――ここは、普通の人間と獣人が一緒に生活を送る世界。そんな中で、僕は生きている。
僕は東田知生(とうだともき)。別にどうってことない、中学2年生だ。
「なあー、知生。勉強教えてくれっ。」
目の前でそんなことを僕に頼み込む熊の名前は、天間将登(てんままさと)。とても大柄で、横にも縦にもでかい、という図体をしている。しかもその身体が授業中ずっと目の前にあるんだから、とっても邪魔くさい。
授業を真面目に聞いている身としては、退かしたくなるほどだった。
「しょうがないなあ、いいよ。」
でも、そんなことはしない。まあそんなことしたら生徒指導――というか、先生に心配されるレベルなんだろうけど。
「へへっ、やった!」
その原因は、この笑顔だった。キリッとした顔から浮き上がる微笑みは、たちまち僕にかわいいと思わせてしまう。
――そう。その感情が初めてやってきた時から分かってしまっていた。僕はこの巨大な雄熊に、恋心を抱いているのだ。
初めて話したのは、中1の夏頃。天間曰く、話しかけたきっかけは『目の前に天才がいたから』らしい。
別に僕は頭の良い親のDNAを受け継いだだけで、特に努力などしていないのだが、勉強はすぐに分かってしまった。なので中間考査で高得点を取ると、皆から頭いい!だとか褒められてしまう。
それが天間の耳にも勿論届いて、僕に頼み込んだ、という単純な話である。別に頭が良い子はもう1、2人いるし、そちらでもいいのではないか、とは応答したが、『目の前にいるんだから、頼んだっていいだろ?』と言われてしまった。
まあ確かにそうなんだけど......。まあそう言っても仕方ないし、と自分に言い聞かせて天間に勉強を教え続けた。
だが頭の容量はあまりないようで、勉強を教え続けてもちょっとずつしか伸びなかった。
まあでも本人はそのちょっとの進歩が嬉しいらしくて、僕は語彙力のない感謝の意を延々と述べられて、抱きつかれた時はどうしようかと思ったけど。
あの時は流石に忘れられない。『ありがとなっ!』だとか、『好きだ!』だとか言ってきて、がむしゃらに僕に抱きついてきたのだ。
もちろん僕はどうすることも出来なかった。困惑と嬉しさが同時に込み上がってきて、あの時から『好き』という感情が分かり始めてきたのだ。
まあ、『好き』と言ってもライクに近かったんだけど。恋心とは言ったものの、推しをかわいがる気持ち、みたいな感じと言った方が正しい。
それからずっと心の中でかわいがっている。あの食べっぷりがかわいいだとか、目の前の席で寝る姿がかわいいだとか。
――よく考えると、そんなこと考えてる僕って気持ち悪いな。
まあそんなこんなで、僕たちは親友という仲になっている。
「ねえ。2人ってさ、いつも一緒に居るよね。もしかして恋人?」
天間に勉強教えている最中に、人間の女子がそう言ってきた。どうやら、また持て囃されているようだ。暇さえあればすぐに2人で一緒にいるので、そんなことをされるのも無理はない。
「天間くんとはそんなんじゃないよ。親友ってだけ。」
表面上はそう言うが、内心では違うということは、恥ずかしがり屋の僕には到底言うことなんて出来ないだろう。
「へへっ、オレはそれでもいいんだけどな!」
そして僕の答えに反して、へらへらとした様子で同意してしまう天間。もっとこう……恥ずかしがるとか無いのだろうか。というか、その言い分のせいで僕が余計に恥ずかしくなるんだけど。
「へえ……やっぱり恋人ねえ。」
そして意地悪そうな目でこちらを見つめてくる。そしてもちろん僕の言い分は通じない。分かってた。分かってたけど悲しい。
もう何度も否定してきたけど、否定しない方がいいんじゃないだろうか。いや、あっちは冗談で、こっちは本気だから相場が違うってことぐらいは分かるのだが……それを考えてもそんな気がしてきてしまうのだ。
「おーい、知生?」
天間はそう言うと、僕の顔を心配そうな顔で覗いてきた。かわいい……じゃない。最近考え事をしすぎて、人の話を聞かなくなってしまっている。直さなければ。
「ごめんごめん。それで、何だっけ?」
そう聞くと、天間は教科書のあるところを指しながら疑問の箇所を喋っていく。
「ここって、どうするんだっけか……?」
天間の太い指が示したのは、-5x+6y+11x-3yの箇所。こんなの、6x+3yとすぐ分かってしまうのだが、天間のためにはならないので、ちょっと意地悪をしてみる。
「こういう足し算は、ある法則があるんだけど……分かる?」
「……忘れた。」
予想通りの答えが帰ってきた。良く2年生になれたなあ、とつくづく思う。絶対僕のおかげだと思うんだけど。
「もう……。ここはこうやってやるんだよ。」
僕はため息混じりに説明し出した。でも勉強のこととかになると、真面目になってくれて正直嬉しい。こうやって説明するのも復習になるので、天間に助けられている、という点もある。
「――分かった?」
説明を一通り終えたのだが、分かってくれたのだろうか。
「おう、バッチリだ!」
うん。そういうとは思っていたのだけど、本当に大丈夫なのだろうか。割と心配である。
「えっと……x同士で、y同士で足せばいいんだろ?だから――6x+3yだ!」
良かった。天間が潔く返事した時は少し不安だったが、答えまではすんなりと出せたようだ。
「へへっ、いつもすまないな。」
天間は少し照れくさいのか、鼻の頭をしきりに掻きながらそう言った。
「いっつも知生にお世話になってるし、なんかお礼しなきゃだな。」
そして考えるようにしてそう付け足す。個人的には、さっきの恥ずかしそうな表情とかでもう十分なんだけど。
「えー、別にいいよ。勉強教えるの楽しいし……。」
「そんなんじゃ足りないだろ?んーと、そうだな……。」
天間は僕の言うことを聞かず、恩の返し方を考えている。僕も深く考えているわけではなかったので、何かないか考えてみた。
「あ……そういえばさ、僕たちって遊んだことないよね。」
記憶を辿れば、出会った時から一度も遊んだことがない。まあ僕が誘わないのが悪いんだろうけど、天間がそんなことをしてこないなんて、ちょっと気になった。
「あー、そうだな。どっか一緒に出掛けるか?」
「うーん、どっちかの家で遊びたいなぁ。」
僕は根っからのインドア派。外が嫌いとかそういう訳ではないんだけど、外に出掛けるのも疲れてしまうので、家で遊ぶ方が好きなのだ。
「あ、オレの家はダメだぞ。……っていうか、オレは出掛けたい気分だったんだけどな。」
天間は笑いながらそんなことを言った。自分の家は無理だと拒否した時が何故か怖く感じたけど、気のせいだろうか。
「お願いー。僕の家ならいいんでしょ?」
「しょうがないな。じゃあ今日行っていいか?」
てっきり土曜日である明日と言ってくると思ったから、拍子抜けしてしまった。まあ確かに初めて行くし、そちらの方がいいことは分かるのだが。
「え、今日?……いいよ。」
「やった!へへへ、今から楽しみだ。残りの授業頑張るぞー!」
僕が了承した途端、満面の笑みをこちらに見せてきた。ああ、かわいい……じゃなくて、天間がはしゃいでいるのを見て、僕もわくわくした気持ちが込み上げてきた。
まあ、授業はいつも頑張って欲しいんだけど。ただでさえ少ない点数を、授業態度点の追加なしにそのままにしてしまうのは、こっちが心配になってしまうのだ。
「じゃあ帰ろうか、天間くん。」
ホームルームが終わり、互いに掃除を終えた僕たちは、今まさに帰ろうとしていた時だった。
「おう!へへへ。」
僕の隣を歩くこの大きな熊は、さっきから笑みをこぼしまくっている。外ならまだしも、学校内ですらそんな顔をしているので、若干恥ずかしい。
「そんなに嬉しいの?」
流石に喜び過ぎだと感じて、ちょっと問い質したくなった。
「そりゃあな。知生ん家行きたかったしさ。別に遠いわけじゃないからな。」
言われてみればそうだった。学校からだとしたら天間の家の方が遠いとはいえ、僕の家から比較したら5分掛かるか否かくらいだ。どうして遊んだことないんだろう、と不思議に思うくらいには、地理状況は良かった。
「まあ僕も、一緒に遊びたかったんだけどさ。今日はいっぱい遊ぼっか。」
「へへ、そうだな!」
僕がそう言うと、天間は依然にこにことした表情で言ってきた。本当に楽しみなようで、今の天間は何をしても嬉しそうな様子は抜けなかった。
僕の家には、あっという間に着いてしまった。話していたからか、15分間はすぐのように思えた。
「入ってどうぞー。」
僕はドアを開けて、天間を案内した。天間は初めてなのか、落ち着かない様子で一緒に入ってきた。
「お母さん、ただいまー!友達連れてきたよ。」
そう言うと、僕の母はゆっくりと顔を出してきた。少し身長は高いが、それ以外はどうってことない、一般人だ。……いや、ちょっと明るすぎるかも。
「あらっ、その子が噂の天間くん?こんにちは。」
「あ、えっと……こんにちは。」
母は囃すようにそう言うと、天間はつっかえながら返事した。やはり、天間は他の人の家に行ったことがないのかもしれない。いつもへらへらとしている天間が、大人の前になるとこうなるだなんて。ちょっと意外性を突かれた。
「やっぱり大きいわね。何か部活入ってるの?」
「いや……部活は入ってないっすよ。運動は好きだから、やってますけど。」
そういえば、天間が部活に入ってないのを聞いて、驚いたことを思い出す。『運動は好きなんだから、入ればいいのに。』と言ったのだが、『大会にまでは出たくないからさ。』とかなんとか言ってたっけ。まぁ確かに、その気持ちは分かるんだけど。
「でも、やっぱり運動はしてるのね。――あ、立ち話もなんだから、入ってらっしゃい。東田家はいつでも歓迎するわよー。」
母は呑気なことを言いながら、リビングへ向かっていく。なんかちょっと天間くんに似ているなあ、と思いながら僕も向かおうとすると、天間の足が止まり続けていることが気になった。
「天間くん、行こう?」
そう言って、天間の太い手首を掴んでぐいぐいと引っ張る。
「あ、すまん。」
天間は我に帰ってくれたようで、僕に向かって付いてきた。
そして3人でちょっと話した後、天間を自室へ案内してみた。
「へえ……知生の部屋、意外と広いんだな。」
第一声に、そんなことを言ってきた。うーん、そんなに広いのだろうか?特に広さについては考えてもみなかったので、一般論を知らないのだ。
「えー、そんなに広い?」
「あー。オレ、自分の部屋持ってないからさ。」
それを聞いて、大体納得した。持っていない故の憧れか何かで、広く見えたのだろう。
「そっかー。僕一人っ子だから、そういうの分からないんだよね。」
あはは、と苦笑いをしながら言ってみる。天間も僕に合わせたのか、笑っていた。
「……座っていいか?」
「うん。どうぞ。」
遠慮がちな天間の質問を、快く答えてあげた。そのおかげもあったのか、ボスンと音を立てながらベッドに座ってきた。
「じゃあ、ゲームしよっか。」
「あ……実は、ゲームやるの初めてなんだ。その……手加減して欲しいな。」
天間は少し恥ずかしそうにそう言ってきた。ゲームを初めて遊ぶ、なんて人は初めて見たので、驚きを隠せなかった。
「なんだよ。そんなに手加減したくないのか?」
どうやら僕の表情は、拒絶したように見えてしまったようだ。天間は僕を見て、ふてくされている。
「あ、いや。そうじゃなくて――ゲームやるの初めてなんだ、と思って。」
誰でも少しはゲームをやっているのかと思ったが、僕の考えは天間によって覆されてしまった。
「あー、そうだぞ。ゲームとか、買ってもらえなかったからな。」
天間は苦笑いして言った。やっぱりそういう家庭はあるようだ。僕は案外恵まれているのかもしれない。
「そっか……。まあ、やろうか。」
そう言って天間にコントローラーを渡すと、やる気に満ちた表情をして頷いてきた。そんな表情を見ると、正直負けそうだ。
「ふう……疲れた。」
マグカップに入っている温かいココアを飲みながら、天間は一息付くように言う。ゲームを生まれて初めてやったせいか、1時間ほどやっただけで疲れてしまったようだ。
「あはは、お疲れ。僕はやってるねー。」
僕は依然プレイしながら、天間にそう伝えた。
「……やっぱり知生、ゲーム上手いよなあ。」
僕に寄り添うぐらい近づきながら天間は言ってきた。どちらかといえば、そっちの方が気になってしまうんだけど。
「まあ、ずっとやってればこうなるよ。」
とりあえずその気持ちを抑えて、遠回しに謙遜の意を込めて言ってみた。プロプレイヤーに比べればこのプレイなんて拙いものだ。
「オレもそのぐらい上手くなりたいな。やってれば出来ると思うか?」
天間がそう言ってきて、ちょっと考えてみた。別にプレイは悪くはなく、むしろ良かったと思えた。ただ、自分が下手だからと自覚しているせいか、一定以上のことはしてこなかった気がする。
「プレイは良かったから、出来ると思うよ。ただ、もう少しチャレンジした方がいいかな。」
「へへ、そうか。じゃあまたやりたい!」
僕に褒められたのが嬉しかったのか、疲れが吹っ飛んだらしい天間は、もう一度一緒に遊びたいことを示してきた。僕はもちろん頷いて、コントローラーをもう一度手渡した。
現在の時刻は19時前。そろそろ帰った方がいい時間帯だ。
「むう……帰りたくないなあ……。」
なのに天間はそのようなことを言っている。来る前には自分の家に寄らなかったし、帰った方がいいのではないかと思ったのだが。
「流石に親も心配してるんじゃない?」
何気なくそんなことを言ったのだが、天間はそれを聞いた途端、顔をしかめた。
「……いや、大丈夫だって。オレの親、そんなんじゃないしな。」
すぐしかめるのは止めたが、一体なんだったのだろう。家で、構ってもらえないのだろうか……。
「……そうなんだ。まあ、帰りたいときでいいけど、あんまり遅くに帰らないでよ?」
「へへ、分かってるって。」
僕が忠告すると、いつものへらへらとした様子でそう言ってきた。天間が一瞬顔をしかめたことに疑問を感じはしたが、天間のいつもの様子を見るだけで、その考えは無くなり、微笑ましく思ってしまうのだった。