃からだった。何か此処はズれて見えた。けれど直ぐに気のせいだと思ったそれは、成長するにつれて増してゆく。
そして、人を初めて殺した時に決定的となった。その時に孕んだ疑念は己が"渇望"を至上として打ち消した。
そして今、始まりから続いた疑問に解答が成された。
ああ、
己が神は此処にいた。
「すげぇや。すげぇ。すげぇよ!」
思わず敬語さえ忘れて感嘆の声を漏らす。
「さあ、私の手を取れ。しばし、この聖杯戦争を駆けるなら、今は此方がマスターだ。"渇望"の果てを見せてやる」
「最高だよ!神様!なる!なるよ!マスターになる。だから、俺にも神様の"渇望"を見せてくれ!」
龍之介は歓喜の果てに"悪魔"の手を取る。マスターとかいうのはよくわからない。けれど、きっとこの"悪魔"についてゆけば、自分は数多の"死"を貪れるのだろう。そうすれば、"渇望"は成就する。だってこの"悪魔"はそう龍之介に名付けたのだから。だから‥‥‥
「だから、神様の"渇望"を教えてくれよ。俺にも手伝わせてくれ」
この"悪魔"は生きとし生けるものの悪意の塊だ。その行く先には災厄がもたらされるのだろう。
そして、この"悪魔"にも"渇望"があるはずだ。でなくば、この"悪魔"は人間如きの儀式に応じ、魔名まで授ける筈が無い。どこまでも見下しているのだ、この"悪魔"は。その激越なる悪意は人へと向いている。肌で感じる龍之介にはそれがわかる。
どうか俺にも手伝わせてくれ。俺はその災厄の尖兵となりたい。己に光を与えたものよ。その輝きの元での耽美を許して欲しい。
「良かろう。ならば、此方は我が災厄として爪痕を残せ。牙で抉れ。私の"渇望"が知りたくば、我が旗下にて悟るが良い。此方を、我が一匕として名乗ることを許可しよう」
「ああ!ああ!ああ!」
「師よ、最後のサーヴァント──キャスターが現界したようです」
闇の中で、男は師と仰ぐ相手へと声を掛ける。目の前に、いや男の周辺には、彼以外誰もいない。あるのは、骨董品というがふさわしい蓄音機のみ。卓上に載せられたそれは、真鍮製の朝顔を男に向けて傾けている。
「そうか。では、明日にでも始めようか、綺麗。既に我が邸宅の周りには、蝙蝠が群がっている。キャスターも、少なくとも明日には飛び始めるだろう」
かすかに音質が歪んでいれど、洒脱で余裕を含んだ声が返ってくる。男──綺麗は、了承の意を示す。
状況から推察するに、それはきっと"通信装置"なのだろう。その骨董装置は、古式ゆかしい朝顔型の集音部分があるせいで、蓄音機と見紛うが、その下にあるべきターンテーブルと針が無い。代わりに朝顔型の終端にあるのは、針金の弦によって支えられた大粒の宝石である。
曰く、魔術師特有の品。"魔導具"というやつだ。綺麗と会話する男の下にも、きっと同じものがあるのだろう。
二つの装置の宝石は距離を隔てて共振し、朝顔から伝わる空気の振動を相互に交換し合う。そういう仕組みなのだろう。
「私のサーヴァントは最強だ。そして明日、我々が聖杯戦争の開戦を示す。綺麗、それが我らの陣営の勝利を盤石とする。先祖より賜った縁により君という協力者を得、私は私の力と運命によって彼の王を呼び寄せた。ならば私は、これより先の運命を手繰る運命を得たと思う。故に今言おう。‥‥‥勝ったぞ綺麗。この戦い、我々の勝利だ‥‥‥」