冬木市深山町。
ウェイバーは、冬木に来てからの拠点に苦悩していた。そして、宅地開発の波に流されずに生き残るこの古風な町、深山に踏み入れて直ぐに、最高の物件を探し当てた。
カナダからの移住者で、孫が長らくに留守。それどころか、未だに連絡は付かないという絶好の物件は、正しくウェイバーが求めた通りのものだった。
その現状を聞き出したウェイバーは、直ぐ様に即興の睡眠魔術をマッケンジー夫妻にかけ、暗示魔術で、ウェイバーが長らく留守にしていた孫だと暗示をかけた。
我ながら、なんとも機転の効かせた発想だと自惚れながらも、ウェイバーはホテル暮らしという危機を免れていた。
そうして迎えた翌朝ーーーーウェイバーは手に宿った令呪を気持ち悪い笑みで眺めた後、マッケンジー夫妻の待つ居間に降りていった。
だが、ウェイバーには悩みの種がある。
それは、一斤百八十円のパンの食感やら、マッケンジー夫妻からの他愛もない会話に愛想よく返答することではなく……明け方から近隣の事など気にもせずに騒ぎ立てる鶏だった。
何を隠そうとも、その鶏を運んできた者はウェイバーである。
サーヴァントの召喚に使用する贄として、ウェイバーが選んだ鶏。
この現代であれ、鶏卵場はどこにでもあるだろうと……そう腹を括っていたにも拘わらず、見つけるのに小一時間。
そして、逃げる鶏を三羽ほど捕まえるのに小一時間。
更に、往復で二時間弱も時間をとられ、ウェイバーは鶏糞と羽毛にまみれ疲弊しきった状態で帰宅していた。
だが、ウェイバーの左手に宿った令呪。その美しき形状は、ウェイバーの疲労を消し飛ばすに値するものであった。
マアサ・マッケンジーが淹れ、グレン・マッケンジーが寄越した珈琲を啜りながら、ウェイバーは微睡む眼を擦る。
そんなウェイバーの様子を微笑みながら見ていた老妻が、左手に何の脈絡もなしに刻まれてた痣に気が付く。
「あらウェイバーちゃん、どうしたのその痣?」
「痣だって?」
老妻に咎められたウェイバーは反射的に手甲を隠すも、老妻は驚く老夫に見せんばかりと近寄る。
「……あー……余計なこと気付きやがって」
「どうしたんだウェイバー!?」
「どうもしてないよ。それより珈琲飲みなよ。砂糖をたっぷり入れてね。
……二人とも好きでしょ?珈琲」
悪態をつくウェイバーの異変ぶりに、グレンが驚愕するや、ウェイバーは手元にあった角砂糖を溶かしつつ、珈琲の水面に催眠魔術を手掛けた。
途端、老夫妻は糸の途切れた人形さながらに崩れ落ち、意識を失う。
「はぁ……これで、僕がイギリスから帰宅した孫だってところから、また暗示を掛けなきゃいけないのか」
暗鬱に項垂れたウェイバーの耳を、だが構いなしに、庭に放った三羽の鶏がろうするのだった。
■■■■
間桐家の大広間にて、雁夜は四肢をなげだして横たわる。蔵硯の提示たる一週間の虫たちの苗床となることは、偏に地獄であった。
そも、雁夜が未だにこうして生きていられることですら、奇跡とも言えよう。
「無様に成り果てたのぅ雁夜」
「……!」
失われつつある体力を回復に努めていた雁夜に、その姿を見咎めた蔵硯がしたり顔で近寄る。
雁夜が如何に敵愾心を露にしようとも、今の雁夜と蔵硯とでは、明らかに力量の差がある。
「ほぅらまだ左脚は動くのかぁ、えぇ?」
そう言うや、蔵硯は携えていた木杖で、感覚の途絶え始めていた雁夜の左脚を力の限りに痛め付ける。
全身を苛む激痛に加わる鈍痛に、雁夜は呻く。だがそれより先んじて、雁夜は蔵硯を睨み据えていた。
「ぐあぁぁあぁ!……!」
「おぉ恐い恐い。じゃが、そう感情を昂らせるな。体内の蟲どもに喰い殺されるぞ?
じゃが儂の見立てでは……お主の余命は精々1ヶ月といったところじゃな」
雁夜を嘲笑いながらも、蔵硯は冷徹な判断を下す。
だが雁夜は、その余命に絶望し慟哭することなく……自らに言い聞かせるように嘯いた。
「それで十分だ……」
「ぬぅ?」
「それで十分だと言ったんだ」
蟲に侵された肉体でも、例え魔術から一度は逃れた身でも。雁夜を突き動かす動力は、まだ雁夜を見捨ててはいない。
その事実だけで、雁夜にとっては十二分であった。
「ともかく、聖杯はお主を正式なマスターとして選んだようじゃ。
儂もお主に似合った触媒を用意しておいた……父親からの温情、使い果てるでないぞ雁夜よ」
召喚の儀は今夜に行うと蔵硯は雁夜に伝えるや、早々に部屋を辞していく。
雁夜もその後続を続かんとばかりに、痛む総身に鞭打ち、壁に寄りかかりながらも歩を進めた。
その道中で、雁夜は変わり果てた少女を見付けてしまった。
茶色の髪は深く昏い紫水に、その眼差しに当時の爛々とした眼光はなく、虚ろに此方を見据えるだけ。
「……やぁ、桜ちゃん。驚いたかい?」
「うん。……お顔。
雁夜おじさん、どんどん違う人みたいになっていくね」
そう小さく言った桜に、雁夜は曰く言い難い感慨を懐く。
"君もだよ、桜"
心の内でそう思えど、口には出せない。
桜はこれを日常と思い、土俵際を優に越えたところで耐えている。それを崩す言葉を掛ければ最後、桜は生きる意味すらも忘れてしまう。
「今日はね、ムシグラにいかなくていいの。もっと大事な事があるって、お爺様がいってた」
「うん、だから今日は代わりに、おじさんが蟲蔵にいくんだ」
同じ、蔵硯に"いじめられる"者として、雁夜は桜に接する。
「雁夜おじさん、どこか遠くにいっちゃうの?」
「そうだね……おじさんはこれから大事な仕事をしにいかなくちゃいけない。
こうやって桜ちゃんと話せるのも、あまり出来なくなると思う」
雁夜の言葉に、桜は見てわかるほどに気落させる。
「なぁ桜ちゃん。仕事が終わったら、遊びに行かないか? また皆で……お母さんとお姉ちゃんと、どこか遠くへ」
「お母さんとお姉ちゃんはいないの。……そう思いなさいって、お爺様が……」
誰に言うまでもなく俯きがちに言った桜を、雁夜は有無を言わさずに抱き止めた。
「じゃあ、遠坂さん家のお母さんと、凛ちゃんと、どこか遠くにいこう」
「……あの人たちに、また会えるの?」
「会える。それは、おじさんが約束してあげる」
僅かに見せた喜色を失わせんと、雁夜は即答する。
そして雁夜は、召喚の儀の準備をするために、桜を離した。
「それじゃあ、おじさんはもう行くね」
「うん……ばいばい、雁夜おじさん」
終始において、感情の出さなかった少女に暇を告げ、雁夜は左足を引き摺り、壁に身を預けて歩く。
その痛ましい背を見て、少女が何を思ったのかは、雁夜が知る由もない。
雁夜はまた一つ、成し遂げねばならぬ約束事を、積み重ねてしまった。