代々純血を誇ってきたアインツベルンが新たなる婿養子として一人の魔術師を迎え入れたという話は、既に広まりつつあった。
その者の名を……衛宮切嗣。
かつて魔術師殺しの衛宮という悪名が広まったのも偏に、その暗殺方法によるものだろう。
公衆の面前での爆殺、標的が乗り合わせただけで旅客機ごと墜落。
だが果たして、衛宮切嗣を深く知らない者たちには知る由もない。
それが、如何に苦渋の選択であったのかを。
■■■■
「……」
アインツベルンの当主たるアハト翁の呼び出しを受け、切嗣とその妻、アイリスフィール・フォン・アインツベルンは、古城のなかで最も壮麗かつ暗鬱な祭儀の間に膝を付いていた。
恭しく頭を垂れながらも、切嗣は頭上のステンドグラスに一瞥をやる。
だがそのステンドグラスは聖者やら神やらの絵姿を模しているのではなく、聖杯を求めて彷徨し続けたアインツベルンの歴史であった。
始まりの御三家に於いても、アインツベルンの聖杯への歳月は最古だ。
故にこそ、交わりを頑なに絶っていた外交を、この第四次聖杯戦争の時を経て開いたのだろう。
そして、此度の秘密兵器として迎え入れられたのがーーーー今はなき硝煙と煙草の匂いを懐かしむ、黒コートの衛宮切嗣だった。
切嗣は知っている。この古めかしき生粋の魔術師たるアインツベルンが、限界まで妥協して自分を迎えたことを。
「かねてよりイギリスのコーンウォールで捜索させていた聖遺物が、今朝ようやく届いた」
氷結しきった氷を連想させる白髭と白髪を蓄えながらも、衰えをまったくに窺わせない強烈な眼光を持ち合わせるアハト翁が、眼下の切嗣を睥睨しながらも言った。
切嗣は以前から、この妄執の塊たるアハト翁を辟易している。
さながら、地獄に入り浸る悪鬼のような妄執は、およそこの世界に受け入れられるものではあるまい。
「この品を触媒とすれば"剣の英霊"としておよそ考えうる限りの最強のサーヴァントが降臨する。
切嗣よ、これはそなたに対するアインツベルンの最大の援助と思うがよい」
「……痛み入ります、当主殿」
固く無表情を保ったままに、切嗣は礼辞を述べる。
「今度ばかりはただの一人たりとも残すな。六のサーヴァント総てを殲滅し、必ずや第三魔法、ヘブンズフィールを成就せよ」
「「御意に」」
アハト翁の至上命令に、切嗣とアイリスフィールは端的に了承の意を伝える。
だが切嗣は、内心でほくそ笑んでいた。
それだけでは終わらせないと。
必ずや、己の悲願を成就させると。
斯くして鬱劫な面談を終わらせるや、切嗣は援助たる聖遺物を検め始めた。
「傷一つない。これが、何千年も前の遺産だって?」
「これ自体が一種の概念武装ですもの。物質として当たり前に風化することはないでしょうね」
傍らに侍るアイリスフィールが、僅かながらの疑念を懐いた切嗣に答える。
しかしながら、切嗣が着眼しているところは他にある。剣の英霊……アハト翁は、この伝説の鞘を触媒とし、最優の英霊たるセイバーのクラスを召喚せんと目論んでいる。
「……」
「もしかして、まだアーサー王との関係に思い悩んでいるの?」
黙したままの切嗣の考えを察したのか、アイリスフィールは微笑を浮かべながらにそう尋ねる。
確かに、アイリスフィールからすれば、英霊とマスターの関係は些事と思えるかもしれない。
だが、衛宮切嗣からしてみれば、これ程までに厄介なことはなかった。
「当然さ。僕以上に、騎士道精神とやらに遠ざかった奴はいないぜ?
きっと僕は、彼のアーサー王とは相容れない関係になる筈だ」
「初めから諦観していても仕方がないじゃない。貴方の理想を知れば、きっと彼も理解してくれる筈だわ」
「……どうだか」
アイリスフィールの助言も空しく、切嗣は既に、これより来るセイバーとの関係を諦観しきっていた。
騎士道精神……そんなものが当時の戦争で通っていたのならば、切嗣はきっと生き残れていまい。
ーーーーと、そんな益体もない感慨に耽っていた最中で、切嗣は召喚の呪文の一節を思い返した。
「……されど汝はその眼を混沌に曇らせ侍るべし。汝、狂乱の檻に囚われし者。我はその鎖を手繰る者――」
切嗣が口を衝いて呟いたその詠唱は、来る英雄を無理矢理に狂化の属性を付与させる、禁忌の呪詛であった。
アインツベルンは代々に渡って、狂気の英雄たるバーサーカーを従えていたらしいが……何故、ここにきてセイバーを選ばせたのか。
いずれにせよ、アインツベルンが過去に何らかの失敗をしたが故に、此度は最優のセイバーを選んだ。
「切嗣……それは、サーヴァントに狂化の属性を付与させる詠唱よね?今さらになって何でーーーー」
切嗣の独り言を耳敏く聞き咎めていたアイリスフィールが、怪訝そうに尋ねる。
だが切嗣は、そこで確信を持った。
「アイリ、策が閃いたよ。……今回の聖杯戦争で、確実に勝利をもぎ取る策が」
「まさか……狂化を?」
「……君がこの詠唱を眼中にも入れていなかったということは、アハト翁もまた同様だろう。
だが遠坂や間桐の連中は思う筈だ。また性懲りもなくバーサーカーか、と」
能面な彼にしては珍しい微笑を浮かべつつも、切嗣は淡々と策を語り連ねる。
「だが僕らが召喚するサーヴァントは、およそ考えうる最強のサーヴァント……それにバーサーカーともなれば、その力量は果てしなく強化され狂化されるだろうさ。
それこそ、どのサーヴァントも応じられない程にね。ランサーやセイバー、アーチャーの三大騎士クラスなんて目じゃないさ」
「でも、それが大お爺様に知られたら、どうなるの?」
「大丈夫さ。僕たちはサーヴァントを召喚次第、直ぐに日本へ旅立つ。城に居るイリヤは、どんな魔境になっていようが僕が助け出す」
胸ポケットに仕舞ってあった携帯電話を取り出し、切嗣は何者かと通話を始める。
アイリスフィールは知っている。あの眼をした切嗣は、例え自分であろうとも、止められるものではないと。
故にこそ、一抹の不安を抱きつつも、祭壇に置かれた至宝の鞘を憐れみの眼で見据えた。
彼はきっと、望まざる狂化に晒されてしまうのだろう。その怒りも、その悲しみも……全て、マスターたる切嗣が背負わねばならない。
切嗣はアイリスフィールが知っている以上に弱い人間だ。
アイリスフィールはその苦しみをせめて癒さんと、常に傍らで肯定せねばならない。
「手配は済んだ。……後は荷造りだね。アイリ、早速にでも取り掛かろう。
無論、アハト翁には悟られない程度にね」
「切嗣、私は貴方を信じてるわ。絶対に、世界の救済をその手で掴み取って」
「ーーーーあぁ」
虚ろな双眸を一瞬、揺らめかせながらも、切嗣は祭儀の間から退室していく。
その後続を歩みつつも、アイリスフィールは、愛する夫の奇策に信頼を寄せていた。