皆に愛され 覇道をゆく天才の物語 作:水戸野幸義
「今日は来てくれてありがとう。嬉しいわ」
目の前の楯無が嬉しそうな笑みを浮かべながら言う。
「昨日も来たんだが。どこの誰だったか、客人を呼んでおいて自分から一言も断りなくほったらかしにしたのは」
「もう、謝ったじゃない。忙しいのよ、私」
「なら、呼ぶな」
「と言いつつ今日も来てくれるテオは優しいわね。ふふっ」
「まったく」
相変わらず楽し気な笑みを浮かべる楯無には呆れるしかない。
もっとも、今日も母上達がシャルロットを連れていって一人で暇だからと遊びに誘われてのこのこ来た俺も俺だが。
「でも、そのおかげで簪ちゃんと仲良くなれたでしょ」
「よく言う。最初からそのもりだっただろ」
「ふふっ、何のことかしら」
誤魔化すように笑い、口元を隠すように広げられた扇には『可愛い冗談』と書かれている
「けど正直、こんなに仲良くなるなんて予想外だったわ。私とテオが二人っきりになるって知った時の簪ちゃん、露骨に嫌そうな顔してたもの。あんな簪ちゃん初めて見たわよ」
「あれは確かに凄い嫌そうな顔してたな……」
とてもよく覚えている。
絵に描いたようなというのはああいうことを言うのだろう。
「しかも、名前で呼び合ってるしね」
「友達なのだから当たり前だろ。俺と楯無だって名前で呼びあっているだろうが」
「それはそうなんだけど……ほら、簪ちゃんってパッと見人見知りでしょ? だから、友達になっても一線引くかと思ったけど逆だったわね」
当たり障りのない返答。
言ってることも本当に思って言っている。だが、この言葉の裏にはやはり更識の掟のこともあるんだろう。
「まあ、何にせよ。簪ちゃんもテオと友達になれてよかったわ。簪ちゃんにはいろいろいい刺激があったみたいだし」
「それは俺にも言えることだ。簪には日本の特撮をいろいろ教えてもらった。いい刺激となった」
「そう。なら、余計によかったわ。言われるまでもないだろうけど、簪ちゃんのこと末永くよろしくね。本当にいい子だからちゃんと見ていてあげて」
「何だそれは……クハハッ」
あまりにも変な物言いをするものだから笑いを誘われた。
言った本人は本気なんだろう。
だから、笑う俺を見て楯無は拗ねたような困ったような顔をしている。
「な、なんで笑うのよっ」
「いや、また随分な物言いをするものだからついな。それではまるで今生の別れみたいだ。楯無、君だってちゃんと見てあげるんだろ」
「……私、は……」
てっきり言い返されると思ったがそうではなかった。
あからさまに落ち込んだ様子を見せてくる。
やはり、この頃から二人の仲はよくなかったか。
「そう言えば、テオは一人っ子よね」
「そうだな。俺一人だ。だがまあしいて言うなら、シャシャが妹みたいなものだ」
「あ~シャルロットちゃん。確かにそういう感じはあるわね」
シャルロットとは同い年で、友達ではあるが妹的な存在だという感覚の方が強い。もっというなら、年の離れた妹といった感じ。
前世のことが強く影響しているからだろう。
「二人は仲良くやってるわよね」
「そうだな。喧嘩とかはしたことないな。よく笑ってくれる。ただいろいろと気を使い過ぎるのがな」
「可愛いじゃない。きっとテオの役に立ちたいんでしょう」
それは分かっているし、気持ちはありがたいがあそこまで献身的だと流石にな……。
「贅沢な悩みね……でも、羨ましい」
「簪とは上手くいってないようだな」
「……うん。別に喧嘩してとかいがみあってるとかじゃないはずよ。ただ距離を感じるというか、私自身距離を作っちゃってる自覚はあるの。最近、その家のことでゴタゴタしてるから」
「なるほどな……」
ゴタゴタというのはおそらく楯無の立場のことだろう。
更識家当主の称号、楯無。それを継ぐことによって、必然的にやることは増え、簪との時間は減る。
簪も簪で姉が当主になったのだから、それ相応の接し方をしなければならなくなる。そうなると距離はどうしてもできてしまう。
「難しいわよね……どうしたらいいのか」
「そうだな。方法があるすれば、諦めないことぐらいか」
「諦めない……?」
「楯無が簪のことを気にかけているのはよく分かる。それを続けることだ。他人越しではなく自分自身で」
「そんなことっ……!」
声を荒げる楯無を制止する。
言いたいことは分かっている。
「そんなこと言われるのは簡単で言葉にするのは容易い。それでもやらねば、何も変わらない。人任せにしているといくら大切に思っていても誤解されて終いだ。それは理解してるだろう?」
「それ、は……」
「大変なことで時間はかかる。だが、向き合い続ければ簪も向き合ってくれる。素直でいい子だからな」
「知ってるわ。自慢の妹なんだから……本当、好き勝手に言ってくれるわ」
「言いたい事は言わないと損だし、伝わらないだろ」
「何それ……ふぅ、でも、それもそうよね。ふふっ」
いつぶりかに楯無は笑みを見せてくれた。
そして、何処か吹っ切れた様子だ。
「頑張らなくちゃね、私は楯無なんだから」
「その意気だ。何かあれば、この俺、テオドール・デュノアを頼るといい。喜んで力を貸そう」
「あら、気前いい。男前ね、フランス人は皆こうなのかしら」
「そうだとも。我が国の人間は情が深い。簪は勿論、楯無とは友達同士なのだから力を貸すのは当然だ」
多少なりといろいろな思惑はあるけれど、一番は友人だからだ。
原作云々は今更どうでもいい。今の時期から溝を埋められるのならそれがいい。友人である二人には仲よくいてほしい。
その為ならこのテオドール・デュノアは喜んで力を貸す。
「友人か……そこまでハッキリ言われると照れくさいというか、申し訳なくなってくるわね」
「何がだ?」
「あなたに近づいたのは家の為、将来の為。友達であろうとしたのはあなたを更識に繋ぎ止める為。邪よね」
そう楯無はバツが悪そうな笑みを浮かべながら言った。
だから、また俺は笑わずにはいられなかった。
「もうっ、何でまた笑うのよっ」
「いやいや。簪と違わず楯無も素直で純粋なんだと再確認させられてな。そんなものは俺達のような家の者ならあって当然。俺だってそうだ。だが、それでも純粋に友達でいたいという気持ちがあるのなら、それだけで充分」
「そ、そこまで言われてしまうと難しく考えていた私が馬鹿みたい。でも、そう言ってもらえると助かるわ。本当テオって不思議ね」
楯無は楽しげに笑っていた。
「簪ちゃんもテオに助けられたみたいで、私もテオに助けられちゃった。姉妹揃ってこれじゃあ、何だか面子が立たないわね」
「そうか……そういうものか。なら礼はこれから払ってくれればいい」
「高くつきそう。でも、お礼か……そうだ、あなたが満足するかは分からないけど今私が出来る一つとっておきのお礼をさせて頂戴な」
「いいだろう。受け取ろう」
俺がそう言うとテーブルを挟んで前に座っていた楯無が隣にやってくる。
「私の名前分かる?」
「は? 何だ急に。更識楯無だろ?」
意味不明な問い。
いや、これはそういうことか。
「そう、私は更識楯無。楯無……この名前はね、更識家当主が代々継いできた名前。私の本当の名前は別にある」
ふいに耳元へと楯無の顔が近づいてくる。
そして秘密を打ち明けるようにゆっくりと告げられた。
「私の本当の名前は刀奈――更識刀奈」
そう告げると楯無は離れた。
「いいのか。言ってしまって」
「本当はダメよ。身内以外にこの名前を、特に異性に教えるのは命を握られるも等しい。でも、テオなら構わないわ。不思議と信頼できる。これが私が今できる精一杯のお礼。この命、テオに捧げましょう」
悪戯な笑みで楯無は言う。
一見すると冗談っぽいが、その反面本気なのは分かる。
流石の楯無でも冗談で自分の本当の名前は教えないか。
「これはまた随分と大きな礼が返ってきたものだ。いいだろう、このテオドール・デュノアが刀奈の命、確かに受け取った!」
「ふふっ、末永く大切にしてね」
なんて冗談を言いながら楯無は幸せそうな顔をして笑っていた。