「ほっ!」
あれから数日が経った。あの日の翌日、天間はやはり怒られたものの、依然としてへらへらした様子でいた。あまりダメージになっていないのだろう。それを見ていて、とてもほっとした。今は何をやっているかというと──。
「おりゃっ!」
体育の授業で、バドミントンを行っている。最初はほとんど下手だったのだが、運動能力に長けている天間がみっちり教えてくれた。自分も楽しい競技だとは思っていたので、自分から進んでやることが出来て──嬉しかった。
天間は、運動となれば勉強と話は別で、かなり上手い。あまりルールを知らなくても、自分の大きさを活かした立ち回りをしてくるのだ。もちろん、力づくで、とかではない。
ただ、天間に何故そんなことが出来るのか質問はしたのだが、『何となくでやってるだけだぞ。』と言われてしまったのを覚えている。何となくでそこまで上手いのなら、ちょっとした恐怖を感じるのだが。
「うわっ!」
そんな天間は、僕を1度クリアで離した後、ドロップを打ってきた。何とか取れたものの、ネットに引っかかってしまう。
「へへ、もうちょっと警戒しないとダメだぞ。」
からかう声でそう言ってきた。不思議と怒りは感じなかったが、悔しくはあったのでムッとしてみる。
「だって、天間くんの球際どいんだもん。」
「そのぐらいしないと、練習にならないからな。」
雰囲気はいつものようにへらへらとしていたが、体育だけは真剣なようで、天間の目がそれを物語っていた。
「……でも、知生。本当に上手くなったな。前なんて、オレの優しい球すら取れてなかったじゃないか。」
「しょうがないじゃん。教えてくれる人も居なかったし。」
正確には、教えてもらうことが出来なかったのだが。コミュニケーション能力が低いせいで、気さくに話しかけることが出来ないのだ。
「でも、体力はあるんだろ?」
「んー、ちょっとだけね。でも、やっぱりあんまり無いよ。」
縄跳びだけは好きで、小学1年生の時からいつでも縄跳びで遊んでいた。そのおかげもあるのか、脚の筋肉だけは立派に付いており、体力も人並みはある。
「普通にあると思うけどな。」
謙遜する僕に、天間はなおも評価し続けた。そんなにあるだろうか……?持久走ではむしろ遅い方なので、あんまり体力はないと思うのだが。
「まあ、天間くんが言うならあるのかなあ。ありがとね。」
あまり謙遜するのも忍びないと思ったので、素直に受け入れてあげた。
「へへっ、どういたしまして。じゃあサーブやるぞ!」
お礼の言葉を返すと、天間はそそくさとそう言い、シャトルを打ってきた。遥か高く、体育館の天井に届きそうなほどまで打ち上げられたシャトル。
高さは遊んでいるが、狙いは鋭く──アウトラインの一歩手前を貫こうとしている。僕はその思惑を断ち切るために、落ちてくるシャトルに力強くラケットの中心を当てた。
天間の身長なら手を伸ばせば届きそうなクリアを、天間はわざと見送って後ろで打った。後ろで打っているのに、先程と同じようなシャトルを打てるのだから恐ろしい。
そのシャトルをわざと力半分で打ち返すと、もう天間は動き始めていた。天間はこういう判断をするのが本当に上手い。
そして天間の打ったシャトルは、軽くネットを越えるだけの運動量しか持ち合わせていない。僕がさっき取れなかったシャトルだ。既に中央に来ていた僕は、急いで食いついて高い弾道にした。
クリアと変化したシャトルを見据えて、天間はすぐに落ちる位置を予測し、場所を動いていく。さて、今度はどんなシャトルが来るんだろう。そう思っていたのだが。
──スカッと空気を殴る音がして、それだけだった。つまり天間は、シャトルを打てなかった、ということになる。
「あれ……。」
打てなかった、という思ってもみない結果には天間も驚いたようで、思わずそんな声を漏らしていた。
天間は上手いが、やはり失敗してしまうことはあるようだ。だが、授業中にミスする回数はせいぜい2、3回ほどなので、恐ろしく感じてしまうところはあるが。
「あはは、失敗したね?」
そんなことを思いながら、僕は天間にそう言ってみせた。
「まあ、たまにはミスることだってあるだろ?もう一回だ!」
そう言って、天間はもう一度シャトルを打った。
だがその思いを不安にさせるかのように、その後の天間はミスを連発させていた。単純に数が2倍になった、とかの比ではない。
何か悩んでいるのだろうか。心配性というのもあるが、あまり失敗しない天間がこうも失敗していると、心配もしたくなる。
授業はもう終了しそうなので、さっきのことを聞いてみた。
「天間くん、大丈夫?」
「大丈夫って……何がだ?」
僕の声で振り返った天間は、一瞬苦悩の顔をしたような気がした。本当に一瞬だったので、僕の思い込みで勘違いを起こしたのかもしれないが。
「ほら、あんなにミスしてたからさ。天間くんにしては珍しいから。」
「……別に、なんでもないぞ。」
思った通りの心配を言ってみせたが、天間はぶっきらぼうにそう答えた。あまり触れて欲しくない事柄なのかもしれない。それ以上言うのも気が引けたので、言うのは止めておいた。
でも、プレイに集中出来ないほどの問題がきっとあるはずだ。天間は体育の時だけ、まるで別人がやっているかと思うほど熱心で、そして上手い。そんな人物が幾度となく失敗しているのだがら、問題が無いはずなんてない。
でもきっと——こっち側から言っても、きっと何も話してくれないだろう。2年という短い付き合いだが、それだけは分かっていた。
「そっか。」
心の憤りを抑えて、そう言う。言いにくいことなのだろう。言いたい時に言ってくれればいい。少なくとも今は——そう思っていた。
「ねえ、天間くん。」
「ん?」
でも、いつでも言えるように。天間が助けて欲しいと言ってきたら、すぐに助け舟を出せるように、こう言った。
「悩みがあったら、いつでも言ってね。僕は天間くんの味方だからさ。」
その次の日。天間は特に何か悩みを言ってくれる訳ではなく、そのまま今日を迎えてしまった。天間は何も言うつもりはないのだろう。そう割り切って、僕からも聞くのは止めておいた。
自分はそういうことについて、受身になることが多い。その理由は、自分の考えを押し付けたくないからだ。もしそんなことをしてしまったら、その人の肩身が自分のせいで狭くなるような気がして、怖いのである。
そう考えながら、目の焦点が合っているのは天間の背中。本当に広いなあ、と思う。大きさだけ見れば、中学生とはとても思えない。こんなに広いからこそ、そういう悩みを溜め込めてしまうのだろうか。
……あれ、こんなに制服しわしわだったっけ。注意してぴんと張っている制服を見ると、どこもかしこもしわだらけだった。どうしてこんなにしわだらけなのだろう。あと、ほつれているところもあるような──。
そう見ていると、ふと天間の制服に埃が付いていることに気づいた。そっと取ってみると、天間は何も言わない。僕が埃を取ったことを知らないようだ。
「ねえ、天間くん……。」
「んっ?」
そんなことがあったよ、と天間に伝えようとしたのだが、天間は僕の言葉に、敏感に反応してきた。そんなにビクッとしなくてもいいと思うのだが。
「ああ、ほら──背中にゴミ付いてたよ。」
「あぁ……ありがとな。」
笑いながらそう言うと、天間もそれに合わせて笑ってくれた。天間の微笑む顔は、僕を幸せにしてくれる。
「さっきの授業、分からないところある?」
天間を気遣って、そう聞いてみる。さっきの授業は古典だ。
「いや、大丈夫だ。覚えるだけだしな。」
後ろを向かないまま、天間はそう答えた。僕のノートを見て写しているのだ。古典でも分からないところはありそうだが、天間は何も言わなかった。
「あのさ……。」
昨日のことがどうにも気になって控えめな声でそう言ったが、天間は集中していたのか、聞こえていない。僕はその状況に甘えて、言うのを止めた。またそんなことを言ったら、しつこいと思われそうだからだ。
「よーし、出来たぞー!」
意気揚々と天間は言ってみせた。どうやら、写し終わったようだ。
「おー、おめでとう。じゃあ次の授業頑張ろっか。」
そうは言ったが、また寝てしまうんだろうなあ、という気持ちが拭えない。
「そうだな。えっと、次の授業は──」
「数学だよ。」
それを聞くや否や、天間は少し嫌な顔をした。それだけで、数学が嫌いであることが伺える。
「うーん、数学か……。寝ちゃうと置いてけぼりにされるから、辛いんだよなあ。」
そんなことか、と一瞬腰が抜ける思いをした。寝るか寝ないかとか、そういう話ではないのだが。
「それこそ、寝ないように頑張ってよ。」
天間に、ますます寝ないことを勧めた。それを言って1時間寝なかったら、明日は雪が降るほどのレベルではあるが。そのぐらい、天間は常に寝ている。
「へへ。まあ……一応頑張るぞ。」
前回の反省を活かしたのか、"一応"という言葉を使ってきた。まあ確かに意気込みだけは良くて、その後寝るなら意味が無いと思っていたのだけど……いざそう言われてみると、やっぱり意気込みだけはあった方がいい気がする。
「まあ、無理にとは言わないからさ。起きる時間伸ばすぐらいの気持ちで。」
「おう、分かった!」
助言をしてあげると、天間は元気にそう返事した。その返事に、とりあえず見守ってあげようという気持ちになる。
「天間──って、また寝てるのか。」
いざ数学の授業になったのだが、今回は割と序盤の方から寝ていた。流石に起こそうか迷ったが、迷っている間に先生が指してしまったようだ。だが、それだけでは起きそうもない。
「東田、天間を起こしてやれ。」
そう言われるのは目に見えていたので、早速僕は天間の大きな背中を、軽く押すように拳を当ててみた。
「ん……。」
声になるか否かの声量でそう言うと、天間はゆっくりと起きた。後ろで見ているだけだが、とても眠そうである。
「天間、この問題分かるか?」
「えっと……。」
恐らく、処理能力が眠さで著しく低下している頭で、黒板に書いてある問題を必死に解こうとしているに違いない。
「知生、答え何だ?」
「……1/2だよ。」
後ろを向いて助けを求める天間に、仕方なく答えを教えてあげた。まあ少しは考えていたし、それで分からなかったらそれこそ仕方ないことではあるが。
「えっと……1/2です。」
「おお、合っているな。東田に感謝した方がいいんじゃないか?」
天間が、僕の答えをオウム返しのように先生に伝えると、先生が天間をからかった。
僕の答えをそのまま発言される時が一番怖い。自分だけが間違っているのならいいのだが、この場合は発言した子も巻き込むので、罪悪感に苛まれてしまうのだ。
「……寝ててごめんな。」
「えっ?……ああ、うん。」
てっきり、普通に感謝の言葉を言ってくると思っていたので、拍子抜けした。天間らしくないと思いながら、ちょっと曖昧に答えてしまう。
その後、何だか授業に集中出来なかった。というのも、やっぱり、最近の天間の様子がおかしいと感じる。
前なんかそんなこと言わなかったのに、なんてことも言ってくるから──もしかしたら、想像以上の悩みを隠しているのかもしれない。そんなこと、出来れば考えたくはないんだけど。
でも、天間の態度が変わっているのは火を見るよりも明らかだ。天間が何か手遅れになる行動を起こす前に、僕が止めなければいけない、という気持ちに襲われていた。