4月が終わった5月上旬の連休。寒さも無くなり、段々と暑くなってくる頃だ。だが、窓から見える木々は緑々しくて、少し涼しさを感じる。
「……なあ。」
勉強中の沈黙を破って知生に問いかける。返事の代わりに目を向けられたから、そのまま言葉を続けた。
「いくらなんでも多過ぎないか?」
「うん……。」
オレたちの机に載せられているのは、これでもかというくらいに課せられた課題集。休みの間にやれと言われるまでは目に見えていたのだが、こんなに量があるとは。
正直、やれる気がしない。
「5日間休みあるからって、この量は無理だろ……。」
絶望という比喩が相応しい声を出して、オレはあからさまに肩を落としうなだれる。恐らく、みんな思っていることだろう。
向かいにいる知生も、流石にこれには参っているみたいだ。頭を抱えながら、嫌々そうに問題を解いている。
「1日も休みは与えないみたいだね……。」
ため息を吐きながら、知生は少し呆れたように話した。
確かにオレみたいなやつはこれぐらいやらないと忘れるかもしれないが、それにしたってこれは酷いのではないか。
そろそろオレの頭はパンクしそうだった。もう休憩しないと無理だ……。そう感じて、ばたんといきなり床に背中を委ねる。少しだけ痛かったが、とにかく今はさっきまでフル回転させていた頭を休めたかった。
「僕も休憩しようかなぁ……。」
そう言って知生はシャーペンを置くと、それっきり机に突っ伏してしまった。流石に集中が切れてしまったようだ。
確か早めの昼食を摂って、今15時だから……もう4時間もやっていることになる。それでも、山のような課題は一向に減った気がしない。何というか、知らない内に誰かが持ってきてるのではないかと疑うレベルだ。
「もうオレ、勉強したくないぞ……。」
勝手に口から出た言葉に、自分でも驚いてしまったほど。多分、これがオレの本音なんだろうな。
「僕もちょっと嫌になってきた……。」
普段なら、オレが弱音を吐くと励ましたりなんなりしてくれるのだが、今日ばかりは知生も同じ意見のようだ。
真面目に勉強している知生ですらやりたくないって言っているのだから、この課題は誰にも終わらせることはできない気がする。
「とりあえず、外に行かないか?息抜きしたくなってさ。」
もうこれにはうんざりだ。とにかく運動すれば、そういう気も晴れる気がする。
「じゃあ、行こうか。」
知生がゆっくりと立ち上がったのを見て、オレもそれに釣られて立った。
まだこの季節だというのに既に日差しが強く、オレだったら半袖でもいいくらいには暑い。もう夏なのではないか、と思ってしまうくらいには。
だが、まだ5月だ。夏が本番になるまで2、3ヶ月ある。そうしたら、更に暑い状態で運動することになるのだ。
暑いのには慣れているけど、流れてくる汗で毛が重くなるのがちょっと嫌だった。
それで今、オレは公園の周りをぐるぐると走っている。この公園は普通のものより敷地が広いから、1週の距離は少し長めだ。具体的には測っていないから、正確な距離は分からないが。
いつもここで、30週は走っている。現在は29週走り切ったから、もうこれで終わりだ。
そう考えていたら、あっという間にゴールが見えてきた。大分疲れているのに、ゴールを目前にした瞬間力が湧くのはどうしてなのだろうか。
「おつかれー。」
そう言いながら、知生がスポーツドリンクを手渡してきた。知生も少しの距離ではあるが走っているから、二口ほど減っている。
「ありがとな。」
お礼を言うと、それを一気に口に入れた。冷たさと爽やかさが相まって、オレの身体を癒してくれる。
「じゃ、あとは懸垂かな?」
オレが飲み終わるのを見届けると、知生が次のメニューを言ってきた。すぐ行くつもりだから、半分くらいになったペットボトルを返しておく。
「おう、行ってくる。」
歩くついでに息を整えて、一番高い鉄棒へ向かった。
そして、オレの身長をも優に超える横棒に飛び掴む。そのまま身体を持ち上げて、懸垂を始めた。
こういうのは、何も考えずにやるのが一番だ。余計なことは考えないで、筋肉を動かすことと数を数えることだけに意識を向けた。
「……49……50!」
終わると同時に、限界だった手は鉄棒から離れてしまった。もう、何も持てない……。
「疲れたー……。」
「わ、重いって!ていうか暑いっ!」
近くにいた知生の肩に自分の腕を乗せて、少し身を委ねる。知生に制され抵抗されてしまったが、それでも止めなかった。
「だって、疲れたもんは仕方ないだろー?」
「だからって、僕に抱きつかなくても。ほら、ベンチまで移動しようよ。」
そのまま、知生は重そうにオレを引きずる形でベンチに向かっていく。流石に重そうだから、歩く時に抱きつくのは止めておいた。
そして日陰にあるベンチに座ると、知生はさっきの飲み物をまた寄越してくる。
無言でペットボトルを受け取ると、また一気に口に入れた。ちょっとぬるくなっていて、さっきよりは美味くなかった。
「あとは知生が飲んでいいぞ。」
「ん、ありがとう。」
残り少しのスポーツドリンクをさっと返すと、知生はそれを一気に飲み干していた。知生も喉が渇いていたようだ。
「風が気持ちいいな。」
「僕はそんなに動いてないから、ちょっと寒いんだけどね。」
オレ達の間を、時々風がさあっと吹き通っていく。それが気持ちよくて、また来ないかと期待してしまう。
「じゃあ、オレがあっためてやる。」
「そこまでは言ってないんだけど……うわ、暑い。」
知生を膝に乗せてぎゅっと抱きつくと、そう煙たがられた。でもさっきとは違って、嫌がってはこないみたいだ。
「本当に、知生ってちっちゃいよなあ。」
「天間くんがでかいだけじゃない?」
膝に乗せているのに、知生の頭の上が見えてしまう。おまけに身体もちっちゃいし、腕もオレより大分細いし……かわいいなあ、と思う。
「そうか?でもそういう知生が好きだぞー。」
オレは何気なく言って、ぬいぐるみを抱き締めるかのように力を入れる。すると知生の顔が赤くなったような気がした。
「こ、こんな所で言わないでよ。」
知生は後ろ姿から、慌てた声を出した。オレに言われるのが恥ずかしいみたいだ。
「別にいいだろ。オレは誰かに聞こえたって気にしないしな。」
「天間くんは良いかもしれないけど……僕の気持ちだって考えてよぉ。」
あんまり寂しそうに言うもんだから、流石にまずかったかと思い直す。
「ああ、すまん。……でも、知生がかわいいからいけないんだぞ。」
そう言われたって、知生が愛おしくて堪らないのは変わらない。それを教えるために、目の前の1人の恋人にしか聞こえないような小声で喋る。
「もう……そういうの、ずるいよ。」
オレの膝の上で、知生が照れている。顔は見せてくれないが、端から見えるほっぺたは真っ赤だ。
……ダメだ、どうしても頭の中で何度もかわいいという感想が出てくる。ちゃんと告白できたあの日から、知生の事が更に好きになっていた。
暇さえあれば、頭の中にはいつも知生がいる。自殺しかけた時も考えてはいたが、その時の比じゃないくらいには、ずっと。たぶん、恋人として普通……だよな?
「なあ、知生。」
「うん?」
「『好きだ』って言ってくれ。」
我ながら、子供っぽい要求だと思う。けれど、なんだか無性に言ってもらいたかった。
「え、えっと……。好きだよ、天間くん。」
きょろきょろしたと思ったら、知生は優しくそう言ってくれた。その瞬間、心の中がじんわりと温かくなる。暑さとは違う、心地よいものだった。
「……へへっ。オレも好きだぞー。」
そう言って、また強く抱きしめる。──もうオレは、知生が居ないと生きていけないと本気で言えるくらい、好きだ。
「ねえ、ブランコ乗ろうよ。」
知生の指は、2人分座れるブランコを指していた。あっちも日陰だし、やったら涼しそうだ。
「ようし、やるか。」
オレの膝から知生が降りるのを見届けると、オレも立ち上がった。そうしてそのまま、オレ達でブランコを占拠していく。
そしてブランコに座ると、一気に加速を始めた。
「ブランコはやっぱり気持ちいいな。」
既にかなりのスピードで動いているブランコは、更に加速をしていった。正面からどっと来る風が気持ちよくて、つい早く漕いでしまう。
「おお、高いねえ。」
オレの漕いだブランコを見ている知生が、そういう感想を述べてきた。確かに、知生の乗るブランコはそこまで行っていない。
「知生はもっとやらないのか?」
「これくらいが丁度いいんだよ。あんまりやってもちょっと怖いしさー。」
そう言っている間にも、そのブランコは一定のスピードで動く。その速度でちょうどいいのは本当のようで、非常に楽しそうだ。
「ねえ、天間くん。将来の夢とか、考えたことある?」
「うーん、将来の夢か……。」
正直、そんなこと考えたこともなかった。将来の夢とか、小学1、2年生の時に考えたきりだ。
「そういうの、考えたことないんだよな。……オレって、何が向いてると思う?」
自分は何になりたいのだろう。そう考えるオレの頭の中には、何も浮かんでこない。だから、試しに知生に質問してみた。
「ええっ、うーん……。スポーツ選手とか?あ、でも試合には出たくないって言ってたっけ。」
「ああ、そんなことも言ってたな。」
『試合には出たくない』。それは初めて知生に嘘を吐いた言葉だと覚えていた。あの時一生懸命考えて出た言葉がそれだったのだが、知生は割と信じ込んでいるみたいだ。
「……今は出てもいいと思ってるぞ。知生が見てくれるなら、それだけで嬉しいからな。」
「ははっ、そっか。それで、なるなら何をやりたいの?」
やれるなら何でもやりたいが、スポーツ選手はそうもいかないだろうし……。1つに絞るというのは、結構難しいところがある。
「分からないな。オレ、結構なんでもやりたい奴だからさ。」
「あはは。それじゃあ、そういうのは向いてなさそうだね。」
オレの夢は、スポーツ選手じゃない、か。オレは結局、何になりたいんだろうなあ。
「いてっ!」
ぼうっとしながら考えていると、何かが側頭部にクリーンヒットした。知生を横目に物思いにふけっていたから、かなり痛い。
オレを痛めつけてきたのは、潰れた缶だった。相当な力が入っていないと、こんなに痛くならないと思うのだが。
「大丈夫?」
「おう……まあな。」
一旦ブランコを止めたあと、直撃したところをさすって、痛みを和らげようとする。もう、一体誰がこんなことやるんだか。
「あっ……えっ、えっとぉ……ごっ、ごめんなさいっ!」
ぱっと飛び出してきた黒豹の男の子が、オレに向かって謝ってきた。見るからに、小学生らしい。
……随分と震えてるけど、もしかしてオレに対して怖がってる……のか?
オレは一度ブランコを降りると、潰れた缶を拾いながら小走りで近づく。そして目の前まで行くと、しゃがんで頭を撫でてやった。
「大丈夫だぞ。ところで、何をしてたんだ?」
その男の子に缶を返しながら、そう質問してみる。
「えっと、缶蹴り、してたんだよ。」
缶蹴り、か。なんだかよく分からないけど、オレはその遊びを無性にしたくなった。
「なあ。オレもやっていいか?」
「えっ……う、うん。いいよ。」
随分と悩んでいたようだが、どうやらオレを仲間に入れてくれるらしい。
「知生ー!缶蹴り、やるか?」
「うーん、僕はいいや。やってきていいよ。」
知生も一緒にやってもらいたかったのだが、別にいいなら仕方ないか。
「よし、行くぞ!」
ぽん、と優しく背中を押すと、その子は駆け出した。オレも釣られて、その子に付いていく。
「オレも、一緒に遊んでいいか?」
小学2、3年生くらいの子達に、そう尋ねる。謝ってきた子も含めて3人しか居ないようだ。
「えー、兄ちゃんとやるの?」
「なんだよー、嫌か?」
「いいじゃん。とりあえずやろうよ。」
「……まあ、いいっか。」
……とりあえずは、オレは参加できるみたいだ。その事実に、少しほっとする。
「じゃあ兄ちゃん、鬼ね!」
「おう、分かった。」
一番やんちゃそうな子にそう決められた。缶蹴りの鬼って、結構キツいんだよな。
「見つけたぞー。」
「ああっ、おれも見つかっちゃった。あともう少しだったんだけどなあ。」
缶を蹴られる直前で、何とか見つけることができた。これで全員……だな。
「まあ、いいや。1回蹴れたし!」
「楽しかったよ、お兄ちゃん!」
「もう一回やろうよー!」
わいわいと言ってきたりオレのズボンを引っ張ってきたりして、そのまま子供たちのわがままに圧される。
もう一回やるのも、悪くなさそうだ。
「よし、じゃあもう一回やるか!」
オレは元気な声で、子供たちにそう伝えた。